はてなキーワード: マックスとは
でも一番思ったのは、
はてなブログをもってしても
マックス姉さんに知らせなくっちゃ。
あと面白かったのは、
そして一番困ったのは
記事ページ内に「新しい記事」「古い記事」って出てこない理由が分からなくって
調べたらそう言うことだったわ!
いろいろ勉強になったわ。
うふふ。
三度拝んで召し上がれ!
昨日は寒かったから
カーデガンをプロデューサー巻きで持って行きましょう。
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
昨日、マッドマックスの3回目を見た。見たと言っても途中でやめてしまったが。
初回はどちらかというとブームが終わった頃に見た。
レビューや記事にはできるだけ目を通さないようにして、ほぼ自分の感性だけを頼りに見たのだが正直な感想は面白くなかった。
そのうちに今度はアカデミー賞を取った。
何か見落としているシーンやメッセージ性があるかもしれないと思ったからだ。
初回では理解できなかった言わんとすることも少し見えてきた気はした。
ただ、それで尚更評価を落とした。
しかしそれ以降も絶賛の声は途絶えなかった。
マッドマックスといえば最高の映画。最高の映画といえばマッドマックス。
それで今回は、様々なレビューや解説にしっかりと目を通してから見ることにしてみた。
何がそんなに絶賛されているのか、分かった上で見たかったからだ。
演出の完成度や演技の素晴らしさを絶賛する記事が山のようにでてきた。
マッドマックスが完成された作品であることはよく分かったのだが、肝心の、なぜ最高なのかはあまり見つけることができなかった。
そうして3回目を見始めて思ったことは、作品内における居場所のなさだった。
登場人物は全員が狂っていて、それでいて全員が自分だけが正気だと思っている。
大半の人間は世界が狂っているからとそれを受け入れようとするが、その中でも飛び抜けて狂っているマックスとフェリオサが、狂った世界にさらに狂った方法で抗おうというのがこの映画といっていいだろう。
マッドマックスの名の通り、全てが狂っているのだ。
違う。マッドマックスはまさに世の中をそのままに写しただけの話だ。
現実でも世界は狂っているし人間も狂っている。その中で自分だけが正気だと信じているのだ。
狂気こそが正気であるし、狂気の中にあれば正気こそが狂気なのだ。
この理不尽と狂気に囲まれているつらい現実で必死に正気を保とうとしている中で、なぜそんなものを娯楽映画の中から暗喩として発見しなくてはいけないのか。
登場人物の誰ひとりとして感情移入もできなければ、むしろ現実に存在する狂気に置き換えて穏やかな傍観者としてもいられなかった。
https://github.com/uiureo/remote-in-japan を見て、エンジニアのリモートワーク事情もけっこう選択肢があるなぁと思っていた。
でもうちって共働きで子持ちなんですよね。子供は保育園にあずけてるんだ。朝延長と夕延長つけて、園で保育可能な時間ほぼマックスで預けてる。今はリモートやってないんだけど、業務的に出社の必要は感じないし、通勤時間も70分くらいかかるからリモートしたい。
自社にリモート可能かを上司に打診したら基本的に無理で出社に支障がある(けど仕事をすべき)時のみ都度申請をして許可がでたらいいよって感じだった。そういうのじゃなくて、勤務体系として完全リモートとか週の何日かをリモート前提にするとかいうのってできないですか?って聞いたら、勤怠の管理ができないからって言われた。8時間働いてるかもそうだけど、残業してるかしてないか見えないって。営業と違って、出社さえしてれば管理がちゃんとできる職種だしって。
上司的にはそう答えるよなぁって思って、今度は総務の偉い人に聞いた。リモートだと「オフィス外での作業っていう観点から、情報管理の問題、経費処理の問題、社員の安全確保の問題などがある」って言われた。「自宅なら安全はまぁけっこう保証されてるだろうから、やるとしたら在宅勤務になると思う」って。カフェとかコワーキングスペースでの業務はセキュリティーの面から許可できないってなった。まぁそうですよね。
そんでさらに「増田さんはお子さんを保育園に預けてるでしょ、在宅勤務があったら預けられないんじゃないの?」って言われた。そうだわ。保育園に勤務証明出すわ。在宅になったら家で保育しろって言われるわ……。盲点だった。子供見ながら仕事は無理だよな〜。ご飯も子供用に作らんといけないし(今は夕延長で夕飯は園で食べさせてもらってる)、結局時短勤務になるなーそれ。
仮にリモートってか在宅やるとなったら、子供を預けないとさすがに仕事無理なんで、勤務証明はオフィス勤務ってことにできませんか??って聞いたら、「突発的な在宅勤務ならわざわざ書かないけど、恒常的な勤務体系として在宅になったら書類は書くよ。それを保育園に提出するかしないかは増田さん次第ってことになる。でもたまに園からお迎えの電話来るけど、そしたら”増田は在宅勤務なので本人ケータイにかけてください”って答えざるをえないよ」って。
そうだわ。子供が熱が出た時に電話かかってくるわ。早くお迎え来いって言われんだよな。嫁の方が会社遠いから俺の方を第一連絡先にしてるんだった。「その辺の根回しをしておけばいいのかもしれないと個人的には思うけども、会社に嘘つけって言ってるのと同義だから、あまり感心はしないよね。そうまでしてオフィスに来たくない理由があるの? メンタル的な。それならそれでとるべき手続きは変わってくる。違うならなんでオフィス外で業務したいのかの説明責任が出てくる」って。
せ、説明責任〜〜〜〜〜。うぜ〜〜〜〜〜〜。
「え?リモート?いいよいいよ〜 え?保育園?書類とか電話とか良いようにうまくやっとくわ〜」って融通をちょっと期待してたけどみごとに砕かれた。たいして大きい会社じゃないのに総務とか上司の意識が高いとつらいな。しっかりしてるのはいいことなんだけど。
もしリモート可能になったら、在宅って言われてもカフェとか行くと思う。やりたいのは自宅作業じゃないんだよ〜。台風とかの時は自宅でいいけど、仕事する場所を自分の行きやすいところから自由に選びたいんだよな〜。でも「会社に嘘言って(在宅シテマース)、さらに会社にも嘘つかせて(増田は出社シテマース)、保育園を騙して(オフィス勤務デース)までやりたい」のがオレのリモートワークってことなんだろうか。なんかやばいな。自覚なかったけどナチュラルにクソだよな、嘘に頼った勤務体系って。
女に出会いまくる(ナンパ、街コン)→5分くらい話したりお茶する→連絡先交換→アポイントとって飯に誘う→飯で酒入れて手を握るなり肩を組む(どこまでOKかのチェック)→手を握って歩く→キスする→連れ込んむ→セックス
こういう風に各流れを分解して、それぞれのテクニックを磨きましょうっていう奴だ。セックスさえすれば女はなし崩し的に男を好きになるから(いわゆるフィルターがかかってイケメンに見えてくるってやつ)、セックスしなきゃ付き合うこともできないってのが論理の根底にある。
しかし、俺はこれをやれなかった。ナンパを100人くらいしたが、お茶できたの1回、そもそも連絡先交換は1人も成功しなかった。
高身長がやれば成功するかもしれない。チビでもイケメンならいけるかもしれない。
しかし、俺はAVで出てくるモブくらいの不細工。つまり、リアルでは女と関われないからAV男優やってみました的な立ち居地の男達と同じくらいの容姿ということ。
流石にプロのキモメンで売ってる男優ほどではないが、チビということも入れると相当無理ゲー。
じゃあ、俺には彼女ができないのか?
そんなこと無いだろう。よく言う話だが、かなりの不細工でも1000分の1くらいは可能性があるわけだ。
俺も、道を歩いていて、明らかに不細工を見つけても、「じゃあそいつが絶対彼女いないといいきれるか?」と言われたらたいてい難しい。
もうよっぽどホームレスで明らかだったり、言葉は悪いが完全に見た目で分かる障害者とかでないと、「おそらくいない」とは言えない。
相当な不細工コミュ障のおじさんでも普通に左手の薬指に指輪してたりするのは良くみる。
そう、俺に足りないのは、『クライテリア(評価基準)』じゃないかと思った。
医学的には、「これはこの病気じゃないか?検査してみようかな?」って迷ったら、『クライテリア』を出す。
「咳が出ている→+1点、涙が出ている→+1点、耳が痛いらしい→+1点」みたいな感じで、点数を出して、「0点なら確率5%以下、1点なら確率20%、2点なら確率50%」とかが出て、じゃあ1点以上なら検査してみましょうね~とかだ。
これを彼女作りに当てはめてみよう。
収入 → 800以上は+3点、500以上で+2点、300以上は+1点、0は-1点
顔 → イケメンは+5点、フツメンは+1点、ブサメンは-3点
身長 → 180以上は+5点、170以上は+3点、165以上は-1点、165以下は-5点
BMI(身長と体重の割合) → 22以下は+5点、25~22は+2点、25~30は-3点
ファッション → 清潔感あれば+3点、普通なら+1点、不潔なら-3点
髪型 → 似合ってれば+3点、普通なら+0点、乱れてるなら-3点、不潔なら-5点
コミュ力 → 他人に話させられれば+5点、会話をつなげるなら+2点、微妙なら-1点、ダメなら-3点
人望 → ラインが1日10件以上+8点、ラインが1日3件以上+3点、ライン1日無し-3点
社会的地位 → エライ人なら+5点、普通なら+2点、底辺なら-3点
42点~-29点までの点数がつく。
このあとが大事だ。
42点~30点 → 顔面偏差値 70↑の美女と彼女作れる(100人声かけて1人彼女作れる程度)、顔面偏差値60↑の女をセフレにできる(100人声かけて1人セフレにできる程度)
29点~10点 → 顔面偏差値70↑の女は無理(1000人声をかけても無理レベル)、顔面偏差値 60↑の女と彼女なれる、顔面偏差値50↑の女をセフレにできる
9~0点 → 顔面偏差値60↑は無理、顔面偏差値50↑の女と彼女なれる、顔面偏差値45↑の女をセフレにできる
-1~-10点 → 顔面偏差値50↑は無理、顔面偏差値40↑の女と彼女なれる
-11~-29点 → 不可。
まあ、テキトウだが、こういう感じの『クライテリア』を作るとする。(適当に自分でやってみたら、-5点だった。身長が161しか無いしブサメンだからマックスでも+24か)
さらに、顔面偏差値ごとの女をスライドショー形式(あるいは芸能人の顔を1偏差値10人くらいの密度で並べてもいい)にする。
これで、ある程度自分がアタックして効果がある女を自覚することができ、ムダに気負う必要がなくなる。
「俺はこのレベルの女に話していけば、100分の1でも効率よくアタックできる。頑張ろう」と合理的に思える。
「俺は今-5点くらいの男だけど、頑張って0点くらいまで点数上げていこう、5点分だけ頑張ろう」と思える
こういう感じで、モチベーションと確率を出すことが大事じゃないかな。
トイレは2Fを使っている。
実はもう一つ理由がある。
わたしは小さい頃から便がゆるい為、ウォシュレットじゃないところでは、
拭いても拭いても、拭ききれないことが多い。
腸内に水を蓄えてから噴射させることで、今まで悩みを解決してきた。
それはさておき、最近2Fのトイレをわたし以外の誰かが使っているようだ。
なぜ分かったかというと、トイレにはいった時に水圧が最弱にさげられていることがたびたびあったからだ。
勝手に水圧を変えることは許されない。
それだけの簡単な仕事だけど、なかなか犯人と遭遇することが出来なかった。
仕方なく、水圧が最弱にされた日と出勤データを照合かけようかと思ったが、
社員の数が多いため、その労力に見合った結果がでるとは思えなかった。
そこで、最弱にする人=痔の人と狙いをつけ、痔持ちの人を探すことにした。
はじめは「お前、いくつやねん?」と大阪出身の上司にあきれられたが、
そのうちに、わたしに背後をつかれると「こんちんこ!」されるという認識が、
夏休みと言えば、
もうさ、
誰もかれもが繰り広げてるんだけど、
なんかその圧がパないわよね。
最強に強まった夏のリア充って
やっぱりBBQとかなのかしら?
もう、BBQ背景セットでいいわよって感じ。
とりあえず、背景セットをバックに撮って、
後片付けもいらないしね。
そうそう、
地球温暖化の原因は
未だ、そのFacebookの圧には耐えられないわ。
「ねえねえ、今年の夏何回BBQいった?」
「えっとー、私5回くらいかな」
さて、
まだまだ夏は終わらないわ!
うふふ。
久しぶりにサンドイッチ買って食べたわ。
タマゴって元気が出るわよね。
作ったら美味しいのかしらね?
試してみようかしら。
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
ここは2020年夏の東京、新国立競技場では観客たちがこれから始まるスポーツの祭典に期待に胸を膨らませていた…
「変態、凡人、年を取れ…シニタイヤツハシネ…シニタイヤツハシネ……」
最初に登場したのはグラミー賞など名だたる賞を総舐めにした国民的バンド、Theピーズだ。この突然のサプライズには会場も大歓声を上げた。スクリーンには様々な言語で映し出された「増え続ける若年層の自殺率」「止まらない少子高齢化」凶悪犯罪…ブラック企業…テロの脅威…国の借金などの文字が映し出されては消えてゆき、最後に「この国はもうお終いだ!!!!」と赤文字で大きく映し出され、会場は拍手喝采だ。それに合わせステージを取り囲むように垂らされたロープで大槻ケンヂ、五十嵐隆、鬼束ちひろ、木下理樹等、錚々たる鬱ミュージシャン達が首を吊って次々と自殺してゆく。やがて彼らは動かなくなり、日本の情念を映し出すエキゾチックな演出に誰もが息を飲んだ。
演奏が終わり大木温之が遺書を書きはじめると「Neko Mimi Mode」が爆音で流れ出す。七色の光線やLEDライトが目まぐるしく点滅し、新国立競技場はダンスホールと化した。なんとなく呼ばれたDJのTeddyroidは投石で死亡、会場のボルテージはマックスに達した。全方位に設置されたハイビジョン4Kスクリーンには日本が誇るサブカルチャーであるアニメが映し出される。作品は勿論『鬼父~小生意気なホットパンツ』だ。
煙幕が白い光とに照らされ、入場門からは会田誠に四肢を切断された千体を超える幼女たちがワラワラと這って登場、その中から遂に選手団が入場する。セーラー服の少女達が会場を囲い、日本刀で自ら腹を掻っ捌き鮮血が噴き出す。内臓もボロボロ飛び出している。(この際会田は町田ひらくとキングオブコメディ高橋をエグゼクティブマネージャーとして招集、全国から人材を手配した)
「HARAKIRI女子校生だああああああああああ!!!!!!」
日本のカルチャーを愛する台湾の文系大学生とロンドンのゴス少女が抱き合って喜びを爆発させた。台湾の大学生は初めての女子との接触に勃起が止まらない!まさにCOOLJAPAN。
しばらくして対向から巨大なローラー車で騒音をまき散らしながら登場したのは山塚アイだ。国旗を笑顔で振っている選手団を「ブチブチブチブチブチ!!!」と踏みつぶしていく。会場は血の海と化し、観客席は闘牛のように湧きたち、山塚は爆死した。続いて、桜井誠率いるネトウヨ、ほなみん率いるSEALs、薄ら笑いを浮かべるアルファツイッタラー、打倒シンゴジラを掲げる増田、中田考率いるアル・カイーダ、又吉直樹を十字架で磔にし燃やす文学賞ワナビ、Hikikomori、ゆ虐絵師、モバゲーの掲示板に入り浸る派遣社員などがそれぞれプラカードを持って入場し、また我々を感動させた。最後には酒鬼薔薇聖斗氏、ネオ麦茶氏、加藤智弘氏、片山ゆうすけ氏が登場、奇跡の世代が共演を果たした。彼らが手を繋ぎ国際社会に世界平和の実現をアピールしたことは歴史に残る名場面となるだろう。
選手入場(九割が死亡)が終わると暗転し、スポットライトに照らされて松任谷由実が「ひこうき雲」を歌い、上空から二機の飛行機が登場。そこには手を広げた庵野秀明と宮崎駿が吊るされていた。思わぬ大物ゲストに会場は大盛り上がり。しかし「空をおおお、かっけぇえええっ↑てぇっ↑↑」に合わせ二人は落下するもパラシュートが開かず地面に激突、冷笑的な雰囲気が会場を覆い駿と庵野は無駄死にとなった。
開会式もとうとうクライマックス。緊張感に包まれる中、遂に最後の聖火ランナー折部やすなさんが到着した。バラード『キルミーのベイベー!』がしっとりと流れる中、あぎりさんがガソリンを頭からかぶせ、燃え盛る炎の中「助けてソーニャちゃあぁあぁぁぁ!!!いやだあああぁぁあぁ!!!」と絶叫しのた打ち回るやすなをソーニャが斬り、生首は聖火台まで飛び見事点火、会場は感動の涙に包まれた。
小澤征爾指揮するNHK交響楽団に合わせ背後の床が開き、原寸大の福島第二原発オブジェが登場する。サビを迎え登場した、世界的映画監督である北野武扮する火薬田ドンはこの日最大の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられた。フガフガと手を振って応え、不敵な笑みを漏らしレバーを押す。原発は核爆発を起こし競技場の7割が焼け野原となり、火薬田は突如クレーン車で吊るされ触手プールに落下し一人よがり狂った。少しブラックなジョークに生き残った数少ない観客は最後の盛り上がりを見せた。嬌声が響きわたる中中継は終わり、フジテレビのスタジオでは肉塊となった岡村隆史が弾け飛び、大盛況のうちに開会式は終了した……
――――ちょうどその頃、精神病棟のテレビでこれを見ていたtehuくん。
車椅子から立ち上がり、「これ僕が作ったんだ!ほんとだよ!全部僕が作ったんだ!」と叫び、裸になって踊りだした。彼が言葉を発したのは3年ぶりの事だった。彼を心配し、これまで暖かく見守っていた看護師さんたちは歓声を上げながら抱き合い、喜び合った。涙を流している者もいる。他の患者もみんなニコニコと楽しそうだ。男性器がペチペチする音が病院中に響き渡った。
「今日はケーキを買ってお祝いしなきゃね。だって、tehuくんの演出した開会式が大成功した日なのですから」
僕たち、よかったね、うれしいねって、言われたかっただけなんだ。ただそれだけなのに、何故こうも人の運命は分かれていくのだろう。何故闇に飲まれるかもしれないと分かっていながら何かを求め、苦しみ、そして死んでいくのだろう…
だけど今は、ただtehuくんの回復を喜ぼう。だってそれは、僕らが生まれてきた意味を知る数少ないチャンスなのかもしれないのだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
海から来る怪獣で、なんか水爆実験が関係してて、悪いだけのやつじゃないっぽい・・・とか、それくらい。
ガメラは2と3だけテレビでやってたの観たけど、あんまり覚えてない。
庵野監督のことも「エヴァの人」ということはわかるけどエヴァは観たことない。
使徒と戦うとか、シンクロが云々とか、「逃げちゃダメだ」とか「ありがとう」とか、なんとなくは知ってる。
特撮は日曜朝の戦隊ものをたまに観るくらい。ゴーバスターズは良いぞ。
(今、私が同じ映画を何度も観たり、映画館に年20回以上行ってるのも、すべてはパシリムがあったから)
そんな思いに駈られて、行ってきました、シン・ゴジラ。
最後列やや下手より。一席あけて右にはおじさん、左には若いカップル。
全体的な客層は男の人が多いような気がした。
「思ってたんと違う!!!!」
これにつきる。
断っておくけど、良い意味で。
良い意味で予想と期待を裏切られまくった。
以下、ネタバレ注意の覚書。
とはいうもののすでに記憶がかなり曖昧なので、間違ってるところもあるかもしれない。
シン・ゴジラのゴジラは、第一形態から第四形態まで「進化」する。
それを全く知らなかった私は、初めて巨大不明生物(=ゴジラ)がその姿を現したとき、驚いた。
なんかもうひたすらキモい!
目玉ぎょろぎょろで、エラから赤い液体ドバドバさせて、不格好に地面を這いずる姿は、キモいとしか言えなかった。
私の知ってるゴジラは二足歩行で、もっと無骨な、かっこいい怪獣というイメージがあったからだ。
「このキモい変なやつを倒しに来るのがゴジラなのかな」とか思ってた。
そんな私の目の前で、ゴジラは突然「進化」した。前足が生え、直立して、吠えた。
そんな私の想いをスクリーンの中で口にしてくれたのが長谷川博己演ずる矢口だ。
進化する未知のゴジラは、そんな両者の溝を埋めてくれた気がする。
あの瞬間の「そんなんありかよ」という気持ちは、間違いなく私と映画の中の人々との間で一致していた。
そして完全に「私の知っているゴジラ」になった瞬間に流れるゴジラのテーマ!これにはめちゃくちゃ興奮した。
ゴジラだ!ゴジラがやってきた!!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
応援上映とか絶叫上映とかなら確実に叫んでた。
というか叫びたいからどこかの映画館でやってほしい。やってくれると信じてる。
ゴジラに対する「何だそれ、すごい・・・」の瞬間は、完全体の第四形態になってからも何度も訪れる。
まずこのゴジラめちゃくちゃ硬い。
完全にノーダメージかつノーリアクションで、なんかもう絶望感がすごい。
そんな絶望がさらに増すのが、火炎放射からのレーザー光線発射のシーンだ。
米軍の攻撃が効いた!これでゴジラを倒せる!と思った瞬間、ゴジラは口から火を噴く。
この瞬間まで私はゴジラが火を噴くことを完全に忘れていた。
やはりここでも、ゴジラのことを何も知らない映画の中の人々と同じ驚愕と絶望を味わうことになる。
しかもゴジラは口からだけでなく背面から無数のレーザー光線を発射。
なぎ倒され爆発するビル群、あっさり撃墜される米軍機、理解の範疇を越えた圧倒的攻撃力。
もう東京は・・・日本は・・・人類はおしまいだ・・・という気持ちになってくる。
思ってたんと違う姿で現れたゴジラは、私が知らず知らずの内に抱いていた「ゴジラってこういうもので、きっとこういう話で、こういう映画でしょ」という先入観を完全に破壊した。
私はシン・ゴジラを、パシフィック・リムやマッド・マックス 怒りのデスロードを観に行くのと同じような気持ちで観に行った。
ドーンってなって、バーンってなってズダダダドカーンってなるのを楽しみにしていた。
そしたら、全然違った。
シン・ゴジラの破壊シーンや戦闘シーンは、全体的にとても地味だと感じた。
最初に上陸した第二形態のゴジラはずるずる移動するだけだし、第四形態のゴジラも積極的に街を破壊している印象はなかったし、対する人間の方にも必殺技や秘密兵器があるわけでもない。
というかそもそもゴジラは、そういうアクションがメインの映画ではなかった。
ド派手なアクションで魅せる洋画とは全く違う、上手く言えないけれど、とても「日本の映画」だった。
でもそれは決して悪い意味ではない。むしろめちゃくちゃ良かった。
東京に巨大不明生物が現れた。そんなとき動き出すのは巨大ロボでも特殊戦隊でもなく、日本政府。
「はやくドギャーンってなるとこ見せてくれよぉ」と思いながらも、堅苦しい言葉と、面倒くさい思惑が飛び交う会議シーンに釘付けだった。
正直、政治には明るくないし、次々と表示される役職名は全然頭に入って来ないし、聞き取れなかった台詞もあったが、でも入って来なかった情報はきっとなくてもいい情報だったんだと思う。
大事なのは、「今の東京に本当にゴジラ(のような巨大不明生物)が現れたらきっとこうなるぞ」という感覚だと思う。
前例のない事態に混乱しながらも結論を急ぐべく無理やり型に嵌めようとして結局対応が後手に回ったりして、そういう「上手くいかない」「そうじゃない」ってとこも含めて、リアルでとても良かった。
でも、もたもたして見える政治家たちも、みんな事態を解決し、東京(日本、国民)を救うために全力を尽くしている点は皆同じである。
そうして面倒な会議を経て、ゴジラの脅威を一通り目の当たりにして、ようやく立ち上がるのが、巨大不明生物災害特設対策本部、通称・巨災対だ。
この巨災対はいわゆるオタクや変人の集まりで個性派ぞろいなのだが、みんな論理的なことしか言わないのがとても良い。
きっとこんな事態じゃなければ日の目を見ることのなかった厄介者たちが活躍するロマン。
アツいのは現場で戦う者だけじゃないのだ。
だからと言って、現場で戦う者たちがカッコ良くないわけがない。
だからこそ、隊列を組んで飛ぶヘリや、次々と持ち場につく戦車のかっこ良さが際立つ。
作戦を練り「確実にやります」と言い切る自衛官や、黙々と遂行する自衛隊員たちのストイックさにも惚れる。
戦闘シーンといえば、私が一番興奮したのが新幹線爆撃と在来線爆撃だ。
ここでまたゴジラの有名な曲(曲名思い出せない)が流れるのもアツい。
とくに在来線爆撃は、色とりどりの在来線が同じタイミングでゴジラに突撃し、爆発と共に宙を舞うのが最高だった。
リアルを追求した今作の中で、実際にあるものを使ったありえそうな攻撃ながらいったい誰が思いついたんだというこの攻撃。
戦闘シーンで最も「思ってたんと違う!!!!」のは、ヤシオリ作戦だ。
物語の終盤、核兵器による解決をなんとか回避しようと急ピッチで進められたこの作戦。
無人機による攻撃や在来線爆撃、ビルの爆破によるゴジラの保定を成功させる流れは堅実ながら華があり、とても良かった。
工事用車両(建設機械)が好きな私としては、コンクリートポンプ車の活躍も嬉しかった。
そうしてゴジラの活動を完全に停止させ、ヤシオリ作戦は大成功に終わるのだが、何が「思ってたんと違う」かって、この作戦終了の瞬間が地味なのだ。
観ている側としては、
「やったーーーーーー成功だあああああああああああああああ!!!!!!」
と飛び上がってハイタッチして抱き合いたいくらいの気持ちなのに、映画の中の人々は一切そういうことはしない。
でも、あとから思うと、この映画の中ではそれで正解だったのだと思う。誰もが想像もしなかった巨大不明生物の来襲。大きすぎる被害、多すぎる犠牲者を出しながら、成功するかわからない作戦にかけた結果なのだ。
現実感がない中で、静かに「俺たちはやった・・・やりきったのだ・・・」と噛みしめるのが、似つかわしいような気がする。
「倒したぞやったああああああ」は、きっと、ゴジラが虚構だと知っている側の感想なのだと思う。
シン・ゴジラに対して言いたいこと、話したいことはまだまだたくさんある。
豪華すぎる出演陣どこにいたのか全くわからなかった、とか。
石原さとみやっぱりめちゃくちゃ美しい可愛いZARAはどこ?、とか。
巨災対のメンバーの活躍だけにクローズアップしてもう2時間観たい、とか。
でもまとまらないのでこれくらいにしておく。
そもそもこうして書き殴っているのは、こういうことを話したくても話せる相手が周りにいなかったからだ。
劇場を観たあと、複数人で来ていた人たちが口々に感想を言い合っているのが、とても羨ましかった。
その物足りなさを埋めるように、今まで封印していたネタバレブログやレビューを漁って、それでますます我慢できなくなって、この文章を書いている。
ネタバレブログを読んでいて気になったのが、「万人受けはしなさそう」とか「知らない人はわからないんじゃない?」みたいな意見だ。
とくに昔からゴジラが大好きで、新作公開を待ち望んでいた人たちが、よくこう書いていた。
とりあえず私は少なくともあと2回は観たい。
そして売り切れていたパンフをなんとかして手に入れたい。
何も知らなくても、なんかよくわからなくても、ゴジラはすごかったです。
おわり。
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。
マクロスデルタ、頑張ってるのは伝わってくるけどいまひとつ話が魅力に乏しい感じあるのなんでだろうって呟き。
日常の破壊はあったけれども。楽園のような場所が破壊されてもあまり感情移入できないし思い出にひたってもくれなかったし、戻る為に?か海が赤くなったりとか海猫が浮かんでたりとかそういうのもなかったし…分かり合うために敵をガチの敵にしないため?
世界の謎には一応まだ期待してる。敵の本拠地やら船やらはすごく好き。仁王立ちは当然好き。遺跡うんぬんには期待してる。
あと宇宙であまり戦ってないのもSFっぽくなくなってる一因ではあるとは思う後半に期待。
脇キャラは出番の少なさ故に逆に個性あって描写も絞られているけど、メイン3人が何が譲れなくて何を一番大切にしている人なのか今ひとつ共感できてない。
…とはいえ話が面白ければそれはっていうのもあるから今のところ保留。
強いて言うなら、ミラージュさんは実力コンプレックスもちならマックスと比べられたからって理由付け入れた方が楽しいのにって思う。
あとカナメさんが縁の下支えすぎ問題。人足りてないの?ワルキューレが慰問っていうよりは完全に人員扱いだったのも驚いた。
■歌エネルギーっぽい。
7と似た設定だなって思ってます。長々と時間使ってじわじわと話入れてった7と比べるのも如何な物かと思うのである程度は流すとして。
強制ゾンビ設定なのにいまひとつ怖くないのなんでだろう。最初から対抗手段があるからだろうか。
歌で異文化交流がシリーズテーマだから、戦場鼓舞の歌って基本的にシリーズで否定的に描かれている印象がある。歌が好きだから、戦争への「使用」を拒む。歌は異界との繋がりとして描かれて、味方以上に敵に向けられる。…って考え出したら、ワルキューレの歌に対する考えがよく分からなくなってきた。治癒を伴うとはいえ、応援歌の側面が今回は強い。というか異文化交流以前に、敵に対してあまり主人公陣が興味もってない印象がある。いっそフレイヤの幼馴染とか過去話とか入れといて欲しかった。
あと今回対抗手段に立てられていく過程すっ飛ばしてるからアイドル格好してる説得力が薄いね…。
…あと、シリーズ共通の「バルキリー」があるのに「ワルキューレ」と名づけたのは、気持ちは分かるにしてもどうかと思う。
オタクが票田というやつは、
児童ポルノ漫画規制に反対したサヨクどもは、今、ヘイトスピーチの「密告」を募り、ヘイトスピーチの「可能性がある」と過剰に表現を弾圧している。
ヘイトスピーチは規制されるべきだが、冷静さと公正さを欠いた悪法になりつつある。
お前らオタクが大好きな児童ポルノ・性暴力表現は、女子供へのヘイトスピーチ・人権侵害と国連もいっているだろ?
女子供を必要以上に淫乱・奴隷・白痴のように描き、全世界に拡散させ、日本の恥になっているだろ?
表現の自由だ!叫ぶが、それが日本国外・世界には通用しないのは、海外で規制されている日本アニメ漫画の現状のとおり。
完全に、自由の外。そこを無視して、見ないふりして、隠蔽して、デマと嘘を拡散させるオタク。
表現の自由の為なんざ、まったく考えていない。
哲学者マックス・ブラックの学生が、海外で研究発表をすることになったのだが、飛行機に乗るのを怖がった。
テロリストが爆弾を持ち込もうとしてるのかもしれないというのだ。そこでブラックは彼女にこういった。
「誰かが爆弾を持ち込むというのは、ありえなくはない。しかしどうだね、
たまたま二人の人間がそれぞれ別個に爆弾を持ち込む確率はほぼゼロでないだろうか」
「ええ、まあ、二人重なることはほとんどありえないと思います。けれど一人でも爆弾を持ち込めば危険なわけで・・・」
「だったら君自身が爆弾を持ち込んだらどうだ。二人重なることはまずないのだから、
君の他にもう一人爆弾を持ち込む確率はほぼゼロになるだろう。それで安心だ。」
ブラックはもちろんジョークとしていっているのだが、ブラックのこの理屈は本当は正しいのだろうか、それとも間違っているのだろうか。
スカ&2トーン…ずっと裏拍聴いていたい
ブラジル音楽…ボサノバとかじゃなくてMPBやサンバとかがいい
フォークトロニカ&アルゼンチン音響派…たぶん癒しの音楽だと思う
ポストクラシカル…代表的なマックス・リヒターしか聴いてなかったから他も聴きたい
Jazz the new chapterに載ってる音楽…話題の音楽紹介本、ロバート・グラスパーやカマシワシントンなどが代表的らしい
ラグタイムやシンコペーションすごい曲…スコット・ジョプリンは大好きだしプロフェッサーロングヘアのシンコペーションはすごいらしい
ピアソラ…ジョプリンと同じくクラオタに人気の非クラシック、変拍子と不協和音が多くてバルトークに近い
ロマ音楽&クレズマー…この辺りはクラシックへの影響多い、ラカトシュやジョンゾーンとかまた聴きたい
サイケデリックソウル…ファンカデリックや一時期のテンテーションズらしい
最近の電子音楽…FKA twigsやフライングロータスやジェイムスブレイクが人気らしい
フュージョン…シーウィンドとか歌あるのがいい
彼いわく、
「童貞ですよ」「ブサメンですよ」「身長160くらいしかないです」
とのこと。
で、エロゲーやるときも童貞丸出しでやってくれるから、気持ちよく視ていた。
実の姉のパンツでオナニーしたり。バイト先の客を思い出して抜いたり。
底辺実況者なのでコメントとかでもフレンドリーで距離が近かった。
「告白されたことありますよ。3回です。彼女も一応いたにはいましたよ」
あ、、、あれ????
「告白は~。えっとー最近だと、自動車教習所で、一目ぼれしましたみたいな女の子が来たんですけど、ちょっと僕にはエロゲーで目が肥えちゃって不細工にみえちゃったので断りました」
「偏差値50くらいの大学行ってます。友達とかは皆彼女いるかなー。やることやってますよねー。そいつらとこの前スノボもいったんですけど~」
その後も、バイト先で連絡先渡されただの、ワンオクが好きだの、典型的ウェーイ。
おかしい。
車買ったら速攻デリヘル行った彼はどこ?
オレ、本当に切れてしまった。
俺は彼なんかより金持ちで、医者で、身長も彼より1センチ高い。
なのに、俺は一回も告白どころか、告白しまくっても彼女できたことないのに。
もうなんか、やる気がうせた。
その後言い募ったら、
「社会人なら、街コン行くといいですよ。僕の姉も行ってますよ。」
だと。
彼の実況が生きがいだったのに。。。
5,6年前のこと、母は頭がおかしかった。
「こうするだけで体の痛みがなくなるの」と、自身の膝に手を近づけてブツブツと念じていた。Mr.マリックで画像検索するとたくさん出てくるまさに画像通りのポーズ。
(Mr.マリックさんは多分関与していません)
ある日「ちょっと参加するだけでいいから。じゃないと今月のお小遣いナシよ」と脅迫され半ば強引に車に乗せられた。
(当時高校生でバイトはできずお小遣いだけが生きる糧でした。)
向かったのは、母がその素晴らしいパワーを授かったという新興カルトの総本山。中のホールには老若男女100人以上がいた。
このイベントは信者が家族、知人をとにかく1人連れてこさせる、新規信者の勧誘セミナーだった。信者候補生は会場前段、信者が後段にそれぞれ50人ずつ席を用意されていた。この時、母の友人のおばさん(Aさん)と知り合った。共通の友人に連れられたと言い、隣で「ほんとにそんなすごい事あるのかしらね~」と笑っていた。
壇上にキャリアウーマン風のオバサンが現れた。このオバサンこそが教祖様だった。
そして長々とした挨拶が始まった。「私どもは、宗教でもカルトでも御座いません。ただみなさんにこの力を手にして頂いて、西洋医術に頼ることないより良い生活を送って頂きたいだけなんです。」
「とある地域に療養所を作る計画が御座いましたが、地域住民の方々に『カルトは来るな!』と反対され計画は頓挫しました。」
そして宇宙の真理やらキリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教仏教の神々の話やら、やたら広大な話が始まった。宇宙の真理という単語を持ち出す奴にロクな奴はいないと断言できる。
次に、信者の喜びの声発表会となった。
信者が10人ほど壇上に上がり、一人ずつ素晴らしいエピソードを語っていった。生まれつきのアトピーが完治したと涙ながらに語る中年男性。神経性脱毛症が緩和された女子中学生。腰痛から救われ、人生も明るくなったと言う母。周りの信者候補生たちの表情も変わり始めていた。
その後は治癒体験会が行われ、信者と信者候補生が二人でペアを組んだ。
「皆さん今から始めてください!痛みを吹き飛ばしてください!」と言われ、母がどこか痛いところはない?とルンルンで聞いてきた。ただ、自分は至極健康体でケガも無く、仕方なく「肩が痛いかも」と言っておいた。クソ真面目な顔でパワーを送る母と、何も起きない肩。
仕方なく「治った気がする」と苦笑いした。
全員が一通り治療し終わると
「じゃあ、こちらの列の方から良くなった!という人は手をあげてくださいね」と言われた。まさかと思ったが、喜びの挙手がつぎつぎと起こり列の全員が手を挙げた。また次の列も、その次の列も笑顔で挙手している。それを見て心底ゾッとした。
もう全員洗脳されてしまったのか。自分が異端になるのが怖くて恐る恐る手を挙げた。
この場の99%という圧倒的マジョリティに対してなす術がなかった。
周り全員が敵になってしまった。おかしいのは自分なのかと気が狂いそうになり、いっそのことマジョリティになってしまえば楽になれる気がした。
全部で3時間ほどセミナーが続き、その間1度も休憩がなく会場に閉じ込められており、尿意がマックスに達していた。
自分を異端だと責める思いと、尿意が脳内でせめぎ合い、結果として尿意が勝った。
セミナー終了時には、信者候補生側からスタンディングオベーションが起こった。Aさんも「感動したわ~すごいわねぇ」と笑顔になっていた。
終了後、即トイレに向かった。
帰宅して小遣いをゲットし、「あんなもの信じてるなんてキチガイか」と大口論に発展した。現在母にそのカルトの事を尋ねるととぼけるようになった。