はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは
はじめにすごく飛躍した話になることを言っておきます。
「個人的なことは政治的なこと」といったのはフェミニズムからだが、このテーマはいまやフェミニズムの域に収まっていないと思っている。
「結婚しろはセクハラ」これはアウトな感覚は私にもあるのだが、それが職場や政治的言説(議会や討論など)、アカデミズムの場で言われたら文句なしにアウトだと賛同する。
しかし、職場ではないコミュニケーションの場で同僚に言われたら?あるいは友人に言われたら?
仮に不快に思った私がSNSにそれをアップしたら?その言説が共感して多数にシェアされたら?
あるいはSNSで誰かから言われたら?その反論が広くシェアされたら?
もし、多数の人間の社会的関係性に影響をあたえる言説が政治的言説だとすれば、この世の中の仕組みそのものがすでにいやおうなしに「個人的なことは政治的なこと」なしくみになっているんだと、思う。
(多分、もともとそんな境界などなかった。遠かっただけ。SNSは政治的言説と個人的言説の距離を近づけただけだ。)
ここにポリティカル・コレクトネスとして、ありとあらゆるコミュニケーションの場を政治的正しさで塗り替えようとする言説がある。
行政や統治よりも先に、個人間のコミュニケーションやSNSのような一対多のコミュニケーション、芸術表現や私小説的表現などありとあらゆるところに浸透している。
それを支持している人たちの一部は、個人的な苦悩やトラウマをなにか政治的言説に仮託しているように感じる。
これの行きつくさきはなにか。
私小説を政治的文脈抜きで語ることはできず、私の日記ですら政治的である可能性がある。
40手前にもなって結婚できない私は政治的不策の積み上げによって生み出されたのか。
他人とコミュニケーションがとれず、友人がほとんどいないのは私の人格障害が政治的に見逃されたからなのか。
違う、と思いたい。
私の苦しみは私のものだと、多分5%くらいは政治かもしれないが、残りは単なる不条理だと。
違う、と思いたい。
歪んでてもいいんだと、思わせてくれる、もしくは許しかもしれない。
人とのコミュニケーションを拒んできたお前が共感できる言説はもうどこにも残されるべきではない、とされ、
せいぜい5chか増田に行き、
それすらもやがて叩かれるようになり、
死にたい。
岡村もポリティカル・コレクトネスの観点から、お便りを全否定すべきだった。
個人的には、これは女サイド、というよりも、最初の発言者を批判してるサイドの言い分に筋が通ってないと思うんだよな。
男は、というと主語大きすぎて語弊があるけど、最初の発言者の人は、どうも女には男とは違うプロトコルがあり、気を遣うことが大事とされるらしいから、男同士でいるときよりは気を遣おう、というのを前提としてきた……っていうのはさすがに読み取れるよね?
俺もそうだよ。どうも女の付き合いというのは気遣いとかそういうのが大事らしい、と薄々知ってはいるので、男の付き合いとは違ってなるべく気を遣って異文化交流しようとしていた。
で、そこに女の側から「『女扱い』してほしいんじゃない! 普通に対等な人間として扱って! 具体的には同性の友達を扱うように!」って言ってきたわけ。
とすると「え? ほんとうに同性の友達と同じように扱ったらこうなるけど?」って言うほかないじゃん? 本当にそれを望んでいるんですか? って。
そしたら「男同士には他人を尊重する文化がないのか! 礼節を重んじる女同士と違ってなんて野蛮なんだ!」とお怒りになっている。
先進国民向けにお客様待遇してあげてたら「こんな侮辱的な扱いは信じられない! ちゃんと自国民並に扱って!」と言われた発展途上国の人みたいなすれ違いはあるな。
え? お客様待遇やめてほしいの? ほんとに自国民並でいいのね? って確認しただけなのに怒られる発展途上国の人かわいそう。
そして問題は我々は発展途上国で満足しているのであり、むしろ先進国のようには振る舞えないし振る舞いたくもないから発展途上国サイコー! と思っていたりするということだ。
相手を尊重しているし自分を大事にしているからこそ、「細やかな気配りなんてするのめんどくさいし、相手もそれは同じだろうから、俺とお前のあいだでは最低限の気配りしかしないってことにしといた方がお互い楽。なんか追加で気配りしてほしいこと(疲れたから歩く速度を緩めてほしいとか、ソファ席に座りたいとか、えらいことしたから褒めてほしいとか、そういう)があったら自分から言えよ、俺も自分で言うから」って態度になるんだよな。
「相手が不愉快にならないようにお互い細やかに気配りしよう」とは真逆の理屈だが、それでもこれは配慮のひとつの形なのだ……ということはさすがに理解してもらいたいわけだが。
それなりに配慮の上に成り立っているプロトコルを一方的に野蛮だの他人を尊重してないだの言われる筋合いはないだろ。多様性とかどこいったんだよ。
少なくとも日頃多様性だの何だのと言っていた女の論客のかなりの割合が一方的に男のプロトコルを野蛮だのと決めつけて「あなたにはもっと友達から尊重される権利がある」とか的外れなこと言ってるのは失望しかなかったよ。
いやだから相手を尊重してるから相手に余計な気遣いを要求しないし自分を可愛がってるから相手に余計な気遣いをしないってだけです……俺は友達を尊重してるし俺は友達から尊重されてます……
相手を尊重してるから丁重に扱うし自分を可愛がってるので相手から丁重に扱われることを望む、という論理とはまるっきり逆だというだけ。これはどちらが良い悪いでもない。単に同じ前提(相手を尊重したいし自分を大事にしたい)から真逆の結論が出てくる典型的な事例。相手を尊重しなくていいとは誰も思ってない。ただ尊重のありかたが違う。
南の島で裸に腰蓑で気楽に暮らしていたらヨーロッパ人の宣教師が現れて「裸に腰蓑なんて! もっと自分を大事にしてスーツとかの文明的な装いをしなさい!」って言われてる気分。そりゃあんたらの国は寒いだろうからスーツが快適なんだろうけど、こっちだと蒸して暑いだけだから嫌なんだよ、裸に腰蓑がいちばん快適なんだよ、みたいな。
いやある意味宣教師よりも悪質だな。ヨーロッパ人は整った衣服を重視してると聞くからちゃんと長ズボンを穿いていったのに、「我々を侮辱しているのか? 同胞といるときと同じ装いをしろ!」と言われたので「それって裸に腰蓑で行ってもいいってこと?」と確認を取ったらなぜか怒りだした。マジで理解不能。同胞といるときと同じ服を着ろと言ったのは自分なのに裸に腰蓑姿を見て怒りだすとか何なんだよ。
(こちら側に問題があるとすれば異文化理解の解像度が足りなかったことか。要するに長いズボンを穿いておればいいのだなと理解していたら首に細い布を巻き上掛けを羽織る必要があるとは思ってもみなかった、みたいな。それを知らずにユニクロの長袖シャツとジーンズで行ったのはまあ悪かったよ。我々裸族としては、なるべく着衣族の習慣に合わせた衣服のつもりだったのだが……)
でもって、これがホンモノの宣教師なら「まあシューキョーやってる連中は頭固いから土地ごとに違う文化があるってわかんないんだね」って諦めモードにもなれるんだけど、日頃多様性とか言ってる人たちが急速に自文化age他文化sageを始めたのは絶句するほかない。びっくりするほど自文化中心主義!
こっちは少なくともあいつらは違う文化を持ってるんだなぁという程度の知識はあったのに、なんであいつらは我々がぜんぜん異なる文化の持ち主だって気づかず今頃になって驚いてんの?
「南国人にも腰蓑は嫌だから長ズボン穿きたいって人がいるよね」という話なら、「そうだね。スーツは窮屈だから南国人みたいにラフな格好したいヨーロッパ人もいるよね」ってだけの話だから異論はないです。
「南国人と言っても色々いるだろ! 一緒にするな!」そうですね。腰蓑族である我々の村でペニスケース一丁の人を見かけたら流石にギョッとしますし、逆にお隣の村に行ったらアロハシャツを着るのは最低限だろという怒られが発生することもあるので、南国人といっても色々ですね。きっとヨーロッパ人の間でも「スーツ着るのめんどい」とか色々なグラデーションがあるんでしょうね。そこにも異論はない。
「私たちの文化ではスーツを着ている人が重んじられるんです」そうなんですね、ところ変われば色々な文化がありますね。多様性ですね。別にそこに文句はないですよ。そちらの文化ではそうなっているんですか、勉強になります。
でも「裸に腰蓑なのはおかしい」とか「スーツもまともに着ないなんて人間として尊重されてない」とか言ってきたら「余計なお世話だうるせえよ」って言わざるを得ないってだけ。だってスーツってパリッと着こなせばかっこいいことは認めるけど暑くて窮屈で着るのめんどくさいじゃん。蒸れるし。裸に腰蓑のほうがよっぽど快適だよ。
で、下手な比喩はこれくらいにしておいて、お互いのプロトコルがこうまで真逆だと、異文化交流のやり方がわからない、っていう人が一定数出てくるのは当然だと思うんですよね。
男女共通のプロトコルを新しく作りましょう、という話なら、まあ話を聞く用意はありますよ。男女双方がちょっとずつ快適さを捨てれば成り立つプロトコルってことですよね(男は他人に配慮しなくともよい快適さを諦め、女は他人から配慮される快適さを諦める)。
でもどっちかのプロトコルに統一なんて無理でしょう? 無理なことを要求するのやめよう?
どっちかに統一すべきだって主張するなら俺は女のプロトコルはおかしいから男側に統一すべきだって言うよ? 本気で言うよ? だって雑で鈍感な人間でも気楽に生きていける社会の方がいいもの。他人に配慮できない人間は針のむしろになる世界よりも、配慮してほしいことがあるなら口に出して言えよそうじゃねえとわかんねえんだからよ、っていう世界の方が絶対にいいよ。楽だよ。俺にとっては生きやすいよ。雑で適当な鈍感人間の自分が生きやすいプロトコルはこっちだよ。気遣ってほしいやつもこれで別に困らないだろ。気遣ってほしいことがあるなら言えばいいんだから。
自分が客として気持ちよく過ごすために店員にスマイル0円を強要する社会よりも、自分が労働者として快適に過ごすために無愛想な店員を我慢する社会の方がどう考えても健全だろ。
今俺はすっごい女側のプロトコルを悪し様に言ってるわけだけど、このくらいは言っていいよね? 男のプロトコルにはあれだけ雑な批判を投げつけてもポリティカリーにコレクトな界隈では許されてるみたいだし、多少雑に女のプロトコルを叩いても問題ないって理解でいいわけだよね?
女側が「それでも私たちは配慮しあってお互いに快適な環境を維持するプロトコルの方がいい」というなら、別にそれは止めません。色んなプロトコルがあっていいよね。多様性ってやつだよ。
でもそうすると、何度も言うけど、どうしたって異文化交流のやり方がわからんとか、異文化の人たちが理解不能でこわい、みたいな人たちは一定数出てくるわけ。これは双方にね(もちろん、自文化が嫌だ、あっちの文化が羨ましい、みたいな人も双方に出てくる)。
そこは受け入れよう? 「人間扱いすればいいだけ」みたいな思考停止はやめよう? 「同性と同じように扱ってほしいだけ」がトンチキな要求だって自覚しよう?
友達の前でスーツ着てネクタイ締めてナイフとフォークでフレンチ食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏と、友達と一緒に裸に腰蓑の格好して手掴みで肉食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏があって、お互いに価値基準がぜんぜん違ってるときに、「人間扱い」なんて言われたってわかるわけないじゃないですか。
スーツ民と会うためにわざわざジーンズ穿いてきた腰蓑民に「そんな格好で来るなんて我々を侮辱しているのか! 同胞と過ごすときのような格好をしろ!」って言うのがめちゃくちゃトンチンカンなのはわかるよね? むしろ異文化を尊重しようとしているのは腰蓑民の方じゃん?(失敗してるけど……)
共通のプロトコルに統一しよう、我々も手掴みで肉を食うことにする、というならまあ上半身に服を着るのもやぶさかではないけど、自分たちはスーツもナイフもフレンチも捨てないけどお前らは腰蓑も手掴みも捨ててスーツを着ろ、それが「人間扱い」だ、なんて馬鹿な理屈がありますか。異文化蔑視の自文化中心主義にもほどがある。相手を対等な人間と見做してないのはお前らの側だろ……
自分たちの快適なプロトコルを維持したいなら「人間扱い」なんてフレーズが他者には通じないことを理解してください。「人間扱い」に共通の見解を見出したいなら自分たちのプロトコルを(快適さを多少犠牲にしてでも)変える覚悟を持ってください。
異文化交流はどうしたって理解不能で不愉快なものなわけです。私も何年間か外国に住んで、現地人の友達や親しい人はたくさんできたけど、それでもやっぱりあの雰囲気には違和感がある、ていうか現地人の距離感おかしくね、みたいな感覚は残って、そこが残るってのは結局どれだけ言葉やら習慣やらを勉強したって人類共通のプロトコルなんて成立させるのはめちゃくちゃ困難だということじゃないですか。
私が行きたくて行き住みたくて住んだ国でも「やっぱりあいつらの文化にはどうも馴染めないところがある……」となるんだから、たまたま同じ社会で隣り合って生きてるだけの人たちがお互いの文化をちっとも理解できないのは仕方ないですよ。だって別に住みたくて同じ社会に住んでるんじゃなくてたまたま隣人として生まれついただけだもの。
まあその文化に馴染めないってのはお互いに仕方ないとして、異文化がそこにあることを認識しそういうものなのだと尊重する、が結局のところ第一歩なんじゃないかなぁと思いますね。
異性の文化を野蛮だの尊厳がないだのと侮蔑し「人間扱いしろ」なんて思考停止ワードをわめいてる内はそもそもスタートラインにも立ててないというか、ポリティカル・コレクトネスって知ってる? 多様性の尊重について考えてみよう! みたいな啓発講座を受講してから議論に参入してほしいとしか言いようがないですけど……
ていうかこれアレだよな、研究テーマにいちいち口出してきて自由なテーマ設定はさせないけど親身に進捗状況を尋ねてくれたり執筆を手助けしてくれたりする教授と、自由に研究テーマを選ばせてくれるけど基本放置(会いたいと言えば時間作ってはくれるし指導してくれと言えば論文添削はしてくれるんだが自分からはやらない)な教授とどっちがいいかという話だよな……ウッ頭が……
(ちゃぶ台返しすると、そら社会に出て社会人として、つまり同僚やら何やらとして知り合った相手にいきなり「仲良しの男同士のコミュニケーション」は適用しないですよ。そういう男のホモソは親しい間柄に限り、仕事上の付き合いしかない男や女には適用せず、一般社会でそれなりに丁寧な無難な扱いをしておく。それは女も同じでしょ? ただの職場の同僚にそんな細やかな察してコミュニケーション満載の女のホモソは適用しないじゃん? だからまあそれなりの相手には男女双方のホモソから離れた中立的な取り扱いをしておけばよろしいのでは……それを「人間扱い」と呼ぶのは友達を人間だと思っていないことになるのでまったく賛同しないけれども……)
これから出会う人は仕事関係者が多いし、仕事さえ頑張っていれば評価してもらえるよ。
子供や社会不適合者は仕事上では合わないので、子供時分に言われて気をつけていたことなんかまず言われない。服装容姿年齢出身地学歴その他、仕事上での知り合いにネガティブなことを言われたことは無い。無いは言い過ぎた。まあちょっと変わった人はどこにでもいる。いわゆる飲み会だとちょっと嫌なことを言われることもあるが、今日日強制参加の飲み会は無い。
正直なところ仕事上の知り合いが本来的にはどういう思想で本質的にどういう人間かなんてどうでもいい。仕事をきっちりしてくれてポリティカル・コレクトネスが共有できていればいい。
『氏の動画はたとえ間違っていても楽しめるので「善」であり、解説の間違いを指摘する飯山陽は抑圧的で動画を楽しんでいる人々の機嫌を害する「悪」らしい』....
これが最近はやりのポリティカル・コレクトネス、事実を突きつけて心を傷つけるファクト・ハラスメント、略して「ファクハラ」ですよ。— Wanoji (@Toruko_Raisu) 2019年12月18日
デマを指摘する私の行為は「事実を突きつけて心を傷つけるファクト・ハラスメント」だと新奇なレッテルを貼る者まで現れた。「気分のいいデマこそ真実」で「気分を害する事実は悪」なので、事実を語る人間の言論を封殺せよというところまできたら、さすがに社会にとって危険なカルトだと認識すべき。 pic.twitter.com/dGyuaGBKFh— 飯山陽『 イスラム2.0』三刷決定、みなさまありがとうございます! (@IiyamaAkari) 2019年12月18日
デマをデマと指摘することが「ファクト・ハラスメント」などというツイートを見て絶句。話題のイスラム教関係のデマだけてはなく、原発関係のデマさえ指摘できなくなるじゃないか…。風評被害をいつまでも打ち消せなくなってしまう。— 眠る羊 (@sleep_sheep2010) 2019年12月19日
なお預言者
トゥルースハラスメントこと、トゥルハラか、
ファクトハラスメントこと、ファクハラと呼ぼうと思ったけど、
この呼び名で呼んだ時点でセクハラになりそうなので却下— せんすぴん🌤️ (@senspin) 2017年10月5日
事実を元に指摘することが「ファクトハラスメント」扱いされる世の中が到来しそう— パンパシ水泳🍤サラリーマン (@uk07) 2019年8月25日
https://www.google.com/amp/s/m.huffingtonpost.jp/amp/entry/story_jp_5d7dde6ee4b03b5fc884f037/
HIV感染を理由に内定が取り消しになったというのを不服として、男性が内定先を訴えて勝ったらしい。ポリティカル・コレクトネスの観点から見れば妥当だと思う。
ただ、このHIV男性もよく分からないのが、そもそもウイルスを貰ってしまったこともよく分からないし、なんでわざわざその診断を受けた病院の採用試験を受けたのかが分からない。
HIVウイルスを貰ってもちょっとやそっとのことでは他人に感染しないし、業務上の付き合いであればまず移すことは有り得ない。それに治療技術が発達したのでエイズ発症も予防できる。したがって、普通にしていれば業務レベルではHIVウイルスを持っているとは普通分からない。分からないはずなのに、何故そのカルテを持っている病院を受けたのかが不可解。虚偽申告と言われても仕方ないような気がする。
ポリティカル・コレクトネスの観点では「HIVは移らないのにそれを理由に内定を取り消すのは不法行為だ!」ということは正論でしかないが、イマイチ何がしたかったのか分からない。
小林よしのり信者は「コヴァ」と呼ばれ若年右翼の代名詞となる。
各板の住人と摩擦を起こし「嫌韓厨」と呼ばれるようになる。
これに辟易する空気につけ込んだネット右翼が「テレビ局は在日に支配されていて韓流をゴリ押ししている」などと吹き込む。
この頃から「ネット右翼」「ネトウヨ」といった呼称が登場し、「嫌韓厨」に取って代わるようになる。
麻生太郎がローゼンメイデンを読んでいた、とする都市伝説が広まる。
後に否定されるが、当時は「麻生は漫画好き」との評判が先行してオタクからの支持を得た。
2chからレスを転載するいわゆる「まとめブログ」が登場して「嫌韓コピペ」などもまとめられる。
2005年から2007年にかけてVIPPERとの抗争があり、いくつかのまとめブログは閉鎖に追い込まれる。
オタクからも嫌われていた福田に対し、人気の高い麻生はネット上で歓迎された。
その際、(2007年の参院選で大勝しており)次の衆院選で政権奪取の公算が高かった民主党が仮想敵となる。
初期の人気ブログが閉鎖したことで「痛いニュース(ノ∀`)」などの新興勢力が台頭し、ネトウヨのポータルサイト的な役割を果たす。
またゲハ系の「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」、アニメ系の「今日もやられやく(やらおん!)」などが人気を集めはじめる。
ニコ動とまとめブログは2000年代後半において2ch文化をネットユーザーに輸出する最大の拠点であった。
「ネトウヨVSそれ以外」の戦いだったのが「自民党支持者VS民主党支持者」という形になりはじめる。
東方神起・少女時代・KARAなどK-POPを中心として流行する。
俳優・高岡蒼甫の訴えをきっかけに「フジテレビはK-POPを優遇しすぎている」との理由でデモが起きる。
対韓感情の推移を眺めると竹島問題のときだけ急激に悪化するのが分かる。
やらおん・はちま・刃・ハム速・ニュー速VIPブログに対して転載禁止の沙汰が下る。
まとめブログの衰退とともに政治議論の舞台はTwitterへと移っていく。
民主党は壊滅的な打撃を受けて撃沈、反民主が親自民へと流れ込む。
「親自民&反民主(=マジョリティ=ネット世論)VS反自民(マイノリティ)」という図式が完成する。
以下蛇足。
アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝因に「ポリティカル・コレクトネスへの反発」「ポリコレ疲れ」が挙げられる。
日本の政治議論にもポリコレ・フェミニズム・グローバリズムなどのレイヤーが被さるようになる。
窮鼠、ねこをはんでごめんな!噛むよな!これまで、ずーーーっとはんでた。
さておき、先週末、tofubeatsのライブの前売りを買った。
まぁ、これで取り敢えず、秋までは大丈夫。
あれを書いた時点で、俺はまだ境界線上にいると思ってたけど、
よくよく考えたら両親は捨て置けないだとか、
色んなアルバムやら、映画がすげぇ楽しみだとか、tofu見にいく約束だとか。
そういう事が続く限りは、もう、だいそれた事なんて、できっこないとわかった。
油断はしないし、悲しいことをしないよう努力し続けるよ。
だから俺が無敵の人ってのは、もう正しくなかった。指摘してくれた人ありがとう。
正しくは、引きこもり歴すげー長くて、発達障害のおっさん夜間大学生だわ。
"ファックファックファーーック(@勝手にふるえてろ)"言ってた。
最近、そういうのほんとに少なくなってた。
あと指摘があったけど、引きこもりなのに夜間学生ってどういうこと?ってのは、
あまり書きこんでなかったから年表書いた。世の中こういう奴もいる的な。
13-23歳
ひきこもっていた。よく覚えていない。
母と折り合いが悪く、父と住んでいた。
すんげーデブいじりされた。同室の元ヤンと買い出しに行ったときに、
一番デカいポップコーンを手にしたら、"納得だわー"といじられる。
俺もすげー納得したので後にジムに通った。
元ヤンは大型取りに来てる人で、車をもってきてた。こっそり海に連れて行ってくれたりした。
浜辺に転がっていたウニに車の鍵を突き立てて、中身をすすった。粗野な味がした。密漁だよな。
ちなみに適正検査は全て最低だったし、VRで受けた危険予測講習では、
24-26歳
より良くなったる!と決意。
一時期、はてなに氾濫していたlifehack、英語記事を全ブクマ。自己啓発書を読みあさる。
"道は拓ける"したかったし、"思考は現実化する"したかった。全部、真に受けた。元気だけはあった。
じっとできない、瞑想できない。野菜350g取れない。今も取れてない。
何度か上記の流れを繰り返した後に、
非正規だったが、二年後には正規に、という今思えばクソほど有り難い話だった。
公衆の面前で誰かを痛罵する人もいなければ、生ゴミぶっかけるやつもいなかった。
周りのおいちゃん達はすきあらばタバコ休憩とソリティアしてたから、
コツコツやってればうさぎと亀というか、そこそここなせていた。
お互い読書や音楽が好きだったこともあり、すこし話すようになった。
本の貸し借りを何度かした。俺は穂村弘とか、向田邦子とかを貸した。
売れっ子かぁ、と舐めてかかって読んで、ビビりまくった。超よかった。
一緒に中洲ジャズにいった。後ろ姿が凛としていて、綺麗だった。
やれたかも委員会の各エピソードは、それがその夜の最適解だと思う。
5時起きは続けてた。DUO3.0やall in oneの例文を単語帳アプリのflashcards deluxeに突っ込んで、
ひたすらシャドウイングしていた。こういう反復作業、めっちゃ得意だった。ADHDで良かった。
ああ、中学行ってないから、導入に教科書と発音用にフォニックスは挟んだ。
完全英語上達マップとか、ライフハック記事に踊らされまくってた。俺だけじゃないよな?
例文でコアラの生態を知って戦慄した。毒ばっか食うてんのかよ。
交通事故でしにがちなんかよ。なんか、ごめんと思った。
そこらへんから、色々と英語で読み下せるようになり、面白くなった。
アクセスできる情報が一気に増えて、"ネットは広大だわ”ってなった。
ご多分に漏れずrarejobもやった。英会話学校も通った。放送大学の単科受講生にもなった。
何も知らずに上辺だけでやり通すのに無理も感じていた。
貯金もある程度できてたので仕事をやめ、バイトしながら夜間大学に行こうと思った。
一番行きたかった神戸市外大の2部には落ちた。地元の2部に通うことにした。
親の力も多分に借りて、一人暮らしを始めた。
27-今
少し背伸びして部屋をしつらえて、初めて友達を家に招いたりした。
一年の頃、大分辛かった。生徒の大半は学習に意欲的でなく、先生もそのことに疲れていた。
鳥が先か、卵が先かというような話ではある。
放送大学の講義、面白かったなぁ、とか思ってた。大学の使い方がよくわかってなかった。
狭い教室での講義も増えた。すこし質問もできるようになり、楽しくなった。
英語で行われる講義や、留学生混合の講義に参加するようにした。
先生に"どこで育ったの?"と聞かれるくらいには話せた。結構、込み入った議論もできた。
ありがとう、はてな、ありがとう、ライフハック。アジア圏からの留学生の賢さにびびった。
そのうちの一人とは縁あって付き合いが長くなり、同棲した。喧嘩もよくした。
母国語でキレたときはやばいと学んだ。まぁ、未だにビビッドな記憶なので、詳細は割愛する。
ただ当時、元彼女が家族とskypeするのを見ながら、家族観もだいぶ影響された。
元彼女はほぼ毎日、おかんと"鯖?"、"じゅてーむ、おぶわー"の人だった。
散々、罵倒しあってきて、今も仲良しこよしじゃないけど、
俺は両親のことを愛してる、といえるようにはなった。
家族間でのトラブルがあったりして、すごく荒んでいた。バイトもきつくなりはじめた。
弁護士相談とかしながら、家ではおっさんなのに泣いてばかりいた。
あまりに身内ネタでエグくて、身内同士でやりあうと行くとこまで行っちゃう感じのやつで、
彼女には心配をかけるばかりで、内容を話せなかった。凄く未熟だった。
彼女をスポイルしてしまう気がして、一緒にいるのが本当に申し訳なくて、別れてもらった。
妹に絶縁された。家から出られなくなった。知り合いにあいたくなかった。
寝れなかった。薬の量が増えた。netflixつけた。
限度額だった。水が止まった。未払い2、3ヶ月で止まると知った。
親父がきた。前より老けてた。凄く泣いた。
久々に参加した講義で、全く英語が話せなかった。超久々にflashcards deluxe開いた。
DUO3.0やら金のフレーズやらやった。すげぇ楽しかった。一ヶ月くらいで話せるように戻った。
それ以外の、少し背伸びして選んだ講義は歯ごたえあるけど、楽しかった。
質問も良くするようになった。わかんない事が多すぎるし、
三十路になった分、面の皮も厚くなった。
後輩だった似たような境遇のおっさんが、大学の事務室で働くようになってた。
涙が出るぐらい嬉しかった。
最近、元彼女ともジムで再会した。幸せそうにしていて、ほっとした。謝った。
"学校はいってる?"だとか、"仕事大丈夫?"だとかひどく心配された。
あんな別れ方をしたのに、まだ友人でいてくれるのが有難かった。
それで、この間のやつを書いた。ついたブコメは本当に全部読んだ。
読みすぎるくらいに読んだ。なんか泣いたりもしたし、
俺の考えが至らなくて悪かったと思うことも沢山あった。
一つ一つ返事したかったけど、明日からテスト期間でちょっと難しそうだ。
昔も今も、俺にとってはブコメの方がその他のメディアよりもずっと距離が近くて。
色んな人が大真面目に、時に露悪的に、物事について話してるのに影響されてきた。
はてぶには、どんなポジションの人でも、弱者に対する視線が柔らかい人が多いような気がする。
そういうのに日々、助けられた。外に出始めてから、出会った人々の中には、
本当に人を削るようなことを躊躇わない人も多かった。
みんな、人のこと構ってられるほど余裕がないから。
学もスキルもない俺がアクセスしやすい職場ほど、ポリコレやら、
アファーマティブ・アクションやら、そういう横文字の綺麗事からは距離があった。
だから、建前であれ、誰かに優しくあろうとする人は本当に凄いと思う。
ポリティカル・コレクトネスの是非とかあるけど、
それを(建前でも)歓迎できない世の中は、ちょっと息苦しいから。
そうそう。勿論、joy divisionも好きだし、UniqloのコラボTもゲトった。
James Blakeも好きだよ。今年はtoro y moiとかも新譜出したし、
chillwaveが流行ってた頃のアーティストのリリースが多くて、嬉しかったな。
あと去年だけど、小袋成彬とか本当にやべー日本人でてきて、それも嬉しかった。
Asianとして、88risingの躍進は楽しんでる。Yaejiかわいい。
映画も超好きなまま。最近、ラースフォントリアーの"ハウスジャックビルト"を観たかな。
相変わらずの胸糞映画で、芸風変わってねえな!と思った。
恐ろしい労力をかけて作られた、最高の精神安定剤やで。
シュヴァンクマイエルもびっくりや。
おかげで教育うけられたわ。恋愛できたわ、貝になったわ、もう色々だったわ。
そう言えば、引きこもりやめて、初めてできた友達もはてぶのユーザーだったわ。
まだ見てるんだろうか。
"早朝、パン屋の前を通ると世の中が動いてる感じがして少し嬉しい"って会話、未だに覚えてる。
たまに思い出し笑いしてた。元気にしてたら、うれしい。
さて書いてる途中でエモくなりすぎて、長くなった。もう朝だわ。
でも今は"太陽は僕の敵"ってよりも、"Everybody loves the sunshine"な感じだ。
完全に薬切れてる。
"started from the bottom"だけど、もう"life's a bitch"なんて思わないよ。
たまに食らって"I'd rather be the devil"とか考えるけど、悪墜ちはしない。
"shit, damn, mother fucker"とかいいながらも、
基本は"love is everywhere"だと信じてたい。
以下、引用とか。
"太陽はぼくの敵" by Cornelius 言わずと知れたクソ野郎。曲はいい。
"everybody loves the sunshine" by Roy Ayers 鉄琴叩いてるファンキーな神。
"started from the bottom" by Drake 元子役。本当はあまり"Started from the bottom"でもない。
"Life's a bitch" by Nas クソみたいな日々だが、俺、お酒控えめにして宝くじ買うぜ!って曲。
"宝くじは愚者への課税"という言葉もよぎるが、団地育ちの20そこそこの黒人が夢を買う手段でもあった。
"I`d rather be the devil" by Skip James NTRソング。切ないファルセットを持った牧師。
映画”Ghost world"でも使われている。良い映画なのでオススメしたい。
"Shit, damn, mother fucker" by D'angelo NTRソング2。D'angeloは現代のPrince的な存在。
とりあえず天才。そして繊細。キャリアの大半は引きこもったり、薬中してたりする。最近復活した。
"love is everywhere" by Pharoah Sanders 御大。恐ろしくながい曲を作りがち。そしてそのどれもが美しい。
"Still Sound"
https://www.youtube.com/watch?v=0Gqh4e1S6j0
"So Many Details"
https://www.youtube.com/watch?v=O0_ardwzTrA
Jamese Blake
"The Wilhelm Scream"
https://www.youtube.com/watch?v=isIABK-0ohQ
"Run"
https://www.youtube.com/watch?v=c0wsotqcKr0
https://www.youtube.com/watch?v=OFvyPVWYnK4
Yaeji
"Drink I'm Sippin On"
私は、僕リベラルに、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、リベラルというものを、この僕リベラルを頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ・・・・・・。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、リベラルであるべきだ。われわれは、僕リベラルに対して、日本人の・・・・・・。しかるにだ、我々は僕リベラルというものに心から・・・・・・。
静聴せよ、静聴。静聴せい。
リベラルが日本の・・・・・・の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みに気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのがリベラル、それが・・・・・・。
静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は僕リベラルを支援したんだ。静聴せいと要ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、二〇十四年の八月の六日だ。何が起こったか。二〇十四年の八月の六日に何が起こったか、二〇十四年の八月の六日にはだ、朝日新聞で、慰安婦関連の記事取り消し、これで大衆世論が完全に反リベラルで制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは僕リベラルが唾棄されると感じたんだ。
なぜか。その日をなぜか。それはだ、大衆世論というものはだ、大衆世論というものはだ、リベラルの知的権力の欺瞞に気づいていかなる世論誘導も嫌疑できるという自信をもったからだ。
僕リベラルはいらなくなったんだ。僕リベラルはいらなくなったんだ。僕リベラルがいらなくなったのが、すでに憲法改正が可能になったのだ。分かるか、この理屈が・・・・・・。
諸君は、二〇十四の八・六からあとだ、もはや憲法の欺瞞を守る愚かな守旧派になってしまったんだよ。僕リベラルが何十年間、血と涙で待った護憲ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついてにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
二〇十四の八・六から数年間、俺は僕リベラルがまともになるのを待っていた。もうこれで護憲のチャンスはない!僕リベラルが主流派になる日はない!憂国の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。僕リベラルにとって存在の本義はなんだ。自由を守ること。自由を守るとはなんだ。自由を守るとは、社会の公正と多様性を守ることである。
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話をきけっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、いま日本人がだ、ここでもって立ちあがらなければ、僕リベラルが立ちあがらなきゃ、護憲ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の・・・・・・アメリカからしかこないんだ。
ポリティカル・コレクトネス・・・・・・ポリティカル・コレクトネスに毒されてんだ。ポリティカル・コレクトネスというのはだな、知性主義でこらえるのが、ポリティカル・コレクトネスじゃないぞ。・・・・・・そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。リベラルが立ち上がる日を。・・・・・・そうしたリベラルの・・・・・・最後の三十分に、最後の三十分に・・・・・・待ってるんだよ。
諸君はインテリだろう。諸君はインテリだろう。インテリならば、自分らの信条と相反する内向きな議論の9条を、どうして守るんだ。どうして国際協調主義を否定し、国際協調の上の平和を阻害するような9条の議論というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の僕リベラルは政治的謀略に、諸君がインテリだかのごとく装っているが、僕リベラルは衆愚なんだ。きさまたちも衆愚だ。僕リベラルというものは、衆愚を守る大バカ者になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のために立ちあがるときはないんだ。
そのために、われわれの宰相を蔑むのはどういうわけだ。
リベラルだからだ。リベラルのために、日本を骨なしにした僕リベラルに従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。よし!知というものはだ、知性というものはなんだ。自分の使命・・・・・・。
まだ諸君は僕リベラルのために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の僕リベラルに対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は天皇陛下万歳を叫ぶ。
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20190408-89265/
いや、叩くつもりでも擁護するつもりでもないんだけど。
SEKIROの難易度が難しすぎてクリアできない人いるってのは、まぁ容易に想像できることではあると思う。
FROMゲーはキングスフィールドの時代からわりと難しいってのは少なくともゲーマーの間じゃ知られてたし。
アーマードコアもシリーズものだからナンバリングによって違うけど、かなり難しいタイトルもあった。
ただ、この手の西洋の記事で最近、高難易度のゲームに疑義が呈されるようになってきたのは
とか
なんていう単純な話じゃない。
もちろん、大雑把に言えばこの2項対立で間違いないんだけど。
まぁ結論を言っちゃうけど、ようは高難易度ゲーを作って障害を持ってる人とか下手くそな人を排除するのはポリティカル・コレクトネスに反するんじゃないの?
っていう話なのよ。
だからずっと向こうのゲームメディアじゃ高難易度ゲームを叩く記事が作られるのね。
全てのゲームメディアがそう言ってるわけじゃなくて、そういう思想を持ったサイトがぽつんぽつんとあるってこと。
で、それに対して反論してるのが「脳性麻痺を患った人がSEKIROのBOSSを倒した」って記事なのね。
つまりSEKIROはポリティカル・コレクトネスに反して無いよって障害者が反論した記事なわけ。
みんな忘れてしまったのだろうか。あの祝祭的な季節を。
ぼくは覚えている。それは90年代半ばに始まった。
海外でアニメが人気だと新聞に報じられ、日本のアニメが国際的な競争力を持ったコンテンツだと、盛んに論じられた。
エヴァのブームや村上隆のアートもそれを後押しした。あるいは岡田斗司夫の各種書籍も貢献していたかもしれない。
アニメは幼児的だとバカにされているが、実はそのローカル性こそが世界では面白がられるんだ。あるいはアニメこそが作家主義を貫いて深いドラマを作れるんだ、とかも言われていたっけ。
まぁ、要するに文学や邦画なんてまったくダメで、アニメこそが日本の誇るべき文化なんだ、という論調が一気に広がった。社会学者や文芸評論家もこぞってアニメを語るようになった。
国もそれに同調して、「クールジャパン戦略」を唱えるようになった。アニメを輸出して日本の文化的プレゼンスをあげようとした。これ自体は音楽を戦略的に輸出したイギリスのクールブリタニカ戦略の猿真似だったけど、実際にやったことは誉めてやっていいだろう。石原慎太郎が「ほしのこえ」を絶賛していたんだぜ。
そうやってゼロ年代半ばにはクールジャパン論はピークに達していた……しかし、その後の惨状はどうだろう。
まずクールジャパン戦略は無惨にも失敗に終わった。これ自体は今でも施策が続いているが、アニメの姿はなりを潜めて、ゆるキャラや各地の名産品を押し出すようになっている。各国にあるクールジャパンショップも同様だ。
アニメこそがすごい文化なんだ、という論調も次第に静かになっていった。アニメを持ち上げる人が、どんどんいなくなっていった。
それはアニメ自体の流行の変化にも原因があるだろう。攻殻機動隊やエヴァンゲリオン、カウボーイビバップといった「大人向けアニメ」はあまり作られなくなり、キャラクターのかわいさを押し出す「萌えアニメ」が主流となっていた。
それはまだいい。致命的なのは「萌え」が語るべき言葉を持っていなかったことだ。
ゼロ年代にはまだ「萌え」こそが思想的に新しくて最先端の消費行為なのだと言い切ることもできた。「萌え」の言葉の意味や、それのなにが新しいのかを語ることができた。
しかし、個別の作品を語るとなると、「このキャラがかわいい」で終わってしまう。これが決定的にまずかった。
なぜなら、それはクチコミで広がらないことを意味している。エヴァはこういう作品で、ここが面白いんだよ、と説明できる。しかし、萌えにはそれができない。言語化できないってことは、海外にも紹介できないってわけだ。
さらには社会的な風潮の変化も、アニメには打撃を与えているあろう。90年代はまだ表現の自由がどこまでも広がっていくという幻想があった。あれも表現してOK、これも表現してOK、村上隆のオタクアートはその幻想を土台にして成り立っていた。
しかし、その後にやってきた現実は、大きなバックラッシュだった。ポリティカル・コレクトネスが席巻し、あれもダメ、これもダメ、という世界がやってきている(かつて政治的な正しさは「生真面目なやつらがくだらない批判をしているぜ」とお笑い草にされていた。そのときの空気は、『政治的に正しいおとぎ話』シリーズで感じ取ることができる)。
これはアニメにとってとてつもない逆風だ。なぜなら、アニメにおいては奇形的であることがクリエイティビティの証明だったからだ。たとえば、ゼロ年代は「エロゲー」をベースにした諸作品が注目を集めたが、これは今ではとてもじゃないが取り上げられなくなってしまっている。
アニメは今ではかつて(90年代半ば以前)のように「省みられない」存在に戻ってしまった。
日本のコンテンツで話題になるのは、コンマリやテラスハウスだ。まだ宮崎駿や新海誠はがんばっているけど、かつてのように「アニメというジャンル自体に優位性があるんだ」という勢いはない。みんな忘れているけど、「すべての映画はアニメになる」なんて言われていたんだぜ。
今ではアニメが話題になるといったら、アニメーターの待遇がどうだ、といった就労問題ぐらいだ。
しかし、この残念な現実を見るに、なんでこうなってしまったんだろうと首をひねってしまう。あれは幻想だったのだろうか。いったいどこで道を間違えてしまったのだろう。みんなあのころのことはどう思っているんだろう。忘れてしまったのだろうか。あるいはまた盛り上がることがあるんだろうか。日本の未来は、これからどうなってしまうんだろう。
例えば賢い増田なら「PC」って言葉を聞いたときにwindowsPCの事をイメージして、OSXがインストールされたMac端末の事をPCとは看做さないし況してやiPadなどもPCとは扱わない訳じゃん。
ところが、一般人からするとMacどころかPC-98のこともPCとするし、なんだったらポリティカル・コレクトネスのこともPCとしちゃうわけだ。
これは何がそうしているのかというと、知識というよりは「歴史認識」の差がこの違いを生むわけよ。
だから、文章に何がどう書いてあろうと「この人はこの文章を書いたときに何を想定して書いたのか」が明文化されていないと(あるいは明文化されていたとしても)意識合わせって作業が必要になるわけじゃん。
具体例を言うと憲法24条には
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
ってあるわけだけれど、現代人の認識は「両性」っていうのは「雄/雌」を指すわけだけれども、憲法制定時は実は「両性」っていう苗字の人がいて、その人が結婚を許可してたとかのかもしれないし。
そこらへんに質問投げてくるとかは単に面倒臭いだけで人の能力がどうのこうのという話でもねえな。
寧ろ丁寧であるとすら思える。
こういうのには、やっぱ思想教育よ。思想教育から始めれば相手が何をおもんぱかってるかのロジックをシンプルにすることができるからなw おススメ。
真のポリティカル・コレクトネスはここからはじまると俺は信じている
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ポリティカル・コレクトネス
これ見てて思った
性別を限定する職業を男女共通で使えるようにするのもポリコレだが↓のように
職業 伝統的な表現 ポリティカル・コレクトな表現
議長 chairman chairperson または chair
実業家 businessman businessperson
写真家 cameraman Photographer[要検証 – ノート]
英語で見ると男性限定の表現だったものが女性も使えるようになった例が多い
それに対して日本は女性限定の名称が男性も使えるように変更されたものが多い。
カメラマンやビジネスマンキーマンのような海外では既に改定された用語はそのままなのは、日本人はマン=男という意識が薄いからだろうか?
看護士 看護師 2002年、保健師助産師看護師法改正。男性も職業に就いているため。
障碍者 「害」の字が使われていることに不満がある人の感じる悪い印象を回避するため。2001年(平成13年)に東京都多摩市が最初に採用。
助産婦 助産師 2002年、保健師助産師看護師法改正。ただし現行では資格付与対象は女性限定である(同法3条)。
保父 保育士 1999年、児童福祉法改正。男性も職業に就いているため。
キャビンアテンダント (CA) 1996年に日本航空が従来の呼称を廃止。他社も追随した。世界の航空会社では、男性も従事している。
トルコ風呂 ソープランド トルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリの抗議により、1984年に改称。
女優 俳優 男優という言葉があるのにもかかわらず、男性のみに俳優という肩書が使われることが多いため。
メクラフランジ 閉止フランジ JISなども改正済み 英語ではblank flange・blind flangeなどと云い、JISでも記号はBLと残る
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの監督が降板させられたなら、ディズニー内にこんなポリティカル・コレクトネスに反しているシリーズがあるなんて即時撤廃だな!
第一章 前提
1.キズナアイに限らず、理系男女はSF好きなんで、こういうサイボーグ的なやつは心の奥底では嫌いではない。
2.ただ表現をなりわいとしない理系男子がしかけると、だいたい一般女性や理系の女性にひどい嫌悪感を抱かせて失敗する。
2-1.実例 ロボット学会(掃除婦)、日本化学会(理系を志す一般高校生女子に向けた記憶に残したくない惨状的メッセージをユーチューブにアップロードして即日削除)
2-2.理由 ポリティカル・コレクトネスと表現の機微について普段から1秒も考えてない人が5分で考えたデザインを発注した。
2-3.結果 なんかほんときもい。無理。
2-4.社会への波及効果 もちろん規定の金額と期間で受注した絵師は何も悪くないため、絵師のファン・潜在的好感者も巻き込み「うちの神絵師に何してくれる」「あの絵柄はいい絵柄だ」「エロくないからいいじゃん」と反論大炎上
3.なんで理系オタク女子としてはとても複雑。後輩に楽しく同じ道を選んでほしいのに、女性として幸せになりたいならこんな男女差別ひどいとこ来るなとも思うし、萌え絵がただで見られるのはちょっとうれしいけど、どうみても嘘くさい無理やりな男女平等的表現みせられバレバレだから誰もこないから嬉しくなくて、そもそも、あの絵師ならパイオツ/メカ/童画を塗らせてなんぼだろ、本来単行本を出す時間をこんなんに割いてくれて個人的にはうれしいけど同好の士には申し訳ない、みたいな。
第二章 今回の例について
1.メディアがNHKだったから女性弁護士が驚いてたけどこんなもんしょっちゅうだよ。はなほじ。あっでも遠回りにいつもお世話になってるかもなので表立って反論は言いたくない。
2.ただし、いろんなタイプの人をいくつも無視して踏み越えてツギハギ表現しようとしたNHKはほんとに下手だねーと思う。どんな気持ちかっていうと
2-1.ノーベル学者らの定義を正しく、厳密に、省略せず報道してほしいという気持ち。
2-2.一般女性の、いちいち脅迫的な萌え美意識をおしつけられずに情報を得る目的が達成されるだけのテレビを見たいという気持ち。
2-3.Vチューバー支持者の、うちの子は至高の癒やしアイドルだという気持ち。「○○ちゃんはそのままで十分かわいい」
3.結果 だれがみてもバカバカしい。ノーベル賞の解説は先クール放映されたばかりのはたらく細胞の7話で(萌え絵でなく)ちゃんとわかるってツイッターでもりあがってる最中にわざわざ萌え絵キャラだ。なら男性チューバーもアシスタントのアシスタント役(立ってるだけ)で出せよ。クールジャパンつながりにしようとしたのか、ひどいジャンル違い。
4.さらに旧帝大卒理系女子から一言いわせてもらうなら クール・ジャパンを唱えるより東京医科歯科大学とか氷山の一角の女性差別を先にどうにかして国際競争力をあげろよ、男は本当単細胞的に頭わるいから、過去も将来も女という生き物を使いこなせず男の考えた性役割(=遠回しなお母さん)におしこめつづけるばっかり。(たとえばフッ素と塩素は、素材として違うとはいえ互換性が相当あるようにそもそも神がつくってあるのに、素材の色が嫌いだからフッ素だけ使わないとかやってたら何も研究が進まない。それが人間の男女ではまず片方しか見ないのが普通。バカ?)。
5.クールジャパンについて 原画さんアニメ監督さんばかりでなく下積みの動画さんにも給料もっとやってくれ。声優は東京以外でもイベントやってくれ。
イコールって言ってもセリーナがトランプの支配するアメリカの象徴って意味ね。
岡田光世 「トランプのアメリカ」で暮らす人たち 全米テニス決勝で吹き出した政治的分断
https://news.infoseek.co.jp/article/20180916jcast20182338771/
反トランプ派
この一連の騒動について反トランプ派は、 「どんな手段を使っても勝ちたいというセリーナは、大統領選の時のトランプと同じだ」、
「気に入らなければ、相手を激しくたたく。まるでトランプだ」、
「セリーナも観客も、同じアメリカ人として恥ずかしい。アメリカ・ファースト。アメリカ人以外の選手には敬意も払わないのか。観客は親トランプ派に違いない」、
親トランプ派
一方で親トランプ派は、まったく逆の捉え方をしている。
米国の政治や社会を紹介するウエブサイト「スペクテーターUSA」には、
「泣き言を言うセリーナ・ウィリアムズはテニス界のヒラリー・クリントンだ(Whining Serena Williams is tennis's Hillary Clinton)」との見出しで論評が掲載された。
「思うように試合が運ばないと審判に怒りを爆発させるセリーナは、2016年大統領選で自らの敗北をさまざまな不正と他人のせいにしたヒラリーと同じだ」と指摘した。
親トランプ派の捉え方は割と珍しい解釈ではなく、オーストラリアの諷刺画はもちろん、
リベラルな立場の人が多いはてぶでも似たような「セリーナ・ウィリアムズ=ポリコレの象徴」解釈だった。
ウィリアムズは暴言、権力に訴えて無理矢理自分の意見を通そうとするナショナリスト。
この解釈に基づくなら、アメリカの反トランプ派にとっては大坂なおみこそが真のポリティカル・コレクトネスの大権現なのか?
てっきり女性差別や人種差別と闘う母であるウィリアムズを下した時点で、
大坂を応援する側がジャパニーズ・ナショナリスト認定されているのかと思っていた。
複雑すぎて良く分からなくなってきたよ?