はてなキーワード: 学力とは
そのまま退学した高卒みたいな奴ばっかだよ
筑波大学の入試改革が話題だ、なんでも二次試験を廃止するらしく賛否両論といったところか。
学生の質が落ちるのでは?という声も多い。
安心してほしい、すでに地に落ちている。
大学ランキングを上げるために、必死に留学生をかき集めている(昨年にはマレーシア分校を作って話題になった)。
学力の問題ではなく、日本の慣習や文化を受け入れない、人間性の面で問題がある留学生が多数観測されている。
・夜間のコンビニの前で20~30人でたむろし、宴会を行う。深夜になっても大声で叫び続ける。もちろん、ゴミはその場に放置する。
・学内で楽器を練習していた女子学生が外国人に性的暴行を加えられた事件があった。本人がSNSに書き込んだだけで泣き寝入りしてしまったので、"事件化"しておらず真相は不明。
・留学生寮である「グローバルビレッジ」には大麻が蔓延しているとの疑惑がある。
特に留学生寮やその付近の天久保エリアは治安が悪いのでやめたほうがいい。
この辺りは日本人の水商売連中も多くて、昔から治安が悪いのだと思うが、そこに外国人を組み合わさり、茨城のソドムと化している。
社会人2年目の歳、自分の第一志望の校種。ようやく(任期付きで非正規?の状態とはいえ)就くことができた。昨年度は学校関係の仕事ではあったけれど高校ではなかったから、初の高校講師。
自分が今勤めているのはいわゆる「しんどい学校」で、いろんな生徒がいる。家庭環境がお世辞にも良いとは言えない生徒、学力が低い生徒、学校に来るのにハードルが高い生徒など、色々挙げるとキリがない。
しかし、本当に贔屓目なしに、どの生徒もかわいい。もちろんこちらも人間なので、性格的に合う、合わないは少なからずある。けれどそれは生徒をかわいくないと評価する材料ではない。合うか合わないかは別として、彼らは全員かわいい。
年齢が近いのもあってか、彼らは私に対して弟、妹のように接してくる。多少の礼節は必要なので度が過ぎる場合は軽く注意をするけれど、彼らにフランクに関わってくれる大人が一人ぐらいいてもいいだろうと思って喜んでお姉さん役を買って出ている。
生徒と関わる時間は本当に楽しくて、自分の疲れも吹き飛ぶほどの癒しだ。
じゃあなにがつらいのかというと、自分が受け持っている学年の授業ができないことだ。
私は今1年生のクラスの副担任をしている。担任の先生がすごく優しいお姉様で、「私は彼らの母のような存在、あなたは彼らの姉のような存在としてクラスを運営しましょう」というようなことを言ってくださった。具体的に言うと、担任の先生は愛情を持って口うるさく生徒に声かけをする。私はそれをカバーしつつ、生徒の声を聞いて密かに担任の先生にフィードバックするといった役回り。おかげで、いわゆる「おいしいところ」ばかりを味わわせていただいている状態だ。生徒は私を「大好きだ」となんの含みもない顔で言ってくれるし、「先生が授業をしてくれたらいいのに」と言ってくれる。
それがつらい。
正直自分の授業はクソつまらないから受けない方がいいのだけれど! でも! 私だって不満だ。だって、生徒と関わる時間が少なすぎる!!!!!!!
自分が副担任をしているクラスだけじゃなく、そもそも1年生の授業を受け持たせてもらっていない。3年生がメイン。2年生も少しだけ教えている。
今年の1年生は要注意生徒がたくさん入ってくるから、来たばかりの人に受け持ってもらうのは大変だとかそういう配慮があったんだと思う。しかし蓋を開けてみればこれだ。自分のクラス以外も、今年の1年生は(担当学年だから?)みんなみんな本当にかわいい!!!!!!もっとたくさん関わりたい!!!!!!!!!
クラスの子に「先生は1年の先生のはずなのに3年の方ばっかり行ってこっちに来てくれない!」と怒られてしまった。「ごめんね!来れる限りは来てるよ〜!」と謝ったけれど、生徒たちもあまり納得していない様子だ。そりゃそうだよな。
こういうたまにあるヒドめの校内人事ってどうしたらいいんだろうな。「しんどい学校」に特に多い。優しさだとは分かっていても、つらい〜!!!!!となってしまう。諸事情によって来年度はもうほぼ確実にこの学校にはいないので、よりつらい。
普段はROM専で、SNSでリアルタイムに反応をもらうことに不慣れでつい舞い上がってしまい、更新ボタンを押す手が止まらなくなってしまった。
また、フェイクは入れまくっていたけれど、身バレするのがホッテントリに入って注目されるようになってから怖くなった。
自分の精神衛生の悪化を感じたので、勢いで消した。私にはSNS上でオープンな発信者になるのは早かったみたいだ。
だけど、どうしてもお礼を言いたくてのこのことまた出てきてしまった。
6月11日現在における今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は79件。
7月13日現在では総額305万3千円、件数は149件! 倍増! すごい!!
自分の投稿がどれだけ貢献したかはわからないけれど、寄付してくれた方々に対して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとう。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1
読んでみると、過去に授業料免除を受けていたという人が恩返しとして寄付しているのが結構多いのが分かる。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1#project-tab03
あとは3つおまけ。
まず大学側の要因として挙げられるのが次の2つ。
私も今回調べるまで、自分の研究科以外の寄付基金の存在を知らなかった。修学支援基金も含めて。自分もお世話になってたのにね……。
OB・OG向けにたまに郵送するニュースレターという形でOB・OGへのアウトリーチする基盤はある。
現役の学生からお金を搾り取ろうとする前に、OB・OGへの寄付の働きかけを強化する手段はあるんじゃないのかな。
関連して第2に、学部・研究科ごとの独立性が高くて、「東京大学」としての寄付の呼びかけに失敗している。
夫は別の学部・研究科の出身なので、ニュースレターを私の出身のところと比較できるのだが、どちらも自分たちのところの研究のための基金の情報しか載っていない。
ふるさと納税における各自治体みたいに、寄付金を巡って本部と各研究科が競争しているような状態なのかもしれない。
あるいは、授業料免除のような学生全体に関わる経済的困難層向けの修学支援は東京大学の本部としての活動になる一方で、OB・OG向けのアラムナイ活動は学部・研究科の所管になっているように見えるから、そこで齟齬があるのかもしれない。
他方で、卒業生側に目を向けると、卒業生には寄付をするインセンティブがない。
寄付をすることに対して、アイデンティティ上の満足や実利など自分のためになる何かがなければならない。
多くの東大生OB・OGには、寄付に対するそうした対価は存在しないと思う。
アメリカの有名大学には寄付による入学枠がある。寄付することが、そのまま自分の子どもの利益に繋がる。
賛否はあると思うけど、その寄付金を使って貧乏人の子どもが入れるようになるならば、うまくできた制度設計だと思う。
でも、これは私立大学だからできることだろうし、東大でそんな制度が採用されるとはとても思えない。
※補足:ハーバード大学やスタンフォード大学などのアメリカの有名大学のほとんどは私立大学。
でも、はてなーは公共心が高くて、公共性への貢献からアイデンティティ上の満足を得られるであろうから、皆さんからの寄付には勝手に期待している。
②なぜ親と折り合いの悪い層にこだわるのか
これは、実際にそういう人を知っているから。金銭面で決定的に仲違いしたから。その人は大学からも去ってしまったから。
大学院に行きたいと言っていたけれど、結局コンサルに就職した。私が知っている中でもかなり天才と呼んでよいほどの頭の人だったのに、ものすごくおもしろい研究をしたはずだったのに、本当にもったいない。
セクシャルマイノリティーの立場から授業料値上げについて書いていた学生のnoteを読む限り、最近でもこの問題が解決してなさそうで非常に残念だ。
私の場合、分かりやすい経済的困難層だったことと、進学には反対したけどなぜか書類の準備には協力的だった親がいたことはすごく運がよかった。
親との折り合いが悪くて授業料免除制度からこぼれ落ちてしまうような学生をどう救うかの問題が解決しない限り、いくら支援制度の充実を掲げたとしても、学生の自助努力の水準を上げる授業料の値上げは行うべきではない。
③最後に。自分のこれまでを褒めてもらえたことはうれしかった。その一方で、危うさも感じた。
やっぱりみんな学力によるメリトクラシー(能力主義)にとらわれすぎだと思う。
特定の能力を持っている人はそれにふさわしい場所に行けるべきという考え、あるいはそれが実現された社会は、最終的にはその能力を持たない人を苦しめることにもなりうる。
学力という一つの能力のみによる純粋な選別装置として大学を機能させることと、社会全体の平等は別の話。
能力によって個人レベルでの格差を乗り越えることができたとしても、社会全体の格差は残り続ける。
世代間の社会的流動性が高ければそれはそれで問題ないのかもしれないけれど、それでもやっぱりいま・この世代において個人レベルで「負ける」人は発生する。
特定の能力による勝ち負けの発生自体をなくさないと東大ヘイトも負け組ヘイトもなくならないんじゃないか。
もちろん個々の能力ごとに勝ち負けが発生するのは避けられないけど、いろんな人のいろんな能力が尊厳をもって扱われて、トータルでみたら引き分けだとみんなが感じられるような社会になってほしいと心から思う。
だから繰り返しの主張になるけど、大学生への経済的支援だけではなく、若者向けの支援も、かつて若者だった人たち向けの支援もやるべきというのが私の立場。
「東大生は社会的に有用だから他を差し置いて特に支援されるべき」ではない。
個々人が寄付という形でその思いを表明するのは、個人の善の構想の中にある自由な選択。
でも、公的に税金を使ってやるべきような正義の話なのかは分からない。
それに、社会的に有用になることを東大生に押し付けることも適当ではないと思う。
社会貢献のためにみんな働いているのか? ジョブズは社会貢献のためにiPhoneを作ったのか?
そうではないだろう。
人々が自由にその能力を発揮して、自分の何らかの価値のために働いて、それが結果的に社会の役に立つ。それが一番健全。
最初から社会のためになんて言ってるやつはうさんくさい。個人の感想だけど。
この投稿以降は再び社会の片隅でひっそりこっそり生きる生活に戻ります。
誤字脱字は直すけど、それは何卒ご容赦を。
トランプが大統領になったときだって、「オバマはケニア生まれで大統領の資格はない」とか、「ヒラリーは嘘つきだ」とか、そんかスキャンダルばかりだったじゃん。
トランプの選挙活動っていったら、野球帽作ったりTシャツ作ったりだったじゃん。
ほんと、政策なんかどうでもいいの。
トランプが国境に壁を作るとか言ってたのと同じように、所沢あたりに関所を作るっていっときゃOK
なんでもわかりやすいのがいいんだよ。
有権者は石丸伸二と石丸幸人の違いだってわかんないんだから、政策アピールするのなんか無駄。
関所はやりすぎでもさ、埼玉県民のせいってのはなかなかいいよ。
都民が家買えないのはのぼってくる埼玉県民のせいだから、10年以上東京に住所があると家買いやすいようにするとか言えばいいんだよ。
どうすりゃいいか知らんけど、そういうのはアタマがいいやつらに任せて、埼玉ヘイトを叫んでおけばいい。
都民が近所にある大学に通えないのは、学力が高いだけで調子に乗って上京してくる田舎もんのせいだから、東京にある大学は都民枠作れとか、そんなんでオーケー。
石松某氏や石丸某氏に票を入れた若者を叩く風潮はどうかと思うぞ。
なんかそういう、知識人(ぶった)連中に馬鹿にされる原体験って、けっこう根深いわけ。トランプ大統領誕生って、そういうのの積み重ねが原因だと思うよ。
まあ石丸伸二も冷笑系でどうかと思うけど、敵対勢力をどんなに小馬鹿にしたって信者は喜ぶだけで離れないわけだし、あの姿勢も正解じゃないかな。
なんていうか、気が熟してなかったというのと、やっぱり資質が足りなかったんだろうな。
石丸叩きとか、立花孝志叩きが、いい感じに若者の反骨精神に火をつけて、四年後にもうちょっといい役者が登場すれば、きっと面白いことになるよ。
橋下徹みたいな人物、ちょっと違うな、アイツは賢すぎる。もっと、騒ぐだけの、小泉純一郎みたいな感じのほうがいいのか、いや小泉も違うな。
やっぱり石原慎太郎かな。
死んじまったけど。
あれをもっとアホにしたようなキャラがそのうち都知事になるよ。
傲慢そうだし。
中3なんだし、すぐ切れられるのはただの反抗期なんでは?
学力っていうのは大半の人は塾とか入れてブーストしてるだけなんで、学校以外の勉強の場がないなら学力低いのは仕方ない。
勉強が嫌いってのも子供ってのは基本的に勉強が嫌いなものなので、勉強したこと褒めるとかテストの点とかで結果出したら小遣いあげるとかで
ご褒美だすとかして好きにさせる努力が必要だと思うよ。勉強してないことについて強く言ってもますます勉強嫌いにさせるだけだよ。
友達少ないのは小学生ぐらいの時からいじめられるか、そもそも他人に興味ないとかでコミュ力磨く経験を積めなかったのかもね。
考え方が幼いというのも、幼くない考え方を学ぶ機会を得てないのかもね。
3年下の後輩について話している若手社員。この中で佐藤が悪かった点はどこだろう。
チャラい西田に、彼女がいなかったら…と浮ついた話を持ちかけたことではない。A子やB子に彼氏がいるからでもない。
東京の大手企業は高学歴美人がゴロゴロいると主張する御仁をXで見かける。
実際、ただ才媛なだけでなく綺麗な女性はかなり多めの印象がある。
ただ「ゴロゴロいる」「多め」ということは、裏を返せば例外も混じっているということだ。
それは透明である。
公立中学に通った経験のある方は、ヤンキー層が他人の容姿関してブスデブと表現した一方、学力や家庭の階級が上がるにつれて(少なくとも教室など公の場では)そのような単語を口にしない傾向にあったのを体感として分かるのではないだろうか。
では、民度を上げて「首都の大手企業」に場所を移せば、困難校のように容姿で人を馬鹿にする風潮はなくなるのだろうか。
実際、大手は資本のパワーも助けてコンプライアンス意識や教育が行き届いているため、昼間の教室でブスと大声で嘲る的露骨な差別は起きない。
先のA子やB子はかたやモデル、かたやアイドルでも通用する容姿なのに対し、C子はもっさりしている。
同年代若手社員の男性の間では、飲みの席で後輩女子の話題が出て「A子はイケる」など下衆な話をしていても、C子は名前も出ない。
同性のお局様さえも、「AちゃんBちゃん可愛い」とは言っていても、C子が可愛いという発言はしない。
後輩3人が自己紹介をしたあと、A子とB子は「◯◯してたの?」と学生時代のサークルや趣味の話題で盛り上がっていても、C子は「もう慣れた?」など当たり障りない話題を振られる。
よくも悪くもミスをネタにされるのはA子とB子で、C子はもっと色々やらかしているのに何一つ言及されない。
結局何が起きているのかと言うと、華やかな人間が飽和している環境において、パッとしない人間に興味を持つ者はあまりに少なすぎるのである。