はてなキーワード: ゼノフォビアとは
もちろん、現実的に、ロリコン表現が迫害されやすいという事実はある。しかし、だからといってそれをそのまま肯定して、隠れてろ、わきまえろと規制を求めるのはどうなのか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2320679
今回の砂漠先生の風刺イラストに対する攻撃はフェミニストからのものであったが、フェミニストは過去も「女性にとって脅威に感じる存在」に対して攻撃的な態度を取ってきた。
たとえば、これは有名なフェミニストの「しお」が、障害者に対して排除をなんとか正当化しようとしてポストしていたものだ。
https://togetter.com/li/2304260
その他にも、TERFとよばれる、トランス女性の排除を主張するフェミニストも珍しくない。
結局、連中は自分たちにとって「キモい」相手を排除しようとしているわけで、そこの中に、障害者、トランス女性、そしてロリコン、みたいな感じで雑に突っ込まれているに過ぎない。
これはゼノフォビアこじらせて外国人排除しようとしている右翼とかと全く同じで、生理的嫌悪感を勝手に炸裂させているに過ぎない。
違うというならば、障害者、トランス女性、ロリコン、外国人、この中でなぜロリコンだけが選択的に排除されなければならないか、無前提に、価値中立的にそれを証明するロジックを示さなければならない。
そして、そんな圧力に屈して、自主規制と言う名の緩慢な自殺を選ぶことが正しいと言えるのだろうか? いや、そんなことはない!
堂々として討ち死にするほうがマシだし、その過程で敵を一ミリでも傷をつけ、我々が存在した、最後まで抵抗したということを示さなければならない。
粛聖!!ロリ神レクイエム☆について id:mukudori69 のコメント
「バズってからでなく曲が出た時点で批判しろ」と「わざわざ探してまで叩くな」が同時発生してる/この曲をなんの不安もなくただ楽しめる人は、それだけで特権的地位だなと思う/追記「キモい」でなく「怖い」んだよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4743070342288801839/comment/mukudori69
トランス差別をするTERF問題にせよ、実態の治安と乖離する体感治安の問題にせよ、実際のリスクアセスメントを無視したトンデモ思考が一部の(だが少なくもない)フェミニストのエコチェンで構成されているんですよね。
私は高所恐怖症で、色々と生活に支障しているわけですけど、だからといって敵を設定して叩くみたいなことはしないんですよ。だって、それって私の問題ですし、建築等で現実的に妥当な安全性が確保されていれば社会的に問題ないわけでしょう。であれば、我慢するか、あるいは自分で病院に行くしか無いわけです。
自分の恐怖心みたいなものを特権化して権力行使(含む社会的な排除)に繋げようとする姿勢は、ナチズムやゼノフォビアとかと同じタイプの姿勢だという自覚は欲しいところです。
むしろ「はあ? 何いってんの?」ってぐらいに鼻で笑われる。
そもそも「オタク文化」という概念すら怪しい。そこにある面白いものでみんなやってる、ってぐらいのノリ。
おそらく「オタクは日陰者、キモい」というのの残り香なんだろう。
むしろネットの面倒くさい政治論壇のほうがオタクをバッシングしてる気配が強く残ってて、若い人間。リアルタイムの学生にはそういう匂いがまったくない。
インターネット老人会ぐらいしか、今の日本でオタクは差別主義者になるんだとか言ってるやつ居ない。
30~50代ぐらいのサブカルブームオウム真理教事件あたりの記憶が残ってる人たち、エヴァ直撃世代ぐらい。
塾の夏期講習に来たおしゃれ女子が「先生コミケって面白いですかー。FGOの本買ってきたら見せてください」とか、そんなノリ。
金髪校則違反をステイタスにしてる少年が、ラブライブサンシャインの国木田花丸Tシャツ着てLVに参加し、「現地行くんでバイトしたい」
とか言う時代になってた。
6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。
幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップの収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベルの収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。
「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後に経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」
と父は言う。
うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士と相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。
アルバイトという雇用形態で求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーやフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人、不景気でダブルワークをせざるを得なくなった低収入のサラリーマン、世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりやメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。
もちろん、アルバイトだからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々と不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。
うちの店では毎回真剣に選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。
匿名の増田だから自慢するが、私たちは結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在の従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブルや従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家のモットーは非常にシンプルでベーシックなものだが、やはりベーシックなものが一番大事なのだ。
「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」
と母も頻繁に言う。
店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全な職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である。
地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から「総合学習の時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生が研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域を代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である。
さて、話を元に戻す。
採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。
例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーとギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用で不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定の偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。
母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗に彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから、不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリとソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春は違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性陣から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。
では、私の嫌悪の対象とは?
たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。
「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事の経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語はペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったときに朝鮮半島から来た人たちで…」
――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸の田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺、創氏改名等については習っていた。
さらに高校生のときにテレビで大々的に拉致被害者の報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相の訪朝。平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致の事実を北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達。
「世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日の東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビでリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!
都内の大学に入ってからは在日というアイデンティティを持つ人をテレビや新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前はリムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンスの教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。
そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか。
かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。
「国籍は韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」
日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。
高校2年生くらいから大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本の言語認識』。一番最後のイヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分のお金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。
それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤやイライラは感じなかった。なんで在日の言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。
しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。
正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?
私は、自分が韓国や北朝鮮や在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学のときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。
そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制的であるべきだ、と。
私はその規範に従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国や北朝鮮や在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である。
父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。
「在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分の人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。
「いいんじゃないの。雇ってみれば」
つづく