「文科省」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文科省とは

2024-03-13

anond:20240312223820

市区町村別の大学進学率って数字公表しているの?

文科省サイトでは見つけられなかった。

https://www.mext.go.jp/content/1413715_014.pdf

では

大学進学時の都道府県流入流出者数(h28)が出ていて、

東京が圧倒的に流入超過で7.5万人。次いで京都1.8万、大阪0.7万、神奈川0.5万。でもこれは大学進学率には影響ない

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/1399599.htm

資料1-3 高等教育に関する基礎データ都道府県別)数値補正後 (PDF:604KB) PDF

にある大学進学率の定義を見ると、

大学学者数 ★ :各県に所在する高校等を卒業した者で当該年度に全国いずれかの大学に進学した者の数(過年度卒業者等を含む

大学進学率 ★ :各県における 18 歳人口に占める大学学者数の割合(過年度卒業者等を含む)

となっている。

進学時に県をまたいで移動するケースは

中学高校考慮されていないが、高校大学考慮されている

2024-03-12

文科省統計のせいで地元があらぬ誤解を受けている

文部科学省統計によると、私の地元大学進学率は近隣市の1/4〜1/2程度で10%台半ば。県下でも最低水準とのことで、それをもって子育てに向かないやら教育行政問題があるやらと語る人がいる。

しかしながら、私の地元や近隣市は、人口面でも面積面でも小規模〜中規模程度だ。市境を一つや二つまたいだ程度でそこまで学力に差がつくわけがない。肌感覚的な面でも、中学同級生大学に進んだのが5人に1人未満とは思いづらい。

ということでSNS等で貼られていた画像をもとに、ソースと思われる文部科学省学校基本調査卒業後の状況調査票(高等学校 全日制・定時制市町村別状況別卒業者数」(以下「件の統計」)を確認した。数字は件の画像と一致しており、確かに私の地元大学進学率は低い数字であった。

ところが、よく見ると分母に当たる高校卒業者の数が、市内の中学3年生の人数の1/3程度しかない。年によって学年の人数に違いはあるが、丙午でもない限り1/3にまで減ることはまずないだろう。また、大体の人は高校に進学する上、中退がいても数が知れている。

そこでさら調査方法確認したところ、各学校が回答し、それを学校所在地市町村が取りまとめる方式と判明した。

ところで私の地元人口面でも面積面でも小規模で、高校は1校、名前を書けば受かると言われているようなものしかない。その高校の生徒数、進路実績を見たところ、件の統計数字が一致した。

まり、各市町村の括りで出る数字は、正確には各市町村に立地する学校数字集合体であるようだ。件の統計において、高校が立地していない市町村に全く数字記載されていないことも傍証となろう。

かくして私の地元名前を書けば受かる高校の進路状況をもって、大学進学率が低く教育水準が低いと世の人に判断される状況になっているわけだ。

なお、先述の事情から、私の地元中学生は大学進学意思がある人はもちろん、そうでない人も大体市外の高校に進学する。


小中学生であれば、私立等を除き基本的居住する市町村学校に通うため、市町村単位での集計はそれなりに参考になるかもしれない。

しかし、高校生にもなると通学範囲はぐんと広がり、通う市町村と住む市町村が一致しないことも増える。この状況下で、立地する高校数字をもって市町村数字かのように公表するのはいささか問題があるのではなかろうか。政令市中核市施行時特例市くらいの規模ならいざしらず、相互に人が行き来する中小規模の市町村においてその影響は大きい。

世間一般では学力水準は居住選択において重要ファクターのようで、住宅関係生活ガイド的なメディアでも指標として用いられているようだ。

だが、先述のとおり、こと高卒生の進路に関してはその公表の仕方に疑義がある。文科省も件の統計世間でどう使用されているか考慮の上、表現に気を遣って欲しいものだ。

それはそうと、大学進学率を気にする教育熱心であろう層が、件の統計について違和感を持たず鵜呑みにしてしまうことを考えると、何か皮肉めいたものは感じる。

2024-03-11

anond:20240311141742

根拠となる条文もしくは文科省見解、または判例を付記すると厚みが増すかと愚考しま

2024-03-09

エイプリルフールにはアメリカ文科省が決めた季語を使った俳句を詠むことが定番になっていますが、今年の季語は「東ニューオーリンズ」で、例えば次のような句がお手本になります。・春風の小径 anonymite anonymite amphibious landscape on to-be 2月 anonymite anonymite anonymite anonymite 2021年jailbreakにはめぼしい新機能がなくて、既存フロントエンド開発者さんがgoogleappleのことをバカにしていたのを思い出しま

Anond AI作成

2024-03-05

理想をもって勉強してきたが、卒業後部屋が変わると、別の糞みたいな醜悪論理で動いており、文科省詐欺されたと思った。殺してやろうと思った(東大法卒)

   

理想をもって勉強してきたが、卒業後部屋が変わると、別の糞みたいな醜悪論理で動いており、文科省詐欺されたと思った。殺してやろうと思った(東大法卒)

 

海外雑誌論文出したけど疲れた

2024-03-04

anond:20240304094136

でしょうね。まあ文科省の態度からすると期待できないだろうけど。

だいいちにして、絵柄の著作権侵害ってどういう説明をして認定できるのか…

現行の翻案認定でさえ曖昧なところがあるのに、全く違う図案の、絵柄が同じもしくは翻案しているって?

どうやって説明できるんだよ。裁判官発狂するでしょ

2024-02-19

なんだかんだでMOROHAの「革命」に辿り着いた

みんな、信じられますか?

いま僕40歳で、今年息子が小学生にあがるんですけど、30年以上前自分小学校算数で使った「算数セット」なるものを今も小学校では使ってるみたい。

しかも、こんなちっちゃいものに、全部名前を書くか、お名前シールを貼らなきゃいけない。 ※写真おはじきにはピンセットで名前シールを貼りました。名前は消しています

みんな、信じられますは大仰です。ものが小さいがために名前を書かなくてはいけません。

親業をやってきているのであれば、このほかにもこのような作業は当然たくさんあって、

それを乗り越えた上で小学校入学準備を迎えます

40歳で親業がそこそこになっているのに、それを幾度となく感じずに過ごしてきているわけではないので、

それを思い出して欲しいです。

ちなみに、このおはじき算数セットのほんの一部で、他にも小さいものがたくさん入ってて、その全てに一個一個名前を記す必要が。

先ほどと同様に親業として行なってきた、

同種の名前書き作業についてのこなしかたの選択を思い出せば良いかと思います

作業として効率を重視されるのであれば、

https://x.com/xusa2023/status/1758005370973454495?s=20

この方が指摘されている通り、外注ができます

そのほか多くの方がこの問題との自分なりの折り合いについて付けられていて、

それを親業を日々こなされているのであれば、

ネットや日々の親業でつながるネットワークの中でお話を聞いてると思います

思い出して欲しいです。

マジで無駄

名前なんて書かなくてよくね?

公教育であれば、名前を書くことは大切なことです。

自分の所有物を認識し、

紛失した際に円滑に自分のものだと主張できることが

どれほど助かることか。

親業をやっていく上で、また自身生活していく上で

名前を書くことで自身のものが戻ってきた経験を思い出しましょう。

そんな、なくす?

そんな、落とす?

そんな、無くすし、落とします。

子育て自分の育て(もしくはそだてなおし)」だと

親業をされているうちに目にしたことはありませんか。

それを思い出しましょう。

仮に、1つや2つ落としたり無くしたとて、そんな困る?

授業に支障でる?

公教育だと過程しますが、

1つや2つ落としてたり、無くしたりしたとて、

困ることを認識できない児童もいれば、

困ることを認識できる児童もいます

困ることを認識できる児童がいた場合

その児童に支障が出るし、授業全体で支障が出ます

ただし、ここでいう支障を支障と呼称することは

少し待って欲しいものです。

というのも、この落としたり無くしたりという事象

集団内で起こり、集団の中で課題となった場合は、

その集団に適した課題解決へのアプローチを考えたり、

実行したり、修正したりが学校としての営みであり、

そこにこそ授業や公教育として価値を置くところです。

そういって学校現場ないし学校という世界観は形作られています

2017年の出生数は94万人ちょい、2018年の出生数は91万人ちょい。なので、今年日本小学校に上がる子、つまり2017年度生まれの子はおそらく91〜4万人の間。

その保護者日本中で日々の暮らしだけでも忙しい中、貴重な時間を削り出して、夜な夜なシール貼ったり名前書いてると思うとマジで無駄。愚の骨頂。日本人の生産性が低いって言われてるのそゆとこじゃないの?って思う。

データは嘘をつかないが、詐欺師データを使い嘘をつく」という言葉があるように、

発言データを持ち出すときは、その奥にある何が言いたいのかという意図

目を向けなければならないように思います

日々の暮らしの中の一つに小学校入学準備があります

効率を重視したいというのであれば、

今までのその日々の暮らしの中で悩んできた中で

探し当てた自分にとって最適な方法があろうかと思います

キタムラ外注でもいいですし、

自身のお子様とともに、入学準備を行うということは

「小一プロブレム」の回避につながることは

親業の中での情報収集の中で見つかるかと思います

それを思い出して欲しいです。

もちろん、同じように考えている人もいるのか、自治体によっては算数セットが学校にあらかじめ置いてあって、貸し出してくれるところもある。ただ、僕が居住している自治体では買わされた。

30年前も同じような状況があったように思います

どういった事情が背景があり、貸し出すのか否かは個別具体になります

が、

つの事情として、

その地域貧困率とそれに対する向き合いかたが昔ながらの事情というのであればあります

現場サイドとして、どう解決していくのかということ中で生み出されたこともあります

居住している自治体では買わされた」という記述があるので、

発言者はお住まい自治体のすべての小学校で買わされることを確認された上での発言のようです。

ここにも、親業として今まで培ってきた情報が生かされていません。

児童の教材についての選定は各学校実態に応じて、校長裁量で行われます

校長が変わり校長が貸し出しが必要である判断し、校長判断を起こせば、貸し出しにできるのです。

親業で培った情報を生かしましょう。

本当に発言者がした方が良かったことは、

住まい自治体すべての小学校算数セットは購入となっていることを確認することだったのか、

それとも、校長の現状の判断を変えるように働きかけることだったのか。

発言者が自身で述べておられる通り、

「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」

誰に対してどんな知恵をあなたは出し、隣の親や目の前の担任やその他の先生に知恵を出してもらうのを促すのか、

サンデーモーニング」ではなく、当事者性の高いことなのだから、頑張っていきましょう。

あんま使った記憶も残っていないこの算数セット。日本中で毎年何十万セット買わされている人がいるのか、正確な数字は分からないけど、使われなくなった算数セットはきっと毎年数十万セット捨てられてるんだよね?

データは嘘をつかないが、詐欺師データを使い嘘をつく」を繰り返しが行われているように印象付けられます

意図的に自身が有利になるようにデータ提示をするのはあまり褒められたことではないと思います

それってかなりのプラゴミの量だし、もう日本中の小学校必要な数だけ置いといて、レンタルにして欲しいって思うのは自分だけ?

大雑把にプラゴミの量を減らせばいいという発言を無批判に垂れ流すには注意が必要発言です。

レンタルにして欲しい、どなたからか借りたいという要望はあり、その具体的な解決の方途については返信で行くつも示されている通りです。

仮に、この算数セットにかかった3,000円くらいを全世帯能登半島地震被災地寄付したら数十億円っすよ。

算数セット作ってる会社に誰か天下ってるのか?

うそろそろやめません、算数セット毎年買わせるの?

被災地寄付する関連性が見出せません。

「削り出す」等の発言から効率を考えになる方ならば、

自身コスパタイパが高いと思われるもの各自判断で使えばよろしいかと思います

すごい通知くるなぁと思ってミュートしてたら、ちょびっとバズってましたww

ちなみにポスト後、算数セットの名前シール貼りは無事に終了。カードを綴るほっそいリングにも極細マッキー手書き済み。

お疲れ様です。

親業として貴重な経験でこのような苦労を親にもかけていて、

その上で自分が今我が子に手間暇をかけてやれると思えて幸せ時間だったと思います

多すぎて全部は見れてないものの、リプやら引用などをざっと見た感じ、結局算数セットを毎年各家庭に買わせて、名前を書かせることに関して納得できる合理的理由を述べているものは一つもなかったです。

何を持ってご自身が「納得できる合理的理由」と判断されたかを示されていないのでその部分については、なんとも言えませんが、

「納得できる」というところをわざわざ付けておられるところから、首肯しそうになってしまったリプや引用があったのでしょう。

親業って本当にそんなことばかりですよね。そして、通り過ぎると確かにその通りかもなあということ本当に多いです。

親業をやって数年経ち、就学前を終えようとしているステージならば、実感がこもって首肯できることのように思うのですが、

親業における子どもとの関わりって「納得いかない非合理なこと」しかないですよね。

子どもは非合理でしかないですよね。その非合理の最中の中でどうにかこうにか合理的だったり最適化されたりしたもの

出会えたら、それが救いになりますよね。

日々そんな物心ともに周りとの関わりでどうにかこうにか生かされていることを実感する日々です。

まず、「算数セットをなくすに反対」については、僕は算数セット自体をなくせとは一言も言ってなくて、むしろ肯定派。算数セットが担っていたことをタブレットにしちゃうのも反対。手を使うのって大事から。なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした。学校に人数分プラス余分に算数セットを揃えておいて、貸し出すのがいいと思っています

文脈としては、「算数セットをなくす」という思いを持ちながら書いていると読めます

「手を使うのって大事だ」は返信等を読んだ上で、先ほど書いた通り、うっかり首肯してしまいそうになったものの中から取り入れ、

意見修正したような印象を多くの人が持つと思います

「なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした」

書き始めを大仰に書くのでなく、修正でないのならば、上記の主張をはじめに明示してから始めると

先に述べた印象は薄らいだと思われます

学校先生が忙しすぎて、今のあり方を変える余裕がない」については、そもそも算数セットを採用することを誰主導で(文科省なのか、自治体なのか、校長なのか、現場先生なのか)決定してるのかよく知らないですが、文科省主導で貸し出し統一すればいいと思っています。僕は教師じゃないので現場のことはよく知らないし、「知らないお前が偉そうなこと言うな」というのもごもっともですが、教師ではない以上現場レベル問題解決策までは提案しようがないです。そこまで提案しないと問題提起しちゃだめってなると、たぶん世の中何も好転しない。それは「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」かなと思っています

ここがいただけない部分の根幹にあり、「サンデーモーニング」です。

算数セットを採用するのは、誰主導の選択から言えば、現場先生意見を吸い上げた校長です。

親業の中で情報収集してきた中でそれはご存じであるかと思います

無知を装うのは、卑怯だと思われかねないので宜しいことではないと思います

文部科学省からの貸し出しの通知文を出すように要請をしているように見受けられますが、

通知文については効力がどの程度あるのかは不確かなところがあります

住まい自治体状態を具に調べるほど、親業としての手腕をお持ちのようなので、

当該校への働きかけや自治体議員さんへの働きかけをした方が

自身の効力を感じやすいと思います

地方議員さんは熱心にしている方も多いです。

「なくすし、おとすし、盗まれから名前書きが必要」に関しては、だからこそ学校から貸し出すほがメリットは大きい。貸し出しなら各家庭で膨大な量の名前を書く必要もないし、先生たちの名前のない落とし物の持ち主探しの時間節約できる。盗むに関しても対学校になるので、生徒間・保護者間のいざこざもない。

親業をやられている数年というところなので、

今までご自身経験の中から自分の落とし物があったら、名乗り出ることができる」ことや

「友人が落とし物をしたら、一緒に探してあげる」ことなどいわゆる非認知スキルの大切さについては、

実感しきりなところかと思います。それを思い出して欲しいです。

親業をやられていればこれも感じることかと思いますが、

自身の子どもが「盗まれる」だけでなく「盗む」側になるかもしれないということ。

また、その「盗む」ということをする場合に、早期にその行動について変容を促さなければならないことに

常にある意味怯えながら生活をしていると思います

そして、「生徒間のいざこざ」が発生し、それを未然防止するために集団の一員としてどうするのか、

どのように全体最適集団の一員として寄与するのか学ぶこと。これこそが、公教育公教育たる意味です。

ゼロトレランスが敗北していった過程についても、

親業をしていく中で育児方針等を立てる上で、目にしたかと思います

それらを思い出しましょう。

保護者間のいざこざ」という部分については、まさに「子育ては、自分育て」なのだと思います

蛇足ですが、小学生のことは「生徒」とは呼称しません。「児童」です。

「消毒云々、数年で足りなくなる云々」の運用上の問題は確かにあるとは思うけど、そもそもみんなで共有してる学校備品なんて他にもあるわけだし、どんな方法選択するにしろ問題ゼロはありえないので、そこは運用しながら問題解決していくしかない。

学校備品ではなく、消耗品になります。そこは民間理解は変わりません。

多くの学校では、予算が厳しくなっていることはありますが、消耗品になるので、必要性を論理的に主張することができ、

且つ校長事務官モチベーションが高ければ通りやすい部類になるかなあというのが実感としてあります

もう一つは、良くも悪くも地域からの熱い要望があれば、通りやすいです。

あと珍リプ的なとこで言うと「名前書き不要=お前は子供が嫌いな人間」にまで飛躍したものもあった。そもそもスタート名前書きに膨大な時間を奪われて、子どもとの時間が奪われていることに起因する主張だったんだよなぁ...って感じ。

語勢からそう読み取るのは容易でありました。子供との時間の中で名前かきをしている方も大勢いるのが返信からもわかったのではないかと思います

親業をやっているのであれば、知り得る情報についても意図的になのか隠されているところもそう読み取らせることを容易にさせることに寄与しました。

もし、意図的に隠したのでなく、情報を得ていなかったのであれば

子ども好き嫌いかはわからないが、パートナーとともに一緒の目線に立って育児をしていない人なのだろうな、パートナー大変そうだな」

ということは言えるかと思います。どちらにしても、ざんねんな感じです。

私も残念なところばかりで、「余計なお世話だよ」と言いたくなることも他人から言われます。一緒に頑張っていきましょう。

子どもの持ち物に名前を書く余裕もないのか」については、ひとり親世帯数の推移はひとまず確認した方がいいと思う。その主張はひとり親世帯ではない人のものだったけど、僕の姉はシングルマザーで働きながら二人の子育てをしてて、本当に大変そうな姿を見てるから「そんな余裕あるわけねーだろ」と声を大にして言いたい。

姉が睡眠時間を削ってこんな膨大な量の名前書きをやっていたかと思うと...言葉にならない。てか、それが根底にあったから怒り爆発したってのはある。

自営業であれば、ここに商機があるのではないかと思います

当事者としてそこに切実なニーズがあることを感じているところのようですので。

頑張って欲しいです。

ただ、結構たくさんの人から学校から貸し出しでした」という声をお寄せ頂いたので、それは素晴らしいと思いました!ちょっとずつ変わってることを感じました。

学校教育に関する認識の誤解あるある十人十色経験は違うのに、自分経験絶対だと思うのはよしてほしいです。

30年前から貸し出しのところは貸し出しだし、そうじゃないところはそうじゃないです。それだけです。

算数セットを各家庭に買わせるか否か決定する立場にある人に、この一連のポストが届き、来年以降に小学校入学を控える子を持つパパさんママさんの負担が減り、家族時間が増えると嬉しいです

自戒を込めて、

「半径0mの世界を変える」には

自分と身近な自他との関係を変えていくしかないんだぜ。

ぼんやりとした主語デカ抽象的な話で「サンデーモーニング」をかますのではなく。

https://youtu.be/3KveaY7elkU?si=BpTZDmmeSZnItFkK

2024-02-18

anond:20240218112400

投げやりな教師文科省のしたで「コロナからリモートやります」「教師はITによわいのでやっぱりできません」の板挟みになってなにもしないまま不安になって一年おわることがつづいてるよ

教育ってなんなんだろうね

とりあえず昭和みたいに人と人が繋がれる場所ではないよ教育現場って

家にいてゲームやってるほうが友達づくりとしてはマシ

anond:20240218154547

こんなのが特別賞のインフラメンテナンス大賞てなんだよ、、、

と思ったら

第6回インフラメンテナンス大賞「文部科学省特別賞」の受賞について

国土交通省総務省文部科学省などが共催する「第6回インフラメンテナンス大賞」において、当社および明石市の「市有施設包括管理業務委託」が特別賞を受賞し、表彰状をいただきました。

文科省特別賞ね、そりゃ先生奴隷に毛が生えた程度しか思ってないわな

anond:20240218001744

それ、学生側のせいではないです。文科省のほうでなんとかすべき案件でしょ。

全く世の中のやくに立たない大学廃校にすべきなんだよ。立教大、法政大、学習院大、駒沢大、明治学院大は一刻も早く廃校にすべきでしょ。無駄から

2024-02-08

統一教会関係のあった議員文科省大臣という異常性

北朝鮮拉致問題対応する責任者北朝鮮と仲いい」とかそういうレベルの話だよこれ。

統一教会被害者は完全にキレていいレベル

2024-02-05

anond:20240205220428

文科省日本食品標準成分表での分類は穀類。種実類ではない。

食品医薬品ではないので食べたら健康になるといった効果はない。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2024-01-24

anond:20240124132552

朝食を食べなくてはいけない科学的根拠についてちょっと調べてた。厚労省文科省農水省に朝食に関する記述があった。大雑把に言うと

とのこと。また、子ども場合は朝食を食べている子のほうが成績が良いらしい(交絡因子めっちゃありそうな気がするが…)。

ちなみに朝食を食べていない自分は痩せてるし、生活習慣病兆候も一切ない。中性脂肪は正常値下限に近い。

朝食を食べない人は絶食時間が伸びることで太りやすくなるだとか、昼と夜にドカ食いしてしまうとか、夜に食いすぎることで朝食欲がなくなるってことを前提にしてるんじゃないかな。

自分は昼も夜も腹八分。朝食べると明確に体調不良になる。

なので、科学的根拠を踏まえたうえでも朝起きたときによっぽどお腹が空いてる日(そんな日はないが)以外は食べない。

2024-01-08

anond:20240107121447

小中学生の8.8%に発達障害可能性 文科省調査

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/

Twitterで「昔は教師がぶん殴ってたけど今はできなくなって荒れてるんだ」って報告してる人がいたけど、なんだかなーと思ったね

2024-01-07

山本太郎を叩いてるバカ

石川県が来るなって言ってるのに行った!←現地で被災者のために実際に汗をかいて働いているNPO要請を受けて能登入り。つまり必要だし急を要する。6党合意(笑)れいはいないので

被災地カレー食べた!←本人の文章読めばわかるが、被災者が誰かに喜んでもらうことや被災者を世話される立場にばかりさせるべきではないという考えがあってのこと

教会知能(統一教会自民党脳死で支持してる境界知能のバカ)のネトウヨには理屈通用しないんだろうけどさ、山本文章をせめて読めよっていう(笑)

たかが一杯のカレーヒスってる境界知能どもって羽田飛行機いっぱいの支援物資燃えたことについてどう思ってんの?

つーか石川県庁って馳浩だろ?IOC委員20万のアルバムしました~w←事実誤認です文科省から言われたので撤回します。←やっぱり文科省から何も言われてないです撤回します。の馳だろ?

こいつの言うこといつ撤回するかわからんやんwwwwつーかボランティアくんな!とか言ってて今人手が足りません!とかギャグなん?6日になって緊急事態宣言wwwボランティアも今から募集しまーすwww

実際に今日長文のレポート山本太郎が出していたが、これだけでカレー一杯分以上の価値はあったよね。ほんま山本太郎は仕事してるわ。「野党は対案を出せ!提案しろ!」←してるよね?

なんか苦し紛れに「こんなこと現地に行かなくても書けるだろ」とか言ってる奴らもいたけど、実際に現場を見たという説得力が違うよね。境界知能は東スポこたつ記事でも読んでろよ


ていうかさ、避難所で一人亡くなったよね?今情報が錯そうと言うか、言うことコロコロ馳浩のおひざ元での公式発表がどうなるのか知らんが、低体温症で死亡。避難所ウイルスも広がってるってさ。どうすんの?ビニールハウス避難してる老人共もいたけど、今日石川県雪降るよね?どうすんの?

まあ、極論石川県って自民王国じゃん。自分たちが選んだ自民党新年会どんちゃんしてる中で投票した本人たちがビニールハウスの中で凍死しようがどうしようが自業自得だよね。彼らは今わの際にこれも自己責任だったって思うんだろうね、きっと

実際に元プロレスラー馳浩選んだのも石川県民だしね(笑)

で、れいアンチ教会知能はこの俺の偽悪的な書き方を見て「れいわ支持者はモラルが終わってる!こんなやつらが支持しているれいわなんかありえない!」とか言い出す(笑)

お前ら境界知能に「感情を極力排して政策を見て投票先を決める」なんて芸当最初から求めてないからwww

「むきー!れいわ支持者が不謹慎なこと言った!論破された!くやしいかれいわには絶対に入れないもん!」←期待してないからw

つーか支持者のモラルとかで投票先決めるんならまさしく統一教会自民党支持してんだからその点でも自民党が一番あり得ねえだろwww

ちなみに国会議員として一番モラル終わってんのが自民党なwどんだけ逮捕者出しとるんwww今日も一人逮捕されたwwww

教会知能さん 「自民党議員政治資金規正法違反逮捕!」←しーん・・・ 「山本太郎が一台の車で渋滞寄与カレー一杯を被災地からゲット!」←ギャーギャー

お前らの親ってクズだよね。遺伝子から腐ってるからそうなってるんだろうな

論理的思考ってのができないんだろうな



追記

特に具体的な反論、なし!w

ブコメ福島ガ―とか言ってる奴いたけど、福島にはれいわの市議会議員がいますけどね。きっと福島に住んでるわけでもないお前らが福島のことを山本太郎の叩き棒にするのいい加減辞めたら?当の福島県在住の人々は普通に山本太郎のれいわ選んでるけど?

あとレポートに中身がないってのはそもそも反論にはならない。それってお前の感想ですよねなんで具体的反論とは思わなかったんだが一応補足するけど

レポートの中身を言い出す奴ってのは「中身がないレポート」と「車一台の渋滞寄与カレー一杯」を天秤にかけてるわけだけど、よしんばレポートの中身がゼロだったとして、山本太郎は被災地での手伝いや情報発信はできているので、それだけで車一台の渋滞寄与カレー一杯分の価値はある

そろそろ車一台・カレー一杯とかいうあまりにも些末なもので大騒ぎしてきた愚に気付いてきた?天秤にかけるにはあまりにも軽すぎるよね?教会知能にはそこら辺の計算は難しいか

そこからレポート提案価値でどれだけこの能登訪問の意義を上乗せできるかっていう話なので、そこは各々評価の違いはあるだろうね。提案価値については教会知能たちはテコでも認めないだろうがそれはそれでいいとして、

山本太郎を叩きたいがためにレポートの中身がないとか言っても、そもそも訪問すべきだったのかの議論フェーズは終わってるから。車一台・カレー一杯で叩くのは最初から無理があるから

ま、反応はあっても具体的反論はないって言うのが、アンチれい教会知能たちの震え声だったんだろうなあw

悔しいね

追記

ちなみに境界知能って言葉堀江貴文あたりが言い出して、こないだ池田信夫が「れいわ支持者は境界知能」と言っていたんですね

それを流用したもの教会知能ってわけ

https://anond.hatelabo.jp/20240107061612

なので俺のモラルでんでん言うならこいつらにも同じ態度取れよw

あっこのでんでん解説必要?アホの安倍の言い間違いが元ネタだけど

2023-12-16

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の五>


(前part)

https://anond.hatelabo.jp/20231216182406

6.社会教育課の放逐

このトピック最後である。そんな不愉快出来事が、私が指導課長として勤めていた三年間ずっと続いた。多い時だと、週に二度も三度も、人間としてあまりレベルが低い言動を間近で見ることになった。これなら中学生の方がまだマシだと思えるほどの。

三年目のことだった。腹に据えかねた私は、教育長教育局長も交えての会議の折に、別件として提案したのだ。「社会教育課を本庁部局移管できませんか?」と。2人とも賛成のようだった。だが、案の方は当然ながら私の方で考え、提示する必要があった。

次の人事異動を見据えると、部局レベルの人事案は秋までに固まる。それまでになんとかする必要があった。時間の合間を縫って、休日にも出勤して、社会教育課を教委事務局から出すための方策を考えた。

本来、こんなことをしている時間はない。本当にやらないといけない教育行政上課題はいくつもあった。学校の統廃合案を考える必要があったし、文科省に上申すべき学校教育の新制度のこともあった。

そんな中、校内暴力という至急の案件が生じた。特に時間を食わされた。

あれは秋頃だった。全校集会の際、体育館の中で男子生徒同士が喧嘩になった。片方はいわゆる不良タイプで、もう片方は学級委員を務めるなど真面目な子だった。

後者の子が、整列の仕方や身だしなみについて注意をしたところ、不良タイプの方が激高してしまい、取っ組み合いとなった。そして、顔を蹴って下顎を骨折させたという。その場で教師が止めに入り、ケガをした子は病院に運ばれ、不良の方は別室に隔離して事情聴取をしたという。

ただ、そのケガをした子の父親が、「どうして警察を呼ばなかったのか?」と教委事務局の窓口に苦情を申し立てた。窓口で話を聞いた一職員対応できるはずもなく、私を含めた指導課の数人で親御さんから話を聞くことになった。

相手方の主張は以下のようなものだった。

・うちの子被害を受けた。絶対に再発させないでほしい

・校内暴力について、学校として警察通報する基準を教えていただきたい

・再発防止策を教えてほしい

・納得できなければ警察被害届を出す

親後さんの主張は尤もだった。私はこの手の問題対処したことがある。この案件においても、誠意によって説明した。私個人手帳メモが残っている。

「この度はこのようなことになって申し訳ない。お子さんには全力でフォローします」

「どうして警察を呼ばなかったの? 傷害事件なのに」

教育活動の一環だからです。なぜ暴力という罪を犯してしまったのか、保護司スクールカウンセラーなども交えて加害生徒と話し合い、正しい方向に導くことが第一です」

「でも、犯罪ですよね。公務員には通報する義務があるんじゃ?」

警察というのは、犯罪捜査するための組織です。学校内でのことは、犯罪以前の段階であると考えます。まずは学校が、教育者という立場解決に当たるのが本来の姿です。T区の警察の方とも、過去にそのような認識を共有しています

「じゃあ、私が校内暴力を見たら警察を呼んでいいの」

「呼んでいただいてもかまいません。ただ、家庭裁判所への送致必要な、いわゆる少年審判によらねば収まらない案件でない限りは、警察教育現場に介入しません。私たち解決を委ねます経験上はそうです。当方しましても、警察への通報というのは、学校教育理念に基づいた人間教育を怠ることだと考えます暴力という結果だけで法律適用し、犯罪事件として生徒が裁かれることがあってはなりません。2人とも、当校の生徒なんです」

「今後うちの子は、加害者はどうなる?」

絶対に、以後このようなことがないよう、加害児童への指導を徹底します。お約束します。お子さんには誠心誠意、教育専門職による面談フォローします」

絶対に、再発だけはさせないでよ」

お約束します」

※ここで親御さんが退席

要約こそしたものの、この話し合いは午後八時~十時に及んだ。

お約束します」と言ったが、むろん約束などできない。だが、ああ言わねばならなかった。教育者としての、教師としての『矜持』の問題である

上の話し合いだけではなく、それに付随する学校への聞き取りや報告用の記録作成など、業務は多岐に及んでいた。事件から三週間が経つ頃には時間外勤務から解放された。あのような月日は久々だった。トラブル対応に心は踊って燃え上がるが、残念ながらこの齢になると身体がついていかない……。

しかし得られた成果もあった。社会教育課を放逐することについての気づきを得られた。事件である事件性があれば本庁人事部局も動く。それこそ、新聞沙汰やニュース報道されるほどのリスクがあると人事部局が認識すれば、事は進むに違いないと感じた。一般的に、社会教育というのは教育委員会にあるべき事務分掌である。覆そうと思えば大きな何かが必要になる。

それから時間は経ったが、二方向からアプローチを採ることで教委内の意思形成が図られた。一応は、社会教育課にも本庁移管について話を通した。本庁の人事部局にこのような提案をしようとしていることを社会教育課長協議したところ、「それで問題ない。私も基本的には賛成である。ほかの課を観察していても、ウチの課は異常である。残念なことだが……今の構造では、なにをしようが変わらない」という答えがあった。個人的な範囲であれば、協力もしてもらえるという。

アプローチ1】

これまでの社会教育課の問題行動およそ30点ほどを報告にまとめる。趣旨は「教委事務局というのは、良くも悪くも縛りや監視が少ない。社会教育課を管理統制の取れた本庁に移すことで問題の芽を摘むべき」

アプローチ2】

全国の自治体の例を調べたところ、社会教育に関する業務首長部局移管している例が見られた。学校教育以外の教育活動については、市長の指揮の元、自治体が一体として取り組むべき~という観点から全国的トレンドになりつつあるようだった。社会教育課長から応援もあり、こちらの方向をメインに据えた。

残念ながら、私が教委から異動して学校現場に戻る方が早かった。それから一年後、社会教育課は今時風の部署名になって市長部局移管された。

望みが叶った。教委事務局にとっても、本庁にとってもこの方がよかったに違いない。それから何度か、本庁に寄って元社会教育課を眺めたことがある。心なしか、以前に比べると雰囲気が違った。いい意味でピリッとしていた。

周囲の監視の目があると違うということか。教委事務局庁舎には、あまり多くの人が来ることはなかった。職員が伸び伸びとすることができるが、反面やりたい放題ということでもある。



相当の文量になった。これを書くのに丸一日かけている。始めは、この記事を書こうか否か迷っていた。当方は、40代の頃からはてなブログサービスを利用しているけれども、このような内容は個人ブログで書けるものではない。書くとしたら、このはてな匿名ダイアリーしかなかった。

気分を害された人もおられただろう。申し訳ない。その場合は、容赦なくコメントにて叱責をお願いする所存である。ここまでお読みいただき感謝する。

2023-12-05

anond:20231205193039

全然関係ないんだけど、私の周りにいるあなたと同じような生い立ちの人の日本語文章、例えば名門大学に入るような人でも、あなたみたいに身が入った感じの言葉選びでは全然なくて

どこか不自然で殻というか外行きのような言葉の人が多いのに、20代前半でそこまで使いこなせる様になっているのは、そこに至るまでには自己肯定感を養うプロセスは大きく役に立っているんじゃないの?

後、大学から日本なのかなと思うんだけど、あなた自身は多分相当上層の社会に今いるんじゃないかな。

```

日本の詰め込み個性ガン無視教育批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。

```

最低限の教育ってどういうもの?確かに水泳生活に関わることを必ず教えるとかはあるかもしれないけれど、

学校教育教師の過重労働環境機能不全になりつつあるし、現場品質ものすごくムラがあるから環境ガチャは酷いし、

文科省はそれでも教育側への予算を減らすし、教育に関する公的サービス提供する会社競争評価もほぼ行われないで採用されている。

都心中間層以上の学校や、比較的穏やかな地方都市に行けばそれでもまだ教育品質が保たれているかも知れないけれど、

特に都心の中の下層の学校に入ったら不安不都合にずっと追い回される。

そこから這い上がっても決して褒められないし、友人知人に誇りになんて思ってもらえない。あるのは妬みと嫉みと集りだけ。

学校を出て働きに出た時、若い人たち雇用率は比較的高いほうかもしれないけれど、それでも労働している量と質に対してそれより上の年代中間搾取が進んでる。

パイ一個分の労働をしても得られる報酬は三分の一ピース分とかザラ。

そんな状況がおかしいと思っても、高級なバックグラウンドがある人でもない限り声を上げない。上げたって届かない。誰も寄り添わない。影から笑いものにする。

一人が声を上げたとしても、摘んで踏み潰す。都合が悪いことには蓋をする。村八分にする。完膚無きまでに一人の人間否定してやり込める。

貧困層から一生出られないような弱者社会であっても、アメリカでは集団ハイになって自己肯定感を高めるアファメーション北朝鮮みたいって笑うかもしれないけど、

助けを求めても全てに見捨てられた時や、自分にすら誇りに持てないような状況になった時や、自分一人で行きたくもない勝負に出ないといけない時に

それでも強くいられるようにするための訓練としては、よく機能していると思うけどね。多分そんな経験なんかしないで大きくなって一生上流にいる人なんだろうけどね。

弱者弱者として戦いにいかないといけない時に、弱者から弱者としてのふるまいか戦略を立てる人もいるかもしれないけど、それは一握り。

弱者は身不相応の行為をしたら叩かれるから、黙って静かにして、暗黙の檻にいないといけないという圧力がそこかしこにある。

そんな文化より、叩かれてもいいか勝負をかけないといけない時に勝負をかけられる文化の方が良いんじゃないか

勝負をかけたことに対して、自分を強く保ってさ、自分を信じて行動できるに至るまでの障壁が低い文化の方がよほど健全なんじゃないか

そして誰かが強く世界を変えたいって思った時に寄り添って肯定できる文化もいい。

あなたはきっと反対政党の支持者なのかなと思うけどAOCさんとか日本では出てこないような人だよね。


弱者であるという自分自身から目を背けさせて麻痺させる類の「自己肯定感」はさ、そりゃ悪だとは思うけど、

今の日本に広く蔓延している、行動するよりも前に諦めさせる文化より、すこしは自己肯定できる文化も十分に素敵だと思うよ。

2023-11-30

anond:20231130172103

もう忘れてる人も多いけど文科省官僚殺害予告して逮捕されてるから

ASDがどうこうってレベル人間じゃないことだけは確か

2023-11-21

anond:20231121133904

研究費は、アメリカ中国に次ぐ第3位

科研費審査をしてるのは、大学教員であって文科省ではない

論文数が少ないのは政府のせいちゃうやろ

学生教育せずに労働力として扱ってるのはお前らちゃうんか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん