はてなキーワード: 発表とは
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
違法組合活動1466人=国交、農水、厚労3省で-ヤミ専従は210人・総務省調査
総務省は7日、全省庁の職員団体幹部を対象に勤務時間中の違法組合活動の実態を調査したところ、国土交通、農水、厚生労働の3省で1466人が確認されたと発表した。このうち、違法活動が年間30日を超えるなど悪質で常習的な「ヤミ専従」は、農水省198人、国交省12人の計210人だった。
1466人の内訳は、国交省944人、農水省514人、厚労省8人。3省以外で違法活動は確認されなかった。違法行為が発覚した3省のうち、農水省は既に独自調査の結果に基づき、上司を含む1237人を処分。また、国交省は第三者調査委員会を設け、実態解明に乗り出す構え。厚労省は違反職員8人を厳重注意処分とした。
2009年8月6日。エンドレスエイトは、7週間ほぼ同内容の物語を放送し、そして8回目にしてようやくの終わりを見せた。
視聴者の思いはさまざまであろう。あるものはその終わりにカタルシスを覚え、あるものは8週間かけてこれか、と憤っている。
あるものはなんだかんだ終わって寂しいという思いを抱いている。
しかし彼らに共通しているのは、「やっと終わった」。その安堵感だった。
ところが。ところが、だ。
その2009年8月27日。何が起きたと思う。何が起きたと思う?
NHKが涼宮ハルヒの再放送をはじめた。木曜日の25:30。第1話からの放映なら、涼宮ハルヒの憂鬱ほどの人気アニメならば、
まかりまちがって、なにやら奇跡めいた出来事や、真っ黒な裏事情のようなものがあってこのような顛末になったのかもしれない。
だが違った。とても大人の裏事情だとか、奇跡なんて言葉では片付けられない悪意がはびこっていた。
NHKは、「エンドレスエイト」の最初のエピソードから放映しはじめたのだ。
NHKのエンドレスエイトは、そのまま8週間かけて終わりを迎えた。
ネットでは「NHKの奇行」、「NHKはじまったな」、「NHKおわったな」なんてありきたりな形容をされた。
ところがだ。NHKはおわってなんかいなかった。翌週、またエンドレスエイトを最初のエピソードから放映しはじめた。
そして呼応するように、テレビ埼玉が再び涼宮ハルヒの憂鬱を再放送しはじめた。
どのエピソードかっていうのはいわなくても分かるだろう。
「エンドレスエイト現象」とでも呼ぶべきその事象は、瞬く間に広まった。
NHK教育。日本テレビ。フジテレビ。TBS。テレビ朝日。どれも例外ではなかった。
はじめは木曜日の25:30から、30分枠だった。それが1時間枠となり、別の曜日にも広まり、どのテレビ局も深夜帯は涼宮ハルヒの憂鬱しか放映されなくなった。
京都アニメーションは更なる攻勢にでてきた。「エンドレスエイト、新作発表」。
いつ作っていたのやら、エンドレスエイトを新たに作り直していた。内容? ご存知の通りだ。
ネット上でテレビ東京の数々の逸話を聞いたことがある人は多いと思う。
そう、他のテレビ局がジワジワと侵攻を許すなか、テレビ東京だけは決してその領域を踏み越えさせることはなかった。
日が経つごとに電波はエンドレスエイトにジャックされていった。2010年8月、NHKはエンドレスエイトしか放映しなくなった。
9月、10月。テレビ東京以外の放送局は全て、エンドレスエイトしか放映しないような有様になった。
しかし、それでも、テレビ東京は戦い続けた。
新作アニメは常にテレビ東京で放映されていた。それしか残る枠はないのだから、当然のことだ。
アニメオタクの最後の聖域として、テレビ東京は在り続けようとしていた。
その均衡が崩れる瞬間は、意外とあっけなかった。「エンドレスエイト劇場版 三部作公開決定。第1作は12月末上映。」
11月に入り、たちまち流れたニュース。その翌日からテレビ東京は完全にジャックされた。
本当に一瞬の出来事だった。その日、日本のアニメーションは完全に終末を迎えたといっても良かった。
――クリスマス。かつてはアニメオタクだった俺も、エンドレスエイトが日本を席巻しはじめてからというもの、
まるで憑き物でも落ちたかのように所謂オタク趣味が消えていった。
いまでは女の子とも普通に会話できるようになったし、先週ついに彼女もできた。
「おまたせっ!」
「おまっ、おっせーよ何分待たせんだよ」
「ごめんごめん、ほらっいこうよ」
彼女との2回目のデート。コンドームの準備はできてる。今日童貞を捨てる。ホテル、ホテル、ホテル。
手をつなぐだけで、俺の男の部分はいきり立っていた。だめだ、落ち着け! 落ち着け! 落ち着け!
「kきょ、今日は行きたいところあるっていってたけど、どこ?」
「見たい映画があるんだけど。前、アニメ好きだったって言ってたよね?」
アニメが好きだって言ってた。いつの話だよ
エンドレスエイト劇場版はごく普通に始まった。何度も見た。本当に何度も見てるものだ。
彼女だって何度も見てるはずだ。飽きないのか? 洗脳でもされてるのか?
なぜ楽しそうに眺めてられるんだ、こんな茶番。
俺の考えに呼応したかのように叫び声が響いた。
「君達もそう思うだろう! こんな茶番を見せ付けておいて許されるはずがないのさ、京都アニメーション!」
その立ち姿。気づいた。見覚えがあった。
「ほう、私をご存知とは、光栄だな。どうだ、こんな茶番見てて楽しいかい?」
俺の、オタクとしての、最後の矜持がうずいた。
「これっぽっちも、おもしろくねえ!」
「そうだろうそうだろう! 実にくだらないよなあ!」
指同士を叩く。パチンッ、ドーン!バーン!
「スクリーンが壊れた……すごい!」
「君……私は京都を叩く! 君も来るかね」
「京都ですって!? し、しかしいくら山本監督といえども、いまや魔都と化した京都へ乗り込むのは……」
「そう、確かに危険だ。私ひとりではね……」
「山本君一人にいかせるわけにはいかんだろう」
「何も京都に憤りを感じていたのは、彼だけではないからね」
「俺達が力をあわせれば百人力よ!」
「AIRでの借り、変えさせてもらうほかない」
「……(コクッ」
「さあ君も、私達と一緒に京都を討とう!」
「はい!」
そして8年が過ぎた。京都へ放たれたミサイルが要因で始まったWW3は、2018年を持って終戦となった。
日本国の若きリーダーとして獅子奮迅の活躍を見せた山本寛、多くの人たちは、死ぬ間際まで彼の名を忘れることはなかった。
エンドレスエイト、完
社会心理学者「テレビゲームの主人公が白人男性ばかりなのは問題」
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=203
アメリカの社会心理学者がビデオゲームのキャラクターに関する研究を行い、ゲームの主人公が若い白人男性ばかりなのは問題だと指摘する論文を発表しました。
社会心理学者で南カリフォルニア大学の助教も務めるDmitri Williams氏は、全てのプラットフォームやレイティングを含む1年以内に発売された150作品のゲームを対象に、登場キャラクターの傾向を調査。その結果、成人の白人男性を主人公にしたゲームが多すぎることが分かったそうです。
氏の研究報告によると、特に分布が少ないのはヒスパニックやラテン系のキャラクターで、一部のゲームで確認できたものの、そのほとんどはノンプレイアブルの脇役であるとのこと。
“ラテン系の子供たちは白人の子供よりもたくさんゲームで遊んでいるのに、彼らは自身の人種でプレイすることができない。これは同一性形成において問題だ。(中略)皮肉なことに彼らがゲーム制作者になることも少ないので、この循環が断ち切れないでいる。”
女性、ネイティブ・アメリカン、子供、高齢者といった存在もゲーム中に登場する機会は少なく、プレイアブルキャラクターのうち女性キャラクターは全体の 10%という結果に。その一方、アフリカ系のキャラクターは現実と同じ割合でゲームに登場するものの、そのほとんどはスポーツゲームだったり、50 Cent Bulletproofのようなステレオタイプを助長するような描写が多いようです。
尚、この研究の対象となったゲームには、人間が登場しないものや、キャラクターが画面上に表示されないファーストパーソンゲームは含まれていないとのことです。(ソース: Science Daily: Video Game Minority Report: Lots Of Players, Few Characters)
じゃあ「白人男性」並みに悪役や憎まれ役に割り当てられる事も受け入れてくれんとな。主人公や善玉が全員白人で、悪役一派が黒人メイン、なんて構成のゲームも平等に容認しないとバランスとれんだろ。
同じ独アマゾンで検索すると分かるが、PS3は今は普通に350ユーロで売ってるよ。
http://www.amazon.de/PlayStation-Konsole-inkl-Wireless-Controller/dp/B001CSZSBK/
こんなの見つかったけどどうだろう。
GIGAZINEはゲーム関係ではかなりいい加減な記事が多いという前提で読む必要がある。初っぱなからしてこれだが、
かつてGIGAZINEでソニーがPS3および次世代システムにおいて、初代PS、PS2、PS3、PSPを対象としたエミュレーターの開発ができるエンジニアを募集していることをお伝えしましたが、
該当記事はこれね。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080117_ps3_ps2/
これがタイトルの時点で大嘘ぶっこいてるどうしようもないクソ記事なんだよ。理由は以下が詳しいけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080930014735
かいつまむと、PS2互換無しのPS3(40GB)が発表されるずっと以前からエミュレータ技術者を募集してたのを、PS2互換有りのPS3(20/60GB)が出荷終了した後で騒ぎ立てて、あたかも40GBにPS2互換を追加するために募集を開始したかのような言い回しにしているわけ。なので「新型PS3にPS2との互換性を搭載する意向」なんてのはGIGAZINEが勝手に決めつけてるだけ。こういう経緯があるからGIGAZINEの、特にPS3の、さらにPS2互換に関しては全く信用出来ないって前提で読むべき。担当記者が相当に頭が悪いか、SCEに恨みがあるか、もしくはページビュー稼ぎ目的で書いてると常に疑うべし。
でもって元のGIGAZINEの記事をよく読んでみれば分かるけど、
この記事によると、アメリカのソニー・コンピュータエンタテイメントがPS3のCellプロセッサを利用してPS2のCPUである「Emotion Engine」の動作を再現する技術の特許を取得したそうです。
そもそもEE無しでPS2互換は以前売られていた欧州版PS3でもある程度出来ていたんだよね。なのでその特許はその「ある程度」を「ほぼ完全に」に引き上げる特許でしかない(それでも十分に価値のある特許ではあるけど)。
ところが、PS2の互換性再現のために必要なのは「Emotion Engine(EE)」だけではないんだよ。もう一つ「Graphics Synthesizer(GS)」ってのが必須(以前の欧州版PS3もGSだけ搭載されていた)。これはPS3のCPUではちょっと再現が技術的に不可能に近いと言われてる代物。ところが現行のPS3(40GBや80GB)にはEEどころかGSも入ってない。だから、いくらEEの再現性を上げても、GSの問題が解決されるわけではないので、これで「悲願の互換性実現へ前進」なんてのは「釣りタイトル」もいいところ。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0314/kaigai344.htm
業界関係者によるとGSを残す理由は、GSをPS3チップセットでエミュレートできないためだという。GSが、超広帯域かつ低レイテンシのeDRAM 4MBの搭載を前提としたパイプラインになっているからだ。GSの特殊なアーキテクチャは、同じGPUでも、PS3のGPU「RSX(Reality Synthesizer)」はメモリは外付けを前提としたPCグラフィックス型のパイプラインなので置き換えることができない。
結論から言えば、GIGAZINEでPS3関係の記事書いてる奴は今すぐにでも鬼籍に入るべき。もしくは今すぐ二酸化炭素の排出を停止して環境問題に貢献すべきだね。タイトルで仰々しく「悲願」なんて書き散らかしてるが、そりゃお前(記事書いてる記者自身)の悲願だろと。
respect for this article...
http://anond.hatelabo.jp/20090802092701
残念ながら、安全な国家というのは幻想であるということに気づかされたのは、大学1年生のときだった。
日本史かなにかの討論式の授業で、その日はテロの撲滅と予防についてセッションが行なわれた。で、僕は撲滅についての発表をして(ちなみにテロは国家間戦争の延長でなくならないという発表だった)もう一人が軍隊保持とテロ防止についての発表をした。
そのときの教授の発言。
「まあぶっちゃけ憲法九条なんておまじないみたいなものだけどね。
平和憲法って言われているものは、戦争しないっていうような記述しかないから。
武装してるんだから、詳しく調べなくても戦争出来るんだよね。
でもそんなこと言ったら左翼がうるさいから誰も言わない。
在日米軍だっておんなじだけど。」
なるほど、たしかにそうだ。
軍隊にせよ、自衛隊にせよ、何のために武装をするかと言えば戦争するからであって、特に問題になるような大量破壊兵器を保持して国民の反発を受けるようなことはする必要が無いわけで。
ミサイルだって一発いくらというような世界なわけで、全ての軍事費を縮小というのもまた無理なわけで。
話は変わるが、同じ教授の授業で警察の兵力についての講義があった。
で、この講義もちょっと面白くて覚えていたのだが、「警察は元々軍隊であった」という話。
明治時代の実質的な警察は兵部省の管轄で、ほそぼそどころか昭和には大暴れ。
ところがGHQが出てきて、警察は解体された後に警察予備隊、最近じゃ防衛省になって大きな資金を使えるようになり、爆発的な軍拡が始まった。
つまり、日本は軍隊というリスクを承知で、莫大な軍備を保持出来る自衛隊を存続する方を選んだわけだ。
そんなリスクを承知で軍隊を保持することを選んでいるくらいなんだから、テポドン位でガタガタ騒ぐなバカ、というのがその講義のまとめだった。
で、何が言いたいかというと、僕らの国は元々矛盾を承知でいいように憲法解釈するようなシステムになっているわけで、自衛隊に関してもそれはまったく変わらない。
例えば、アメリカの軍隊こそ、自国の利益を守るために色々な軍備を持っているわけだけど、逆に言えば他国に攻め込まれることを前提として軍はできている。
様々な国、エネルギー資源を独占するためには、多少のリスクが必要なことを米は知っている。
だからまあ安全な国というのは幻想なので、そればかり追っても意味がないし、そんなことは政治家のお偉いさん方が一番よく知っていますよという話。
■誤解されやすい書き方だったようなので加筆。
べつに平和憲法などについて否定しているわけではなく、過激になっている「反戦信仰」「九条改訂信仰」についての意見として書いた。
どちらもそこまでリスク差はないんじゃね?という意味で、「言葉尻ばかり追っても意味が無い」と書いている。
そこら辺をきちんと書くべきでしたね。不愉快な思いをしたらすみません。
残念ながら、安全な食品というのは幻想であるということに気づかされたのは、大学1年生のときだった。
分子生物学かなにかの討論式の授業で、その日は癌の治療と予防についてセッションが行われた。
で、僕は治療についての発表をして(ちなみに癌は老化現象の一つで治らない病気という発表だった)もう一人が食物とがん予防についての発表をした。
そのときの教授の発言。
「まあぶっちゃけ体にいい食べ物なんておまじないみたいなものだけどね。
体にいいって言われているものは、いい部分の成分しか検出されないような分析しかしないから。
微生物が作り出すものだから、詳しく調べれば体に悪い物だって副産物としてたくさん検出されるはずなんだよね。
でもそんなの調べたら誰も買わなくなるから誰も調べない。
食品添加物だっておんなじだけど。」
なるほど、たしかにそうだ。
自然のものにせよ、人工のものにせよ、何のために成分分析をするかと言えば商品化するからであって、特に問題になるような物質以外を調べてみすみす商品化が遠のくようなことはする必要が無いわけで。
成分分析だって1項目いくらというような世界なわけで、全ての成分を検出というのもまた無理なわけで。
話は変わるが、同じ教授の授業で活性酸素の毒性についての講義があった。
で、この講義もちょっと面白くて覚えていたのだが、「酸素は元々毒であった」という話。
地球上に最初に出てきた生物は酸素を嫌う嫌気性微生物で、ほそぼそとした生活ぶりだった。
ところがミトコンドリアが出てきて、生物は酸素を利用して大きなエネルギーを使えるようになり、爆発的な進化が始まった。
つまり、生物は猛毒というリスクを承知で、莫大なエネルギーを利用できる酸素を利用する方を選んだわけだ。
そんなリスクを承知で酸素を利用することを選んでいるくらいなんだから、活性酸素位でガタガタ騒ぐなバカ、というのがその講義のまとめだった。
で、何が言いたいかというと、僕らの体は元々リスクを承知で色々取り入れるようなシステムになっているわけで、食べ物に関してもそれはまったく変わらない。
例えば、自然の食物こそ、自分の身を守るために色々な毒素が入っているわけだけど、逆に言えばそういうものも体内に取り入れることを前提として体はできている。
様々な栄養素、エネルギー源を利用するためには、多少のリスクが必要なことを体は知っている。
だからまあ安全な食というのは幻想なので、そればかり追っても意味が無いし、そんなことは自分の体が一番よく知っていますよという話。
■誤解されやすい書き方だったようなので加筆。
べつに食品検査などについて否定しているわけではなく、過激になっている「無農薬信仰」「農薬安全信仰」についての意見として書いた。
どちらもそこまでリスク差はないんじゃね?という意味で、「そればかり追っても意味が無い」と書いている。
そこら辺をきちんと書くべきでしたね。不愉快な思いをしたらすみません。
草なぎ強し「清潔イメージ」 - ニワニュース - ニワンゴ
http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=32066
ネットエイジア社のネット調査「洗濯洗剤CM好感度」が、7月31日までに発表され、人気グループ「SMAP」の草なぎ剛が、34%の支持で断トツ1位に。2位は俳優の玉山鉄二で20ポイント差の14%だった。3位は同率2%で渡辺満里奈と反町隆史に。
現在の評価は
Good![3700] Bad![4080]
こんなの初めて見たwwww
迷惑って・・・普通に思ったことを言ったらいけないのかなあ
ていうか、初めに言ったけど、雑誌でも読者投稿が採用されたら謝礼くらい出すよ
そういうのなかったのかなあって言ったらいけないのかなあ
なんとなく、利益がかなりあって、まったくイコールではないというのがねえ
アンフェアに見えるんだよねえ
他の漫画家さんは作品とは別のコーナーで発表してたりファンクラブで発表してたりするしね
こういう約束でやったんだよね?で押し通すのはどうもなーと思ったりはするんだよね
それって今の社会、企業と派遣、自己責任の関係と、同じ論理だからねえ
・しょっちゅう受賞するので、研究室の業績一覧に載せるだけ
・あまりに大量に受賞するので、載せ忘れたりもする
例:東京工業大学 http://www.akg.ee.titech.ac.jp/work.html
・たまに受賞者が出ると、大騒ぎ
例1 東京工科大学 http://www.teu.ac.jp/student/activities/006864.html
例2 近畿大学 http://www.waka.kindai.ac.jp/tea/mec/topics/20080227a/index.htm
http://live.nicovideo.jp/watch/lv2542731
今見ているが、案の定テレビは大幅カット。冒頭の謝罪部分だけ放送するつもりか。
今のところのまとめ
など
本日17:00~ 麻生自民党政権公約Ch生‐ニコニコニュース
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2009/07/003893.html
これはもっと評価されるべき。
もちろん無料で見られる。
ワッハ上方の闇5
http://anond.hatelabo.jp/20090731035245
の続き。
吉本興業に支払う賃料の高さについて、
・民主党の西脇邦雄氏、漆原周義氏、松田英世氏、中村哲之助氏、
が、また赤字運営や入館者の少なさについて、
・自民党の東徹氏、
が府を問いただしている。
ところが、橋下知事が府知事に就任した平成20年以降、一部会派は突然掌を返し、橋下知事が進めようとしている「賃料削減のためのワッハ上方の移転」に反対したり懸念を示したりする。
・公明党の八重樫善幸氏
現在の賃借料は、庶民感覚からすると確かに高いとは思いますが、もし当時起債して建設していれば、府にとってもっと大変な借金として残っていたことでしょう。
私は東北生まれですが、大阪人にとって最も大阪人たらしめている世界最強の資質、よいことも悪いことも、つらいことも難しいことも、すべて笑いで乗り越えていく、お笑いというすばらしい文化を世界のどこにもないすばらしい資料とともに残し、また誇りを持って子どもたちに引き継いでいく、ワッハ上方という遺産を残していっていただきたいとの願いを込め、改めて知事に質問をさせていただきたいと思います。
それから、またワッハ上方は要らないという一部の有名タレントの方の発言があったと聞いておりますけれども、これはプロ、アマ問わず、大阪から劇場が次々なくなっている、そんな中で発表の場に困っている次の世代、次代の演芸、演劇界を担う若者にとりまして、このワッハ上方、大変重要な施設になっています。
大阪の文化を担う人材の育成を図ることは、府文化振興条例の基本理念です。ワッハ上方は、その場であると考えますが、どうお考えでしょうか。
それから、寄贈資料の保存、展示は必要だと、ライブラリー機能はそのまま移転すると、このようにおっしゃっておりますけれども、これら貴重な資料は、ワッハ上方の理念に賛同された在阪の放送局、府民、プロダクションの方々から寄贈していただいている。現在、指定管理者であるNPO法人ニューウェーブ大阪--在阪民法六社でつくられておりますけれども、この公益性、公共性を重く見て実は設立された。こうした経緯から移転縮小となりますと、こうして提供、寄贈していただいた資料の返還ということも起きてくるのではないかと。これでは、展示機能、ライブラリー機能を残すという府の計画は破綻いたします。ワッハ上方も、そうなるということも想定されての判断だったのか、お伺いしたいと思います。
第二条には、大阪市中央区難波千日前に設置する大阪府上方演芸資料館において、営利を目的としない上映または再生に限り使用することができるとあります。学芸員を置いて、笑いという上方の伝統文化を恒久的に後世に残すため、大事にすべき施設だと思っています。関係者とも十分話し合っていただいて、一方的な移転縮小は見直すことを要望しておきます。
千日前からワッハがなくなるという報道の後、全国各地の学校から、来年の修学旅行のコースに組めるのかなどの問い合わせがきています。道具屋筋商店街での一日商売体験とワッハの見学が、修学旅行のコースにもなっているからです。ワッハが、道具屋筋などの商店街と協力してミナミに定着している事実は貴重です。この事実を知事は御存じですか。
第二は、青少年や府民の文化活動などへの公的支援の放棄です。国際児童文学館、大阪センチュリー交響楽団、ワッハ上方、青少年会館、ドーンセンターなどへの知事の対応は、大阪で培われた歴史や文化などへの攻撃そのものではありませんか。
問題は、委託料一億三千万円、吉本興業への賃借料に二億八千万円、計四億一千万円の大阪府の負担でした。知事は、ワッハに行ったとき、値引き交渉はと質問されました。その後、吉本興業から来年度から半額以下の一億四千万円以下にする提案があり、今後も交渉の用意があると発言されています。また、五千万円の収入をふやすことも含め、運営に当たる放送六社とNPOの要望書も出されています。
ワッハは、千日前でこそ値打ちがあります。笑いと健康パック事業も開催され、府民も元気をもらっています。ミナミの健全な発展のためにも、大阪府の負担を大きく減らしながら、マスコミ、笑いを愛する府民、吉本などの協力で現地存続に知恵を出そうではありませんか。答弁を求めます。
まとめ:吉本興業と橋下知事の対立の背景には、単に橋下知事にケチをつけたいがために党の方針すら捻じ曲げる府議会議員の御都合主義があるのではないか?
【 平成20年 9月 定例会本会議-09月29日-04号 】
千日前からワッハがなくなるという報道の後、全国各地の学校から、来年の修学旅行のコースに組めるのかなどの問い合わせがきています。道具屋筋商店街での一日商売体験とワッハの見学が、修学旅行のコースにもなっているからです。ワッハが、道具屋筋などの商店街と協力してミナミに定着している事実は貴重です。この事実を知事は御存じですか。
◎知事(橋下徹君)次に、上方演芸資料館、ワッハ上方についてでありますが、地元の道具屋筋商店街が受け入れている修学旅行生の体験メニューの場を提供しているほか、イベントの共催など、地元とさまざまな連携が図られているという事実そのものは承知しております。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月01日-01号 】
◎知事(橋下徹君)上方演芸資料館(ワッハ上方)は、貸し主から大幅な賃料引き下げ等の御提案をいただきましたが、現地ですべての施設機能を維持していくためには多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、二十二年度末までに府有施設等へ移転いたします。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月07日-04号 】
◆(宮原威君) 次に、ワッハ上方(上方演芸資料館)についてです。
一九八九年に伝説の漫才師の砂川捨丸氏の御遺族が鼓を、夢路いとし、喜味こいしさんが秋田実の直筆台本を大阪府に寄贈、岸、中川知事時代に計画が進められ、一九九六年に開館しました。関係者、府民千人からの収蔵品は五万七千点、毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、ラジオ大阪、NHKなどから昭和二十六年から二千六百六十五番組の映像、音声が提供され、日本で唯一の笑い文化の殿堂です。三百五席のホールは七八%、七十席のレッスンルームと五十席の小演芸場は九九%の稼働率、文字どおりミナミの都市力、文化力の拠点です。わずかとはいえ黒字です。
問題は、委託料一億三千万円、吉本興業への賃借料に二億八千万円、計四億一千万円の大阪府の負担でした。知事は、ワッハに行ったとき、値引き交渉はと質問されました。その後、吉本興業から来年度から半額以下の一億四千万円以下にする提案があり、今後も交渉の用意があると発言されています。また、五千万円の収入をふやすことも含め、運営に当たる放送六社とNPOの要望書も出されています。
ワッハは、千日前でこそ値打ちがあります。笑いと健康パック事業も開催され、府民も元気をもらっています。ミナミの健全な発展のためにも、大阪府の負担を大きく減らしながら、マスコミ、笑いを愛する府民、吉本などの協力で現地存続に知恵を出そうではありませんか。答弁を求めます。
(略)
次に、上方演芸資料館(ワッハ上方)につきましては、貸し主から大幅な賃料値下げ等の御提案をいただくとともに、管理運営している指定管理者からも経費節減の提案をいただきました。
しかしながら、現地ですべての施設機能を維持していくためには、なお多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、平成二十二年度末までに府有施設等へ移転という結論に達したものであります。ホールは、吉本さんが運営されるというような御提案もいただきました。
ですから、展示品やライブラリー機能を移設、移転することというような結論に達したわけなんですが、この移転があったからといって、大阪の吉本さん、松竹さんを初めとする笑いの文化が弱まるとは私は思っていません。それほど大阪の笑いはやわなものではないというふうに思っております。
◆(宮原威君)
(略)
ところが、職員の賃金、教職員や警察官の苦労や努力は、府民には余り知られていません。ましてやセンチュリー交響楽団やワッハ上方の人が、年収二百万から三百万で頑張っているということなどは知られていません。客観的事実が知らされないまま、公務員たたきが一部識者などによって行われています。知事は、職員の苦労と役割をもっと府民に知らせて意見を聞くべきです。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月10日-07号 】
一つは、今回の移転案の大きな原因となっておりますのが運営費用、約二億八千万円の賃料が大きな負担になっていると。これはかつてからの課題ですけども、今回家主の吉本興業さんから、契約期限満了前の来年度からでも家賃を半額にします、また指定管理者からも運営委託費、収支改善を図りますと、こういう声明が寄せられていると聞いておりますが、知事はこの提案を即座にはねつけられたと。今回の財政再建プログラム案においても、この移転縮小の方針は全く変わっていないんですが、この金銭の問題ではなくて、初めから移転縮小ありきと、こういうふうに見える知事の判断基準とは何かをお伺いしたいと思います。
それから、またワッハ上方は要らないという一部の有名タレントの方の発言があったと聞いておりますけれども、これはプロ、アマ問わず、大阪から劇場が次々なくなっている、そんな中で発表の場に困っている次の世代、次代の演芸、演劇界を担う若者にとりまして、このワッハ上方、大変重要な施設になっています。
大阪の文化を担う人材の育成を図ることは、府文化振興条例の基本理念です。ワッハ上方は、その場であると考えますが、どうお考えでしょうか。
それから、寄贈資料の保存、展示は必要だと、ライブラリー機能はそのまま移転すると、このようにおっしゃっておりますけれども、これら貴重な資料は、ワッハ上方の理念に賛同された在阪の放送局、府民、プロダクションの方々から寄贈していただいている。現在、指定管理者であるNPO法人ニューウェーブ大阪--在阪民法六社でつくられておりますけれども、この公益性、公共性を重く見て実は設立された。こうした経緯から移転縮小となりますと、こうして提供、寄贈していただいた資料の返還ということも起きてくるのではないかと。これでは、展示機能、ライブラリー機能を残すという府の計画は破綻いたします。ワッハ上方も、そうなるということも想定されての判断だったのか、お伺いしたいと思います。
一方、知事は、大阪ミュージアム構想の中で、大阪の再発見、発掘を提案されている。私は、このワッハ上方をさらに磨きをかけたら、立派なすばらしい大阪の文化財ではないかと、こういうふうに思っています。落語、漫才だけではなくて、能、狂言、文楽、歌舞伎、上方舞、そうしたジャンルの公演もホールで行われています。多くの府民の方々がそこに楽しみに来られている。そういう意味では、このワッハ上方、大阪を輝かせ感動させる基幹施設となると私は思うのですが、そういうことも踏まえ、この四点について知事はどのようにお考えでしょうか。
◎知事(橋下徹君) 上方演芸資料館(ワッハ上方)につきましては、貸し主から大幅な賃料値下げや上方演芸振興に向けてのさらなる協力の御提案をいただくとともに、指定管理者からも経費節減の御提案をいただきました。
また、文化振興条例の基本理念に、大阪の文化を担う人材の育成があり、ワッハ上方がその場を提供してきたことは承知しております。
しかしながら、現地ですべての施設機能を維持していくためには、なお多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、平成二十二年度末までに府有施設等へ移転という結論に達したものであります。
収蔵資料を大阪の誇るべき笑いの資料として残すということは、本府が果たすべき役割と認識していますので、引き続き府民の皆さんや在阪放送局、プロダクションの方々に提供、寄贈していただけるよう、誠意をもってお願いしていきます。
また、これら貴重な資料につきましては、大阪の大切な文化資源として、内外への発信に努めます。
きのう、繁昌亭の記事が出ていまして、三十万人の来館予定者、前倒しで達成されたというような記事が載っていました。
今は、繁昌亭、大変大阪の観光名所となっていまして、地方から繁昌亭目当てにバスで乗りつけてこられると。チケットを買おうにも、今はなかなか買えないような状況になっております。
僕は、以前、桂ざこば師匠にそのお話を伺ったときに、芸人さんは血のにじむような活動、努力をされていると。高座に上られるときに、あのいわゆる僕らが聞いている一流の落語家さんが、ええ、こんな金額でと、それこそ学生のアルバイト程度のお金で一生懸命になって努力をされていると。いろいろ確認したところ、公的な助成は一切入っていないということでした。私は、お笑いの文化というものは、これはもう大阪に必要不可欠だと思うんですが、その文化の根差し方ということを考えたときに、このように公的な助成が多額に入った中で、本当にその機関が、施設が血のにじむような努力をするのかどうなのか、僕はあの繁昌亭がひとつ大阪の文化を発展させていくこのムーブメントを起こしていますが、その手法というものをやはり我々はきっちりと認識、勉強した上で、文化の発展というものを考えなければいけないのかなというふうに思っています。ワッハ上方がこれまで果たしてきた機能を全否定するわけではないんですが、やはりこの繁昌亭が、今成功しているこの現実というものは、民間が血のにじむような助成がない中でやっていることによって府民に根づいていっているという事実だけは、僕はこれはきちんと受けとめた上で府政を取り仕切らなければいけないなというふうに思っています。
(清水義人君登壇)
◆(清水義人君) 今、お話ありました繁昌亭、確かにすばらしい取り組みです。ただ、民と私たち公と、どこで一緒に協働してやったらいいのか。ここは民に任せよう、ここは公が責任を持とうというのは、それぞれ一つ一つで点検していかなければなりません。また、そのまちの景観ということからすれば、当然その施設があることでその地域の人たちとも一緒になって協議していこうと。ワッハ上方というものをどう生かすかということについても、当然管理運営者、家主さん、その地域の方々、そしてそれをつくった大阪府が一緒の場で協議するということをぜひ知事にお願いしたいと思っています。
http://www.news24.jp/articles/2009/07/30/04140657.html
民主党・鳩山代表は29日、27日に発表したマニフェストについて、「あれは政権政策集で、正式なマニフェストではない」と述べたが、30日に長野・飯山市で行った講演では一転、「マニフェストを3日前に国民に知らせた」と話した。
誰か献金した人いる?
献金したらどーなるのか教えて.
楽天カードないからできない.
PayPalでやってくれたらいいのに.
それにしても結構有名人がいるなぁ.
選挙が始まったら終了なんでしたっけ.どれくらい集まるのだろう.
政治家の皆さん,勢い余ってTwitPayとかチアスパに流れないかな.
そしたら面白いのに.
あれ,Twitterは公職選挙法にひっかかるからTwitPayもアウト?
チアスパの方はどうなるんだろう.「応援よろしく!」って書いているからアウトなのかな.
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/27/news004.html
米オンライン決済サービスPayPalは7月23日、決済プラットフォームを他社に公開すると発表した。
「PayPal X」と呼ばれるプログラムの下、決済プラットフォームのAPIを公開する。開発者はこのAPIを利用することで、WebサイトやアプリケーションにPayPalの決済機能を組み込める。既に、Twitterを利用した決済サービス「Twitpay」などでこのAPIが活用されている。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/27/news044.html
チアスパ!は、SPYSEEに掲載されている人のうち、寄付の受け取りを同意した人に対して、PayPalを使って寄付できるサービス。 SPYSEE上の人物紹介ページに表示される「チャリティー受付中」バナーをクリックすると、チアスパ!の寄付受け付けページに遷移。寄付額を指定して寄付し、テキストメッセージを届けられる。
寄付したい場合は、PayPalを使って応援用アバター(100円~2万円)を購入。アバターの価格からPayPal手数料を差し引いた額のうち、85%が寄付先の人に渡り、15%は手数料として同社が受け取る。寄付があると、SPYSEE上の専用コーナーに応援アバターを表示する。寄付金は、アバター販売に対する協力金(アフィリエイト報酬)という位置付けにし、送金業に当たらないようにした。
国・地方協議、公約に追加=「27日発表分は正式ではない」-民主代表
民主党の鳩山由紀夫代表は29日、同党の衆院選マニフェスト(政権公約)に、国と地方の協議機関の法制化を追加する考えを明らかにした。協議機関設置を盛り込まなかったことに橋下徹大阪府知事や全国知事会の不満を踏まえた異例の措置だ。熊本県菊陽町で記者団の質問に答えた。
鳩山氏は「この間(27日)出したのは政権政策集で、正式なマニフェストは公示日からしか配れない」と述べ、追加は可能と強調した。
鳩山氏のこの発言について、麻生太郎首相は29日午後、「常識的には考えられない。聞いた方は混乱する」と述べ、マニフェスト軽視として批判した。災害視察のため訪れた福岡県那珂川町で記者団の質問に答えた。 (2009/07/29-18:57)
じゃあこれは一体何なのかと。
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/index.html
※内容の改変については法的措置を講じることがあります。
アッキーナ、一目ぼれ告白 - ニワニュース - ニワンゴ
http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=31985
タレントの南明奈が7月29日、犬用おやつ「トリーツ」の新製品発表会に、「おやつで健康サポート大使」として出席。愛犬2匹との出会いは一目ぼれだったそうだ。また、ソフトバンクお父さん犬のカイ君と初対面し、「うれしい!」と大喜びしていた。
現在の評価は
Good![3] Bad![130]
これまでにも何度もニワニュースでの工作が明るみに出されてきた。
この問題は度重なる指摘を受けつつも、いまだに解消されていない。
このたび、ニワニュースにて、許し難い工作があった。
今更ニワニュースの工作問題かよと思うかもしれないが、今回のは少し度を超しているため、ここに紹介する。
見よ、このGood:Badの比を。
なぜ、こんなにBadが多いかというのは、想像に難くない。
いくら、些細なニュースを記事にしたことの不評があろうとも、ここまでBad数が多いのは、明らかに不自然である。
以前から、この問題について、「工作というのは考えすぎでは?」という、工作員の肩を持つともとれる指摘が若干あったが、
今回のは、工作員の暗躍があることが、あまりにも明らかである。
これはあくまで予想だが、アッキーナのアンチが活動したのだろう。
こういう公の場で、世論操作をして、アッキーナって嫌われているんだなと思わせたいのだろう。
知らない人は少ないだろうが、念のため補足しておくと、アッキーナは、元モデルで、数々のテレビレギュラー出演を経て、
民主党のマニフェストINDEX 2009 が発表され、論議を呼んでいる。選挙で政策が大きな争点になるのはいいことだが、その内容は旧態依然たる分配の政治で、違うのは自民党が財界や業界団体に配っていた金を中小企業や労働組合に回すことぐらいだ。こういう「政策転換」は、30年ぐらい前に行なわれたことがある。東京都の美濃部知事を初めとする「革新自治体」が全国に生まれ、「大資本中心の政治から福祉中心に!」とのスローガンのもと、老人医療の無料化など、巨額のバラマキ福祉が行なわれた。
その結果は、放漫財政と公務員のお手盛り昇給と財政破綻だ。組合の強い大阪府は、いまだにその後遺症に苦しんでいる。それでも自治体は、起債の限度があるため、破綻が早く来やすい。国の場合は問題を先送りできるので、夕張のようになるのは10年以上先だろう。しかし破綻したときは取り返しがつかない。IMFも指摘するように、消費税を30%から60%ぐらいに上げないと、公共サービスが維持できなくなる。与野党ともに、今の高齢者の「安心」については語るが、若い世代の将来への不安には関心がないようだ。少子化の原因はこの不安であり、子供手当による将来の負担増は、むしろ問題を悪化させるだろう。
高度成長期には、競争力の高い製造業などの成長部門が創造した富を農村などの衰退部門に再分配する所得移転が政治の役割だったが、この構造は90年代以降、決定的に変わった。日本経済の停滞によって再分配すべき原資が減り始めた状況で、今後も再分配を続けるには、将来世代から現在世代への所得移転が必要になる。900兆円にものぼる政府債務とそれを上回る年金会計の破綻は、団塊世代からロスジェネ世代への「つけ回し」だが、このネズミ講はいずれ破綻する。
こういう問題は、経済学者がいくら抽象的な数字をあげてもだめで、日本経済が本当に夕張のようになるまで、政治家にはわからないだろう。しかしマーケットはそれを知っている。もう概算要求も出た段階で、鳩山政権が歳出削減をやろうとしても、官僚のサボタージュで来年度予算も大幅な赤字になるだろう。それを見越して、長期金利がじりじり上がり始めている。国債が増発されたら、資本逃避やインフレが起こるおそれも強い。民主党がマニフェストに明記した「製造業の派遣禁止」が実行されたら、製造業は工場を海外に移転し、雇用はさらに減るだろう。
いま問われている真の争点は、どうやってこのネズミ講を終わらせ、福祉の原資となる成長を維持するかという問題だ。「官僚中心の政治の転換」などというのは、その手段であって目的ではない。自民党は31日にマニフェストを出すそうだが、民主党の分配政治に対抗して、規制改革やイノベーションによる成長戦略を打ち出せば、勝ち目もあるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20090728081039
孤高そうなのに交友関係が広い作家さん? 本に書いてあったり、テレビで特集してたりするから、知ってるだけだけど、筒井康隆先生とか、小松左京先生とか、西村京太郎先生とか、山村美紗先生とか、って、私の読書傾向を発表してもしょうがないと思うんだけど、何を聞きたいの? リアルに作家さんと知り合いなのか?って質問なら「知っているとすれば、匿名日記で名前を挙げるのは相手の迷惑になるかも知れないからモラルに反するので答えられない。知らないとすれば答えようがない」って返事しか出来ないよ。
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/index.html
長老や幹部が思いつきで公約を作り、それで選挙を戦うという構造は、自民党も民主党も同じである。違いがあるとすれば、自民党の方が官僚が下書きしている分だけ、まだマシということであろう。
民主党の公約案には、旧社会党の匂いがぷんぷんとする。とてもじゃないが、こんな公約を並べる政党に日本を任せられない。では、自民党ならば良いのかというと、官僚が下書きした前例踏襲の公約では、日本が立ち腐れする。
政治を変えるには、人を変えなければならない。自民党も民主党も、政治を、毛鉤でしかない公約を並べて国民を騙す行為と捉えている長老・幹部を、選挙で落とさなければならない。
政界再編を、新党設立であるとするのは間違いであったし、古い皮袋でもアイディアという酒さえ新しくすれば何とかなるというのも、間違いであった。
長老・幹部議員が残っている限り、日本の政治は変わらないと考えるべきである。
自民党も民主党も、長老・幹部が公約を作る。ならば、その長老・幹部を軒並み落選させてしまえば、どちらが勝ったとしても、公約が信任された事にはならない。公約作りには一切関与できなかった陣笠や新人達だけで、どうせ空転するのがわかりきっているのだから、草の根の集会から公約を練り上げていく、本当の民主主義を行う機会とするべきであろう。
小泉氏の、自民党をぶっ壊すというプロパガンダは、結局、オールド・パージ(旧勢力追放)を4年間先送りしただけだったという事になるのかもしれない。
僕は昔から小説家になりたかった。小説でなくとも、何か文章を書いてメシを食いたかった。
世の中には物書きになりたいという人間が腐るほどいる。僕もその腐った残飯の中であることは違いないが、しかしその夢を捨てきれずにいる。
今年、4月にある小説の賞に作品を送った。僕が生涯で完結させた小説では2作目となるものだった。今まで沢山の完結しない小説もどきは書き綴ったが、なんとか完成させたものではふたつめである。
先日、1次選考の結果が発表され、稚拙な我が作品は何とか残ってくれた。僕の書いたひとつめの作品は、とある文学賞に投稿したのだが、そちらでは箸にも棒にもかからず、下読みの段階で落選してしまったわけだが、今回は何とか生きながらえてはいるようだ。
こうやって、我が作品が落選してしまうかも知れないというやきもきした気分で毎日を過ごしていると、何故自分が小説家になりたかったのかを反芻せずにはいられなくなる。そもそも、僕にとって小説は本当に大事な存在であった。
僕は小さな頃から父親に暴力を受けて育った。言動でも行動でも、つまりそのどちらにも暴力の力が伴っていて、僕は文字通り精神的にも肉体的にも鍛えられてきた。父親はアル中だが、この話には関係ないので省く。
そんな鬱屈した毎日の中で、中学生くらいの時に本気で自殺をしようかと考えたこともある。自殺の方法をいくつか考えている内に、生きていることがくだらなくなってきて、同時に自ら死ぬことのくだらなさにも気付かされてしまい、感情が空白になってしまった。
誰かと話していても、楽しくはなく。勉強やゲームに没頭していても楽しくはなかった。何だか、全部流れていくだけの白昼夢に思えて仕方がなかった。
醒めてしまえば、全部が存在しないんじゃないか。なんて意味もなく思ってしまっていた。
僕はそんな風にして、幼少期を過ごし、共に遊ぶ「友達」と呼ばれる存在もいくつか出来たが、だけど友達ってのが何なのかよく分かっていない。それは未だに理解が出来ない。
辞書を引いてみれば友達というのは――親しく付き合っている友人。友。――だなんて説明されているが、『友達』なんて言葉を『親しい友』だなんて同意義としか思えない言葉で説明している辞書ですら、酷く滑稽に思えた。
意味が分からなくなってきた僕には、本当に心が許せる友人は存在しなかった。過去形で表されているが、だが、今でも本当の意味での友人はいないのかもしれない。
同時に、僕には本気で好きになったひともいなく、「ああ、もしかしたら彼女のことが好きなのかも知れない」と考えても、何故、好きなのか? と考えてしまうともう駄目で、顔が可愛いだとか、振る舞いが華麗だとか、性格が良いかも知れないだとか、そんな曖昧な理由で人を好きになってしまうなんておこがましくないのか? と勘ぐってしまう。こんな浅はかな理由で人を好きになるならば、別にその人じゃなくても良いハズだ。とも思う。
もっとシンプルで良いハズだ――とも、確かに思う。好きだから、好きで好きで理由はないだとか、そんな風で本当は良いのかも知れない。
そんな諸々の世界に対する訝しみ、この世界と付き合う方法を考える時には、どうしても脆弱であっても――言葉が必要だった。
僕はある日、こんな恥ずかしい話はないだろうが、中学校の頃に学んだ夏目漱石の「こころ」の抜粋部分(確か授業中には抜粋部分のみだったはずだ)を読んで、初めて文章を読むことの意味に気付かされた。「大造じいさんとガン」を読んでも気付かなかったが、「こころ」で気が付いた。
鮮烈でめまいがするような秀逸な筆致が、その頃の僕には酷く輝いて見えた。夏目漱石なんて、千円札でしか知らない人だったけど、彼が何かに煩悶しながら世間に訴えたいことがあるということは幼い僕にも分かった。それは幼少期の勘違いであったかも知れないがね。
それからは、様々な小説を読んだと思う。世間の読書好きの人々には決して敵わないだろうが、それでも本は読んでいた。昼休みや授業中や帰宅後も、暇があれば読んでいた。
ここでは、誰の小説を読んだとか、どこそこが良かったとか、そんな無意味なことをあげつらう気はない。ただ、僕が重要視したのは『本を読んで考えること』であった。
だけど、間違いだったかもしれない。
余計な言葉知識が頭に埋め込まれてしまったせいで、余計に僕は生きていく上で悩んだり、無意味さを噛み締めたり、そんな感慨を抱くことが多くなってしまい、なんて生きていくのは切ないんだ。と物思いに耽る中二病患者になってしまった。
今は、社会人として仕事をしているが、自分が雇われている企業での僕のこなす業務というのは、僕以外の何者かが代行しても全く僕と変わらないレベルでやり遂げることが出来るのではないか、と思う。当然ではあるが、大抵の仕事はそうだ。
地下鉄の駅を降りて、ホームからの階段を登り、世間の人々の波に埋没していたら、すごく自分が存在していないんじゃないか? なんて思ってしまう。
恥ずかしいことだ。だけど、こんな風な思考回路を構築してしまったのは僕だ。僕が悪いのはよく分かっている。
だから、そんな自分に対するセラピーの意味合いもあるかも知れないが、僕は文章を書くことで精神の安定を得る。実際は何でも良い。文章だったら何でも良い。ブログを作って意味の伴わない単語を羅列したっていい、誰にも理解されない主張を標榜してもいい、だけど何か考えていないと、何か書いていないと、僕は本当におかしくなってしまうんじゃないかと、そう感じてしまう。
だったら、もうそこまで来たら、僕は仕事をやめて、実家に帰ってニートをやって、インターネットの世界に没入して、日々を食い潰して、そのまま死んでしまった方が良いのかも知れない。その方が、誰の毒にも薬にもならず、迷惑を掛けないまま、緩やかな自殺として完遂出来るかも知れない。
だが、親に迷惑を掛けるのも嫌だ。これは我が儘に違いないが、僕は誰にも迷惑を掛けたくないのだ。自分以外の誰にもに、人畜無害な存在であり続けたい。本当に自殺するなら立ち入り禁止の富士の樹海へコンパスを持って行く。
そうした曖昧模糊な思考の行く末は、誰しもが抱く物書きになりたいという夢だった。
結局、こうなってしまう。馬鹿な邯鄲の夢だ。
実際、小説家の仕事についてはよく分かっている。自分の書きたいことを書けずに職業として編集者に指示を受けながら書かねばならないことや、サラリーマンよりも低い年収で、しかも売れなきゃゴミだと評価されることも分かっている。
それでも、こうして文章を書くことに意義を見い出すことが出来るのは、個人的に素晴らしく有意義に思える。自分が真っ当に生きていく結論としては、小説家になることが最も分かりやすくてシンプルなんじゃないかと、そう思った。
先述した――恋はもっと、シンプルで良い――なんて青臭い科白は、そのまま僕の文章に対するスタンスに直結している。
もっと、シンプルで良く。僕は心の底からシンプルでありたいと思っている。
だから、小説家になりたい。そう思って僕は文章を書き続けている。
授業でさ、広告記事を読んで要点をまとめて発表するってのをやったんだ。
それで教科書にも例題が載っててそんな難しい問題でもなかったんだ。
自分は文章を書くのは苦手だけど読んでまとめたりするのは得意、センターも現代文百点余裕でした。
だから要点まとめるくらい余裕だぜ、とか思ってた。
で、発表始まってびっくりした。皆の答えが明らかににズレてる。メインではないとこをまとめてる。その上感想までつけてくる。
正直大学生でこのレベルやばくね?と思った。現代文の問題だったら自分の答え正解で他の答えは×だっただろう。でも先生は「これが正解です」というのを言わなかった。
その授業ではその後も同じようなことやったんだけど、前期終わるまでずっとそんな感じだった。
ちなみにそのズレた解答した人たちは別の授業ではテストも出来る。ものによっては自分よりも出来ている。
こうなると簡潔にまとめることの方が間違ってる?・・・とも思ったり
皆まとめたりするのが苦手なのだろうか?それとも大学の授業で求められるのは、例え要点まとめでも現代文的な答えではなく感想とか発想力なのか?
もうわけわからん。だれか教えて下さい。