これ読んでぱっと思い浮かんだのが「掲示板やオフ会で他人と話すのが好きな人」だった
話してて分かるんだ
あぁ、この人は「語りたい」のだなぁって
ゲームが好きな「結果」誰かと語りたい人と
誰かと語りたい「結果」ゲームを遊んでる人って違いが出るんよ
哀しいのは、後者も自身のアイデンティティを「オタク」だとするんだよね
掲示板文化みたいなのが残ってればそれでも居場所はあったかもだけど今はSNSの時代
そういう人って、自分が楽しめなくなった原因を「誰かと語れないから」ではなくて、「コンテンツがつまらなくなった」に見出そうとする
だって、自分はオタクで、積極的にコンテンツを楽しんでると勘違いしてんだもの
絵描きさんだとしたら、そのジャンルの二次創作をするのはなぜですか?
廃人活動もしてないのに楽しそうにしてる人と、がつがつやってもなんだか空虚なあなたとの違いは、どこにあると思いますか?
みたいな
的な
ふらっと青森に行っては、ラブリッジを写真に撮ってTwitterに流し、友人が数人「わかってる」コメントをする
仰々しく聖地巡礼とか書かない
そういう反応を期待する「趣味」ではないしね
「他者の中の自分」が目的の「趣味」はコミュニティをきちんとしないと長続きしないように思う
それらはインプットとかアウトプットとかそういう話じゃない、どうしようもなく他者依存のもの
そりゃそうだ、だってどこまで行っても自分が好きだけでやってんだから
そういう違いをきちんと把握して
趣味の対象を憎んだり、加齢で楽しめなくなったと勘違いしたりしてしまう
デミヒューマンちゃんはかたりたい
ときメモやセンチ 令和なんだぜ
狭いジャンルにいて自己完結はしてるんだけど数年に一回新規さんがくる その新規さんの情熱に向かい合っているときに自分は萌え瞬発力がずいぶんおちたなとおもう 秒でイイネいれて...