はてなキーワード: 組織率とは
日本の教育に文句つけるときの定番「日教組ガー」にしても同様。
いや、国の文教政策の問題を論ずるのに、文教予算一手に握って中教審握って何より数十年にわたって文科省をコントロールしてきた政権与党の方針でなく、国の政策にも立法にもほとんど影響を及ぼせず、組織率すら2割程度の組合ごときが問題だと主張するとか、常識で考えておかしくね?
一企業で考えてみてもさ、わけのわからん経営方針で赤字続けてる会社の役員連中が、自分らと方針が対立しているとはいえ組織率2割程度の組合を目の敵にしてわーわー言って組合潰しに精出してたら、いや、あんたらの無能のせいで会社が絶賛傾いてる最中なんやけど?……ってならんか。
連合東京が小池支援に動いた時点でどうやっても勝ち目はなかった
連合は組織率が低くて組合員も少なく、さらにその組合員の投票行動も少ないから、それほど組織票にはならんのだが、
連合はそもそも組織的に選挙を支援する専従職員を多く抱えているので、彼らの側面支援の点で重要なんだよな。
固められる票の総数で言ったら、共産党系・市民連合の方が多いだろうが、それだけじゃ足りない。
出馬する前にきちんと根回しをして、協力が得られるかどうかを確定させる。
共産党系とは共闘が無理だと言うのなら、共産党系団体には組織的に前に出ないようにしっかりと依頼するとか方法はあったはず。
本来はこう言うこと、立民の東京都連の仕事なんだが、東京都は民主党分裂騒動の震源地なので、未だにそれが修復できてないんだろうな。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。
(かなり前に書いたものですが、バービンハイマーのミーム騒動などもあり改めて知ってみたいので、一部修正の上再掲します)
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。
少し時間をかけて最低賃金を上げていき、同時に大企業の課税ベースの拡大→中小企業優遇税制・経営支援策を導入すればショックは緩和できる
大店法なんかも復活させるとか。地味に農家・農業支援と自給率を政策的に向上させること(国境措置の強化)も都市と地方の格差解消に役立つ
あと証券優遇税制の廃止、消費税の廃止、所得税の累進性の再強化、生保の捕捉率向上とか福祉強化、教育の完全無償化、総定員法廃止と公務員の増加、とかで再分配機能を大幅強化すれば、労働単価の上昇と合わせて大企業・富裕層に滞留して金融商品に回ってた財が家計部門に還流するから、消費の活性化を呼んでインフレ傾向が相対的に強まるんでないか。
ほかにも賃金は労働規制・労使関係によっても決まるから、政策的に労働時間の規制強化、監督署の強化、36協定特別条項の廃止、同一労働同一賃金、非正規雇用規制の再強化、ユニオンショップの解消、公務員の労働基本権復活、組合組織率の向上なんかも同時に図っていけば、さらにその傾向が強まる
さらにさらに、小規模分散型エネルギーシフトを今みたいにハンパにやるんじゃなくてデンマークみたいに地方民の投資を条件にして本格的な拡大を図れば、産油国と電力会社に回ってた財が地方と庶民に回りだす
ぶっちゃけ、硬直化した大企業に富を集中させても金融投機にまわるだけで新たなビジネスは生まれんことがこの20年でようわかったんちゃうやろか。どうですかね先生
伊是名氏が標的としたJR東日本と言えば、最大労組のJR東日本労組が社民党も関わっていただろう反安倍デモ、反共謀罪デモ、護憲集会、脱原発集会、はるか沖縄の辺野古基地工事反対座り込みにまで緑ののぼり旗を連ねて大勢の動員をしてきた会社だった。特に人の集まりが芳しくなかったデモの写真では律儀な緑ののぼり旗をはっきりと確認することができる。
数年前までは東労組の組織率は8割を誇り、組合の役員活動をすることは会社の出世コースに乗ることでもあった。
それが2018年からの大量脱退騒ぎで4.7万人いた組合員が4万人ほど脱退してしまった。更に急進派がJR東日本輸送サービス労組という新労組を作り分裂。左翼の集金・動員システムはズタズタになってしまった。残った組合役員は会社による陰謀のせいだと経営陣を責めているがもう力はない。
そういう状態なのでケツ持ちたる社民党が脱退した社員たちや組合を壊した経営陣にそんなことをしたらどうなるかを分からせるため行ったテロが今回の車椅子事件だ。
みたいな論って見かけないな。
社民党の現首脳部って細かいこと考えて無さそうに見えるんだよな。
まあそもそもJR東日本労組が金を上納してきたであろう先は立憲民主党や都民ファーストの会であって社民党ではない。
東労組から分裂した過激派と言われる輸送サービス労組は伊是名氏に共感を示すようなツイートをして社員っぽいアカウントから非難の嵐を浴びていた。
東労組から支援を受けている立憲民主党はどっちの肩を持つのか決めかねていたのか5日ほど反応していなかったが、遅れて伊是名氏に乗っかるようなツイートをしていた。やっぱり金の切れ目が縁の切れ目なのだろうか。
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
恐らく一割以下、数パーセントだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20190818-00138787/
ここの最後の方に書いてあるけど、ストライキを行う場合、普通はストライキ中の給料を労組が補填することになっていて、その資金は毎月天引きする組合費から賄うことになっている。
例えば、組合員が100人いたら、1日あたり1万円補填するとしてストライキ1日につき100万円必要になる。一週間、5日なら500万円。
組合員100人程度の労組だと恐らくプールしている組合費は500万もないところがほとんどだろう。
上の記事を書いた方は30年前に組合費を毎月1万円払っていたそうだけど、今は1万円も取る組合はほぼない。
しかしながら、平均とされる月3000円前後の組合費ではストに備える闘争資金には到底足りない。
(有給使ってストをしろなんてはてなーでもさすがに言わないだろう)
さらに、労組の組織率が低い。正社員の他に非正規が増えていること、会社によっては正社員でも労組に入らない人もいる。
というわけでストライキなんて現実的な労使交渉の手段として現在成立しない。
(上の記事では豊かになったからと書いてあるけど、労働組合は貧しくなったためストが出来なくなったのが現実)
ストライキは労働者の権利だけれども、ストをやれ!なんてのはカップラーメンの値段を400円と答えるのと同じかそれ以上に現状と感覚がずれている。
ここ最近の労組関連の増田やはてブコメントを見ていると、どうも労組の内部(?)事情というのは思ったより知られてないようだぞ、と感じたので少し知見を共有したいです。なお、当方は小規模な単組の執行部経験者です。また、ここで記述する内容はどの組織のオフィシャルな見解でもなく、個人の理解をまとめているだけです。
「労働組合」という同じ名称で呼ばれる組織でも、大きく分けて2種類に分かれます。「企業内労組(単組)」あるいは「ユニオン」と呼ばれるような、直接的に組合員が所属する組織と、「産別組織」「上部団体」と呼ばれるような労働組合を束ねる組織です(名称の揺れは多少有ります、特に後者はまとめてどう呼べば良いのか私はよく分かっていません...)。
多分、皆さんが「労働組合の本来の任務」と思うような、会社との交渉・折衝を行う組織は前者の「企業内労組」「ユニオン」になります。ただし、(当然ですが)基本的には組合員が所属する会社以外のことには口出ししませんし、出来ません。
「産別組織」「上部団体」にも階層があって、例を出すと自動車産業の単組が集まった「自動車総連」、その上部団体の「日本労働組合総連合会(連合)」や「金属労協」、といった具合にツリー上の組織構成になっています。大体、「産別」と呼ばれる団体が単組が1次加盟する組織だと私は理解しています。この産別から、すでに個々の会社とのやりとりはしませんが、大体企業側も対になるような組織(何度も例に出して申し訳ないのですが、自動車総連に対しては「日本自動車工業会」など)を作っているので、そこと大枠の交渉・折衝をしています。イメージとしては、個々の企業・単組に対するガイドライン出しをする感じです。産業別、言い換えると同業界ですから、景況感などが概ね共通するため、割と単組と会社の折衝でも使えるようなアウトプットが出てきます。ただし、拘束力は皆無だという感触ですが...
(追記・ここは書き方が悪く誤解を与えてしまいすみません。産別で出されたアウトプット、例えばお互いのトップコメントなどはガイドラインになりますが拘束力はないと感じる、と言う意味です。上部からの要請、例えばイベントの人だしは人数必達で、バリバリ拘束力あります…)
さらに上部の連合などまで行くと、もはや単組や個々の企業など見えていないですね。じゃあ何が任務となるかというと、「政治活動」「平和活動」などの、労組活動じゃないでしょ、と思われがちな(最近評判の悪い)ところをやっています。実際の行動および結果に対する評価は別としますが、理念としては、労働者の数を束ねに束ね、圧力団体として労働者に有利なロビー活動をしよう、あるいは労働者に有利な社会を作ろう、と言うことだと理解しています。
続いて、簡単に単組の活動について触れていきたいのですが、その前に少しご質問。労働組合という組織は、会社にとって有益か無益か?色々な角度から考えることが出来ると思いますが、労働組合は会社にとってメリットをもたらす側面があります。その一つが、対労働者の折衝窓口の一本化。労働協約、労使協定と企業が人を使う上では労働基準法が定めるとおりにいろいろな取り決めを労働者と結ぶ必要がありますが、全労働者の明示的合意を都度取るのも結構大変です。なので、法律上は「労働者の過半数以上で組織する労働組合」あるいはそれがない場合は「労働者の過半数を代表する者」との間で合意を取ればOK、となっています((法の意図するところが違ったら訂正コメントください))。過半数代表者は真実1名だけが選出されるので全員の意見集約は実質的に難しいと思いますが、労働組合は一応意見を吸い上げるシステムを作っている場合が多いです。なので労働組合と折衝して決めた事項については、話す相手は1つで済む反面、後から個別の労働者から文句が出にくい、という利点があります ((ただ、これが悪用されて、労働者の大半の意見が無視されて労働組合が勝手に企業の良いような条件を飲んで協定・協約を交わしてしまう、というのがいわゆる御用組合の問題ですね。また、そこまで邪悪でなく、己の怠慢で聞き漏らした声に対しても、事後に上がった声に対しては組合は冷淡な傾向があると思います。)) 。
前置きが長くなりましたが、そういう背景があるので、大体の単組は企業の(あるいは各事業所の)総務部門と密にやりとりをしながら、時に(と言うか大体)労使協調して諸々の業務に当たります。実際の内容については、単組で結構異なるかもしれないので詳述を避けますが、概ね、個人レベルまで見る粒度で企業(あるいは各事業所)の労働環境が適正になるような活動をしているのは共通していると思います。例えば、36協定がらみで特別条項の適応申請があった人とかは、過去の残業時間をチェックしたりして本当に認めて大丈夫か判断したりします((しますよね?これは共通でなされていると思いたいのですが...))。
それから、当然ですが組合員の皆さんとの情報共有・吸い上げも重要ですので、そのための業務をします。多分、ほとんどの単組は代議員会というシステムを持っているかと思います。個々の組合員の皆さんは、一旦意見を代議員の方に集め、その意見を持って代議員さんが代議員会に臨み、議案に対して賛成反対を述べる、あるいは代議員会で連絡のあった事項について代議員さんが個々の組合員の皆さんに展開する、と言った具合に、ここでもツリー上の構成を持っています。このシステムを以て、「全組合員の意見を集約した」形を作っているので、この存在は非常に重要です。ですので、各単組は定期的に代議員会を開催するのはもちろんのこと、代議員さんが適正に任務を果たせるような教育を施したりフォローをしたりします。
後は、ろうきんとか全労済とかの労働者の互助会的な出自の金融機関の窓口にもなります。
ここまで明示的に述べていなかったのですが、色々な行為の主体が「単組」と表記されていることに違和感を持たれた方もいらっしゃると思います。正確には、「各単組の執行部」がこれらの実際の仕事をこなしており、その構成員には執行部活動だけをして通常の企業の営利活動に関わる業務を行わない「専従」の人と,どっちもやる「非専従」の人がいます。これらの人の人数は単組によりバラバラで,全員専従の単組もいれば、全員非専従の単組もあります。
さて、長文を書き慣れていないので大分時間がかかってしまいましたが、上記は最近見かけて思うところのあった匿名ダイアリーやニュースへの意見として書いた側面もありますので、ちょっとコメントを書かせてください。
https://anond.hatelabo.jp/20190328211509
NTT労組の話で、私はこの記事以外に内情を知らないんだけど、ここまで分かり易く強制力を出すんならユニオンショップ制に出来ないのかな、とか思っちゃいます。ただ、ここまで書き連ねて来たとおり、組織率が高いことが単組活動の暗黙の前提みたいなところがあって、非組合員の労働者がいるとその人には会社が個別アプローチしないといけないとか、最悪過半数割れすると協定を結ぶ権利すらなくなるとかで、全員加入は必達になるのもよく分かります。でも初っぱなから悪印象を持たれちゃうと、執行部としても後々やりづらくなるので、こういう形になっているのは非常にモヤモヤしながら読みました。
ところで、個々人の組合員が、単組を評価して「こいつら居なくても良いんじゃないの?」という感想と、自分の労働環境を評価して「まぁ今の待遇は特に不満無いかな」という感想を両立して持っているなら、単組の活動としては概ね成功しています。労働組合は基本的に、有事の際、すなわち労働者の権利が侵害されたときにその真価を発揮する組織であって、実は会社側に切れるカードは結構な枚数を持っています。ので,有事には頼れる組織なのですが、残念なのはそのカードを切るより組織を維持することの方に莫大なコストがかかってしまうことです。つまり、活躍していてもしていなくても大体かかるお金は一緒です。上記のように平常運転でもそれなりに業務が発生するもので、その人件費が馬鹿になりません。自分が払っている組合費と、自分の事業所の人数をかけ算してみて、人が何人雇えるか考えて見るとイメージがつくかと思います。もし、今の待遇に不満を持っているならそれは執行部に(というか代議員に)伝えましょう。それが出来るのが、組合費の対価だと私は考えます。...なので、あんまり組合のことを悪く思わないでね...
https://www.asahi.com/articles/ASM4J55H4M4JULFA021.html
ニュース記事へのリンクですが、港湾労働者のストライキの話。正直すごいと思いました。ストを打つとなると、当然組合員にはもれなく業務を放棄してもらわないといけないのですが、私の肌感覚ではまぁこの理解を得ることが無理だろうな、と思っていたので。みんな、業務に対する責任感がすごいですよね。メンバーシップ雇用型の作用かもしれませんが、上が一元で責任を持たないので、割と組合員層まで責任を感じて仕事に励む傾向があると思います。会社の発展のためとか、本人のモチベーション維持的には良いと思うのですが、この状態だとスト中の逸失利益とかも自分の責任と感じますし、だから業務放棄したくないですよね。私が執行部だとすると、説得する自信がありません。まぁ業界とか色々あるのかもしれません。
と言うことで、お願いなのですが、「港湾でスト打てたんだから他産別・他単組で打てないのは労組の怠慢だ!戦え!」とは言わないでくださいね(まだそういう意見は見かけていませんが)。
https://anond.hatelabo.jp/20190504184608
さて、本当に長くなりました。直接的にこの匿名ダイアリーを書こうと思った理由の記事です。とは言っても、もう結構な前半でこれに対するアンサーは書いていて、ここで言う「労働組合の本分」は各単組がやっています。で、反戦活動や平和活動は上部団体がやっています。役割分担。ただ、当然、個々の賃上げに資するような活動も上部団体のミッションなので、そういうロビー活動はやるべきです。ただ正直、もはや連合レベルまで行くと、単組の交渉で使えるようなアウトプットがない気がするんですよね。高プロの件だって阻止できなかったし(なので、単組レベルで阻止するしかないですよね。自分の企業が労働協約を改悪しないようにする形で)。ただ、生臭い話ですが、圧力団体・ロビー団体は政局に影響を与えられるレベルの集票力が背景に無いと成立しないので、支持政党の民進党(か立憲民主党?正直どっちになったかよく分からない)をもっと当選させられる集票力が無いとそういうことが出来ないんでしょう。
労働組合の話題については、正規/非正規の問題や、同一労働同一賃金の話題とか、同じ労働者の中で対立が生じる矛盾もあり、当然批判はあるべきかと思っています。ただ、政治参加の話と同じことで、コメントしている人が労働者であれば、その人も労働活動の一端を担っているわけです。多分、政治家になるよりは遙かに簡単に、労働組合組織の中でステップアップが出来るんじゃ無いかと思います。労働者が、労働組合の活動を「享受するサービス」ではなく、「共に行う活動」と考えてくれることを祈り、本稿を終えたいと思います。
今まさに港湾労働者がストやってるけどそれは?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190415/k10011884581000.html
組織率あがるようなこといえてないもんな
港湾労働者のストライキが話題ですが、現在ストが少ない理由、労使交渉の手段としてストを選択肢にしない理由はあまり知られていないようです。
一つは職場に非正規が多くなったから。もう一つはストにはお金がかかるから。
ほとんどの労組は非正規を組合員としません。大きな会社だと正社員の組合、非正規の組合というように別れているところもあるかもしれませんが、ほとんどの非正規は労働組合に入っていないと思います。
ストライキやろうぜ!って音頭を取るのは労組ですが、同じ職場に複数の労組があれば労組間で足並みを揃える必要がありますし、労働組合に入っていない労働者にはストを強要するわけにもいきません。
労働者がいっせいにストをすることが難しい職場が多いためストライキが難しくなっています。
次にストにかかるお金について。
なので、労組はその分をある程度補填する決まりになっていると思います。そうじゃないと組合員の同意が得られず足並みが揃いません。同じ職場の労働者がみんなでやらなければストの効果が(あまり)ありません。
仮にスト1日に対して1万円を補填するという場合、組合員が100人いれば1日100万円必要になります。港湾労働組合が10連休ずっとストを続ける場合、組合はどれだけのお金が必要になるか考えると現実的ではないことはわかると思います。
外野が応援したところで背に腹は代えられないというか、続けられるものじゃありません(20年間、組合費を貯めながらストの効果が最大になるタイミングを伺っていたのかもしれません)。
労組は毎月天引きされる組合費をコツコツとプールしていないとストができません。
しかしながら、労働組合は組織率は低く組合費も集まらないのでストを諦めている組合も多いのではないかと思います。
ストライキを労使交渉に復活させるためには正社員が非正規の分も組合費を負担したらいいと考えています。
上野千鶴子の祝辞じゃないですが、非正規と比べたら正社員も恵まれた環境にあったことで得られたのかもしれないのだから、非正規のストに必要なお金を負担しよう!と声を上げるべきでしょう。
ちなみに2/1時点の組織率が朝日新聞によると約80%だそうなので、社員は約58,500人ほど
7/1時点での組合員数は13,540人なので、社員数がそのままと仮定すると組織率は23%くらいに減少か
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