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はてなキーワード: 学力とは

2024-06-26

東大出身であることに劣等感を抱く友人が居る

表題がもう全てなんだけど、友人は東大出身なんだけどそのことに劣等感を抱いてるんだ。

普通逆だろ?って思って聞いたことがある。

すると友人は「東大出身と知られると学力あるだけで実際の社会では使えない奴だと思われる事が多い。もちろんそこには妬みがあるんだろうけど、でも実際に仕事が出来るのなら東大を出ていると吹聴する必要はないし、却って妙な軋轢を生むだけだ。だから俺は自分東大出身であることを極力言わないようにしているし、正直劣等感すら抱いてる。そもそも自分から東大出をアピールする奴には録な奴が居ないよ。俺が東大を選んだのだって単純に専門分野を勉強したいからであって、それ以上の理由はなかったんだ」と訥々と語った。

それに対し俺は東大を出ている訳じゃないし特別高学歴な訳でもないので彼の気持ちは分からない。それでも東大出には東大出の苦労があるのだなと知って、妙に感慨深くなった。

anond:20240626100644

そう、学費を上げるのもそうだけど、「試験学力ではなくもっと違う何か、例えば経験とかを重視にしろ」とかいうやつも、

結局金持ちさらに勝つ方向への変化なんだよな。

金持ち普通にはできない経験とかそういうのが金で買えてしまうわけだからな。

anond:20240625191650

センター試験の点数自慢してる社会人いるか

QuizKnockが時々センター得点言ってる

言われてみれば確かに今の学力を測る動画に当時のセンター得点は参考にならない

鶴崎は競プロやってたはず

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

多動と知的障害は無いけど、注意欠陥の酷い人生だった。

忘れ物

・提出物をやっていない

・次が移動教室であることを忘れる

履修登録ができない

単位を把握できない

グループウェアに外出予定を入れているのに遅刻しかける 

父親は私より酷く、落ち着きがなくて不注意だ。遺伝なのだろうと思う。

専業主婦母親は父の秘書のようだ。父が全くできない、書類手続きからスケジュール管理まで、母がやっている。

 

私は中学の頃、面倒見の良い友達に頼り切りだった。

移動教室の前に「移動だよ」と声をかけてくれ、提出物についても「持った?」と声をかけてくれる。

その友達が注意してくれるおかげで先生からの怒られが激減したし、

周囲からも要介護者と介護者のような関係とみられていて、私自身、ガイジを自称して、友達を神と呼んでた。

テストの点数が良くて提出物を出さな子供教師は憎む。

小学生の頃は、担任ガチャだった。不注意を特性とみるタイプと、「教師馬鹿にしている」とみるタイプがいて、

後者に当たったときはひたすらいじめられた。後者タイプテストの点数が悪くて不注意なのは仕方ないとしても、

テストの点数が良くて不注意なのは教師馬鹿にしているからと考える。

 

高校では友達と別の高校に進学することになり、日常のすべてが苦痛しかなく、私は自殺未遂した。

それからは母が、父だけでなく私の秘書もやるようになった。単位と持ち物の管理はすべて母がやった。

すべきことを整理して指摘してくれた。母に面倒を見てもらえなかったら高校大学卒業できていないと思う。

 

学歴はそこそこで、面接は得意なので、就職は上手くいった。でも一社目は不注意が酷くて針の筵になり退職した。

半年鬱状態で引きこもった。

再就職した二社目では、総務部女性が不注意を指摘してくれるおかげでなんとかミスなく続いている。

 

私の人生が「なんとかなっている」か「なんともならずに自殺を考える」かは、

母親か、中学時代女友達か、今の会社総務部女性のような人が、支援してくれるかが全てになっている。

幸福を感じられるか、鬱状態で常時希死念慮のある状態になるか。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人が近くにいるかがすべて。

 

元彼は5人いる。

私との結婚を望んだ元彼もいるけど、「主婦になって俺を支えてくれ」か「今の年収を引き続き稼ぎながら俺を支えてくれ」という人だけ。

高校生で死のうとしたときも、一社目を辞めて鬱状態になったときも、彼氏はいたけど、救いにはならなかった。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人がいるかどうかが私の幸福感のすべてで、励ましや褒めは何も影響しない。

具体的な指摘と、どうしても出来ないことを代わりにやってもらうこと、でしか私は助からない。

男は励ましと褒め言葉だけで片づけようとする。要らない。それでは何も解決しない。失敗の回避ができない。助からない。

 

中学時代女友達24歳で結婚した。総務部女性も既婚者だ。よく気づく面倒見の良い女性は、男性に確保されている。

男性はだいたい、女性に対しては、私の母親中学時代女友達総務部女性のような特性を持っていることを期待する。

私はむしろそういう女性必要としていて、日々助けられて、失ったら鬱・自殺未遂するような人間から男性の期待が重圧でしかない。

男性女性のことを、男性の面倒を見て子供を産む生き物、と認識している。私個人ガイであることが見えていない。

n=5に過ぎないけど、女性に対する期待が高すぎるから、私がガイであることを認識できない。

 

現在年収は600万円。専業主婦を養うにはギリギリラインだと思う。

でも私に注意喚起家事をしてくれる人を養えるものなら養いたい。

実家暮らしから母親から「私がボケたり死んだりしたらどうするの」と笑いながら言われたりする。

笑い事じゃなく、母親が死んだら破滅すると思う。母親には健康長生きして欲しいし、母より先に死にたい

母親が居ない状態で生きさせられるくらいなら、死んだ方がましだ。

あと総務部女性妊娠転職をしてしまうと、それも終わりだ。また仕事が成り立たなくなり、鬱、退職引きこもりになると思う。

総務部女性小学生の子供がいて、残業ゼロで働いている。職場ではそのせいで、軽い働き方という認識をされている。

私にとってはその女性いるかいないか職場のすべてで、死活問題なので、ことあるごとに褒めちぎるようにしている。

その女性がいないところで、「〇〇さんがいるから今のパフォーマンスが出せてる、〇〇さんが居なくなったらおしまい」と繰り返し主張している。

でも人の妊娠転職妨害なんてできない。そう考えると、非常に不安定年収600万円だ。

から必死貯金している。ADHDに多いとされる浪費傾向は私にはない。躁が出ることもない。

 

父が妬ましい。父は私より不注意の程度が酷いのに、助けが常にあるから自分ミス直視したことがなく、私のような挫折経験していない。

不注意の自覚はあるが、男だからチャームポイントになるとすら思っている。

いわゆる「強者男性」のなかに父のようなタイプは多い。

総務・秘書女性から面倒を見られているのでミスをせず、支えられている実感もあまりなく、当たり前と思っている。

支えを失って、不注意の結果としてミスを連発、迷惑をかけ、怒られ、舌打ちされ、職場が針の筵になっていくという経験が無い。

弱者男性」には支えてくれる女性が見つかりづらいから、そういう経験のある人が多いかもしれない。

しか男性は、支えてくれる女性がいることを当たり前だと思い過ぎだと思う。

強者男性は当然のことと思っているし、弱者男性は「男なら得られて当たり前の権利が不当にはく奪されている」と思っている。

 

私は母親か、中学時代女友達か、総務部女性のような秘書能力の高い人であれば、

外見が男性であっても養いたいけど、「養われ希望」の男性ヒモ研究者だ。

ヒモ希望ママ希望男性は、お金にも世話にも困っている。お金をくれて世話もしてくれる人を求めている。

彼らは猫に生まれるべきだった。しかし猫に生まれなかった。

研究者も、人の世話はできない。学力偏差値が高く過集中、興味ないことには徹底的に無関心、ほっとくと生活乱れる、であれば私とタイプかぶる

能力の欠落がかぶる人と共に暮らしても、共に破滅するだけだ。

 

父親からいつまでも実家母親に面倒みられていないで、結婚しろと言われる。

過去自殺未遂も、一社目の挫折による鬱・引きこもりも知っているくせに、そういうことを言ってくる。

父親のような強者男性自尊心の高さ、挫折のなさ、上から命じてくるところ、本当に不快で死んで欲しいと思う。

お前のクソ特性遺伝したせいで苦しんでいるんだけど?母のクローンなら鬱回避できているけど?

お前の遺伝情報が悪いんですけど?お前みたいな人間子供を作るなよ。そう思ってしまう。

不注意や過集中は男性の特徴とされている。実際、発達障害男児男性のほうがあらわれやすいらしい。

しかし娘に発現することもあるし、その場合レアであることで理解されにくい。

「女なら、男の世話ができるだろう」という目線で未だに見られる。

しかし私は女性でありながら、生きるために、女性による細やかな世話を欲する側。

男性が、パートナーではなく、「人の世話ができる女性」を奪い合う敵に見える。

人の世話ができる女性は早婚だ。母親中学時代女友達総務部女性、全員そう。

価値が高いからすぐに男にとられる。

そして発達の強者男性自尊心が高いからそうした女性子供を産ませ、遺伝させ、子供の苦しみを作るんだ。私の父みたいに。

2024-06-25

anond:20240625202835

人間自分ができることは他人もできると考える』が言いたいならわかるけど、

それは東大生には限らんで

 

東大生は基礎学力が高いだろ!』ならそれはめっちゃそう

だって最高学府(誤用の指摘は要らない)ですし

 

よく下記みたいな増田あるけど、下記みたいに思ってるやで

東大卒なのに清掃員やってる人とかおるん?

https://anond.hatelabo.jp/20231022122105#

anond:20240625201859

どこをどう読んだらそうなるんだよ

学力低い奴はこれだから

anond:20240625182111

だめだおまえ

学力低すぎ

最低限、人間語話せるようになってからでなおしてくれ

さよなら

anond:20240625181703

だめだおまえ

学力低すぎ

最低限、人間語話せるようになってからでなおしてくれ

さよなら

anond:20240625175444

「どうせ伝わってる」自分学力のなさを相手におしつけて

相手理解しないと相手のせいにする発達障害増田のいつものやつですね

ほんと卑怯ムーブが好きなんだから

2024-06-23

anond:20240623184709

英語話せるなら

飲食店勤務なんかしてへんやで...

スタバとかなら話せるから

要するに学力の上澄の学生バイトとして雇えるチェーン店

できてるよ

anond:20240623171638

効きすぎだろオバさんwww

どうせMARCH程度の学力しかないのに自分エリートだとでも思った?

公立中学校流出した内部文書

男子

1.やるべきことをしっかりやろうとする。本人はやればできると自分の力に気づき始めた。

2.██をいじめていた集団の中心。 ██と離した方が良い。

3.██の弟。友達への文句が多い。 嫌われ傾向。

4.わるい、██NO.3. ADHD的な面もあり(診断なし)、善悪判断ができない、別紙あり

5.注意。不潔(鼻をほじるなど)な面あり、周り(特に女子)から避けられる傾向。 だらしなく、提出物は悪い。 母親は 方的に話をしてくるタイプで話が通じない。

6.難聴で右耳ほぼ聞こえない。 席等の配慮担任相談だが、 基本どこでも大丈夫学校では好かれてい ある。プログラミング◯、ボカロ好き。 提出物△。興味持つことには積極的。 ただ、母親が耳のことでいじめられないか心配している。 過去に姉が中学校で引継ぎを失敗され、いじめを受けたことがあり、引継ぎ、 情 報共有をしっかりやってほしいとの強い要望。 本人のことを理解している人を同じクラスに入れてほしいとの要望あり。

7.特になし。

8.父親██勤務。小2のとき学校に父が乗り込んできたこともある。本人は特に問題なし。

9.人にいじわるをすると言われている。裏ではちょろかも。 小6になってちゃん仕事もこなすようになり成長した。

10.いい子で真面目過ぎる。 やることをちゃんとこなすリーダー格の他の生徒についていこうという意識はあるが、本人のリーダー性はあまりない。 ただ、引っ張っていこうとはする。

11.女友達多い。 LGBTOかも?おっとり真面目。

12.いい子。 責任感が強く、仕事をしっかりこなす

13.幼い。 言動乱暴。素直でもある。 人にちょっかい出す。 軽度の斜視。思ったこと口に出す。

14.先生に嫌われるタイプ。余計な一言がとにかく多い。ただ、スパッと教員から指導されるとすぐ折れる。3組██とつるむと甘ったれ可能性あり

15.運動会応援団長を務める。下級生への気遣いが良くできる。頑張り屋。

女子

16.██学級代表レベル

17.██で二番目にいい子、リーダー性あり、ピアノ弾ける

18.結構もっている。 本人はいじめられたりちょっかいかけられても、本人はいじめられている自覚がない。周りがいじめられているかもと密告して判明することが多い。 小6時には同クラス男子から「菌」と呼ばれ たり、椅子に画びょうをおかれるいじめ有。 学力低い。 行動幼い。 話し方に遅れがある (先生のことをしぇんしぇーなど) 行動も幼い。 口にものはいったまま話すなど。 人をイラっとさせる発言をする。 通級に通っ ており、早退あり。 親は子供のこと理解しているようだが、周りの接し方が悪いということがあり、本当に 理解しているのか不明。████いる。

19.██。準備を含め、行事に参加する傾向。 ただ、母親が必ず一緒。 他の授業は不参加。

20.神経系病気で肢体不自由。 徐々に歩けなくなる病気学力低い。 算数病気の影響もあり、なかなか ついていけない。「困ったことは自分からかにお願いするように」と母親から言われているが、自分で助けてとはまだ言えない。移動教室時は特注の車いす(廊下に置いている) 階段は手すりを使用し、荷物は 友人に持ってもらう、 旅行行事保護者参加。 トイレ給食後1回だけ。 小学校時は学びのサポーターが一緒にトイレまで行って介助(教員は用具等どうやっているか知らない)。 母親は協力的のようだが、抜けていることもあり、 「聞いていない」など言う。 だが、攻撃的というほどでもない。

21.静か。 姉と夜更かししているそう。 近くのことはしゃべる程度で友達が多い方ではない。 移動教室も1人ないしは3人くらいで。 欠席多い。

22.やりたくないことをやろうとしない傾向。 自分勝手なところがあり、行動する。 男子っぽい喧嘩あり。

23.すごく頭が良い。 良すぎて何を考えているかからないことも。 学校では不満があっても口にしないが家では愚痴っているらしく、時折親から(匿名で) クレーム電話が来る。

24.●リーダーを支えるかんじ ●バスケ

25.いい子

26.ポケモンカード大会にたくさん出るので、欠席がある。 精神的に波があり、良いときと悪いときの差が大きい。叱られるとごまかす。

27.コミュ力低い。無口。家ではもっとしゃべって違うキャラらしい。頑張りやさん。水泳〇。

28.●母いない(小2のとき他界) 生活リズム△●親の管理もだらしない

29.ずるいところあり、仕事はあまりせず。 当番はするし、周りへ呼びかけができる。

30.マンガ・絵が好き

31.████でもめた。悪口を言った

32.クレーマー気質。頑張り屋、大人を試すような行動をすることも、

33.6年3学期に転入函館育ちで口調がきついが素直ないい子

男子

34.リーダー、賢い、いい子、運動勉強もできる

35.野球少年所属 エースで4番 中学クラブチーム ムードメーカー 調子に乗る気質あり 素直さはあるが、ずる賢く、人を見て態度を変える

36.母親子どもと同じようなタイプ トラブルメーカーでM傾向のNo2アスペADHD傾向。空気めない。 衝動性強い。 共感性弱い。周りもよく思っていない。 ██(もめている)、██と離す。

37.自分モテると思っている。 天性的に明るく、派手。よくしゃべる。 モテると分かっていて、女子を使って仕事をさせることも中学年くらいまであった。

38.診断は出ていないが、多動。物の整理× 集団行動× 列から離れてしまう。落書き多い、父親協力的。

39.学力テスト文章理解できない、一対一で話すと理解できるが一斉授業になると理解できない、別紙あり

40.だらしない。 不登校。夜ゲーム。親も独特で、冬休み宿題をやってあげていた。 低学力友達はいる。親は朝しか連絡がつかない。 ██がいると登校するかも

41.とても頑張り屋

42.問題ない、勉強そこそこ

43.いい子。寡黙。やることやる人。

44.目立ちたがりだが能力は高くない。 アンケートにたびたび██が嫌いだと書いてくる。離した方が良い。

45.弱い。クラスで一番幼い。 読み書きができない、特に敬語で話すことができない。 愛されキャラ的な面あり。

46.クロームブックを使うのが得意で、イベント時に上手に使って盛り上げることができた。 うるさいこともある。

47.勉強そこそこ、みんなと上手くかかわる

48.面白い子。いい子。

49.机に死ねと書かれ、1日学校を休んだ。誰が書いたかは分からないが、 ██?という担任見立て筋道あると物事理解はあるが、学力はとても低い。 授業中のトイレ多い。██████。

女子

50.生徒会. ムードメーカー、明るい。 成績も◯

51.女ボス。影口、他人悪口トラブル

52.対人関係不安。██に対し██が攻撃するから██を守るために離す。 ██と離すのは██がつぶれるから不安定な状況下にいるとフリーズする。面倒くさいタイプ

53.トゥレット症候群ADHD.、服薬治療中。本人のプレッシャーを軽くすると安定する。 水泳スキーやらせない(保護者が)※引き継ぎシートあり

54.社会性に欠ける。 コミュニケーション力低く、他人に優しくできない(興味がない感じ)。 授業中に寝る。母親フォローしている。

55.おとなしい, しっかり者。

56.人にズバッと意見を言える。リーダー格についていき、引っ張っていこうとする様子が見られる。 始業式ピアノ

57.怪我多い。 体育ですぐケガする。 サバサバ女子。友人多め、

58.●父親うるさい●担任は「男の先生」がよい

59.自分勝手な面があり、ごり押しタイプ

60.ピアノ弾けるらしいが未確認。(周囲の子が弾けるといっていた)

61.保護者先生と話したいタイプクレームとかはない、本人はいい子

62.いい子

63.父母韓国人。 いい感じに仕事サボる、手を抜く。誰とでも仲良くなれる。 技術センス

64.特になし

65.賢い、静か、しっかりしてる

66.非を認めることができない。 わがまま。周りから信頼なく、嫌われている。

67.██████████へ、バスケをやっている██の女子と合わず男子といることが多かった。 からかわれても強い。██████████丁寧。

男子

68.挨拶運動応援団などに参加するなど何事にも意欲的。周りからも信頼されている。

69.真面目でいい子。思考大人、やることはやるが、前は出てこない。

70.教育一家。髪長い、金のメッシュ。親は教育家(祖父小学校教員のよう)。学校行きたくないと言った時があ り、その際に家庭で揉め、 母親木刀で殴った。 母親はその場しのぎの指導しかできない様子。早退対応保護者が迎えに来る際はが姉くるときもある。 ██と助け合える仲。

71.ちょろすけ。人へちょっかいかけつづける。 周りが邪険扱いするほど。邪険扱いされても関係ないというスタンスはいるが、実は気にしてそう。 人の気持ちを考えるのが苦手。学力はそれなりなので頭は働き、口がうまい先生への指導に言い返すこともたくさんある。そのくせメンタル弱めで成績低くて休んだりする。保護者に見せる顔と親に見せるが違う。親過保護

72.6年3学期から学校へ登校できないことへクレーム。低学力 (小3レベル)、 人目を気にする、かかわり方が分からない、ほぼ全欠、母の話すことと、本人が話 すことにずれがあることも、父注意、別紙あり

73.発達障害を持っている。人の気持ちがわからない面あり。 他人の物を勝手にいじりトラブルも。親は気にしていない。

74.5年生の最初不登校になり、担任のせいにしたこと母親からクレームがあった(のちに納まる)。環境の変化で不安定になりがち。ピアノが上手だが恥ずかしがって実力が出せなかった。

75.責任感なし。提出物△。中耳炎になり手術した影響で、耳の聞こえ、しゃべり方がよくない。基本ファルセッ トの声で話すことが多いが、「周りがびっくりするので低い声を出そう」という担任指導で低い声で話すことも可能基本的には低い声で話そうとしてくれる██と助け合える仲。欠席多く心配だが、担任いわくサポリと言っていた。

76.バスケ大好き。体は小さいが 頑張り屋。母親も良い人。

77.●母うるさい●本人にはフランクに接してよい

78.色々なことに前向きに挑戦する傾向。流されがちな面もある。サッカークラブチーム。

79.めっちゃ元気でポジティブ自己肯定感が強いが能力はそれほど高くない。やりたいこととできることに ギャップがある。 友達思いでひとりの子に声を掛けられる。

79.アトピー旅行行事配慮必要。字汚い。 2組██と親同士×

80.こだわりが強い特性はあるが、問題はない、やさしい

81.低学力。意欲あるができない、読み書きができない、やさしい

82.優しくすごく良い子。 自分は何でも頑張るが積極的に前に出てくるタイプではない。ピアノは弾けるがオーディションに出てくることはなかった。

女子

83.学年で1番面倒な人。人を見て態度を変える。褒めることが大事めっちゃ気が強い。

84.●脊髄の手術をしている●体育座り× ●小学校では体育見学多い●ぶつからないように注意必要コルセット着用●本人は特別扱いを好まない●練習すればピアノ

85.████。本人に自閉傾向があるかも、。普段はぼやっとしている。絵を書くのが好き。クラスではマスコット存在で可愛がられ、周りから嫌われることはないが、自分から友達に話しかけに行くことはなく、ずっと担任と話している。 ██から小1のとき性的ないたずら(内容は不明)があり必ず中学では離す。████に起こった████████で父を殺害された。 SCが入り相談を受けているが、本人はどう思っているか読めない。 このクラスの生徒には担任から父が亡くなったこと、噂等はしないことを伝えている。クラス での関係が難しい、もしくは話す人がおらず、困っているようであれば、SCを通して小学校とつなぐよう、本人にも伝え、小学校連携をとりながらサポートをしていきたいとのこと。

86.人によって態度がちょっと変わる。学力高い。先を見て行動できる。自然といいことをしようと動く。

87.スーパーいい子。██と保育園から一緒で上手に扱えるけど、今年頑張ってくれたから、中学校では一緒じゃない方がいい。 表には出てこなかった。

88.西1で二番目にいい子。勉強できる、意欲もある

89.5年の時████ともめていた。 中学でも分けた方がいい。まじめ。一生懸命すぎる。孤立するかも、本人は気にしない。

90.████がいる。保護者いい人だが、だらしない人。おとなしい感じだが、先生に話しかける。注目浴びるのNG

91.まじめじゃないといけない、そうしないといけないというプレッシャーを感じる。 少しクセあり。██の世話をしてくれていた。

92.大人しく、思うことがあっても全体の前では意見を言わない。少人数なら言える。たまに、やるべきことをサボる面もある。

93.姉特学。クラブバスケ男子と遊ぶことが多い。 サバサバしてる。

94.バスケ気持ちの弱い面があり、体調を崩し過去休みがちに。今はない。年下の面倒をみる。

95.明るい、夏ころホルモンバランスの影響?で体質がきつくなりトラブルになりかけたこともあったがすぐ収まった

96.漫画、絵好き、勉強もまあまあ

97.●人として、とても良い!!●小6のお手本●面倒見が良い●勉強心配

98.漫画、絵好き。ふくよかで4年生のころ男子からデブ」と言われトラブルもあったが、今は気にしないようになった

99.特になし。自分より下の(弱い)者には強く出るかも

anond:20240623023619

えっ言語IQいからなるんじゃない?

ミーティングで面と向かって上司意見に異議を唱えたり、パートナーの言うことすべてをこきおろしたりする時、討論者は「自分合理的論理的なことを言っているだけだ」と思っているかもしれません。でもそうすることで、仕事成功したり、素敵な恋愛関係を築いて幸せを得たりする可能性を自らダメにしている場合もあります

ゆうてあれ学力テスト以上の意味なくて、言語能力に著しく遅れがないかみる程度のもでしかないけどね

anond:20240622163829

でもまあFラン大学でも大学自治会とかが鼻息荒く反戦平和を訴えて座り込みとかしちゃうんだよね。

おまえらその学力世界を語れるの?そんな能力あるの?っていう疑問は本人以外の全員以外が思っちゃうよね。

なので、学生運動の恥ずかしさとや的外れさを批判する際には、大学の格というよりは学生の御身分というくくりのが妥当だと思う。

2024-06-22

27才、男性高卒アルバイトシナリオライターをやっている。

彼女いない歴=年齢、メンクリに通っていて、ADHD借金もある。いわゆるチー牛顔で、趣味カードゲーマーだ。

まだ若い、と言われるくらいの歳だろう。

同時に若者からすれば、もうアラサーおっさんに片足突っ込んでるくらいの歳でもある。

ここから先、人生はいくらでも変えられるし、変わっていくだろう……と、言われるだろう。

その上で。自分人生が、このまま緩やかに閉ざされていくことを、確信して、耐えられなくなって、壊れてしまいそうだった。

自分語りの前半は割愛しようと思う。

父親虐待を受け、一度母は離婚した。1才下の妹とは生き別れた。再婚し、そこそこ大きい家に連れ子として入った。

なにせ形式上長男の息子、長男長男ものから、そこそこ可愛がられた。感謝している。

9才と10才違う、種違い可愛い弟と妹が出来た。今でも本当に可愛い

順風満帆ではないが、極端に悪い育ち方はしていなかったと思う。問題は、その後の話だった。

元々大学に行こうと思っていたのだが、あまりにも学力が酷いもので、自分から諦めて高卒自動車工場就職した。

田舎住みで、同級生殆どが同じ選択をしていたし、それでそこそこ田舎者としては裕福で安定した生活を送れるものから自分もそれでいいやと思っていた。

とにかく、高卒工場に入れば安定。それがお決まり定番ルートだった。

だが、甘かった。一言で言えば、そのルート自分は乗れなかった。

まずは新人研修があった。毎日朝の8時から17時までの研修特に何の変哲があるでもなかった。

これに耐えられないというわけではなかった。実際に作業をするというわけでもなかったし、研修中の相手を詰めるような社員もいなかった。

ただ、高校卒業してすぐのことだから、少し長いなと思ったこと。それから学生時代にも悩まされていた、突然の眠気。

これがずっと治らなかった。まあ、それも現場に出て体を動かすようになれば……と、深くは考えていなかった。

現場作業には全くと言っていいほどついていけなかった。

自動車工場単純作業は、自分にとって全くと言っていいほど単純作業ではなかった。

いくつかの工場ラインを同時に監視し、製造数を確認し続ける。

規定の数まで部品が溜まったら、その中からいくつかを検査する。

検査合格したら、次のラインまで持っていき、不合格なら工作機械の刃を替える。

その他エラー問題が起きたら、ボタンを押して機械担当者確認をしてもらう。

使った工具は元の場所に戻しておく――――こんな単純なことが、自分には出来なかった。

それでも、3ヶ月ほどは続けていただろうか。度重なるミスも、新人からある程度は多めに見られていた中で。

とある日に、機械の刃を替えるために使った工具を戻し忘れて機械の傍に置いていた。

それが原因で班長に呼び出され、怒鳴りつけられた……自分は、大声で「すみませんでした!」と叫び、頭を下げたのを覚えている。

次の日、下手くそな字と何も整っていない紙面で辞表を提出した。

スマホの電源を断ち、実家住みだったが、家にも帰らず、車に乗ったまま、ゲームセンター駐車場で寝泊まりしていた。

それを1ヶ月ほど続けてから理由は忘れたが、実家に戻った。

しばらくは呆然としていたが、数週間ほどでバイトを初めて、すぐに警備会社就職した。

警備会社での仕事工場施設警備……夜の間、基本はひたすらぼーっと監視を続ける仕事だ。基本は、それだ。

自分には複雑過ぎた。

まず、鍵の管理があった。やってきた工場社員に鍵を渡し、受け取り、記録をつける。これはまだいい。

問題巡回の際に、自分が鍵を持ち出したとき。これを戻し忘れることが、何度も何度もあった。

鍵の閉め忘れもあった。何度もあった。日報の書き忘れもあった。何度もあった。

別にやる気がなかった、とかそういうことじゃない。出来ないのだ。どれだけ確認しても、どれだけメモをとっても。

何かが必ず抜け落ちていて、そのせいで誰かが苦情を受け、叱られる。

ミスをしても若い新人だった自分は、いつの間にか使えないトラブルメーカーとして、嫌われていく。

首を吊ろうとして、巡回中に飛び降りようとして、失敗した。死ぬ勇気すら無いんだと絶望した。

怒られているときに、ボロボロと泣き出してしまった。そこが限界だった。

研修を終えて、正社員になり、1週間も経たないくらいで、辞めた。

数ヶ月間、ニートをしていた。

家族には当然疎まれていたから、できる限り行動の時間が被らないように生きた。

自分の分の料理は用意されていない(当たり前だ)ものから、夜中に弟や妹が残したものを食っていた。

食事の回数を抑えるために、食事は2日に1回だったし、昼間は腹が減るので寝ていた。

それでも、働いている間よりは楽だった。働かなくてもいい、というのは、金が無いことよりも遥かに楽だった。

から追い出されて、神社で寝ていたこともある。それでも、働くよりはマシだった。

小学校時代からの友人である不良に、アルバイトを紹介された。

ヤンキーだがちゃんと働いて稼いでいるらしく、高校の時には毎日遊びに来て、ニートときも時折連れ出されていた。

正直アルバイトなんてやりたくなかったが、押しが強い店長と友人に負けて、渋々居酒屋厨房仕事を始めた。

これが意外とどうにかなって、元々料理は好きだったからか、それなりに出来るようになり、1年ほどは続いた。そして店が潰れた。

その時にもらったジョッキは今でも実家で使ってる。便利よね、大きいと。

ここまで書いてそこそこ出来た体験があっちゃだめだろ……と思って書く気無くした。

潰れてから足場屋と溶接屋を1年やった後泣かされて辞めたかアルバイトシナリオライター4年やってる。月収11万。

あとそのヤンキーに騙されて100万借金負った。残りあと30万くらいあるよ。ちなそいつ強盗致傷で9年実刑

自分がどれだけ情けなくてゴミみたいな人生かということを書こうかと思ったけどなんかどうでもよくなっちゃった

ぎっしり満足!チョコミント食べよ~っと。

追記:ぎっしり満足!チョコミントじゃなくてセルフチョコレートクラッシュチョコミントでした。

2024-06-20

もしかして、この女の子、ワイと付き合おうと思ってる?大学出て正社

ここ半年のせっくすはねー。こんな相手で内容はこうで仕事はこうで、こんな場所でして。

出会い系でも何人かとあったけど、みんな受け身でつまらない。3人。3人とも年下で。

去年の夏の恋愛はひどかったなー。半分半グレだったもんなー。私も逃げるように。

増田さんは東京で遊ばないの?遊ばないなー。だってのんちゃん遊んだら、

その他の女の子と遊ぶのはなんかつまらなくて。ふーんそうなんだー。もったいない

あ、もちろんおなにーもしてますよ!空からちんちんが降ってくればいいのにって。

若いときは、私の女子高生っていうだけを男の人は取りに来て。

だって好きでエットなことしただけじゃないですよ!

他の何かと引き換えにいやいやしたこともありますよ!

騎乗位のせっくすでイッたあと)。私ですね、人生の年齢を考えてて、

例えば22歳でなんとかとか、24歳で結婚とか。でもいまのこれは、

ああーん。なんかはやいなー。もっと年取ってからのはずなのに。こんなはずでは。

いまの、こんな気持になるのは、もっと、30歳とかで。もぅー。分かります

いつもはあれしたいこれしたいって言ってくるのに、

今日は僕の言う事を何でも聞いてくれるおしとやかな感じ。

あなるせっくす?いいよ。あんあんあんあん。私の前の穴は他の人だったけど、

こっちの穴は増田さんが初めてですよ!(前回もあなるせっくすしたけどなあ)。

お尻に栓をして、増田さんの精液をずっと中に入れてて、感じてたい。

シャワーの時に、カプチーノが。

増田さん、愛してます増田さん、好きです。ますださんは私のこと好きですか?

わたし増田さんと結婚したら、せっくすは週に3回くらいかな。月水金?

でも土曜日しますよね。火木土?せっくすもお風呂入って寝る前の10分くらいで、

自分だけイッて自分だけ寝ちゃう前戯もなくてなんか胸をぱぱって。

21時には布団敷いて、それからスマホとか見て電気消して、手を繋いでなんかイチャイチャして、

いつもフェラシてくれるからクンニするねとか交代交代で、15分?30分?

いまは45分くらい?それで抱き合って寝ると22時くらいかな。

でも土曜日は昼間とかにするときもあるよね、昼間したら夜はしないのかな。

あーでもしたくなった時にすればいっか。それが普通か。だとしたら週6?やり過ぎ?

結婚したら浮気はしないで欲しいな。してもいいけどバレないようにしてほしい。

私は浮気はしないかな。浮気絶対にバレなくて僕も気にしてなくて、

なんかイケメン男子が誘ってきたら?絶対にバレないならしちゃうかも。

バレルからしちゃ駄目なんですよね?僕は浮気はしても良いんじゃない派なので。

良いんですか浮気しても。僕が知らなければ。結局嫌な気持ちになるのが嫌なんだから

楽しい気持ちになる浮気ならしてもいいと思う。浮気行ってきます!とか。

浮気お疲れさま。浮気も大変だよーとか。なんであんなやつと浮気するの?

だってちんこが大きいんだもん!あーそれはしょうがなよねー。

新幹線時間があーだから、もうホテル出ようか」「もっと一緒にいたい」

「次のにすれば1時間伸ばせるけど、延長料金も考えるといま出るのが」

「私が払うから!」「でも1時間に~円は高いよー」「一緒にいたくないんですか?」

「一緒にいたいけど、また次も会えるし」「次は次ですよ!」

...

「分かりました、次のにしますよ」「やったー」「じゃあなにしましょうか」

「なにしましょうか(ぬぎぬぎ」「僕も中学生みたいに性欲だけなのは」「おっぱい

「ほんと単純で、わかってるんだけど、じゃあまあそれでいいのか。おっぱい

おっぱい好きなの?」「のんたんおっぱいがすき」「しょうがないなあ」

「もう一泊します」

バイト先の神経質なキッチンが、私に『のんさんぐらいなら、おれやっちゃいますよ』とか言ってくるんです。

どうゆう意味だと思います?」「僕ののんたんにやっちゃうなんて軽々しく言うのは、なんかムカつくなあ。

そのバカのんさんを舐めてるんだと思ます普通女の子にそんなこと言わないし」

のんさんなら全然余裕で俺やれますよ」とか「バカにされてるんで怒れたら怒ったほうが良いですよ」

「こないだお客さんに味噌汁こぼして救急車呼んじゃって大変でした」「おおお」

「ああ、いきそう。いきそう。いっしょにいけます?いっしょにいきたい。いっしょにいこう」

のんたんまんこ気持ちよくて俺もイク。ああ。(のんちゃんがくがく)のんちゃんなかにしゃせいや

どっくんどっくんどっくんどっくんどっくん

「はー、はー、はー。。。のんさんかわいい。好き。」「あ、抜かないで入れたままにしておいてください」

「さっk俺っていってましたよ」「でへへ」「なんかきゅにいきそうになって、一緒にいけてよかった」「よかった」

じっとお互いの顔を黙って20分ぐらい見つめあう。あんまり可愛くないけど、これはこれで。

ひどい顔ならこんなに長く続いてないだろうしなー。ちゃんと可愛かったらどうだろうか。

可愛いだけでほかは変わらないか。なんでこんなかわいい子が僕と、とは思うのかな。

地方公立中学トップ5人の、それらが集まる高校トップ10人ぐらいの学力女子が入れる御茶ノ水

中学で頭が良いと言われた加藤さんの高校さらに同じくらい上位の女の子

なのに、学力では線対称の反対側の僕と、僕に、そりゃ彼女はそんなこと考えてないだろうし、

逆にはなんだか申し訳ない気はしている。例えばワイが東大で中卒の女の子と付き合うか?そりゃあるだろう。

なんとなく東大東大が付き合ったらいいような気はするけど。

でも自分のつまらなさは自分が一番良く知っているので、

別に私はたまたま勉強がよくできただけだから。そんな、ぜんぜんすごくない。

このおちんちんすごいよ、せっくす。おっぱい?おんなのこのおっぱい

ああ有女の子たちは高校の時に毎日こうゆうことして過ごしてるから

今なら言えるけど、おなにーするじかんもなかった。おなにーぐらいはしてたけど。言い過ぎました。

いま本書いてるんだ?なんか私モテるんですけど。他の男の人と寝てしまって、気持ちよかった。

多分その人のほうが好きになってくと思う。今までありがとね。恋終わりってこうなんだ。

最後に?うーん。もう気持ちはあっちだからしたくはいけど、いいよ。

角君のこと好きなのに、せっくすはこっちが気持ちがいい。わがまま淫乱

角君にせっくすを教えようか。ほんとに?マジで3Pして?角くんがいいなら?

講習用の教材の動画も用意するの?気合入ってる!恥ずかしい格好だけど、私の好きな体位です~

今の彼女に会いたいんだけど、会って話したいことがあって。喧嘩じゃないし。

フェラでイッたあとはティッシュは3枚で」「何枚でもいですよね」「3枚でした」

「私がいちばんかれのちんこのことぉ知っていて」「あなたとは違うせっくすをしまから!」

「せっくすはだいたいみんな同じですよ」「相手が違えば全部違いますよ!

「いまさら違う人とせっくすはしたくないよ」「じゃあ、3Pしよう。あ、4Pを。相手はね、」

...

「何なんですかあの人は!」「他にもいっぱいいるから」「いや合コンで、上智学生とくっつけて、普通になっている。良かった。

あ、増田さん、久しぶりですね。まだ付き合ってますよー。彼が居るので増田さんとはしません。思い出しもしません。ちんこは彼のほうが大きいし。ざまあみろ。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-16

anond:20240615015742

結局さ、これに対する反応見てもわかるんだけど、日本カス論壇で一番嫌われるのが「エリート責任」を語ることなんだよね。

両方からあの手この手無効化されて、結局エリート権威)に求めるべき責任が何かという話はいつも曖昧に終わる。

 

すべての基準でそう。金持ちも、政治家既得権益)も、学歴集団でも。

「お前、恵まれてんだから社会責任果たせよ」って言う、日本以外の国では当たり前にある(経済が『実力主義』でも、宗教的喜捨精神アメリカにすら残っている)恩返しの精神が、日本人にだけは、右も左も男も女も老人も若者も吃驚するほどない。

こういうのが「他人を助けない日本人」みたいな指標にも現れてるのに、何故か学力エリートは「そうそ日本人(田舎者で無学で自民党支持者の愚民)は他人に冷たいよね」と自分ほとんどボランティア寄付もしないのに、批判だけする側で平気で居られる。

 

まあこれ、自分で考えた持論ってわけでもないんだけどね。

大学指導教官数学者なんだけど思想的な部分があって、「日本には本来エリートがいない」とか「大学院の研究分野くらいになれば、世界でも数十人数百人しかいない専門家であることを自覚しなさい」とかまあまあ言われたので、今になってみると本当にそうだなって思ってるだけ。

大学専門家が専門分野に関してツイッター(X)で言うことが、「世の中こんなことも知られてないんだねえ(他人事)」みたいなの、死ぬほど見てきた。

そりゃそうだよ、お前が専門家だってのは、みんなが知らなくて、お前が教えなきゃいけないってことだよ。そんなことが本当にわからない奴だらけなんだ。

 

自分リーダーにならなきゃいけないのにリーダーになろうとしない奴が、誰か良いリーダーいないのってネットで喚いて憂さ晴らししてる、本当に希望のない国だよ。

2024-06-14

anond:20240614015515

母子家庭から東大行った男だけど、たぶん元増田との最大の違いは大学の行きやすさ。男が東大に行ける学力があって、奨学金をもらえる見込みがあるなら、反対される可能性はかなり低い。高校生男子虐待するのって物理的に難しいし。親からではなく、親戚の支援がもらえる可能性も高まる。姉はお茶の水行ける学力があったけど家から通える短大へ。

あと、私は新聞奨学生選択肢に入れていたか元増田ほど悲壮覚悟大学進学決めてなかった。結局支給型の奨学金もらったけど。

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

2024-06-10

anond:20240607083047

チアプ/婚活とかが一般化してきた影響なのか、普通に恋愛学力みたいな直接的な「努力」の文脈で語られるようになったのちょっと面白い現象だなと思わせられた

まあ昔から学歴とか収入とか間接的なそれとか身だしなみみたいな最低ラインはあったにせよ、恋愛に直接「努力」みたいなこと言い出すのナンパ師かなんかみたいだなと

別に悪いこととは思わんが、ランナウェイ的で面白い

2024-06-09

底辺大学生、勉強のやり方がわからないです。助けて

私は中学から不登校高卒ニート通信制大学生のルートを辿っています

勉強の意欲と自由時間はたくさんありますが、根本学力が足りていないのと勉強のやり方が下手なのか上手くいってません。

学部情報学部で、授業は専門知識がいらない簡単単位なら取れそうです。

幸い通信制なので、卒業年数伸ばせば時間は稼げます

絶対卒業したいので、最初の1年は勉強に慣れるところから始めようと思っています

本題です。

私は今まで簡単テキストを読んで、重要な箇所をノートにまとめて、簡単問題を解いて直して、少しずつ難しい問題に挑戦していくやり方でやっていきました。

しかし、難しい専門科目や資格勉強をする際、テキストの量が多い+内容が噛み砕けないのでノートにまとめることが難しいです。

一番簡単とされるテキストを購入しても、受験時代と違って用語が多く、全てが重要箇所に見えて短く自分でまとめることが困難です。

解説動画解説サイトが見つけやすい分野は、何とかなりそうですが、無いもしくは見ても分からなかった場合、皆さんはどうやって内容を理解しますか?

特に基本情報技術者試験みたいな広範囲で色んな用語が出てくるもの勉強に苦戦しています

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