はてなキーワード: 敵役とは
・はじめに
スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。
クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語を客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。
自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます。題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想を否定する気は毛頭ありません。
あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。
後、誤字脱字も多いと思いますが許して。
・ 鍾嵐珠(ランジュ)について
19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。
最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女の役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会の自由を奪い、主人公を蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。
しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データも存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。
現在、彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。
同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである。彼女も個人的な感情で同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会のメンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなたや同窓会のメンバーと交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。
対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。
一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女はプロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。
だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める。
・果林の選択について
20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉に一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分の推しがシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会のメンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。
特に果林は同好会ノメンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロの技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。
元々、彼女は読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位を確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生から話しかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である。
そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲にスキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会のメンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。
彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやすい人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷な選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやすい彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。
・エマの怒りについて
果林がある種、大人の選択をしたこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさからは想像できない、怒気を孕んだ言葉で対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころはボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。
だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身のステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人のキャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいるものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性を否定するということである。自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。
20章はとにかく重たい話だった。残った同好会のメンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。
反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ、何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターがかすみであったことが大きい。
かすみというキャラは自身を全肯定している。それは「自分はかわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女がアピールするのはあくまで自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグのオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。
だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。
だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女はライブをやり遂げる。
そのかすみの姿に、しずくは可能性を見出す。演出も技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみのライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。
その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会のメンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。
果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要なポジションだと思う。
ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンにライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。
だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドル”なのだ。
残った同好会ノメンバーやプレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。
μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqoursは時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。
ならばニジガクは?
ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女の姿勢はスクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。
20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみのライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。
正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である。
何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかないかな……。
流行ってるアニメってことは知っていたけど何の話かは全然知らなかった。
見たら流れはすぐわかった。人間が鬼を殺す話。だから鬼滅の刃って名前なんだね。
昨日の話は、敵役のキャラクターが子供の頃病弱を理由に親に殺されそうになって、それ以来人間不信になって殺人しまくるみたいな話だった。親も殺した。
そんな殺人鬼を主人公が成敗して殺すんだけど、死ぬ瞬間に鬼は「俺は誰からも愛されなかった」と絶望する。
しかし同時に親の幻が浮かんできて「私たち両親はお前と一緒に地獄に行ってやるよ」とメッセージをもらう。
初めて見たから話は理解できてない部分があるかもしれへんけど涙が出てきた。
何て素晴らしい親だ。感銘を受けた。学ぶべきことしかなかった。
物語の一つのテーマとして「絆」というのがあったけど、昨日の話では実に緻密に親子の絆が描写されていた。
もしも自分の子供が人を殺したらどんな風にしたらいいか分からないと思う。正解はこれなんだな、と。
昨日の話は長かったけど、もうちょっと短くして道徳の教科書に載ってそうな感じ。
そして、人を殺したら絶対に罰を喰らうぞと。それは自分の命をもって償うことになる。
自分は強いつもりでも世間にはもっと力を持っている人がいて、その人たちが命がけで自分を狙いに来る。逃げきれない。
10年ほど遊戯王のかなりマイナーな分野を探求してきた者です。元々はアニメ2作目の最終盤をみて、そのなかのCMであった遊戯王オンラインにハマったのがすべてのきっかけでしたね。そこからシンクロモンスターをテーマにした5D'sとZexalと来て、たどり着いたのがかの有名なArc-Vです。記憶を掘り出しているのでかなり偏りがありますが、思い出補正込みで書いていきます。
さて、この作品は賛否両論どころか、おそらく日本の糞アニメ史上の末席を汚すような作品です。遊戯王OCGという列車を運ぶ車輪の一部でありながら、その実態はとうもろこしのようにグズグズな有様です。ですがそこらのアニメ作品とは一線を画すのは、その尺の長さに加えて「主人公以外が素晴らしい」という点でしょう。脚本全体が酷いのですが、なぜか主人公に関連しないところばかりに光るものがあります。にもかかわらず、その逸材達がことごとく主人公にとっては噛ませ犬であったりするため、酷評に至っていると思われます。そのアンバランスさが、同時期に放映されていた鉄血との相乗効果も相まって、実に刺激的です。
主人公の榊遊矢(以下、遊矢)はデュエリストとしてはとても平凡な少年。彼は行方不明になった一流デュエリストの父親の言葉を受け継ぎ「エンタメデュエル」なるものを心情としている。ある日、彼は謎の力「ペンデュラム召喚」を身につける。それはその世界の誰も知らない召喚方法で、未知のカードで構成されていた。彼はその力と仲間と共に4つの世界を渡る旅に出る。
このアニメでは、過去作品のリメイクカードや召喚方法、スターシステムを採用しています。正直これでコケること自体が難しいのですが、それでもコケました。
この作品の最大の売りにして最大の失敗は、遊戯王OCGで採用されたペンデュラム召喚そのものだと思います。遊戯王ではアニメの新シリーズが出るたびに新しい召喚方法が登場しますが、中でもこのペンデュラム召喚は曲者です。
簡単に言えば「どんどんモンスターを手札やエクストラから出す」というものです。制約はありますが、後半は主人公補正でほぼ無双状態。
ただでさえ何をしているのかさっぱりわからない遊戯王で、このペンデュラムは本気でよくわからない。モンスターが魔法カードになるとかエクストラから出てくるとか、OCGをちゃんと理解していないと多分無理でしょう。それにカードの絵柄がごちゃごちゃしているので本気で見ずらい。視聴者の中には、最後までペンデュラムが何なのかわからない人もいることでしょう。まあそれは過去作品も似ていますが。
最終的に他の召喚方法と比較してペンデュラムを持ち上げようとした結果、単なる無双状態を引き起こしたあげく、他の召喚方法ででかいモンスターだすだけのよくわからない戦い方となってます。別に面白いとは思えませんが。
この作品の価値低下を最大限補助しているのが、よりにもよって主人公とは。声優の演技力が低いとかではありません。むしろちゃんとしているから困るんです。
主人公の遊矢は「エンタメデュエリスト」を自称しています。彼いわく、「デュエルで笑顔に」が心情です。この言葉、100回は聞きます。そして一度たりとも実行されたことはありません。
遊矢のいうエンタメデュエルとは、どうやら華やかな演出による楽しいデュエルらしいのです。全員ボコボコにするだけですけどね。
前述のペンデュラム召喚は遊矢が得意とする戦法ですが、これはモンスターの大量召喚を可能します。そこから各種の強力なモンスターへと繋げるのが遊矢のスタイルなのですが、別に笑顔にする要素なんてありません。視聴者にとってのみ新カードのお披露目があって嬉しいとは思います。しかし対戦相手からすると大量のモンスターがでてきて、さらに極悪なモンスターで壊滅させられるという経験をするのみ。エンタメを自称するためか遊矢は「レディース&ジェントルメン」と声高に叫んでから、えげつない展開をするのですが、視聴者にとっては「これから対戦相手をフルボッコにします」としか聞こえません。
例えば、敵役として登場した融合次元のエド(GXの人気キャラ)に対しても似たようなことを叫びながらフルボッコにして、なぜか負けたエドは遊矢のデュエルに楽しさを覚えた様子で改心してしまいます。視聴者からしてみればこのデュエルのどこに感銘を受けるのか、皆目検討がつきません。素晴らしい展開とか考えつくされた伏線とか、驚きの勝利方法とか。そんなのではなく「力こそパワー」で殴ってくるだけの遊矢に共感する人っていたんでしょうか?
あと、度々登場する父親との思い出の「スマイル」(?記憶おぼろげ)というカード。実際なんの意味もないカードです。使う場面も限られるし、使っても意味がないことが殆ど。でも遊矢はたまに使いますし、スマイルが切り札のような雰囲気を出します。でもなんの価値もないカードなんです。演出目的としても不自然すぎて気持ち悪い。
この作品では実態を持つフィールドを生成して行われるアクションデュエルが多用されます。まあそれがどうでもいい。ようは街なかに溶岩が出現したりするんですが、別にそれがなにかおもしろいわけではない。確かに空中を移動したりする要素はあっても、面白いとはいえない。作品の骨子の一つであるのに、その要素が殆ど生かされていない。5D'sのライディングデュエルとは正反対なんです。その中でも特に不評なのはアクションカード。
アクションカードはフィールド上に無作為に落ちているカードで、拾った人が誰でも使用可能。大抵はダメージ軽減の「回避」です。そしてそれを最も多用するのが主人公の遊矢。
遊矢の切り札はほぼこの回避です。ただ落ちているカードを拾うだけ。それまでの主人公にあった、あっと驚く回避方法はありません。
「ちゅどーん」
こればっかり。面白さを心情とする主人公が、劣勢では常にワンパターン。なにこれ?ちなみにこのシーンは本当に飽きるほど出てきます。というか遊矢のデュエルでこれがない回はあまりありません。ようは勝ち筋がなく、その場しのぎでしかないデッキと脚本なんです。
恐ろしいことに主人公が直接絡まないデュエルはめちゃくちゃ面白い。そのデュエルを盛り上げる登場人物も個性豊かで際立っています。
主人公が何考えているのかわかりませんが、それ以外はちゃんと自分のスタイルが存在します。黒崎は復讐と妹のため。社長は世界を救うため。権現坂は仲間のため。ジャックは王者であるため。
例えばジャック・アトラス。5D'sでは主人公のライバルであり天然な面もありますが、今作では一貫して王者です。主人公の遊矢が「自称エンタメデュエリスト」であるのに対し、彼のデュエルは本気で面白い。「キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない」という台詞がありますが、全くぶれない。遊矢と似て圧倒的な力で対戦相手をねじ伏せるスタイルであるにも関わらず、付け焼き刃ではないきちんとした王道を行きます。デッキ自体が自分の象徴であるレッドデーモンズを中心に組まれており、それを展開しつつ防御や攻撃を丁寧に処理していきます。大げさな演出も含め、ちゃんとデュエルできる数少ない逸材です。
ジャックVSセルゲイとかいいですよね。ジャックの堂々としたデュエルと、セルゲイの偏執的なまでの美学がぶつかります。自分が一番、自分が勝ちたい、絶対に負けない。そういう自我がはっきりした同士がきちんとデュエルして勝敗を喫するという、ひどく一般的な構図が、この作品には殆どありません。それが叶う場面が時々あるから評価が難しいんです。
まあ基本的にその全てが遊矢にとっての噛ませ犬でしかないので、最高の材料を使って泥団子を食べている雰囲気を味わうのには最適です。
酷い脚本だって短い期間なら許せるものです。でもこのアニメは3年間続きました。アホみたいな脚本に3年間です。それに付き合った自分はもっと馬鹿ですね。
最初の2クールで異世界に行く人員を選別する予選みたいなものが行われますが、これがムダに長い。こんな2クールかける意義が全然わからないほど内容が薄っぺら。そしてシンクロ次元編が異様に長い。まあこれは監督やスタッフが元々5D's作っていた関係なんですが、それにしても長い。おかげで融合やエクシーズが薄い薄い。融合次元が敵の総本山なのに、結局尺が足りないのか飛び飛びな印象でしかないんです。
最終的に遊矢は世界の敵として君臨します。ペンデュラム自体が忌むべき存在だったというオチですが、アニメの質も同時に呪われていました。
ただ、主人公が悪になってしまう経緯ってもっとキチンとしてほしいんですが、当然この作品にそれを望むことはできませんでした。各種の伏線はあるものの、遊矢の戦いが世界を救うための行いという側面があってこその悪堕ちなわけです。はっきりいえば遊矢は声のでかいだけのモブ。それが悪堕ちしても虚無感しかありません。
主人公としての信念は他人の言葉をただ繰り返すだけ。中身が本当にないんです。しかもそれを劇中のジャック・アトラスから「誰かからの借り物の言葉でデュエルをするな」と言われている。いや本当に視聴者が思っていることをずばっといってくれるキングです。素晴らしい。そう、作品自体が遊矢を主人公と認めていないんです。にもかかわらず遊矢は一切成長することなくそのまま悪堕ちします。成長した末にではありません。なんとなくです。
本当に何がしたい作品なのか見当がつきません。
まあ他にも、顔がそっくりではないそっくりキャラとか、悪役としては随分小物なハゲオヤジとか、同時期放映の鉄血でも散々な社長役だった細谷さんとか。ツッコミどころ満載ですが、そこそこ面白い作品ですよ。Arc-V。
anond:20201008200533 anond:20201009122304 anond:20201009122752
に続いて備忘録として2017年に見ていたアニメのタイトルを簡単な感想と一緒に50音順に書き記してみたい。書き切れなかった分はanond:20201011104010に続く。
谷口悟朗監督と黒田洋介氏の名コンビが送る少し変わり種のロボットアニメ。人間がロボットに乗るのではなく、人間の精神をロボットに転送させるタイプの作品。主人公イドさんの名前はID-0から来ている。
「宇宙空間で音が出ない」とか、いかにもSF作品っぽい描写が面白かった。 興津和幸さんと緑川光さんと子安武人さんが一つの人間の肉体を奪い合ったり、終盤は声優さん的に徐々に奇妙な冒険が起きそうだった。
鉄腕アトムの前日譚的な作品のアニメ化作品。若い頃の天馬博士とお茶の水博士が一緒にロボットを作ってロボットを戦わせる大会に参加させる話だったと思う。A106という主役機が後のアトムの原型になったんだろうか。
話は中途半端な所で終わった気がするけど「鉄腕アトムの過去に実はこういう事があったんだよ」という話ならむしろこの先どうなるのか気になるくらいの場所で終わって良かったのかもしれない。
甘酸っぱい恋愛物。これぞ鈴村健一さんの本骨頂!というくらい主人公のキャラクターに鈴村さんの声と演技がハマっていた事を今でもとてもよく覚えている。声優さんが歌う爽やかな主題歌も良い感じですよ。
ライトノベル作家達が集まってだらだらとテーブルゲームを遊んでいるようなそんな作品だった気がする。ゆったりと落ち着いた気分で見れるので好きだった。
もし自分が書いたライトノベルが適当にアニメ化されたらどうする?というメタ的な話にはこんな事ラノベ原作アニメで言っていいのかな…と驚かされた。
直球なタイトルに惹かれて見始めた。俺の妹がこんなに可愛いわけがないのコンビが手掛けるライトノベルのアニメ化作品なんだとか。タイトル通り少しはエッチな要素があった事が嬉しかった記憶がある。
EDで跳ねる妹ちゃんが可愛かった。結構人気はありそうに思った二期はまだなんだろうか?前作の実妹ヒロインが不評だったのか今作は義妹ヒロインだった。主人公がラノベ作家なので妹さえいればいい。と少し被ってると思ってた。
前作から2年近く経っての二期。少しブームが過ぎている気がしたけど、それでも人気はあったらしい。実松さんとか暗いけど好きだったなぁ。
ネットでは二期の内容は一期に比べて不評のような印象があるけど、個人的にはカラ松いじめなどが少なくなった分一期より見易かったような記憶がある。もう3~4年前のアニメという事で内容は殆ど覚えていない事が悲しい。
鬼平犯科帳のアニメ化作品らしい。主人公長谷川平蔵さんの声が堀内賢雄さんという事で、僕の中で少しジョーカー・ゲームと被った。どちらも渋くて内容的に大人向けな所は似ていると思う。
ED主題歌は「これは本当にTVアニメの曲だろうか?」と疑問に思うほど渋い雰囲気の歌謡曲だった。お話はほろりと泣ける人情話もあれば、後味の悪い暗い話もあった気がする。何となくご年配の方にも人気がある印象がある。
大人気ライトノベルキノの旅のTVアニメ第二作。悠木碧さんは本当にボーイッシュなキャラの演技が上手いなぁと唸らされる。内容はほぼ原作から抜粋したエピソードをアニメ化出来ていると言っても良いんだろうか?
OPがサビで「キノの旅」という単語を歌っている事にはニヤリとさせられた。キノの旅の原作小説についてはあまり詳しくないけれど、「アニメなあとがきの国」という話にはよくやってくれたなぁと感心させられた。
主題歌がもうビックリするくらい良い曲で驚いたアニメ。ミステリーボニータという秋田書店の少女漫画雑誌で連載されている漫画が原作らしい。キャラクターデザインも可愛らしくて好きだった。
話は原作が未完という事で尻切れトンボな感じで一旦終わってしまった。原作が完結した際にはもう一度アニメ化されるのだろうか?素直にアニメの続きが知りたければ原作漫画を買った方が良いのかもしれない。
これは絶対エッチなアニメに違いない!と思い続けて見続けたけど、1話以外はそこまでエッチでもないまま終わってしまったような印象があるアニメ。どちらかといえばドロドロした四角関係がメインの作品?
あくまで個人的な好みの話だけれど、主人公が内心惚れている鳴海お兄ちゃんという眼鏡のお兄ちゃんが僕のドストライクなキャラだった。これで声が野島健児さんなんだから本当に堪らない。ああいうキャラ好きなんだよなぁ、と思う。
ゲーマー達が集まって自分の価値観をぶつけ合うような作品だった気がする。主人公の声が潘めぐみさんだった事に驚いた。最近女性声優が男子高校生の声を担当する事が少ないような気がしているけど、気のせいかもしれない。
ゲームの話もしていたけどこれも「誰が誰を好きなのか」という話で結構ドロドロとしていた気がする。ゲームについて熱く語り合える友人が居る人は本当に幸せだと思う。
大人気アニメの続編。1期の監督だった松本理恵さんはEDの絵コンテと演出を担当していたけどこれまたお洒落で良い感じだった。鈴村健一さんと坂本真綾さんがとあるエピソードで共演されていた事が印象深い。
1期でアニメ化されなかったエピソードなども含めて原作を最後までアニメ化してくれた事はファンとして嬉しかった。原作ストックが溜まればすぐにでも三期をやるんだろうなぁという気がしている。とある執事の電撃作戦の回が特に好き。
本放送時は1話で脱落して、その後再放送で改めて見たところやっぱり評判通り面白いなぁと思った。
田村睦心さんのボーイッシュな女性役って本当に良いなぁ…と思ったアニメ。面白いとは思ったけど世界規模で尋常ではない高い人気を誇ると聞いてビックリした。
魅力的なキャラクター達が出てくるのでその中で二人でも好きになればそのまま最後まで楽しめる作品だと思った。滝谷くんとファフニールさんとかいかにも女性ファン受けが良さそう。女性陣も皆可愛い。
最遊記って今でもアニメやってるのか凄いな…と思った作品。声優さん達も幻想魔伝 最遊記の頃からお変わりなく嬉しかった。このアニメも主題歌が本当に良いんですよ、GRANRODEOもラックライフも曲がカッコ良くて素敵。
クロムクロのP.A.WORKS製作という事で見てみたら意外と面白くてハマったアニメ。都会で就活に失敗した女の子が田舎で観光大使として村興しを頑張るような話だった気がする。
主題歌がOPもEDも本当に良い曲でそれでこのアニメを見続けようと思った覚えがある。P.A.WORKS作品らしくキャラクターが可愛かったのも非常にGood。色んな人の悩みが徐々に解決していくお話も面白かったと思う。
最終回で綺麗に纏まったのできっと続編は作られないだろうけど、それでもその後の話が見てみたいなぁとも思うそんな作品。好きでした。ところでサンダルさんって何か意味ありげな外人さんは結局何だったんだろう…。
かのスタン・リー氏も関わるアメコミ作品っぽい雰囲気のアニメ。劇中歌の「SKY SHOW」が本当に良い曲なので、この曲聴きたさに見ていた所もあったと思う。
謎めいた主人公の正体とその能力が明かされた時はなるほどなぁ、そりゃ強いよなぁ…と思った。いかにも続編がありそうな中途半端な終わり方だったけど、きっといつか続編が作られるんじゃないかな…とこっそり思っている。
西尾維新先生の小説がアニメ化した作品。十二支をモチーフにした戦士達がたった一つどんな事でも願いを叶えてもらう権利をかけて戦うバトルロワイアル物。内容も主題歌も厨二心にビンビン響く感じで好きだった。
勘が良い人は2話くらいにはこの先どの戦士がどの順番で脱落するのか察せられたと思う。誰が脱落するか予め分かっていても「こんなに強い奴がどうやって脱落するんだろう?」と先が読めない展開でとても面白かった。
最近のアニメにもかかわらずベテランの西村朋紘さんがレギュラーで出演されているのが珍しいと放送当時思っていた。バトルロワイアルの後日談を描いた最終話はそれだけで一本の短編作品としても楽しめる内容だったと思う。
史上最年少で将軍となった少年マフムート・パシャが勢力を拡大する帝国と戦うために様々な国へ赴き協力を取り付けようと頑張るアニメ。トルコなどでは将軍の事を「パシャ」と呼ぶ事をこのアニメで初めて知りました。
アルスラーン戦記のようなアニメに飢えていた時に出会い勿論こちらにもドハマリした作品。漫画の連載は荒川弘版アルスラーン戦記よりこちらの方が早かったらしい。中東っぽい雰囲気のアニメが2年連続で楽しめて嬉しかった。
名探偵コナン以外のTVアニメで緒方賢一さんの声が聴けたのが珍しいなと思った。原作が連載中なのでアニメも良い所で終わってしまったけれど、その内続編は作られるのだろうか。一期のEDが曲も絵もとても美しく優雅だった。
爆発的なヒットを記録した大人気アニメの二期。前作から四年も経ってるし流石にブームも去ったんじゃないだろうかと思っていたらそんな事は無くやっぱり大人気だった作品。現在四期の製作も決まっている。
この二期が放送される前にNHKで一期の総集編である劇場版を放送していた気がする。そのお陰で一期を見ていなかった僕でもすんなりとお話を理解出来た。アクションもカッコ良く流石大ヒットしただけあって面白いアニメだと思う。
オリジナル恋愛アニメ。この手の作品って主役の二人が恋仲になるまで時間がかかるんだよなぁ…と思って見ていたら何と2話くらいにはもうお互いが好き好きオーラを出しまくっててビックリした作品。告白までもあっと言う間だった。
すぐにくっ付いてじゃあここから先はこの二人のイチャイチャが見られるんだな!と思ったら、この二人がクラスの人気者二人にそれぞれ想いを寄せられていて恋仲を引き裂かれたり略奪されるんじゃないか…と最後までひやひやしていた。
主役の男の子に横恋慕していた子は主役の女の子の友達で、人の持っている物を悪気なく欲しがるあると公式で言われているのが本当に怖かった。最悪振られた腹いせにいじめに発展するんじゃないかと本気で心配だった。
かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜の藤原書記役で大人気の小原好美さんはこの作品くらいから名前をよく見るようになった気がする。魔法陣グルグルのククリもそうだけどキャラに声がハマっていたと思う。
亜人の佐藤さんが出てくるアニメ。亜人ちゃんと書いてデミちゃんと読む事に中々慣れなかった。モン娘アニメかと思ってエッチな要素に期待しながら見たら、心優しい先生と悩みを抱えた女子高生の心の交流がメインの作品だった。
この作品の数少ない露骨なエッチ要素はやはり亜人の佐藤さんだと思う。このアニメをそういう目で見るのは間違っているような気もする。それでも亜人の佐藤さんの白水着は素直にエロかったと言いたいです。
確か小学生の女の子達がバンドで演奏しているアニメだったと思う。大川透さんが出演されていて意外に感じた覚えがある。内容はよく覚えていないけど最後まで楽しんで見ていた記憶はある作品。
個人的に2017年で一番楽しんで見ていた作品。人型ロボットに変形する機能のある大型車両に乗った小学生達が数々の災害に巻き込まれた人達を力を合わせて救助していく作品。合言葉は「ゴー、レスキュー!」
初めの内はロボットアニメなのに敵らしい敵が居らず主人公が毎回災害現場で救助活動ばかりしている事を退屈に思っていたけれど、見続けている内にそれこそドライブヘッドの良さだと思うようになった。今でも大好きな作品。
番組の中盤から敵役が現れるようになり終盤敵ロボットとの激しい戦いが繰り広げられた。番組が始まった時は戦闘を望んでいた筈なのに、作風に慣れてからは戦いより人助けのお話の方を見たいと思うようになっていたのが不思議。
このアニメに登場するヒロイン石野ミコトちゃんはホビーアニメ作品に登場する少女の中でもトップクラスの可愛さだと僕は思っている。あの大ヒットアニメシンカリオンの前番組だけど影は薄い気がする。映画では共演していたけど。
異世界ファンタジーロボットアニメ。交通事故で亡くなったロボット大好きエリートプログラマーがロボットが存在する異世界に転生して自分好みのロボットを作りまくるというお話。ロボアニメファンからの評価がとても高かった印象が残る。
型落ちの旧式機で巨大な魔獣を倒すという偉業を成し遂げた主人公・エル君はガンダムで例えると旧ザクでνガンダムやサザビーを倒したような物という例えを放送当時聞いた気がする。あのジャイアントキリングは本当に燃えました。
番組の終盤でOPがSE入りになるなど過去のロボットアニメへのオマージュもあった気がする。原作ファンからは駆け足過ぎて原作の良さを活かせてないと言われていた気がする。それでもアニメだけでも楽しめる内容だったと思う。
主人公エル君が生まれ育ったフレメヴィーラ王国がエル君の発明もあってあまりに強すぎたせいで敵役のジャロウデク王国が一方にボコボコにされて良い所無しだったのは敵ながら可哀想と思った覚えがある。圧勝ではないかエル君は。
女性向けミステリーアニメ?かと思ったら謎が解明するパートにあっと驚く展開にビックリした作品。菊地秀行先生のエイリアンシリーズや皆川亮二先生のスプリガンに近い物を感じて楽しかった。主題歌もカッコ良く今でも覚えてます。
何だか雰囲気が暗いし面白いのか分からないけどとりあえず謎が明かされるまで見てみよう…と思いながら見ていたけど、途中で見るのを止めなくて本当に良かったと思うくらい面白かった。トンデモ伝奇ミステリー。
Fateシリーズ外伝小説のアニメ化作品。何人かのサーヴァントはこのアニメが放送される前にFGOへ参戦していたのでそこからこのアニメに触れてキャラの性格にギャップを感じた人も居たらしい。
僕は原作の1巻を読んでいたけど、アニメは小説から変更されている所も結構あるなと思った。それでも大まかな流れは原作通りらしい。1巻から先の展開を知らないので新鮮な気持ちで楽しめた。
よくufotable版のFateと作画を比較されて叩かれていたけど、英霊達の超人染みた身体能力はケレン味のある描写で表現出来ていたんじゃないかと思う。批判も多かったけど最後まで楽しめたので個人的には中々好きなアニメ。
武装した女の子達が牛耳る学園に武術の達人である男の子が転向してきて一波乱起こるという話だった気がする。メインヒロインっぽい仮面付けた女の子が可愛かった記憶がある。盲目の子も居た気がする。
週刊少年ジャンプで連載中の少年漫画をTVアニメ化した作品。放送開始がもう3年も前とか信じがたいけどこれまで主題歌が変わった回数を冷静に考えればそんな物なんだろうな…という気もする。時間が経つのが早くて怖い。
魔法が存在する世界で落ちこぼれの主人公とその親友の天才が国で一番偉い魔法使いを目指して頑張るお話。一昔前で言う所のNARUTO的な作品だと思う。個人的に好きな主題歌が多い所もNARUTOに似ている。
作画について鬼滅の刃などと比較されて馬鹿にされている所を見るけど、分割せずに何年も放送し続けるアニメの作画はこんな物だと僕は思う。時々際立って作画が良い回があってファンを喜ばせるのもジャンプアニメっぽい。
メイドインアビス~深き魂の黎明~を視聴したのでその敵役であるボンドルドについて書くこととする。
ネタバレを避けるため婉曲に表現すると、ボンドルドが作中で行ったこととは、大勢の子供を騙し、あるいはその優しさにつけこみ、死よりもつらい苦しみへと叩き込んだ、というものだ。ボンドルドほどにおぞましい人間はあらゆる創作物の中でもそうはいないだろう。
にも拘らずこのボンドルドは非常に人気の高い人物であるらしい。声優とのインタビューではカリスマ性が高い、一方的に悪とは言えない等々持ち上げられているし、ネット上でのコメントでもボンドルドを擁護するものが非常に多い。ロリコンとボンドルドとを比較してボンドルドを高尚なものとする度し難いコメントもあった。
創作物の登場人物にすぎない以上どれほどの下種外道であろうと役割を全うしているなら魅力はあるものだし、悪役人気なんて今更のことだから人気があること自体は分かる。しかしボンドルドへの擁護の仕方がどれをとっても気持ちが悪く吐き気がする。
1 ボ卿は犠牲にした子供たちへの愛があるからセーフ!子供たちの名前もちゃんと憶えていて感謝している!
愛があれば何してもいいの?わんぴーす(作クジラックス)の茂男だって子供の名前覚えてたし感謝しているけど?
犠牲になった子供たちにはその未来は永遠に訪れないんだが?弱者は犠牲になって已む無しという非常に気持ちの悪い選民思想ですね
俺も辛い思いしたから君たちも頑張ろうね!ってどこのブラック企業だよ。(そういえば同様に自分自身に実験していた木原幻生は特に人気があるようにも見えない)
個人的にはボンドルドに対しては何を思うこともないけど、ボンドルドへの持ち上げ方には不快感しかない。それは擁護している連中が犠牲になった子供たちを軽んじているようにしか思えないからであり、自分だけは安全圏にいてリアリスト気取っている卑怯者のように映るからだ。
確かにボンドルドという人物は人間の論理を超越しているので下種なところを感じさせない。その点がショウ・タッカーとの大きな違いなのだろう。タッカーは理解できるだけに嫌悪感を抱かれるが、ボンドルドはもはや何を言っても無駄な感じがする。8巻に出てくるジェロイモーは嫌われることだろう
ただタッカーと同様凡人で、金田一の犯人で一番好きなのが放課後の魔術師である自分からすると、やはりボンドルドはずるいと思わざるを得ない。
全体的に不快でしかなかない。3期以降も続くのかな。もしそうなら、昭和的な価値観の描き方は変更せざるをえない気がする。2期のままだと、さすがに時代にそぐわない。
主要登場人物の殆ど全てが男性で占められており、僅かばかりの女性は敵役や秘密を抱えたチョイ役、家庭を守る妻、といったジェンダーロールの固定や女性への偏見を助長するような役回りばかり。
もちろん男性の描写も酷い。あらゆる場面で恫喝、怒鳴る、脅迫、果ては土下座強要といったパワハラのオンパレード。あり得ないし社会的にも許される時代ではない。子供への悪影響も懸念される。そして令和の時代になっても見るとは思わなかったオネエキャラ、これは完全に差別的描写であり許されない。また前述のパワハラの一つとして、男性の股間を握るという下ネタも下品であり酷い。FtMの人への配慮不足にもあたる。
こんなドラマがなぜ人気なのか不思議でならないが、ジェンダーギャップ指数が先進国最下位の日本らしいドラマなのかもしれない。
一部ネタバレ含むので注意。あと原作じゃなくアニメ知識のものもある
・デスマーチからはじまる異世界狂想曲→たしかにデスマーチから始まるもののデスマーチから始まる異世界ほのぼの保育園って感じ
・異世界はスマートフォンとともに→異世界は美少女バイキング タイトル不一致作品筆頭だと思う
・本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜→下剋上ではなく成り上がりに近いし司書にはならない(ついでに言うとそんなに本好きじゃない)
・ヤンデレ系乙女ゲーの世界に転生してしまったようです→ヤンデレは未然に処理されろくに出ない
・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている、僕は友達が少ない→途中までお前らタイトル交換しろと思ってた
・誰かこの状況を説明してください!→結構序盤で状況はあっさり飲み込めたのにずっと説明してもらいたがってる
・乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった→悪役令嬢に転生してしまったのはアホめの善人なので悪役令嬢はいない(敵役が主人公属性になっただけ)
私には4年ほど推している俳優がいる。2.5ではそこそこ大きな作品にいくつか出ていてそれなりに活動歴も長い。
高身長、抜群のスタイル、若手俳優らしくそれなりに整った容姿。悪い噂も聞かないし穏やかで素敵な人だ。
しかし、それだけで人気になれるほどこの世界は甘くないらしい。
オタクにとってどれだけ最高でも、世間では低レートになりがちな俳優。それが私の推しだ。
高身長が災いしてか、回ってくる役どころは大抵主人公の仲間ポジ(親友より遠い)や時々敵役(ラスボスではない)。原作でも人気はあまり出ないキャラクターが回ってくることが多かった。
グッズにあまり執着の無い私は、推しの評価になる個人グッズ以外は正直いらない。しかし、2.5のグッズにはそういうオタクにもお金を落とさせるためにランダムグッズというものが存在する。ランダムブロマイド、ランダム缶バッジ、衣装違い…。これらを集めるときにレートというものが存在する。
人気キャラだったり、キャラクター人気は微妙でも中の俳優が人気だった場合、それは高レートとなる。
トレーディングエリアでおびただしい数のブロマイドを並べたりしても見つからない、Twitterで検索をかけても求しか見つからず、取引交渉すらかけられない。結局自引きするには自分で買って引き当てるしかなくなる。らしい。
トレーディングエリアに行けば5分も経たないうちに交換が終わる。ホワイトボードに条件を書くより沢山の交換相手から誰を選ぶかに時間がかかる。Twitterで検索すれば秒で見つかり速攻交換が決まるし、高レートのブロマイド1枚で少し値段が高めのランダムグッズとも交換できちゃう。お得か。
ランダムではなく、最早個人グッズに近い早さで手に入る。それが私の推しのレートである。
「今回は主人公じゃないから」「メインじゃないから」「人気キャラじゃないし、仕方ないよね」………そう言い聞かせて、自分を納得させてきた。いつか主役級の作品が来れば、推しのレートは跳ね上がるんじゃないかと信じていた。
そうして推し続けること4年。とある舞台で遂に推しが主演を任されることになった。
その舞台はそこそこ大きなシリーズもので、作品毎に主演が持ち回りで変わる。ただ順番が回ってきただけの主演決定だが、脇役の推しを見続けてきたオタクにとっては大朗報だった。
主演になれば沢山の人が推しを見ることになる。かっこいい場面も増えて、人気が上がるかもしれない!!!!いや、上がる!!!!
そんな夢を描きながらグッズの交換に少しだけ苦労する自分を楽しみにした。
一度は「決まらない~💦」なんて言ってみたい。悩むような困るような素振りを見せて、人気のある推しのオタクという優越感に浸りたいのだ。
初日まではまだ良かった。むしろいつも通り最低限の労力で手元に置きたい分のグッズを集め終えられてホッとしたくらいだ。だって推しはこのあとレートが上がるのだ。先に集めて安心したい。絵空事を描いてはワクワクしていた。
けれど。どれだけ推しが最高のアクションや演技を見せても、一向に推しのレートは上がらなかった。
地方公演毎のグッズも、現地で探せばその日に短時間で回収しきれてしまう。公演が終わり、少ししてから某中古ショップで推しのグッズ値段を見に行くと、ブロマイドに着いてた値段は200円、期間限定のコラボカフェのキーホルダーも600円でいずれも最低相場だった。
つまり推しの人気は変わらず、実力も評価されないに等しかったのだ。
どうしてだろう。推しと同期ともいえるあの人やこの人は、テレビの地上波に出たりいつだって最高レートで取引されているというのに。一体どこで差がついたのだろう。
こんなに素敵でファン思いの人はいないのに。何がダメなんだろう。
主演を務めてもなお人気の上がらない推しが、果たしてこの先成功することはあるのだろうか。
ここでチャンスを掴めなかった推しはもしかしたら永遠に売れることなく終わるのかもしれない。
半沢直樹はよくできたドラマだ。原作は読んだことないけど、分かりやすい勧善懲悪ストーリーで、視聴者は大和田常務を倒したときに興奮しただろう。
今期、新作ドラマが放映されているが、何故だかまっすぐ見れなくなってしまった。
組織内での諍いや派閥争いはどこでもありふれている。それ自体はいいんだけど、こんな内部抗争に忙しい組織が業界トップ?一枚岩じゃないにしても、こんなあからさまに法律違反や規律違反が横行し、当てつけ、晒し上げが当たり前の組織が業界トップ??
それで詐欺まがいの犯人を見つけ出すことが、証券マンのすること?
分かってる。これはフィクションなんだ。現実世界ではないんだ。大和田常務をはじめとする敵役のリアクションを楽しむドラマなんだ。
【追記】
コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。
よく臓器移植でドナーの記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?
推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。
変わった人格でも楽しく生きてるよ。
あと、そもそもオタクを治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。
5年前、ある病気で入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活とリハビリをしているうちに色々なものが自分の中で変わっていったので記録しておく。
まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。
それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪・中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。
Twitterアカウントも変えた。友人からはジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。
術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。
病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。
今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。
入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。
それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。
今では尖ったものも面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いから流行るんだよね…。
嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。
これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?
元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構な金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれた生活は本当に幸せだった。
今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。
ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。
ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。
ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズや坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングはガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである。
アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集やフィギュアは一期一会なので買ってしまうが。
もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来の貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。
だからタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。
今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。
書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?
とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、
その発想は、なかったな…
私には推しがいる。私はオタクで、推しは比較的長年の推しである。
何故比較的かと言うと、私はそのジャンル、そしてその推しと出会えたのが遅いオタクだったためだ。大雑把にどんぶり勘定して四捨五入すると新参である。
夜中に眠れなくなってこの考えに取りつかれたのでこんなものを書いているので、眠気が来たら放り出すに違いないが、もう1時間以上そのことが頭をグルグルしていたので吐き出すしかないと思ってこんな文をしたためている。もうすでに眠いまである。
私の推しはとあるゲームシリーズに出てくるキャラである(以降、推しをAと称す)。
私はAのファンだ。だが一般的なファンとはAのとらえ方が違うのも知っていて、自覚している。クソオタク、いわゆるモンペと呼ばれる過激派のファンだった。いや、今も過激派のファンなので現在進行形の~ingである。
こんなものを書くにあたって、ジャンルとAファンに火種を投げ込みたいわけではないので明言は避けるが、最後まで読んでしまえばゲームシリーズを知っている一部のオタクにはわかってしまうかもしれない。
これは私の気づきと、私の精神的ショックを言語化したいがために書いている……要するに自分のための掃きだめチラ裏の話であるので、ゲームジャンルにもジャンルのファンにも迷惑はかけたくないのでそこは留意してほしい。
Aとの出会いは、そのゲームシリーズにて公式が出してくれているクロスオーバー作品だった。クロスオーバーの意味が分からん?そこは自分で調べてほしい。
カンの良い方はもしかしたらここで気づいたかもしれないが、とりあえず話を進める。
私は十年ほど前にそのクロスオーバー作品をプレイして、初めてAと出会った。
Aは傍目から見て割と能天気で、ちょっと不愛想で、ちょっとボケている子である。腕は立つけれど基本的に物事にやる気が無いタイプ(と言うといわゆるやれやれ系・昼行燈系に思えるが、ちょっと違う)だ。
いつもはあまり気に留めないタイプの子だったが、珍しく気に入った。
主な理由としては、そのクロスオーバー作品においては好感度のようなものが存在しているのだが、他のキャラは好感度が低いうちはみな不愛想であまり主人公に優しくない。まあ正直な話当たり前である。
だがAは初対面から他のキャラと比べて主人公に対して割と対応が甘かった。のですっかりうっかり「優しい……好き……」と気に入った。これだから童貞は困る。
時は流れ、クロスオーバー作品をプレイしクリアし、好きだな…と思ったキャラの出ている本家の作品に手を出すことにした。
そして本家をプレイしたらAにものすごい勢いでハマった。当時、青天の霹靂レベルでドボンしたし、二次創作もめちゃくちゃしたし、死ぬほど妄想した。もう一生分くらい当時妄想したが、まだ今も現在進行形(~ing)で妄想している。多分今後もする。
当時、私がAの出てくる本家をプレイしクリアした直後あたり、その時はたまたまジャンルが活発で、楽しく創作できた。
だが闇落ちした。(私が)
理由は簡単で、私とAに対する周囲のファン(これは創作をしているタイプのファンの話ではなく、世間一般的な本家ファンのことだ)のAの解釈が180度違ったためである。
要するに拗らせすぎたのだ。というかAを拗らせすぎて本家作品のアンチと化したし、私は未だに本家ゲームの2週目が出来ないでいる。
十年好きなのに……?と打ち込みながら首をかしげてノリツッコミしてしまう羽目になった。正直我ながら難解だと思う。
どこに出しても恥ずかしいレベルの害悪クソモンペに成り果てた私は、それでもAが好きだった。
Aを取り巻く環境が、素晴らしく美しく優しいものであることを願ってやまない。どれだけAに対する感情が拗れまくって本家アンチと化してソウルジェムが濁ったところで、この感情を否定することは誰にもできない。
だが、先ほど気づいてしまった。私は本当にAのことが好きなのだろうか?
前置きが長すぎたが本題だ。多分本筋の方が短い。あともうすでに眠いけど描き終えてから寝たい。
ここで基本的な説明になるのだが、クロスオーバー作品というのは大雑把に分けて二種類に分類される。
ひとつは、キャラたちが集結する舞台は、キャラ本人達にとっては異世界であり、本家の仲間たち(ないし敵対している敵役)との関係をそのままスライドして持ってくるパターン。
もうひとつは、全くどこにも関係のない新しい世界で、集結したキャラたちが現地人として生まれ現地人として新しい世界の地元で育つパターン。
私がAと出会ったクロスオーバー作品は、後者だった。それだけなら別に問題はなかった。
ただここで問題なのは、私がAに出会ったクロスオーバー作品では、【Aの出てくる作品の関係者が、A以外一人も参戦していなかった】という点である。
要するにめちゃくちゃ短絡的な説明をすると、【本家に出てくるA】と【クロスオーバー作品に出てくるA】は別人である、という話なのだ。
何が問題なのかわからないオタクもいると思う。順を追って説明する。
【本家のA】は、幼馴染がいて、田舎の人間で、割と重い過去があって、ひょんなことから冒険に旅立つことになる。
【クロスオーバー作品のA】は、主人公がいる街に一人でいて、幼馴染もおらず、とくに過去の話もされない、だがやたらに腕の立つ一般人、みたいな立ち位置だ。
【本家のA】にとって、幼馴染がいること、田舎の人間で重い過去があること、というのは非常に重要なファクターである。
なんならAのアイデンティティがそこにぎっしり詰まっていると言っても過言ではない。というかむしろそこを抜いたら何が残るんだ?という勢いで大事な部分だった。
だが、【クロスオーバー作品のA】にはそれがない。一切、ない。
幼馴染はいないし、田舎にはいないし、重い過去がない。何もない。Aを構成するうえで恐らく一番とびっきり重要なはずの部分が、ごっそりと抜けている。
だって、私がAと出会ったクロスオーバー作品には、Aの関係者が一人も参戦しなかったから。
だから、勢い言ってしまえば、【本家のA】と【そのクロスオーバー作品のA】は見た目がそっくりの別人である、と言えてしまうのである。
Aが好きだった。クロスオーバー作品で出てくるAがきっかけで本家のAも好きになった。
けれど私が愛していたのは、もしかして本当のAではなかったのだろうか? そう気づいた時はなんかもう、眠れなくなってしまった。
キャラクターに関する土台は大事だ。それはキャラクターだけではなく、実在の人間にも言えることだ。
オタクはよく、本家がキツすぎたり鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりすると、妄想で「もし〇〇がこうだったら…」というIFの話をする。画面の前のオタク諸兄にも少なからず身に覚えがあると思う。
別に鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりしなくても、もしこの時ああだったら、もしあの時こうだったら、と考えることはよくあるだろう。
IFの話で、本当に極端な話をすると、もし男のキャラが女のキャラだったとしたら……という場合(いわゆるTSやら先天性女体化など)、そのキャラが生きてきた環境は180度変わってしまうだろう。
下手したら一人称も違うだろうし、多分境遇も全く違う人間になってしまう気がする。
【本家のA】と【クロスオーバー作品のA】は下手すると男キャラが先天性の女キャラになってしまうぐらいに、境遇が違うのである。
なんというか、私は「本編が鬱展開のジャンルで、公式が出してくれている公式スピンオフ学パロを先に読んで、そっちからハマった」みたいな状態に近いのだと思う。
だって私が最初に好きになったAは、幼馴染もいないし田舎の人間じゃないし重い過去も無いのだ。仲間キャラも一人も交友関係にいない、もはや別人だ。下手すると学パロよりキャラが違う可能性すらある。
実はゲーム中で明言されていないだけで、実際は【クロスオーバー作品のA】にも幼馴染はいるし田舎の人間だし重い過去があるのかもしれないが、【クロスオーバー作品のA】からはそんな空気が一切読み取れなかった覚えがある。
私は、正直なところ本家ゲームのアンチになってから改めて「クロスオーバー作品のAはとても可愛いなあ」と思っていたのだが、そのAは本家のしがらみ全てから解き放たれていたのだった。
幼馴染はいない。田舎の人間じゃない。重い過去もない。ただ能天気でその日暮らしで、時々主人公に付き合って戦ってくれる、そんな【クロスオーバー作品のA】は私の理想だった。
でも、【クロスオーバーの作品のA】は私が好きになった【本家のA】とは別人だ。生きてきた境遇がまるで違うのだから、よく考えると容姿がそっくりなだけの別の人間だった。
でもそれは本家の作中で人知れずに苦しんでいた(しかも周囲が誰も気づいてないし、下手するとプレイヤーも全く気づかないし、むしろ自分すら気づいてない難儀さのある)Aとは違う存在だ。
私は何もないAのことを望んでいたのかと思うと、どうにも眠れなくなった。いや、まあだから多分本家アンチに成り果ててたんだけど、今さらの気づきだった。
Aの幸せとはいったい何なのだろう……私が好きなのは誰だったんだろう……と色々考えてしまってわけわからなくなったし、今も何書いてるのかよくわからなくなってきた。
そうは言ってもやっぱりAのことは大好きだし、多分今後も一生推すし、それはそれとして多分本家アンチから脱却できないんだろうなと思う今日この頃である。
余談だが、そのゲームシリーズのクロスオーバー作品はいくつかあって、Aが出てくるクロスオーバー作品で、Aの幼馴染が出てこないのは私が最初にAと出会ったその一作品だけである。
やっぱ幼馴染いないとダメだし、あの過去じゃないとダメなんだよな……と改めて諦念の姿勢で受け入れる気持ちになってきた。
二週目、やろうかな。十年ぶりに。
「血界戦線」という作品がある。内藤泰弘先生の描くSF伝奇アクション漫画だ。
2008年にパイロット版が「ジャンプスクエア」に掲載され、翌2009年の短期集中連載を経た更に翌年にはジャンプスクエアの姉妹誌「ジャンプSQ.19」で連載が始まった。2015年にはアニメ化され、人気を博した事は記憶に新しい。
古から生き続ける吸血鬼「血界の種族(ブラッドブリード)」と吸血鬼を追いかけるハンターの組織「牙狩り」の戦いを「何も考えないで見て楽しめる」というコンセプトで描かれた内藤先生曰く「技名を叫んでから殴る漫画」だ。
2008年頃、僕はOVA作品もリリースされていた吸血鬼アクション漫画「ヘルシング」の影響で吸血鬼物に目が無く、この血界戦線にもいっぺんに惚れてしまった。しかも内藤先生といえばあのヘルシングも連載している雑誌「ヤングキングアワーズ」で名作と名高いガンアクション漫画「トライガン」を描かれた人でもあるじゃないか!僕は血界戦線を初めて読んだ時トライガンにまだ触れた事が無かったので、即刻読み始めた。おお…こちらも面白い!内容はとても重い!
やはり読者からの人気も高かったらしく、翌年に短期集中連載としてまたSQにやってきた!この予告イラストのキャラはどっちも読み切りには居なかったが誰だ!?浅黒い男の方は如何にも悪役っぽいな!と非常にワクワクしていた。
読み切り版は「クラウス・ラインヘルツ」という強面の紳士が主人公だったが、短期連載版では平凡そうな少年「レオナルド・ウォッチ」を主人公に、異界と現世が交わる街「ヘルサレムズ・ロット」を舞台に物語は進行する。
今回は吸血鬼も直接登場せず、どちらかというと異界と現世が交わる都市で世界の均衡を保つため暗躍する秘密結社「ライブラ」の戦いと、ライブラの戦いに巻き込まれたレオ君の成長物語がメインな感じだったかな。吸血鬼と目される人物は居たしクラウスさんも登場したので読み切り版から世界観は繋がっているんだろうけど…ところでこの日記を書くためにパイロット版を読み返したら、設定的に本編とはパラレルの関係らしい事に12年経って初めて気付いた…。
その後、翌年新たに創刊されたSQの姉妹誌で定期連載が開始され、キッチリと年2冊のペースで単行本も刊行された。僕は掲載誌を購読するほど熱心では無かったが、単行本は新刊が出ればすぐ買うくらいには好きな作品だった。
僕は血界戦線を「吸血鬼と吸血鬼ハンターの戦いが中心の作品」だと読み切りから思っていたので、連載版だと敵役の吸血鬼が2冊に1話くらいの頻度でしか出て来ないのは正直物足りないとも思っていたけど、ヘルサレムズ・ロットで繰り広げられる世界の命運を賭けた戦いや日常話は吸血鬼が絡まなくても大変面白い物だったので「これはこれで全然有り!」と楽しんでいた。定期的に出て来ては牙狩りと死闘を繰り広げるからタイトル詐欺じゃない!多分…。
そんな訳でこの作品と6年ほど付き合った頃、アニメ化決定の報が耳に入った。SQ作品は連載1~2年でアニメ化が決定する事も多かったので、やっとか~という思いが強かった。ようやくアニメ化の機会が回ってきた!と嬉しくもあった。そして2015年、とうとうアニメが放送された。事前に発表されていたキャスティングもアニメに疎い僕でも聞いた事のある豪華な声優さんばかりで、これは本気で作っていそうだぞ!と伝わってきた。何と宮本充さんがレギュラーですよ!
このアニメ化は大成功で、血界戦線は大人気作品になった。「技名を叫んでから殴る漫画」のアニメ化としては本当にこれ以上無い出来だったと思う。あの技の名前がドォン!と出てくる演出は非常にカッコいい!このOPバンプっぽいな…と思ったら本当にバンプだったり、キャラクター達が「シュガーソングとビターステップ」に合わせて賑やかに踊るあのEDは大量のパロディを生んだ。「アニメは見た事が無いけどEDは知っている」という人も沢山居るんじゃないかなと思う。
一説によるとアニメ化で原作の売上は10倍以上に跳ね上がったと耳にした事があるし、そうだとしても全く驚かないくらいあのアニメ化は良かった。アニメオリジナルのキャラクターにブラックとホワイトという双子の兄妹が居るのだけど、アニメから血界戦線を好きになった人がその二人が原作には居ない事を知るとほぼ間違いなく驚くそうな。それほど違和感なく「血界戦線」の世界観に馴染んだアニメオリジナルキャラであり、「血界戦線」への理解度の高いアニメ化だった。
アニメ血界戦線が終了してから2年後、今度は二期が放送された。こちらも一期と同じく評判が良く、原作の最終回までアニメ化された。原作は現在セカンドシーズンにあたる「血界戦線 Back 2 Back」が連載中で、ファンはこちらがアニメ化される事も待ち望んでいる。また、血界戦線はアニメの一期と二期に合わせて小説版も発売された。作者は何とあの「魔術士オーフェンはぐれ旅」の秋田禎信先生!「トライガン」の内藤泰弘先生と、「オーフェン」の秋田禎信先生のコラボレーションという一体どこに接点があったのか分からないけどとにかく名前を聞いただけで凄いと分かる作品だ!こちらの作品もキャラクターへの理解度が非常に深く、原作ファンからは高い評価を得ているそうな。読みたいな。
そういう訳でアニメ化以降「血界戦線」は人気が爆発し、作品にとってもファンにとっても嬉しい事が続いた。アニメ終了後に発売された公式ファンブックにはパイロット版も収録され、以前から読みたかった原作ファンにも有り難かった。
恵みの雨ならぬ恵みのアニメと呼ぶに相応しい喜ばしい出来事だったけど…ここからが本題で、僕はこのアニメ化以降どうも自分の中の「血界戦線」への熱が冷めたような気がしている。嫌いになった、という訳では無くて…熱が冷めた。
実を言うと僕はアニメ化前まで血界戦線について誰かと意見を交換出来た事がなく、自分以外に好きな人を見かけた事もあまり無かった。積極的に探そうとしていた訳では無かったし、間違いなく人気は高かったので偶然だとも思う。
自分一人だけの解釈を作品を楽しんでいて、他の人がどう思っているのかはさっぱり知らなかった。僕は今でも漫画やアニメの感想を他の人と交換する事はあまり無いし、意見が合わないとつらくなるのでそれでも良いかな…と思ってる。
2015年にアニメ化された時、沢山の人が血界戦線について語っていた。アニメから見始めたという人も沢山居たし、僕がこれまであまり目にする事も無かった原作が好きな人達も沢山見かけた。トライガンは好きだけど内藤先生が新作が連載していた事を知らずに驚いていた人達も居た。いつの間にか新作が連載されていて自分はそれを知らない事って本当に良くありますね…ジャンプSQ.19って影が薄めな季刊誌だったもんなあ…SQが濃いかは置いといて…。
様々な意見があった。「面白い」「原作をよく纏めた」という声があれば「改変が駄目だ」「カットしすぎだ」という声もあった。僕は「原作3話分の話をよく1話に纏めたね!必殺技の演出も最高にカッコ良かった!でもかなりカットされてたね…あのアニオリ必要だったかな?」とどっち付かずな感じだった。まだ1話だしそれで良いと思っていたけど、良いか悪いか白黒を付けたい人は結構居るみたいだった。原作を好きな人同士が解釈で喧嘩しているのを見るのはつらかった。
2話も3話も同じように賛否両論で原作ファンは喧嘩していた。僕も1話と同じように「ここは好きだな」と思う所もあれば「ここは合わないな」と思う所もあった。そう思った所が賛側とも否側とも違ったので、両方に怒られた気がする。
これは作品の良し悪しじゃなくて僕の好みの関係だけど、原作の血界戦線はレオ君が主人公の話とクラウスさんが主人公の話が交互にある印象だったけど、アニメではレオ君が主人公として再構成されていた記憶がある。これは尺の都合でどうしてもクラウスさんが主役の話を何話かカットせざるを得なくて、それならレオ君を主役として描いた方が綺麗に纏まるし話も見やすいだろうという考えがあったのかもしれない。実際アニメはレオ君主役の話として見やすかった。
アニオリキャラクターのブラック・ホワイト兄妹がレオ君と絡みがあったのも理由の一つで、特に妹のホワイトちゃんはレオ君ととても親しくなり友達以上の関係として描かれていた。レオ君は原作だと女性キャラとの絡みも比較的少なく、ライブラで働く同僚の「チェイン・皇さん」と「K・Kさん」という二人のお姉さんを除くと、他は父親と一緒に飲食店を経営する「ビビアンさん」くらいしか異性と接点が無くもし脈があるとすればこの人かなあ…と勝手に思っていた。特に恋愛描写は無いけど。そういう訳でアニメでホワイトちゃんとレオ君の仲が急速に縮まっていくのを見て「ああ~…そっちかあ~…」と何とも言えない気持ちになっていた。そっちも何も原作だとレオ君は特に誰かと恋愛する描写は無いというのに。
ちなみにこのビビアンさんというキャラクターをトライガンの登場人物で例えると、トライガン・マキシマムの1・2話に登場したリィズという女の子くらいの立ち位置じゃないかな?と僕は思っている。うん、影薄いな!でも何か似てる気がする!
血界戦線はアニメ化されて以降どのキャラクター同士がくっ付くとお似合いか?という話題もよく目にするようになった。女性のレギュラーキャラが2名で男性キャラクターが多めな作品なので、男性キャラクターが好きな人達にも受けた。
まあ今なら何故そういう話題が受けたかも分かるけどね!ライブラ男性陣の声優さんが阪口さん、小山さん、中井さん、宮本さん、緑川さんで皆良い男だもんね!当時はよく分からなかったけど人気が出たのも理解は出来るよ!
作品自体に好きな所と合わない所がある、毎回放送される度に作品についてファン同士が喧嘩している、よく分からないネタで盛り上がっている人達も居る、と幾つか要因が重なってその時僕は疲れていた。これならもう他人の意見は見なくても良いかな…とも思っていたけど、アニメ血界戦線は原作ファンは賛否で揉めながらも、前述した通り良い作品だったのでとても人気が高く盛り上がっていた。なので無理に避けようと意識しなければ目の入る状況だったと思う。
そこで「11話は原作にない完全アニメオリジナルエピソード」と「最終話の放送延期」という二つの出来事があった。とても人気が高く盛り上がっていただけに、そういう事もあったからか一時アニメ血界戦線の話題はとても荒れてしまった。
それと関係あるかは分からないけど、僕はアニメ放送開始と数日違いで発売された原作の最終巻を読んで「とても綺麗に終わったな…」と思っていた。7年付き合った作品の最終話がこれで良かった!と思える素晴らしい出来だった。
僕はアニメを11話まで見て「これは原作とは少し違うけどこれはこれで一つの作品になっている」と思っていたし、しばらく経ってから放送された最終回もアニメがオリジナルで描いてきたストーリーを締めるに相応しい纏まった内容だった。
その時から僕の中では「血界戦線は綺麗に完結した作品」という認識になったのか、あまり作品への強い熱量を感じなくなっていた。半年の間に漫画とアニメでそれぞれ別の良い最終回を見たのでまあそうなるかな…と今では思える。
2017年に放送された二期も全話見たしクラウスさんに仕える執事「ギルベルトさん」が車で大暴れする回などアニメで是非見て見たかったし、実際にアニメで大暴れした回は「スッゲー!内藤泰弘作品のアクションってここまで原作再現してアニメ化出来るんだ!スッゲーー!!」と滅茶苦茶感動してしまった!本当にあの回を見られただけで天にも昇る気持ちだったし、二期で原作の最終巻まで原作エピソードをやりきってくれたお陰でとてもスッキリした気分になれた。
こうやって自分の思った事や感じた事を纏めて文章にすると、僕は「他の人の感想に慣れなくて驚いてしまった」のが理由ではなく、「作品の完結」を二度経験した事で一旦作品に関して満足したのが熱が冷めた原因だと思えてくる。
何度も言うようにアニメは良い作品なのでアニメのお陰で原作の面白さはとても広まったし、アニメを見て「血界戦線って面白い!」と思った人はそのまま原作を読んでもきっと違和感なく楽しめる。あんなに良いアニメ化も珍しいと思う。
今後何かの切っ掛けがあれば自分の中の作品への熱が再燃しそうな気がするし、その時は続編のB2Bや秋田先生の小説版も読めそうな気がする。それにしても…12年って、過ぎてみると結構あっと言う間だという感じもしますね。
【追記】
ちなみに血界戦線ファンの間では今でも「アニメの一期はどうだったか」という話題が時々挙がる事はある
僕の中では「原作とは少し違うけどアニメはアニメ単品でも良い作品だったし、漫画原作のアニメ化作品としてもとても出来がいい作品」だったという事で一旦落ち着いている。
なので、他の人がアニメと原作のどっちの方が良いとか話をしていると「もうそういう話は一切目に入れたくないな…」と強く感じる。作品を取り巻く空気の影響で好きな作品から離れてしまうってこういう事なんだろうか、と思った。
【追記2】
僕は内藤泰弘先生とその作品に関しては新規のファンだと自覚している
けれど血界戦線に関してだけは自分は最初から応援していたとそこは堂々と言える
アニメ化以降何か熱が冷めたのは大人気作品になって爆発的にファンが増えた事で「自分はこの作品のファンなんだ」と言いづらくなった事もあるのかもしれない。自分は大勢の内の一人である事に気付いたというか
同じ事は「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」が劇場公開された後にも起こりそうな気がする…自分は作品の無数のファンの一人なんだとアニメ化するとどうしても強く意識しちゃうのかな…今の僕には理解出来るよ。
【追記3】
こんなにも書きたい事があるなんて自分でも驚いてしまった。やっぱり僕はこの作品が好きなんだろうな。
アニメ版血界戦線は原作と少し男性キャラの描かれ方が違うような気がしていた。原作だと情けない姿も見せるキャラのカッコいい所を強調して映しているような。尺の関係もあるので、それは仕方ないと思う。ただ、主人公でもあるレオナルド君が僕とアニメでは大分解釈が違った。彼はアニメのEDで最後に目を見開きながら笑うのだが、僕の中ではレオ君はそういう事をしないような印象があった。彼の目は妹の視力と引き換えに得た物なので、レオ君はその事をずっと引き摺っていた。原作でも目を開けながら笑うシーンはあまり無かった…と思う。そんな事を言っても作品を否定する側の人間だと肯定する側の人間に思われるだろうから言えなかったし、僕は賛否両論のどっちつかずで居たかった。
作品が綺麗に終わったのが間違いなく大きいけど、やっぱりファン同士の論争があまりに激しくて疲れていた…というのが僕が血界戦線という作品から離れた大きな要因だったのかもしれない…と結論なのかも。
恐らく…異世界物ではないけどヘルシングという漫画で絶対に死なない最強の主人公が一般人の警官達を一方的に虐殺する話とかとても嫌な気分になったし
チートでもマトリックスみたいに敵役も主人公に匹敵するくらい強い作品は嫌いでない事が多いけど…正直自分でもよく分かりません
最近「異世界転生物」というジャンルがとても流行っているらしい
現実の世界で何らかの事故に巻き込まれて死んだ人間が、その時の知識を持ったまま異世界で生まれ変わり別人としての人生を送るお話、の事をそう言うんだと思っている
小説家になろうという小説投稿サイトでも非常に人気があるらしく、そこから書籍化や漫画化もされた「ナイツ&マジック」と「転生したらスライムだった件」という作品のアニメを僕は見た事があるし最後まで楽しませてもらった
「異世界転移物」というジャンルもあってこちらは別人として異世界で生まれ変わるのではなく現代人が異世界に召喚されるタイプの作品の事を指すのかな?
一昔前の作品だと「魔法騎士レイアース」なんかがそうだろうし最近だと「ドリフターズ」がそうかな。小説が原作の作品なら「Re:ゼロから始める異世界生活」はOVA作品が劇場で公開される程の大人気作だった。
ゲームをしている最中にそのゲームの設定と似た世界に呼び出されるタイプの作品もあって「オーバーロード」「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術」「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」なんかがそうなんだと思う
大人気異世界コメディ「この素晴らしい世界に祝福を!」など主人公が現実で死んだ後に異世界で蘇生されてそのままの姿で暮らす転生と転移の中間のような作風の物もあるそうな
ここ5年ほど毎年のように何らかの異世界物がヒットしてこれから先もその人気は続くと思う。僕は近頃とても流行っているこの「異世界転生物」があまり好きではない。気になる作品は見るから嫌いでもないと思う。
異世界転移物はそこまで気にならないので、どちらかというと転生要素が気になっているのかもしれない。別人として生まれ変わったのに性格や記憶は前世の人生から地続きで、そこが異世界転生物の楽しみ所なんだろうとも思うけど。
異世界転生物の主人公は周囲の人間と比べて非常に高い能力を持っていたり優秀な頭脳があるので活躍する。同年代の人間と比べると子供の頃から非常に魅力的で、頼れる指導者として周囲に集まってきた人々を助ける。
それは良い。主人公だから活躍するのは自然な流れだと思う。ただ、その非常に優れた主人公達と戦う事になる敵役達には同情する。ナイツ&マジックに登場した侵略国家「ジャロウデク王国」は主人公の属する「フレメヴィーラ王国」に哀れなくらい一方的にボコボコにされてしまったし、転移物だけどオーバーロードで主人公アインズ様の率いる「ナザリック地下大墳墓」と敵対した現地の勢力は、一方的に蹂躙されあまりに悲惨な末路を迎える事が多く悲しくなる。
これは正確には異世界物というよりあまりに敵味方の強さに差がある事から生じる蹂躙の要素が僕は苦手なだけだと思う。主人公達の活躍が見たいとはファンなら誰もが思うだろう事だから、そこに突っ込むのは筋違いだとも分かる。
ここまで書いてから言うのも何だけど、僕は異世界物の事は嫌いではない。自分の好みではないので予め見ないようにする、という事が多いだけで「嫌い」だと強烈に思う所までは行かない。何だかんだで興味のある作品は見るし。
「小説家になろう」が原作のアニメや漫画だから、異世界に転生や転移した人が主役だから、という理由でその手の作品を反射的に攻撃する人達も居る。そういう人を見ると一昔に所謂美少女ゲームやライトノベルが「所詮エロゲ」「所詮ラノベ」と叩かれていた事を思い出す。最近めっきり見なくなったけど、そういう人達を僕は好きでなかったし今も好きじゃない。自分が昔こういう事を言っている人達を見て嫌だったから、自分はそういう人達と同じ事を言いたくない。
初めは「好きでない」だった感情が何度もその好みではない物に触れている内にやがて「嫌い」に変わっていくのかもしれない、と思う。僕はこれからも異世界物を嫌いにならないよう、好きでない程度の適切な距離で付き合っていたい。
【追記】
とは言っても、僕にはどうしても積極的に手を取りたくないジャンルの作品はあるし、恐らく偏見や勝手な先入観でよく知りもしないジャンルに悪意を持っているんだろうな…と思う事もある。これじゃ他人に何かを言って良い訳がない。
僕は自分が好きな作品の二次創作はあまり読まないようにしている。自分の考えとその二次創作を書いている人の考え方が違ったら嫌だな…と思うし、その事で相手を嫌いになったり自分が嫌な思いをする事が嫌だから避けている。
BL、憑依、逆行、ヘイト、ざまあ系などのジャンルは一次創作二次創作問わず苦手で深く知れば多分嫌いになってしまうだろうな、と思っているから手に取らないようにしているし、そういう要素があるかもというだけで警戒してしまう。
「今は嫌いという感情を持っていないけど関わると嫌ってしまうだろうから避ける」というのはもうほぼ嫌いの前段階ではないかという気もする。一度何かを嫌ってしまうと猛烈にその嫌いな物について考えてしまう事もあるし、その嫌いな物が視界に入っただけで意識を奪われるくらい夢中になってしまう事もある。だから「自分はきっとこれの事を好きではない」と思った時は本当に嫌ってしまう前にある程度距離を取るのがお互いのため…なんじゃないかなぁ、と僕は思っている。
魔入りました!入間くんを見終わってしまったので次に見るアニメを物色。
春アニメを見る予定だったが、ちょっと小休止として何故かジョジョ1部を見る。
スタクルはAbemaで何度も見てしまったが(銀魂とハガレンも阿呆ほど繰り返し見てしまった)
ジョナサン死亡まで見てつくづく思うのだが、
主人公よりも敵役が格好良すぎる(この後のカーズ様も同様だけど)
女ばっか出てくんだよなあマジで…
どうでもいいポジションのモブみたいなやつとか敵役とかは男のことがあるけど出ずっぱりのパーティメンバーはもうホントに女・女・女
必然性があるならまだわかる 女しかいない世界みたいな設定してるんだったらいっそ潔いから良いんだよ(読まないけどな)
普通に男女半々くらいいて「男は力が弱いから戦えない」みたいな設定もないのにどうして仲間になるやつが全員女ということになるのか しかもオバさんとか婆さんとか混じってたらまだ分かるんだけど全員美少女・美女なんだよな キモすぎる
ていうか主人公は嫌にならないのか、バカにされていると感じないのか?っていうのも結構謎
俺だったらすげえ力与えられて転生した上に縁のある人間が全員美少女だったらかなり本気でイヤになると思う 実態はともかくとして、万能の力を持つ神が気を遣って大量の美女を差し向けてきているのかもしれない…って状況は居心地が悪いし、差し向けられてるんだとしたらその美女たちには自由意志がないと言って差し支えないわけで、とにかく虚しい
虚しいし申し訳なくもある 俺がいなかったら彼女たちは神に干渉されず自由に生きていたのでは?と思うと死にたくなりそう 自分のために生み出されたってことならいよいよ虚しい 悲しくもある キモい非モテの陰キャ男の自己肯定感を満たすためには美少女を侍らせてやることだな!と神に判断されたというのが悲しいし、彼女たちの存在のどうしようもない無意味さが悲しい
最初に出てくるメインキャラクター3人目くらいまでが女だとそこで切ってしまう その読み方をすると実に半数以上のランキング作品が消えるんだよな
女性向けのほうがまだマシ(女も出てくる)な気がなんとなくするが、そもそもたいして数を読んでないからわからんな
とにかく女が多すぎる 相棒も女、師匠も女、神様も女、ライバルも女、弟子も女 自分を振り返って恥ずかしくないのか?と思う
「登場人物紹介」みたいなの見て主人公以外女が10人くらいずらっと並んでるとマジで乾いた笑いが出てしまうぜ
男を出せ 女を出すなとは言わんから男も出せ
ドラゴンが女になるのがマジで嫌って書いてた増田いたけど心から同意する 性別不明のキャラ(魔剣とか)が後から女になる率高すぎるんだよな そこは無性でいいだろカス
すげえ作品だとペットなんかまで全部メスで、本当に恐れ入る そんなに自分以外のオスが嫌かよ
俺は高校生くらいのときになろうにハマって女多すぎ作品への憎悪を溜め込み拗らせた結果NTR趣味に目覚めてしまったんですよね
NTRには絶対に主人公以外の第二の男が出てきて主人公ハーレム状態を破壊してくれるから… 俺はNTRそのものじゃなくてNTR展開に発狂するオタクを幻視して抜いてるんだ
本当に罪深いよ 男を出せ