実家で飼っている猫を看取った。
18歳の黒猫。気の強いメス。
3匹中2匹は既にダンボール箱の中で息絶えていて、彼女だけが生きていた。2匹は木の下に埋めて、小さな草花を供えた。
小学生だけで近くの動物病院に立ち寄ると、栄養補給用の缶詰を持たせてくれた。今思えばすごく優しい先生だ。
わたしは着ていた体操服の裾を伸ばして、そこに子猫を乗せて帰った。
家まであと30メートルくらいのところでオシッコをされて、慌てて走った。
うちには既にキジトラのシニア猫がいて、ラッキーちゃんの遊び相手をしてくれた。
それから18年。
みんな私や家族が拾った捨て猫や、団体から引き取った保護猫だ。
ラッキーちゃんは、避妊手術以来、大きなケガや病気をしたことが無かった。
加齢による足腰の弱りがあるくらいで、毎日鳴いて美味しいご飯を要求してくれた。
体重は常に3キロ台後半をキープ。毛艶もよく、とても18歳には見えなかった。
今から約1週間前、そんな彼女が、急に食欲を失って風邪を引いた。
食べなくなって1日も経っていないのに、前回の測定から1.1キロも減っていた。
脱水傾向はあるが点滴は提案されず、風邪に対する治療を受けた。
ところが、ラッキーちゃんはみるみる衰弱していき、ついに起き上がれなくなった。
木曜日。
短時間だが呼吸が止まることもあり、もういつ旅立ってもおかしくないと思った。
思い立ってから30分で今の家を出た。焦りのあまり、フライトの日付を見間違える。
新幹線に乗った。
自粛生活を続けてきたこと、有休消化で2週間以上通勤していないことが幸いして、感染リスクの低い帰省に出来たのは良かった。
22時30分。
ただし、時折立ち上がろうとしてはすぐに倒れてしまうため、目が離せなかった。
死期が近い猫は体温が下がる。猫自身、冷たい場所を求めるという看取り経験者のブログ記事を思い出した。
ラッキーちゃんも冷たいフローリングを好み、体温でぬるくなったら冷たい箇所に移動しようとしていた。
体を十分動かせないためか、顔の筋肉が少しずつ硬直しているように感じた。
起き上がるたび、頭や腰をフローリングにぶつけないように守った。
午前3時すぎ、彼女が寝付いたのを確認して、わたしも仮眠を取った。
金曜日。
水を摂ると粘り気のあるよだれが出て、少し呼吸し辛そうに見える。
口の周りが乾かないよう、水を吸わせたティッシュで優しく拭いた。
呼吸は、更に弱々しくなった。
膝に乗せ、大好きな庭に出て日光浴をした。
芝生の上はひんやりして気持ちよかったらしく、穏やかな呼吸を感じた。
この頃から血の混ざったような色のよだれが出始める。
キッチンペーパーを敷いて、頻繁に交換した。
土曜日。
母を起こして2人で見守る。
瞳孔は開いたままで、瞼も閉じられない。
しばらくして呼吸が落ち着いたものの、何度か弱い呼吸の波が来る。
大丈夫、みんな居るからねと声をかけるたびに涙が溢れて、もう声にならなかった。
ふたたび呼吸が落ち着いた頃を見計らい、母と2人、少し遅い昼食を用意した。
ダイニングテーブルの上にラッキーちゃんを乗せ、兄が見守ってくれた。
その時は突然だった。
いま呼吸が止まったと兄が言う。
走ってダイニングテーブルに向かうと、何秒かごとにフーッと大きく息を吐き出していた。
心臓のあたりに手を当てると、今までで一番ゆっくりと鼓動していた。
これは最期の呼吸だ。
直後、全身にグッと力が入り、顔を少し上げた。
そして、脱力した。
猫も1〜3分間は耳が聞こえるという情報を見たことがあったので、泣きながらたくさん声をかけた。
眠るように穏やかな表情だ。
そうして、ラッキーちゃんと私たち家族の18年間が幕を閉じた。
涙は止まらなかったが、ここで事前に調べていた看取りの知識が生きた。
硬直が始まる前に、丸まって寝ている時のような姿勢を作る。
汚れたところは拭いて、ブラシで毛並みを整える。
キッチンペーパーで包んだ保冷剤を四つ、お腹の近くに入れる。これは6時間おきに交換。
お顔を見る時以外はバスタオルをかけ、冷房をかけた部屋に安置した。
看取り経験者のブログから学んだ、綺麗にお別れするために必要なことだ。
丸一日後に来てもらうようにしたため、花を買いに行った。
せめて沢山の花で送り出したいと思い、花屋を四軒回った。
母が白い花はお別れみたいで嫌だという。
もとより黄色やオレンジの花で送りたいと思っていたので、その2色を主役にした。
日曜日。
生花を切って、寂しくないように敷き詰めた。
耳と尻尾は柔らかくて、触るたびに温もりが蘇ってきた。
たくさん声をかけて、たくさん撫でて、最後のお別れをした。
けど、火葬車に乗った姿を見たら堪らなくなった。
これは永遠のお別れじゃない。きれいなお骨の姿に変わるために必要なことだと言い聞かせた。
業者の方は本当に丁寧で、きれいにお骨が残るようにしてくださった。
ちいさなお骨のひとつひとつを見ながら、立派な最期を見せてくれたことに感謝した。
みんなが見送れるタイミングを分かっていたかのような旅立ちだった。
お陰で、悔いなくお別れができた。
これまで猫のわがままや粗相に軽く文句を言っていた自分は、なんてちっぽけだったんだろう。
猫は常に「今」を生きている。
元気だから、わがままを言う。元気だから、たまには粗相があるかもしれない。
心の根っこはそうあるべきだと思った。
この先、4匹の猫との別れが待っている。
きっとその度に辛くなると思う。
感動した。すばらしい看取り方だと思う。 家族全員で見守ってあげるのもそうだし、事前に調べて死後の排泄現象などの対応もしている。 こういう家族ばかりだったら、人類はすばらし...
ありがとう。 そう言ってもらえて少しホッとした。 自己満足に過ぎないけど、悔いなく看取れて良かった。