「必然性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 必然性とは

2018-02-23

Iridium 遺伝子の発現のランダム性のほとんどは、精子提供分のDNA卵子提供DNAのどちらが使用されるかの2択によって発生しているはずで、精子に含まれ遺伝子自体はすべて同一のはず。競争する必然性ないよね。

減数分裂ときキアズマするから精子は1つずつ遺伝子が異なるはず

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2018-02-18

ことばの物語としてのJust Because!


Just Because …多義性が顕著な現代英語の生きたイディオム。「なんとなく」「ただそれだけで」「ただそれだけのために」などさまざまに訳される。アニメでは物語の進行にあわせてこのイディオムニュアンスが変容する。あるいはこのニュアンスの変容こそがメッセージとして物語に書きしるされたのかもしれない。


第一話 On Your Mark

In Unison : 一斉に みんないっしょに

第一話内、勇気とか元気とかあたたかさとか決意とか、そんなものが音になったような応援歌にのってJust Becauseの意味に変容の予兆があらわれる。

第一テーマのつぎのドラムソロ。マウンドちかくにつむじ風がおこり、瑛太の目に決意がともる。

高校三年の3学期という意味をうしなった待ち時間に風がふき意味が芽生える。


第8話 High Dynamic Range

Just Because のニュアンスが大きく変容する。

瑛太セリフには「しょうがない、こうしかできない」といった消極的ニュアンスが目立つがじっさいには夏目の後を追いはじめている。

瑛太は転校初日に陽斗になげかけたのと同じ問いを小宮から受け、気づいてか気づかずか、第一話の陽斗そっくりの答えを返す。

小宮はなんとなくのなりゆきまかせを停止し明確な目標を持つ。

夏目はなんとなく決めた進路の必然性を問われ自己未来対峙する。

陽斗は瑛太を負けるなと励ます瑛太は勝ち負けじゃないというが陽斗はそれでも負けるなと励ます

森川髪型を変える。

「なんとなく」から「ただひとつ理由のため」へ。


最終話 Get Set, GO!

ここでもう一度In Unisonが流れるタイトルと同様、第一話に呼応している。ただしここでながれるIn Unisonはブラスバンドのちからづよい合奏ではなくピアノだけのひかえめな主旋律で、しか第一テーマの後半部が一度きりだ。もう応援歌役割を終え、それぞれの場所へ一斉に旅立つみんなをやさしく送る曲になっている。第一話で位置についたものたちがみんなそれぞれの目的に立ち向かい、それをのりこえたからだ。

第一話冒頭では「なんとなく」程度だったJust Becauseのニュアンス物語のなかで力を増強し、ついに「ただそれだけのため」「ほかに理由なんかいらない」といったつよい意味を帯びて最終回へといたる。みんな一緒に、それぞれの目標にいどみ、そしてのりこえた成果だ。かれらはいっせいに走りはじめ、つぎのステージへと向かう。


このアニメ受験シーズン放送されたことは偶然ではないだろう。元気をもらった受験生も多かったはず。わたし受験はとおい過去だが、それでもこのアニメからはたくさんの元気をもらった。わたしにとって、いまなすべきことは受験勉強ではなく研究開発と制作執筆介護だ。吹奏楽部員だったこと、全国大会を目指したこと野球部応援した夏、写真学科受験、絵をさがしてカメラかついで原チャで街をまわったこと、みんなみんな遠い過去だ。でもいまだってつまづくたびに立ち止まり休み、そして前へ出る。生きる限り前へすすみ、高くとびつづけたい。

2018-02-16

異世界生モノ古典的少女漫画も変わらんのでは

異世界生モノ

ドラゴンだとかゴブリンだとか呪文詠唱だとかそういう世界観:みんなが知ってるアイコンであり、世界創造しなくていい免罪符

唐突な転生と出会い物語根拠必然性を持たせなくていい免罪符

古典的少女漫画

ありがちな学園生活人物設定:みんなが知ってるアイコンであり、世界創造しなくていい免罪符

・転校してくる男の子物語根拠必然性を持たせなくていい免罪符

ものマンガとか、5~10年前くらいのきらら美少女4コマとかも多分当てはまるような気がするけど、

要するに、流行ジャンルに右に倣え系金太郎飴作品はどーもなーってだけ。

2018-02-12

anond:20180212161455

必然性が無く益も無いのに費用ばっか膨大にかかることを権利にしたら財政破綻するだけだね

2018-02-06

結婚が一番の幸せみたいな風潮やめない?

私は30歳くらいのレズビアンである。周囲にはレズビアンであることを隠し、ごく普通の女として生きている。

私は結婚という制度法律)が嫌いだ。

結婚のもの否定している訳ではない。ただ女にとって結婚が一番の幸せであるという世の中の風潮に、どれだけ苦しめられただろうか。

年代独身女性はみんな婚活で忙しいようだ。学校同級生と集まれば「〇〇が結婚したらしいよ」だとか「彼氏といつ結婚するの?」だとか、そんな話題ばかりだ。

正直もう彼女たちと話すことに疲れてしまった。

彼女たちはまるで結婚することが人生のゴールであるかのように話し合う。「30代後半になっても独身だったらどうしよう」と不安をこぼしてきたりもする。私はレズビアンなので、好きな人結婚する道を最初から遮断されている。だからそんな彼女たちの不安を聞くたびに、自分人生否定されているような気持ちになるのだ。

私は自分人生肯定するためにも、大昔から当たり前に存在している結婚について、懐疑的に考えるようになった。みんなは結婚幸せだとされている世の中の風潮に、全く疑問を持たないのだろうか?

周囲に結婚したいor結婚した理由を聞いてみると、だいたい以下のような返答がくる。

・1人でいるのは寂しいから。

子供が欲しいから。子育てしたいから。

経済的に安定するから。2人で住むと楽だから

ステータスが欲しいから。親を安心させたいから。

これらの話を聞くたびに、社会常識とは恐ろしいなと思ってしまう。

そもそもなぜ結婚恋愛の延長線上にあるのだろうか。寂しさを紛らわせたり、経済的に安定したいなら、友達3人以上で集まって結婚したっていいじゃないか。恋なんて大抵は数年で熱が冷めるし、「好きなタイプ」と「結婚したいタイプ」を分けて考える人も多いが、だったら最初から結婚恋愛を絡めなくても良いではないかと思う。

ちなみに日本では結婚した夫婦のうち3分の1が離婚している。結婚したら一生一緒にいれるなんてことは、決して言い切れないのである

子育てに関しても、結婚する必然性がよくわからない。血の繋がった両親の元で子供が育てられなければいけない理由はどこにあるのだろうか?もし仮に今「お前は血の繋がった子供ではない」と両親からカミングアウトされても、特に関係が変わるとは思えない。男女で結婚することによって子育てが有利になる法律自体に疑問を感じるのである

ステータスが欲しいというのは元も子もない。親や親戚を含めて、誰かが独身であることを非難したり見下す人たちは一体何様なんだろうか。結婚親孝行だというのは、単なる親のエゴしかない。

しか死ぬまで仲良く暮らす幸せ夫婦もいる。だからといって全員がそうなる訳ではないし、なぜみんなそんなに結婚プレッシャーを感じるのかと思う。私は同年代独身女性を焦せらせるような社会法律が嫌いだ。

ここまでの話はただのレズビアン愚痴なのだが、ほとんどの人が何の疑問も抱かないほど当たり前に存在する「結婚」というものについて、いま一度考えてみて欲しい。

2018-02-02

anond:20180202000708

「それってあなた生理的欲求ですよね?」「何か社会的必然性あるんですか?」って批判だと思うんだよね、あの手のって。「女性弱者である」という建前によって批判者を加害者レッテル貼りできているから成立しているように見えるだけで、突き詰めると存在への否定だと思ってる。

2018-02-01

レースクイーンかについて 個人的感想

どういう意図があって、スタイル抜群の美女に高露出させて車の周りにうろつかせとくのか、というのは、自分はあの仕事必然性必要性を感じていなかったので推測でしかないが、

「車がより速く走るのが嬉しい人々=スタイル抜群の美女を白昼堂々と眺め回せるのが幸せだと考える人々」とみなされて、その人々へのおもてなしなのだろう、と考えていた。

悪く言えば田舎ヤンキー的というか即物的というか、欲望ダダ漏れ的な下品さ。いやまぁ個人的憶測にしても申し訳ない。すみません勝手なことを言って。

格闘技ラウンドガールも同様だと思っていますすみません。でも今でこそ変わったけどプロレス会場ってホント「そういうのが好きそうな男」しかいない場所だったし、ボクシングなんかもアレだ。

そういえば、子供の頃、深夜にやっていたF1中継でチーム紹介なんかでド派手なねーちゃんが映るたびに

F1レーサーって死ぬかもしれん仕事やし性欲強いタイプが多いんかな」と思っていた。私はレースクイーンドライバーへの接待要員だと考えていたらしい。

実際はF1レーサーって王子属性な人も多いしセレブスポーツらしいすね。知らんけど。王子からこそいい女をはべらかすのかも。知らんけど。

そういう個人的憶測ベースに話をするが。

レースクイーン的な仕事は失くしましょう、と発表することで、美女を堂々と眺め回せることに喜びを感じるタイプの車好きが辟易とする可能性と、

それ以外の人々へのイメージアップならびにポリティカルコレクト狂信的な層を鎮静化できる可能性、のどちらを取るかで、後者を取る方がお得感が高い、という判断だったのでは、と思う。

美女を眺め回せなくなったかモータースポーツはもう見ないぞ、と言うのなら、彼らはモータースポーツの客ではなかろうから、その辺はキャバクラなりなんなりが、需給とも吸収すればいい。

個人的には、ブコメのいくつかに見られたサッカー型=サッカー好きの子供と一緒に入場、が良い案のように思った。

もしくはpepper君あたりを置いておくのが正解かもしれない。性がないか安心。あと万が一が起きても生命が失われることはない、pepperくんが1台壊れるだけだし。切ない…。

しかし、サッカーはいろんな国でやってるだけあるな。女子競技化も早かったし。FIFAにつきまとうブラックマニーの噂はあるわけだが、それでもなかなかのオープンさ。

モータースポーツの振興」ということなら、サッカー型が理にかなっていると思う(が、現実ではモータースポーツは"王子様"の職業なので偽善的に見えてしまうかもしれないが)

自動車文化の発信、ということなら、「主にスタイル抜群の美女を眺め回したいような属性の人たちのための文化」になる可能性、というリスクと共に生きることになる、かもしれない。

自動車市場の発展のために、ということなら、昨今のコンシューマー向けの自動車の傾向を見ても、ドライバー女性であるという目線が欠かせなくなりつつあるわけで、

レースクイーン要らなくね?というのは、割と合理的判断かなという気もする。

そういえば、アメスポってチアリーディングがおまけで付いてくる印象があるが、あれも将来どうなるんだろうという感じもするな。

スクールカースト的なアレこそ、F1におけるレースクイーンよりもある種の邪悪性を感じないこともないのだが、

結果的に、チアリーディング単体ですっかりスポーツ化している現在を見ると、アメリカ合衆国って何だかんだで面白い国だなと思う。どこまでもフラットであることを志向する。良いかいかは別として。

レースクイーン的なものは、従属的な立場からスタートしてどれだけ単体文化性を獲得できるか、ということでいうと、やっぱりちょっと厳しいかもね。

あと女性F1ドライバーっていないのかね。ラリードライバーだと「このごろ増えてるんかなぁ」ぐらいには目につくようになった気もするが。

2018-01-28

タケバネ曲は別にアイマスPの念願ではない

ポプテピピック新曲を歌うたびに「アイマスではやれてないのに」とか「アイマスPの念願だったタケバネが」というツイートであふれるが

そもそもアイマス内でタケとバネがデュエットを歌う必然性がない。

お前の念願を皆の念願のように言うのはやめロッテ

2018-01-26

anond:20180126114105

あってもいいけどそれ隣にする必然性はなにもなくない?

2018-01-24

黒木智子となかまたち』はなぜ尊いか?最新話(喪128)を題材に証明しようと思う

p2右「当然だと思ってた」

いわばジャブ的なエピソードだが、

俺としてはもう尊くて尊くて吐きそうなんだよな。

その理由を今から解説する。

かに、すげーベタエピソードだ。

ノリノリの吉田さんと、引き気味のその他っていう構図な。

でも、「わたモテ」という文脈に置かれると、そんなエピソードも顔つきが違ってくる。

はっきりいって、わたモテは「なんでもあり」の世界だ。

底が抜けているとでもいうかな。

具体的には、土下座回と願書提出回でそれを感じた。

なるたるみたいな、といって通じるのかな?

あい底抜け感。

そんななかで、こういう「かりそめの休憩所」みたいなエピソードが挟まれる、挟まれしまう、

そんなエピソードに4人が参加している、

そういうところにグッとくるのよ。

たまたまこ世界居合わせました」みたいなな。

俺は俺がこうして生きていることを「たまたまこ世界居合わせました」って思ってる。

路線変更

かにそうかもしれない

しかし、別にいいんじゃないのか?

俺はそろそろ宇宙路線変更してもいいんじゃないかと思うわ。

重力ちょっとテコ入れするんで、みたいな。

重力だけにな。

そんで、4人がその「路線変更」を我が運命として引き受けなおしている様がもう尊い

もう少しコマフォーカスしよう。

俺が好きなのは、このエピソードでのもこっちの表情だ。

いわゆる「なんにも考えていない顔」だ。

ここでこの顔が選択されているのに、必然性はない。

もっとドン引き」みたいなギャグ感ある顔をしてもいいはず。

そんでラストコマ吉田さんに同調しだしたゆりちゃんを見つめているのがいい。

いろいろ心情は考えられる。

え?乗っかるのか、また客いじりのアトラクションに参加することになっても知らんぞ、こいつ仲間認定したやつにはチョロいんだな、こいつ本当に吉田好きだな、特に意味はない

などなど。

で、全部正解なんだこれ。

俺達の身振り手振りは、深く考えてみると一つ一つに意味があったり、複数意味に弾けていたり、特に意味はなかったりする。

そういうのを鮮やかに切り取っていると思う。

この増田で、少しでも『黒木智子となかまたち』の尊さが伝わったら幸いだ。

伝わったら、はやくpixivしかるべき画像を上げて欲しい。

何故僕勉もヒロインを増やし続けてしまうのか

ニセコイから何も学んでいない。

つぐみマリーに春ちゃんが終盤で適当に切られた悲しみを忘れたのか。

咲ちゃんは…また別の問題だけど。

いちご100%だってこずえちゃんという負け確ヒロインを突然投入したときは正直どうかと思った。

何故ヒロインを増やすのだ。

メリットデメリットを挙げてみよう

メリット

幅広いニーズに応えられる

基本はこれに尽きる。いわゆる萌属性網羅していくことで間口を広げる。

文系理系ダブルヒロインに追加された体育会系、そして先生・先輩etc...

かに商売である以上読者を増やすのが第一で、そのために手っ取り早いのは、未読者が興味を惹かれるようなキャラクターを用意することだ。

今の御時世2次元でも3次元でもアイドルグループ阿呆みたいな数いるし、まあそういう時代なのかもしれない。

ヒロインが増えたことで話が進む

膠着状態だった三角関係が、第3のヒロイン登場により引っ掻き回されるパターンなど。

こうなるとこの第3のヒロインは負け確で存在意義がそれしかなかったりするんだけど、

作者の力量次第では救われたりもする。

登場する必然性があるしメリットといえる。

ただし、三角関係が四角関係になっただけみたいな例も多々ある。

あと「話が進むたびにヒロインが増える」という似て非なるものもある。ラブコメじゃないけど「とある」とかそういうの。

デメリット

一人あたりの出番が減る

まずこれ。ダブルヒロインだと二週に一回メイン回だったのが一月、あるいは二月に一回になるなど。

初期ヒロインファン満足度は間違いなく下がる。

ついでに物語のものの進行速度も落ちてしまいがち。

主人公モテすぎて違和感を覚えるようになる

いわゆる主人公補正

何やねんお前急にモテ期到来ですか?(嫉妬)

主人公にはカッコいいところがあるから納得できる」とか言う声もあるけど

じゃあこいつ今までなんで彼女いなかったんだよ?なんでこんなに女子免疫ないんだよ?みたいな。

ラブコメ大事なのはヒロインもそうだけど、主人公の魅力がいちばん大事な所だと思うわけで、

「なんでコイツモテるんだよ」って思われたらその時点で全て冷めるわけです。

あんなに可愛かったヒロインだって「男を見る目のない女」になってしまう。

楽さんとかそんな感じでした。真中だって高3になるくらいまでは非難轟々だったし。

そうなるとですね

最早ジャンルが変わる

いちご100%を読んでいたと思ったらToLOVEるになっていた!?

1話を読んだ時の期待はどこに行ってしまわれたのか…

なぜジャンプヒロインを増やし続けるのか。もうやめてほしい

魅力的なラブコメもっと読者を集めたい気持ちはわかるけど、その方法ラブコメの質を落としている。

まあ今はまだ先輩も先生フラグ立っては居ないけど、だったらその分を文系理系に回してよって思うし

これでフラグが立とうものならって感じ。

先生の妹の登場はマジで「もう止めてくれ…」と声が出た。

蛇足

逆に最近サンデーは単ヒロインものとか多い感じ。

ハヤテのごとく!神のみぞ知るセカイが終わって、

天野めぐみとか古見さんとか魔王城とか単ヒロイン

だがしかしハジメさん出てきた時はどうなんだと思ったけど、あれは何かもう作品全体が作者の性癖に忠実な感じがして許せる。

からかい上手の高木さんゲッサンだし、ここ数年のサンデーは推せる。

2018-01-19

Nintendo LABOかいオモチャにはしゃぐバカはてな愚民

任天堂ラボかいう、ただのダンボール工作キットをコントローラーにはめて遊ぶオモチャが発表されたらしいけど、これどうみてもツッコミどころ満載のちゃちいものしか見えないだろう。

しかし、ふだんから任天堂に飼いならされているはてな愚民の間では、今回も上々な反応のようである

だけど、コントローラーダンボールを付けてラジコンにしている絵面は間抜けのものだし、家の形をしたキットにタブレットを装着する必然性が分からないし、挙句の果てにダンボールランドセルとか子供を舐めているとしか思えない。こんなものファミコンロボやパワーグローブスーパーゲームボーイ時代から比べたら大幅な後退でしかないだろう。

まあ、昔と比べたらプレゼンも上手くなっているし、それにみんな任天堂神話みたいな共同幻想に飼いならされちゃっているから、こんな子供騙し程度のものでも舞い上がっちゃうけど、でも今の任天堂って資本的にも技術的にも、海外ディベロッパーに遠く及ばないから、こうやって奇を衒ったアイディアをその場しのぎで出しては、戦線を引き下げているだけなんだろう。ぶっちゃけ国内向けに喧伝されているクールジャパンというプロパガンダ戦実態と同様に、今の任天堂がやっていることってクソださいグローバル水準から撤退戦をやっているだけなんだよ。

から本来もっとPSが褒められるべきだと思うんだけど、でも日本後進国化にゲハ煽りとかFFシリーズあんな風に悲惨なことになちゃったから、ソニー関連はとりあえず集団了解的に冷笑しておくっていう態度が正しいみたいな感じになっているけど、だからって任天堂エライってことにはならないんだよ。あれだけPSからサードパーティを引っこ抜いておきながら。

しかしまあ、任天堂繁栄するのと比例するように、海外との圧倒的なクオリティ差が際立ってくると思うんだけど、それを指摘したら「ゲームらしいゲーム」とかいう、意味不明の痩せ我慢を強いられるんだろうね。そもそもゲハ妊娠任天堂信者)の出処って、おそらくゲーム批評とかを根城にしていたFF叩きのドラクエ狂信者じゃないかと勘ぐっているんだけど、その「映画みたいなゲームはいらない。ゲームらしいゲームを」とか言われていた先に待っていた未来が、こんな安っぽいものだったなんて絶望しかないだろう。

そんなことは脇に置いといても今の任天堂は、過去神話クールジャパン的なナショナル・アイデンティティに巣食っているだけで、企業としては東芝シャープとそう変わらない存在だろうよ。まさにクールジャパンならぬトラッシュジャパン象徴する存在に成り果てたといっても過言ではない。

2018-01-11

anond:20180110110053

ツール・ド・フランスとかの)自転車プロロードレースは、不文律っていうか紳士協定みたいなのがいっぱいあるよ。

詳しく書こうと思ったらウィキペに項目が立ってて(笑)あらかた書かれてた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロードレース_(自転車競技)#%E6%9A%97%E9%BB%99%E3%81%AE%E4%BA%86%E8%A7%A3

こういうのがあるので、初めてロードレースを観る人は「あれ?なんでこの人ゆっくり走ってるの?」とか「なんで今譲ったの?」とか「なんで競り合わないの?」みたいな疑問がときどき湧くよ。

でも観戦に慣れてレースの流れがわかってくると、ひとつひとつ必然性があって勝負面白くするのに役に立っているんだなーってことがわかってくる。そうなった頃には、自転車レース観戦が好きでたまらなくなっているよ。

もちろんこれらを破って勝利することもルール上はできるけど、輪界っていうコミュニティの中では生きづらくなるかもね。

※追記:うまくリンクできてなかった。同じリンクの短縮 → https://goo.gl/ZjGH3s

2018-01-08

2017年アニメ百合大賞

やっぱり、少女終末旅行ということで良いんじゃないでしょうか

 

はじめは百合味少なめだったんですが

作品テーマとして、ほとんどすべてを無くしていく中で、二人だけが残るんですよね

「二人が居れば世界はなくなっても大丈夫」的な極地レベル百合です

百合哲学です

どうもありがとうございました

 

百合といっても色々あります

肉欲的な百合もあれば、甘酸っぱい恋心揺れる百合親友を突き詰めた結果百合化するケース、互いのリスペクト百合っぽくなるもの、女を口説き落としまくる百合などなど

その中で、終末における関係性で、男女ものではある程度テンプレートになったパターン百合で見られたのは、2017年の大きい収穫だったのではないでしょうか

また、二人が同性であるからこそ、その先に希望ほとんどないという意味必然性が有り、「片方男でよくね?」に反論できる点も高ポイントだったと思います

 

2018年も素晴らしい百合に期待したいと思います

 

 

2017年アニメ百合大賞を考えようかと思いましたが、難しすぎたので辞めました

2018-01-07

anond:20180104132743

受験生君、社会に出て活躍するにあたって、意外と教養って大事だぞ。

古典漢文仕事に直接使うという事はほぼあり得ないんだけれども、
なんだろうね、日々の学習の積み重ねから形成される
その人の人柄や思考の含蓄みたいなものって、
すごく成果に直結する気がします。

特に企画とか分析とかをする上で
すごく差が出る(これは自分の部下や取引先ののいろいろな人を見ていて思う)し、
営業をする上でも“良いお客さん”をつかまえて、
一緒に仕事をする能力にも直結する気がする。

また、君の主張は受験科目に出すんだったらもっと意味のあるものがあるだろうという事だと思うけれど、
おそらく受験と言うのは知識を試すと言うよりも、
学習能力と目の前の課題をやり抜く力の査定とふるい落としをするものなのではないだろうか。
したがって、おそらく問題なんて、極論スワヒリ語でも何でも良いっちゃ良いのです。
ただ目の前に行きたい大学がある。課題として古典漢文を学ぶことをそこが求めている。
その科目が受験科目である必然性は確かに存在しないのかもしれない。そんなことは誰もが思っている
けれど、そこで逃げずに努力でき、成果を出せるやつとそうでないやつがいる。
受験というのは、そこをふるいにかける作業ではないだろうか。

あと、君が一生一兵卒で終わりたいなら良いけれど、
マネジメントをするうえでは漢籍教養結構役に立つ。
論語』とかのありがたみが、人を統率したり、
組織不条理と戦うにつれてすごく実感出来るようになる。

君が見ているのは目の前の受験なのだろうけど、受験なんてほんの一瞬。
しかも、今の君には想像もできないだろうけれど、
長い人生にたいして影響のある出来事でもありません。

だけど、君が日々積み重ねている学問
特に古典漢文のような人文科学的な教養は一生の財産です。
目の前の受験だけにとらわれず、地道に日々取り組んでほしい。

絶対に、損をするようなことはないはず。
おっさん保証します。

2018-01-06

anond:20180106175300

ちょっと聞きたいんだけど黒塗りメイクってなんで差別的なの?

例えば黒人奴隷がいた時代の劇やるとして奴隷黒人なのは必然性あるわけじゃん?

一部の人黒人に扮するのでなく黒人役者を使えとか言ってるけどそれが正しいとは思えないんだよね

2018-01-05

anond:20180105124905

地上波初放送で始めてみたけど、冒頭で監督が「最初は分かりにくいので、集中して見て下さい」って言ってたから、やっぱり分かりにくいって苦情は多数あったんだろうと思う。「君の名は」は時系列がずれることそのものテーマの一つになっているので、必然性もあって納得できる。でも、時系列グチャグチャにすることで 内容の薄さを誤魔化してる作品ってのも結構あるんだよねえ。最近個人的にひでえなあと思ったのは、毎回毎回 時系列滅茶苦茶な洋ドラの「クワティコ」。視聴者を幻惑するんじゃなくて、時系列が逆転しているからこそ物語が深く理解できる場合じゃなきゃイジっちゃダメ

2018-01-04

anond:20180104132743

必然性については感覚問題数学はもちろん人によっては英語ですら必然性を感じない人もいる。

日本高等教育を受ける人間に対し最低限の古典文学知識を求めることの妥当性が教育関係者、ひいて言えば高等教育を受けんと欲する学生感覚的に広く受け入れらているか現在センター試験の科目として残っている。この妥当性(必然性)の理解は、説明しようとすれば「文法知識を元に文章を読む論理的読解力を養う」「日本人としての必須教養」みたいな話になると思うが、数学必要性を問う人に「論理的思考力、問題解決能力養成」みたいな説明をしても理解されないのと同様、理解できない人には理解できない、感覚的な話になるということだ。

要するに日本大学で学んだ/学びたいという人に徒然草源氏物語に触れた経験がなかったら嫌だよねっていう感覚理解できるかどうかの問題かな。

マスクをしての接客は失礼だ」は正しいだろう

から要望電話を入れてくれとかマスクしたい派閥意見って自分責任を持たず都合の良いルールにしたいだけじゃん

工場病院みたいなマスク必然性が無くて、そもそもマスク以外の帽子手袋や爪は徹底していないから衛生目的でないのは明らか

口元を隠して相手感情を読ませず人より優位に立ちたい欲望を隠さず露骨にするのが失礼だっつーのに

でも花粉症ですゴホゴホと言われたら外せとも言えるわけもなく意図がわかれば客側もマスクを付けて店内がマスクマンだらけ

異様な雰囲気が漂うけど店内でも店員以外のマスク規制するのが難しいから結局は店側が損する天海成るのでは

と思いました

日本よ、この期に及んで「古文漢文」が必要だというのか

いかげん納得のいく理由を教えてくれ。

今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文漢文」という暗記ゲーム強制され、不当にも人生を左右されている。

おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも古文漢文」という"学問"が、根本的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会義務だと思う。多少なりとも共感能力良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。

ようするに言いたいのは、ここでの古文漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことな議論だってこと。

専門的な学問を「受験」で強制するのは違うだろ、って話。

大学受験には選択科目があるのだから、嫌ならやるな」っていう反論があるだろうか。話にならない。嫌でもやらなきゃいけない構造について問題にしているんだ。

たとえば、法律に興味があって、東大を出て弁護士になりたい高校生がいたとする。彼らは必死こいて下二段活用やらレ点を覚えて、受験に挑む。受かったら数週間で綺麗さっぱり忘れて生涯思い出すこともないだろう。まぁ、百歩譲ってそれはいいよ。でも、落ちたらどうする? 他の科目は合格点に達していたのに、ただ古文漢文ができなかったせいで、落ちたらどうする? 本当に法律が好きで、法律について学びたくて、東大に行こうとしたのに、全く関係ない「古文漢文」のせいで行けない。一流の弁護士になって、社会に貢献したかもしれない。彼の可能性を、人生ダメにしてまで、「古文漢文」は受験科目として”必要”だと言うのか。英語数学で落ちたんなら、まだ分かるよ。しょうがない、浪人して一年頑張ろう、って気持ちになれるだろうよ。でもさ、「古文漢文」なんて死んだ言語で18歳の人生を左右すんなよ。元カレが忘れられなくて新しい恋に進めない女子かよ。国家レベル失恋引きずるな。

こういうことを言うとすぐに保守的な人たちが湧いてきて「日本文化ガー」「伝統としての教養ガー」と言い出すが、まぁ、たしかに分からなくもない。「色んな学問に触れる機会を与える」のは大切なことだ。色んな文化に触れるのは、良いことさ。おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文出会い興味を持った学生古典研究者の道に進むことだってあるだろう。そういう"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない。

そ れ を 受 験 科 目 に す る な 。

古文漢文」を教えるな、とは言わない。ただ、それなら道徳とか家庭科の授業と同じ括りにしろ。「古文漢文」に学生人生を左右させるな。



あるいは、受験の時点で就職活動が始まっているのかもしれない。どう考えても意味のないタスク、心からやりたくないようなタスクをそつなくこなせる人材を、大学側が要求しているのだ。はっきり言うが、愚直にも「古文漢文」をせっせと暗記してきた連中は、生涯奴隷だ。



それでも、それでも、それでも、

やっぱり「古文漢文」は必要ですか? 納得のいく理由があるなら、是非聞かせてほしい。







[追記]

古文漢文」という学問根本的に無意味だって言ってるわけじゃない。受験必須にする必要はないだろ、って話ですよ。

はっきりと書いたつもりなんだけど、伝わらないかな。もうちょっと現代文教育に力を入れたほうがいい。

法学部古文知識いるだろ」

→例えが悪かったかもしれないが、法律を学ぶのに必要なら大学入ってから教えればいい。大学受験という選抜の場で、有能無能仕分け基準にするなって話。

反論を聞く気がなさそう」

→聞きます

英語数学だっていらない」

→これに関してはある程度の偏見を認めるが、少なくともおれは使っている。それはともかく、ここでは「古文漢文」が受験科目として必要かどうかの話しかしていない。「いらないって言い出したらきりがない」だから古文漢文」は「いる」ってことか? 論点すり替えるな。

教養から、やっぱいる」

→身につけたほうがいい教養なんていくらでもあるっての。ただ、全国の中学生高校生全員にやらせて、受験で競わせるほどの”必然性"があるのか、って話。何度も繰り返すが、興味ある人にやらせるぐらいでいい。教養だとしても、大学で教えればいい。おまえら、「教養はいもの、いいものはいる!」程度としか思ってないだろ。そういう考え方が構造的、社会的押し付けられてて、内在化していることを自覚しろ

古文漢文なんて得点源なんだから、黙ってやれ」

→そういうのを奴隷根性だって言ってるの。黙ってやれる人間だけを必要としてるんなら、それこそこの国は終わりだよ。

2018-01-01

かに1月1日は単なるカレンダーの切り替え日にすぎず、前の一日や後の一日と何ら変わる所のない一日かもしれない

切り替え日がこの日である必然性もないし、切り替え日にいちいちおめでとうだの今年もよろしくだの言う必要もないかもしれない

本当は、毎日、毎時間が、今この時を無事に過ごせておめでとう、いつも世話になりありがとう、これからもよろしく、というべきタイミングなのかもしれない

けれど人は日常生活に慣れてしまうとそういうことも言わなくなるものから

年に1度くらいは言うべきことを言う日として、新年あいさつが習慣化されているのかもしれない

などという屁理屈をこねるのは、年々無駄に上手くなっていく

2017-12-31

[]

今回は少年ジャンプ+読み切り作品感想をいくつか

『彼方のアストラ』が最終話から感想書こうと思ったけれども、細かいこと言い出すなら色々とあっても結論としては『良い作品だった』ってことになるから、まあいいや。

FLEAGHT-フリート-

ド派手なアクションシーンで楽しませながら、終盤にちょっとしたオチ

まあ終盤のオチは、あれがないと単なる「巨大生物に立ち向かう戦士たちのヒューマンドラマ」になって月並みからちょっと捻ってみましたっていう印象のほうが強いかな。

もちろん設定とかもちゃんとこじつけはいるけれども、大筋の描写がしっかりしすぎているが故の弊害かもしれない。

マッチョグルメ』の人が原作だってこと踏まえると、ある意味で納得。

ややもすると真面目に描きにくい話を、大真面目に描いてストーリーを成立させるっていうスタイルからね。

鬼の影

話の流れ自体は、良くも悪くも言うことなし。

いや、「良くも悪くも言うことない」ってのは、つまり評価していないってことになるか。

前半の話に読者を引き込んでくれるようなものがないし、後半はタイトルにもなってる『鬼の影』についての解説ほとんどだし。

坦々としているというか、陳腐というか、「設定垂れ流しマンガ」みたいになってしまっている。

「実は主人公は……」みたいなパターン定番だし、その展開も読んでいる途中ですぐに気づく。

展開が読めること自体が悪いとは一概に言えないけれども、それが作品面白さとは何ら関係ないってのは欠点だと思う。

絵も基本的に拙いけれども、鬼の影が登場する場面は割とサマになっている気がする。

カラーの力が大きいだけかもしれないが。

佐本家のニケ

ストーリーものってサクッと読めないか感想書きにくいけれども、テーマ最初からハッキリしていると、それだけで読みやすくて助かる。

粗探しをするなら、ニケはキャラクターとしては出来ているけれども、ストーリー上の役割としては舞台装置的でしかないって点かな。

超常的な存在なのに大したことをやらせいから、展開としてはあまり盛り上がらない、役割としての必然性が薄い。

もちろん主人公の心境が少しだけ変化するキッカケにはなっているけれども、その程度だったら別に似たような人格登場人物でも良いって思ってしまう。

ハートフルコメディ”らしいが、コメディ要素に関してはそこまで楽しいと思える要素が少ない(ハートフル要素に関しては異論はないけれども)。

はいえ描きたいことは理解できるし、作風演出のものケチをつけるようなところはないので、総じて手堅く纏まっているって印象。

ロストサマーメモリー

回想の代わりに動画の記録という演出を取り入れて、その演出がちゃんとストーリー上でも意味があったと分かる構成が良い。

この手の話ってオチが読めたり、判明した後だと途端に白けるんだけれども、本作はそれが分かった上でなお読ませる構成になっているのが上手いと思う。

オチ理解したうえで改めて読み返すと、カメラに映っている登場人物たちの言動とか、視点が見下ろしになったところとか、色んな箇所に恐怖を覚えるっていうね。

もう一度読み返したくなるっていう意味では、今回感想を書いた読み切りの中では一番印象的かな。

難点は、ちゃんと読み込まないと話を理解しにくい構成なのが一長一短といったところ。

色々と工夫しているのに、それが分かりにくいのは勿体無いと思う。

余談。常々思っていることなんだけれども、はてブホッテントリになる漫画って、いまいち基準が分からないことが多いんだよね(面白いかどうかって話じゃなくて、面白いマンガの中からホッテントリになるのはどういう類のものなんだろうって話)。ただ、今回のに関してはまあ分かる。やっぱりプロットキャッチーさがあると強い。

欲(仮)

特定のシーンとかしっかりキマっていて、絵の迫力も中々なのに、話の流れとか展開が不自然なところが多くて悪目立ちしてる。

セリフ選びのセンスというかセリフ運びもぎこちなくて、そっちが気になって目が滑る深読みするなら、一応この不自然さにはちゃんと理由があるといえなくもないんだけれども、ほとんどの登場人物セリフがぎこちいから、ちゃんと機能しているといいにくい)。

テーマ犯人セリフからして明瞭ではあるけれども、ただ喋らせているだけって感じ。

ときおり出てくる独特な表現プロットに馴染んでなくて、単なる賑やかし的な飾りにしかなってないのも気になるし。

演出意図希薄なのに目立つ表現って、悪目立ちに近いから読んでると戸惑う。

作風は色濃く出ていて、一つ一つの要素を抜き出して評価する分には面白いんだけれども、それらが一つの作品としては噛み合ってないなあって印象。

雨音く君の綴る音

こういうシチュエーションは、『言の葉の庭』を思い出すね(別にパクりって言いたいわけじゃない)。

君の名は』でメジャー級になるまで、新海誠監督いまいち大衆認知されない理由象徴するような作品だと思う。『言の葉の庭』って。

アニメーション表現力は圧倒的なんだけれども、プロットが退屈すぎるからね。

要人物のやり取りとかの繊細さ、空気感など、作り手の表現したいことを汲み取った上でなお退屈だった。

なんか『言の葉の庭』の感想なっちゃたけれども、なんでこういう話をするかというと、この漫画長所短所も大体同じだからだと思う。

身も蓋もないことをいえば、動きの少ない、劇的じゃない物語面白がるのは難しい。

ましてや本作は漫画から劇半やアニメーションがない分、漫画という媒体を存分に活かした表現や、よりプロット重厚で繊細でないと厳しい。

キャラ漫画とかだと、キャラクター性に振り切ることで緩和されるけれども、地に足の着いた登場人物たちが現実的世界観物語を紡ぐなら何らかのフック、エンターテイメント性のある劇的な要素がないと、どうしても盛り上がりに欠ける。

ど忘れゴッデス

漫画記号キャラであるゴッデスと、漫画記号取り巻きたちに、主人公イライラするっていう要はメタフィクション要素の強い作品

“こんなヤツ現実にいるわけがないし、いたとすれば絶対キャラでやってるだろ”っていう読者の共通認識コメディ主体にしているのは、取っ掛かりとして良いと思う。

キャラとかではなく、本当に忘れっぽいだけ」みたいなオチに逃げず、ゴッデスが最後最後やらかしたポカが、ネタを忘れるっていう展開なのも利いてる。

深読みするなら、結局ゴッデスがネタでやっているのか、素でやっているのか有耶無耶にしているとも解釈できるけれども、それだと話としてフワフワしすぎているか個人的にその線はナシかなあ。

それと、展開にもう一捻り欲しい。

漫画記号に対するツッコミ主体にするなら、それこそゴッデスというキャラや、彼女を持てはやす取り巻きの不気味さとか掘り下げられる要素はたくさんあるのに、ただ表面をなぞっているだけのストーリーになっているのが物足りないかなあ。

2017-12-28

日本再興戦略

はじめに

 昭和20年大東亜戦争終結以来、我が国は急速な復興を遂げ、GDP換算で世界第2位の経済国家となった。他方で、アメリカ合衆国米国)を中心とするGHQによって拙速に作られ、我が国民の総意を反映しているとはおよそ言い難い憲法を保持することにより、国民精神の十全な発揚を伴った発展は掣肘を受けた。その結果、近年では共産党政権一党独裁国家である中華人民共和国中国)の経済成長に比して我が国経済の成長速度は鈍化し、世界第3位の経済大国という地位に甘んじている。拡大する経済力を基盤とした中国軍事的拡張と、各地での侵略行為は留まるところを知らず、国際秩序の安定上、予断を許さない状況が続いている。

 今こそ、軍事的圧力を背景に押し付けられた借り物の秩序から脱却し、我が国独自政治・経済社会的秩序を打ち建てる時が来ている。帝国主義的な拡張路線にひた走る中国ロシア凌駕し、我が国民がその潜在力を十全に発揮し、我が国未来永劫にわたって繁栄を続けるための基本的条件は、古来より連綿と受け継がれたわが国独自精神文化に立ち戻り、それ基づく政治・経済社会へと変革を成し遂げることにある。以下ではこうした方針に基づいた変革のあらましを記述し、現在に至るまでの進捗状況について述べる。

政治社会

 現行憲法に起因する政治社会制度上の根本的な問題は、国民主権あるいは民主主義の名の下に、収拾のつかぬ意見の多数性がいたずらに尊重され、急を要するあらゆる変革への掣肘となり、かえって衆愚政治に堕していることである。したがって、憲法改正して大日本帝国憲法天皇主権に立ち戻り、国民の強固な統合を図ることが最も枢要である。この目的に照らしてみれば、基本的人権結社の自由信教の自由制限を受けることは当然である。引き続き憲法改正議論を提起し、我が国伝統的家父長制に基づいた国民統合を進めねばならない。

 大東亜戦争終結時、GHQにより天皇制廃止議論が起こり、その方向で新憲法が起案された。先代天皇連合国最高司令官マッカーサー元帥と面会し、象徴としての天皇制存続を取り付けることに成功した。天皇主権国家が次に戦争をひきおこし、他国国土占領される事態に至った場合万世一系天皇家は確実に廃絶されるという教訓を、この経験天皇家に与えた。

 今上天皇はこの教訓を遵守し、天皇主権憲法へと改正を進める論議が起こるにあたって、自らの退位によってこの流れを断ち切ろうと試みた。しか象徴天皇制下において、このような越権行為断じて許されるものではない。天皇象徴となった現在、新憲法下で天皇主権意味するところは、天皇に助言を行う内閣主権であり、ひいては、内閣の長たる内閣総理大臣主権でなくてはならない。こうした主権移譲が円滑に行われるよう、憲法改正議論は続けていかなくてはならない。

 現行憲法下での平等は機会の均等を国民保障する根拠となったが、これはかえって我が国の発展を妨げることとなった。国家が永続的な発展を続けるには、強いものさらなる発展を続けることが、より合理的である。したがって、豊かなものさらに豊かに、強いものさらに強くなるよう、あらゆる方面において既存の有力家への支援を一層拡大することが枢要である

 進捗度: 順調に推移している。

経済

 イノベーションとは畢竟、知的金銭的、社会的な多様な資本の集約を要する。資源の限られたわが国において、すでに成長を遂げた企業への支援継続することが最も合理的である税制労働法制の改革はこの路線に沿って行われなければならない。

 強いものさらなる発展を続けることが合理的である以上、国民の間に所得によって階層分化が生じることは必然である低所得者納税額高所得者に比して低いため、利用可能福祉サービスを減らすことが合理的である福祉サービスの削減について合意を得るためには、強いもの努力によって強くなったのであり、弱いものはみずから怠惰からそうなったのであり、自己責任であるという当然の理路について、国民により一層の教育を図る必要がある。

 進捗度: 順調に推移している。

科学技術

 科学技術国家経済的軍事的発展を支え、国家威信を高めるものでなければ、その存在意義を持たず、財政的援助を受ける必然性がないことは論を俟たない。したがって、産業への応用可能性が最も高い分野に集中的な投資を行い、投資正味現在価値に対する監視を強め、投資判断組織の改編は迅速に行うべきである

 我が国独立独歩中国およびロシア軍事的に対抗するためには、軍事産業の育成が急務である。したがって、大学等の高等研究機関において軍事研究への投資を拡大し、軍事産業の発展に必要技術および人材の育成をさらに進めるべきである

 大学における学問の自由は、天皇主権国家の発展を妨げないかぎりにおいて認められる。国立大学については財政上、人事上での国家の関与を一層強化し、国家経済的軍事的発展へ大学が確実に資するよう政府は導かねばならない。

 進捗度: 順調に推移している。



平成29年12月28日改訂

内閣府では本戦略案に関するパブリックコメントを受け付けています

2017-12-27

どうして自分人間だったのだろう

もし「自分」が地球上のどんな生物として生まれ可能性もあったのであれば、人間でなくても良いはず。

ハエだったらどうだろう。

ハエにも意識はあるだろうけど、人間に比べたらあまりにも小さすぎて、ひょっとしたら自分自分であることに気がつかないかもしれない。ひょっとしたら自分はもしかしたら人間と同時進行でハエなのかもしれないけど、ハエ意識は小さすぎて気づいていないのかもしれない。

と考えると、意識があり、それによって自分自分である自覚できると言う前提からは、人間でなくてもある程度以上の高等な動物であることに必然性があったのかもなあ、

などと歯を磨きながら考えてたさっき。

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