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2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2023-08-15

小学生の時に学校で見せられた親韓アニメタイトルが分からない

大阪学校だったんだけど、タイトルが思い出せん。

舞台現代日本で、主人公祖父か父かの遺言

ある韓国人に会いに行く話。

その祖父か父は日本軍人だった。

それで主人公はその韓国人に会いに行くんだけど、

その韓国人第二次世界大戦時に韓国から連れてこられた在日で、そいつ過去回想が主な話だった。

創氏改名がどうこうって話で

主人公祖父はその人の恩人だったって結末。

すまんもしかしたら一般流通してないかもしれん。

声優めっちゃ棒読みオウムアニメみたいだった。

わかる人いる?

2022-10-08

anond:20221008082108

いやいや、古くは徳川幕府命令でやった薩摩藩琉球征伐からでしょ。

その時代からずーっと沖縄奄美は踏み躙られてきたんだよね

朝鮮でも創氏改名ってあったけど、奄美なんかでも「お前らは薩摩人じゃないんだから文字名字に変えろ」ってやられたわけだから

2022-07-21

anond:20220717035358

そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクール韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである自虐史観をすり込まれ韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。

絵にかいたような歴史修正差別主義クズ

そもそも普通の日本人』が天皇カルト信者しかない。

統一教会日帝侵略がなければ存在せず、統一教会教義自体天皇カルト単語を入れ替えただけにすぎない。

韓民族世界もっとも優秀な民族である文鮮明救世主である言語ハングル統一されるべきである世界文鮮明の元に統一されることにより万民幸福になる」

八紘一宇のものだ。

日本語創氏改名強要はその実践だ。

いうなれば、おまえら現在進行形で『淫夢』を崇拝している。

自分たちはネタとして消費しているだけだと思い込みながら。

2022-03-19

anond:20220319205510

ロシア投降したら何が起こるんだろうな

創氏改名とか公用語英語にするとかロシア語をしゃべったら治安警察拷問される社会になるんだろうか

2017-09-18

anond:20170917102216

僕も「水原希子」という人のことはろくに知らなかったのだが、とりあえずお母さんが在日韓国人らしいということを聞いて、それで個人的にはどういうことかなんとなく察せられた。

お母さんやその両親祖父母が創氏改名を経て、通名として「水原」を名乗っていた人たちだったということではないのかと。

水原希子名前って「文化の盗用」では?

水原希子さんって1ミリ日本人関係ないんだね

そういった可能性を一片でも考慮しないうちから「1ミリ日本人関係ない」と言い切るのは非難の見切り発車がすぎるように思う(彼らは勝手に“日本人”にされ、さらにその後“日本人”ではないといったぐあいに振り回されたのだ)。

たぶん元増田創氏改名とか通名問題に関する知識の持ち合わせがなかったゆえの発言なのだと思うが、もとはといえば文化を奪われた側である人たちが複雑な経緯で使っている“通名”も、このように時を経て「文化の盗用」扱いされかねない段階に至ったというのはけっこう衝撃的である

2017-09-17

文化剥奪文化の盗用についてのメモ

ブログに書こうと思ったんだけど、どうもよく理解できないので、メモのままここに残しておく。将来利用するかどうかはわからない。


文化」とは、社会に共有された生活様式。この場合社会とは、コミュニティであったり地域であったり、場合によっては国家支配する領域であったりする。生活様式には、言語伝承なども含まれる。

文化的同一性」とは、その社会の成員がその社会に属しているものとして自覚できる文化社会に共有されたものであると同時にその個人のものでもあるため、所有意識が生まれる。

「所有」とは、他者排除して占有する権利のこと。権利であるがゆえに社会的に定まるものであり、社会的に定まるがゆえに社会によってその範囲は異なる。また、抽象的な存在に対する占有可能にするためには、何らかの概念が共有されている必要がある。例えば著作物に対する所有は、複製や営利に関する一定概念が共有されなければ無意味になる。

剥奪」とは、社会的強者社会的弱者権利を奪うこと。奪われる権利が物品財貨の所有権である場合搾取となる。

文化剥奪」とは、ある社会集団所属するひとの文化的同一性を保持する権利を奪うことである。例えば狩猟社会において狩猟禁止することや伝統的に行われてきた祭祀禁止することなど、旧来の生活様式禁止することは文化剥奪にあたる。創氏改名文化剥奪典型である

文化の盗用」(cultural appropriation)とは、社会的強者社会的弱者文化をあたか自分のものであるかのように占有する現象


文化の盗用が問題になるのは、盗用によって本来のその文化の保持者の文化的同一性が脅かされるからである。すなわち、自分自身所属する社会集団文化が他の社会集団のものとされることにより、自分自身同一性を脅かされる。すなわち、文化の盗用問題は、文化剥奪問題一種であるということができる。

文化の盗用問題に対する抗議が文化的標識(例えば特定民話伝承)の使用権問題として表面化するのは、弱者強者に対抗する論拠がそこに求めやすいからでしかない。実際の問題は、使用権にではなく、社会的支配・被支配関係にある。


文化剥奪問題は、弱者側の自主的同化を伴うため、外見上、単なる時代変化と線を引きにくいものになる。たとえば明治日本欧化政策は、軍事的経済的政治的に圧倒的強者であった西欧世界による日本文化剥奪であったが、それが日本社会の側から強者に対する弱者の対抗策として実施された主体的ものであったことも事実である。その際に、「和魂洋才」といった文化的同一性保持のための辻褄合わせが提唱されたことなど、分析すべき点は多い。

朝鮮人に対する創氏改名は強権的な文化剥奪であり、戦後在日朝鮮人韓国人通称使用第一の原因であるが、在日側の日本国内在住のための利便性からの選好という側面があったことも否定はできない。そのような姿勢経済的社会的権力関係が強い影響を与えたことも事実である。このあたりは非常に重層的で、軽々しく断じることができない。


いずれにせよ、文化剥奪強者弱者に対して行うものであり、このような議論が昨今日本人から発せられているという点は、社会集団の力関係の変化を考察する上で興味深い出発点になるかもしれない。

2017-06-01

日本人無宗教ではなく儒教徒である

日本の最大宗教儒教で、それは江戸時代から変わっていない。

武家は、統治のために中国儒教に倣ったからで、そしてそもそも儒教社会構造を維持するための宗教だ。日本史教科書には儒学とか朱子学とかさらっとしか書かれていないけれど、徳川治世は政教一致で、儒教社会本質を担う物凄く重要ものだった。

そして例えば、長幼の序年功序列)とか、男尊女卑とか、御先祖様がどうだとか、上座下座とか、家父長制(天皇制典型)とか、未だにある。そしてそれは道徳と称され、確信的に(加害者に悪の自覚が無く)差別が行われている。

さらにそれがとりわけタチが悪いことに、儒教教義を信奉している当人儒教徒であることの自覚が無い。それで、「日本人無宗教」という言説が定説になっている。

日中戦争太平洋戦争をした原因にも、儒教がある。儒教身分差別階級差別宗教なので、どちらが親分か、どちらが兄貴か、優劣(序列)がある。そうして、他者を蔑んだり、権威にひれ伏したりする。「大東亜共栄圏」という概念は、日本東アジア盟主親分)たらんとしたものだ。

日本では、少なくとも戦時中までは公然アイヌ人や沖縄人(「沖縄県民」)を差別してきたし、韓国人中国人は未だに事実上差別を受けている。戦前政府日本社会システム押し付けて、創氏改名を行わせた。それは韓国人に対してだけではなく、アイヌ人にも行われた。侵略され植民地化されたからには、日本論理を受け入れるしかなく、多くのアイヌ人は和人同化せざるをえなくなった。

国家神道」とかいうけれど、それも、神道の皮をかぶった儒教だ。天皇を家父長にした、身分差別階級差別宗教だ。

日本人は、正しい歴史認識をしていないし、戦争反省もしていない。なにせ、儒教徒である自覚が無いのだから戦争の原因を認識していない。だから謝罪をしても反省はしていない。しかも困ったことに、中国人韓国人儒教徒から問題本質解決する可能性がない。

正しい歴史教育だとか正しい歴史教育だとかいう以前に、日本人和人)は自分自身を知らない。

2015-04-10

徴兵なんか有り得ない。

http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-7470.html

空襲への消火を拒否して、危険な都会から疎開したら、配給を滞らせるのは、正当な行為

空襲への消火に、防空法によって避難を禁じられ参加させられ、死傷した市民は、国の指揮下に有った訳ではないので、補償年金対象にはならない。

創氏改名しなかったらインフラを使い辛くするのは、別段、創氏改名への「強制」ではない。

慰安婦は、勿論「強制連行」ではないから無問題史料確認済みの人身売買誘拐も、無問題(スマラン事件中国での強制連行事案は、見えない)。

侵略」の定義は、定まってはいない。

江戸しぐさ」は、「捏造」ではない。

親学」は、「ニセ科学」ではない。

安倍晋三は、スターレッジャー紙への広告には参加するが、「歴史修正主義者」ではない。

「粛々と」は、言わない。でも言う。

地方創生」は大切。沖縄民意無視していい。

非協力的な地方公共団体への助成金を削るのも、何もおかしくない。

自衛隊は、「戦力」じゃないから違憲」じゃない。でも、「軍隊」。でも、「暴力装置」じゃない。

国旗国歌は、「強制」するものではない。だが、上の指示に従わない教師は排除していい。

警察官職務質問は、「任意」。

被害届は、適宜無視して構わない。警察の内規や警察官職務執行法罰則は無い。

アメリカイスラエルやそれらの同盟国による民間人殺傷行為は、「国際法違反」ではなく、「非人行為」でもない。

アルカイダやダーイシュは「テロリスト」だが、フェニックス作戦無問題

サービス残業は「犯罪」ではない。

労働時間規制は「岩盤規制」。

ブラック企業は、規制緩和により「ブラック企業」の定義より除外。

裁判所違憲審査が可能だが、適宜、「統治行為」論を採用

教科書検定は「検閲」ではない。

条例も青環法案も「表現規制」ではない。

原発は、本来は莫大な保険料を要する無限責任保険必要であり、現実には掛かっていないが、そして、廃棄物の処理の目処も立っていないが、経済的合理的な発電方法である

プルトニウムは飲んでも安全

科学的知見など、無視していい。

アベノミクスは順調である

財政再建リフレ政策は両立する。

消費税を上げても景気に悪影響は無い。

自由民主党は、「自由民主主義」を奉じている。

集団的自衛権は、「違憲」ではない。

徴兵」など、有り得ない。

善良な国民は、「自主的」に、「ボランティア」を行う。

それを拒む自分勝手な「非国民」は(ry

2013-09-23

ネトウヨだけど在日を雇った

6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。

幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップ収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベル収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。

「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」

と父は言う。

うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。

アルバイトという雇用形態求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人不景気ダブルワークをせざるを得なくなった低収入サラリーマン世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。

もちろん、アルバイトからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。

うちの店では毎回真剣選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。

匿名増田から自慢するが、私たち結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブル従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家モットーは非常にシンプルベーシックものだが、やはりベーシックものが一番大事なのだ

「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」

と母も頻繁に言う。

店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である

地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から総合学習時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である

さて、話を元に戻す。

採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。

例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。

母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。


では、私の嫌悪の対象とは?

たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。

「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語ペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったとき朝鮮半島から来た人たちで…」

――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺創氏改名等については習っていた。

さら高校生ときテレビで大々的に拉致被害者報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相訪朝平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致事実北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達

世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!

都内大学に入ってから在日というアイデンティティを持つ人をテレビ新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前リムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンス教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。

そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか

 

かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。

国籍韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」

日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。

高校2年生くらいか大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本言語認識』。一番最後イヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分お金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。

それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤイライラは感じなかった。なんで在日言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。

「あんた韓国きじゃないもんねぇ? やっぱり嫌なの?」

しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。

正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?

私は、自分韓国北朝鮮在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学ときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。

そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制であるべきだ、と。

私はその規範従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国北朝鮮在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である

父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。

在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。

いいんじゃないの。雇ってみれば」

それが、我が家で雇った一人目の外国人だった。

                       つづく

2013-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20130728124022

これが実際どういうやりとりの結果で、実際本人がどう感じてるのか分からないけど

(単に、どちらかを使ったら?といっただけで、ほら来たとばかりにどっちを言われても火病を起こす可能性もあるけど)

単純に

え?創氏改名強要された(というか本当は強要ではないって話もあるけど今は置いといて)、って今までさんざん言ってきたじゃん。

普通に韓国人名使えって言ってるのに、それを嫌がってさらには提訴???

と言う話ではないし、この記事通りなら人権問題からこの社長確実に負けるだろ。

えっ、逆でしょ?え?えぇ?

朝日新聞デジタル:「社長朝鮮名使用を強要」 在日韓国人提訴 静岡 - 社会

http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY201307270426.html

ぱっと記事タイトルを見たとき、「日本人名を強要とか、何やってんだよ。この社長戦時中からタイムスリップしてきたんじゃねーの?」と思った。

が、記事をよく読んでみると、自分勘違いしてることに気づく。

日本人社長韓国籍の男に"日本名"を使用を強要したのではなく、

日本人社長韓国籍の男に"韓国名"を使用を強要したのが真実だ。

え?創氏改名強要された(というか本当は強要ではないって話もあるけど今は置いといて)、って今までさんざん言ってきたじゃん。

普通に韓国人名使えって言ってるのに、それを嫌がってさらには提訴???

日本人名の強要だったら、嫌なのも分かるよ。

名前アイデンティティもの

「お前の名前今日からJackな」とか、勝手外国人に付けられたらいやだよ。

でも今回は、自国の名前でしょ?

自国の名前名乗ることがそんなに嫌なの?

さらには、それが使えないか提訴って・・・

日本人アメリカに行って、

「俺はTarouだけど、Jackって名乗るからよろしく」

「ヘーイ、君はJackじゃなくてTaroだろ?」

「うるさい!俺はJackなんだ!訴えてやる!」

ってことだぞ。

いかおかしいか分かるだろ。

ネトウヨみたいに「韓国併合韓国は豊かになったから、日本は謝罪する必要は一切ない」とは思わないけどさあ、

からといって「韓国人差別されてるんです!あれも人権侵害、これも人権侵害!」とか騒いだら、

一般人への印象は悪くなる一方だよ?

2013-03-02

なぜ左翼朝鮮人創氏改名極悪非道の行いと認定するのか?

左翼の中には、天皇の名を漢字ではなく、わざと片仮名で書いたり、気に入らない政治家名前を敢えて間違えて、小馬鹿にする奴らがいるが、そういう「他人の名前大事にできない連中」が、なぜ朝鮮人創氏改名を「極悪非道な行い」と主張しているのか分からない。

2012-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20120930014009

じゃあ朝鮮人保護しろよ

感情移入もちゃんとしろよ

哺乳類感情移入できるから保護って、創氏改名と同じ発想だねえw

創始改名日本人と同じ扱いにしてあげてすごい厚遇だよねえw

2011-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20111025114247

併合は国際法上問題無かった

確実に有罪アウトー!ってわけではないだろう。

帝国主義批判で「植民地支配そのものが許されない」という論調は当然あるけど。

ただ、韓国は併合そのものに対して「謝罪と賠償」を求めてるわけではなく、

強制的に併合されたのが屈辱だと言ってるだけだから、なんか論点がずれてる気がする。

韓国が望んだので日本は嫌々ながら併合してあげた」というのが間違いなのは、ほぼ確か。

韓国メリットがあった

これも事実っしょ。

メリットだけを取り上げるのは問題だけど。

名前の話

創氏改名については、元スレにあるとおり、

名前のところにキンとかアンとか書いてあり「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。

ということで、これは韓国人の主張と矛盾はしないんじゃないの。

仕事などで差別があったか改名せざるを得なかった」と。

ハングルの成り立ち

ハングルの普及については、日本の影響が大であったということで良いのでは。

完全に忘れ去られていたもの日本が掘り返したというよりは、

一部で使われていたもの日本が広めたというニュアンスのようだが。

まあ、「間違っているなら反論できるはずだ」とは言うけど、

このあたりは「諸説あるうちの一つであり間違っているとは言わないが単純に肯定もできない」という感じだから

余計に難しいんだよね。

似非科学は断定するから信じられる」「現代科学は断定しないか不安になる」みたいなもので。

2010-03-13

文化への処罰を考える|和田秀樹オフィシャルブログテレビで言えないホントの話」

ttp://ameblo.jp/wadahideki/entry-10479759744.html

今回は、非実在青少年法とかいう形で、18歳未満と思われる人物が登場するポルノアニメ、そのほかを取り締まろうという法律についてどう思うかという質問が偶然重なった。

私は、日本警察が誰でもひっかかるような法律(たとえば、18歳や19歳の飲酒を取り締まる法律など)を作っておいて、ほとんどの人は捕まえないのに、気に入らない人間を捕まえる道具にしたり、政治資金規正法にしても、気に入らない人間の虚偽記載だけを捕まえるという前科を考えると、誰のパソコンでも、チクリがあったから、調べさせてもらうという権利警察に与えるのはとても危険だと思う。本来、法律というのは守れる法律だけを作る代わりに、警察のほうも違反者は、警察適当に選んで捕まえるのではなく、全員捕まえるというのが法治国家のあり方だと考えている。

青少年ポルノの類にしても、相当きちんとそれが流れないようにするとか、発信が確認されたら処罰するのは当然だが、単純所持で処罰するなら、誰かのメールアドレスに送りつけて、それを削除していなければいつでも捕まえることが可能になる。日本警察が信用できない、つまり金をもらえるところならば景品交換型賭博を認めるが、気に入らないところがやれば捕まえるという組織である限り、つまり、捕まえるか捕まえないかは警察が判断できる法律危険だと私は考える。民主党に、警察検察改革をやってほしかったし、やる気だったと聞いているが、それをやられるのを知って、先に小沢氏周辺を捕まえて、しかもマスコミまでそれに乗って。おそらくこれからの政治家がよほどのことがない限り、警察改革、検察改革に手を出せないようにしてしまった。三井環という元検事裏金問題をテレビで話そうとした日に逮捕されるのと似たようなにおいを感じるのは確かだ。

さて、もう一つは、ロリータっぽい主人公が出てきて、エッチなことをするアニメ(この場合、実際の児童被害者になるわけではないから、実写のロリータポルノとは違う)を日本特有の文化と見るかどうかだろう。

日本の場合、ほとんどの先進国で解禁されているポルノネットを使う人には有名無実化しているが)を処罰し続けてきた。おかげで、それが暴力団の資金源になるし、解禁したらおそらくはヘアヌードのように飽きられ、暴落していたものを、警察保護育成してきたようなものだが、その副産物として、外国ではあまりないエロ漫画というカテゴリー文化ができた。(自国の文化である浮世絵さえ弾圧する無教養ぶりだから、もちろん露骨な描写は許されないが)

この件については、大人になっても政府が大人扱いしないという点では、まさに「お上」の力の象徴のような気がするが、実際、欧米の国のほとんどは児童ポルノには厳しいが、成人した後については規制しない。

これが文化ならば、きちんと守るべきは守るという対応をすべきだろう(私はアニメ漫画は詳しくないので、そこがわからない)

飲酒運転についても私が問題にするのは、酒を飲みながら食事をするのが文化ならば、1県あたりにすれば年間数人の飲酒死亡事故があっても、酒を酌み交わしながら食事をするという文化を守るべきだろうし(フランスイタリアはこの路線だ)、人の命のほうが文化より大事ならば(おそらく鮭を飲みながら愚痴をこぼす文化がなくなり、家で一人で飲むのが当たり前になれば、飲酒死亡事故の数倍の自殺者と数十倍のアルコール依存症患者が生じるだろうが)飲酒運転を厳罰化すればいい。

文化を守ることは、人の命より大切なときもあるのだ。

韓国日本を恨むことについても、当時の植民地(実際は連邦国家だが)は、欧米スタンダードからすれば、ずいぶん進歩的な支配だった。現地民に日本国選挙権を与え、識字率が1割にも満たない国にハングルを教え、言語も強制せず、日本国と同格のエリートになれる帝国大学も作った。それでも、韓国人朝鮮人日本を嫌うのは、創氏改名が問題だったらしい。要するに、家系図(族譜)が大切な国で名前を変えさせられるのが、それだけ屈辱だったそうだ。文化に敬意を払わなかったために、世界的に見ても先進的な植民地政策をとったのに、かえって恨まれた。

文化をバカにしてはならない。日本人は、人命とか、人権とかいう美名にびびって文化をないがしろにしてはいないか?

2009-07-09

別段在日外国人、在留外国人差別する意図も意志もない、ということを宣言した上で、下記を記載したい。-1

別段在日外国人、在留外国人差別する意図も意志もない、ということを宣言した上で、下記を記載したい。-1

在日韓国朝鮮人日本に移入してきたのは、「戦時下の日本政府による強制連行によるものと語られることが比較的多かったが、現在では、これは戦時下の朝鮮を含め、原則としてすべての日本人に適用された国家総動員法に基づいた合法的な徴用であるという認識が広まっている。朝鮮半島から日本本土に渡航してきた大半が自由意志によるものであり、徴用日本本土に来た朝鮮人も、戦後そのほとんどが帰国していることが判明している。従って、現在在日韓国朝鮮人のうち、その来歴が徴用とする者は極めて少数と考えられている。これは朝鮮人移住者の各種データを検証をした『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(昭和30年7月 法務研究報告書第43集第3号)に詳しい。在日韓国朝鮮人団体である在日大韓民国民団の子団体、在日大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査の結果をまとめ1988年に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』にも、渡日理由のアンケート結果として、「徴兵徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。”

日本人を責めたい気持ちもわかるし、現状差別を行っている多くの人が厳然と存在することは事実で、それを否定するつもりはない。

ただし、当時の日韓併合について責めるのは当時の国際情勢からして国際的にも支持を得辛いだろうという点も指摘しておく。

”英ケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授国際法)は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」としている(2001年11月27日 産経新聞)”

従って、現状の差別については、広範な民族問題としてのアイヌの方や琉球の方、またブラジルからの来日在留者同様、「差別しない」という点において、韓国朝鮮系の方も等しく、「差別されざるべき存在」として付き合う必要がある、ということ。

アプリオリアポテステリオリなんていう概念の提示はこれらの他の民族との線引きを行うもので、容認し兼ねる(個人的には)

また、終戦時において韓国朝鮮戦争その他を含めた経済要因による理由もあり国籍選択を拒否したことについて、日本人責任を問うのは無理というものだ、と言う点も指摘しておく。(これを韓国政府棄民政策だ、と言う点についてはそういう捉え方もあるだろうし、自分としてはその立場を取る)

一方で、戦前から戦後についての多くの日本人移民についても、同様に日本政府による「日本人棄民政策」であり、戦後北朝鮮への帰還事業は総連も積極的推進を図っていた点をもって、日本政府日本人だけの責務とするのは問題があると考える。

創氏改名については、戦中も朝鮮名をもって将校になった(まぁそうはいっても部隊指揮官クラスですが)点などをもって、「全ての人間に強制した」ということはない点も明記しておく。

また、朝鮮戦争日本植民地支配が原因だ、という点に関しては、結果としてそういった「要因」があったことは「歴史連続性」として有り得るだろうが、そんなことを言い始めたら中東戦争は全てイギリスが責務を負うべきだし、印パ紛争もそうだろう。

そんな話は「現状の解決になんら寄与しない」ことに加えて、「どこまで歴史責任を負うべきか」という点もあり、プロパガンダとしての効力は無いわけではないだろうが、少なくとも現状の差別解消に有効に機能するとは思えない。

2009-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20090415135019

「併合」されて「創氏改名」を強制された過去がある時点で「同じ外国人」とはとても言えないんだけど、こういう人は単に歴史的な知識が著しく乏しいの?

これが持ち出されるたびに思うんだけどさ、創氏改名を「日本名前を奪われた」と悲劇的に語る在日やそのシンパ多いけど、通名でしれっと生活している彼らの現状を見ていると違和感ありまくりだよな。

しかもそれを盛んに喧伝していた朝日新聞が、彼らを記事に載せる時は通名でしか載せないんだよね(他の新聞は大概本名も載せてる)。かといって彼らが朝日新聞を批判しているところを見たことがない。

2009-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20090415135019

元増田です。

「併合」されて「創氏改名」を強制された過去がある時点で「同じ外国人」とはとても言えないんだけど

うん、それは考えた。

でもさ、併合を問題にするなら、なんで朝鮮だけなの?

台湾だって中国の一部だって、元・占領下じゃないですか。そっちは「日本」にしなかったから?

それとも、私が知らないだけで在日台湾人在日中国人利権とかもあるのかなあ。

その割にはあまり聞かないですよね。

創氏改名についても、ストレートにそれを問題にするのはどうかなあ。

そのときは強制されたとしても、今は元の姓を使えてるわけじゃないですか。

まあ、そこは譲って一世の人は強制された過去があるかもしれないけど、今の世代はどう?

それとも、過去にそういうことがあったというだけで、優遇されるべきなんですかね?

なんかへんだよなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20090415135019

横だが。今は在日三世四世のことを話しているんじゃないのか? 併合だの創氏改名だのの被害は今の世代に遺伝していると言いたいのか。

http://anond.hatelabo.jp/20090415134253

そんなのおかしいでしょう? 同じ外国人なのに。

「併合」されて「創氏改名」を強制された過去がある時点で「同じ外国人」とはとても言えないんだけど、こういう人は単に歴史的な知識が著しく乏しいの?

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

2008-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20080722114728

苗字だとわかんないんですよね。東北には昔から金姓がいるわけです(九戸郡を本拠とする金姓久慈氏)。

古代までさかのぼれば朝鮮半島の金氏とは同じ源流ですが、そこまで遡って在日うんぬんと言い出すのもどうかと。

清原氏も朝廷に仕えていた明経道の家もあれば、創氏改名の時に名乗った清原氏もあり、見分けは困難です。

新井氏も上野新田郡発祥の清和源氏新田氏もあれば創氏改名の時に名乗った家もありますし。

星野氏も三河国宝飯郡星野荘発祥の藤原南家なのに、なぜか在日扱いされています。トンデモ本藤原氏帰化人説というのが

ありましたが、まさかそれを鵜呑みにしている人がいるのでは?!

どうも2ちゃんねるのいい加減な情報に惑わされて在日認定をしまくる人が多いんですよね。

あれの根拠のなさは失笑物です。

 
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