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2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

2018-04-11

啓蒙時代が一番人間の頭がよかった気がするわ

あばば

2017-10-05

anond:20171005200059

人権思想啓蒙宗教活動の一環とはこれいかに。どの啓蒙時代啓蒙家がそのようなことを言い、またそれをどのように論じ得たのでしょう。

それと人権存在根拠西洋歴史に求めることの妥当性を教えて下さい。人権という概念歴史の中で生じたのは事実だとして、人権根拠歴史に基づくものでなければならないのはなぜですか。物理学法則歴史根拠にするものですか?それと同じように、それまでの歴史がなければ、我々には人権があり得なかったと言うのでしょうか。

どうかご教授願います

2017-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20170218172426

1812年米英戦争ですかね。

詳しくないのもありますが、啓蒙時代的な戦争で国力の底をみるまでは行っていない印象です。

第二次世界大戦ソ連ウィーンを攻められたハプスブルク家もそんな感じで外しました。

まぁ、アメリカの底をみるには南北戦争開戦直後にイギリスフランツスペイン

アメリカ連合国側に立って参戦して東海岸制海権を完全に握るくらいしないと厳しそうですが。

なお、独立戦争系は弱体で当然なところがあるのでできるだけ除外しています最初に断るべきでしたね)。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216040326

仮に宗教に吉も悪しもあったとしてなおかつその判断を下すのが難しいのであれば、一律<悪である>とラベリングしてしまうことにより想定外事態を発生させないというメリットはあるんじゃないか

このロジックだと、家庭も一律「悪である」とラベリングすることになるけど・・・


しろ善一色でないことそれ自体宗教全体のリスクやろ。これは組織を超えて団体全体で善であるように努力していかあかんところ。

2点ほど。まず、権力者一般大衆に疎まれて殺された宗教家はそれこそ山のようにいるし、権力者一般人定義する「善」は宗教のコアには入りえないと思う。ユダヤ教キリスト教が生まれときから今までずっと、虐げられている人を救い上げるのは新興宗教の役目だし、その団体既存権力対立していることも多い。現代中国ではキリスト教は敵視されているけど、共産党に受け入れられるようにキリスト教会努力すべきだとは思わない。

あと、宗教全体がリスクさらされているという立場には同意しない。宗教ルネサンス啓蒙時代も生き抜いたし、これから意味を持ち続けると私は思う。仏教を捨て、国家神道から裏切られた二十一世紀日本人は、農家に届くことはないいただきますという言葉農家への感謝表現している。これは宗教ひとつのかたち。

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919133847

最後の一文が残念だなあ。

また理系の話に戻っちゃったけど、理系勉強ってわかりやす連続性があるから役に立つよねって言いやすいけど、

啓蒙時代から初期ロマン主義について教養を超えたところで勉強したってなんか役に立つことあんのかねえ。俺は一般教養(笑)で満足しちゃったけど。

 
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