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# 私の中国武術の調べ方
## 文章の集め方
本屋、古本屋、図書館、Amazon、メルカリ、ヤフオクなどで根気よく探します。
特に雑誌は出回っている時期が限られるものがあるので、定点観測が必要です。
日本における中国武術は1990年前後に流行していたので、新しいものより古いものの方が情報が充実しています。
最低、簡体字、繁体字、英語の3つの言語で検索して、探します。
本土だけでなく、香港や台湾、米国にしか伝承されていないものがあるためです。
ヨーロッパなどにもあるかもしれませんが、探すのが大変で自分はそこまで手が回っていません。
孔夫子、逸文武術文化有限公司の2つのECが特に珍しいものがあります。
書籍は自炊してPDFにして、OCRをかけた方が取り回しやすいのでおすすめです。
集めた文章を適当なナレッジツールに整理します。繁体字と簡体字が混在すると検索に不便なのでどちらかに寄せることをおすすめします。
人物別に整理しつつ、著作を時系列順に並べておくのと研究に利があると思います。
同じ人物でも初期の著作と後期の著作では異なる内容があり、そこが研究の要点になるためです。
また経験的に、武術には地域性があるため、どこで書かれたかも分かれば研究の一助になります。
横断的な論点については、タグを付けたり、記事をまとめたりして整理します。
## 翻訳
DeepL、ChatGPT、Claudeなどの選択肢があると思いますが、今であればClaudeが有力です。
真面目に研究するのであれば、有料版以外の選択肢はないというのが個人的な感覚です。
事前整形、翻訳、翻訳チェックの3つのプロンプトがあれば、作業が便利になると思います。
もっと便利な翻訳専門のツールもありそうですが、自分は使っていません。
## その他
動画であれば、YouTubeか优酷を探せばほぼ足りるでしょう。調べ方は文章と同じです。
最近は字幕を出す方法がいくつもあるのでそれを使って研究すると楽でしょう。
また、中国武術の文化的背景には道教、儒教、仏教、中医学が深く関わるため、日本語でいいのでこの辺りの知識を押さえておくと、理解しやすくなります。
## 総論
お金は大好きだ。でも本当に好きなのかと聞かれると疑問がある。
誰かと生きるなら必要不可欠だ。より良い暮らしを目指すこと自体には精神安定効果がある。より良い暮らしを、より良い老後を、より良い人生を。考えもする、言葉にもする。
それに向かっている方が正しいと言われて育った。疑念を抱くことは異端者の発端だった。
孤独から一度でも離れてしまうと、また孤独に戻るのには多大な労力が必要だ。
心の全てを許せる人間を得てしまったが最後、前の自分には戻れない。
孤独と真摯に向き合い、身勝手でも一貫した理想を持ち、自分だけが生きる意味だったあの純真は失われてしまう。ただ若さと言い換えるには異論がある、あの感情のことだ。
あの感情のまま生きている人間は世に溢れている。まだ喪失を経験していないのか。
思ってもいないことを脳が書き出す。
話そうとするそのはじめには、まさしく自分の考えだ。
これまで得た理屈や合理、社会性が発言を正しい方に勝手に修正していく。
話している当の本人は一番矛盾を感じている。それでも脳味噌は付け加えていく。
気づいたらただの一般論になっている。思考は無修正では表出できない。
表に出せる思考はきっと脳の本質ではなくて、脳波は未だ文字にならない。
神話も伝承も都市伝説も、神秘は頭蓋骨を超えられない。本質の対義語にはなれない。
思考は総じて歪んで出てきたがる。不完全な記憶でも脳を出たがる。
よって語彙だけ頭に入れても何の意味もない。知識にもさしたる価値はない。
エルフもドワーフも北欧の民間伝承に登場する種族でトルキンが創作したキャラでは無いです
妖怪も日本の民間伝承に登場する存在で水木が創作したキャラでは無いです
水木オリジナルの妖怪として 鬼太郎や、ねずみ男がいて、それらは水木の著作物ですがそれらはほかの作品では登場しません
クトゥルフはラブクラフトが創作したキャラですがすでに著作権がきれています。
著作権が有効な時代、ラブクラフトの作品は1作を除きすべて死後に出版社から発行されています、クトゥルフを利用した他作品は著作権者の出版社から発行されています
世の中の作品には二種類ある。
具体例を出す。
例えばトールキン。
エルフやドワーフといった種族の設定は今広く日本の創作で使われている。
クトゥルフもそうだ。
まるで聖典のようにこれを原作にした作品がたくさん生み出されている。
エルフも、クトゥルフも、妖怪もいずれも特定の作者による著作物だ。
無料だから、伝承だから、著作権のないフリー素材だからという理由で使われているわけではない。
世にある多くの作品にも、魅力的な世界観や種族などの設定は存在する。
作品の設定がベースとして使われるか使われないか、違いはなんなのか?
しゃあっ!
https://togetter.com/li/1876931
https://togetter.com/li/2282007
イギリスの場合は女性の自立云々が言われ始めた時期が70年代で、不況で仕方なくだったのだけど、その頃働いていた女性は家事が大嫌いで料理やクラフトを嫌う人がかなりいる。結果伝統の伝承が途切れてイギリスの食生活はひどいものになり、冷凍食品とファーストフードだらけになった。
イギリスの中流向けスーパー、セインズベリーの冷凍食品コーナー。とうとう一人分が117円のパイやらカレーやらが登場。旧製品も140円から200円。サイズは日本の冷食一人分の2-3倍。ピザが130円でサイズはピザーラのM並み。食費を削ってる人が増えてるのがわかるな…しかしこりゃ料理しなくなるよ。
↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/May_Roma/status/1281642764090798080
イギリスは冷凍食品ばっかりとか言ってたのにポテサラ爺を擁護するために海外には総菜がなくて全部手作りとか言い出したのはさすがに恥ずかしくて消したみたい
何故か分からないが、知り合いが大抵メンヘラでODやリスカをしている。
どうしようもないほどに薬を飲んで、どこかしら切って、SNSにあげる。血を見ただけでフォロー外したのなんだのと騒ぎ立てる。
現状を変えようとしているのを見て、口を挟んだら余計なことを言うなと怒ってくる。
友達のはずなのに、自分しか見えていないせいで、まともに話し合うことすら出来ない。
自分の中で答えが決まっている相談事をされても、俺が言えることはなにもない。言っても響かない。
SNSでただ傷をなめ合っている集団に混ざっている知人を見かけては、俺に出来ることはないんだなと認識させられる。
現状を変えたいなら、なにも考えずにやってみろって思うのに、動こうともしないし、逆に怒ってくるようなやつらばかりだ。
どうしたら良いのか
あと舌を切るの、本当に分からない
あれ一番怖い
手首ならまだ分かる
舌やぞ
うわ舌に染みるぅ~
ってなるやん
めっちゃ嫌や
ちょっと血の味がするね
とか言いたくないもん
というかさ
舌切ったくらいでなんでリムるの
じゃないねん
切ったからや
お前は吸血鬼になれ
んでメンヘラ同士で舌切り合って血を飲み合うんだ
これ実質百合かもしれん
最新の情報をお伝えするわね。
私の今の鍋のベーナーの中身なんだけど、
鶏の水炊きです。
なかなか良いルーシーが育って来ているの。
そんで、
このお鍋の色々なベーナーの中の美味しい出汁が出たルーシーでこれおでんできんじゃね?って思ったのよね。
昨年末の手回し微塵切りきで必殺ワサを修得してタマネギスープにドハマり暮らしていたんだけど、
作るのは良いけれど
大量に出来てしまって食べるのに逆に辛い日々、
結経鍋のベーナーの季節のシーズンになっても
なかなか鍋もできなくそれに伴っておでんももっての他なのよね。
でようやく空いて鍋が空になったところに最後今シーズンラスト鍋のベーナー鶏の水炊きキメようと思っていま実行中であるの。
まだ牛筋買ってないので、
良い牛筋があれば適当に煮る下ごしらえするんだけど何せ手間よね。
まだやってない実行には移せてないのよね。
でさ、
思うんだけど
最近の牛筋って柔らかすぎない?
圧力鍋で下茹でするんだけど、
そして煮るんだけど
そして焼いてさ食ってさ!って
ちょいと木の葉では隠さないけれど
最近の牛筋って煮込めば煮込むほど無くならない?
牛筋の存在感がなくなの!
昔の牛筋はとにかく固くて固くて、
よく祖父とかは牛筋で出来た玄翁で釘打っていたのを覚えているんだけど、
そのぐらい昔の牛筋はそれはそれは牛筋たる所以!
いくら煮ても固くていや逆に充分な食べ応えをかましていたのに、
今の牛筋はゆとりなのかさとりなのか煮すぎなのか、
とにかく柔らかいのよね。
柔らかく仕上がって良いけれどある程度の限度の限界の煮るポイントを超えてしまうと儚く消えていくの。
私がいつも言っている、
バブを握りしめながら湯船に浸かって、
世界を救いきれなかった悔しさで、
儚く消えていく残された無念のその少女のその思いの如く
握りしめたそれは湯船の中で溶けて無くなっていくバブにその少女の思いを重ねて見つめる感じと同様に
鍋の中でベーナーの牛筋は煮過ぎると儚く消えていくのよ。
牛筋みが救いきれなかった穴あきお玉でも影も形も現さない感じで掬うことができないのよ。
煮るということを覚えてから煮れば煮るほどそう言う煮物は美味しくなる
てーてっててー!て
あのねるねるねるねのお婆さんが伝承の煮る術を私に教えてくれたならば、
その煮る煮る煮るね!の煮すぎれば煮すぎるほど食材は無限に旨くなると思っていた時代があったの。
でもある程度の臨界点を超えると
出汁の利いたルーシーのスープの中で溶けて無くなってしまうのよ。
これは衝撃よね。
無限に煮れば煮るほど煮物は美味く美味しくなると思っていたから。
だからある程度の限度を境目にして
つまり
そうよコスモがあるの!
おでんに取り組まなくては!って思ったのよね。
牛筋は煮込みすぎ禁止ステッカーをちゃんとおでこに貼ってから充分に注意して下処理するわ。
でも次マーケット行った際に
良い牛筋がありますように!
そうお星様に願うわ。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の前の商店街の喫茶店だけど和食モーニングもありー
いつもだいたい鮭か鯖かの2つで
その鯖が焼きたては焼きたてでじゅうじゅう皮目が焼き弾けていて
うわ!美味しそうな焼き具合ションテンが爆上がり朝の焼き鯖定食!っていただいてきたところよ!
魚の脂がじゅうじゅう鳴っているのはションテンが上がる美味しい合図よね!
ごちそうさまでした!
御湯沸かして置いたままだったので、
朝の見頃の60℃!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「関鍛冶伝承館×花の慶次~関鍛冶と戦国日本刀展~」を見てまいりましたわ
関の刀匠様がジャンプ漫画花の慶次に出てくる朱塗りの槍と秀吉殺しの短刀を再現したものが展示されていました
漫画的誇張表現をプロが全力で立体化するところが面白いですわね
ヒデヨシキラーの重量1.5kgが参考の脇差し1.0kgに比べて思ったほど重くないと感じたのですが
なんと!関の孫六様や和泉守兼定様の刀剣も常設展示されていましたわ
奈良太郎藤原兼永様の刀身に和歌や平安の絵を細かく彫った狂気の産物が
印象に残りましたわ
虫眼鏡で絵を確認ですわ 参考でし:https://twitter.com/sekikaji/status/1207936976789204992
あと「別人孫六」(まこ六)様は関の孫六様と技量は互角らしいのに「孫六じゃない方」で覚えられていて気の毒ですの
たくさんお客さんがいらしてましたわ
近くのフェザーミュージアムでは髭博士とフェザーちゃんの説明アニメをみて
二階でフランベルジュやヴァイキングソードを拝見してきましたわ
ダンジョンの起源というより神話や伝承の起源の話のような気がする。
ミノタウルスの伝承がどこから生えたのかはわからないが、調べてみると舞台となったクノッソス宮殿は地震で崩れた後に新たに上に建て直したため、ミケーネ文明崩壊後にギリシャ人が宮殿の廃墟を見て思いついたのでは、という説がある模様。
その後も欧州には地下牢やカタコンブがあったから、その辺から色々合わさってトールキンのモリアができたのかもしれない。詳しい文献があれば読みたいので知ってる方いたら教えてくださいプリーズ。
ちなみに現在のダンジョンものの元ネタの一つになったと思われるトールキンの指輪物語のモリアは元はドワーフ達の国があった場所で、宝を求めて掘りすぎてバルログという化け物を掘り当ててしまい滅びた、という設定。
流れを逆から辿っていくと
↓
↓
・RPG誕生以前の「ファンタジー冒険譚」の中における「ダンジョンの原型」
↓
って段階を踏んでるはず。
トールキンがいきなり「俺、天才だから「ダンジョン」という概念発明したわ」と無から生えてはいないはずなんだよね。
ぶっちゃけトールキンも昔からあった色んな伝承を合体させて「スーパー亜人大戦」みたいなのやっただけな所あったはずだし。
仮説としてはいくつか思いつくんだよ。
・野生動物の巣
このあたりかなと。
あー書いてて思い出しちゃった。
アレなんてかなーりダンジョンの原型に近いと思う。
そういう系だと「龍が守る宝を奪ってこい」って神話の類もかなり近いのかな。
でもなんだろう……違和感がある……。
「違うんだよ!これはサキュバスというモンスターの仕業なんだ!」「そうなんだ。じゃあ私のもインキュバスのせいってことだ」「おk」「じゃあそのサキュバス殺そうか」「クソガー!メイドに化けて忍び込みやがって―!」
みたいな感じね。
それと同じで「お前、その宝どうしたの?」「ドラゴンを倒して奪ったのさ!」「そっかー。てっきり先住民を虐殺して奪ったのかと思ったわ―」「なぜわかった?」「……バラさないからちょっと頂戴?」
みたいな感じなのでは……。
資料を一切見ないで仮説の上に仮説を重ねてもしゃーない。
なんかそういうのに詳しい本とかってある?
その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった
その結果、英語圏の歴史解説YouTubeチャンネルを発見した
Why Do We Throw Coins in Fountains?
動画の字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった
毎年、世界中で私たちは噴水から井戸、さらにはテーマパークの乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります。私たちは幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます。場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統は時代を超えて広まり、その起源は古代ローマにまでさかのぼります。ローマの公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマのトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティックコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市や観光地の収益の一部として寄付されることもあります。
要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……
しかし歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない
調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね
あと、この解説はアジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている
中国人が願掛けとして飛行機のジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ
すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ
ひとつは西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパの民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート
もうひとつはアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート
二つに分ける意味はあるのか……?
うーん
どうだろう
ないかも
あるということにして調べよう
映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない
しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする
あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう
RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した
(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習は世界中にありますよ」というもの、質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)
「キリスト教の教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた
というわけでイスラム教とユダヤ教でコイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね
ユダヤ教はなんか出てきた
ラビに「願いを込めて願いの井戸にコインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教の教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった
解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな
コイン……つまり金属製の硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある
貝製の通貨、貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域ないかな~
パプアニューギニアは現在も貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった
パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない
まあおそらく無さそう
お葬式で貝貨を精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど……
そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って
ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー
教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった
例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい
いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?
そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか
まあまあ、結論を急ぐことはない
もうちょっと調べましょうね
賽銭とトレヴィの泉を一括りにして包括的に投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない
投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな
……といった感じで調べた内容を一旦メモ
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太宰府天満宮の菅原道真公のような受験、学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること
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