はてなキーワード: 無神論とは
https://x.com/egodissolution1/status/1308040222836363266
w.wiki/AjMa
北海道がイ●ラ●との共生社会を進めてとんでもないことになっているな。
これは海外ではなく、この日本で起きていることを多くの日本人は理解した方がいい。
x.com/Parsonalsecret/status/1854507023452537130
東京で礼拝のために長蛇を作るイ●ラ●教徒たちを、海外のイ●ラ●教徒たちが絶賛
x.com/roaneatan/status/1803925802293301592
x.com/qsfkbwIhuWLhnjI/status/1851049212949262807
中略
現状は断っている。
ヨーロッパでは、
妻の治療中に
結局、医師は顔が血まみれになるまで
モハメッドに殴られました…。
アフガニスタン、55歳の白髪頭の男性の妻として2,000ドルで売られた9歳のパフワナ。
家計を支えるために1,000ドルで売られる9歳のリタネと4歳のゼイトン。
x.com/amisweetheart/status/1830484709098537036
9歳のアフガニスタンの少女が自分の家族によって売られ、50歳のイ●ラ●教徒の男性との結婚を強制された。
彼女が感じている痛みと恐怖を表現する唯一の方法は叫び声を上げることだ。
これはシ●リ●ア法だ!
x.com/realMaalouf/status/1835766030507077835
年老いたイ●ラ●教徒は、結婚させるために幼い子供を買う。子供を奴隷にする。これがイ●ラ●教だ
x.com/RadioGenoa/status/1854884116979707961
イラン人男性が「名誉殺人」後に妻の首を持ち運ぶ姿を捉えた忌まわしいビデオ
nypost.com/2022/02/08/iranian-man-carries-wifes-head-after-honor-killing/
x.com/thevoicetruth1/status/1829966209191936242
コ●ラ● 4:34従わない妻は●て
キルギスは人口の75%がイ●ラ●教徒だが、日本政府は既に協力覚書を締結している。
x.com/martytaka777/status/1753372736993599956/quotes
自ら壊れゆくドイツ
Deutschland schafft sich ab: Wie wir unser Land aufs Spiel setzen
Thilo Sarrazin
www.amazon.co.jp/dp/3421044309/
x.com/ImtiazMadmood/status/1738513677492392353
イ●ラ●国、モスルでヤジディ教徒の女性19人を焼死させる 「戦闘員との性交渉を拒否した」という理由で
www.independent.co.uk/news/world/middle-east/isis-burn-19-yazidi-women-to-death-in-mosul-for-refusing-to-have-sex-with-isis-militants-a7066956.html
ロンドンでは、
tinyurl.com/7h8wtxkf
性犯罪が500%増加し、
ストーカー行為やハラスメントも6000%近く増加している事を
そして更に彼は言った。
「極右」
「排外主義者」
といった烙印を押して
「米国発」の急進左翼にノン? フランスで大論争 ピケティ氏も参戦
イ●ラ●左翼の特徴は、
発言の場を奪う。
イ●ラ●教徒の利害を守る圧力団体が欧州各地で数多く組織化されている
toyokeizai.net/articles/-/256915?page=3
寛容のパラドックス
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」
w.wiki/3eAN
コ●ラ● 9:5 あなた方はどこであれ、多神教徒を見つけ次第●しなさい
『コ●ラ●』で多神教徒の扱いについて記された最も有名な章句である9章5節には
「多神教徒は見つけ次第●せ。ただし、イ●ラ●教に改宗し義務を果たすなら許せ」という主旨のことが書かれているが、
これが原理主義と結びつくと恐ろしい結果を招くことになるのは明白だ。
「イ●ラ●教徒から見れば、異教徒である日本人は明確に敵である、ということになります」
「神の言葉を記したコ●ラ●に『あなたがたが不信仰者と出会った時はその首を●ち●れ』(第47章4節)と記されている」
tinyurl.com/fushinkousha
首都ウィーン市の場合、非ドイツ語圏出身の生徒数は全体の51%(11万8693人)と遂に過半数を超えた。
tinyurl.com/imin-shougakusei
オックスフォード大学のある研究者の予測では、2060年までにはイギリス全体でも「白人のイギリス人」は少数派になると危惧されている。
2016年にイギリスに生まれた男児のうち、最も多かった名前は「モハメッド」であった。
同胞に「各自5人子供を産めばヨーロッパの未来担える」 トルコのエルドアン大統領
www.sankei.com/article/20170402-BLUPHXZL4VKNVIG37FPSJJVWRE/?522884
寛容のパラドックス
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」
w.wiki/3eAN
『ドイツはもはや安全な国ではない。ドイツに住む人々の生命と身体に対する最大の危険は、明らかにイ●ラ●教徒によるものです。』
x.com/martytaka777/status/1829390109374079003
感極まった様子を見せた。
x.com/OliLondonTV/status/1770498999704809649
x.com/RadioGenoa/status/1830110797780914629
x.com/RadioGenoa/status/1713926250392125724
日本でさえも。信じられない。
x.com/RadioGenoa/status/1833904286654459922
これがあなたの近所でも、もうすぐ起こる
x.com/tanomuzeA/status/1833962131840270732
x.com/amisweetheart/status/1834085028743315537
宇宙を作ったのが神なら、
仏世論調査によると、15~24歳のイ●ラ●教徒のうち「宗教法は国の法より重要」と答えた人は57%
tinyurl.com/houritsu
シ●リ●ア
w.wiki/6yeB
石打ち刑
x.com/deadguyhub/status/1838168747896459506
15歳のエハム・フセイン氏はイラクのイ●ラ●国(I●I●)シ●リ●ア法廷で裁判にかけられた。
x.com/AzatAlsalim/status/1827739130161168448
2019年、アチェ州で10代の若者2人が公共の場でハグをしたとして公開鞭打ち刑を受けた。インドネシアのイ●ラ●教は世俗的?嘘をつけ!
x.com/martytaka777/status/1832554780218290466
イ●ラ●教徒の土葬墓地計画、住民から反対相次ぐ…予定地の550mに水源
tinyurl.com/dosou
tinyurl.com/yrvetymj
5年以上の長い時間を要し
tinyurl.com/2cjsu8pa
2008年9月、北部同盟が、国内の多くの地域における新たなモ●クの建設を禁止する法案を提出したことが報じられた。
ライシテ - Wikipedia
フランスにおける教会と国家の分離の原則(政教分離原則)、すなわち、(国家の)宗教的中立性・無宗教性および(個人の)信教の自由の保障を表わす。
ヘイトスピーチを理解する:ヘイトスピーチとは何か | 国連広報センター
国連がこの問題に世界規模で対処するための統一的な枠組みを提供するために、「ヘイトスピーチに関する国連戦略・行動計画」は、ヘイトスピーチを次のように定義しています。
「ある個人や集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教、民族、国籍、人種、肌の色、血統、ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的な言葉を使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション」
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が、一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (内閣府「人権擁護に関する世論調査(平成29年10月)」より)。
恐ろしい事が始まった。
tinyurl.com/5n7wewtz
3人の子どもを持つ前にゲイであることを理由に亡命を認められたナイジェリア人が22万ポンドの詐欺を首謀
現在バイセクシュアルであることを自認するサ●ー●・ア●ー●が、オンライン販売者から小包を盗む詐欺をどのように手助けしたかを裁判所が聴取。
Nigerian granted asylum for being gay before having three children masterminded £220k fraud
Court hears how S●h●e● A●e●z, who now identifies as bisexual, helped to create parcel scam stealing from online sellers
www.telegraph.co.uk/news/2023/11/15/nigerian-asylum-gay-three-children-parcel-fraud/
一人で山奥で野垂れ死ぬとかでない限り、それは決して一人では完結しないものだ
一人で山奥で野垂れ死ぬ場合でも、発見されたら大騒ぎになるのでやはり一人では完結しない
人間とは本当に面倒なもので、死を死として受け止める為に何かしら儀式を必要とする
石器時代でも儀式をしてたくらいだ、現代の人間がそこから逃れることはできないだろう
俺は無宗教だし無神論に近い思想を持っているので、焼いて埋めれば衛生的にそれでいんじゃねと思うのだが周りがそれを許さない
日本人に限らず死というものに直面した時の対応はどこの国でも宗教観がモロに出る所ではないだろうか
自分がそうやって見送られたいから儀式をするという面はあるだろうが、人は人の生に意味があると思いたいのだ
意味という概念は人が作ったものであり、この世界の存在からして意味はないのにな
自ら作り出した概念に囚われる悲しき生き物だ
私は何に祈ったんだ?
シンプルに、私は無神論者だと思い込んでいただけで実際は有神論者だったということなのだろうか
すなわち、神の存在無しに「祈る」という行為は可能なのかどうか
なるほど、確かにありえる
しかし神は信じないけれど祖先信仰はする無神論者って変な感じがする
無神論者が仏壇に向かって「おじいちゃん、あの子をどうか見守ってあげてください」と祈ることをよしとするか?
なんか変な気がするよなあ
神の存在を否定するなら霊の存在も否定しておけよって気分になる
「天に祈る、というのはどうか」
では「天」って何?という話になる
「運を天に任せる」とか「人事を尽くして天命を待つ」の「天」だよな……
やはりそれは「運命」とか「宿命」のような、何らかの超越者によって定められた物事を指しているのではないか
それは神と何が違うのか?
神と「天」が何か違っていたとしても、無神論が無いと判定するなんらかの概念なのではないか?
難しいな、もう少しパターンがある気もする
家族が入院した、と電話がかかってきて病院へ急いで向かう時とか……
腹痛の時とか……
「祈る」を言い換えると「人の手が及ばない領域の物事が私に都合がいいようになるように願う」と言ってもいいか?
だとすると、それをなんとかできるのは「人の手が及ばない領域の物事に関われる存在」だ
筋金入りの無神論者でも祈らずにはいられないというシーンでは祈ってしまうものなんだろうか
何かの漫画でそんなシーンがあった気がする
そういえば無神論者であることが有名なドーキンスは祈ることがあったのだろうか
彼の自伝を読んでみるか……
補記:日本語の「祈る」とキリスト教文化圏の「祈る」は意味が異なる可能性がある
日本語の「祈る」は「願いが叶いますように」と言うこともできる
しかしキリスト教信者がどんなことを考えているか?みたいな内容が書かれている本を読んでいると、どうも現世利益を期待せずに祈っていることもあるようだ
祈らずにはいられない、という場面はたいてい現実に起きている問題がなんとかなりますように、という願いだ
「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とも言うしな
---
「神は存在しないと思っている。無駄な行為だとわかっている。それでも祈らずにはいられない」
これはありうる
ただ、これを言ってしまった無神論者はその後も無神論者であり続けることができるのかどうか
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あと、冒頭で「神は存在しないと思っている」と書いたが正確にはキリスト教的唯一神の存在を信じることが出来ていないだけだな
---
神を信じるとはどういうことかを知りたくていろいろ本を読んでいるんだがな……
昔の人は神を信じて生きていたわけで
昔の人が何を信じて何を信じていなかったのか、を調べるのに神の話は避けて通れない
「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ
『近代日本人の死生観』という論文……国士舘大学の講演会資料?……に以下のような記述がある
一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというものの実在を想定する必要はない、死とともに個人の存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています。
へぇ~、明治のころにはもう最近の日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ
じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?
「神」の存在は否定しても「霊魂」の存在は否定しない考え方もあるようなのだ
断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。
まさしく「死んだら無」の考え方
しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう
こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教や神道、また霊魂の実在ということを否定する仏教の伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます。
じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り
なんか唯物論の西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在は否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない
そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった
キリスト教の歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない
もともと私は幕末~明治の日本人の宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった
2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ
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Wikipediaの「無神論の歴史」のページの記述で関係ありそうなところをピックアップしておくか
「チャールヴァーカ」の項
パーリ経典によれば、紀元前6世紀のアジタ・ケーサカンバリンが仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者も愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。
江戸時代の日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい
「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか?
これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ
流行りはしなかったようだが
エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想か
西洋の啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ
ざっと見た感じ現世利益と唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね
誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
↓↓↓
2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
「あとドストエフスキーがニーチェ的なのではなく、ニーチェがドストエフスキーの無神論に影響を受けてる。」そういう話をしてるんではないよ、ニーチェ読んでみ。ドストエフスキー的なものとは全然違う。
「楽しんでいる人たちの大多数はもっと感覚的なところで素朴に純粋に楽しんでいる」
ここで目にする増田に比べると君は本読んでそうだけど、「感覚的なところで純粋に楽しんでる」なんてそれらしいだけで中身のない雑な表現をしてきて残念だよ。文化資本がなければその「感覚」がないって話をしている。そしてたとえば草枕を読んだり徒然草を楽しめる感覚と、フリーレンを楽しめる感覚は似たセグメントにある、という話をしてるんやで。
草枕、徒然草、ファウストはフリーレン的だと思わんかった?ドストエフスキーがニーチェ的だとは全然思わん。夏目漱石を楽しめるならツァラトゥストラも楽しめるはずだと思うけど。あとは古典SFやファンタジーじゃね?四畳半神話大系やシュタインズゲート、ゼーガペインにグレッグイーガンが多大な影響を与えているのは確かだけど、知らなくても説明的だから楽しめるんじゃね?フリーレンは説明も感情も抑制してるから教養ないと楽しめないって言われるんだろね。
草枕、徒然草、ファウストをフリーレンと関連づけるという発想そのものが出てこなかった。
あとドストエフスキーがニーチェ的なのではなく、ニーチェがドストエフスキーの無神論に影響を受けてる。
古典SF、四畳半神話大系やシュタインズゲート、ゼーガペインにグレッグイーガンは一切履修してない。完全にそのあたりの知識は欠落してる。自分が知るファンタジーはゲームのRPGがほとんどかもしれない。それが原因なのかも。
今回、ネットやSNSでフリーレンの感想を漁ってみたんだけど、楽しんでいる人たちの大多数はもっと感覚的なところで素朴に純粋に楽しんでいるように見えた。
なので、教養がないと楽しめないというより、教養があるとより楽しめる作品なんじゃないかな、というのが個人の感想。
それはフリーレンに限らないけれど、フリーレンはどちらかというと起伏があまりない作品なので、その傾向がより顕著になるんではないかなと。
チュートリアルをやりながら放っていたら国庫が満タンになり、「金が消滅するぞ!」みたいなメッセージが出た。これを見て、建設しないと金が消滅する? そして建設力を上げないと金が使えないから、まずは建設局の強化に全力か? と気付く。
建設を進めながら建物情報を眺めていると、第二次産業っぽい建物は上限がないが、一方で資源が取れる建物は上限があることに気付く。そのため、建設による成長は限界が資源に左右されると気付き、資源を増やす手段を探す。それで見つけたのは植民地の作成で、なんとか植民地搾取の法律を制定して植民地作成に乗り出す。手に入ったのがコンゴ近辺でなんか史実っぼいのは偶然かな…
植民地を増やしながら建設していたが、人手がだんだん足らなくなっていく。移民流入を促進すればいいらしいとのことで多文化主義の法律制定を目指し、議題に上がった時に制定。さらに後に国家無神論の法律も制定、流入を目指す。その結果、首都フランドル、そして後に併合する植民地のニジェール・デルタは、今後常に労働力(と失業者)が溢れるようになる。
技術を進めていくと燃油を使って省力化する製法が有効になるのだが、燃油はアフリカの一部とオセアニアの鯨油を少しだけしか抑えられず、貿易で集めても不足してしまった。仕方がないので燃油を使うのは鉱業系の施設と他一部の自動車生産(燃油を食うし、需要も限られたので本当に一部だけ)などに最後まで限定した。
資源の数を見て、一番儲けを維持しつつ増やせそうな建設物が芸術局だったので、芸術局を増やし続ける。
資源不足だが戦争は面倒かつ戦力不足(組閣の都合で職業軍人の法律を制定出来なくなってしまった。そのせいで常備軍の上限が兵舎の数 5*20=100 しかなくなった。他国は多いと数百ある。)となってしまった。行政力を行政府増設で確保して無節操に貿易ルートを組んで資源を輸入するが、輸送船が足らなくなってしまった。
仕方ないので儲からない貿易ルートを切ったり、陸路の貿易に切り替えたりしている最中、関税同盟を組んだ先の国の隣とは陸路で貿易出来ることに気付く。そこで、関税同盟を組みまくって輸送船負荷を減らせないかと画策。融資を始めて恩義を得たり、こちらから恩義を出したり、借金肩代わり画面を監視して金を積んで買収して恩義を得たりして関税同盟に組み込んでいく。
ルクセンブルクを皮切りに、アフリカやインドネシアの小国、ハワイ、最終盤ではメキシコ・アメリカの片方・カナダ・ブラジル・オスマン帝国・日本まで含めた巨大市場を作れた。一方で輸送船不足は収まらず、80%位に留まってしまった。この理由は、関税同盟の交易網の維持自体に各国のインフラ値に比例した輸送船が必要だったから。他国は輸送船を持ち数の半分しか提供してくれず、港を増やす気もなさそうなので増やせない。自国の港は土地を増やしてないので増やせない。そんなわけでアメリカ大陸を組み込んだあたりで輸送船不足になってしまったのだが、まあそれでも他国に取られるよりは…と拡張を続けたのだった。
最初は保護貿易を採用して資源を守っていたが、巨大市場になってからは自由貿易の貿易強度ボーナスをあてにしていた。資源をかき集めつつ工業製品を他国に売りつけ、また市場の価格差を換金する裁定取引にも手を出す。終盤は貿易ルートを300以上、終了時は400弱抱えていた。(そのせいかゲームが重くて仕方なかった。)
終盤は結構いつも戦争が起きていたのだが、ほとんどは社会不安による内戦だった。試しに他国を見てみると、定期的に内戦している国はどこも中程度の社会不安が蔓延していた。今回のプレイでは列強だったイギリス、フランス、プロイセンも一度は内戦を起こしており、その間にランキングが下がっていた。最終盤まで国家ランキングで抜けなかったのはオーストリアだったが、そこも最後の数年で内戦状態になり、ちょうど終了年にも内戦中で、今回のベルギーでのプレイは列強1位で終わった。
この原因を考えてみたが、他国の社会不安の要因が生活の困窮によるものだったところを見ると、資源と産業を自国のみで抱えて他国に売りつける構造を作った結果、他国の職場を(資源産出以外)奪ってしまったのが原因なのだろうか。そんな一方で他国の生活水準の要求は技術と時代の進捗により上がっていくので、社会不安を起こして停滞が常態化してしまうのだろう。
あと、終盤に他国をいくつか覗いてみたら結構な割合で社会主義的な法律を制定していた。それによる福祉の負担や社会主義的法律の請願も関係あったのかな? 自国では最後まで大統領制を維持し、労働者の保護系の法律もあまり通さず、福祉Lv1で押し通した。
手を合わせたくらいで揺らぐお前の無神論が貧弱なだけ
ロッテンマイヤーさん、子どものころはムカついてたけど基本正論しか言ってないし、むっちゃ仕事頑張って苦労してるまともな社会人だった。
山奥から来た字も読めないクソガキがお嬢様の勉強の邪魔したり、パンをクロゼットに詰め込んでカビだらけにしてたらそりゃ私だって発狂する。
デーテおばさんもハイジを置き去りにしておいて、ようやく山やおんじに慣れたころにいきなりやってきて自分の都合で連れ去る悪い人だと思ってたけど、姉夫婦が亡くなり残された女の子を独身の女一人で育てるなんてあの時代無理だし生きていくためにハイジをどうにかしないといけないのは仕方ない。むしろ、娼館に売り飛ばしたり孤児院に捨てたりせず身内に預けに来たのは偉い。さらにそうやって、ろくな暮らしもできず教育も受けられそうにない山に姪を置き去りにしたことにずっと罪悪感持ってて、ちゃんと都会の豊かなお家のお嬢様の遊び相手に売り込み、何不自由なく暮らせるよう話をつけて連れ戻しに来たのだから、むちゃくちゃいい人。
デルフリ村の人もおんじのこと悪くいっててひどいと思ってたけど、無神論の人殺しって噂のじいさんが山で一人暮らしてたらそりゃ怖いわ。
ていうか、おんじ、金持ちの家で生まれ育ったがギャンブルで身を持ち崩し傭兵になり喧嘩で人殺して除隊して山にこもったって経歴なんで普通にアウトローだったわ。
← そのへんはマックス・ヴェーバーあたりが論じている通りかと。人によっては「資本主義はプロテスタンティズムの放蕩息子」と言ったりする。けだし名言かと。
ちなみに、新約聖書には、カネを預かったのに増やさずに大事にタンス預金していて主人に叱られる召使いの寓話をキリストが弟子たちに語る場面がある。
← こちらもまた、社会主義や共産主義の萌芽にはキリスト教があることを考えればさほど不思議ではないかも知れない。「キリスト教的社会主義」とか「キリスト教的共産主義」などという言葉もあるし、初期のキリスト教信者たちは正に共産主義的コミューンを作っていたようだ。
ちなみに第46代内閣総理大臣となった社会党の片山哲は熱心なクリスチャンだったし、マッカーサーも彼が総理に就任したことを歓迎していた。今でも日本のキリスト教界は左派的な空気が強いように思う。
なお、ガチガチの唯物論的無神論的共産主義については、これを「プロテスタンティズムの鬼子」などと評する向きもある。
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
仏教もキリスト教もイスラム教もあわせて30分くらいしか生涯で勉強してなさそうで草
俺はホンマモンの無神論者なんだが。お前も無神論者にならないか?
無神論者になろう杏寿郎。
科学で説明できない現象はすべて信じていない。物理的に観測できない現象は信じない。
俺は神を信じていないし、神だけでなく幽霊や精霊も信じていないし、言霊もオーラも運命もあの世も地獄も何もかも信じていない。
だから俺は誰にもバレないことが確定しているなら祖父の墓に小便をひっかけることも躊躇わない(なかなか確定しないので、やったことはない)
俺は神社には行かないし、友達付き合いで行ったとしても手を合わせながら「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」みたいな不謹慎なことを考えてる。
家族づきあいで仏壇に手を合わせるときも「そそそそそそそ尊師~」って脳内で歌ってる。
お前もそろそろわかってきだろ?世の中の宗教ってのは全部、全て、例外なく、本質的に統一教会やオウム真理教と同じなんだよ。
そりゃ悪質さでオウムや統一教会に勝てる宗教はなかなか無いかもしれんが、程度が違うだけでどの宗教もやってることは同じなんだよ。
ちょっと考えてみてほしいんだが、オウムや統一教会みたいな悪質カルトを規制するとして、どこに線を引くんだ?
家庭崩壊するまで献金させる団体は規制すべきなのか?じゃあ崩壊一歩手前までなら良いのか?崩壊しないように加減して徴収すればいいのか?信者1万人のうち1人だけ加減を間違えて崩壊してしまったらその団体は規制すべきなのか?10人だったら?100人だったら?信者が完全に自分の意思で献金した結果として家庭が崩壊したらどうだ?本人の意思だったら規制されるべきなのか?本人の意思かどうかはどうやって決めるんだ?崩壊するかどうかに関わらず献金自体を規制すべきなのか?大体の宗教は喜捨を良い行いと捉えているが?信者との金のやり取りなしで成り立っている宗教団体はおそらく存在しないが?新興の宗教はすべて規制すべきなのか?伝統があったらいいのか?オウムみたいにテロを起こしたらダメなのか?じゃあイスラムも規制するべきなのか?キリスト教も規制したほうがいいのか?テロじゃないにしても統一教会みたいにひっそりと国を蝕むのはいいのか?蝕まない程度で国政に代表者を送るのは?国会議員に干渉せずに社会運動をするのは?社会運動なら良いとして、なんで国会に干渉するのはダメで社会運動はいいんだ?壺を売ったらダメなのか?じゃあおみくじはいいのか?神社がお祓いをするのはいいのか?お祓いは1回いくらまでだったらセーフなんだ?1万か?10万か?信者が不幸になるなら規制すべきなのか?イスラム教徒はそうでない人から見たら不幸に見えることもあるが規制するべきなのか?ヘッドギアを付けるのはダメか?なら滝行ならいいのか?断食は?
な、難しいだろ?
どこからNGでどこからOKというラインを決めるのは、無理じゃないかもしれないが、どうしても「どこかに線を引かなきゃいけないから無理やり決めて思い切って引いた感」が出るだろ?合理的にラインを決めるのは難しいよな?
なんで難しいか教えてやろうか?
あらゆる宗教は本質的に同じことをやっていて、あらゆる宗教は本質的に悪質なんだけど、その中でも特別に悪質度が高いのが統一教会やオウム真理教だったってだけなんだよ。
この世には悪質度が1しか無い近所のお寺から悪質度100のオウムや統一教会までが存在していて、1から100の間のどこにラインを引けばいいかは規制する側の好みの問題なんだよ。10で規制したがる奴もいれば90まで許す奴もいる。
あらゆる宗教は地続きになってるんだよ。
俺は別に近所の寺まで規制するべきだとは思わないし、仮に統一教会であっても宗教弾圧は絶対にするべきではないと思ってるが、それと同時に俺は絶対に宗教を信じないし神を信じないし霊や地獄のような超越的な存在を信じない。
神や霊や地獄やオーラのような本当は存在しないものを存在していると主張しているからだよ。
要するに嘘をついてるんだわ。
例えば、飲むとガンが治るとされる麻原尊師の血液を10万で売るのは悪質な霊感商法だけど、飲むとガンが治る抗がん剤を10万で売るのは善行だろ?
前者と後者の差は、嘘をついてるかついていないかでしかないんだよ。
献金や霊感商法はいくら金を積んでも効果が無いから問題なのであって、仮に本当に金額に見合った効果があるならなんの問題もないだろ?
効果がないものを効果があると主張したり、存在しないものを存在すると主張していたりするから問題になるんだよ。
統一協会を否定するためには、神や霊のような超越的存在や、オーラや波動や神通力のような超越的な現象の全てを例外なく否定しないといけないんだよ。
おみくじを買うことと、仏壇でご先祖様に近況を報告することと、墓にしょんべんをかけないことと、占いを信じることは、全て統一教会問題と地続きなんだよ。
悪質度が0.1しか無いおみくじだって1000枚買って10万払えば悪質度100の統一教会に10万献金したのと実質変わらないんだよ。程度が違うだけで悪質なのは変わらないんだよ。
だからお前がダブスタ抜きで悪質カルトを否定したいなら俺のような完全無神論者になるしかないんだわ。
俺は大学で実験物理学寄りの研究をやっていたことがあって、極めて微弱で繊細な物理現象を観測できる巨大な装置をいろいろ使ったこともあったけど、神や霊や神通力なんてのは物理的に観測できないし再現もできないんだわ。
神がいる、いない、みたいな青臭い議論を今更したくはないけど、どう考えたって神なんて居ないし超越的な現象なんて存在しないんですよ。
それでも超越的存在や現象を信じたいなら東海道新幹線火災事件のウィキペディア読んでみろよ。
新幹線内で焼身自殺した男の巻き添えで女性が死んでしまった事件な。
「巻き添えとなったとみられる乗客の横浜市青葉区在住の52歳女性が、1号車後方のデッキで倒れ死亡しているのが発見された。司法解剖の結果、女性の死因は気道熱傷による窒息死と判明した[7]。女性は、伊勢神宮へこれまでの平穏無事のお礼参りに向かっている最中だった」
かわいそすぎるだろ。
なんで尊師マーチを心のなかで歌いながらお伊勢参りした俺みたいなカスが元気ピンピンで、この女性のような人がこんなに酷い死に方をするんだよ。
教えはどうなってんだ教えは。
一応言っておくけど、俺は無神論者でありながらも宗教弾圧は絶対にされるべきではないと思っているし、市民を守るためのカルト規制も慎重にするべきだと思ってるんだよ。信仰を大切にしている人に心無い言葉をかけるようなこともあってはならない。
思想はどのようなものであれ絶対に弾圧してはいけないし、思想の一形態である信仰も弾圧してはいけない。
でも、公権力が宗教を弾圧してはいけないのと、俺やお前が無神論を貫くのは、両立するだろ?
賢いお前なら神や霊を信じることのばかばかしさを理解してくれるはずだ。
お前もわかってきただろ?伊勢神宮も、近所の寺も、家の仏壇も、土産屋のパワーストーンも、おみくじも、天皇の御稜威も、占いも、全部統一教会やオウム真理教と同じなんだよ。神なんて居ないし、その他の超越的な存在も居ない。超越的なパワーも存在しない。この世界は物質とその運動で出来ている。
やはりお前は無神論者になれ杏寿郎