はてなキーワード: お茶の間とは
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
Twitterで流れてくる動画・画像(今はイスラエルで検索して出てくる動画・画像を見ることはお勧めしません)
○強姦
強姦は嫌だったので探さなかったけど、女性兵士?の遺体を乗せて晒してるトラックとか、遺体が折り重なってる家とか、遺体を踏みつける人々の動画とかは見た。
決してそういうのが好きなわけではない。
むしろグロやリョナは絵でも苦手で避ける方だし、今回みたいな動画も薄目で見て、あまりに鮮明に見えそうだったりしたら閉じてしまう。
見て気持ち悪くなることもある。
それでも探してみてしまう。
怖いもの見たさというより、ありのままを見たいという欲求がある。
日本のメディアだと分厚いモザイクで覆い隠されてしまい本当に何があったのかがよくわからない。
ただあらゆる媒体でモザイク付きしか存在せず日本国内だと現実の様子を一切見られないというのは異様に思う。
週刊誌には載っているのだろうか?
安倍元首相が銃撃されたときも、ある新聞社のサイトで速報ではシャツに小さな血痕がついて倒れている写真がその後モザイク付きに差し代わっていた。
何かと隠してしまうことは陰謀論の種にもなるし実際なってたし。
それと、見ないといけないのではという思いもある。
見ることで自分も家族子供たちも周りの人も絶対こんな目に遭ってほしくないと強く思うし、いま平和であることの尊さと戦争は絶対に避けなければいけないという思いを新たにする。
また海外で私たちと同じような服を着て同じような車に乗り同じようなスマホを使ってる人たちが「敵」ならめちゃめちゃになぶり殺してしまえる、私たちと全く違う価値観・世界で生きているということを改めて認識する。
もちろん私たちもそういう環境に置かれたら同じことをするのだろう。
タレントには罪がありません、ジャニーズから移籍して他の事務所に行って今まで通り活躍すればいいってのは本気で言ってるの?
組織ぐるみで性犯罪を長年隠蔽し続けてきた関係者を事務所移籍したからってそのままお茶の間に出すの?ジャニーズって幼児向け漫画雑誌にたくさん登場してるのよ。同じように出せるか?ジャニーの思想はズブズブよ?
実際に事が明るみに出たあとの彼らの反応見ろよ。それでもジャニーズというものにしがみつき、Show must go onとか空気読めずに言っちゃったりしちゃうわけだよ?
現状を見て分かるようにジャニオタってのは業が深くて、こんなことになろうとも金払ってくれるのはわかっているので、今まで通り金を稼ぎたいメディアはタレントまで潰されては困るから持っていきたい落とし所にしか見えないし、あるいはジャニオタ自身が自分たちの娯楽を必死に守りたいが故の論調にしか見えないのよね。なんせ1200万人もファンクラブ会員いるらしいのでね。
ジャニーズの思想を持ったまま他の事務所言っても同じ悲劇が繰り返されないとも言い切れないし、事務所、タレント、メディアそしてジャニーズオタク全体が改心出来ない限り、男性アイドル、特に若年層のアイドルなんかメディアに出てくるのはやめて欲しいね。
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
お茶の間のテレビでは一般的に広まっている美の基準とはかけ離れているような女性のお笑い芸人が出ている。
女性のお笑い芸人はなぜ容姿が美しいといわれる人が少ないのか。
なぜ太っている人が目立つのか。多分、深層心理で見下して笑っている人が多いからだろう。
アイドルでも、その中で所謂ブサイクと言われている人たちは、ネタ枠に入らざるを得なくなるのか
美系をもてはやし、不細工はその引き立て役で
不細工で愛想悪いのは許されない。
全然笑えない。
顔で受け入れられないなら、キャラクターで勝負するという戦略だろうか。
多様性多様性という割に、映画やドラマは美形で同じ役者ばかりだ。同じ音楽ばかりだ。
何様なのだろう。
草彅剛が出演するドラマや映画は、パッとしないような役者陣で周囲が固められる。
顔が派手じゃないからだ。
人は劇中の役割の中に、あてはめられていく。
という、どこかで聞いた事のあるキャッチコピー。
「輝ける、輝いている」それは主観?
自分の立ち位置を正しく認識し、全てを諦めないと、そんな風に思えないだろう。
大人になるということは、色々なことを諦めるということ?
「スポーツ選手になりたい人」が相対的で絶対的な能力を正しく認識することができなくなり
諦めない!とずっとスポーツ一点集中し、身体を壊しても、ずっとずっと走り続けなければならなくなる。
あれには狭義と広義があると思うよ。
狭義の一発録りは、いわゆる同録ってやつだね。スタジオにオケとシンガーを集めてせーので録る。マルチトラックを使うにしてもパート毎に差し替えるためでなくマイキングやミキシングのためで、何テイクも録るもんじゃない。美空ひばりとかの大御所の時代だね。あるいはテレビの生オケ生歌唱の歌放送もそれに近いですかね。
広義の一発録りというのがたぶん THE FIRST TAKE が主張しているところ。テイクとしては初回に近いものを使うがマルチトラックレコーディングした素材のエディットを許すというもの。このエディット作業がまるでないかのような番組演出を例のバンドマンは問題視している。その一方で彼は「補正はお化粧」としてエディット自体は否定していない。
このエディット、ボーカルトラックのピッチ補正が一番派手だから問題にされやすいけれど普通にリズムやタイミングやブレスの補正も入る。たとえば声が小さそうなアイドルはがっつりコンプで叩いてダイナミクスを均一にしてあるよね? ほどよくリバーブもかかっているでしょう。多少の素材の良し悪しがあってもレーベルとしては番組として質を均一に整えるのが大人の仕事なわけで、ここにはちゃんと人手を掛けて聴きやすいものを届けないといけない。むしろあれ観てると丁寧に仕事してるなと感心するよ。
余談だけど、テレビの収録モノの歌番組も事務所に素材を送り返して修正してから放送というのもよく聞くよね? これは制作費が事務所側の持ち出しだったりするから当然なんだけど、なにもお茶の間の視聴者は審査員でもなんでもなくて、単に耳障りのいい音楽を求めてるお客さまなわけじゃん。だからこれでみんなハッピーだし現に補正の効かない生一発のライブでもみんながっかりせず違和感なく楽しめてるわけですよ。なんの問題もないよね?
THE FIRST TAKE は映像の絵力の吸引力でワンテイク無編集だと騙されちゃうのも無理はないと思う。明らかに作ってる側もそれを狙ってるんだよね。ほんとに初回のテイクだけで作ってる? と言われるとそこも演者次第なんじゃと思うけど、絵と違和感がでない程度には切り貼り少なめですよ、バックトラックも専用に誂えてあってボーカルが映える薄めのオケで悪くないやん、くらいに捉えておくと楽しめるんじゃないですかね。ゆーてあのオケもシーケンストラック敷いてありそうですけどね。ま人生短いし細かいこと気にしてたらなんも楽しめなくなりますよ。
高島ファミリーの大邸宅から、寿美花代(91)の姿が消えたと発売中の「女性セブン」が報じている。同誌によると、昨年あたりに施設に入ったのだという。
夫・高島忠夫(享年88)、高嶋政宏(57)、政伸(56)の2人の息子たちとともに家族で歌番組に出演するなど“芸能一家”でお茶の間に親しまれてきた高島ファミリーだったが、いつの間にか息子同士の確執が報じられ、2人は共演NGに。夫の高島は、1998年にうつ病を発症。一時は回復するも、パーキンソン病を患い、心臓にペースメーカーを入れるなど20年近い闘病生活ののち、2019年に逝去。その間、献身的な介護をしたのは寿美だった。
すっかりお茶の間の顔になったマツコ・デラックスだが、ジャニー告発を発端とする今の流れが別の議論を呼ぶ前に、今のうちに引退するのが正解に思う。(逆に引退せず自分を自分に取り戻すチャンスとしても良いが、茨の道だしテレビでそれをやり切るのは難易度が高すぎる)
ジャニー告発により性被害が女性特有のものであるという社会の認識は今後ゆっくり変わっていくと考えられる。元々当たり前のことなのだが、これまでの現実社会では被害は女性、加害は男性という構図が出来上がっていた。その証左に電車には女性専用車両があるわけである。男性の性被害は社会としてはほぼ考慮されていない(もちろん法律の守りは最低限あるが)。今回は加害者は男性だが、これまでも某議員など女性からのセクハラも世間としてはほぼ無風だが現実として存在する。スカートめくりとレイプを同一視してきた向きがいる社会である、これが程度の差であるなんて口が裂けても言うことはあるまいや。
他方マツコ・デラックス。軽妙な憎まれ口と印象的な見た目、そして時折見せる教養で気づけばテレビでは見ない日がないほどの人気者となった。また氏はゲイとされており(真実は知らん本人に聞いてない)、前述の特徴も相まって普通の人間では炎上してしまうような物言いも許される状況を作り上げており、テレビはこぞって男女に言いたいこと決めつけに近いことを氏に言わせるのである(尤も、それは本人が完全に望んだものではないと推測できる。氏はブラックジョーカーとして人を楽しませることは好きであろうしそういうことが許される状況を産み出せる気遣い上手であることも自覚のあるところであろうが、そうして作り上げた地盤にまあ裸足で上がられて色々と代弁させられている。氏はおそらく「商品」としての自覚もあり人のせいにすることはしない矜持もあることでその業を少しずつ背負っているのだろう。しかしそれは心も体も蝕むことである(元来働くとはそういうものでそれは氏も理解の範疇ではあるにしろ)。賢い氏のことなので自分に嘘にならないギリギリを行こうとしているだろうがそれも物量の前には諦めざるを得ないところもでる。おそらく氏は今後への漠然とした不安(今は大分小さいかもしれないが)とこのソウルジェムの穢ととはいえ自分の表現の場を失う恐れを天秤にかけてはいるだろう。ただ今はすでに天秤を見るエネルギーも少なくなっているのではないかと、氏の言動からは推察される)。
さて、氏はよく男の品評をする。これはもちろん本音もあろうが(でなくば的はずれなものになる)、自分に期待される役割・コンテクストを全うするというところが大きかろう。これが許されているのは社会的な「男性は性被害に合わない」「ゲイのギャグ利用」という意識であり、この令和でもセクハラだ不快だと言われづらい(「男」が「女」に同様の品評をすればそれなりのクレームは免れない)状況となっている。
これまでジャニーの行いは告発本もすでにあり世間の知るところではあったが、それはある意味生々しさを失ってほぼ「ギャグ」として扱われてきた。メディアに限らずほとんどの市民がそう扱ってきたのである。しかし外圧から始まる今回の一連の流れにより市民は一気に(自分のこれまでの認識を無視して)厳しい目を向けるようになり、果ては山下達郎まで炎上するほど関心が高まっている。ジャニーの行いに生々しさが取り戻されたのである。
するとどうなるか?社会の認識では性被害は女性が対象でありそこに反論しようともミソジニーのレッテルにより閉口させられてきたものに生々しい反論がうまれる。加害側にしてもジャニーは男であるが、先に言ったように女性からの性加害も挙げれば出てくるわけである。そのように世論が傾いてくるとニュースでは女性から男性の加害も取り上げ始める。そうして性被害は誰にでも起こるものと認知が広がり、徐々に「性被害は女性のもの」を前提とするテレビのコメンテーターの発言は炎上の種になっていくわけである。
もちろんマツコ・デラックスも例外ではない。氏の男性への品評は紛うことなきセクハラであり、言われた側も「あとから考えればあれ嫌だったな」といくらでも言える状況になってくる(もちろんマツコ氏は人を選んで発言するが、もはや言われた側の意向など無視して当人置いてけぼりで発言者を批判する現代にそれはあまりにも弱い論理なのである)。そうなると辛い。そうなってから「世の求めに応じて演じていた」と言ってもすでに世間は聞く耳を持たないのである。その世間の求めが氏を作り上げたにも関わらず(世間というのは個人ではないのでここが非常に恐ろしい)。
長くなったが、つまり結論として、マツコ・デラックスは今引退するのはある意味でとても良いタイミングではあると思う。テレビで見る氏のことが大好きな自分にとってはとても辛いことだが、氏の人生こそ氏にとって最優先にしなければならないことであるからして、周りの人を考えすぎず決めてほしいなと、そう思うものである。
なぜ許されているのか?
なんなら、残り一本の髪の毛がさぞさぞ大事だと周りから気を遣われている。
ハゲの波平は、現代の見た目超大事な社会なら、やはりサザエ一家から見ても、ちょっとおかしな目で見られてるのかなあ?
ハゲの波平が参観日に来たら、カツオやワカメはブチ切れて反抗期突入するんだろうか?
現代の設定であのハゲが出てきたら、「子供かわいそう、あんなハゲが子供作るな」、「参観日に絶対来てほしくない」、「フネはよーあんなハゲと結婚したなあ、現実だったらあり得ない」って感じかあ?
まあ〜サザエさんやフネさんが料理して、男どもが座ってるだけみたいな描写も現代ではあり得ないってことだけどさ。
波平を強烈に叩きまくる言説ってネットでは見ないし、お茶の間でも聞いたことない。
ただこれは、表自の方も同様で
チートスレイヤーとかを出すと「表現規制」の定義がバグる人が出る
表現の自由として出された後に、お気持ちで評価される部分についても
「ひょうげんのじゆー」って言ってしまう人が居るからなんだよね
Z指定のバイオRE2の捕食シーンを無修正で19時のお茶の間に流したとして、クレームは表現規制なのか?
どれが良くてどれがダメだ?
結構な人が、バグってリベサと似たような切断処理をするんではなかろか
「いかなる」表現も受け入れなければならないとかアホな事言い出す
そして、それが真っ赤になる
毎回だ
お前が飯食ってる目の前で、タブレットで下痢便の映像を音付きで垂れ流しても
馬鹿じゃねぇかと思う
anond:20230611184223の元増田だけど、正直、未成年の水着撮影会に関する話は驚いた。
大前提として、俺は二次元専門のオタクなので、実在する未成年の水着撮影会とか反射的にキモッと思ってしまうし、そんなのに群がってるのはヤバいでしょ、とも思う。でも同時に、ドラマや映画の子役に対しても違和感があるんだよね。仮に自分だったら、子供時代の演技なんて絶対映像に残してほしくないし、親が個人的に持ってるくらいならいいけど、公共の電波でバラ撒くのは恥ずかしいし、自分のプライバシーを尊重してほしい、やめてくれって言うと思う。っていうか、子役にキャアキャア群がる光景も大概キモいでしょ。「鈴木福 バスツアー」で検索してみれば超弩級の性的消費が見れるよ。実在の子供に群がるロリコンおじさんもショタコンおばさんも両方キモい。
とはいえ俺は、まあ演技とか水着姿それ自体に問題があるわけじゃないから、と思って両方を許容してきたんだけど、未成年の出る水着撮影会はアウト、というのが主流になるなら、子役も禁止にしないといけないと思うよ。
水着撮影会に出る15歳の子供より、ドラマや映画に出演する10歳の子供の方が自己決定権を有している、っていう理屈はどう考えてもおかしいよね? 実在の子供が自由意志によらず公共の電波や映画館で晒し者になるのは間違ってる。ドラマや映画は子供を出すのをやめて、CGや、見た目が幼い役者で代用するか、子供の出てこない作品だけを作るようにするべきだ(刑事ものとかなら子役は必要ないはず)。その制約がキツいなら実写製作はやめてアニメでも作れば? アニメなら成人が演じる子供キャラを好きなだけ出せるわけだし。
去年やってた『鎌倉殿の13人』では、実朝暗殺後に京都から当時2歳の三寅(九条頼経)が呼び寄せられる場面が描かれていた。年端も行かない、日本語の発話もおぼつかない幼児がそれを演じていたのだ。非常に面白い大河ドラマだったが、どう考えても自由意志なんてものを持ちようがない幼児を公共の電波で晒し者にすることは、中高生の水着撮影会に群がる以上に子供をモノ化していると思ってしまう。これまでは、水着撮影会がオッケーなんだから子役もアリでしょ、って思ってたんだけど、水着撮影会はNGというのが世の趨勢なら、真面目に子役を禁止しないと辻褄が合わない。
えっ? 子役は望んで演技をしてるからいいんだって? 都合のいいときだけ子供の自主性を盾に使うなよ! 演技では何も損なわれない? 水着の写真を撮っても何も減らないよ! 演技は何も恥ずかしいことじゃない? 少なくとも俺は恥ずかしいと思うし、逆に水着が恥ずかしくないっていう子供がいたらどうするんだよ!
俺ははてなーの皆さんが水着グラビアがなくなっても全く痛痒を感じないのと同じように、ドラマや映画が作れなくなっても、その表現の幅が狭まっても何も困らない。実在児童の保護はグラビアの表現の自由よりも優先するんだよね? さあ、一緒に子役反対を叫ぼう。ドラマや映画や水着撮影会に18歳未満の子供を出すな!
えー?芸能って芸術とか創造力なので若い才能は早く大衆の前に出てええやろ。異種だが藤井聡太さんは14歳でプロやし。一方で”水着撮影”ってなんやねん、て話やろ
ここで問題にしているのは同意する能力、自己決定権の制限なので。
人間は自由なので、成人であれば演技しようがヌードモデルになろうが自己決定権の行使なんですね。しかし子供は判断力が未熟なので、パターナリズムの観点から、あれは禁止これも禁止と制限を加えているわけです。
俺はずっと「まあ水着撮影会なんて、ピアス空けるのと同じように中高生なら別にええやろ」と思っていたんですが(根拠は前の増田を参照)、どうもはてなでは「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」の行使は中高生にはまだ早い! という論調が支配的なようなので、中高生に対して「水着姿を他者に撮影させる」程度の自己決定権も行使させないのであれば、より年少の子役やら何やらは擁護できないよね? という話をしています。
15歳の子供に、「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」がないのであれば、10歳の子供に、「自分の演技やら何やらを全国のお茶の間に放映する自己決定権」があろうはずもない。
プライベートゾーンが隠れた状態での撮影なんて、セックスやらヌード撮影やらと違って自己決定権の行使に至るハードルは低くてよいはずなんですけど、どうもハードルを上げるべきというのが主流の意見らしいんですね。それが駄目なら、より低年齢の子供が演技を全国放送で公開するのも駄目でしょう? 15歳の子供が水着での撮影に同意できないというのなら、10歳の子供からTVに出る同意をどうやって調達できるというんですか?
禁止論者への反論に「じゃあ全て禁止にすれば」を使うのは個人的には悪筋だなと思ってる/表現の内容ではなく、本人が望まない事を強制される事を禁止しないと全ての人の自由は守れない/禁止は面倒くさがりの理屈
ええと、俺が問題にしているのはまさしく「本人が望まない事を強制される事」ですよ。
年少者の場合は、たとえ「はい」と言っていたとしても、それを真正な同意として扱ってはならない局面があるわけです(性交同意年齢ってそういうことですよね。子供側がいくら「セックスをしたい」と意思表示していたとしても、それ未満の年齢の子供とのセックスはレイプとして扱われる。あとはエホバの証人の子供が輸血を拒否したので救命できず死んだ事件とかも、今では問答無用で輸血すべきという話になっているはず)。それは、年少者には自律した判断をする能力がない(ということになっている)ので、パターナリズムで「お前らに重大な事柄への同意能力はない!」と決めつけているわけです。
15歳の子供に、水着を身に着けた状態での写真撮影程度のことを自己決定する能力がない、とみなすのであれば、それより年少者のドラマや映画への出演への同意なんてできないでしょ、実質的に無理強いでしょ、ってことです。
だからこれは表現の内容どうこうの問題じゃないんですよ。成人が同意の上で出てるAVは問題ないけど、俳優を拉致してきて撮影した健全ラブコメ作品はまったく許容できないですよね? 同様に、水着撮影会程度のことが駄目なら子役も駄目ってことにしないとね、っていう話です。
「子役は本人の意思確認の段取りとか含めてもっと手厚く保護されるべき」とかではなく、一足飛びに「禁止」とか言い出すのは釣りだからなのか短慮なのか「反対派ってそんなもんでしょ」なのか。
「水着撮影会に未成年が出演する場合は意思確認の段取りを厳格に」じゃなくて「水着撮影会に未成年を出すな!」っていうところまで一足飛びに求めていたのははてなーの皆さんだったと思うのですが……水着グラドルに対して急進的な規制を支持していた人たちが子役には微温的に対応しろって言い出してるのがわけわかんないんですよね。そこは急進的に禁止しようよ。
極論だと言うコメントもあるけど、私的記録ならともかく、当人が望まぬ公開記録を残されるケースを考えたら子役禁止はそれほど不自然な成り行きではないと思う。子役を残すのには理性的な論理武装は必要になりそう。
「別に演技の映像が残るくらいいいじゃん、減るもんじゃなしw」といって子役を認めるのも一つの選択肢です。実際、なにか減るか? と言われたらなにも減らないので。ただその場合、「別に水着の写真が」という理屈も認めないと整合性が取れないですけど。
自分で自分のことを決めた結果、別の選択肢を選んでおけばよかった、と後悔することはよくあるけど、自分の選択の帰結は基本的に自分で背負うべき。自由な自己決定というのはそういうこと。ただ、子供は判断能力が未熟なので、自己決定権を制限してあとで後悔する可能性を減らしているわけですね。
えっ!? 未成年の水着撮影会の問題は子供の自己決定権の話じゃなくて「子供の水着姿を愛好するお前らはキモい」という話だったんですか???
ヒップホップ?ラップ?は悪党の詩とStraight Outta Compotonの2曲しか聴いた事がなかった。
ギャングスタ系って言うのかね。ブラント巻いたりブン殴ったりの。
STUSとPUNPEEの「夜を使いはたして」を初めて聴いた。めっちゃ良かった。
イントロ長えな……と思うけど、メロウなトラックが始まると「お?」って思った。
内容は夜通し遊びまわっちゃうぜというだけのものなんだけど、表現がいちいち情緒的。
「夜を使いはたして」だもんな。まず曲名が良すぎる。
思春期に真夜中にフラフラ歩き回るのが好きだったし。というかと今でも全然好き。
ブンブン 唸るベースがブームになる けどお茶の間じゃLOWもカット
でもいつかのテレビ小僧もでっかいスピーカーの前で本物のRawを知り一人前になる
この曲一番のパンチラインなのかな。
クラブとか全然興味無かったけどちょっと行ってみたくなった。早く一人前になりてえ。
その前んとこの
作ろうとしないで作った曲を武器に日々戦うよ さあ繰り出そう
人気のない夜の先々に案とヒントは眠ってる
も良い。
どこで韻踏んでのとかはよく分からんけど、ネットの受け売りの日本語ラップはダサいみたいな認識が改まった。
いくつもの夜を使いはたしてこの曲が生まれたのなら、この曲に感動できたのなら、刹那的な時間も磨り減った寿命も無駄にはならなかったんじゃないかって思えたね。
キスマイを好きになったのは、美男ですね(再放送)にはまったのがきっかけで、学校のキスマイファンのギャルに話したら、キスブサの録画やらライブDVDやらをわんさか貸してくれて、気づいたらもうどっぷりキスマイの沼にはまってて。
それがちょうどビギナーズ!が始まって、WANNA BEEEE‼︎!が出た頃だったと思う。
あの頃って(少なくともわたしの周りでは)キスマイファンはほぼいなくて、友達に「キスマイ好きでさー」とか言うと、「こんなにいろんなグループある中でなんでわざわざキスマイ!?」って言われたぐらいだった。
中堅グループになって紅白も出て、冠番組もいくつかあって、個人仕事もそれぞれあって、ほんとにすごいところまで来たと思うんだよな。
ファンの贔屓目もあるから、お茶の間から見た印象は分からないけど。
ファンから見えてる部分なんかたかが知れてるし、その部分だけじゃ関係性は完全には窺い知れないし。
そもそもキスマイに対してめっちゃ仲良いとは思ったことないしな。あくまで付き合いの長い仕事仲間みたいな、プライベートで頻繁に遊んだりはしないんだろうなみたいな、そんな感じ。別にそれでいいと思うし。
全部ひっくるめて7人全員が好きで、キスマイが好きなので。
まあただグループ全体として、もうちょっと北山くんを大事にしてあげてほしかったなっていう気持ちはちょっとあるかな。不憫に思う場面も多々あったし。
ラストライブしてほしかったな、去年のライブが7人揃ったキスマイを見られる最後のライブだとは思わなかったなっていう気持ちはめちゃくちゃあるけど、これが最後って分かってるライブなんか楽しんで観れないだろうな。涙で前見えないだろうな。
不祥事みたいな悪い辞め方じゃないし、事務所の理不尽さを感じる辞め方でもないから、それが救いではあるけど、でもそれが逆に、本人はすごいすっきりしてるような、もう先を見ててキスマイには未練がなさそうな感じが、どうしようもなく寂しい。
アイドルの北山宏光、キスマイの北山宏光を見られなくなるのも、今後のキスマイの曲から北山くんの声がなくなって、キスマイ北山としてのソロ曲が聴けなくなるのも、北山くんがいないキスマイを見るのも、何もかもとてつもなく寂しい。
なんかほんとに、ただ7分の1が欠ける感覚じゃないよね。グループの核がなくなるような、グループの半分以上を持っていかれるような、なんか取り残されて置いていかれるような、そんな気持ち。
誰が抜けても痛いけど、他の誰でもない北山くんが抜けるのが1番痛い。
間違いなくキスマイへの愛が1番深くて、ずっとキスマイを引っ張ってきた人が、キスマイを辞めようと思うことになる何かがあったのが悲しい。
聞きたいこといっぱいあるな。
いつから、どのタイミングで、何が理由で卒業しようと思ったのか。
6人はいつから知っていて、どんな気持ちで受け止めて、どんな流れでグループは存続することにしたのか。
建前じゃなくてほんとの気持ちを聞いてみたいな。
「いつから」が1番気になるかもしれない。
MCを宮っちに任せて、ライブ演出をニカちゃんに任せていってたのが、いつか自分が抜けるのを考えてのことだとしたら、かなり前から考えてたんじゃないかとも思っちゃうけど。
どの時点から考えてたとしても、「こいつらとならどこまでもいけんじゃないかって」とか、「誰一人欠けてもうまくいかなくなるんじゃない?」とか、「個人仕事もグループのためにやってる。みんなそうだと思うよ。自分のことだけ考えちゃったらバラバラになっちゃう。」とか、他にもいっぱいあるけど、そういう言葉は、少なくとも言ったその時点では、全部本心からの言葉だったと信じたいな。
と、玉森担らしからぬ文章になってきたけど。もともと玉ちゃんの次に北山くんが好きだもんな。
ミューコロ(だったと思う)のライブで、初めてアリーナ席で、玉ちゃんは素通りしていくだけの塩対応な中、一緒に行った北山担の友達に北山くんがファンサくれて、隣でわたしまで腰砕けそうになったのを覚えてる。
ソロ曲の中だと「灰になる前に」が1番好きだな。ほんっとにかっこいい。
今やミュージカル鑑賞が趣味になったわたしがミュージカルにはまったきっかけも北山くんが出てた「愛の唄を歌おう」。めちゃくちゃ良かったんだよな。円盤化されてないのがほんとに惜しい。
1週間ぐらい仕事休んで、ライブDVDをKis-My-Ftに逢えるde Showから順番に全部観たり、カラオケにこもってキスマイの曲上から全部歌ったりして浸りたいな。めちゃくちゃ泣いちゃうだろうけど。
もう決まったことだしな。本人が考えて、6人とも話し合って決めたことだしな。応援する一択だよな。
北山くんが今までがんばってきたことは正しくて、キスマイへの愛も、キスマイファンへの愛も、ちゃんとみんなに伝わってるよ、あなためちゃくちゃ愛されてるよって、北山くんに伝えたい。
キスマイのためにがんばってきてくれてありがとう。これからは自分のことを1番に考えてがんばってね。今までもこれからも大好きです。
8月末まで、7人のキスマイと、キスマイの北山くんを目に焼き付ける。
9月からは、しばらくは寂しくて半泣きだろうけど、北山くん個人の活動も、玉ちゃんも、6人のキスマイも、追いかける。応援する。
残る6人と、残されたキスマイが、一人ひとりが望む形で活躍できますように。
そして何より、北山くんの第2の人生が幸せでありますように。願わくはわたしたちから見えるところにいてくれたらうれしいな。
(俳優業するんだよね!?曲も作ってるんだよね!?楽しみにしてるよ!!!できれば9月入ってすぐ発表してほしいよ!!!そんなに待てないよ!!!)
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?
自分は子供の頃からスマスマとかラブラブ愛してるとか学校へ行こうを見たりとか、大晦日はカウントダウンコンサートをテレビで見たりとかするジャニーズのいわゆるお茶の間ファンだった。
最近のグループのメンバーとかは把握できてないけど関ジャニ辺りまでは把握しているつもり。
ジャニー喜多川の性犯罪疑惑は15年前くらいにネットで見て知った。裁判で事実認定されてるとか、元ジャニーズによる告発本が出てるとか。
でも「昔はそういう事をたまにしていたのか?」とか(ほんとはたまにでも1回でもダメだけど…)、今はやめたんだろう、とか思ってたんだよな。
だって、ジャニーズタレントによるジャニーさんの面白エピソードトークから伺い知れる愛されっぷりから、話しているタレントが被害者だとは、思えなかったんだよなぁ…
でも今の告発されようからすると、ほぼ全員被害者なんだろうか。
わざわざ個人名を出すのはよくないと思うけども、森田剛とか、長瀬とか、キンキの2人とか、大野くんとか、赤西とか(すぐ辞めてるけど)、嫌な目に遭ったら即ジャニーズ辞めそうなイメージなんやけども…コアなファンではないので実際の性格は知らんけども、あくまでイメージ…未だにこの辺は被害に遭わなかったのでは?と思っちゃうんだが…
そんで皆散々ジャニーさんへの尊敬をアピールしてたけど、あれ何やったん?
なんか盛大に葬式だかなんだかやってたし亡くなる前には大挙してお見舞いに駆け付けてたよな…?
被害に遭ったからこそ加害者を皆で崇拝するようなあれだったんか…?俺は可哀想じゃない、選ばれたんだって…?
全然わからない。田口くんとかYouTubeで大暴露とかしないかしら?(元KAT-TUNで大麻で辞めた人ね)
【以下追記】
・ただのキャラ付けだろ?作り話だろ?
確かにその通りだわ。自分30代半ば女だが、30代半ば男がアイドルについて「〇〇ちゃんはそんな性格じゃない」とか言ってたらこいつ馬鹿か?と確かに思う…バラエティでたくさん見てなんとなく人となりを知った気になってしまっていた。だからって全部が嘘だとかも思わないけど。バラエティ見て馬鹿の一つ覚えみたいに「全部やらせ」とかTwitterに書いてるのもあれはあれでバカだと思うから。
ジャニーの醜聞が出てそれを打ち消すために事務所指示でジャニー面白トークをしてたって?やっぱそんな風に思えないんだが…ネット民の大好きなTOKIOもよくジャニーさんネタで喋ってたよね…?いや、これもイメージでしかないけど多分喋ってたよね…?事務所は家族だからそういうもんと言われたらそうなのか…?
・ただの視聴者のお前がなんで被害に遭ってないと思うとか書けるのか?傲慢すぎ。セカンドレイプになると分からないのか?
分かってます。ただのゲスの極みの疑問を増田に書いてます。ごめんなさい…
確かにちょっと忘れてた。あの会社は異常な会社。普通に考えて理解できる訳がない。まず常識が通用しないしマスコミへの尋常じゃない圧力を持っていた。
そもそも今と昔ではハラスメントへの認識が全然違う。昔は職場で尻を触られたくらいで文句言うな、くらいの感じだったらしいし。世の中がそんな感じなのに、更に特殊な芸能界に放り込まれた若者について、今の倫理観やら常識であーだこーだ言うのはクソだと思う。被害者が被害を訴えるハードルも今よりもめちゃくちゃ高かった。男性同士だと尚更。
ただとにかくジャニーはクソ。