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2024-07-11

テレ朝が「有働タイムズ」て新番組やるって

記事をみた感想:

な〜んじゃそのヘッポコなネーミングセンス! 小学生かよ!!

しか小学校6年くらいだったと思うが、総合学習? かなんかの授業で、5〜6人のグループに分かれて、それぞれテーマを決めて取材して執筆して「壁新聞」を作ろう! てのがあったのね。

グループリーダーが、クラスで人気のお調子者、タコの顔マネとかしてウケてたのでアダ名で「タコチュー」と呼ばれていた。なので壁新聞タイトルが「タコチュータイムズ」と付けられたのを思い出したのでしたw

2024-02-25

高校生って英語数学も5時間くらいしか勉強しないわけで

自分高校の頃は、たしか英語数学も週に5コマくらいだった気がする。

社会は2教科、それぞれ2コマずつ。理科は3教科それぞれ2コマ

国語は3コマだった記憶

これで、合計23コマくらい。

体育と家庭科音楽美術とそれぞれ1コマあって、27コマ、月金1日6コマとして30コマから、まあこんなもんだろう。

の子って、情報とかコミュニケーションとか総合学習とかあるんだろ?

英語数学に4時間くらいしか割けないんじゃないかな。

日本人英語力がとか、数学力がっていうけど、週4~5時間でこのレベルならまあ上々なんじゃないかなって思う。

複素数なんか、社会に出てから使ったことがない。

あ、でも積分は使ったことがある。

2022-07-14

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

2021-11-28

タブレット端末からSurfaceに移行し、授業の質の更なる向上へ。 LTE対応


提供

日本マイクロソフト株式会社

2021年11月15日 09:00

 埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校淑徳与野中学高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育積極的に推進してきました。そして2020年新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始していますICT教育進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています

学びの"質"を変えるためICT活用した学習先進的に着手

 1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教精神背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育女子校が、埼玉県さいたま市淑徳与野中学高等学校です。海外姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連剣道部や、バレーボール部バトン部、吹奏楽部など、文武両道学校としても知られています

 そんな同校は、「コンピュータ情報通信ネットワークなどの情報手段活用するために必要環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラス試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年入学中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています

 学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから主体的学習へ生徒をどういざなうかが課題となっていますICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます淑徳与野中学学年主任 英語教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的学習を促す効果も期待できます」とICT教育可能性を生徒・保護者説明しています

オンラインでも対面授業と変わらぬ学習効果を維持するために

 もっとも、淑徳与野中学高等学校Microsoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼます

 淑徳与野中学高等学校進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書作成され、それは授業用の各種資料保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにもMicrosoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)

 そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供アイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。

 「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者不安を解消するためにも重要活動位置付けられました」(小嶋氏)

 その後、登校は再開されましたが、新型コロナ収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信文書管理の仕組みを作るとともに、2021年入学から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います

 「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解可能にする授業が行えますさらに、Teamsによる課題配信活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)

"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデル選択

 淑徳与野中学高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います

 同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANカバーエリア全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害危惧されました。

 また、2年前から一部クラス試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSアプリケーション操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います

 こうした2つの課題解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまますしかLTEモデルであればモバイル回線バックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。

 また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループ八島圭氏は、「相性問題は、OSアプリケーションハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OSMicrosoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。

 今回、モバイル回線無線LAN障害が発生したときバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたとき通信不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。

 機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります

 そして、軽量化コスト的な制約からキーボード犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。

 「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的クイズ形式タイピング練習を行っていますが、これにはタブレットスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボード品質重要だと考えました」(山﨑氏)

 最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE AdvancedモデルCore m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペックモデルにしたのは、デバイスパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います

TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的活用

 2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすポイント解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています

 「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解やすくなります」(粕谷氏)

 総合活動時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います映像活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理PDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。

どこでもつながるLTEモデルが授業と課外活動の幅を広げる

 PC汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限実施していますが、それも最低限にとどめていると言います

 「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能サイトを追加していますルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在方針です」(小嶋

氏)

 淑徳与野中学高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケート実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。

 そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICT活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます

 「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待していますさらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)

 このほか、部活動試合Surface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います

 無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデル採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。

 導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。

2021-01-30

会社github上げ太郎予備軍がいる

結論から言うと、どうしようもなく無能で「カネやサポートといったリソースを注ぐだけ無駄」な人間というのは現実にいるのだから、見極めがついたらさっさとパージしないとリスクだけ増えるという話です。

 

github上げ太郎ニュースにおける「本人の反応」を見て真っ先に思ったのは、「ウチの会社にもいるわこういう異常に能力危機感当事者意識ないアホ」だった。

本当にいる。複数年勤めてても一切仕事能力が成長せず、入社一週間ぐらいの新卒にすら実務能力で抜き去られてく奴。

そういう奴がいるチームはえてしてタスク配分の不均衡だったり無能介護役の負荷が大きくなったりでどんどん空気が悪くなっていくんだけど、当の無能は知らん顔してたりする。

 

この手の無能は本当に「頭が悪い」としか表現しようがなくて、そもそも自分に振られたタスク自分で完遂できない。

通常、ある程度以上にまともな社会人は(それこそ入社すぐの研修期間でもないかぎり)仕事を振られた場合

自分担当するタスク内容を把握する→タスク解決方法検討する→タスクの進行を自分管理する→タスクが終わった後改善点を考える

自力でできる(どこの現場にも転がってるPDCAとかそういう類いだ)んだけど、この手の無能上記の全部ができなくて

誰かが実行方検討から進捗管理まで全部やってくれる「手を動かすだけの仕事」、言い換えれば「刺身たんぽぽのせる延長線上の仕事しかできない。

手を動かしてる間も思考ゼロなので、実際のところ自分が何をしてるかなんて理解してない。

(なので、仕組みなどを理解してないとできないことはできず、誰かがうまく行かせてるものをなんとなくコピペして、誰かが気づいて手直しするまでは何もしない。コピペした後で自分最適化とかできない。)

 

これはスキルとか適性とかの問題じゃなくて、根本的な思考能力の話だろう。

普通人間なら小学校自由研究総合学習時間で(とくに下準備すら必要とせずに)発揮するタイプパフォーマンスが発揮できない人間、というのは実在する。

当然ながら何か問題を起こしたとしても「何が悪かったのか」を自力思考できないので、周りの人間対策に走り回ることになる。

ここでリーダー的な人間がお役所主義だったり変に意識が高かったりして「無能からって現場から追い出すのはよくない」みたいなことを言い出すと、無能がずっとそのチームに寄生し続けることになる。

そうなるとひたすら「無能当人以外の人間」が状況の改善のために努力を重ねていくので、無能自身は何の能力も伸びない=年収等の待遇も上がる余地がないままずっと時間が経過するようになる。

 

こういう無能実例を見てきたので、多分github上げ太郎待遇が悪かったか復讐とか、忠誠心の不足とかもっとずっと前の段階で、単に何も考えてなかったんだと思う。

何も考えないままなんとなくカネがほしくなって、年収判定にソース必要という文字列の通りに(あげちゃまずい)ソースを流しこんだ。

こういう無能にカネをたくさんやった問題を起こさなくなるかというと、もちろんそんなことはない。だってそもそも考えてないんだから

なので、無能に一切の自由を与えない(情報持ち出し対策とか)か、そもそも無能をチームから排除するかのいずれかしか現実的な対策存在しない。

 

会社にいる無能も、問題を起こす前にきれいさっぱり消えてくれないかなあ

2020-12-31

anond:20201231085703

社会運動勧める授業があるんだよ

総合学習とかな

それの影響で疑問→即行動になってんだ

2019-12-02

自衛官が「産経」で記者研修/防衛庁92から計36人派遣

anond:20191202190251

マスコミ浸透狙う

 丸山重威関東学院大学教授マスコミ論)の話

 自衛隊住民教育浸透作戦は、夏休みの「ちびっ子ヤング大会」などのほか、総合学習を利用して見学を勧めたり、男女大学生体験入隊キャンプなどと広がっている。今回の例はマスコミ浸透作戦の一環だろうが、取材相手説明しているのだろうか。相手自衛官と思わないで取材に応じるとすれば問題があるだろう。報道機関としての矜持(きょうじ=自負、誇り)が必要だと思う。

tps://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-06-19/14_01.html

そもそもネトウヨ隊が産経新聞を作ってるんだよ

2019-01-19

加害者になりたく無いか戦争して欲しくない

というのをいつのからかずっと持っている。

祖母の生家は広島県曽祖父が亡くなった時に母親ぽろり曽祖父のお姉さんは原爆で亡くなり遺体も見つかっていないと言っていた。祖母が始めて母に観たいから連れて行ってとお願いした映画は「この世界の片隅に」だった。見慣れた街の景色をとても楽しんでいたと聞いた。

小学生の頃の私は酷く内向的で人と話すより空想したり本を読むのが大好きで図書室にある本は全部読んだ。はだしのゲンが唯一置いてある漫画だったので漫画も読みたい私は全部読んだ。時間が余った総合学習時間サトウキビ畑の唄を全部見せてもらった。映画が好きで、あと嵐が好きだったか硫黄島からの手紙父親たちの星条旗も見た。総合学習時間学内新聞を作るため私たちの班には日本軍が行なった生体実験というお題が与えられた。字を読むのが好きだし家に当時からパソコンがあったから調べまくった。

中学生修学旅行では長崎に行き被爆地を目で見た。写真で見るのとは全く違って、建物は静かで異空間の恐怖を覚えた。それは原爆に対するものではなく長崎のそのピンポイントに対する恐怖だったと思う。

大学生になって、留学生が多い学校だったから何かの流れから戦争の話になり、アメリカ人韓国人日本人で話していた。韓国人感情的に私へ怒りをぶつけてきたことを覚えている。講義原子爆弾関係映画をいくつか見た。一番印象的だったのは「太陽を盗んだ男」だ。パワフルさがたまらなく心に刺さった。映画を見て議論するという講義だったが、この時はあまり議論は盛り上がらなかった。それでもこの映画で描かれた9番という立場は当時の私にとって衝撃的だった。

多分私の生きてきた中に、戦争加害者としての日本が強く意識づけられている。原子爆弾を落とした蛮行未来永劫たとえ彼の国が滅びようとも許すことはできず、曽祖父の姉を奪ったそれがとても憎い。曽祖父爆弾の落とされた街を歩き姉を探しそうして見つかることなく生涯を終えるまで一体何を感じたのか想像することもないだろう世界は憎い。数多の人の命を一瞬に、そしてゆっくりと奪い今も苦しめ続ける原子爆弾をまた使うような未来絶対に避けたい。

それと同じくらい、戦争をして私たちがその立場になるのが嫌だ。私は女なので戦地に行くことはないかもしれないけど女性社会参加が都合よく叫ばれている今行かなくてはいけないかもしれない。そんなことはしたくない。見ず知らずの日本の誰かが顔も知らない世界の誰かを傷つけて欲しくはない。私に怒りをぶつけ暴言を吐いた彼女不快な思いは偉大たがたとえ大義名分を得ようとも彼女の命を奪いたくはない。

奪いたくないし、もちろん奪われたくもない。それが保たれることはとても平和で、命に限らず生きる中で何も奪わず奪われないことは、ある視点から見たらつまらないけれどとてつもなく幸せなことだと思う。満たされているということだから

そういうことを思う。

そして満たされないからあらゆるものを巡って争うのだなということも分かっている。切ない。欲望がもう少し小さければいいのに。

2018-03-21

anond:20180321104808

学校における教科の分類は、学問芸術の分類に従って作成されている。

芸術的科目を統合すると……

総合芸術になる。音楽絵画建築舞踊など複数の分野の芸術の混交によって創造される一つの統一的な芸術

系統だって教授するには、分野別に分けておくのが合理的である

総合学習総合的な学習時間で失敗した前例がある。

2017-12-03

30年くらい前

小学生とき、何の授業だったか忘れたけどビデオを見せられた。社会の授業の一環だったのか総合学習やロングホームルーム的なものだったのか、視聴覚室に入れられて人類危機みたいなやつを見せられた。曰く、石油が残り少ないと。このままのペースではあと20年か30年くらいで石油が尽きてしまうと。皆さんが大人になる頃には大変なことになるかもしれませんねえなどと教師が言って、小学生であった俺はいろいろと忖度して「電気は大切に使おうと思いました」みたいな小学生らしい感想文を出すわけだ。

 

また別のとき、同じように視聴覚室で違うビデオを見せられた。同じように人類危機みたいなやつで、今度のは人口やばいと。このままだとあと20年か30年くらいで地球人口が100億を超えてしまい全地球的な食糧不足エネルギー不足で大変なことになるぞと。教師は前回と同じようなことを言い、俺も同様に忖度して「食べ物は大切にしなくてはいけないと思いました」というような感想文を出すわけだ。

 

で、30年くらい経ったわけだけどやばいやばい言われながら石油は尽きない。もちろんいつかは尽きるだろうけど手付かずの油田存在にもあたりがついててまだまだ数十年くらいは問題なさそうだ。人口も思ったほどは増えてない。先進国出生率が軒並み下がり、途上国を中心に増えてはいても当時の予想ほどの勢いはない。一方で食料は生産性の向上もあって供給は足りてる。先進国を中心に大量に廃棄されていながら世界中餓死する人も大量にいるという政治的経済的問題はあるけど絶対量が足りないってわけじゃないし、生産数を上げれば餓死者がいなくなるってわけでもない。

 

こういった教育が何をもたらしたかというと、少なくとも俺にとっては、大げさな悲観論を良くも悪くも鼻で笑ってまともに取り合わない態度が身についた。

当時はまさにバブル真っ只中で、勢いや活力や余裕や希望があったみたいなイメージで振り返られることが多いけど、俺にとっては悲観的で刹那的だったという印象が強い。

2017-08-27

なぜ日本人議論を嫌う?それは教育の成果だから

今、日本では国民レベルでの議論必要としている問題に直面している。少子高齢化安易自殺怠惰若者の台頭、道徳危機……、挙げていけばきりがない。中でも、安易自殺学校社会若者社会を中心に話題になった。今起きている過労自殺というのはまさにその代表である日本以外はどうか。外国に目を向けると、民主主義資本主義をめぐる国民国家などとの衝突が発生している。例えば香港台湾では中国との政治・経済関係めぐり香港台湾独自民主主義が損なわれかねないとして不安を感じた学生議論を行い、それが決裂ないし過熱して、やがて蜂起した。恐らく日本においても議論過熱しかねない民主主義資本主義に関する社会問題というのは存在するはずだ。しかし、日本人議論というものを嫌う傾向にあるので、根本的な問題解決ができず、小手先問題解決に明け暮れてしまう。

そこで、私から提案があるのだが、日本教育メディア放送において、議論に関するスキルを養うカリキュラム番組を組むのはいかがだろうか。教育面では小学校中学校高校所謂総合学習時間議論に関するスキルを養うカリキュラムに割り当て、その授業の参加を通じて議論に関するスキルを養う。すでに高校卒業している方のためにもテレビ番組でもどこかの民放において議論テーマに扱った番組放送する。また、テレビを見れない方向けに、YouTubeニコニコ動画にて同じ番組内容の動画配信する。劇的な効果は現れないものの、ゆとり教育と同じように、何年か時間がたてば次第にその効果が発揮されるだろう。

最盛期に比べれば大幅に減速しているとはいえ、グローバル化が進むこの現代。我々日本人には語学スキルマナーのみならず、議論するスキルをも求められている。語学マナーに関しては教育の浸透が進んでいるが、議論に関しては殆ど身についていない。世界ナショナリズムに完全に移行しない限り、議論に関するスキル語学力と同じく生きていく上で求められる。もしかすれば、奨学金制度改善都市公共交通システムの改造以上に至急性のある日本喫緊課題なのかもしれない。

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170627083640

2000年総合学習の導入や2020年大学入試改革などで、改善するどころか

頭脳より育ちの重要度がどんどん増してるので、将来の衰退はもっと加速するだろうな。

2016-10-08

[]

天竜川総合学習館 かわらんべに行ってきましたわ。

中に天竜川ミニ水族館なる水槽がいくつか置いてあるスペースがあるのですわ。

水槽あるところに鯖有りですわ。天竜川の生き物を展示しているそうですわ。鯖は居ませんでしたわ。

かわらんべは事前情報だと地域の子供たちのための施設みたいでしたので入りづらそうだと思ってましたがそうでもありませんでしたわ。誰も居ませんでしたので。

ちなみに3時過ぎに行ったのに入場名簿がわたくしが一人目でしたわ。中の人にはわたくしの名前がばれますわ。

今日デトックスつり橋はつつじ橋ですわ。かわらんべから少し歩きましたわ。想像よりしっかりした橋だったので余裕で渡ったらやっぱり怖かったですわ。


落ちたら海水では無いんですもの!落ちたら海水では無いんですもの

2013-09-30

マッサージ師に引き出された人生のお悩み

マッサージにいった。

今年に入ってから胃腸が不調で、漢方薬胃腸科も微妙だったから、外側からの力に頼ってみようと。

会社からも近いし行きやすい。

問診を始めるなり、胃腸の不調はもろ脳みそが困ってるから起こってることって指摘された。

骨格からして北国出身でしょ?

と当てられるところからはじまり

メイクもあまりバッチリするタイプではなくて。

寂しいでしょ?という、占い師か!ってくらい色々言い当てられてしまった。

どんどんお悩みを引き出される。

相談しようと思って来たわけでもないのに。

感じないようにしてたことを引き出されたというか。

彼氏もいない、気のおける友達もいない。仕事楽しいのか?

本当は彼氏欲しいのにね。

ただ時はいたずらに過ぎて行くよ。

おじさんは今色んな人が集まって来て幸せよ。

東京行きたいなら週末にでも行けば?

色々理由をつけて、条件を自分でつけて足枷をしてるよね。

と。

今、知らない土地で生きて行くことを、受け入れて働いているけど、確かに住む場所くらい選びたいよ。

皆の夢が集まる、好きな人達がいる東京らへんに行きたい。住みたい。

聴きたい音楽も沢山あっちにある。

仕事は辞めたくないけど。

でも、もっと、小さいこからあった夢を追ってみたい。

夢諦めたよね、どこかで。

私は、自分が好きなことをしてる男性が好きです。

でも私自身に置き換えてみたら、好きな人になれるようなキラキラさがない。

人生終わりそうな時に誰も囲んでくれなそうだ。

夢はキラキラしてて、楽しくて、仲間がいること。

仕事してるなら、それに誇りが持てること。

そんな人になりたいね

私が小さい頃からたかったこと。

小学校自由研究オリジナルアイディアで誰もしない面白いもの作りたかった。

小学校総合学習ニャッキ!に憧れて作った駒撮り粘土アニメ絵コンテ書いたり、皆でアフレコしてみたり。

中学校ではお昼の校内放送で懐メロを流して先生を楽しませ。

高校放送局ではラジオドラマを作り。

色んなことがしたい。

お客さんをワクワクさせたい。

自分の手で作ったものでね。

出来れば一人じゃなく皆の手でね。

ちゃんとしたクオリティのものでね。

誰がお客さんかっていうと、マイナーすぎるのはやだな。

自由に選択して参加してほしいな。

参加してもらうからには楽しんで欲しいな。

辞めたきゃ辞めればいいし、買いたいひとが買えばいい。

現場を移動したい。動かないものは、その土地に縛られ続けちゃう

私は地域のために、って気持ちにあんまりなれない。

愛する土地なら違うと思うけど。

色んな形で楽しめばいい。

仕事じゃなくても、あんな事したよね、またやろうか、と言えるような仲間が欲しい。

さぁ、どうしようか。

人生のことだから、このままここにいたら楽しい人生にはならんと思うし、考えねばである

2013-09-23

ネトウヨだけど在日を雇った

6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。

幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップ収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベル収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。

「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」

と父は言う。

うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。

アルバイトという雇用形態求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人不景気ダブルワークをせざるを得なくなった低収入サラリーマン世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。

もちろん、アルバイトからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。

うちの店では毎回真剣選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。

匿名増田から自慢するが、私たち結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブル従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家モットーは非常にシンプルベーシックものだが、やはりベーシックものが一番大事なのだ

「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」

と母も頻繁に言う。

店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である

地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から総合学習時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である

さて、話を元に戻す。

採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。

例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。

母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。


では、私の嫌悪の対象とは?

たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。

「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語ペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったとき朝鮮半島から来た人たちで…」

――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺創氏改名等については習っていた。

さら高校生ときテレビで大々的に拉致被害者報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相訪朝平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致事実北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達

世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!

都内大学に入ってから在日というアイデンティティを持つ人をテレビ新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前リムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンス教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。

そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか

 

かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。

国籍韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」

日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。

高校2年生くらいか大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本言語認識』。一番最後イヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分お金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。

それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤイライラは感じなかった。なんで在日言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。

「あんた韓国きじゃないもんねぇ? やっぱり嫌なの?」

しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。

正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?

私は、自分韓国北朝鮮在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学ときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。

そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制であるべきだ、と。

私はその規範従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国北朝鮮在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である

父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。

在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。

いいんじゃないの。雇ってみれば」

それが、我が家で雇った一人目の外国人だった。

                       つづく

2010-04-01

全く最近の若者は……

http://anond.hatelabo.jp/20100401093824

「全く最近の若者は……」「わしらが若い頃は……」というのは年寄り常套句ですね。

その昔は新人類と言う言葉がありまして、情熱・覇気がない、良いのはテストの点だけ、応用力ゼロで無個性ロボット等々言われていました。

それは、詰め込み教育受験戦争過熱共通一次試験などで、画一的教育や外で遊ばなくなったため。

なぜそうなったかといえば、それまでの中卒高卒当たり前という社会ではなく、全体の教育水準を向上させなければ、これから先、先進国としてやっていけないから。

しかし、そういった問題が出たので、詰め込み教育はやめ、授業時間を削減して総合学習とか、多彩・個性的な授業を可能にし云々。

つまり、教育が成功したことなんてないんですwww

2009-12-21

現役東大生が語る「数学さえやっていれば東大へ受かる」理由

教育目的社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校歴史理科国語を教える意味はまったくないだろうね。

まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学教養課程でやりゃーいい。

国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。

んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータ数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。

とにかく義務教育学習課程で無駄を徹底的に排除。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授自分研究室大学院生編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。

大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。

今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代エリート教育みたいに。たとえば東大数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。

小学校教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカ大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

関係ないけど、修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。

反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科社会科国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学教養課程で、エリート対象に教えればいい。

こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。

まあ凡人には理解できないかもね。

2009-08-05

ゆとりって罵倒語みたいになってますけれども、え、じゃああなたはいくつ?

これだからゆとりは」って言い回しを見かけますけれども、「これだからゆとり(世代/教育をされてきた人間)は(頭悪い/しょうもない)」くらいの意だと思うんですけど、この言い回しをしてる方はおいくつでいらっしゃるのよ?

wikipediaによると、ゆとり第一世代っていうのは1987年度生まれらしいんですけど、彼ら彼女らが今いくつかというと、22歳、まあ飛び級留年もしてなければ大学4年生な年齢なわけです。とうに成人済みだぜ? 立派に大人だぜ?

ゆとり」を相手へのネガティブ言葉として使う以上、その人は「ゆとり」じゃないわけでしょう?少なくとも22歳な彼らより年上なわけでしょう?その歳でそんな頭悪い罵倒とか、ひく。

さらに付け加えると、総合学習とか公立校週休二日制とかもゆとり教育の一環なわけですけれど、これを体験していない世代ってどこからかなっていうと完全週休二日制2002年度からなんでまあ1984年度生まれまでにしておくと、彼らは今年で25歳ですね。

これだからゆとりは」を言っちゃえる人っていくつよ。少なくとも20代後半より上の人間が口にしてることになるんだけど、恥ずかしくないのかなあ。

ちなみに自分1983年生まれなのでこの定義だとゆとりに入らないけど、月に二回は土曜日休みっていうのを経験してるし、年下の子と話してて、そりゃ個人で「あちゃー」な子はいるけどその世代まとめて頭悪いとかちっとも思わない。比較対象の私の頭が悪いって可能性はもちろんあるけどね。

ノリで発される流行言葉のひとつってことは分かるけど、やっぱり「これだからゆとりは」を言う人の方が恥ずかしい人間に思えるなあ。

2009-04-29

総合学習とは?

たとえば、この中で「キジムナー」という言葉を聞いて意味が分かる人間がどのくらいいるだろうか、和太鼓が敲ける人間がどのくらいいるだろうかって考えると、総合学習って重要なんだなぁ・・・と思った。

学校って「おべんきょ」だけを教わる場所じゃないんですよね。

で、集団行動とか秩序とかを教わるのは勿論だけど、そういった伝統芸能や民間伝承に触れるきっかけ・興味を持つきっかけを作るのも必要だろうなと。

特に、今の親世代はいろいろ無知だろうし。

2009-02-18

あなたの発想はすごく面白い

元増田です。あなたの「私塾」という発想はとても面白い。

そのアイデアは、こちらのアイデアの「『教諭』でなく『教科特別講師』という身分」を活用する現場イメージと、発想の根を共有し、従ってリンクさせることが可能なのではないかと思う。

現在初等中等教育現場で、現場がもっとも悩んでいることに一つに「総合学習」枠が活用しづらいという問題がある。少し調べれば分かるが、これはまさに現在公教育内に「私塾」を作るという発想に近いんだ。でも現場にこの枠を活用できる余裕がない。

そこで、「総合学習」枠で『教科特別講師』がそれぞれ小さな私塾を作るというのは、現在教育制度の延長線上で実現可能な、そして効果のあるあなたの発想の具現化ではないかと思うがどうだろう? 反応乞う。

http://anond.hatelabo.jp/20090218213932

2009-02-15

そいつは教育じゃない。勉強だ。

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559

これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。

ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、

今回は「学習過程の無駄」について話をしぼるよ!

学校は「知識を教えている」(だけという)わけじゃない。

さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。

総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。

こういうクレームあるよね~。

「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。

だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。

いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。

学習指導要領を元に見てみよう。

小学校学習指導要領平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm

…文字多い?読みたくない?

全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。

(1) 生物の体のつくりと働き及び生物環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。

(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。

(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。

さあ、キーワードは何だろう?

そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。

実は小学校理科で求められていることは主に3つある。

自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」

知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、

その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。

一輪車だって同じだ。

体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。

このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。

調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)

に分けられる。

もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子ども大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。

じつは平衡性強化訓練だったわけだ。

もっと言うと「総合的な学習時間」でやっているからには、

体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。

研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。

あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?

教える+育てる=教育

勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。

だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。

「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。

だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。

まあ、教養としてのそういう知識も、それはそれで重要だけどな…。頭いてえな。

http://app.blog.livedoor.jp/dqnplus/tb.cgi/1217037

高校生総合学習発表を、いい大人が見下したように馬鹿にするのってどうなの?

内容が稚拙だろうと間違っていようと、学生のうちは自分意見をまとめて発表することが重要なんじゃないの?

2007-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20070909114426

だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。

教える時間削減して余った時間が「ゆとり」ではないの?詰め込みで勉強ばかりしててはだめだからという理由で削減されたような気がするんだけど。

あなたが教える立場だと思って考えてくださいね。

教える内容が10で今まで10時間で教えてました、と。

時間は10のままで教える内容を8に減らしました、と。

いやでも2時間余りますね? これなら「ゆとり」が生まれます。

では教える内容を8にしました、と。

教える時間も8しかありません、と。

で、何時間余りますか? 

え、家に帰って2の時間が余るでしょ、って?

増田さんのおうちではそうかもしれない。でも日本全国のほかの家庭ではどうでしょう?

そもそも学校で「ゆとり」の時間が必要だとされ「総合学習」に期待されたのは、従来家庭で行われていた教育部分を地域や家庭に任せておける状況でなくなったこと……具体的には、「同年代多人数との交流による社会性の獲得」「好奇心を持って学んだり考えたりする態度」「責任を持って子供の様子を見守る大人の存在」なんかが地域にも家庭にもほとんど期待できなくなってきたということがあげられます。それに加えて、遅刻しない、たち歩かない、人の話を聞く、こぼさずご飯を食べる、などの「しつけ」に類する『学ぶ基本』もまた、家庭から学校に期待されるようになってきました。

つまりより正確に言えば

「教える内容を8にしましたが、あらたに教える内容が2求められるようになりました。

 全体の時間も8に減らしましたが、新しい2の内容をやるために2の時間が奪われます。

 さて何時間余るでしょう?」

が正解ですね。

ゆとり教育プログラム」と「週休二日制」を同時に行うことが致命的な失敗だったと、と書いた意味が分かってもらえましたか。

ところで、

もちろん教員が週休二日にしたかったってのもあるだろうけど。

そういうプロパガンダぽい意見はあちこちで見ますけど

(1)そもそも教員が希望したりはしていない。

(2)週休二日実施前と後を比べて「楽になった」教員よりも「余裕がなくなった」と感じている教員は多い。(統計など参照されたし)

(3)むしろ授業時間の削減の流れの中、総合学習や教科改変、学力低下論、そして保護者への対応に振り回され勘弁して欲しいというのが現場の声

そしてもっとも大きなポイントとして

(4)「週休二日にしたい」というのが「教員の要請」で決まったのなら、上記のような声が全然政策に反映されない理由が全く分からない。

という点が上げられます。そもそも組織率2割、ストも打てない組合意見で国が方針を左右するなんてあり得ないでしょ。

というわけで、私はその意見には賛成しません。

2007-09-08

一応一言言っておくけど

一応教育関係者ぽい書き込みみたいなんで一言言っておくか。

ゆとり教育」と「週休二日制」が本来全然別の流れから導入されたことくらいは知ってるよね? だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。10の時間で10教えるのと8の時間で8教えるんじゃ、同じっしょ。

もちろん、確かに当初から「ゆとり」教育は、住宅ローンの「ゆとり償還」と同じ問題が指摘されてはいた。ものすごくざっくり説明すれば、つまり従来小学校で10、中学校で10、高校で10教えて大学受験で30要求していたのを、小学校8、中学校8、高校14やるつーのがゆとり教育の計画。もともと無理のある計画だよな。そこは同意する。

それでも、10の時間があるなら、小学校中学校では2のゆとりが生まれる。そのゆとりを使って「学ぶ力」を作り出すから高校で14は決して不可能ではないはず……だからおk?って導入しようとしたら週休二日が入り込みおまけに総合学習が入り込んで、実際にはゆとりどころか過密な教育になったというのが流れです。今の小中生は決して暇ではないよ。まあ詰め込み受験世代ほどではないにせよ、でも今の(自然も地域共同体も失った)社会で再び詰め込み受験世代教育環境に戻すと、それこそいじめ自殺は半端ないことになる。

まあ、そういう中で、それでも小、中は(本来「ゆとりで8」のところ)を『がんばって』8を実現してるけど、高校はそうはいかない。10の時間で14という計画が無茶なところへ持って時間まで8に削減だから、いくら「学ぶ力」を持った生徒ががんばっても10か11がせいぜい。つまりそこまで過密なスケジュールをこなしてきて、なおかつ生徒の力は確実に1割減の27。それでも大学入試は変わらず30要求するという現実の前で多くの現実的な生徒は試験科目の少ない私立、推薦入試に流れ、ますます「数学のできない大学生」やら「生物を知らない医学部生」が増えるという仕組み。

いろんな意味で「幼児から大人まで」の教育プランが統制とれてないよね。文科省が批判されるとすれば、そこの統制を取らなくてはいけなかったという点。(まあ無理だったからこうなったわけだけどね)その辺のリーダーシップの弱さがこの政策を完全にだめにしてしまったという。

ただね、「ゆとり」教育の方向性は決して間違ってないよ。政治状況につぶされた政策だというだけで、必要な方向だし政策であったことは事実。問題は、文科省が十分なリーダーシップをとれなかったせいで、関わった人々が好き勝手な方向に政策を(ミスリードするのを許してしまったこと。

もしこういうこと全部ひっくるめた「世代」の名称として…つまり「ゆとり世代」が受けた受難の時間やその結果を「ゆとり」と称するなら別にとめないけど、いやしくも教育関係者であるなら、それと「ゆとり教育政策」そのものとを混同すべきではないと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070908073145

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