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はてなキーワード: ブログ記事とは

2021-08-11

住宅購入したみたいなブログ記事書くエンジニアはてなブコメにご執心の低所得エンジニアって、

ネットがなかったら絶対に交わることのなかった人たちだと思うんだよな

2021-07-27

雑誌映画秘宝』の記憶(59)

 健康がすぐれないので、この投稿は短めです。

 小山田圭吾障害者虐待に関して執筆されたQuick Japan(QJ)やRockin' On(RO)の記事、そして北尾修一によって発表された村上清と小山田圭吾擁護するブログ記事を読んで、改めて感じたのは「自分たち(=サブカル業界人)の欲求愉悦のためには、他者尊厳を踏み躙ること、他者負担を負わせることを何とも思わない」と云う、昔も今も変わらないサブカル業界人自己中心的な体質です。そして、この体質は、町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 件のQJ連載記事いじめ紀行』の中で村上清は「イジメエンターテイメントだ!」と明言しました。それが本当ならば、村上清は何故、彼自身イジメ加害者取材しなかったのでしょうか?何故、村上清は、彼自身イジメ加害者を探し出し、彼(ら)を取材して、村上イジメた時に加害者(ら)が覚えたであろう興奮や愉悦、或いは村上自身が舐めた辛酸屈辱感について、詳細にレポートしなかったのでしょうか?何故、村上清は加害者(ら)と「アレはヤバかったよね(笑)」と、いじめトークで盛り上がらなかったのでしょうか?村上清が言う「救いが無いことも含めて、イジメエンターテイメントだ!」と云う主張が本物ならば、村上にはそれが出来たはずです。

 もちろん、村上清がそれをしなかった/出来なかった理由は分かりきっています。本当は「村上清にとってイジメは、決してエンターテイメントではなかった」からです。記事執筆した当時の村上清は、彼自身イジメ加害者に対して、依然として恐怖感や忌避感を抱いていたのです。

 本当は村上清は、彼自身イジメ加害者リベンジたかったが、それは村上には出来なかったのです。本当の加害者へのリベンジが出来ないことは、村上清にとって大いなる屈辱であり、劣等感の源でした。その代償行為として『いじめ紀行』を執筆し、それを通じて仮想的に加害者となることで、被害者としての屈辱感を解消しようとしたのです。

 この村上清の行動は、見れば見るほど町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 小山田圭吾に対する世間批判が高まった後、町山智浩Twitterで「悪趣味鬼畜カルチャー原動力は、電通ホイチョイフジテレビ的なカルチャーへの対抗心だった」と云う主旨の発言を行いました。また町山智浩だけでなく、旧体制映画秘宝』全体が、ジョックス(米国スクールカーストで上位である体育会系)に対する怒りと憎悪を撒き散らしていたことは周知の事実です。

 では町山智浩らは、その電通ホイチョイフジテレビジョックスに対して復讐したでしょうか?していません。町山智浩らの怒りや憎悪を向ける本来相手である電通ホイチョイフジテレビジョックスには町山らの力では敵わないから、その鬱憤を晴らす代償行為として、女性同性愛者やアニメ愛好者を攻撃して、憂さ晴らしをしていたのです。或いは『映画秘宝』内部のカースト下位の人間(ギンティ小林等)に対してパワハライジメをして、いじめ加害者としての立場を楽しんでいたのです。

 そして、町山智浩による筋違い鬱憤晴らしは、今なお止むこと無く続いています現在町山智浩は、女性差別蔑視発言同性愛差別蔑視発言を繰り返しています

 このように比較することで、悪趣味鬼畜系であろうがなかろうが、また90年代から変わることな現在も、サブカル業界人たちは、恨み(?)を晴らすべき本来相手に敵わないが故に、その鬱憤を晴らすために「弱そう/反撃してこなさそうな相手」を選んで攻撃している卑怯者たちであることが理解できると思います

 この投稿は、以上です。

2021-07-24

からも反応されてなくて時の重みに埋もれているが

個人的には見所のあるようにみえブログ記事を見つけたときは、それ増田コピペ投稿してみて

それが今の時代ならどれだけ通用するのか確かめるということをすることがある

2021-07-22

anond:20210722200435

あのブログ記事個人的違和感満載だったな~。

ルックバックが取り上げなくたって、大多数の人の中の統合失調症患者イメージなんてあんなもんでしょ、って思う。

私も破瓜統合失調症患者からやっぱり陰性症状が強いけど、そんなの病人精神医療関係者以外にはわからないでしょ。

残念だけど専門医以外なら、医療関係の人だって陽性症状」と「陰性症状」の違いを知らないと思うよ。

実際、「陽性」の患者はあの加害者みたいな感じだよ。

意味不明被害妄想、本人以外には理解出来ない言動、本人以外には理解出来ない理由による暴力行為

それを家庭内だけでどうにか出来ないから、統合失調症陽性期の患者入院させられることも多い。

過去犯罪を見ても、この犯人統合失調症陽性症状可能性高いな、って人がけっこういる。

統合失調症陽性期の患者は、医者にかからせるのだって大変なんだ。(なぜなら、自分のことを周りが殺そうとしている。医者のフリをして毒を処方している。って妄想するから

これがテンプレとされるのは、そういう患者が多いからだよ。

あと、目立つから

破瓜型は、陰性症状が強い統合失調症

陰性症状が強く出ると喜怒哀楽感情が鈍麻して、意欲減退も著しいから、暴れる元気もないってだけ。

うつ病に似てる。

その間に医者にかかり、薬を処方され、治療を適切にされたから当該ブログ主精神病患者にしては順風満帆人生を歩めてるってだけなのになぁ。

だいたい、ルックバックのどこにも犯人統合失調症とか精神障害者とか、書いてなかったんだよね…。

アホかな、って。

2021-07-20

趣味としての社会的制裁・入門

いままで麻雀趣味にしてきたんだけど、勝てなくなってきた。麻雀は高度にメンタルスポーツなので、精神が安定していないと常に注意を向けていることが出来ず、微妙な見落としが増えてレートを落としてしまう。このご時世にライフイベントストレスが重なって、心が荒廃してきたいま、麻雀で楽しみを得るのは難しくなってきた。

社会的制裁が人気だ。

はてなブックマークニュース記事を読んでたまに人気コメントを眺めるくらいで、積極的には利用していなかった。ここ最近特定人物過去邪悪が掘り起こされる事態が重なっていて、そこで気づいた。見過ごされてきた加害者に法的機関に代わって、報いを与える活動… いわゆる社会的制裁流行ってるようだ。拳を振り上げるのは、ボクシングみたいな痛みをともなうスポーツでない限り、リアルでやると怒られてしまう。でも社会的制裁は、何せ相手が「自業自得」のやらかしをしでかしていて、しか参加者が多いので、自由にできる。これがいまパワーユーザーたちの間で盛んに行われてるようなのだ

ならば暇人の私もしてみんとてするなり、と思ってやろうとしたのだけど、実際にやってみようとすると、これがなかなか難しい。例えばこの記事

小山田圭吾問題を扱ったテレビ報道【追記】

各局の報道傾向を知るためにまとめました。バッシングクレーム等への利用は望んでいません。

本日18:55頃辞任の報道がありました。以下はそれぞれ辞任決定前の番組についてです。

個人的NHK報道なしは残念です。

もしコメントするとしたら、例えば、こんな感じになってしまう。

いじめ被害者を救うために、事実を広める力を持った報道関係者は少しでもいいから力を貸してほしい。

微妙である

まず、叩きたい相手某氏言及できていない。報道っていじめ被害者を救うのには何の意味も無くね? って疑問符もつく。到底、同意スターは望めそうにない。

社会的制裁に貢献する効果は薄そうだ。

いちばん問題は、自分自身書いててカタルシス感が、胸がスーッとする気持ちが得られないこと。

人気記事の人気コメントのように、やっつけた! っていう勝利感もない。どこか鬱々としたモヤモヤが心に残ってしまう…

それで調べたんだけど、社会的制裁の入門用テキストって、ぜんぜん見当たらないのな?

これだけネットで盛んな社会活動なのに、紙の本はおろか、ブログ記事さえほとんど見当たらない。なんらかの才能 (文章の? 問題指摘の? ) を持った頭のいいインフルエンサーたちが、それぞれ我流習得したスキルに支えられているみたいだ。もし適切なインストラクションがあったなら、興味を持った若い人も参加しやすくなるのに。ネット正義の声は数が大事なんだから、活発にするための潤滑剤的役割重要だと思う。

というわけで、お前らの考える、社会的制裁効果的にやっていくコツを教えてください。趣味として社会的制裁を上手に回していくためのヒントとかも歓迎します。ストレートに「社会的制裁入門」のブログ記事を書いてくれる勇者がいたら、なおのことありがたいです。

追記

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なんで新しい趣味に、社会的制裁を選ぶのさ?

リアルボランティア活動に参加できれば、より良いのだろうけど、いま現在の状況では厳しくて。代わりにネットでの社会的制裁は、気軽に参加できてハードルが低い上に、マイナー趣味特有孤独感も少なそうで、おまけに慈善性も高いです。慈善性に関しては、まあ実を言うと、のちのちに婚活とか?で役に立つかも、って気持ちも正直無くはないです笑。それは下心だけど、そもそも趣味だし結果善ならとやかく言われる筋合いはないと、個人的には思ってます

はてなブックマークでは、まさに今の絶妙タイミング攻撃的なコメントナーフする修正が入ったみたいで、一時的プレイヤーの入れ替えはあるかも知れないけど、今後も界隈が拡大していくことは間違いないでしょう。

2021-07-18

小山田障害者全裸にしてウンコ食わせてバックドロップした」はミスリードだろ

雑誌インタビュー全文についてはググっても見当たらないので、下記のブログ記事引用されている原文抜粋から解釈になる。

小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

小山田圭吾のいじめを次世代に語り継ぐ - 孤立無援のブログ

全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニー」をさせたのは小山田ではなく、留年した一歳上の先輩だよね?

いじめられていたとされる村田さんバックドロップしたエピソードが出てくる。

その中で、突然現れた先輩が村田さん洗濯紐でグルグルに縛ってオナニーさせたので、小山田はその先輩の行動を見てヤバイと思ったと語っている。

なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場なっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。

世間ではあたか小山田が「全裸にして紐でグルグルに巻いてオナニーさせた」かのように拡散されているのだが、やったのは先輩。

そして小山田は先輩と一緒になってやったわけではない。逆にその先輩の行為を見て引いていた。

そしてこの村田さんについては、後に定時制高校へ通いパチンコ屋で働いていたとは書いてあるが、

村田さん障害者とはどこにも書いてないし、原文抜粋だけではわからない。

雑誌が手元にあって確認できる人がいたら是非教えてほしい。

ウンコを食わせた」のは事実だろうか?

ウンコ食わせた」については、確かに冒頭で小山田発言している。

うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ

ただ、上記以外で小山田自身障害者うんこを食わせたという描写は見当たらず、

悪ノリで誇張して話していた可能性も否めない。(もしくは編集サイドが盛っている)

実際あったのであれば、それこそいじめのえぐさをアピールするために詳細を語るはず。

障害者ウンコを食わせた描画なんてあるだろうか?

痛いニュース話題になっている年賀状について

痛いニュース(ノ∀`) : 【悲報】小山田圭吾さん、障害者の息子と母親が一生懸命書いた年賀状を雑誌に晒して笑い物にしてしまう - ライブドアブログ

この年賀状の送り主である沢田さんについては、実際に雑誌インタビュアー沢田さんへ会いに行くエピソードが綴られている。

沢田さんのお母さんはインタビュアーに対して、

卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれいるから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」と答え、

沢田さん自身は「小山田さんとは、仲良かったですか?」と訪ねられると、「ウン」と回答している。

もし、実際に小山田沢田さんがいじめっ子いじめられっ子の関係であれば、このような受け答え方をするだろうか?

仮に小山田が我が息子をいじめていたと考えているのであれば、怒りのあまり息子をこの場に同席させるようなことはしないだろう。

まり沢田さんとお母さんは小山田いじめられていたという認識は無かったと考えるのが自然

そして、この年賀状には「手紙ありがとう」と書かれていることから小山田は以前に沢田さんへ手紙を送っていたと思われる。

さら雑誌掲載当時の小山田は26歳だと考えられるが、鬼畜であるはずの彼がその年齢まで年賀状を大切に保管するだろうか。

小山田自身沢田さんをいじめていたという自覚がなかったと考える方が自然ではないだろうか?

そして最後に、このブログ記事にはコメント機能がついており、過去に下記のような投稿も残っている。

本当に小山田鬼畜だろうか?

さえ

いじめ話がロッキンオン掲載された時は、編集アホかと思った。小山田氏をずっと好きだったのでショックだったけど、ただ私が昔行っていたコーネリアスライブには毎回車椅子の重度の障害の方が見にきていて、必ず小山田氏はその人の前でギターを弾いていた。長いこと。まるでその人のためだけにというように。羨ましかったのを覚えています。ほんとの彼は根っこは優しくていい人だと思う。ひねくれていたのが魅力だったのもあり、彼はちょっとおもしろおかし過激表現をしたがるきらいがありますから。とにかく、活字にして載せたロッキンオン馬鹿



以上のように、抜粋原文からは少なくとも拡散されているような

小山田」が「障害者」を「全裸にしてウンコ食わせてバックドロップした」というのはミスリードである

インタビュー記事について、本人は悪ふざけの延長でやってしまい、おそらく雑誌記者の誇張もあるだろう。

もちろん嬉々として語る様は悪趣味であり、それについて擁護するつもりはない。

本人も認めているようにいじめていた事実障害者を軽視した発言避難されて当然だ。

だが、原文も確認せずメディアミスリードに煽られるがままに激昂し、あまりにも冷静さを欠いた集団リンチも見ていて気分が悪い。

それどころか、被害者年賀状晒すような痛いニュース記事咎めものもいなければ、

何故いじめが起きてしまうのか、今後どうしたらいじめが無くなるのかについて建設的な方向で議論しようとする人もいない。

障害者いじめ鬼畜」というわかりやすい敵をつくって怒り狂い、炎上を楽しんでるようにすら感じる。

五輪を降りたところで止まないだろうし、自殺するまで追い込まないと気がすまないんだろうな。おまえらの方が鬼畜だわ。

2021-07-12

https://www.tyoshiki.com/entry/2021/07/12/124806

これ読んでぱっと思い浮かんだのが「掲示板オフ会他人と話すのが好きな人」だった

話してて分かるんだ

あぁ、この人は「語りたい」のだなぁって


ゲームが好きな「結果」誰かと語りたい人と

誰かと語りたい「結果」ゲームを遊んでる人って違いが出るんよ

哀しいのは、後者自身アイデンティティを「オタク」だとするんだよね

だけど、加齢とともに周りから語れる相手が減っていく

掲示板文化みたいなのが残ってればそれでも居場所はあったかもだけど今はSNS時代


そういう人って、自分が楽しめなくなった原因を「誰かと語れないから」ではなくて、「コンテンツがつまらなくなった」に見出そうとする

だって自分オタクで、積極的コンテンツを楽しんでると勘違いしてんだもの

艦これグラブルFGOウマ娘

あなたはどうして、ソレを選びましたか

絵描きさんだとしたら、そのジャンル二次創作をするのはなぜですか?

そのブログ記事、どういう心持で書きましたか

廃人活動もしてないのに楽しそうにしてる人と、がつがつやってもなんだか空虚あなたとの違いは、どこにあると思いますか?

みたいな

的な


今でも、ときメモセンチで楽しそうに語れる人らがいる

ふらっと青森に行っては、ラブリッジを写真に撮ってTwitterに流し、友人が数人「わかってる」コメントをする

仰々しく聖地巡礼とか書かない

そういう反応を期待する「趣味」ではないしね

革細工にしろ料理しろ自転車しろ

他者の中の自分」が目的の「趣味」はコミュニティをきちんとしないと長続きしないように思う

それらはインプットとかアウトプットとかそういう話じゃない、どうしようもなく他者依存のもの

そうでなく、「自己完結」型の趣味は長続きする

そりゃそうだ、だってどこまで行っても自分が好きだけでやってんだから


そういう違いをきちんと把握して

自分真実なにを楽しんでいたのかを間違えてしまうと

趣味対象を憎んだり、加齢で楽しめなくなったと勘違いしたりしてしま


コミケオフ会で知り合った人に何人もそういう人が居た

Kanonとか、お前絶対に好きなのは名雪じゃねぇよってな(お前が好きなのはあゆあゆだって意味じゃねぇぞ)

2021-06-30

批判されている発言の主はマナー講師ではないのではという疑問

はてな国語力が心配って増田が少し前にあがってたけど、元記事自体を知らなかったのであまり深く読んではいなかった。

……のだが、マナー講師記事の件で思うことがあり、自分も(自分自身の読解力も含め)心配になってきた。

記事ブコメも(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/b1db3381daf47f209c12b69c6d8bd962e7caa6ad

これを紹介したブログ記事ブコメも(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/koshian.hateblo.jp/entry/2021/06/29/162343

マナー講師リモートワークをわかっていないと責める声が多い。

でもあげつらわれている以下の箇所。

Mさんは「チームメンバーと話す際は、カメラはオンにすべき」だと考えている

この発言の主だが、少し前を見れば

メーカーインフラ事業部所属するMさん(47)

だとわかる。Mさんマナー講師ではない(と読める)。というか、この発言の時点では記事内にマナー講師は出てきていない。

Mさんは、この4月から新人育成の一環として業務トレーナーも務めることになった

ともあるからトレーナーだってマナー講師みたいなものだそんな気持ちじゃダメだ!みたいな感じなのかと思ったけど、それだけでここまでマナー講師という名詞を出されない気がする。

マナー講師と言える人たちの意見が出てくるのは記事の後半。以下にその方々のインタビューの答えを、元記事https://news.yahoo.co.jp/articles/b1db3381daf47f209c12b69c6d8bd962e7caa6adから引用する。

一人目:オンライン会議マナーについて

画面上の配置は、いわゆる“謎マナー”なのかもしれません。画面上の席次にこだわる方もいらっしゃいますが、そこまで気にする必要はないと考えます。話している人がきちんとわかるような配置にすることを重要視した方が良いでしょう。それよりも、主催者時間を守ること、また参加する人たちは会議を中断させないよう事前にネット環境確認しておくことなどが、マナーとしては大切なのではないでしょうか

オンラインでも、できる範囲で顔出しするのがマナーとしてはいいのかな、と私は考えています。これまでは出社して必ず顔を合わせてきたわけですからバーチャル背景やお肌をきれいに見せる機能もあるので、そういったものを駆使されるといいですね。ただオン・オフは、企業部署によって、認識が違います上司の方々がオフでいきましょうとおっしゃれば、オフでいいですよね。そのあたりは、柔軟に。いいとか悪いとかいうことではなくて、中にはオフにすることを印象として残念に思う人がいる、ということを知っておく。どのシーンでも、自分相手にどういう印象を与えるか、という想像力が大切です

二人目:謎マナーについて

マニュアルが先行することで、目の前にいる方への配慮がおろそかになるのは本末転倒です。『ビールのラベルを上に』という謎マナーも、例えばそのビール会社の方への接待であれば敬意を示すことになるかもしれませんが、一般的には、心を込めて注いでいるという態度があれば、ラベルの向きはどうでもいいこと。ローカルルール本来マナーとを混同しないことです



もちろんこれでも重箱の隅をつついて「できる範囲で顔出しがいいとも言うべきじゃない!」と批判できるのかもしれない。また二人目はマナー講師関連の協会理事長から、それだけで叩きたくなる人もいるかもしれない。

自分だってマナーを吹聴する自称マナー講師の話は大嫌いで、この元記事穿った見方で読み始めた。

でも、マナー講師インタビュー部分は案外無難なことを言っているという印象を抱いた。強いて言えばつつけそうな「できる範囲で顔出し」にせよ「私は」と一言置いている。

少なくとも記事だけから判断する限りは全体的に二人ともブコメマナー講師死すべきレベルで叩かれてるほどのことは言っていないように思えて、名前を出している記事内のマナー講師が気の毒になった。

マナー講師憎しできちんと記事読んでない人も多いのかな。

リモートワークではなるべくテキスト誤読しないことが重要スキルになると思うのだが、でも、紹介ブログブコメの読み取り方が正しいなら、今度は自分の読解力のまずさが心配になってくる。

予想される反論

記事構成が悪い、誤解しやす

記事を分割するのが悪い

・この記事マナー講師も当たり障りのないことしか言っていない

2021-06-28

猫を看取った話

実家で飼っている猫を看取った。

18歳の黒猫。気の強いメス。

当時小学4年生のわたしが初めて拾った猫だ。

名前を「ラッキーちゃん」とする。

ラッキーちゃん小学そば公園で拾った。

3匹中2匹は既にダンボール箱の中で息絶えていて、彼女けが生きていた。2匹は木の下に埋めて、小さな草花を供えた。

小学生だけで近くの動物病院に立ち寄ると、栄養補給用の缶詰を持たせてくれた。今思えばすごく優しい先生だ。

わたしは着ていた体操服の裾を伸ばして、そこに子猫を乗せて帰った。

家まであと30メートルくらいのところでオシッコをされて、慌てて走った。

キトブルーだった瞳は、成長と共にイエローに変わった。

うちには既にキジトラシニア猫がいて、ラッキーちゃんの遊び相手をしてくれた。

それから18年。

シニア猫も亡くなり、今はラッキーちゃん含め5匹の猫がいる。

みんな私や家族が拾った捨て猫や、団体から引き取った保護猫だ。

ラッキーちゃんは、避妊手術以来、大きなケガや病気したことが無かった。

加齢による足腰の弱りがあるくらいで、毎日鳴いて美味しいご飯要求してくれた。

体重は常に3キロ台後半をキープ。毛艶もよく、とても18歳には見えなかった。

から約1週間前、そんな彼女が、急に食欲を失って風邪を引いた。

母が動物病院に連れて行くと、体重2.5キロ

食べなくなって1日も経っていないのに、前回の測定から1.1キロも減っていた。

脱水傾向はあるが点滴は提案されず、風邪に対する治療を受けた。

回復の見込みがあると思い、母がシリンジで給餌してくれた。

ヒルズのa/d缶と、ヤギミルク。モンプチのおいしいスープ

ところが、ラッキーちゃんはみるみる衰弱していき、ついに起き上がれなくなった。

木曜日

時間だが呼吸が止まることもあり、もういつ旅立ってもおかしくないと思った。

思い立ってから30分で今の家を出た。焦りのあまりフライトの日付を見間違える。

新幹線に乗った。

自粛生活を続けてきたこと、有休消化で2週間以上通勤していないことが幸いして、感染リスクの低い帰省に出来たのは良かった。

22時30分。

ラッキーちゃんは静かで、穏やかな呼吸を繰り返していた。

ただし、時折立ち上がろうとしてはすぐに倒れてしまうため、目が離せなかった。

死期が近い猫は体温が下がる。猫自身、冷たい場所を求めるという看取り経験者のブログ記事を思い出した。

ラッキーちゃんも冷たいフローリングを好み、体温でぬるくなったら冷たい箇所に移動しようとしていた。

体を十分動かせないためか、顔の筋肉が少しずつ硬直しているように感じた。

その晩はラッキーちゃんの過ごす部屋に布団を敷いて寝た。

起き上がるたび、頭や腰をフローリングにぶつけないように守った。

午前3時すぎ、彼女が寝付いたのを確認して、わたしも仮眠を取った。

金曜日

リンジで水分補給するが、飲み込む力がかなり衰えている。

水を摂ると粘り気のあるよだれが出て、少し呼吸し辛そうに見える。

昼を境に、シリンジの使用は中止した。

口の周りが乾かないよう、水を吸わせたティッシュで優しく拭いた。

呼吸は、更に弱々しくなった。

膝に乗せ、大好きな庭に出て日光浴をした。

芝生の上はひんやりして気持ちよかったらしく、穏やかな呼吸を感じた。

夜、仕事を終えた兄も帰宅した。

その日は母と私、ラッキーちゃんと同じ部屋で寝た。

この頃から血の混ざったような色のよだれが出始める。

キッチンペーパーを敷いて、頻繁に交換した。

土曜日

早朝5時、ふと目が覚めてラッキーちゃんを見ると呼吸が早い。

母を起こして2人で見守る。

瞳孔は開いたままで、瞼も閉じられない。

しばらくして呼吸が落ち着いたものの、何度か弱い呼吸の波が来る。

大丈夫、みんな居るからねと声をかけるたびに涙が溢れて、もう声にならなかった。

ふたたび呼吸が落ち着いた頃を見計らい、母と2人、少し遅い昼食を用意した。

ダイニングテーブルの上にラッキーちゃんを乗せ、兄が見守ってくれた。

その時は突然だった。

いま呼吸が止まったと兄が言う。

走ってダイニングテーブルに向かうと、何秒かごとにフーッと大きく息を吐き出していた。

心臓のあたりに手を当てると、今までで一番ゆっくりと鼓動していた。

これは最期の呼吸だ。

大丈夫からね、みんな居るよと声を絞り出す。

耐えられず、母に心拍確認を代わってもらう。

間もなく、ゆっくり心臓が動きを止めた。

直後、全身にグッと力が入り、顔を少し上げた。

そして、脱力した。

猫も1〜3分間は耳が聞こえるという情報を見たことがあったので、泣きながらたくさん声をかけた。

ありがとう。良い子。お疲れ様。頑張ったね。えらいね

眠るように穏やかな表情だ。

そうして、ラッキーちゃん私たち家族の18年間が幕を閉じた。

涙は止まらなかったが、ここで事前に調べていた看取りの知識が生きた。

お尻にティッシュをあて、漏れてくるオシッコを吸収する。

硬直が始まる前に、丸まって寝ている時のような姿勢を作る。

汚れたところは拭いて、ブラシで毛並みを整える。

キッチンペーパーで包んだ保冷剤を四つ、お腹の近くに入れる。これは6時間おきに交換。

お顔を見る時以外はバスタオルをかけ、冷房をかけた部屋に安置した。

看取り経験者のブログから学んだ、綺麗にお別れするために必要なことだ。

火葬は評判のよい業者に依頼した。

丸一日後に来てもらうようにしたため、花を買いに行った。

晩年性格が丸くなり、穏やかだったラッキーちゃん

せめて沢山の花で送り出したいと思い、花屋を四軒回った。

かすみ草、ガーベラモネひまわりトルコキキョウバラ

母が白い花はお別れみたいで嫌だという。

もとより黄色オレンジの花で送りたいと思っていたので、その2色を主役にした。

日曜日

生前と同じ赤い首輪を用意して着けた。

ペットシーツを取り、白いバスタオルを敷く。

生花を切って、寂しくないように敷き詰めた。

耳と尻尾は柔らかくて、触るたびに温もりが蘇ってきた。

たくさん声をかけて、たくさん撫でて、最後のお別れをした。

けど、火葬車に乗った姿を見たら堪らなくなった。

これは永遠のお別れじゃない。きれいなお骨の姿に変わるために必要なことだと言い聞かせた。

業者の方は本当に丁寧で、きれいにお骨が残るようにしてくださった。

ちいさなお骨のひとつひとつを見ながら、立派な最期を見せてくれたことに感謝した。

みんなが見送れるタイミングを分かっていたかのような旅立ちだった。

最期の一息まで見せてくれて、いのちを教えてくれた。

お陰で、悔いなくお別れができた。

これまで猫のわがまま粗相に軽く文句を言っていた自分は、なんてちっぽけだったんだろう。

猫は常に「今」を生きている。

元気だからわがままを言う。元気だから、たまには粗相があるかもしれない。

心の根っこはそうあるべきだと思った。

この先、4匹の猫との別れが待っている。

きっとその度に辛くなると思う。

それでもわたしはまた、猫との暮らしを選ぶだろう。

2021-05-19

たまに見る「感想貰えないので筆を折る」にモヤるという話

またの名を、昨今の「感想絶対送るべき! 送ろう!! ていうか送れよ!!」風潮にもモヤるという話。

う〇こです。とぐろが巻けるほどの凄く長いう〇こです。読むならそのつもりで。

  

前提として。

私は某ジャンル腐向け二次創作をしている字書きだ。イベントは諸事情で参加していないが、年に2~3冊ほど新刊を出しては自家通販をしている。また、オフだけでなくオン活動もやる。

それなりに同人女歴の長くなってきたBBAなので、ありがたいことに、部数・発行スパンが大したことない割には、そこそこの頻度でご感想をいただいている。

そしてこのご感想は、本当にいつも大変うれしく頂戴している。絶対に何かしらの形で御礼をするようにしているし、次の作品への大きな原動力にもなっている。ありがとうございます

書き手であると同時に読み手でもあるので、自分比較的よく感想を送る。「萌えた!」「性癖です!」「たまんねぇ」などを拙い語彙力をどうにか駆使して書いているのだが、結構喜んでいただけるのでこれも嬉しい。

  

で、そうやって、感想をいただく側でも送る側でもあるから、思うのだ。

たまに見かける「感想貰えない、つらい。かく意味がないので筆を折ります」っていうかき手に、とても露骨な言い方をすると「は? お前何言っちゃってんの?? 何様のつもり???」と。

  

いや、感想貰えたらうれしいし、いただけるものならぜひいただきたいし、貰えなかったら「あーウケなかったのかなぁ」って地味に凹むのもわかる。凄くわかるけど、わかるからこそとてももやもやする。

  

理由は次の通りだ。

まず第一に、書き手立場から。例えば同人誌として有料頒布したものなら、「お代を払ってまで自分作品を手に取ってくれた」、それだけで充分に対価は受け取れているんじゃないのか。印刷負担という建前とはいえ、訳わからんアマチュアの本にお金払ってくれてるんやぞ? そのお金がなかったらオフ活動続けられんのやぞ? 充分ありがたいだろうが??

その本を手に取ってもらう対価としてその金額を設定したのだから、それ以上のもの要求する、というか、「それ以上のもの(≒感想)も貰えるはず」みたいに考えるのは何だか筋違いだと思うのだ。はっきり言って図々しくないだろうか。

もちろん、無配やオン作品はこの限りではないけれど、でも、これだって作品を読むことに対価を設定しない選択をしたのはあなたでしょと思う。閲覧数が伸びるだけで少なくとも誰かには届いているし、ブクマいいねがつけば御の字じゃないんだろうか。ブクマは「また読もう・後で読む」とか「お気に入り」とかの証みたいなもんだし、いいねなんて「いいね!」だぞ。いいねだぞ!? 悪いねじゃないんだぞ!?!?

  

そしてこの第一を踏まえて、第二に、今度は読み手立場から

あのね、感想を送るのって、ぶっちゃけボランティアみたいなもんなんですよ。いやそうじゃない??

別に送ったからって、同人誌と違って便箋代を払ってもらえる訳じゃないし、いやそんなのいらんけど、だったらせめて神のモチベーションに少しでも繋がれば……と思って送っても、次作が保証される訳でもない(どころか、迂闊なこと書けば逆に筆を折ってしまいかねないというリスク付き)。

場合によっては返事も貰えず、喜んでいただけたか、最低限ご迷惑ではなかったかもわからないことだってざらにある。

下手をしたら「作品への感想が来ない」こと以上にリターンが少ない行為、それが「感想を送る」なんだってことを、「筆折り宣言」をするかき手はわかってるんだろうか? と思う。

そんな、自分の神がワンチャン喜んでくれる(かも知れない)以外には読み手にとって何のメリットもない感想を、無償で書いて寄越せっていうのは、普通に考えて割に合わない話だとは思わないか? それこそ「愛がなきゃできない」ことだ。

  

割に合わないと言えば、送る以前の問題で、多くの人は「感想を書く」段階で物凄いハードルがあるんだということも、かき手は理解しておいた方がいいと思う。

漫画にせよ小説にせよ、同人作家は「表現する」ことに慣れているから、感想を書くくらい何てことはないかも知れない。だが、多くの読み専門の人はどうやらそうじゃないと聞く。「いい……」「神……」「萌え……」「やばい……」だけでもよいとかき手は言うが、そんなつまんねぇ言葉を己の神にかけられるか? というのは、神を神と崇める多くの読み手普遍的な悩みではないだろうか。いや無理だわ。神には祝詞を捧げなきゃと思うだろ。

ところがそれで「語彙力がなくて悔しい、申し訳ないです」の言葉が出てくるならまだ語彙力がある方で、感想って、どんなに感動してたって書けない人には本当に書けないんです。マジで

まり、「感想を送れない・書けないからと言って、感想が『何もない』訳ではない」場合も往々にしてあるということ。そこを、かき手はわかっておく必要がある。

愛があってもできないことはあるんよ……。鳥じゃない私に空は飛べないし、身体を揺すっても鈴みたいな綺麗な音は出ないの。(突然のみすゞ)

  

感想はほぼ好意100%ボランティアで、ましてや「義務」でなどある訳がない。加えてしたためるにはかなりの時間と労力がかかる。だから、「感想は貰えて当たり前のものじゃない」「むしろ来ないことの方が普通」。

  

というかまず、感想が来ないから筆を折るという人は、本当に自分とその作品感想を貰うに値すると思っているんだろうか? 感想を貰えるだけの、全ての努力手段を尽くしたんだろうか?

まずは作品の出来。巧拙という話ではなく(それもあるけど)、そのジャンルやカプでウケる作風と内容か? どんなに上手くても、シリアスがウケないジャンルシリアス絶望的に読まれないし、萌え絵がウケるジャンル劇画風は評価されない。そういう、読み手ニーズは掴めてますか?

そもそもの話、あなたジャンルやカプに人はいますか? 斜陽ジャンルマイナーカプでかいてたって、感想はおろかまず読まれ確率からして低いんだけどそこのところはご承知でしょうか? あと、界隈が感想を頻繁に送るような雰囲気かどうかも結構関係しているよ?(マイナーゆえに感想が盛んとかいう界隈もあります

感想が欲しいことは主張していますか? 絡みやすそうな雰囲気ツイッターで醸していますか? 鬱ツイートばっかしてる奴に絡もうとはなかなか思わないからな? 交流してると義理だとしてもお友達から感想いただけるようになるけど、来る者拒まず的な交流してます? 感想を送りやす匿名ツールはわかりやすいところに置いてる? 毒マシュには一応気をつけような?

  

感想欲しけりゃジャンル移動しろとか、媚びたものをかけとか言いたい訳じゃありません。のであしからず

そういう作風ジャンルやカプ、作家としての芸風(?)で活動しているなら、感想が貰えないのもやむを得ないと自覚しような? そこんとこわかっておこうな? と思うんです。という話です。

  

そうやって、かき手としての自分の身の程も弁えず、感想をくださる読み手さんの事情や心境も酌まずに、「感想が貰えないので心が折れた。筆折ります」と言う人は、申し訳ないけど、じゃあ折れば? って感じ。(過激派

  

私は、同人即売会に「お客様はいない、かき手(サークル)も読み手一般)も等しく「参加者である、という話がとても好きです。

かき手と読み手は対等な立場読み手がかき手を神と崇めるなら、私は読み手さんにも神読者はいると思う。感想をくださる人。言葉はなくとも毎回本を手に取ってくださる人。オン作品ブクマいいねをしてくださる人。ていうかまず読んでくださる人。それだけで神!

感想をいただけることは普通じゃないんですよ。めちゃめちゃレアケースなんですよ。神と崇めてくださる方こそ類稀なる神なんだよ!

  

あと、とばっちり的な関連の話題として、「感想は送れ。ぜひとも送れ、絶対に送れ」みたいな最近の風潮もあまり好きではない。

さっきも言ったけど、感想を書くのって凄く労力と時間がかかるものから。そりゃかき手としては、貰えたら嬉しいけど、読み手さんの大切な生活必要以上に削ってまで欲しいとは思わない。申し訳なさ過ぎる。

感想は、熱い思いが溢れて書けちゃったならぜひ送ればいいと思うけど、義務でも何でもないし、同人誌と同じで「書きたければ書く、送りたければ送る」でいいと思うんだよな。

感想は書くべきムード、息苦しい。

  

感想は、送るも送らぬも自由

受け取るも受け取らぬも自由

内容も自由、それを読んでどう思うかも自由

それで折れるような心と筆ならそこまでの話。どーぞどーぞ折れてください。

  

というのは、実はでも、半分は自戒です。

日新刊を出したんだけど、前と比べてサンプルのブクマは伸びないし、頻繁に感想をくださってた神読者さんも今回はまだ何もくださってないし……で、あーこれはやっちゃったパターンかな……もう書くのやめよっかな……と図々しくも凹んでしまったので。

てめぇはそんな、感想貰えて当たり前みたいなタマかよ!? 身の程を知れ身の程を! とセルフ往復ビンタのつもりで書きました。あーすっきりしたぁ。

  

って、今更「感想来ない 筆を折る」でググったら、似たようなブログ記事とか色々出てきて、こんなん私が書くまでもなかったか……って思いました。まる。

  

言いたいこと言ったらすっきりしたって、マジう〇こじゃん。

だし、めっちゃ長いな!? 読んでくれた人ありがとう感想はどうぞご無用にてお願いいたします。

anond:20210519113504

検索twitterRTで流れて来た初見さんとかもいるから、ブログ記事読む人がいつもの人だと決めつけて書くよりは初めての人もいるかもの体で自己紹介を冒頭に書いておくのは実は効率的なんよ

2021-05-18

anond:20210518163815

中国の金がと言ってるけど、日系企業の方が学者よりよっぽどドップリなのにそれには何も言わんのかいなとか突っ込まれてたぞ

情報ソースのはずの元防衛大臣ブログ記事もそっ消しされてたりしてたしな

2021-05-13

anond:20210513121432

よくわかんないけど、再訪につながる対策してみては。記事更新キャッチしちもらうためにTwitterとかでの更新通知、それ以前にブログ記事からSNSフォローを促す導線整備。もうやってるか。

リピーターがつきにくいのは、記事内容の一貫性のなさや、ブログがなんの情報を扱っているか理解しづらいとか?

エンジニア垢で自分卑下するのをやめよう

ここ数日、それなりの会社でそれなりの地位についていたり、それなりに注目や尊敬を集めているであろうITエンジニアTwitter上で自分卑下する発言をする人が目立った。発端はITエンジニア技術力と発信力(アウトプットが云々)みたいな話題だったと思う。

ダニング=クルーガー効果だ」「インポスター症候群だよ」みたいな話はもう知ってるのでわざわざ教えてくれなくてもいい。(仮にこの投稿が誰かの目に触れてそうコメントをする人がいたら、その人は本文を読まずにシェアちゃうタイプの人だろう)

その中で、私から見て「いや、絶対周囲があなた無能だなんて思ってないでしょ」と言う人が「自分無能発言するケースに、なんとなく違和感を感じたので言葉にしてみたくなった。

本気で自分無能だ思っている人

言ってる本人たちは、「いや、周りにすごい人いっぱいいるし、自分なんて...」と心の底から思っているぞ、と反論するかもしれない。

しかし、たとえば顧客との打ち合わせの場や、面接の場において「いえ、私なんて無能ですから...」なんて言うわけがない。本気で思ってるなら仕事なんてできないし、思っていても口に出すのはシンプル相手に失礼である

Twitterあくま個人発言の場であり、自由発言していい場所である。が、その発言の内容が自分を信頼してくれている雇用主や顧客の目に触れる可能性を考えなくて良い言い訳にはならない。まして、「相対的に」発信力のある人だったりすると余計にその可能性は高い。

「XXさんはそんなことないっすよ!」と言われるのを待ってる人

正直なところを言えば、私は最初みんなこれだろうと脊髄反射的に思ってしまったし、ネガティブな印象を抱いた。技術力に限らず「自分卑下してそれを周囲が否定してくれるのを待ってる人」は決して良い印象を与えないだろう。

たとえば、「私なんて大したことない...」と言う人に(絶対にやるべきでないが)「そうですね、大したことありませんね」ってクソリプをすればまず間違いなく怒るだろう、と。「はい、そうです大したことないです...」と萎縮する人は、そもそも最初からそんなことを言わないだろう、と。

しかし冷静になってみると、この「私は無能発言に対する幼稚な反発は、そもそも自分宛てのメッセージではないもの自分宛てと思い込んだから抱いてしまった感情なのではないか、と思うようになった。それは劣等感のような、嫉妬のような、焦りのような感情である

「すごいなー、かっこいいなー」と思う人が自分無能発言をして、「じゃあ私はもっと無能だ...価値のない人間なんだ...」と思ってしまった人たちへ

一方的に言ってしまうが、あなたは私の仲間だ。匿名なのをいいことに自分のことを棚に上げて言うと、私も私自身を「無能・大したことない」と本気で思っている。

すごく役に立つ技術ブログ記事を書いてバズったこともなければ、カンファレンスで人前に立ったこともない、愛されるツールGitHubに上げてるわけでもないし、ネットメディア取材を受けたこともない。所属している会社は大好きだしメンバーのことも心から尊敬しているが、クラウドプロバイダや誰もが知るハードウェアメーカー、数百万人が使うWebサービスというわけでもない。

今この瞬間も会社資金が底を突くこと、いきなり市場に放り出されて超絶優秀な学生新卒に負けて淘汰され路頭に迷うかもしれない現実に戦々恐々としながら生きている。

が、私自身はTwitterでは絶対自分卑下することは言わないようにしているし、ましてや顧客雇用主の前でそんなことは絶対に言わない。(直属の上長に当たる人との1on1では「この辺の知識を伸ばした方がもっと成果だせそうですねー」みたいな会話はもちろんするが。)

そして、あなたの注目・尊敬している人が「私は無能発言をしていてもどうか落ち込まないでほしい。その人は、別に「私は無能からあなたもっと無能」なんて言ってないのだから。なので、あなたもこれからいろんなことを身につけて、ブログ書いたりや登壇したりして、知らない誰かに見られる機会があれば、どうか堂々としてほしい。

私も、頑張るから

自分無能・大したことない発言をしている人たちへ

あなたTwitterの使い方に私が何か言う権利微塵もない。なので無責任外野放言だと思ってほしいのだが、一つだけお願いさせてほしい。別に卑下するのをやめろ」とは言わない(言えない)ので、せめて「周囲はすごい人ばかり...私は無能...」なんて言う前に、あなたに憧れてるかもしれない人、あなたを信頼しているかもしれない人がそれを目にする可能性を、どうか一瞬でも思い出してほしい。

2021-05-11

弱者男性自分の窮状を「女の高望みが男の条件を爆上げし非モテが救われない」「フェミニスト自分性別差別しか声を上げず弱者男性を救わない」とか女のせいにしまくってんのは見て見ぬ振りで、

結局何が望みなんだと問われて「女をあてがえなんて言ってない、ただ俺達の存在を認めてくれればいい」と言い出すと全力でオ〜ヨチヨチとあやし出す。

直前まで女に救いを要求していたのに、「救ってくれなんて言ってない」とかい歴史修正簡単に受け入れて、

「じゃあ女叩きやめろ」という意見には「フェミニスト偽善者行政が救えない本当の弱者には冷淡!何故ならフェミニスト差別主義者だからだ!」と大人数で非難

で、旗色が悪くなってきたら、「男性自殺率が高い」だの「性役割を担わされることへの圧力が強い」だの、「これが弱者男性現実だ!」と突然非モテ論を封印し、弱者に限らず男性全体が晒されている問題だけをピックアップした記事を持ち上げ始める。

それこそフェミニストやらジェンダー学者やらが男性学として散々論じてきたことなのに、それは無視して

フェミニスト弱者男性キモいと言った!」とどこかの誰かの発言根拠に大合唱

はてな村って本当に弱者男性に優しいよな。

いやいや、弱者が困ってんなら優しくするのは問題ない。むしろ褒められるべきことだよ。

問題はお前ら、ホッテントリに上がってるまとめ系ブログ記事の女をマンコ呼ばわりしたりバカ呼ばわりするような発言無視するよな。

それどころか、女は感情的から云々とか賢ぶって差別丸出しのブコメつける奴もいるよな。

そういう連中には何も言わない、それどころか嬉々として加担することさえあるのに、自分リベラルフェミニストに何を要求してんの?

弱者男性も救うのが真のリベラルだ!ネットフェミニストは偽物だ!」ってドヤ顔で言うのはいいけど、じゃあお前は真のリベラル・真のフェミニストとして、はてな村で野放しになってるあからさまな性差別に対して何をやって来たの?

というかそれ以前に、お前は真のリベラルなの?それともリベラルを腐したいだけなの?後者なんだったらお前は一体何者なんだよ?

女の顔色をチラチラ窺ってる暇があったら男同士で連帯して助け合うための方策を考えろよ。

そこで「男はジェンダーロールのせいで他人を頼りづらいから無理」とかのたまうならもう二度と「弱者男性ジェンダーロールから降りた存在」とか言うなよ。

2021-05-07

弱者男性と「男性サバイバーメッセージ

男性サバイバーからメッセージ

http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-86.html

12年前(!)に増田でバズった記事

このブログ記事に、性虐待を受けた自分負け犬だ、加害者になることもできないと絶望した男性サバイバーが、女性サバイバーネット中傷して回ったとある

嫉妬と羨望です。そしてネット女性被害者相手なら勝てるという安心感男性攻撃され続けていたので女性相手なら安心女性被害者という底辺にいるのだから
男性被害にあっても男だからと抑え付けられるのに比べ、女性は延び延びと被害者の主張が出来て恵まれているように見えた。それも許せない。甘えているんじゃない。
だけど、そこで救いがありました。攻撃した女性サバイバー男性被害についての理解がある方で男性被害者の方では?と見抜かれて親身に相談に乗ってくれました。
男性サバイバーサイトを紹介され、そこではじめて自分の他に男性被害者がいる、男性被害者も苦しんでいる事を知る事ができました。
男性でも性被害(広い意味では性被害じゃなくてもいいです、暴力人権侵害でも)をうけたら傷ついていいのだ、苦しむ権利があるのだ、と理解するのに数年かかりました。これが分かった時憑き物が落ちた感じでした。性被害に対して苦しいと認められたとき、楽になりました。」

これって、「弱者男性」による女性差別、女叩きと同じじゃないか

「俺は男に敵わない弱い男だ。女はズルい。伸び伸びと被害者ぶれてムカつく。だから女を攻撃してやる。どうだ俺は男だ女よりエラいんだ」という心理

この人は自分攻撃した女性サバイバーに親身になってもらって救われたが、私ならそうする気にはなれないしそうしろとは言えない。

ネット女性サバイバーに集まるセカンドレイプは酷いものだ。

被害者ぶってんなよどうせ誘惑するような格好してたんだろ自業自得wwwwイケメンなら喜んでほいほい股を開くくせにwww殺されなかっただけ感謝しろ汚れたビッチま〜んwwww女はイージーwww

これくらいの、いや、もっと下劣セカンドレイプネットには溢れている。

女性サバイバーは決して伸び伸びと気持ちよく被害者ぶってはいない。人生を、生活を、友人や家族パートナーとの関係を、精神身体を壊され、自責や恐怖に押し潰されながら、知って欲しくて必死に声を上げている。

その傷口にナイフを刺し、抉ってくるような加害者に「この人も苦しんでるかもしれないから親身になってあげよう」とは思わない。むしろ「なんで傷付けられた側がそこまでしなくちゃいけないのか」と思う。この人は原因を見つめて救われたが、他の人もそうとは限らない。

すももは「性被害なんて充分対処されてるしいいじゃないか非モテ問題視しろ」と言っていた。男性サバイバーでもないのに女性被害者嫉妬しているのだ。

性犯罪において、男性法律差別されている。僕は男性被害者にも強かん罪を適用してもらう活動を行っていますが、当の男性自身が無関心です。
同じ被害を受けても男性女性で罪の重さが違うという、分かりやす男性差別に関心がない。ネット男性差別と騒ぐわりに、です。
多面体さんもakiraさんも男性被害者に強かん罪が適用されないことを問題視していますよね。(日本の強かん発生率は低いでしょう。一方の性別には強かん罪は適用されないのだから
男性問題女性サバイバー女性の方が熱心に語り、法の不備を真剣に考え、男性サバイバーに寄り添ってくれる。
そういう男性理解者ほど、男性セカンドレイパー)に攻撃される。」

この男性サバイバーの願ったように、男性相手にも強制性交等罪が成立するようになった。

被害に苦しむという意味での弱者男性によりそう女性はいた。彼らへの支援も少しずつ増えてきている。女性被害者にも。

2021-04-20

anond:20210420182401

Bダッシュ必須知識として話してないんだけれども。

わかってりゃ嬉しいことあるよねってこと。

これは説明書に書いてないことってよりも、「1-1に隠しブロックがあってそこで1UPキノコを入手できる」みたいな経験にちかいもの

こういうのが積み重なって「攻略」になる。

 

ウマ娘知識あれこれはヘルプ読むのと周回していれば自然と身につく知識だよ。 

ただ、元増田思い入れのある名馬に泥を塗りたくないってことは、最初から完璧史実通りに育てたいってことだからどんな知識であれ必須級になっちゃうよ。

  

あと、そもそも元のブログ記事でもBダッシュ使ったほうが楽に攻略できるって書いてあるじゃん

 

攻略増田とかは誰かがブコメに貼ってあるから割愛したよ。元増田は参考にしてほしい。

2021-04-12

続・車椅子対応問題ネットリテラシー

 「車椅子対応の問題はネットリテラシー」の続きです。

 


 

実は、今回の問題は、あらかじめネットで調べておけば、生じなかった。そのことは、元のブログ記事を見るとわかる。どうしてわざわざこんな無人駅バリアフリーでない駅)を選んだか、という理由が記してある。

 

公共交通機関で行けるところ。そして、感染リスクを減らすため、近場で、密にならずに、換気が十分にあるところ、と考え、平日に、来宮神社と、貸し切り温泉がある、駅から歩いて行けるホテルを選びました。

 

たったこれだけの基準で「来宮駅」を選んでいる。このとき無人駅であることも確認しなかったし、車椅子対応であることも確認しなかった。(前述の ★ )

 

しか本来ならば、「無人駅であること」「車椅子対応であること」を確認するべきだった。そうすれば、「来宮駅をやめて、車椅子対応の駅を選ぼう」と決めたはずだ。そうすると、熱海駅小田原駅のような駅を選んだだろう。それで何も問題はなかったはずだ。全国津々浦々の無人駅をすべて踏破するわけじゃないのだから車椅子対応の駅を選べば済んだはずだ。つまりネットできちんと事前に調べれば、正しい駅を選択できたはずだ。

 

この意味で、「ネットリテラシーさえあれば、車椅子の人であっても、何不自由なく旅行ができる」ということは成立するのだ。ただし、選択範囲が狭まるが、それくらいは仕方がない。(全国津々浦々の無人駅をすべて踏破するわけじゃないのだから。)

 

結局、「ネットリテラシーさえあれば、車椅子の人であっても、何不自由なく旅行ができる」ということで、話は解決するのである。あらゆる無人駅バリアフリーにする必要はない。JRサイトを見やすくすればいい。それだけのことなのだ。問題解決すべき点を、間違えてはいけない。

 

はてな疲れたのでしばらく離れることにする

はてなだけではなく、色んな情報の受信感度を敢えて数段下げてみようと思う。

元々は、騙されたくない、遅れたくないという思いから、出来る限り多くの意見情報を見て、現状を把握しておける様にしたかった。

だけども最近目につくのは、如何に日本ダメになりつつあるのか、希望などない、対外対内問わず遅れている、衰退していく一途の最悪の国家に成り下がってしまったということばかりだ。そうでなかったとしても、何かショックを受けるような…ギョッとするような情報に直面して、感情を大きく揺さぶられたり、憤りを強く感じることが増えたように思える。

ニュースや論説、ブログ記事などが集約され濃縮還元されるはてなでは、特にその傾向が顕著なように思える。賛否両論様々なコメントが各記事につくことも、そのことに拍車をかけている。

憤りを感じるなら、それを是正する活動につなげる、というのが本来正しいのだろうけど…今は日々を生きることに精一杯で、何とかしたいけどできないというもどかしさと、行き場なない憤りばかり積み重なっていく。

もちろん選挙に行ったり、出来る限りの行動は取る。しかし、だからといって突然何かが大きく変わるということは望めないだろう。この国はこの国の延長線上でしか生きられないのだと思う。

最近はどうしたらグレートリセットが起こるのだろうか、という極端な思考をするようになってきており、加えて憤りや無力感に苛まれて、日々が苦しくて仕方がない。ニュースを見れば、自分投票していない議員政党やらかしたというニュースばかり、SNSをみればそれに対する憤りばかり、しかしそれでも小手先改善先延ばしで済ます政府コロナ前は、この国は、たとえ衰退するとしても、もう少しマシな形で落ちぶれていくのだと思っていたけれど、こんなにもみっともなく、年寄りどもや一部の寄合が食い散らかし、一般市民が損をする、憤る気力も失われる様な国になると思っていなかった。

そんな極端な思考に疲れてしまったし、このままだとどうにかなってしまいそうなので、敢えて目を閉じ耳を塞ぐことにする。はてなから離れ、SNSも最低限にしてみる。自分の生き延びる、冷静に物事を見て立ち向かえる気力をつけられる様になるまで。

今の自分には憤りの種火も、凄惨事実も、受け止められる自信はないから…。

はてなを見ても大丈夫なくらい元に戻ったら、また見に来れるといいな…そして、その時は希望を感じさせる記事出来事が人気になっているといいな…。

以上、深夜の戯言でした。

2021-04-06

anond:20210406172653

いや、それはおかしい。

ご本人のブログ記事からhttp://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

駅員A、どこかに問い合わせている模様。

駅員Bが出てきて「熱海まででいいでしょうか?」

私「いや、来宮までお願いします」

駅員B「階段しかないので、ご案内できません。熱海まででいいですか?」

私「いえ、私は30分前には来ていて、どうしてもこの電車に乗っていきたいです。駅員さん3,4人集めてもらい、階段を持ち上げてください」

熱海駅に到着。

すると駅員4人が待っている!

駅長D「今回は駅長の私がいたので、対応させていただきます

私「小田原駅で、熱海駅は一切対応しませんと言われたのですが」

駅長D「私がいたので、一緒にご案内します」

熱海駅で伊東線に乗り換え、やっとの来宮駅到着。

駅員4人で車いすを持ってもらい、階段を運んでもらう。私はヘルパーさんに抱っこしてもらう。

JR車いす乗車拒否された女性からするプロ市民

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

リベラルな人からは絶賛されているが、ネトウヨ自分から見ると

最初から問題提起ありきの行動というか、プロ市民っぽい行動でどうも好きになれない

プロ市民っぽいムーブ

チェリーピッキングした)法律に基づく指摘が出来たり、新聞社数件に自分から連絡したりはプロじゃない市民はできんのよ

来宮駅階段のみ。バリアフリー(笑)」みたいな愚痴記事で終わるか、せいぜい携帯での撮影くらいまでなんよ

この話題は「車いす利用者全体の意見」として広げるのではなく、「1人のプロ市民意見」として扱うべきである

実際、車いす利用者でも「事前に確認を取る」「そもそも車で移動する」みたいな意見は出ているっぽいし

活動方向性あんまし良くない

ブログ記事からは以下の目的があってこのような活動情報発信をしたと読み取れる

  1. 公共交通機関バリアフリーが進んでいないことの周知
  2. 声を上げてくれる仲間を募集
  3. 誰でも安心して使えるように、施設等の改修を要求
1. 公共交通機関バリアフリーが進んでいないことの周知

これは周知できたので成功だとは思うが、どの程度バリアフリー化が進んでいるかくらいも併せて周知してほしい。

以下はブログ記事投稿後のニュースだが、バリアフリー推進活動をしてきたなら大まかな整備状況は把握していたはず

何も知らずに感覚だけで「バリアフリーって全然進んでいない」とツイートはしないだろうし…

https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371


改正バリアフリー法施地方の駅やバスターミナル 整備に課題

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210404/k10012955911000.html

国はこの10年間、1日平均3000人以上が利用する鉄道や、バス、船などの施設エレベータースロープの整備を重点的に進め、鉄道の駅では、去年3月時点で全国3580か所のうち92%で移動の妨げとなる段差が解消されたということです。

一方、5885か所ある1日平均の利用客が3000人未満の駅で段差が解消されたのは23%にとどまっています

2. 声を上げてくれる仲間を募集

実際に行った行動が攻撃的すぎて批判が集まっている現状を見ると「広く浅い」仲間を募集することに関しては失敗だと思う

ただ、本人のTwitterを見ると「リプ欄が地獄」みたいなツイートをどんどんRTしているので

自分思想100%賛同してくれる「狭く深い」仲間を募集する方針っぽい

3. 誰でも安心して使えるように、施設等の改修を要求

これに関してはネットであの記事炎上させたのは危険だと思う。数多くの人がコメントしているが

「各公共交通機関に多数抗議」→「改修が不可能なため、駅を廃止」→「問題のものが無くなったので解決

という危険性がありうる。改修にはコストがかかるし、今回問題になった来宮駅無人駅なのでそこまで利益も上げていないだろう。

なので、改修を要求するのはJR等の公共交通機関ではなく、その駅がある各市区町村都道府県議会に訴えて予算をもぎ取る方向性ベターなのではないだろうか。

「健常者も障碍者自由に行動できる」という理想論理想しかないので、プロ市民なら現実的な落としどころまで提示まで頑張ってほしい


JR乗車拒否された」車イス利用者ブログ賛否 駅員の対応問題だったのか、国交省に聞いた

https://news.yahoo.co.jp/articles/735e41744a2eb47c169a5e03b290b474a8dd23aa

政治活動の一環ではなく、あくまでも個人的体験から発言だとしたが、今後党として取り組む必要はある課題だそうだ。

社民党としては今後取り組む予定の課題だそうなので今後に期待。

複数の駅にバリアフリー設備を設置した実績を重ね、国会議員に1-2人程度、現在の各地方バリアフリー状況を詳しくいる議員が出たら

特定話題に強い議員 / その議員がいる党」としてええ感じになるんでないでしょうか

社民党にそんな体力も議員数も無い、と言われたらそこでおしまいだが…)

余談

2020年11月に既に似たような案件訴訟を起こしているケースがあるのを今日知った

コスト面に関しては全く触れていないので本当に解決する気はある? というお気持ち

無人駅バリアフリー関係性「好きに乗り降りしたい」

https://www.asahi.com/articles/ASNCP7DBYNCJPTFC001.html


ブログ内で来宮神社バリアフリーが進んでいます! みたいな一言があってもよかったのでは?

公共交通機関への問題提議がブレるので書いてないだけかもしれないが…

https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298122-d1646877-r428061173-Kinomiya_Shrine-Atami_Shizuoka_Prefecture_Tokai_Chubu.html

2021-04-03

田舎初段とは

ホッテントリ話題になった記事がある。

 → Twitter で医師を拾ってきて Google のソフトウェアエンジニアにするだけの簡単なお仕事 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3

 

これに噛みついたブログ記事ホッテントリになった。

 → 優秀さについて | 川口耕介のブログ

 

「超優秀な人間が、地方の劣った人間を見下すな」という趣旨だ。

元の文章に「田舎初段」という言葉が出てくる。素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中を指して揶揄した言葉だ。頂上感が自尊心のコアになっている時に尊大田舎初段を見ると、本物はどういう事か教えてあげるために、ちょっと捻ってみたくなる気持ちはよく分かる。

 

  ̄ ̄

聞く方は羽生名人田舎初段を捻り潰すのを見るような後味の悪い感じがしてしまものだ。

羽生名人はそんな事をしなくていい。あなたの優秀さはそんな事をしなくたって周りの人に伝わっているか大丈夫ですよ、と言いたくなる。

 

まったく低レベル曲解なので、呆れてしまう。元記事ブコメも、同趣旨理解が多いようだ。しかしそれらはすべて誤読である。では、正しくはどう理解するべきかを示そう。

 

田舎初段」という言葉意味は、「井の中の蛙大海を知らず」というのとほぼ同義である。ただしそれに「自惚れ」「過信」という意味が加わる。

 そして、その言葉で示されるのに典型的な事例は、「素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中」ではない。つまり、「二流」や「一流半」ではない。

 では何かというと、たとえば菅首相だ。

  ・ グループ集団)のなかでは傑出した能力の持ち主だ。

  ・ 自分はすごく頭がいいと自惚れる。

  ・ まわりの人間がみんな馬鹿に見える。

  ・ 専門家馬鹿だと思って、専門家の言うことを聞かない。

最後の一点に限っていえば、はてなーの好きな「トンデモ」という用語に当てはまる一種だ。しかも、自惚れの度が強い。

 こういう人間が、周囲の反対を押し切って、「緊急事態宣言の解除」とか、「GoTo イート」とか、「ふるさと納税」みたいな自己流の方針を貫徹する。そして、そばにいるエリートが反対すると、そのエリート左遷する。他人の言うことを聞かないのが絶対的に正しいと信じている。

 これが「田舎初段」の典型だ。

 

ここまで言えば、わかるだろう。元のブログ記事は、「二流の人材を侮辱している」のではない。「一流の人間たるもの田舎初段になってはいけない」というふうに、一流の人間に向かって「戒めの言葉」を示しているのだ。

なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。

学者とかでも、他分野に友人が十分にいれば、そう踏み間違えないが、孤独ならばどんどんおかしなことを言い始めます

これを止められるのは、かなり簡単に狂うことを意識していることと分野を超えた人間関係があることが揃っている場合くらいでしょう。

このブレーキが壊れると簡単おかしくなります

普段から様々な分野の学者と話し合っていると、およそまともではない専門家意見ネットで飛び交っているのがよく分かります

要は、教育を受けた人たちでさえ、仲間とお茶をしていないのです。そしてそれを見抜くのはとても簡単です。

 

ここでは田舎の二流人間批判されているのではない。一流の専門家批判されているのだ。どう批判されているかというと、一分野に偏ってタコツボ化した専門家だ。そういうタコツボ化した専門家が、

 「なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。」

の事例となるのだ。

 

たとえば、Wikipedia英語版にも掲載されるような、非常に優秀なプログラマーがいる。

  → https://en.wikipedia.org/wiki/Kohsuke_Kawaguchi

 

こういう超優秀なプログラマーでさえ、日本語をまともに理解することができず、見当違いな批判を書いてしまう。自分の分野からちょっとはみ出ると、まともに理解することもできなくなってしまうわけだ。これこそ、元記事で「あってはならない事例」として示された例だ。

 

 ――

 

ついでに、はてなー根本的な誤解を示しておく。

記事を「超エリートの自慢」「頂点に上り詰めた人が他人を見下す」「狭い領域で頂点に立って自惚れている」というふうに受け止めるのは、勘違いだ。

では、どう受け取るのが正しいか? 

 

記事では、普通の人々は、まともに視野に入っていない。それらは言及外であって、良いとも悪いとも言っていないし、見下してもいない。もともと視野に入っていないのである

視野に入っているのは、エリートクラスの人々だけだ。そして、そのなかで、どういうふうにあるべきかを考えている。

そのとき、彼自身は、自分を「エリート」とは考えていない。むしろエリートの中の落伍者」と考えている。元記事のそのまた元記事になった人もそうだが、「東大理3からプログラマーに転じた」という経歴らしい。これは、医学の道でも、プログラマーの道でも、どちらでも大成しなかったということだ。筑駒や理3の卒業生の中では、(やや)落ちこぼれ組に入る。

 はてなー中では、「グーグルに勤務して年収 3000万円」というのは、「凡人社会頂点にいる」というふうに見えるのだろう。だが、筑駒や理3の卒業生の中では、医者としてもプログラマーとしても大成しなかったというのは、(やや)落ちこぼれ組に入るのだ。

 ちなみに、私の知人(同級生)の多くは、国立大学教授理研研究員として大成している。世間的には超一流の肩書きを持つ。そういう仲間と比べると、今回の人々は、頂点どころか、(やや)落ちこぼれ組というしかない。威張れるのは、年収だけだろう。(公務員研究者は、年収が高くないので。)

 

記事を書いた人や、そのまた元記事を書いた人は、非常に優れた才能の持ち主だ。(後者高校時代数学オリンピックに出たらしい。)しかし、その生まれ持った才能を生かすことには失敗しているのである。才能は素晴らしいが、才能を生かすことには失敗したのだ。

 そして、そのことを、私は批判しているわけではないし、侮辱しているのでもない。「人生選択肢で道を間違えたね」と感じて、「可哀想に」と憐れみを感じるだけだ。「私も道を一歩踏み間違えたら、こういう無駄人生を送っていたかもしれない」と感じて、自分幸運を感じることもある。

 

蛇足

たぶん、道の選択を間違えた人と、成功した人との違いは、周囲の人々の影響の差だろう。周囲に素晴らしい人がいれば、道をあやまたずに、正しい道を進むことができる。そして、そういう機会のなかったエリートには、同情を禁じえない。

 私はグーグルプログラマーなんかにならないで済んだが、それは本当に幸運だった。(そしてそれは、人生最初に、素晴らしい女性との出会いがあったからなんだ。そしてまた、高校時代に、素晴らしい教師を知りえたからでもある。それは優しい親切な教師ではなく、星一徹のような鬼教師だったが。)

 

2021-04-02

anond:20210402184937

はてなブックマークの人たちは素人真剣に書いたブログ記事無許可晒し上げて嘲笑するしそれだって数万PVとかあるだろうけど、そっちは問題ないのか?

問題だというのならどう違うのかを示す必要があるでしょう。

2021-03-31

記事を読まずに批判することの何が悪いのか

https://obakeweb.hatenablog.com/entry/x2

記事を精読すれば誰の主張への反論ブコメの何が気に入らなかったのか、などはわかる

森氏、松永氏なる人物がどこにどう反論たかもわかるし、その内容のどこに突っ込みどころがあるかもわかる


が、読まずとも筆者は映画を倍速で見ても何も損ねないことを主張していることは想像できる

よって、記事を読まずとも、映画を倍速で見ることで損ねるものを一点挙げさえすれば正式反論をすることが可能である

よってブログ記事なんぞ1行も読むことなく、銭氏のブログについて語ることは可能

それの何が悪いのか、いや悪くないはずだし、語れる一点を持ってさえいるなら銭氏について大いに語る資格を持つはずだ


この主張は、映画を倍速で見ることの何が悪いのか、という主張と同様の構造である

が、これは無意味な例え話である

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