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2024-09-24

特別支援学校教員なんだが、もう限界かもしれん

関東公立特別支援学校正規教員をやっている。

一応中高の免許は持っているが、特別支援学校免許は持っていない。無免許教員だ。

なぜ無免許教員ができるのかというと、いろいろ事情がある。

特別支援学校といっても、障害の種類によって実態は様々である

そのうち、身体障害者知的障害を持たないため、高等学校に準ずる教育をしなければならないことになっている。つまりは、高校と同じ教科指導を行う必要があるのだ。

特別支援学校免許をとるためには、基礎免許状といって小中高のいずれかの免許をとらなければならないが、だいたいの人は小学校免許をとる。

高校免許を持っている人間結構レアだ(自分の周りでは)。そのため、身体障害者特別支援学校では常に人手不足状態に陥っている。

ではどうやって人材を確保しているのかというと、うちの自治体高校枠の教員が教科指導のために特別支援学校で勤務させられている。

学校の枠を超えて、高校いくらでもいる教科指導ができる人間を引っ張ってくることが認められているのだ。

だが、高校生に教えたくて教員になった人間特別支援学校希望することはほぼありえない。

希望者なんか募ってもゼロに近いだろう。それに、ちょうどよく不足している教科の教員が来るとは限らない。

から自治体は、どこに配属されても文句を言えない初任者を特別支援学校で勤務させるのだ。

自分は運悪く、初年度に特別支援学校に配属されてしまった一人だ。

一応、教科の免許は持ってはいるが、障害がある生徒を相手にしているので、普通に授業をするわけにいかない。

障害理解し、個々に応じた指導をしなければならない。そのために何時間残業することは当たり前。

右も左もわからない状態でなんとかやっているのに、ベテランから支援がなっていないとボロクソに詰られる。

研究授業でも褒められるポイントは授業内容ではなく、支援策。やってられるか。

そして、勤務校は身体障害者がメインの学校とはいえ最近知的障害を併せ持つ生徒が増えてきている。

障害の程度は様々だが、中にはトイレの世話を見なければいけないような生徒もいる。

特別支援免許を持っている人間にとってはそんなのは当たり前だと思うかもしれないが、仕事先で生徒のケツを拭く(物理)なんて思ってもいなかった高校枠の人間としては、かなりキツいものがある。初めてトイレについていかなければならないと知ったときのなんとなくわかってはいたけどマジか…という感覚は今でも忘れられない。

コロナ禍に学生生活を送っており、介護体験でも特別支援学校に行けなかったので、本当に初めての特別支援学校で、自立活動なんて言葉も初めて聞いたレベルだ。

それなのに、かなり課題があるであろう生徒の自立活動マンツーマンで持っていたりする。

本来高校免許では教科指導しかできず、重複障害学級の授業は特別支援免許を持っていないとできないはずなんだが、人手不足からと見逃されている。

人事異動でどうしても高校に行きたいと毎年訴えているが、うちの自治体の初任者は最低3年勤務しなければいけないというルールがあるため、異動は厳しいといわれる。

しかも、最低年数を超えていても異動できないこともある。そして異動できたとしても、なぜか次も特別支援になる可能性もある。

ちなみに、最初から高校に配属された教員特別支援に異動したい場合、かなり複雑な手続き必要らしい。なんだこの不平等は。

正直メンタル限界で、心療内科に通院していることを伝えているが、労働者健康よりも自分たちで作ったルールのほうが大事なようで、校長からは軽く流されている。

から学校現場は人手不足なんだなと納得している。休職可能性をほのめかしたところ、「異動は健康な人がするものからね、高校に異動するのが長引くだけだよ(笑)有給をうまく使って頑張ってください(笑)」と自分高校に行きたい気持ち人質に、休職をとらないよう脅すようなことを言われたので、もう来年退職することも考えている。

本命高校教育ができなかったことは残念だが、これ以上専門知識もない自分のような人間障害者の教育に関わることに耐えられない。

そういえば、本採用前に人事面談があった。そこで希望を書いた用紙に「特別支援での勤務を希望するか」という欄があり、自分は「希望はしないが不可ではない」にチェックしてしまった。

「不可」にチェックした場合、不可の理由を書かなければならず、どうしても障害差別的な内容になってしまう気がしたからだ。

なので自分はまだ自業自得という感じがしている。その場で良い人ぶろうとして相手の罠にハマったのだ。

ただ、同僚で「不可」にチェックしていたのに、勝手に「希望有り」に変えられたという話も聞いた。

自分もやたら特別支援学校で勤務するならどの障害種がいいですか?などと、希望していないと言っているにも関わらず、やたら深堀りされた記憶があるので、人事は気が弱そうな人間を狙って言質をとろうとしているのではないかと思う。

そろそろどの自治体合格発表があると思う。高校枠で採用されたみなさんには、絶対特別支援学校希望しませんと強い意志で言い切ってほしい。

障害差別だなんだと言われても、もう受かっているのだから今更不採用なんてことにはならない。その場で取り繕うよりも、4月から自分生活を優先してほしい。

特別支援に興味がある人もいるかもしれないが、ちゃんトイレの世話や生徒のよだれ拭きといった仕事があることも覚悟したうえで希望してほしい。

初任者研修特別支援学校枠で受けることになるので、他の人が当たり前に身に着けている高校必要知識ひとつも教えてもらえません。

自分が失敗しているので、他人には失敗してほしくない。何を言われても絶対拒否してください。自分の後任がいなくなるので、自分が異動できる可能性は低くなりますが、人事が困るなら本望です。地獄に落ちろ。

これを読んでいる特別支援学校の生徒の保護者がいたら、教育委員会に問い合わせるなどしてほしい。

免許あなたの子供に教育してます障害知識なんかないので、常に探り探りやってますあなたよりも障害知識が乏しい可能性もあります

一部身バレを防ぐためにフェイク入れてますがほぼ実話です。

同じような無免許教員が何人もいますなんやかんやみんな責任感があるので、文句を言いつつ仕事ちゃんとやっています

なので現状を誰も問題にしてくれません。

助けてください。

2023-06-01

教育実習ヒエ〜〜になった話

私が悪いんかもしれんけども……ある程度のフェイクもあり。チラ裏だと思って書いてるから読みにくいです。

教育実習では実習日誌っていうのを書かなきゃいけなくて。

その日あったことを書いて自分であとで読み返す用のヤツ。一応公式文書として扱われるから間違えたら訂正印修正テープは厳禁。ついでに大学にも提出はして実習をした証明になるんだよね。

それを毎日見てもらって、実習校の指導教諭コメントを付けてもらうことになってた。

ある時その指導教諭ちょっと呼び出されて、何かな?と思ったら

「ここの表現ちょっと……ねぇ……」

今日は生徒が授業中に教室を立ち歩いてしまう事案が発生してしまった。その際の○○先生指導が参考になった。】

「これじゃ〇〇先生指導が悪かったみたいだから書かないでほしいんだよね、上から紙を貼り付けて書き直してくれない?大学側にも見せるやつなんでしょ?」

????悪かったみたいじゃなくて悪かったんじゃない?????実際立ち歩いてたわけだし………と思ったが、そういうこともあるか、と頷いた。


「じゃあ紙から透けて見えないように修正テープ貼ってもらって良い?見ててあげるから

???????????

こんなこと言われるんだ、社会って……

教師ってもっと誠実で真面目な人がやるものだと思っていたけど、実際はこんなものなんだなあ……

がっかりしてしまって、なんだか泣けてきてしまった。

こっそり泣いている私にその指導教諭は「添削をするためにこの間違った文章コピーしてきてあげるね」と言った。

一生懸命書いた日誌が間違い扱いされて、私はもっと泣けてきた。けど大人しく待っていた。


5分経っても印刷から戻って来ない。何かトラブルでもあったのか?私は覗きにいった。

指導教諭には日誌を他の先生に見せて、「こんなん書いてきたんだよ?やめてほしいよね〜〜ホント」とニヤニヤ陰口を叩いていた。

無理すぎて職員室に戻った。べそベそ泣きながら(マスクで隠した)添削を受けて、全然違う文章にされた日誌の文章を書かされた。

「これから毎日添削するから、下書き持ってきてね」

最悪だった。

最後に書く日誌のまとめも添削されて

「コレじゃ研究授業のことと生徒のことだけじゃん?もっと見学した先生のこととか受けた指導のこととか書いてほしかったな」と言われた。

貴方に初めて添削された時のことがトラウマになってて他の先生の話書けなかったんですけど……

そもそも表現を直すならまだしも内容を全部貴方が変えちゃったら私の日誌じゃなくて貴方理想の日誌になっちゃうんですけど……

というのを飲み込んで

「他にもまとめは出すので日誌のまとめはこのまま行きたいです…」

とか細い声でもそもそ言ってやった。

その教諭は不満そうに「じゃあ他の先生にも読んでもらってそれでOKもらったらいいよ」と言った。

そして他の先生のところに行って、何やら内緒話を始めた。なんかクソみたいなまとめ文書いてきたんだけどガツンと言ってくれない?みたいな話をしているのか?私はまた泣きそうになった。

その先生にも添削を受け、微妙そうな顔の先生に「まあ……いいんじゃない?他のところでも書くんでしょ」と言われ、不満そうな指導教諭視線を受けながらそのまま提出した。

最後職員室を出る時、みんな「お疲れ様でした」と言ってくれた。その指導教諭は私のことを無視して、背中を向けていた。

もともと教育実習資格とるためだけに行ったけど、(もしかしたら先生になりたいって思うようになるかもな)と思ってた。

実際、生徒は控えめで大人しかったけど優しくしてくれたし、先生たちも差し入れお菓子をくれたりして、頑張って実習できた。でもああい教員と一緒に働かなきゃいけないのかな、と思ったら、教職はやりたくないな〜〜になってしまった。民間大人しく働くことにします。

追記

・それなりに読まれててビビっちゃった……

・実はこの教師恩師の奥さんらしくて「この人恩師の奥さんなのにこんなひどい人なんだ」っていうショックもありました!!!

・今はそこまでショックじゃないっていうかクソ〜〜!!とは思ってるけど平気です!そういう嫌な大人もいるよね

試験受けます!頑張ります!っていう噓ついて実習受けてたしクソ実習生VSクソ教師だと思います

民間でも嫌なことあるかもしれないけどお疲れ様ってここで言ってもらえたから頑張ろう!って思いました。有り難うございました。

2021-04-29

独り言

都会では大変な緊急事態宣言最中ではあるが私の住む街では何ともないので数週間の教育実習がじきに始まる。

そんな今、昔の出来事を思い出した。

学校○年生の頃、教育実習先生自分クラスに配属されていた。

小柄で可愛らしい先生で、教員免許を取るのだと。その頃から教員を目指していた私は興味津々だったけども、人見知りが災いしてあまり声をかけることができなかった。

クラスの人気者が先生SNSアカウントを見つけ、みんなでフォローした。(当時は緩かったのかも、今は許されない)

学校教育実習生なんて、あまり生徒と関わらないことが多いけれど、確実に生徒達に愛されていた。笑顔も可愛くて、でも運動はすごく得意で。終始いい人だった。

研究授業もしっかりとした授業をして、教育実習生ながら授業もしっかりしているし、面白いし、すごい人だと思った。いい先生になるなぁと思った。

それで何事もなく教育実習の期間は終わったし、その学校卒業するまで先生のことは申し訳ないが忘れていた。

卒業式のその日まで忘れていた。

卒業式の日に、数日前に先生が亡くなったという話を聞かされなければ。

○年生の頃のクラスだけ卒業式の日に呼び出され、何かと思ったら当時の担任先生が涙ながらにちょうど数日前に亡くなった話をなさった。

あんなに笑顔だった先生が。みんなに愛されていた先生が。

学級委員達は事前に聞いたらしく、涙ぐんでいた。

それで、お葬式の時にお送りするメッセージカードクラスみんなで作ろうとなった。そらそうだ、きっとこんな寒い季節に辛かったやろう。そんな心持ちでみんな取りかかったと思う。

そんな中、クラスの強い女性たちの「わたし先生のこと覚えてないし、全然関わってなかったんで帰っていいですか?」という言葉が静まり返った教室に響く。

しかに、卒業式のみんなが一番盛り上がっている時に呼び出されたのは彼女たちには不愉快だったのかもしれない。

でも、貴方達が一番先生と喋っていたのをわたしは知っている。ふざけるなと言いたかったけど、弱っちかったからそんなこと言えなかった。世知辛。

というところで記憶は途切れている。

おそらく彼女たちも不満げではあったけど最後までいただろうし、何のオチもない話だ。ごめん。

ただ、人間はみんなの記憶から消えた日が本当にしんしまう日だと誰かから聞いた。

ならばこの機会に備忘録として残しておこうと思ったんだ。

恋とか愛とかじゃないけど、なんでかずーっと心にいる先生ちょっとは生き返っただろうか。

もしよんでくれた人がいるなら、ぜひ、身近な失ってしまった人のことを思い出してほしい。

記憶は定期的に磨かないと錆が入ってしまう気がする。だから、気にかけてあげてね...。その人が生きていたって証拠貴方記憶なんだから

2018-03-25

小学校担任業務を圧迫する要因ベスト

首都圏 担任5年目 男

まじでどうにかしてくれよ

教育仕事は素晴らしいが、今の公教育は劣悪な労働環境にあるので、春休みの今ここで愚痴る。

我々に必要なのは就業時間内で授業準備をする時間だ。

まり子供が下校してから5時くらいまでの間のおよそ2時間である

ここで翌日の準備をして帰宅できるのが理想である

時間的拘束がキツイものを上位にしてみたが、精神負担感となるとまた別である

とりあえず上位のものが解消されれば負担減になると個人的に思う。

1位.部活動

部活は控えめに言ってとにかく最低最悪で、今すぐどうにかするべきである

朝1時間夕方時間、時々土日、部活に関する事務処理、これだけ時間を奪って担任仕事をパーフェクトにやれというのは馬鹿げている。

基本的部活を受け持つのは若手で、ベテラン教員は知らぬ顔で優雅パソコンを打つ。

若手のほうが授業準備に時間がかかるだろ・・・どう考えてもフェアじゃない。

コーチを雇って担任部活から解放するべき。

2位.会議

週に2~3回、職員会議から学年の集まりなど、実にいろいろな単位での会議がある。

人が多い会議ほど無駄時間を過ごしやすい。

学校でこの先行うことを一つ一つ確認しながら決めて、疑問があれば誰かが発言してみんなで考えながら(だれか一人は寝てる)

決めていくスタイルだ。避難訓練の経路をめぐって多くの時間を使ったりもする。

つの会議スムーズに終わることは少ない。

この会議の積み重ねが、ボディブローのようにじわじわと我々の時間を奪い去る。

ものすごい無駄

3位.研究授業

これは最高の茶番だ。そして、どの教員もこれは茶番だと心の底だと分かっていても抗うことができないところが最高である

研究授業が何かわからない方が多いと思うが、要するに

「こういう現状があるからこういう授業を展開してけば子供能力は伸びるんじゃね」ということを超真面目にやっていくことである

指導案を何回か書いて、たくさんの先生に見てもらって終わりである。だいたい年間に一人一授業行う。

この研究授業で得をするのは誰もいない。理由

学習指導案自体問題がある。

 学習指導案を完成させることは、学習指導案を完成させる力が付くだけであって、子どもに対する理解教育技術が進むわけではない。

研究授業は豪華ディナーなようなものなので、事前準備が大変すぎて基本的普段の授業に応用は不可能

 授業に応用できなければ意味がない

もっとフランクにできれば良いと思うが、組織が固すぎて無理だ。

4位.保護者対応

この仕事は実に保護者に気を遣う。怪我すれば電話、いじわるが発生すれば電話である

我々が癒やすのは子供なのか、大人なのか?

長電話スタイル保護者となれば最悪である

学校電話回線なんて2つくらいしか無いことをまず念頭に置いておけ。

もちろん大部分の保護者はまともだが、1学級30人在籍とすると、父母の数は単純計算で60人いるわけで

そのうちおかしい親が1人紛れている可能性は十分にある。

大人教育はしたくない

5.行事

小学校は間髪入れず何かしらの行事が待ち構えている。

大きなやつでも入学式運動会音楽会・6年生送る会・卒業式くらいはあるだろう。

その他、自分でもこの一年間のことを全て思い出せないくら大中小いろいろなイベントがある。

子どもはそのイベントに乗っかるだけだ。

ただ我々教員は、始めから終わりまでの流れをぬかりパーフェクトに考える。

子どもの動きなどを事前に計画しておかないと、収集がつかなくなるからだ。

でも私は行事は嫌いじゃない。

ただ、数が多すぎる。

6位.事務

子どものための仕事ではなくて、仕事のための仕事が多い。特に報告関係が多い

相手が求める当たり障りのない文章をサクッと書くことが肝である

書く側も読む側も、誰も得しないので削減するべき


その他

子ども対応

我々の本分なのでこれは良い。ただ保護者学校に協力してほしい

丸投げママは最低だ。

・丸付け・ノートチェック

工夫すると子供を家に帰す前に終わらせることもできる。

圧迫感はあるが、これこそ担任仕事なのでやるっきゃない

・学級だより

親の教育をするわけではないので基本的には出さな

暇なベテランや、熱血マンは毎週発行したりしている

2017-01-20

教師お仕事

教師をしている友人と飲む機会があったので、教師お仕事関係を聞いてみた。

死なない程度に手を抜いてくださいと伝えたのが精一杯だった。

2013-05-20

教育実習が辛い

コミュ障には辛い

生徒が話しかけてきてくれても話が続かない

  

腋臭には辛い

生徒は思春期から匂いに気を使わないと

ていうか自分でも自分がくさいとわかる

生徒の近くに行くと鼻声になる

デオナチュレとAg+の重ねがけをしてるのに臭い

  

あがり症には辛い

教壇に立つだけで緊張する

声が小さくなってしま

言おうとしたことを忘れてしま

  

言葉遣いが汚い人には辛い

つい生徒にタメ口とかフランク言葉で話してしま

「マジかww」とか使っちゃう

です、ます敬語先生相手に使えない

  

遠イケ近ブサには辛い

朝礼で挨拶をすると遠くにいるのでイケメンイケメン言われるけど

先生ー」って言いながら近づいてくると「あっ(察し)」って顔になる

中学、高校、大学女友達に「○○は遠くから見るとイケメンなんだよね遠くから見るとね」と言われ続ける

  

礼儀を知らない人には辛い

「お先に失礼します」←他の先生より早く帰るとき使わないといけないなんて知らなかった

「○○してよろしいでしょうか」←意味がわからない

電話にて「・・・」←電話でなんて言えばいいかからない

  

人見知りには辛い

同じ教育実習生との距離の測り方がわからない

しかけられても面白い返しが出来ない

  

立場をわきまえない人には辛い

調子に乗って「あの先生○○だわー」とか

他の教育実習生は敬語も身なりもピシッっとしてるのに俺だけ学生気分

  

  

  

  

  

あー死にたくなってきた

授業疲れるし、わかりにくいって言われるし

教材研究大変だし、研究授業かいろいろな先生がくるとか地獄だし

何より生徒と上手くコミュニケーション取れないのが痛い

打ち解けられないから授業も発問とかうまく繋げられないし

  

お前教師にむいてないだって

あーそうなんだよ

でも学校の教師になりたいんだよ

  

  

教育実習の失敗談、成功談なんでもいいか

他人の教育実習がどんな感じなのか知りたい

2009-02-15

そいつは教育じゃない。勉強だ。

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559

これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。

ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、

今回は「学習過程の無駄」について話をしぼるよ!

学校は「知識を教えている」(だけという)わけじゃない。

さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。

総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。

こういうクレームあるよね~。

「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。

だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。

いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。

学習指導要領を元に見てみよう。

小学校学習指導要領平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm

…文字多い?読みたくない?

全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。

(1) 生物の体のつくりと働き及び生物環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。

(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。

(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。

さあ、キーワードは何だろう?

そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。

実は小学校理科で求められていることは主に3つある。

自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」

知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、

その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。

一輪車だって同じだ。

体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。

このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。

調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)

に分けられる。

もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子ども大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。

じつは平衡性強化訓練だったわけだ。

もっと言うと「総合的な学習時間」でやっているからには、

体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。

研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。

あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?

教える+育てる=教育

勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。

だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。

「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。

だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。

まあ、教養としてのそういう知識も、それはそれで重要だけどな…。頭いてえな。

2008-02-26

もんじゃ焼き屋と彼女写真

昔,行きつけの店を出禁になったことがある。近所のもんじゃ焼き屋。帰りしな,店を一人で切り盛りしてたおばちゃんに,「悪いけどもう来ないでくれる?」と言われた。必死に平静を装って「え・・・なんで?」と聞いた僕に,彼女は「んー・・・なんか好かん」と答えた。

出禁になったのは高校の頃。その店には中学時代よく行っていて,高校に入ってからはあまり行ってなかったが,ある日なんとなく行ってみたら中学時代の友人が何人か常連になっていて,それから通うようになった。

ただ,実は僕は招かざる客だったような気はする。昔よく行っていたということでおばちゃんには「こうちゃん」などと呼ばれ,受け入れられているという思いがあったが,常連連中からはそれほど受け入れられてなかったと思う。彼らは当時の僕からしたら少しヤンキーっぽかったし,常連同士の絆のようなものがあった。僕はそれに憧れて,無理矢理参加しようとしていた。そういう僕の下心を彼らは見抜いていただろう。しかし表面上は受け入れてくれていた。

常連の1人に,Hという女の子がいた。中学時代,Hとは同じクラスだったことがあった。Hは,クラスで少し浮いていた。意識の高い子だった。それが裏目に出たんだろう。あるとき,研究授業やらで,道徳の授業で討論会をやることになった。彼女は議長に立候補し,僕は副議長になった。彼女気合は相当なもので,何度か居残って討論会の練習をしたように思う。

今思えば残念なことだが,そういう一所懸命な様子を,否定的に捉える風潮があのクラスにはあった。彼女のやる気は空回りしていた。討論会はそれなりに進んだが,終わったあと彼女は泣いた。クラス全員の前で。みんなちゃんとやってくれないと彼女は泣いた。それで周りが反省するかと言うと,むしろ白けていた。正直言って,当時の僕も少し白けた。そういう時代だった。そういう学校だったのかもしれないが。

もんじゃ焼き屋で彼女と再会したとき,少し驚いた。可愛くなっていた。女子高生になると変わるんだなと思った。

彼女は,僕と好んで話をしてくれていたように思う。もんじゃ焼き屋でも愛想が良かったし,学校からの帰りに電車で一緒になったときとかも,笑顔で話しかけてくれた。あるとき,高校の友人と一緒に電車で帰っていたとき,彼女が話しかけてきたときは,鼻が高かった。もてない僕らみたいな人種にとって,女子高生が話しかけてくるというのは相当なものだった。高校の友人はもう少し先の駅だったので,僕と彼女が先に降りた。これほどの優越感はない。

彼女どんな話をしていたのかは全く覚えていないが,それなりに楽しく話していたように思う。彼女常連の中でも居場所を築いているように見えたので,彼女と仲良くできているというのは,僕にとって有利なことだった。関係性のアイデンティティというやつだ。僕は「Hがやつを気に入っているらしい」という居場所を獲得しているような気がしていた。

それがどん写真だったかよく覚えてない。とにかく,ある日いつものようにもんじゃ焼き屋に行った僕に,彼女写真を見せてくれた。どこかに行った記念の写真だったと思う。10年ぐらい前の話で,写真というのは今よりも貴重なものだった。携帯写メとかと違って,ちゃんと金を出さないと写真というものを手にすることができない時代だった。だから,僕はわくわくしながら写真を見た。

彼女恋愛の話になったことがある。彼女は,常連の中に好きな人がいるという。そういう話が大好きな年頃だ。誰だろうと言いながら,それらしい人物の名を挙げると,彼女は「違うー」と言った。これは,一通り挙げれば分かるかもしれないと思い,次々と常連の名を出していくが,彼女は違うと言い続けた。もう誰も思いつかなかった。僕自身しか。しかし僕のわけがなかった。当時の僕は不細工で,自信がなくて,女の子と喋るのに汗をかくような気持ちの悪い男だった。少なくとも当時の僕は僕のことが嫌いだった。だから,そのとき,僕は僕の名前を彼女に聞かなかった。

彼女の写った写真は輝いていて,僕はその写真をじっくり眺めたくなった。家に持ち帰って何度か見たかった。それで,悪いことだという意識は少しあったが,かばんに入れて持ち帰ってしまった。家で見る彼女写真はやはり素敵だった。

次の日,店に行くと,写真がなくなったという話をしていた。そのとき初めて,やっちゃったという気持ちがわいてきた。そこで自分が持ち帰ったと白状する勇気はなかった。おばちゃんに「こうちゃん,知らない?」と聞かれ,僕は「知らない」と答えた。完璧演技のはずだった。しかしその日の帰りしな,おばちゃんから,出禁を言い渡された。

それ以来おばちゃんにも,Hにも会っていない。店の前は何度か通ったし,入ってみようかと思うこともあったが,勇気がわかなかった。笑顔で入ってみて,「何しに来たの」ともし言われたら,返す言葉が思い当たらなかった。Hはもしかしたら当時の僕を好きでいてくれたのだろうか。それとも僕が思い当たらなかった誰か他の人のことが好きだったのだろうか。今ではそれは分からない。おばちゃんは当時常連母親存在だったから,Hの恋愛相談も受けていただろう。そのおばちゃんが僕を出禁にした以上,Hの好きな相手は僕ではなかったのだろうとも思う。

そのときの写真はもうない。多分,出禁になったあとに,泣きながら捨てたような気がする。情けない時代だった。気持ち悪い僕がいた。しかし,なぜかあの頃のことを思い出すと,その映像は,妙に綺麗だ。

 
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