はてなキーワード: ゆとり教育とは
ゆとり教育はそんな感じだったのか
おそらく一世代上より塾に行ってた人が多い世代だから勉強時間は前の世代よりプラスの可能性もある。
逆に部活動などを伸ばす人も増えてスポーツ業界の躍進はおそらくこのあたりにある。
社会に出てからの話だが、これだから若い子はと言われるのはいつの時代でも同じだと思う。
だがゆとり時代はその風当たりが大体「このゆとり世代が」という言葉と共にあった。
そしてゆとり世代を迎合しよう、みたいなムードは一切なかった。Z世代は逆に「迎合しなければ!汗汗」みたいにオッサンたちが必死になっているがゆとりは「入ってくんな」レベルだった気がする。
上の世代は総じて「ゆとり世代」「平成生まれ(ギリ昭和〜っていうギャグを含む)」でくくってきたし、断絶をされた。
一世代上に関しては氷河期真っ只中で(ゆとりだって氷河期と言われる経済影響受けてるが)人が少ないし、少ない上に冷たい。下の世代に対して自己責任論がある気がする。
でもその世代が本来もう一つ上の世代との架け橋になってほしい。
氷河期より上の世代はわりと面倒みがいい。けどセクハラパワハラがやばすぎて同じ人間とは思えない。宇宙人と喋ってる感覚になる。Z世代の後輩は「何を喋っているかわからないんです」と言っていたが気持ちはわかる。
だからこそ氷河期世代の「一つ上の世代と会話できるコミュ能力」が必要なのにひとがいない。そして現役バリバリなのに年上の部下を持つ管理職のゆとり世代。やりにくいが、やるしかない。そして病む。
氷河期世代の人はパワハラやセクハラをする人はそんなに多くはないと思う。だから宇宙人ではなく人として接することができる。
でも「しない」だけで「拒否」しない。セクハラは甘んじて受け入れる。パワハラは耐えるしかないと思っている。
そこに強く「NO」を覚えるのがゆとり世代で、考えてみれば物心ついたときにはセクハラという言葉が生まれていて、家庭科教育も男女一緒にしていたし、男女共に遊ぶのも普通のことだった(どうやら氷河期世代は男女分かれるのが普通だったらしいね)。漫画やアニメでも自然に同性愛が描かれていたのでおそらくそのあたりの感覚も上の世代とは違う。
体罰はされた記憶はあるが、それが大問題になったりして、このあたりがゆとり教育の根本にあったのではないかと思う。まともに育てば「まじで暴力無理」側の人間になったはずだ。
しかし氷河期世代は「甘え」と取るだろう。まあ確かに上の世代と比較したらメンタル弱いと思うわ、ゆとり。
でもNOを覚えるのは同じ世代からその下であって、上の世代は一緒に戦ってはくれない。
氷河期世代は人が少ないと言ったが、それは「正社員で上がった人が少ない」という意味で、ゆとり世代は少子化に突入して「分母が少ない」。
少数で戦えばどうなるか?疲れる。
大勢の上世代に戦える人が少ない。それはきっとゆとりが老害になったら年下から同じように言われるのだろうし、少子化の弊害なのだろう。
生まれてから今まで景気が良かったこともないし頑張っても意味がないというムードはおそらくこういう部分にある。
ゆとりは理想論の発展のなかに育ったと思う。若者は少ないから大事で夢を持って良くて男女平等である。そう教わって大人になったが、理想論の中の発展途上すぎて社会は何も変わってなくて、理想とは違いどこにも行けない閉塞感で絶望を感じ続けてきた。
世代論はある種、世界情勢や政治の中だけで見た場合のシュミレーションというだけだ。
個を大事にしろと教育でゆとりは教わったはずだから、ま、世代論はここまでです。
えっ、Z世代以下に何を思うかって?
ネットで顔出しすんの怖すぎ。
氷河期世代が他人の悪口や陰口とか直接的で本当に酷いし差別的なのはネットをよくやってる人も社会に出て働いてる人もよく知っていると思う
年齢層の高い増田ならご存知の通りゆとりは上の世代と全然違いゆとり以前とゆとり後と呼ばれるぐらいの差だった
あらゆる上の世代からボロクソに貶されたが、素行だけはそれまでの世代に比べて圧倒的に良かったお陰で今のお行儀の良さを求められる社会を比較的受け入れやすい
会社では幼稚な発言と行動の多い氷河期世代に比べてゆとり世代の方がまともという声がとても多かった
大体氷河期世代は良い年して恥ずかしくないのか?名指しで氷河期世代に対する支援を〜という扱いを政党からされてるのどうかと思うよ?
Z世代が既に社会で働いてるのにこれだからな。その次の世代が来ても会社や社会に毒を振りまくわ迷惑をかけ倒すんだろうな
Z世代はそんな事なさそうなのに
昭和生まれのゆとり世代?初期組ならあれはちゃんとしたゆとり世代じゃない(ゆとり教育の期間も短いし本人達もゆとり世代と思ってない)
ゆとり教育で人の心を失ったんだろう
「教育はクソだ」と主張する者たちは、多くの場合ハッカー文化に属している。
この見解は、戦後日本の教育改革の失敗と、伝統的価値観の軽視に根ざしている。
ゆとり教育、詰め込み教育への回帰、グローバル化への過剰適応、ICT教育の形骸化などの改革は、教育現場に混乱をもたらし、若者の不信感を募らせた。
ハッカー文化は、既存のシステムに縛られない探求性、自由への渇望、技術への純粋な愛を特徴とし、日本の伝統的な「職人気質」とも共通点がある。
リーナストーバルスのハッカーの定義は、「コンピュータそのものをエンターテイメントにする人」のことであり、リチャード・ストールマンのハッカーの定義は「情熱を持って物事に取り組む人」のことだ。
この文化は、教育システムの混乱に違和感を覚えた若者たちを引きつけている。
ハッカー文化の台頭は、自己主導型学習、プロジェクトベースの学習、オープンソース的知識共有、技術と人間性の融合といった特徴を持ち、教育の価値を否定している。
この現象は、個人の自由な努力を重視する学びの形を示唆している。
ゆとり教育との違いは、ゆとり教育は「教育」に属するが、ハッカー文化は「趣味」に属する点である。
なるほど。
俺は、それが理想だよなと言う意味で、一定以上お前の意見に賛同してる。
そういう前提の上なのを判ってほしいのだが。
難しいなと思うのは、
結局のところ"人生に必要な学問"を判断することが、誰にもできない。
微分が必要なやつと必要じゃないやつがいる。社会全体で突如、古文漢文が必要になるかもしれん。
となると、本人に判断させるか、という話になって。
実際それをやっている国がある。たしかアメリカにそういうとこがある?カリキュラムを低学年から選択するわけだが。
これがまた問題があって、
ガキはガキなので、他人の大人なんかよりも、もっと何が必要かなんてわからない。
いくら自分自信のこととはいえ、人生経験も脳の発達も足りなすぎる。
結果、カリキュラム選択式は、子供の可能性を伸ばすことではなく、子供に無駄に責任を負わす結果にしかならんっていうね。
そういうわけで、後の人生で要らない部分がでてくること前提で、ある程度網羅的に詰め込むしかないと俺は思う。
この「ある程度」の範囲を縮めたり広げたりすることは必要だし、今もやってるはずだけど。
ゆとり教育が悪かった点は、ゆとりが出来たあとに何をするか、そこの選択を何も用意しなかったことなんだろうな。カリキュラム選択よりもなお悪かったわけだ。たぶん、一部の天才は、ゆとり教育で浮いた時間で、自らを訓練して、社会的に成功したりしたのではないか。
ワイはゆとり教育が言うほど悪かったとは思わんやで😟
ほならさせてもらいますけど。
お前が「圧」って呼んでるのはさ、70年代から80年代の若者が感じていたとされる、抑圧のことなんだよね。
誰もがムラ社会だから、勉強しなさい、地域に貢献しなさい、早く結婚しなさい、仕事の跡をつぎなさい。
そういうのに全員がウンザリしていた。
都会に出ればムラじゃなくなるから、そういうしがらみからは自由になる。
というわけで全員が上京(に類するもの。大企業就職など)を目指したわけだ。
この流れは、日本のことじゃなくて、全世界にあったわけ。何しろムラは全世界にあったからな。
ムラのしがらみを排除しようとする方向性、思想的にはこれを「リベラリズム」と言います。
で、その次の俺の世代になってくると、全員が都市産まれなわけ。ムラのしがらみとか皆無。
全員がリベラリズムの影響下にある。
お前もそうなのよ。だから、圧をかけるのは悪、と思ってるだろ。
この方向性で俺らはやってきたのよ。教育カリキュラムから圧を取り払うために、「ゆとり教育」をやったりね。
結局のところ、"圧"は必要だったんだんだと思うよ。ほとんどの人類は賢くないから、自由にされたらバカになるわけ。
70年代に必要だったのは、不必要な圧を適時改正することで、圧を取っ払うことではなかったんではないか。
ほとんどのやつはバカになるけど、それは放置する。バカは被害出すけど、最終的には勝手に死ぬからな
理屈上の正しさはそれでも成り立つけど、俺はやだね。
1958年、学習指導要領が男女の学習内容を分けるものに変わった。
中学校では男子は社会で役立つような「技術」を、女子は家庭の担い手となることを想定した「家庭」の内容を学習するようになった。
この方針は後々撤回され、中学校は1993年の全学年から技術・家庭科として男女共通授業に戻り、高校は1994年入学の1年生から家庭科の授業が男女共通になった。
男性は家庭科を学ばなくて良いという価値観は、実のところ長い歴史を持つものではなく、「高度経済成長への対応」のための限られた時期の国策である。
文科省が男女差別方針を採用していた時代に中学校に通っていた世代の男性は、女性が家庭科を学習して生活を支えるから男性は家事無能でOK、
男性ならば製造業の労働者であることに専念しなさいという学びを「義務教育によって」押し付けられており、結婚できなければ生活が終わるリスクが相当高い状況に追いやられていた。
若い世代で家事ができない男性については、本当に自業自得。少なくとも男性差別の結果ではない。
1993年以降に中学生だった世代については男子も平等に家庭科教育を受けられているので、家事教育の機会が女性と均等になっている。
何も知らない人間については「義務教育で習ったのに真面目に授業受けてなかったんですね」となり、文科省・国策による男性差別のせいなどではないし、
今の時代に至ってはYouTubeもレシピサイトも、無料でアクセスできるノウハウが大量にあり、何の言い訳もできないくらい充実している。調べられるのに調べていないだけである。
しかし高齢男性が家事無能化したのは文科省が男女差別方針をとっていた時代の男性であり、インターネットを使いこなすのも年齢的に厳しかったりするので、
国策として家事無能の製造業従事者を生産しようとした結果がこれであり、100%の自業自得とは言えないのではないかと思う。
文科省は「ゆとり教育」をやって撤回したように、「男性に家庭科を教えない教育」をやって撤回したのだ。要するに、失敗したのだ。
家事無能の彼らは失敗した教育方針の被害者であり、だから独身男性の生活の質は既婚男性よりも極度に低レベルなものになり、15年も短命なのだ。
団塊バブルの素行は氷河期世代から散々言われてきた通りだし、今の氷河期世代とZ世代に比べてゆとりの存在感は空気すぎる
ゆとりの特徴
馬鹿にされてきたゆとり教育だが、上の世代よりずっと今の教育に近い
ポリコレに近い平等思想を教わってきてるが、ポリコレに染まってもいないバランス感覚
社会に出る前からメディアや上の世代からZ世代じゃ想像もつかない総バッシングで叩かれてきた日本唯一の世代で、上の世代や下の世代と比べると大人しい
ゆとり世代の親が増えた事でモンスターペアレントは大幅に減った
散々言われてきた通りの個人主義
ゆとり親はモンスターペアレントこそ減ったが、ネグレクトや子供に無関心な親がとても増えた
氷河期以上の世代に比べて起業家などの有名どころが思いつかない
団塊バブルの素行は氷河期世代から散々言われてきた通りだし、今の氷河期世代とZ世代に比べてゆとりの存在感は空気すぎる
ゆとりの特徴