「私が不快だから世の中が対処しろ」という言説が通常成立しないことは多くの人がわかっている。
そのため、多くのケースで「私が不快だから」の部分は「常識・良識」「ポリティカル・コレクトネス」「私以外の誰かの被害」といった衣を纏って表現される。
「○○だから性的なコンテンツを排除しろ」
「○○だからハロウィンをやめろ」
「○○だからオリンピックをやめろ」
これらの発言をするとき、○○の背後には「私が不快だから」が入っていないだろうか。
いずれかの言説を非難しながら、別の場面で同じ言説をしていないだろうか。
Permalink | 記事への反応(1) | 09:00
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ハロウィンの話だと、非常識に騒ぐ奴らが多すぎて問題が起きてるからやめてしまえ!と思っているが、 それをお前が不快なだけだろと反論されてしまうと話が平行線になる。
「問題が起きるからやめる」より「問題を解決する」のほうが生産的だと思うけどなー。 あれだけ人が集まるイベントなんてそうそうないし。
ハロウィンは飲酒禁止にすれば問題は解決する あれだけ人が集まってみんな酒を飲んでたら トラブルが発生するのは当たり前