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2018-10-13

初めての海外旅行香港に行った

大した金もプランも無いが、なんとなく香港に行ってみようと決めて、てきとーに楽しんだ。

印象に残ったことをだらだらと。

欧米人の見た目じゃないのでどこに行っても最初中国語で話しかけられるけど

英語で頼んだら英語で答えてくれる人が多かった。まともに喋ったこと無かったけどなんとなく通じてうれしい。

単に見かけなかっただけかも知れないが、日本電車と違って気持ち悪い広告がない。

リクルートのフレフレ人生とか下劣言葉まみれの中吊り広告とかそういうの。

美容品、携帯教育広告が目立ってた気がする。「~~の~~」みたいな日本語のような物も。

駅前携帯ショップ屋台しかなかったが、黄金電脳商場?の中は別世界だった。メイドカフェとかは見当たらなかった。

訳あって携帯修理屋の世話になった。アニメ好きで変な日本ミームを知ってて面白い人だった。

何も知らずに入った。ゲイっぽい爺がズボンに手突っ込みながら向かってきてマジ怖かった。

フェリーで数千円程度。商店街の人混みがやばいカテドラルとモンテの砦を見に行った。

香港に戻ろうとしたときバス停を探して迷ったり行き先も間違えたりで泣きそうになった。

行こうと思ったが結局行けなかった。

宿はAirbnbで安い所に泊まった。シェアルームで3泊して1万円もかからなくて良い。寝泊まりだけして外を出歩くには十分だった。

東京と比べて全体的に明るくて疲れてない感じがした。また行きたいな。

2018-06-07

麺カタストロフとか針金で討伐を依頼する標的

どう考えてもデュラム・セモリナモルボルテイストめにしたほうが、デュラム・セモリナが…モーグリ肉は刺身一般的だが、帝国ではパスタ具材で用いる場合も多くなってよくね?

まぁ表向きは、暗黒の儀式の後とか時間が奪えねェ…昼時にフラッと断絶されし孤独な魔大戦ラーメン屋…預言書にも記されていることだが…カルパに麺かた・ザ・カテドラル目でカカッとかき込むというレゾンデートルで麺かた…それが世界選択なら超越した解析力で分析するんだけど、デュラム・セモリナ硬めで頼んでる――誰もがそう信じていたのに、たゆたう水の如く喰ってたら闇の血族を滅ぼしたところで原初の海に漬かってる間に異端カタストロフさに進化せしめるじゃん。

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2015-10-11

東大本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感

http://anond.hatelabo.jp/20151002003234

の著者が

http://blogs.yahoo.co.jp/ut_kankyo/42274104.html

「当会が問題と考える点」(東大 キャンパス環境改善を求める有志)を読んだ。


匿名ブログでくだをまくことしかできない私と違い、実際に駒場学生支援課と駒場図書館と交渉されているそうで、その実行力に敬意を表したい。

その上で、「東大 キャンパス環境改善を求める有志」の会の方々は、主に駒場キャンパスでの問題に取り組まれているようなので、本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感を以下で述べてみたい。

私の基本的立場は、

というものだ。


東大本郷キャンパスの「学外者」立ち入りに関する現状

本郷キャンパスへはじつに様々な人たちが出入りしている。センター試験と2次試験以外の日に、もっともよく見かける人たちをあげてみるだけでも、これだけいる。



これだけの人たちの立ち入りを制限して、正門でいちいち入構手続きを求めるのはさぞかし大変だろう。

はいえ、本郷キャンパス観光地化しているという指摘はあたっている。

毎日のように大型バスが何台も大学前にやってきて、中高生観光客団体が列をなしてキャンパス内に入ってくる。日本国内からだけでなく、中国韓国台湾といったアジア諸国からやってきたらしい団体もよく見かける。

これらの人々が固まって道を塞いだり、騒ぎながらセルフィー棒で写真をとっているのを見かけて、眉をひそめる東大生がいたとしても全然おかしくないと思う。


しかし、「学外者」の立ち入りを完全にシャットアウトすることは難しいのではないかと思う。本郷へやってくる人たちのなかにはきっと、東大漠然としたあこがれを持ってやってくる人もいるのだろうし、そうした人たちに対して大学も悪い顔はできないだろう。

キャンパス内を物珍しそうな顔で歩いている中高生が、10から20年後には、彼らを迷惑そうに見つめる東大生はるかにしのぐ立派な研究東大でやり、場合によってはノーベル賞も取ることだってありうるのではないだろうか。


先日話題になった世界大学ランキングトップ10に入っている大学で、私が訪れたところはいずれも、東大よりはるか観光地化が進んでおり、観光客でごったがえしていた。大学の主要な建物の周りには土産物屋が立ち並び、大学ロゴが入ったパーカーTシャツを売っている。その周辺にはカフェレストランがあり、一つの経済圏形成している。

大学の方もまたしっかりしたもので、歴史的建物カレッジは入場料をとり、一日のうち限定した時間帯に立ち入りを許している。立派な美術館カテドラルを持っている大学カレッジ)は、これらの入場料から収入を得ている。

こうした大学観光客学生とのあつれきが問題になりにくいとしたら、先のエントリでも述べたように、もともと大学と周辺の街との境界線あいまいからだろう。

東大場合キャンパスの内と外の区別がかなりはっきりとしており、キャンパス内が手狭なので、そこに多数の人が一挙にやってくると、学生ストレスを感じやすいように思う。


「学外者」立ち入りから生じる問題


本郷キャンパスでは現状で、研究棟に「学外者」が団体で入ってくることはないので、研究室にこもっているかぎりでは、「学外者」との間で問題が生じることはない。

「学外者」が大声で話すことがあったとしても、現状では、研究棟の造成工事や、総合図書館の新設・改築工事騒音のほうが、はるかにうるさい。

問題が生じるのは、学生と「学外者」が共有するアメニティスペースや、「学外者」の団体立ち入りを許している施設だろう。

まず、キャンパスに立ち入る「学外者」のうち、もっとも人数が多いのは修学旅行団体であるが、彼らは門の前にしゃがんで集合したり、狭い道で立ち止まったりして完全に通行を遮断することがあり、引率の教員もそのことに気づいていない場合がある。

また、修学旅行生やウオーキングツアー団体が昼時に中央食堂へいっせいにやってくると、数十分間の間、学生にとっては食堂機能が完全にフリーズしてしまう。このため、12から13時までのあいだ、「学外者」の利用は遠慮してもらうよう依頼する貼り紙入り口にある。しかしこの制限がかかる時間帯の直前にやってくる団体は結局制限時間帯になってもいる場合があり、あきらかに貼り紙無視している人々も制限時間帯に複数いる。授業の合間や、実験論文執筆の合間をぬって食堂を利用したい学生にとっては、食堂が一体誰のために、何のために存在しているのかわからないと憤慨する時があっても無理はないように思う。

総合図書館は、現在工事中で「学外者」の見学を受け入れていないが、それ以前はキャンパスツアーの経路に入っていた。中に入る「学外者」は、大きな声で話すということはないものの、多数の人達がドカドカと足音を立てて閲覧室に入ってくる。彼らは勉強中の学生の姿やノートを、好奇心いっぱいで覗きこんでから、無言で立ち去っていく。このようなことを毎日のように繰り返されて、いい気持ちがする人はいないだろう。

医学部前の広場は、日暮れ時は、愛犬家交流スペースとなっている。犬と人が遊んでいるのを見るのは心和むひとときであるが、一部の人は、人通りが最も多い昼休み時に犬を連れて狭い道を歩きまわっており、さすがに周囲への配慮が足りないのではないかと思われることがある。


キャンパス空間利用の仕方は議論されてよい


キャンパス内でただくつろいだり歩きまわったりしたい人を追い出してしまったら、そこは学生にとってもさぞかし息苦しい場所だろう。

はいえ、学費を払って真剣勉強している学生が、配慮が足りない一部の人々の行為に対して黙っている必要はないのではないだろうか。

キャンパスにやってくるさまざまな人が快適にひとときを過ごすことができるように、お互いの存在に気づくことができるように、声を上げることは、全然おかしいことではないと思う。

たとえば、

といった要望をして、どれほどの問題があるだろうか。


学生が黙っていれば、大学教職員学生のことを「舐めて」かかる生き物である


大学教職員は、学生が集中して学習できるように、もちろん日々配慮しているだろうが、かれらは幾分年をとっているため、細かいことには気づかない場合がある。

年を取ってくると、10代後半から20代前半の学生は、教職員にとって、生理的に、まったく別の生き物に感じられるようなので、学生の細かい要望に応ずる善意があったとしても、そもそも相手が何を望んでどのように感じているのかわからないのではないか。

また、任期がない教職員基本的国家公務員メンタリティを持ち続けている(彼らは文部科学省社会保険に加入している)ので、自分がクビになるリスクがない限り、何らかの業務改善をしても得られるインセンティブはそれほど大きくないという認識を持っている。なので、文句をいわれないかぎり、学生要望を察知して自分から動くということは、あまりない。

したがって、学生が声を上げることが、現状を変えるための第一歩であるように思う。

2008-02-18

インテリア関連クリエイティブ系の人!ここだけの話【モダニズム建築

インテリア関連クリエイティブ系のみなさーん。

お疲れさまです。

お客様建築家さんだったりする、建材や住宅設備・内装などの

インテリア関連に従事しているけど、実は建築勉強とかしてなかったヨ

という人は結構多いですよね?

私も実は、建築科ではなくて芸術学科出身ですから厳密にいうと

違うんですけど、なんとなく知っているっていうくらいですが

これはちょっと知ってる方がいいかもしれないことを

こっそり教えておきますヨ。

「モダニズム建築」といわれる建築物ってたくさんあるのですが

じゃあ、どれが「モダニズム建築」なのさ?と

口をとがらせて聞かれます。うんうん。

そうだな??、丹下センセ知ってます?丹下先生が亡くなったのが

2005年。丹下先生設計した有名な建築物は?というと、

たくさんあるのですが、とりあえず絶対知ってるのが新宿にある都庁。

その近くにある新宿パークタワーもそうです。

都庁がいいかどうなのかは、個人の美的感覚にまかせるとして、

あれはモダニズム建築じゃあないんですよ。ちょっとポスモ寄り。

(「ポストダニズム」をポスモというんですよ。)

丹下先生は、若かりし頃はル・コルビジェに傾倒していた(あの頃は

みんなそうだったようです。)ので、当然のことながらモダニズム建築

を実践していた。その代表的なものとしては、東京カテドラル代々木競技場

などがあります。

★「モダニズム建築」というのは、鉄やコンクリートガラスなど建材の

技術革新によって、それまではムリだった高層建築とかできるように

なったんですよ。いま、すごく単純にざっくり説明しちゃいますよ!

で、デザインとしてはシンプルだったり構造がそのままデザインだったり

するのが特徴です。今みると、なんかシンプルで静謐な感じと思ってしまいます。

(多少内部が古かったりするところも味と思えるからなのかしら?)

★で、「ポストダニズム」っていう言葉を聞いたことがない人も、聞いたことはある

けど今までスルーしてた人っていうのも結構いるはず。

じゃあ、何故「ポストダニズム」ってそんなに影が薄いのか?という

ことですよ。

その理由は、「ポストダニズム」は建築史ではなかったことになってるんです!

では何故なかったことになっているかというと、

ざっくり言うと、「痛い建築かも?」ってことなんです。

全部が全部そうだとは言いません。何が痛いかも言いません。

でも、でも、そうとしか言えないのです。

「もう少し、時間が経てばきっと解ってくれるよ、みんなも。」

といったところでしょうか?

ダニズム建築も、できた頃はみんな「なんじゃこりゃ!」って

言ってましたもん。

だから、ポスモについてはもう少し寝かしときましょう。

でも、再評価される前に解体なんてことにならなければいいのですが…。

ちなみに、ポスモ建築の例としまして、

1. 水戸芸術館(設計:磯崎新/1990年

2. M2(設計:隈研吾/1991年)

3. ソフィテル東京ホテル(設計:菊竹清訓)などなど。

ね?なんとなくポスモってそんな立ち居地なんです。

でも、私は嫌いじゃないです。

 
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