はてなキーワード: しつけとは
http://anond.hatelabo.jp/20090505230306の元増田です。
mixiなんかにゃ書けないので増田にでも書いて消化しようと思ってた日記に、思いがけず沢山のはてブ/TBを頂いてちょっとびっくりしてます。自分じゃ分からなかった視点での意見が多数で、色々と考えさせられました。頂いた意見について、まとめて返信みたいなものを書いてみます。
堕胎した過去のある友人の前で妊娠をエクスキューズにして婚姻しようという考えを喋ってしまうデリカシーの無さ
マジ切れする相手も相手だが、大人なんだから地雷踏んだらちゃんと謝ろうよ。意図せずとも人の傷を抉ったのは事実なんだし。
これはもう本当その通りです。私の配慮不足でした。彼女は堕胎した相手と今は結婚しており、会う度に仲の良さを惚気るほどですが、「でき婚」はまさしく彼女の地雷で、踏んではいけないポイントでした。「妊娠」自体はNGワードではなく、彼女も含め既婚者同士で妊娠時期を何時頃にするか相談してたりもしたんですが、彼女の中では「既婚者の妊娠」と「でき婚」は全く違うものだったんでしょう。あの時点での私は理不尽な理由で罵倒された事が不満で、彼女に謝ろうとは微塵も思いませんでした。
何が面倒かも考えず、面倒だからというのは、流石にその年代ではヤバイと思う。
いろいろ面倒だからでき婚ってアホか。もっといろいろ面倒なことになるだけだ。
私と彼の選択は「子供以外の理由で結婚を選択することは(少なくとも今後数年は)ない」ということでした。もっと言えば、現状では子供以外の理由で結婚にメリットを感じていません。仕事や両親など、今山積している問題を解決してまで結婚する必要性があるのか疑問です。ですが、子供が出来たとなると別です。夫婦揃って育児をしたほうがなにかとメリットが多いでしょう。ですから、結婚するとなると子供が出来てからかなと、考えが至った訳です。これは何が面倒かを考えていない事になるのでしょうか?他の方にも同様な意見があったので、自分じゃ考えているつもりが周囲からみるとまるで考えていないように見えるのでしょうか。
でき婚自体は賛成派だが、自分の出生が結婚のダシに使われていたら嫌だな。あと、でき婚ねらったものの、ぜんぜん授からない…なんてこともある。
最後のハードルを超えるのに、子供を利用しようとする心根がな。その後の幸不幸で「子供のおかげで結婚できた」感謝は、易々と「子供のせいで結婚してしまった」恨みに変わる。責任を押しつけられる方はたまらない
出来婚が子供を不幸にする可能性ですね。うーん……、正直この考えは全くありませんでした。こればっかりは、子供を授かったら最大限愛することで否定するしかないですね。あと今は軽い不妊治療中でもあるので、授からない可能性も大いにありますね。
えーと、キャリア大事なんだよね~。資●堂のとある女性役員(「女性」といちいち付けなきゃいけないこんな世の中じゃポry)が仕事を続けるために堕胎を選択したっつー話は知っといて損はないよ。
出来婚しちゃうような無計画な人(外から見ればそうとしか見えない)は会社の今のポストを外されてしまう。となぜ思わないのかがわからない
仕事は大事ですが、子供の為ならばある程度は仕事を減らすのもやむをえないと思っています。一方、結婚しただけで今の仕事を外されるのは御免です。そして、今の職場だとその可能性があるんです。結婚して、旦那さんが待ってるんだからはやく帰りなよとニヤニヤしながら言われるくらいなら、子供が出来てからゆっくり定時退社したほうがマシです。
色々とご意見頂きましたが、出来婚ってまだまだ「子供をダシにして結婚した」と受け止められるんですね。自分では結婚のメリットとデメリットを計って選択したつもりだったんですが、周囲の理解を得るのはまだまだ難しそうです。
私は90年代前半生まれの、新人類ジュニア、またはゆとり世代です。
わたしたちは、平成の大不況による「ロストジェネレーション」の次の次くらいの世代です。失われた時代に幼少期を迎え、ファミコンがすごく古めかしいシロモノに見えて、物心ついたときはITバブルで、小中学生からカメラ付きケータイを持ち、ハチロク世代以上に情報機器と融和した生活をしてきて、受験勉強をしながらサブプライムの崩壊と世界同時不況を眺めてきた、という世代です。
「はてな」の年齢層を正確に知っているわけではありませんが、わたしたち子供と、この文章を読んでいる増田のみなさんは、せいぜい、10~20くらいの年齢差でしょうが、世代における平均的な価値観は大きく違っていると思います。ずっぷりゆとり教育に使っていますから。(もちろん、同世代の方もいらっしゃると存じますが)
さて、その、わたしたちゆとり世代の未来(「日本の未来」とも言えますが)は非常に明るいものであると思っています。
理由はとても簡単です。
わたしたちが社会に出る頃には、すでに団塊の方々が引退してくれているからです。
現在50~60代の彼らが、団塊ジュニア層に日本の「支配者ポスト」と「既得権益」を渡すその瞬間が、日本が変わり始める瞬間になるのです。わたしたちが生きる日本を地に落とし、ロスジェネを生み、現在の社会問題の大半を生み出したのは、団塊の世代です。社会の中枢で、バブルとバブル崩壊、それに続く長期不況を引き起こしたのは彼らです。その上残念なことに、世の中が動き出している今も、彼らはまだ、支配者層に居ます。彼らが既得権益にしがみつき、私たちの上の世代である現代の「若者」層に痛みを押しつけているもうしばらくの間は、暗いニュースが流れ続けるのでしょう。
でも、わたしたちは幸運です。
わたしたちが社会に出る頃には、支配者層の世代交代が始まっています。痛みを知っている世代層が、社会の中枢を担っていきます。こうしてようやく、高度経済成長期の遺物、年功序列・大量生産・輸出型経済のような旧世代的産業構造が崩れていき、日本の社会はニッチな高付加価値製品の少量生産とサービス産業を中心とした、新しい情報化社会に適応するのです。
なんとわたしたちはタイミングよく生まれたことでしょうか。
さて、わたしたちには、もう少しアイドリングする時間があります。ただその間、「ちょっとだけ上の世代」には痛み苦しみ、時間稼ぎをしてもらうことになるでしょう。わたしたちは、その時間を使って、もうしばらく、「そこそこの努力」をしておきます。
親と子供の相性もあるし、親のしつけが子供にとって逆効果になる事はよくある話だしね。
子供が手に負えなくなった時に親が助けを求める場所があるのはいいと思う。
でもそれって児童相談所、じゃないの?
最近よくある再婚したら前の夫との子がうざくなって虐待ってのを何よりも無くしたいけれど、これはしつけの問題ではなく親の問題だからねえ。
こういう親は懲戒場があっても児童相談所があっても、自分が悪いのをうっすらわかっているから、自分が怒られたくなくて使わないんだろうね。
虐待する親にも幼児期に不幸な境遇があったりするかもだが、20過ぎれば自己責任ということで、こういう親こそ懲戒場へドゾー。
民法読んでて「親は子を懲戒し、また裁判所の許可を得てこれを懲戒場に入れることができる。この期間は裁判所が定める」みたいな内容の条文があったんですよ。
「え、懲戒場ってなにそれ、叱って押入れに閉じ込めちゃう感じでどっか入れる施設とかあんの、でもそんなの聞いたことない」と思って検索したら、いまは民法の定めるところの「懲戒場」にあたるものは存在していないらしいです。昔はいちおうは存在していたらしいです。
でも、なんか、親が子供を虐待する事件とか見てたら、懲戒場とかそういうのがあってもいいのかも、とか思ったりしました。
なまじ親が子供を懲戒する、っていうか、つまり叱ってげんこつ食らわせたり食事抜きにしたり外に締め出したりとか、そういうことをやっていいっていう慣習みたいなものがありますけど、それと虐待の線引きってはっきりあるわけじゃないじゃないですか。
まあ常識ってものがありますけど、でもその常識が通用しない世の中ですし。
教師が子供しばいたら体罰、みたいに、学校の先生に対してはむしろやや過剰なくらいに体罰が言われたりしますけど、親のほうはそこらへんゆるいような気がします。
へんに親が子供に対して有形力の行使をなす余地を社会的慣習として残しておくから、そこを逸脱して虐待気味のことをやっちゃう親も出てくるわけで、もっとそこらへんを法的に厳しく禁止した上で、懲戒場のような公的な機関を用意する、というのもひとつの方法なんじゃないかと思ったりします。
親だから子供を叩いていい、食事を抜いていい、家から締め出していい、押入れに閉じ込めていい、罵倒していい、などというようなことは、それがはたして当然のようにして肯定されるものかは疑わしいものです。
最低限の「しつけ」の範囲内であれば懲戒権の行使として認めるとしても、その範囲が曖昧不明確ですし、その範囲を明確に定めた上で、それを越える懲戒権の逸脱的行為についてはもっと厳しく取り締まればいいんじゃないかと思います。で、自分じゃ「しつけ」がうまくできない、どうしたらいいのか分らない、って親は、任意で懲戒場に子供を預けて「しつけ」をしてもらう、と。
「懲戒場」というと、名前はいかついですけれども、要は「しつけ」の場です。
子供をしつける専門家というものを用意して、親が教えられないようなことは専門家が適切に子供に教える、という福祉的な施設を作ればいいわけです。
すべての親が適切な「しつけ」をできるものではありませんし、またそのような親の元に生まれてきた子供は親の不適切な「しつけ」のもとで育つほかありません。
公的な場として、教育において親ができないような教育を専門家が施す「小中学校」という場が設けられているのと同様に、「しつけ」においても専門家が適切な「しつけ」を施す最低限の場を用意するということは、「しつけ」ができない親にとっても、そんな親のもとに生まれた子供にとってもかえって福祉的でいいんじゃないかと思います。
電車内で痴漢にあったことは何度かあるけど、実は満員電車であったことはないです。
別に満員電車で密着されたことがないってわけじゃないです。
お尻のあたりに手の甲がぴたっとはりついてたり、目の前に立ってる人が鞄を両手で抱きかかえてるその手の甲が胸にぐいぐい押しつけられてたり、真後ろに立ってる人が勃起してるのがわかるほどぴったりくっついてたりということはあるんですが、迂闊に身体も動かせないし、不可抗力の可能性だって高いよなあ、と思ってそういうのは痴漢にはカウントしてません。
もっと、明確な意志を持って触ってきてる例だけで何度も被害にあってるんです。
それなりにすいてる電車で、わざと女性の隣に座って寝たふりをして寄りかかってきては組んだ腕の前の方で後ろの方の腕を隠しつつ指でさすったりつついたりしてくるとか、座席は満席だけど立ってる人は数人レベルというそれほど混んでいない車内でつり革を持って立っていたらわざわざ後ろにぴったりくっついて触ってくるとか。
電車の中に限りません。本屋で本を手にとって内容を確認していたらその人から見て私の反対側にある別の本を取るふりをしながらわざわざ手を伸ばして胸を触ってくるとか、路上ですれ違いざま抱きついてきたり胸をさすって逃げていくとか。
小学生からこっち、数年に1回はそういう被害にあってます。
小学生で最初に被害に合ってから怖くて私服でスカートが履けなくなりましたが、その後もずっと被害にあってます。
ちなみに胸はAカップでほとんどまな板レベルなので、「胸に挑発された」もまずないと思います。
満員電車さえなくなれば痴漢の大半が解決するんじゃないかという意見は、痴漢は性欲が制御しきれなかった系の話と同じで痴漢行為の大半を不可抗力な密着として捉えてるんじゃないかという気がして、ちょっとなんだかなと思います。
不可抗力的な密着は痴漢行為としてカウントしなくたってかまいません。というかカウントしていない女性が多いと思います。
でもそれをカウントしなくたって充分恣意的な痴漢行為が多発してるんです。それを知って欲しいなと思います。
「痴漢は犯罪です」というポスターを初めて見た時、正直びっくりしました。
「犯罪行為」というのは、する人も躊躇うことで、そんなに頻発するものじゃないと思っていたので、自分や周囲の女性がこれだけ何度も被害にあってるということは犯罪として認定されていないものなんだなと思っていたのです。
痴漢をする人は「スピード違反」と同じような感覚でしてるんじゃないかと思います。法律で一応ダメなことにはなってるけど本当はたいして悪いことじゃなくてみんな陰ではやってることでばれなきゃOK、というような。
私に痴漢行為を働いた人はにきび面の中学生からスーツを着たサラリーマン風の人、白髪の作業服姿の50代ぐらいの人までみんな違う様々な人ですが、それでもほとんどの男性はそういうことをしてなくてごく一部の男性だろうと思っています。周囲にいる人たちがみんな陰では機会があればそういうことをしているとは思いたくないです。
痴漢をしてる人が「みんながやってるわけじゃない。別に我慢してるわけでもなく、無理矢理触ることなんて望まない男性が多数」ということを知って行為を躊躇してくれればいいなと思います。
けれど、ほとんどの男性は当たり前すぎてそういうことをわざわざ口に出して言わないんですよね。
ネットで目立つのは、増田にもあった「男はみんなレイプや痴漢を我慢している」というような言説ばかり。
言ってる本人も自信がないからわざわざ口に出して反応を確認しているのではないかと思いますが。
そういう発言を見かけたら「勝手に一緒にするな。そんなこと考えてるのは一部だ」と一言反応してもらえたらなあ、と思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
どんな話題でも同じ事繰り返されたらイヤってだけでしょう。
その人の日記内でやってるならまだしも、
自分には興味のない話題を自分の日記のコメント欄でまで展開されたらウンザリする。
そういうコミュニケーションが、いわゆるmixi疲れの一種になるのかな。
俺も知人で日記書いたら、
近況報告がてらわざわざ電話してきて、
ついでにコメントちょうだいねーと言ってくる人がいるので、ウザったいったらありゃしない。
まあ一ヶ月に一度くらいしか書かない人だからいいんだけど、
彼には「がんばれがんばれ」の歌詞の意味などまったくわからないと思います。
でも確かに彼はこの曲を聞いて泣いたのです。
彼は現在、2歳7ヶ月。「おかあさんといっしょ」や「いないいないばぁ」などで流れる歌で気に入ったものはちゃんと歌詞を憶えて歌って踊ります。
会話はこっちの話していることはある程度は理解できているようですが、勿論、難しい言葉はわからないですし、彼が話す内容の半分は
何を言ってるのかまったくわかりません。そんな彼が私の歌う歌を聴いて泣いたのです。
それは昨晩のことでした。
彼を寝かしつけようと、布団に一緒に入りいつものようになんとなしに鼻歌を口ずさみました。
ちなみに「がんばれがんはれ」を知ってる方がどの程度いらっしゃるかわかりませんが、SIONという歌手が歌っている歌で、
私がこよなく愛する歌です。
私はこの歌を彼が生まれた直後から、寝かしつける時によく歌っていました。
この2年7ヶ月で多分、500回以上は歌っているでしょう。ただ昨晩以前、彼はこの歌に対して反応したことはほとんどないですし、
これだけ歌っているにも関わらず、歌詞もほとんどわかっていません。
それにも関わらずです。昨晩は歌い出した途端にポロポロと涙を流し始めたのです。そしてその後も何度となく、「もう1回、もう1回」と
同じ歌を歌うことをせがみました。しかも、歌詞の中に出てくるとはいえ、一度も教えたことのない、この歌のタイトル「「がんばれがんばれ」歌って」
ともせがんできました。
私はびっくりしました。彼が何故、急に泣き出したのかまったく理由はわかりません。
「どうしたの?」と聞いても何も答えません。
「この歌が悲しいの?」と聞くと、うんうんと頷きます。もちろん私が聞いている意味がわかって頷いているのかどうかは不明ですが…。
とにかく私の言葉にはさして反応することなく、ただただしくしくと泣きながら「もう1回、もう1回」と「がんばれがんばれ」を歌うことをせがむのです。
私は心理学者でもなければ、幼児教育の専門家でもありませんので、昨晩の彼の行動の理由はまったくわかりません。
ただ1つ言えることは、多分、彼は私の歌に感動した訳でもなければ、歌詞の意味を知って悲しくなった訳でもない。
つまりは単なる2歳児の気まぐれなのではないかと考えています。
きっと、今夜、私がもう一度同じシチュエーションで歌ったとしても彼は決して泣くことはせずに今まで通り普通に聞き流すことでしょう。
多分ね。
追記
昨日、改めて今度は起きている時に彼に「がんばれがんばれ」を歌ってみました。
二人きりで部屋の中で遊びながらなんとなしに口ずさんでみたのです。
すると彼は「歌わないで」と私を制止します。「この歌、嫌いになっちゃったのかな?」と思ったら自らが歌い出したのです。
もちろん、完璧に歌詞を憶えている訳ではないので、ごまかしごまかしですが、一生懸命歌おうとしています。
そして「びっくりさせて」と「心配かけて」の部分がごっちゃになって「びっくりかけて」と歌いながら何故か大笑いをしていました。
ただ大笑いしながら歌っていたので、やはり前日に泣いたのはたまたまだったのだなぁと思いつつ、楽しそうに歌っていた彼を抱っこすると
改めて最初から歌ってみました。
するとどうしたことでしょう?
「心配かけて」の心配のところでまたまた急にポロッと涙を流し出したのです。
そして一番を歌い終えたところでまた「もう1回、もう1回」の繰り返しです。
「淋しくなっちゃった?」私がそう聞くと彼は黙って2回程頷きました。まぁなんと聞いてもだまって頷いていただろうとは思いますが…
この歌には彼の感情を揺さぶる何かがあるのかもしれません。
しかし2歳児の感情さえ揺さぶってしまうSIONはやはりすごいなぁと、結局はそういった結論にしてとりあえずこの話を終えようと思います。
勿論、私の歌唱には何の力もないことを最後に付け加えておきます。あくまで凄いのはSIONです。
あのさー。書かれてないこと読むマンになっちゃうけど
在日に国籍がない理由は、戦後の日本国政府が「内地在住の日本帝国臣民でも、戸籍が朝鮮にある臣民は外国人ということにしよう」と決めたから。これによってその後日本で生まれた子孫も日本国籍も得ないことになった。
これって在日に日本国籍ないのは日本政府のせいだって言ってるじゃない。
もしそういう認識ならおかしくね?ってのが俺のポジションな。でその前提として在日三世四世については他の外国人の子弟と変わらないと。日本国籍とるもとらないも本人の意思。色々利害考えてとらないのもひとつの選択肢。その結果苦労するのもまた人生。一世については日本政府に責任おしつけても仕方ないかもねと。そう言ってるわけ。
で、親から(自分が気に入らない)ドラマを奪って(自分の好きな)漫画を押し付けるわけか。
お前がhttp://anond.hatelabo.jp/20090414092806で語ってることってほとんど「自分は韓国ドラマが好きではありません」ってだけのことだよ。
楽しいことをドンドン増やしていきたいと言っているがな、相手に楽しんでいるものがあるというのに
同じ時代に生きてるのに目の前にある物全てに目を背けてしまってる現状が見てて居たたまれない。
というか好奇心を失った所で人は一つの死を迎えるんだよ。
こうやって死人扱いしちゃうわけか。お前が本気で恐ろしい。
子供の頃ヤラされた事を、親が一緒に楽しむ為に教えてる物、
じゃなくて親が押しつけた物、って捉える文化で育ってたら
これ文化じゃなくて個人が「ヤラされた事」に興味を持てるかどうかの違いだし、
お前のやろうとしていることは明らかな押し付けだろ。
責任転嫁も甚だしい。
ありがちな批判をどうも。よく読んで欲しい。
別に韓流を完全に辞めて貰いたいと思ってる訳じゃなくて12時間家事もせずにぶっ通しで見続けて
体調崩して寝込むとかそういうバカを辞めて貰いたいだけで
そういう判断力の低下はどこから来ているのか持っている知識で分析したら、やっぱり老化なのかと。
まあ趣味を共有という事で昔から親からの趣味ばかり押しつけられて来た訳だけど
同じ時代に生きてるのに目の前にある物全てに目を背けてしまってる現状が見てて居たたまれない。
というか好奇心を失った所で人は一つの死を迎えるんだよ。
側にいる人が折角健康なんだし、自分はそう遠くない将来離れてしまうので、
今からでも楽しい事をドンドン増やしていきたいだけ。
ジムとか連れて行きたいし、カルチャーセンターは定員満員で申し込めなかったけど興味あるみたいだし。
若い人よりがんがん先に行こうとする「生」に対して貪欲なおっちゃんも居るんだ。
そこまで極端じゃなくていいから
自分の親に新しいカルチャーに触れてみるのも悪くないと思ってる訳で、
(元々新しい事にトライするというのが億劫なタイプでもないし)
その最初の第一歩になるのはどんな物がいいと思ってるだけ。
追記)
あれだよな
子供の頃ヤラされた事を、親が一緒に楽しむ為に教えてる物、
じゃなくて親が押しつけた物、って捉える文化で育ってたら
って発言が出ても、まあしょうがないかなと思った。
いま初めて年下の彼とデートしたりしてます。
携帯のアドレスの交換をしてお店以外でもあうようになりました。
私は普通の女の子よりおっぱいが大きめで、少しポチャリしてして
この前彼に抱きついて彼に胸を押しつけたら彼の股間で
おちんちんが勃起しててキスしたらイっちゃいそうになりました。
もう彼と会ってる時は彼の堅そうなおちんちんのことしか考えてないし
早くもっとしゃぶりたいし、おちんちんしたい、しか頭にないんです。
毎日彼のこと考えて一人エッチしてるんですが
終わってからこんな不純な動機で年下の男の子と付き合う何でダメだ、と頭が痛くなります。
二十代の女性の性欲ってこんなものだとはおもうんですけど
でもやっぱりその先に結婚とかがないと恋愛をしてはいけないとどこかで思えてしまうんです。
本ネタ
http://anond.hatelabo.jp/20090412080530
正直済まなかったと思ってる。
うん、あなたの主張することはそのまんま理解しているよ。
芸術家として生きることは宝くじを買うのと同じぐらいリスクの高い人生の選択。
それはプロスポーツや小説家とかよりも厳しいかもしれないね。エンターテイメントですらないからね、特に日本では。
俺の主張は学校の教師風情に人生のリスク管理何ぞして欲しくないってことになるのかな?
人生のリスク管理はまず親のしつけ、教育観、人生観、そっちであって欲しいね。
ちなみに俺自身は美大卒、家族持ちのインハウスデザイナーで、芸術家ではないけれど自分のやりたいことは捨てていないよ。
なので、リスクを回避しつつ如何に芸術家としての魂を捨てずに生き続けるのかを選択しているつもり。
でも、個人の生き方を論じるつもりはないよ。
人それぞれいろんなところにぶつかっていろんな選択をして生きていくわけで、
どうやって自分の矜持を保つかってのはつくづく難しいよね。