はてなキーワード: 総合大学とは
申し訳ないのですが、読みにくい文章と感じました。私の読解力か、貴方の作文能力が不足しているのだと思います。
そのあたりを選抜する意図で、国語の問題は作成されているのではないでしょうか?
理系で二次試験に国語を課す大学はある程度限られると思います。そのレベルの総合大学の入試問題は、受験用の問題を作らせるのが勿体ないレベルの研究者が、かなりの時間と労力を割いて理詰めで作っています。ですから正答を導く論理がない、センス勝負の科目になるとはとても思えません。
文学的な修辞の中にも構造があるのだ、というのは教養として広く知られるべきだと思います。
自分には理解・習得できない体系を、重要でないと見る着眼点は、なかなかユニークだと思いますが、大学で何かを学ぶには向いていないように思います。
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。
元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。
勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。
一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。
将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学の工学部を卒業し、自動車系メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。
そんな自分に両親はとても優しかった。自分の選択や意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分の可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。
結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅からの公共交通機関のアクセスが最悪だったからである。
この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大はゼロ、京大が1人いるかいないか、旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さな小さなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。
1年生の夏、家族で京都に旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威のシンボルである時計台、自由を象徴する立て看板、鴨川と百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。
本気でそう思った。
そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師のOBが地方でやっている個人塾だった。英語と数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。
高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立やMARCH、関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しかし学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。
高3になると全国模試のランキングに浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタルが不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由で八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。
高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。
受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるときや不安でやる気を失いかけているときに鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。
【試験】
京大工学部はセンター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学は足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけが生まれた。
私立は早稲田と慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応の試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語の試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。
京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝えたかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。
当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学の試験は試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。
ところで、新年を迎えたころから自分の中のルールとして「前期試験不合格を連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験の対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言の自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分は根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。
合格発表の掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から一段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ちで掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。
【その後】
入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。
【さいごに】
一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章がわたしは世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。
http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html
「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対に無駄にはらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから。
恋でもいい。グラウンドの上でもいい。
そして、エンピツを握ってでもいい。
フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。
元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しかし自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。
すべての人に受験勉強というプロセスが必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式・知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い、自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。
自分が男であることに漠然とした違和感があって女に生まれればよかったのにって最近ずっと思っている
ちなみに恋愛対象は女性。女性は男性のどこに惹かれて付き合うのか全く理解できない
自分なりに考えた男であることのデメリットを列挙すると以下の通り
労働災害の犠牲者、ホームレスや危険な作業への従事者でもほとんど男性が占める
命は軽く扱われ、戦時中などいざとなったら義務として矢面に立たされる
毛深く汚くて臭くなりやすい
男性は女性よりも高学歴であるべきだという風潮が残っており、受験に対する社会的圧力が強い
妻が育休・専業主婦であろうと全面的に育児参加しないと批判されかねないような社会的風潮
このくらいかな
自分は十本の指に入る程度の総合大学で化学系の専攻をしていて、難関+STEM系統ということで周りの女子はかなり少ない
医学部と違って女子学生を隠れて排除する動機があまり見当たらないし、理工系はどこも女子を取り込もうと躍起になっているので、女子学生は多くの人に好意的に迎えられている
当然野郎だらけだから姫状態で恋愛相手にも困ってはいないようだ
女性としては一番綺麗な時期だと思うし、女の特権とも言われる化粧をして、男性には着れないような鮮やかな服に身を包んでお洒落を楽しんでいる
アスペだらけの男子と違ってコミュ力がかなり高く、人間関係の構築でうまくやっている
そんな様子を見ていると、隣の芝生は青く見えるとはわかっていても、自分の灰色な学生生活と比べて嫉妬してしまう
でも、常日頃から大学では文系もこれからは数学が大事って言われるし、必修で課せられる統計学では、線形がどうたらとか出てくる。
自分でもいろいろやってみようと思ったが、何をすれば良いのやらよくわからない。
とりあえずとある事情で有名な杉浦先生の「解析入門」を見てみたが、流石に文系が独学でどうにかできるようには思えなかった。
理工学部の大学図書室へ行っていろいろ見てみたが、なかなか理解できそうなものはない。
世界史を学びたい場合、高校の教科書と「ガチな」専門への橋渡しとして、中央公論の「世界の歴史」が良いと思っているが
それにあたるものは数学にはあったりしないのでしょうか、と……
様々な書籍の紹介などを頂いたので、参考にしていろいろやってみようと思います。
実は当初、本来は理系学部の「線形代数」とかの履修でやろうと思いましたが、
理系の授業の聴講は、制度上はできるが理系学部までの距離などを考えると時間割上厳しいという感じでした。なので自力で本を読んだりするしか無くこうなったという感じです。
あとご指摘のどおりいわゆる文系しかない大学ではなく、単に自分が文系なだけで大学全体としては総合大学です。適当な表現ですみませんでした。
(数学1A2Bは高校でも大学受験でもやり、またⅢも文系クラスでも何故か最初(楕円と複素平面)だけやらされた状態です。
まあそういうのに関係なく復習的な段階や数Ⅲの基礎は前提ということでやろうと思います……指摘を見て、確かにそもそもまずは高校数学っていうのも大事だと身にしみました。)
10年目内科医。ここを見ていると「医者を増やせば解決する、日本医師会が巨悪」「女性医師は医療崩壊の原因」云々…との意見が多いように思う。
恐らく東京医大の事件に関しても、「男女平等の時代に逆行するなんて前時代的大学なのだ」といった感想を持つのが一般的なのだろう。
しかし、この出来事は実は医療崩壊の最終段階の端緒となる出来事のようにも思われる。
他でも議論されているが、まず医師を増やすことに原則的に反対の医師は多くないように思われる。増やせるものならどんどん増やしてほしいと思っている。
しかし我が国の医師の数が増えないのは、医師会が反対しているから、医師らが声をあげないから、等々ではないように思う。
欧米と決定的に違うのは、我が国では国民皆保険制度があり、誰でもどこでも医療を受ける権利がある。ということである。
極端な話、日本最高峰の大学病院に突然風邪でかかっても、数千円のはした金を余計にはらえば見てもらうことができるのである。
保険証の力は絶大で、診療の求めを受けた医療機関は「応召義務」のため診察を原則拒否できない。
しかし国民皆保険のこの素晴らしいシステムには致命的な制約がある。
それは、国が決めた一律の料金で患者を診察する、ということである。ここに「よりよいものを提供し、より大きな対価を得る」という資本主義的価値観はない。
訓練された一流の外科医が胃がんの手術をしようが、3年目のペーペーが手術しようが、病院が手にするのは「所定の胃がんの手術料金」である。
外来で例えよう。A医師は患者の話を遮り、高圧的で、診察は3分。B医師は患者の話に共感的で、優しく、10分間丁寧に診察を行う。
しかし病院からしたら、A医師は一時間に20人分の売り上げを獲得するのに対してB医師は6人分の売り上げしか獲得できない。病院から見てより稼いでくるA医師の評価の方が高くなる。
要するに薄利多売のビジネスモデルを「お上」に強制されていて、回転率が命なのだ。即ち某ラーメン屋風に言えば、ロット乱しはギルティであり、長話する客と、それを許容する店員は退店やむなしなのだ。
以上のように、国民皆保険のシステムと病院の関係を考えると、「高圧的で話を聞かず、3分診療の医師」の需要はとても高いのだ。
B医師は人間的には素晴らしいかもしれないが、殆どの病院が赤字すれすれでやっている現状をかんがえると、「いらない子」なのである。
でもそんなA医師みたいなやつばかりな病院はどうせ患者がこなくなるかというとそうではない。
一つは、医師不足で患者余りであること、もう一つはA医師のような人物は大体特殊な技術や多分野における専門医資格保持者であったりするからだ。そのような、希少価値のある医者は一時間に20人ほどの予約がはいる。そりゃみんな、「優しいけど非専門」より「ぶっきらぼうだけどド専門」の先生に見てほしいからね。こうしてA医師はさらに人の話を聞かず、高圧的になっていくのでした。
以上のように、医療の価格は「お上」に決められているのだ。うちはすごい手術するから+10万円ね!なんてできない。当然、すごい手術をする医師に特別手当てが出る病院なんてのもない。そもそも病院は儲かってないのだから。
そうすると、医師からしたら、腕を磨く必要って何?ということになる。
普通の会社であれば、大きなプロジェクトを遂行し、地位が上がって、給与もあがり、達成感を得るのだろうが。
それがない医師はどうしたらいい?残されたのは「やりがい」のみである。患者さんに「ありがとう」と言ってもらった。助からない人を助けた。そういうことに価値を見いだすしかないのだ。
医師は医科大学に入学し、その段階から世間とは切り離された環境で培養される。総合大学においても医学部とその付属病院は、他学部とは明らかに一線を画している。「頑張って素晴らしいパフォーマンスをあげれば収入が増える」といった極めて基本的な資本主義的価値観を体験することなく研修医となり、医師となっていく。
そういった育成環境によりいわば世間知らずのまま育った医師は次第に先鋭化していく。「医師は人命に関わる特別な職業であり、滅私奉公を基本とし、過労死も厭わない。金を求めるものは、医は仁術の精神を忘れた愚か者だ」と言う奴すらいる(自分は引いてしまうが、どこの医大にでも少なからずいるものと思う。)
いわばエリート意識の塊となり、医療現場に放り込まれるのである。
一人前の医者になってもその「呪いとも言うべきエリート意識」から解放されることはない。技術を高めても、接遇を改善しても、給与に反映されることはないからだ。
しかしこの「エリート意識の塊」こそ、現代医療の根幹を支えている人たちなのだ。
医者には三種類いる。勤務医、開業医、フリーターだ。一番儲かる(時給換算で)のは開業医、次にフリーター、最後に勤務医である。しかし、勤務医は段違いに忙しく、高度な技術を要求され、責任も非常に大きい。しかもこの三種類の形態はお互い自由に行きできるのだ。
それでも勤務医が存在し続けるのは、「エリート意識の塊という呪い」のおかげであり、先鋭化した医師がいるからである。36時間連続フルパワーで働き、土日も働き、下の教育と、病院経営陣との間に挟まれ、寿命を削る(実際に勤務医の寿命は一般人口より短い)。こんなことができるのは言わば「エリート意識の塊=狂信者」だけである。
この「狂信者=勤務医」の呪いがとけて、居なくなるときが日本の医療崩壊が真に実現するときではないだろうか。
医者を増やす事のリスクとしては、①医師数の増加による、医師の社会的ステータスの低下②収入の低下があげられると思う。
①に関して、先に述べたように「狂信者」のエネルギー源は強烈なエリート意識である。数を増やすと言うことは、医師の質は下がるのは必死である(弁護士の例をかんがみても)。今まで医師になれなかった人を、医師にするのであるから。こうした変化は、家族も省みず、収入にも執着せず、すべてをなげうって医療に身を捧げる者の士気を「医師の希少価値の低下」を通じて下げてしまうかもしれない。
②に関しては、医療費はその半分が人件費であり、医師の数を増やすと言うことは、医師一人辺りの給与は下げなくてはならない。これも「医師間で相対的に少ないとはいえ、一般社会人より多い給与を減らすこと」で「狂信者」の、モチベーションを下げ、呪いを解き、開業やフリーター医師への逃散を誘発するには十分な理由になるだろう。
つまり、今の医療崩壊は医師を単純に増やすだけでは解決しない。また増やすことは万事を解決するわけでもなく新たな問題を起こす可能性もある。
これが我が国で医師を増加させることが、医療崩壊の解決にならないであろう理由である。
歪な国民皆保険制度のもと、なんとか医療業界が試行錯誤でたどり着いた妥協案が現在の医療体制なのだ。東京医大の問題もその歪みの一部でしかなく、この問題を小手先のテクニックで解決したように見せたところで、根本の病理はなにも変わらないのだろう。
高専、工業高校、商業高校、農業高校、看護や保育の短大などのほうが、常識的かつまともに余裕のある社会人になる方法を教えてて、自営の家業など手に職をつけられる気がしてて、マスコミもそれを嗅ぎつけてる感じ。
普通科高校は、青春から余裕を完全に削りとっていく。スポーツ大会に出ることさえ実質的に禁止みたいなことになってる。
総合大学も同級生とはとても呼べないようなだれも話しかけたことのないアフリカ系の外国人留学生選手を駅伝にだすくらい。等身大の未成熟な学生のことなんか誰も面倒を引き受けない。未成年飲酒など犯罪が横行してても止めない。
で、ご立派な学歴もって、公務員試験にうかって中央省庁たら、上司に忖度させられてジサつとかニュースで連日。
そもそも学歴だけ立派なひとを全員受け入れられる求人数がないのに、ワイロ事件で昭和はとっても有名だったのにみそぎしたかのようなリクルートが面接のお辞儀は45度とか座るなとか馬鹿みたいなデマながしてて。
華奢で顔がかわいいだけじゃなくて、俺の死ぬほどしょうもない話にケタケタ笑ってくれたり、眠いのを必死に我慢してたり、とにかく可愛かった。
だけど今日が最終日。俺は今年で卒業。この授業は試験が無い科目なので、今日のが終われば恐らくもう会う事も無いだろう。もっともっと彼女と話したかったし、彼女の話をもっと聞きたかった。
まあ、帰り際にLINEでも交換すれば良いだろう。世のコミュ強は普通にLINEを交換するのだろう。
だが、俺にはそれが出来なかった。俺の中の葛藤という名のハードルが何台も立ち並んで、勇気にたどり着けなかった。
断られたら恥ずかしくない?つうか交換出来てもLINEで何話すの?地元の友達とバイト先以外でLINEした事無いのに、授業が被った事以外なんの共通項も無い女の子になんてLINEすんの?それとも遊びにでも誘うの?どこ行くの?食事?共通の友人なんかおそらく居無いから(何故なら俺は大学内に友人がいないため)会うとしたらサシになるけど、サシで遊びに誘うとか下心全く隠しきれてなくない?てか俺キモくね?てか彼女がきちんと断れる性格なら良いけど、そうじゃなくて気を使わせてしまったら申し訳なくね?俺みたいなワケの分からんヒョロガリに連絡先聞かれるとか迷惑じゃね?そもそも俺と仲良くなる事に向こうに何にもメリット無くね?てか俺普通にキモくね?元カノをカスみたいな振り方した最低人間の俺が新しい恋人を探す資格無くね?てか俺いいとこなんもなくね?てか俺キモくね?
というハードルを超えられず、お疲れ様でした、としか言えないまま終わった。
別にどうせ卒業して会う事も無くなるんだから連絡先を聞く事なんかノーリスクに等しいのに。断られて恥かいてもいいじゃん。どうせ卒業するんだから。それ以外の問答についても、そんなもんはLINEを交換したあとに考えればいいのであって、このタイミングでグチグチ考える事じゃない。LINE交換しとけばとりあえず首の皮一枚繋がってその後の可能性が残るけど、何もしなかったら可能性はゼロだ。もう会う事すら出来ないだろう。
もし俺が第三者の立場でこの会話を聞いたら、「お前は馬鹿か。なんでLINE聞かなかったんだ。そんなんだからダメなんだよお前は」等と言うだろう。
しかし、俺は百回タイムリープしても、あそこでLINEを聞く事は出来ないと思う。
どうしても一歩が踏み出せない。
なんで俺は彼らのようになれないんだろう。
俺はあの最後の授業から、就職間近の今まで、車校にも行かずにずっと家で考えている。
なんで俺は俺なんだろう。
今後あんなふうに俺と話してくれる女の子は出現するのだろうか。少なくとも大学の四年間では彼女だけだった。
それなりに女子の居る文系総合大学ですらこんなのだから、自分が就職する男が八割の業界では、もうあんな子とは出会えないんじゃないかと思う。仮に現れたとしても、こんなザマじゃまず付き合えない。大げさだが、生きる希望を失くした。そんな感じがする。女の子に連絡先を聞く度胸が欲しい。
天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
目次 [非表示]
1.2 四宗兼学
1.3 止観行
1.4 所依
1.5.1.1 総本山
1.5.1.2 門跡寺院
1.5.1.3 大本山
1.5.1.4 別格本山
1.5.1.5 その他の寺院
1.5.2 天台寺門宗
1.5.3 天台真盛宗
1.6 その他天台系宗派
1.7 教育機関
1.7.1 大学
1.7.3 養成機関
4 社会運動
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師最澄(767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。
当初、中国の天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。
とはいえ、最澄自身が法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。
なお真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである。
四宗兼学[編集]
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
止観行[編集]
天台宗の修行は法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在の日本の天台宗の修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏を本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教(台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在に仏性が宿るという天台本覚思想を確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。
所依[編集]
福王寺(熊本県山都町、宮司兼豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である)
その他天台系宗派[編集]
孝道教団
叡山学院
かなり時代錯誤を感じる。ネタであって欲しい。もしかしてITリテラシー低すぎ?というか、好きなソフトウェアは何なんだよ。ノーカンプラ???
高い
"Excel" なら安い。アプリの数百円からデスクトップ版の1.5万程度。ていうか、¥14,526で売ってる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B015SMNVAK/
重い
Excelが重いとかどれだけ糞スペ。
よくバグる
それはExcelに限った話ではない。ソフトウェアである以上多少のバグはしゃーない。つかリソースが糞なせいじゃねーの?滅多に落ちないが。
検索性が悪い
ブラウザでOK。
タブ表示が面倒臭い
ショートカットご存知無い?馬鹿?ページスクロールも面倒臭そうだな。見なくていいよ。
バージョン管理システムで管理した場合Diffが見にくい
それはそのバージョン管理システムが糞なんだろ。Diffを見るだけならWinMerge+xdocdiffで普通に見やすいが。馬鹿なの?
嫌ならマクロで一括解除&復元でもしろ。マクロからでも普通に扱えるし、イミフ。罫線も死んじゃうの?
知らんがな。使い方の問題だろ。ExcelじゃなくてWordならいいのか?馬鹿?
お節介な補完がうざい
Excel方眼より良いものがあれば使わないだろ。普及度、使い勝手、トータルでExcel方眼より良いものがあればぜひ教えろ。
むしろ、今の大学でOffice使わないところあるの?マジ?普通の総合大学ならITの授業あるだろ??レポートもOffice使うだろ???
それとも持ってるけど使えない脳足りん系?F欄なのかな。
つか、Excelの話じゃないのか?
苦労することは大事だと思うけど、応用情報は大学の授業を真面目に履修してれば取れるものだし、社会人になってからでも十分だよ。
それよりもゼミに出入りしたり、色々な師となる教授や講師に出会う方が、今までと異なる世界観に出会えるので、よほど将来の為になると思う。
大学は暗記系の勉強をするところではなく、考え方を身に着けるべきところだから、資格取ってもあまり意味はない。
自分も情報系だったけれど、総合大学だったので文系の授業に出てみたり、ゼミに出てみたりして、その後の人生で非常に良い結果につながった。
生活が手一杯ならば、まずは出ていくお金を減らすことと、他の人の言うように奨学金を増やしてみて生活にゆとりを確保してみては。
俺(A)は男で、小~中辺りで1回、高校1回、大学で1回、男から好意を持たれた。
どれも、相手から好きですと告白されたわけではなく「あのときのアレはなに?」とこちらから聞いたところ「実はAが好きだった」という答えをもらう形で知った。
「あのときのアレ」とは三者三様だが、簡単に言うと「スキンシップが多い」である。
小、高は完全に自分一人だけの問題で終わったので書けることはない。以降、大学での経験と周りの反応について書く。
俺は人と距離を詰めるのが苦手なので同性異性関係なく自分から相手に触れられる距離に入ることはほぼない。距離が近いよ、という意味で「やめとくれ」とは思っていたが嫌悪感ではない。
体育会系のノリで、まったく同性愛の気質はなくともチンコ触りあったり尻を叩いたり素っ裸になってキャッキャ言ってる男は沢山いたし、女だって彼女でもないのに必要以上に距離が近い人は沢山いた。自身の以前の経験から慣れていたからでもある。
「パーソナルスペースは人それぞれ」というだけの話で、相手が好意を持ってくれていること自体は嬉しい。
同大学生で「知人の範囲に入る数百名」の内、実際に同性愛者だと分かったのは好きだと言ってくれた1名+友人Cから聞いた1名の計2名。
友人Cもペラペラ喋ったわけではなく、恋愛の話から~C「俺、男から好きだと言われたことがある」「ところで俺と同じクラブのDはゲイだと思う」というような話の流れで名前が出た。俺の方は「俺も男から好きだと言われたことある」と答えたが名前は出していない。
その後、俺を好きだと言ってくれたBが「Dもゲイだよ」と教えてくれたので世間は狭いと思った。
とはいえ、俺の大学ではLGBTについて何ら騒いでいなかった。むしろとても静かに落ち着いていた。
俺に好きだといったBには俺より仲の良い友人が沢山いる。その友人達からBがゲイだというような話はいっさい出なかった。Bが話してくれた内容からはその近しい友人たちは知っているということだったのに。
また友人Bから名の出たDもそれまでに一度、風の噂で「Dはゲイかもね」と流れてきただけ。
○○はゲイなんじゃないの、という話題になったところで「へー、そう」で終わっていたし、何より「ある人が"○○はゲイ"と言っていたところで、そんな重要な情報は本人の口から出た言葉でない限りは話半分で聞いておくべき」という基本的なことを皆理解していた。
「私も女性から告白されたことがある。意外と沢山いるもんだね」男女どちらもそれ以上に話が膨らむような話題ではなかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university 『「ゲイだ」とばらされ苦悩の末の死 学生遺族が一橋大と同級生を提訴変更する』
「突然気持ちを打ち明けられた友人も激しく動揺しただろう」
「じゃぁ、告白された彼の気持ちはどうなるのさ。友達だと思っていた人が自分を恋愛対象だとみていたと知った彼の気持ちは」
などがあるが、この人たちは実際に同性から告白されたことがあるのだろうか。
俺は動揺などしなかったし、実際に同性に告白された友人達も、誰も動揺してるようには見えなかった。
悩み相談は俺の大学の皆がそうだったように、しかるべきタイミングと人を見て話せば良い。見境なくプライベート情報をばら撒くのは相談とは言わない。
「お前は動揺しないだろうけど俺はする」?確かに「こ、告白された!どーしよう!」とは思うかもね。それは動揺じゃないし、どうしようもないしどうもしなくていいだろう。
俺が受けた告白に対する答えも「女性しか好きにならないのでごめんなさい」で終わり。しつこく付きまとわれたことはない。しいて違いを挙げるなら「前みたいに距離を詰めて来たらそのままにはせずきちんと離れよう」とその人への俺の対応が少し厳密になっただけ。
これも「ゲイは怖い」からではなく、相手に不必要に期待を持たせないため。だけどむしろ相手の方が気を使ってこちらとの距離をちゃんと取ってくるようになったので杞憂に終わっている。
どこに動揺する要素があるのかわからん。同性異性かかわらず「告白は告白」なんだから「告白に対する返事」をすれば良い。
大学生ほど大人じゃない中・高生が秘密を広めてしまうのは分からんでもない。しかしそれも「自分の中で抱えすぎて苦しんだから」というよりは「自分しか知らない秘密は話の種として使える」という下種な気持ちからの場合が多い気がする。
襲われるかも思うと怖い?実際に襲われたのでもない限りネットの情報に踊らされ過ぎである。
俺の知ることができたゲイの数は、割合からするととても少ない。大多数のゲイはひっそり静かに暮らしているということである。
また俺が対応した人はスキンシップ過剰ではあったが、スキンシップ好きな女性よりはずっと少ないくらいで身の危険を感じる程ではなかった。
そして告白についてもとても慎重である。俺が好きだと言われたのも4年生の最後の方で、こちらから切り出さなければ多分伏せたままだったと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160807005352 『「アウティング」を聞かされた側の気持ち』
上の増田のように第三者としていきなり知ることになった場合、書かれているような動揺や怒りが沸くのは当然だと思う。だからやっぱりその話題を出すべき場所とタイミングはとても重要なんだよ。
俺の周りにいた人たちは驚くほど常識人ばかりで(素っ裸で踊っていた人たちも、それが可能な時と場所を理解していたし、俺よりずっとちゃんとした社会人生活を送っている)大学生にもなればこういうもんなのかな、皆大人だなと関心することが多々あった。
こういう環境にいた俺からすると、大学院生にもなってLINEグループという拡散力大のツールで通知するなど配慮がなさ過ぎてそっちの方が怖い。守秘義務以前の問題。
総合大学と単科大では密度が違うが、オッスオッスの体育会系クラブでさえ騒ぎにはならないのだ。
『おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめんA』というLINEは「Zは身の危険を感じていた恐れがある」と取れないことはない。とはいえこの文言だけでZに肩入れするのは無理がある。
何より「推定無罪」が法の基本だよね。「俺や皆に危害を加える"かもしれない"」という理由で「親友に相談」ではなく「LINEグループに投稿」。
こんな法曹関係者に対して「ノンケに告白するゲイはマナーがない」「告白したことがすべての元凶」「もしキモイストーカーだったらどうする」なんて援護は的外れ過ぎる。
そもそも「LGBTがそばにいたら危ない」と思う人は、自分の周りにLGBTが実際に何名いるだろうか。知人の5%を下回る数、または一人も知らないというのであれば、LGBTの人はあなたに存在を知られることすらなく、何ら危害を加えることなく暮らしているのである。
追記:ああそうだな。「俺は動揺しないから動揺する人間を理解できない」ってのは言い過ぎだった。元記事のコメントで「動揺させるに決まってる。告白するやつが悪い」という論調もあったから、そう断定せんでもいいだろうと言いたかったんだが、それがまた断定になってちゃ本末転倒だな。
現実ではネットで出回っているようなマッチョで厳ついグイグイくる人は少数で、大半は見た目も中身も普通の大人しい人だから、条件反射で逃げたりせずに落ち着いて話を聞いてみる方がいいよってことを言いたかった。
ただトラックバックにある『告白の「暴力性」』てのがまだよくわからない。「動揺」を引き起こされることもこの「暴力性」に入っているのだろうか。後日別件として増田で聞いてみることにする。
もしかしてもてすぎて告白受けまくってるのかな。だとしたら断り続けてるとしんどいだろうな。と思ったらそれについて書いてくれてる人がいた
【誰かに「好き」って言われることが、ずっと苦手だった。】
母と父は10歳差の年の差婚で、父は6年前に他界した。その母の遺族年金は約15万円。厳密には、本人の厚生年金(勤務期間は結婚前10年弱)+国民年金+遺族年金の合計だが、面倒なので遺族年金と記す。国民健康保険税(以前は国民保険料だった気がする。いつから変わった?)は、年金からの天引き、個別納付、どちらなのか知らない。天引きの場合は、遺族年金の額は、天引き後の金額かもしれない。母は、一人っ子の娘に何も渡さず、父の遺産を全額相続したため、多額の貯金があり、自宅の住宅ローンも完済済み。にも関わらず、「年金だけでは足りない」という。
夫は、30代後半、理系4年制大学を卒業したフルタイム勤務の正社員。年収は320万~370万円程度、手取りは18万~23万円程度。残業代が出るため、月によって変動する。去年までの最高年収は29歳、リーマン・ショックの前。年々、残業が規制され、年収は、増えるどころか減っている。ただ、扶養家族がいると、家族手当が加算されるため、子どもが生まれ、自分が育児休業中だった去年は、年末調整時に大幅に加算され、年収は過去最高を更新した。幸運にも、4月に第一希望の保育園の1歳時クラスに入園でき、夫婦共稼ぎに戻った今年は、以前の水準に戻るだろう。
重要だから再度書く。残業ほぼゼロまたは僅少時の手取りは、フルタイム勤務にも関わらず、18万円台。残業ゼロだと、18万円を切る。結婚以来、ずっと無職で、傍目にはヒマを持て余しているように見える母との収入差はわずか3万円だ。このことを母本人に訴えると、年金にはボーナスがなく、働いていればボーナスがあるのだから、トータルでは全然違うというが、30代にとって、ボーナスは「出たらラッキー」という位置づけであり、実際にリーマン・ショック直後はゼロだった。それ以降も、大手企業の平均賞与支給額には程遠く、むしろ、住宅ローン減税の恩恵に感謝している。住宅購入以来、年末調整を行うと、夫の所得税はゼロ。住民税もかなり安い。さまざまなリスクはあるものの、現状の制度と低金利が続く限り、適正な金額を借りて、10年に一度、家を買い替えたほうが貯金を増やせる。
自分は、夫と同い年で、4年制総合大学の文系学部を卒業し、20代前半で東京都内の会社に転職した。同時に年収が大幅にアップ。最高年収は、やはり29歳の時で、業界の動向、給与体系の見直しなどの影響で、今後、何年働き続けても、その金額を超えることはないだろう。出産前の年収は370万~430万円程度。給与計算の関係で、今月支給された6月分の給与で、やっと仕事復帰後の手取り額がわかった。保育園に子どもを迎えに行くため、毎日、17時で退社した場合、手取りは、以前より少ない22万円前後。翌年以降は、住民税を支払わなければならないため、さらに1万5000円程度下がるだろう。保育料は、通常+延長保育料+教材費で約5万円。同じく翌年以降は上がると思われるが、それでも収支はプラスだ。勤務時間が減ったにも関わらず、裁量労働制のため、大幅な減給にならず、会社には感謝している。けれど、この水準でも、母の遺族年金との差は少ない。
夫婦2人で比べると、自分のほうが年収が高く、お金がらみの話をすると、夫はムッとする。今の9対1の家事負担を、せめて収入に応じて半々にして欲しいと訴えても意に介さず、子どもが生まれる前と変わらず、マイペースで過ごしている。互いに年収が多かった20代後半に貯金していたため、どちらかが専業主婦・主夫になっても、しばらくは生活できるが、毎月の収支は赤字になり、やがて貯金は底をつく。
30代前半ではなく、もう30代後半。2人とも昇給の見込みはなく、子どもが一人でごはんを作って食べられるようになるまでは、労働時間は最低限に抑えたい。個人年収400万以下の片稼ぎでは、子どもは一人が限界。共稼ぎなら、経済面ではそこまで厳しくないが、夫を含めた家族や友人、職場の同僚など、周囲の理解・協力がなければ難しい。夫の実家は遠く、実母は金にうるさい毒親、リアルな友人はゼロ、という状況で、第2子を望むことは、始めたばかりの無理ゲー「子育て」の難易度をさらに高めるだけだ。少子化に歯止めをかけるため、国の政策として、結婚するカップルを増やし、出生数を増やしたいなら、今の民間中小企業の給与水準に比べ、高額の厚生年金・遺族年金を減額し、その分、児童手当や保育・教育関連の予算を増やして欲しい。
これでも、恵まれているほうだと自覚している。だからこそ、言いたい。無職の高齢者と、毎日、懸命に働く労働者が自由にできる金額がほとんど変わらない現状は、歪んでいる。一刻も早く是正して、羨ましくてムカつくけれど、今の20代以下の人には、多くの子どもを産んで欲しい。高校卒業後の進路、勤務先・職種選びに失敗すると、お金に悩み続ける人生になる。
正式に出揃った後ははてな大学図書館界隈(kitone氏、ivory_rene氏〔氏の2015年版 http://yuik.hatenablog.com/entry/2015/04/04/131820〕ら)や「地方公務員・国立大学法人の図書館司書になる!」(http://bookserial.seesaa.net/)などを参照のこと。
実は今日の時点で北海道地区のみ未発表だったので、正式な記事化は断念しこちらに置いておくこととした。
北海道地区もおそらく例年通り北海道大学が採用予定を出し、試験自体は実施されるだろうと思われる。
旧帝大等の総合大学は少ないながらもほぼ全ての大学が各地区で採用予定を出した一方で、それ以外の機関の採用は例年以上に少なく、特に高専と研究所の採用予定は現時点でゼロのようだ。
繰り返すがこれは速報値であり、今後夏までに随時採用予定が増える可能性は高い。
とは言っても2015年度の採用数が30人以上となったことと比較すると、前年東大がまさかの8人採用だったことはともかくとして、次年度からの第3期中期計画の見通しが厳しいのもあってか、それなりに人数が絞られた感はぬぐえない。
ともかく採用を目指す人はまずは第一次試験を突破すること。つまり教養試験で最低でも40問中25・26問以上を確実に正解すること。当面はそれに尽きる。
幼いころから、絵を描くのが「得意」だった。
美術に携わる家系に育ったという経緯が一番影響したのだと思う。夏休みの宿題で出す絵は大体入賞したし、それが当たり前だと思っていた。「私は画家の子。絵がうまい子」という優越感は必ずどこかにあった。
でも、どこか親の仕事への反抗的な気持ちもあって、小中学校のころはスポーツに励んでいた。親はそれについて何も言わず、ただひたすら私を見守ってくれた。
転機は高校1年生の冬。私は、中学生の時に無理がたたって膝を壊した。スポーツはもうできない。だから、だらだら帰宅部をしていたんだけど、美術の先生がおもしろい人で、私はその人に惹かれて、誘われるままにふらふらと美術部へ入った。
私の学校は進学校だったんだけど、なぜか美術部が強かった。みんな、美術に対して真摯で、一生懸命で、今思えば私は本当に良い環境の中で美術を始めることがあった。元々の素養もあったし、あっという間にメンバーよりうまくなるのだと固く信じていた。
2年生の秋、私の優越は打ち砕かれた。初めてコンクールに出した私の絵は優秀賞ではあったけれど、全国大会にも、ブロック大会にもだしてはもらえなかった。学校の中で二人までしか上位大会に行けない、という縛りがあったからだ。
全国大会には私が心の中で密かに馬鹿にしていた、A子の堅実で真面目な絵が選ばれた。ブロック大会には、B子の彫刻が、珍しいからという理由で選ばれた。
作品の評価の際に、審査員野先生に「君の絵は、金縁にかざっても堂々として栄える作品だけれど、どこか鼻につく」と、言われたのをよく覚えている。きっと、私の心の中の優越感が、絵ににじみ出てしまっていたんだと思う。
こうして、私のデビュー戦は屈辱の中で終わった。親にその話はしなかったし、絵も見せなかった。親も、その話をとりたてて聞こうとしなかった。
その後、B子は美術塾のある地区の学校へ転校した。私は、A子と競うようにたくさんの絵を描いた。A子は努力家で、本当にどんどんうまくなっていった。その隣にいるのも誇らしかった。
本当に楽しい時期だった。自分の、才能のある分野で、才能のある友人と競い合うことに、私は心から充足を感じた。
最後のコンクールで、私は花を持つ女の人の絵を描いた。本当に渾身のできで、私は思わず父に感想を求めた。
父は「去年の絵を実は密かに見たが、あっちがよかった。今年は、審査員受けする絵を描いている感じがする。お前の絵じゃないな」とぽつりと言った。
その言葉で、私の絵は「万人受けする絵になりつつある」ことにようやく気付いた。そして、私に影響を多大に及ぼしていた画家によく似た作品であることにも、気がついた。
その作品は、もはや「私の作品」ではなく、「褒めてもらうためのそれっぽい美術」だった。承認欲を満たすためのプロセスだった。それは、私の技術の拙さからくる甘えでもあった。
そして、私の家族の人たちが命がけでやっている「美術」とは明らかに違った。
どこかにあるものでは、美術は成り立たない。自分の明確な美を表現しなければ、美術ではない。それを、一番良く知っているのは親の背中を見てきた自分だった。
私は結局、その一言でスランプに陥った。そして、美大の進学を取りやめ、逃げるように総合大学へ進学した。美術に関わらず、ギタ-を弾き、ツテを訪ねて海外をいろいろまわった。自暴自棄に近い学生生活を送った。
私の人生は派手だ。いつも楽しい。賑やかで何でもできる人だと言われる。でも、美術ほど、のめり込めるものに、出会ってははいない。
そして今、私は社会人で、やっと筆をとっている。美術の大会に出すとか、そんな大仰なものじゃなくて、会社のイメージキャラクターをデザインしたり、友達の結婚式の案内状を制作したり、塾の先生をやっている友達の教材に挿絵を描いたりしている。もちろん、対価はもらっていない。あったとしてもせいぜいお菓子類だ。
絵を描くたびに、確かにほろ苦い気持ちになる。
結局、私は求められないと絵を描かない。褒めてもらうためにしか、絵が描けない。
だけど、色を重ねるたびに喜びが溢れる。逃げずに、もっと向き合っていればよかったな、と思わずにはいられない。あの時、なにくそ、と思って、描き続ければ、また違う未来が待っていたのかもしれない。
東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。松江に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。松江の武家屋敷みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。松江駅そばのシャッター街のが人が居なくて綺麗。あとさ、みなとみらいにある横浜ランドマークタワーって建造も松江出身者が関わっているんだよね。横浜があまりに労働者がないからって、出稼ぎしてたみたい。真実は知らない。
それに、繁華街も松江のスターバックス前の方が密度があって栄えているイメージ。横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京のベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京の属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点松江は、米子や出雲に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、横浜はポプラが少ない。松江は多い。横浜に大盛りライス文化が根付いてない証拠。横浜ってガストっぽいんだよ。
過去から脈々と受け継がれるプログラミング文化がない。米子から松江にRuby本買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。Perl(笑)が横浜の限界だもん。学生向けのRuby教室とか、プログラミング書籍コーナーにおけるRuby本の比率とか松江のがダントツに多い。街ゆく人も、松江の方がRubyistが多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。まつもとゆきひろみたいな言語的分担がない。『初めてのPerl』よりも『初めてのRuby』の方が薄いしね。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点島根大学は総合大学だし、山口大学にも肩を並べる大学。山陰の政財界に多数OBを排出している。レベルが違う。
あと、島根は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。琴引山(松江市から車で1時間半)ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて松江ぐらいしかない。あと横浜は言葉が汚い。下品。なんだダベって。松江のようなだがぁ、だがぁって素朴な感じがない。田舎の港町そのまま。
まあ総合すると、