幼いころから、絵を描くのが「得意」だった。
美術に携わる家系に育ったという経緯が一番影響したのだと思う。夏休みの宿題で出す絵は大体入賞したし、それが当たり前だと思っていた。「私は画家の子。絵がうまい子」という優越感は必ずどこかにあった。
でも、どこか親の仕事への反抗的な気持ちもあって、小中学校のころはスポーツに励んでいた。親はそれについて何も言わず、ただひたすら私を見守ってくれた。
転機は高校1年生の冬。私は、中学生の時に無理がたたって膝を壊した。スポーツはもうできない。だから、だらだら帰宅部をしていたんだけど、美術の先生がおもしろい人で、私はその人に惹かれて、誘われるままにふらふらと美術部へ入った。
私の学校は進学校だったんだけど、なぜか美術部が強かった。みんな、美術に対して真摯で、一生懸命で、今思えば私は本当に良い環境の中で美術を始めることがあった。元々の素養もあったし、あっという間にメンバーよりうまくなるのだと固く信じていた。
2年生の秋、私の優越は打ち砕かれた。初めてコンクールに出した私の絵は優秀賞ではあったけれど、全国大会にも、ブロック大会にもだしてはもらえなかった。学校の中で二人までしか上位大会に行けない、という縛りがあったからだ。
全国大会には私が心の中で密かに馬鹿にしていた、A子の堅実で真面目な絵が選ばれた。ブロック大会には、B子の彫刻が、珍しいからという理由で選ばれた。
作品の評価の際に、審査員野先生に「君の絵は、金縁にかざっても堂々として栄える作品だけれど、どこか鼻につく」と、言われたのをよく覚えている。きっと、私の心の中の優越感が、絵ににじみ出てしまっていたんだと思う。
こうして、私のデビュー戦は屈辱の中で終わった。親にその話はしなかったし、絵も見せなかった。親も、その話をとりたてて聞こうとしなかった。
その後、B子は美術塾のある地区の学校へ転校した。私は、A子と競うようにたくさんの絵を描いた。A子は努力家で、本当にどんどんうまくなっていった。その隣にいるのも誇らしかった。
本当に楽しい時期だった。自分の、才能のある分野で、才能のある友人と競い合うことに、私は心から充足を感じた。
最後のコンクールで、私は花を持つ女の人の絵を描いた。本当に渾身のできで、私は思わず父に感想を求めた。
父は「去年の絵を実は密かに見たが、あっちがよかった。今年は、審査員受けする絵を描いている感じがする。お前の絵じゃないな」とぽつりと言った。
その言葉で、私の絵は「万人受けする絵になりつつある」ことにようやく気付いた。そして、私に影響を多大に及ぼしていた画家によく似た作品であることにも、気がついた。
その作品は、もはや「私の作品」ではなく、「褒めてもらうためのそれっぽい美術」だった。承認欲を満たすためのプロセスだった。それは、私の技術の拙さからくる甘えでもあった。
そして、私の家族の人たちが命がけでやっている「美術」とは明らかに違った。
どこかにあるものでは、美術は成り立たない。自分の明確な美を表現しなければ、美術ではない。それを、一番良く知っているのは親の背中を見てきた自分だった。
私は結局、その一言でスランプに陥った。そして、美大の進学を取りやめ、逃げるように総合大学へ進学した。美術に関わらず、ギタ-を弾き、ツテを訪ねて海外をいろいろまわった。自暴自棄に近い学生生活を送った。
私の人生は派手だ。いつも楽しい。賑やかで何でもできる人だと言われる。でも、美術ほど、のめり込めるものに、出会ってははいない。
そして今、私は社会人で、やっと筆をとっている。美術の大会に出すとか、そんな大仰なものじゃなくて、会社のイメージキャラクターをデザインしたり、友達の結婚式の案内状を制作したり、塾の先生をやっている友達の教材に挿絵を描いたりしている。もちろん、対価はもらっていない。あったとしてもせいぜいお菓子類だ。
絵を描くたびに、確かにほろ苦い気持ちになる。
結局、私は求められないと絵を描かない。褒めてもらうためにしか、絵が描けない。
だけど、色を重ねるたびに喜びが溢れる。逃げずに、もっと向き合っていればよかったな、と思わずにはいられない。あの時、なにくそ、と思って、描き続ければ、また違う未来が待っていたのかもしれない。
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