2023-09-02

多様性と人に与えられている役割

お茶の間テレビでは一般的に広まっている美の基準とはかけ離れているような女性お笑い芸人が出ている。

女性お笑い芸人はなぜ容姿が美しいといわれる人が少ないのか。

なぜ太っている人が目立つのか。多分、深層心理で見下して笑っている人が多いからだろう。

アイドルでも、その中で所謂ブサイクと言われている人たちは、ネタ枠に入らざるを得なくなるのか

道化師役として度々番組に出演する。

美系をもてはやし、不細工はその引き立て役で

不細工で愛想悪いのは許されない。

その環境の中、結果ピエロにならざるをえない。

全然笑えない。

顔で受け入れられないなら、キャラクター勝負するという戦略だろうか。

多様性はいったい。

多様性多様性という割に、映画ドラマは美形で同じ役者ばかりだ。同じ音楽ばかりだ。

世間ピエロを求める。

何様なのだろう。

自分らしくなんて誰も本気で言っていないのではないか

草彅剛が出演するドラマ映画は、パッとしないような役者陣で周囲が固められる。

顔が派手じゃないからだ。

人は劇中の役割の中に、あてはめられていく。

世間に、役割をあてはめられていく。

あなたが輝ける場所がきっとある!」

という、どこかで聞いた事のあるキャッチコピー

それは、社会構造の中で、与えられた役割の中だけの話である

誰もが主人公、なわけないのである

自分らしくって本気で思ってる人いるの?聞こえてますか。

「輝ける、輝いている」それは主観

自分立ち位置を正しく認識し、全てを諦めないと、そんな風に思えないだろう。

大人になるということは、色々なことを諦めるということ?

諦めるのはダサいが、それをダサいと認めてしまうと

スポーツ選手になりたい人」が相対的絶対的能力を正しく認識することができなくなり

諦めない!とずっとスポーツ一点集中し、身体を壊しても、ずっとずっと走り続けなければならなくなる。

社会の中での自分立ち位置を正しく認識した「大人」は、社会の求められている「像」を演じるようになる。

世間の言う「自分らしさ」なんてそんなものなんだろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん