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はてなキーワード: 中学校とは

2019-05-07

毒草知識で人を殺す

さかなクン誰も知らないさかなクンけが知っている魚の毒で人を殺せる。死んだ人間を解剖しても未知の毒だからバレない。

知り合いからもらった山菜トリカブトが混じっていて、謝って食べたとか

ニラと間違えてスイセンを食べて入院したとか

そういうニュースを聞くと意外と簡単他人を殺せそうって思う

小学校中学校だと教室内に監視カメラなんかないから、嫌いなやつの給食に毒を盛って殺せそう。

致死率の高い毒キノコとか、トリカブトとか合法的に手に入る毒ってたくさんあるじゃん

2019-05-06

自由研究ができない子だった

小学校中学校夏休み、どこの学校でも自由研究宿題に課されていたと思う。

私はそれがひときわ苦手だった。

まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。

出てきたとしても、それは既存実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。

小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。

中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。

そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。


今になって思えば、ああい課題子供発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。

紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。

ちゃん自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験計画できるか。

そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。


現在の私は理系の院をなんとか卒業し、企業に勤めている。

ただそれは、研究室時代子供の頃から矯正放棄されていた考え方を改善されたから。

教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。

今でこそ研究テーマ自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、

(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)

配属当初はアウトプットボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。


矯正すれば治るけれど、それに気付かない大人子供も多い。

それを発見するツールとして、自由研究有用だと思える。

私のように大人になって直すよりも、早い内から矯正していけば、本人にとっても周囲にとっても楽だろうし。

本来課題目的に削ぐわない副次的な考えではあるものの、是非ともこの様な活用法をして頂きたいと切に思う。

2019-05-05

キャプテン翼っていうアニメが昔あって

主人公中学生なのにボールゴールネットを突き破ったり、激しいタックルで大ケガをするようなシーンがあったりで、サッカーって恐ろしい競技だな、俺には無理か、、って萎えたのを覚えてる。

から中学校部活サッカー部を選ばなかった。

2019-05-04

小学校教師「足を閉じて正座しろ!」

小学生男子「なるほどそれが綺麗な姿勢なのか。頑張ろ!」

中学校教師男子は肩幅まで足開け!」

中学生男子「えっ。前と言ってること違う」

中学校教師「おまえまだ足閉じてるぞ!開け開け!」

中学校男子「ひぇー」

フェミニスト男性は所構わず偉そうに足を開きたがる!これは男性が甘やかされている証拠迷惑から矯正しよう!」

男性「ひぇー」

2019-05-03

中学校の頃、「バンドやろうぜ」って誘われた

一向に楽器が上達しないかコーラスにまわされた話する?

anond:20190503124341

からプログラミング義務教育化は

小学校あくまで「他教科の中に組み込んでちょろっとやる」って程度、中学校でも「技術家庭科の中の一単元」であって

独立教科になる訳でもなければ年間何十時間プログラミング授業を行うわけでもないし単独で成績がつくわけでもないんだってば…

プログラミング義務教育化に異常に夢を見ている人が多いのはさっぱり直らんな

2019-05-01

anond:20190501130744

O女子大附属は中学校まで共学で、中学卒業時に男子のみよその高校に進学するらしいよ

天皇かい生前退位した陰キャラwwwwwwwwww

あい、あのー、今日はね、2019年4月30日。えー、5時32分ね、夕方の。天皇がね、辞めました。あの皆っ知ってると思うけど、辞めやがってあいつ。天皇を辞めやがってよ。でー、まさっきまで、テレビ見てて。生前退位儀式見てて。それ終わって今すっ飛んできて。動画ね、撮ってんだけど。あのー、ちっ、すー、まあ世間はねえあの、天皇陛下お疲れ様でしたと。これからはね、ゆっくりね、ご自分時間を過ごしてください。みたいな、そんな声でね、溢れかえってるけど。(ドンッ)ふざけんなよ。なに辞めてんだよお前。おい。あのー、俺はね、俺はね。今、中央大学商学部会計学科4年、高学歴皇室ジャーナリストのね、私ステハゲは認めないからね。すー、ということでね、あの今回ステハゲのね、時事問題シリーズ第2弾としてね、天皇生前退位を、ぶったぶった切る。

あのなんでね、なんでね、この俺がね、このステハゲがね、ここまでね、ブチ切れてるか。天皇生前退位にね、世間はね、歓迎ムードの中で、ただ一人ブチ切れているかっていうとね。やっぱねえ、あのー甘えだと思うんだよね。その、まあ皆もう知ってると思うけど、ニュースとか色々見てると思うけど、天皇はねえ、もう死ぬ前に生前退位っていってね、自分皇位自分のね、子供に譲るっていう、生前退位をしたっていうのはね、今まで202年間なかったんだよね。最後にね、この日本っていう国で生前退位が行われたのは202年も前の話なんだよ。でこの202年間ね、誰一人として、天皇はね、生前退位なんていう甘えにね、甘んじることなくね、自分公務を全うしてきたんだよ。その点でまずね、何でお前だけ辞めてんだよ、おん。ってのを言いたい。で、次はね、まこれはねやっぱね、あの-みんな国民の皆も思う事だと思うんだけどさ。僕らやっぱ、ね国民日本国民はさ、毎日毎日日々ね、汗水垂らして、働いてる訳じゃないですか。で汗水垂らしてね、仕事して。で学校行って、勉強して。そんなね、あのー、日本国民がね、毎日必死になって生きてんのに、何でお前、日本日本の、象徴かいうね、お前が勝手に辞めてんだよ、ちっ。すー、そこはね、納得がね、行かないんだわ。ホントに、。おん、ちっ。ちょっとね、うん、すー一国の象徴がね、ふざけた真似されたらね、萎えるんだよほんとに。

でー、ちょっとねあの、ウィキペディアこれね。あの、天皇ウィキペディアなんだけど、これ明仁っいうさっき辞めたあいつのね、ウィキペディアだけど。明仁ね。ちっ、舐めた名前しやがって、おい明仁ね。聴いとけよ、お前ちゃんと。明仁ウィキペディア行くとですね、何かね、色々あるのよ、来歴とか人物とか、あってさあ。こんなさあ、あの、逸話っていうね、ページがあんだけど。逸話。こんですね、とんでもない情報が書いてあって。これ見てね、俺これで正直俺ブチ切れたんだよ。何かっていうとね、ここです。あい。えー、半年に渡って外遊した結果、単位不足で進級できず留年回避するため、学習院大学政治学科中退し、聴講生として大学に残ったっていう。(ドンッ)。ふざけんなよお前、ホントに。お一っとお前らよく聞いとけや、日本国民の皆さん聞いといて下さい、これねえ。このねえ、このポンコツね。大学時代に留年したんですよ。おん。単位不足でね、半年に渡ってね、遊びまわった結果、学習院大学留年だよ。ふざけてるでしょホントに。うん。あの-、まあ過去にね、僕やっぱ学歴系、学歴系のね、学歴ジャーナリストから、あのー、大学のね、話とかね、色々としてるの知ってると思うんだけど。あの、留年する奴はクズだと、常々あの言ってきてるんですよ。皆分かると思うけど。で、まさかのね、まさかのこの、明仁大学留年するクズだったんだよ。調べたらね。これ見てね俺もう、おったまげて。クズじゃねーかよとこいつ。おん。大学1つね、ストレート卒業できない、クズじゃねーかよって思ってね。アンチなっちゃったね、俺ホントに。この、しかも、留年した理由がさ、半年に渡って外遊だよ。何外遊って。おん。カッコつけてんじゃねーよ、外遊じゃねーだろお前。どうせお前な、お前、皇室のあの、潤沢な資金使ってお前金遣いまくって、お前外で遊びまくってたんだろお前、ホント皇后とパコってんじゃねーよ、ホントに。金遣って女とパコってんじゃねーのかよ、ホントに。口が回んねーよ、お前。ホント、おめーみたいな、明仁みたいな、おめーみたいに口回んなくなっちまった。っていうね。何が外遊だよ。調子乗んなよ。でね、あの聴講生となってからは、クラブ活動原則参加できなかった。おん。陰キャラじゃねーかよ、おん。クラブ活動に参加できない、俺以下じゃん。おん。ホントねえ、舐めてんだよね、こいつほんとに。すー、っていうね。まあソースがありまして、おん。天皇陛下なんか、天皇陛下万歳とか言ってるけど、じゃあもう本質はね、本質は、ただのあのー、バカですよホントに。このねあの俺ですら、留年したんことないんだよ。今までにね、大学2つ中退して、今3つ目の中央大学に通ってるけど、この俺ですらね、留年したことないのに。明仁はステハゲ以下ってことだね。っていう。すー、まあね、こんな、こんな、こんなんがね、日本象徴とかね、笑わせてくれるよなホントに、象徴じゃねーよな、嘲笑だよ。嘲笑ですわな。何が象徴だよ。あん。まーホントね、中央大学の、あの象徴おん。この俺から、俺ステハゲからしてみればね、象徴…ちゅん?嘲笑だよ。

すーtまあ、こんなんがね、こんなんが日本天皇からね。あのー眞子様が、眞子様が、小室圭にね。お前寝取られるんだよ。恥ずかしいったらありゃしねーや、何が小室圭だよ。ショーン・Kみたいな名前しやがって、ちっ。笑われてるよ、今頃笑ってるよ。今頃小室笑ってるよ、小室ホントに。あいつ。悔しいねホントに、お前。あんな舐めたさ、舐めた奴がさ、眞子様結婚するのが。俺が結婚してやるよ。俺が結婚した方が100倍マシだよ。で、何だあの佳子様佳子様とか。あー、そうだ佳子様も何だっけ、大学ころころ辞めたんだっけ、す-、そりゃねえ。ジジイがね、自分のおじいちゃんがね、大学留年するようなポンコツなら、そりゃあ孫もね、ころころ大学変えますわな。俺と同じじゃねーかよ、おい。ちっ。でー何だ?悠人、悠人。あのー、つい一昨日だっけ、悠人のさ、机にあの、包丁置かれてたんでしょ、お茶の水女子女子附属?お茶の水女子付属中学校に通ってさ、悠人がさ、机に何か刃物なんか置かれちゃってさ。舐められてんね、ホントに。舐められたもんだよ、ホントに。まあこれもね、それも、これもあれもね明仁、このさっき辞めたあの、あいつ、あいつ。あいつがね、この体たらくから。舐められてんだよ。明仁があのな、天皇はな、シャキッとな、キッチリちゃんとしっかりした姿見せてれば、舐められはしねーんだよ。だからホントね、何もかもね今の皇室のこの現状はね、あのこのね、明仁のせいだよ。ちっ、うん。ホント。あの愛子もわ、愛子も笑ってるわ、ホント。あの顔で笑ってるわ愛子も、おん。とんでもねー、とんでもねー家に生まれちまったって、笑ってるわ。愛子も。っていうね。

すー、まホントに、あの、これちょっと後ろね。本棚、これ今おばあちゃん家なんだけど。これ見てもらったら分かるけど、これね、小さいころからね、あの教育ホント色んな学術誌をね、見せられてね。ホント、俺も見えると思うけど、ブリタニカ百科事典とかね、色々とね、こんだけの書物があると色々な、あの日本の歴史まあ皇室について。教育を受けてきた僕ステハゲがね。本日ちょっとぶったぎらせて、ぶった切らせて頂きましたけど。そんなね、うんな舐めたね、ことしてんだったらね、俺が天皇になってやるよ。あんな、誰でもなれんじゃねーかよ。おん。こんなさあ、学習院大学をね、あのFラン学習院大学をね、留年するような、雑魚がね、あの、天皇やってんだよ。誰でも出来んじゃねーかよ、そんなん。おい、俺がやってやるよ、そんなん。あん。ほんと。学習院天皇なれんだったら、中央でもなれるから。でー、あの佳子様。おん、佳子様佳子様とヤらせろよお前、佳子様佳子様佳子をな、佳子をな、佳子佳子とパコってな。おん、孕ませてやるわお前、ホントに。おん、新しいね、新しい皇太子を俺が作ってやるからお前。差し出せよ、差し出せよ佳子をな。佳子をな。そんな感じで、まあ何でもかんでもね、天皇からって、あが、崇めなきゃいけないなんてね、そんな法律いから。うん。俺、思ったことは言わせてもらうからね。っていうね。しー、まあ今後はね、日本。そして世界が、どうなるかね、大変ちょっと、おん、心配ですけど。まあね、あのー、皇室ジャーナリストの、兼まあ、インターネットジャーナリストの、私ステハゲ、がね、コレからのね、日本、そしてね世界を取り巻く時事問題についてね、またね動画で語らせて頂くのでね、是非皆さん、チャンネル登録とかね、ツイッターフォロー、願いします。

https://www.youtube.com/embed/VbxFCHIwxh4

2019-04-30

anond:20190430082056

それ言ったら国立によくある教育学部付属なんとか中学校入った生徒がみんな教育学部に進学するわけじゃないのと同じじゃね?

2019-04-29

防犯カメラリレーして追跡する手法

今回の中学校侵入してロンギヌスの槍を置いてきたおっさんも、渋谷軽トラをひっくり返した連中もそれで捕まった。

逃れるのには、いったんどこかに隠れて服を着替えればいいのかな。

ギャグ漫画を描きたい

 努力継続するのには、才能が要ると思う。

 と、いうのは何年か人間をやってみてつくづく実感した事だ。

 小学生の頃は漠然と、「まあ、大人になればなりたいものになれているだろう」と考えていた。

 そんな私が、思い描いていた己の夢に対して、何かしらの努力を積み重ねたかというと、そりゃあ多少は頑張った事もあるが、現実はほぼゼロに近い。

 ギャグ漫画家になりたいと考えていた。

 でも、私は「ギャグ」がどういうものかなんて一度も研究した事が無い。落語お笑いも今一つ興味を持てないで大人になった。

 そもそも漫画の描き方を勉強した経験もないし、絵の練習をまともにやった事すら無い。

 子供の頃はよくアホ面で絵を描いていた。算数社会の授業が嫌いだったから、ノート教科書の隙間によく下手糞な落書きをして、先生に見つかっては呆れ顔で注意されていたっけな。

 中学校に入っても絵を描く意欲は持っていた。とても上手な先輩が居て、彼女の絵を見るのが好きだった。自分もこういう絵を描けるようになりたいと思った。

 美術部に入って、真面目に勉強しようとは考えていた。でも、身体の弱い私を心配した家族担任相談して決めた結果、強制的サッカー部に入部させられる事になった。怒られるのが嫌いだったから、部活動には真面目に励んだ。いくら頑張っても運動音痴なままだったけど、卒業式の帰りに、顧問先生に引き留められて、抱き締められながら「よく頑張ったな」と言われた時は、なんだか報われた気がして、泣きそうになった。

 いつの間にか絵を描かなくなった。自然に。多分、部活動に夢中で、余裕が無かったから。

 高校生になって、独創的で可愛くポップな絵を描く少女出会った。彼女は私のことが嫌いみたいで、近寄ると冷たい対応をされたけど、私は彼女の事が嫌いじゃなかった――というより、私は彼女の絵が好きだった。

 影響されて、久し振りに絵を描いた。でも、描いても描いても納得が行かなかった。絵を描こうとするたびに、絵を描くのがつまらなくなって行った。

 彼女みたいな絵を描きたい。それだけだったのに。

 私は絵を描くのをやめた。

 物語世界に浸るのはとても好きだ。だからアニメも見るし、漫画もよく読む。ゲームも頻繁にやる。

 私は眼があまり良くないし、集中力も人より低いと自認している。だから映画だけは、本当に琴線に触れたときしか見ない。

 閑話休題

 中学校で一度だけ、鬱病になって引き籠っていた時期がある。復学したときに、クラス担任が新任の若い先生になっていた。

 彼は私と仲良くしたかったみたいで、よく趣味や好きなものを聞かれていた。でも、特に思いつかなかった。その時期は本当に、何にも没頭できず、打ち込むことすらできず、死んだ魚の目でぼうっと生きていた。好奇心すら砂塵ほども存在しなかった。

 さて、新任の先生は本と映画がとても大好きな人で、私にもそういう自分趣味を勧めて来た。はじめて渡された本は、有川浩の「海の底」、「フリーター、家を買う」、「シアター!」の三冊。

 「気が向いたときに呼んで欲しい」――そう言われた私は、放課後の自室で、ベッドの上に横たわりながらぱらっと本をゆっくり捲りながら、「海の底」を読み進めて行った。

 とても、面白かった。ただの文字列が鮮明な映像に変わって行く感覚は、台詞ひとつひとつが声をとして再生されて行く感覚は、とても奇妙奇天烈だけど楽しくて、己の感性に訴えかけてくる何かが、確かに私の胸を惹き付けて堪らなかった。だから、私は次々と本を読み進めて行った。

 それから、私と先生の奇妙な関係卒業まで続いた。おすすめの本を貸して貰って、私も自分で買った本を先生に貸して、読み終わったあとにお互いの感想を交換する。

 自然と、私の読書量は増えて行った。教科書を読むのは嫌いだったけど、小説を読むのは難の苦も無く出来ていた。

 高校に入ってから幾何か落ち着いたけど、それでも本を買って読む習慣は、いつまでも続いて行った。

 本を読み耽る趣味が出来て、私も何かしらの物語を書きたいという欲が出て来た。

 見様見真似で文章を書いて、それをインターネットにいくつか上げた。

 はじめは、酷評アドバイスも素直に受け止められていた。だけど、自分文章自分なりの拘りが出来て行くたび、評価が怖くて誰にも見せられなくなって行った。

 ランキング上位に来ている小説を読んで、なんでこんなものが? と考えるたび、自分の才能や資質を疑うようになる。

 そして、何の努力もせず、単に良い評価だけを得たかった己を自覚して、恥じ入って、とても死にたくなった。

 もしかしたら、あの駄文は、とても拘ったシナリオ構築のうえで成り立つ、とても凄い小説なのかもしれない。

 あるいは、このサイトの客層やニーズを考え、需要のある設定とキャラクターを考えて作られた、評価されるべくして評価される小説なのかもしれない。

 私には、とてもそんな事はできない。私は自分の好きなものしか書けない。書きたくも無い文章を書くのは、苦痛しかないし、文章を書くという行為は多大な体力を消費する重労働だ。

 案ならいくつでも浮かぶ――だけど、推敲する度に、これで良いのかという疑念が湧いて来る。読み返す度、自分文章がつまらなく感じて行く。ジレンマの中で、私は筆を折った。

 今でもたまに、何かしらの物語を書きたくなる時がある。

 そのたびに、得るものが欲しくて小説を読み始める。義務的にはじめた読書は、とても苦痛に感じてつまらない。読みたくて買った本を棚にしまって、現実逃避をはじめてしまう。心の中に生まれたどろっとした何かが、気分を悪くする。

 一種の習慣と化していた創作行為が、私の心を蝕んでいる。

 ギャグ漫画家になりたいと、今でも考えている。

 絵が下手でもいいから、ギャグセンス大衆受けしなくてもいいから、何かしらの何かを遺したいと思っている。

 努力継続するのには、才能が要ると思う――そんなのはただの言い訳だ。そんなことは、分かってる。

 ただの怠惰人間言い訳だ。無産の人間が尤もらしくほざいたところで、現実は何も変わらない。

 でも、言い訳をしていないと、自己正当化をしないと苦しくて何もできない自分も居る。

 どうすればいいのだろうか。もう、何も分からない。

 取り敢えず、気が向いたら絵を描こう。そう思った。

夢日記

学校椅子を持ち出して国道沿いを歩いてた。途中にめっちゃかいツイッターロゴ看板があったから近寄った。中学校らしくて、中では体育祭をやっていた。クラス対抗ドッヂボールだった。僕は観客席から見ていた。生徒たちは皆僕が中学生同級生で、過去に戻ったような気持ちだったけど皆俺のことは知らないようだった。俺だけが皆との思い出を感じてるだけで皆は俺のことを知らない。ドッヂボールは凄かった。どういう効果があるのか知らないけど、チームの真ん中で太った女がオペラを歌って、他の人がそれを囲いながらぐるぐる回っていた。これでボールに当たりにくくなるとでもいうのか。途中一人の生徒が鼻血を出して保健室に行くことになったので俺がついていきます!と名乗りを上げた。向こうからしたら、誰だこいつと思っていたのかもしれないけど、俺は少しでも関わりを持ちたかった。保健室に連れて行って、グラウンドに戻るとそこには閉会式を終えて皆帰る準備をしていた。昔俺が好きだった杉浦が田口告白したようだ。俺は何故かもうどうでもいいやとなって杉浦にずっと好きでした、付き合ってくださいと土下座した。誰こいつって感じだった。そりゃそうだよね、皆の事は俺しか知らない。皆は俺のことを知らない。

2019-04-28

anond:20190425182402

同業の下請け中小なのでかなり共感した

また増田にいろいろ書くと良いと思う

それとは別に親戚に中学で引きこもった娘さんがいる

社会性は中学校で止まりバイトすら出来ずもう30になる

鬱で引きこもりがちになっても、保健室登校定時制高校大学就職というルートもあったんだなと知見を得た

今となってはどうにもならないが

anond:20170524090451

テトリスという匿名ダイアリーを読んで、ほとんど同じような経験をしていたのを思い出した。

小学4年生ぐらいの時に両親が離婚して父子家庭になった。

突然すぎる家庭環境の変化に耐えかねて、警察沙汰になるようなイタズラを外で繰り返していた。

ひねくれすぎて、小学校の友達に卑屈な態度をとっていたせいで学校内で虐められた。

やがていじめから逃げるようにして、学校帰りゲームセンターに通い、コインゲームにハマっていった。

休日1日を浪費して、何時間も、何日も連続で。

知らないおじさんからもらったメダルや拾ったメダルで、ただひたすらにコインゲームをやっていた。

今にして思えば、あのコインゲームのスペースは寂しい人たちの集まりだった。

いじめられっこや家庭内放置された子供それから家に居場所のない老人。

そこで新しいコミュニティを築いた。同い年の不良から老人まで幅広い世代の人たちと交流し、そこでいろんな人に優しくしてもらった。

中学校卒業するまでゲームセンター通いは続いて、高校入学と同時にゲームセンター通いは止まった。

増田と同じように大学受験に失敗して浪人が決まった時、ゲームセンター通いが再開した。

結局この時も、大学が決まるまで2年間通い続けた。

大学に入ってから春休み夏休みなど大型連休精神的なバランスが崩れるたび、ゲームセンターに足を運んだ。ひたすらにコインゲームを続けた。

彼女に振られたとき家庭内が不穏なとき大学課題キツイとき、強いストレスを受けるたびにコインゲームに没頭した。

社会人になっても長い休みを見つけるたびに足は自然ゲームセンターへと向かう。

3000円を両替機に突っ込みメダルをジャラジャラさせながらプッシャー機にメダルを落としてゆく。

きっとこれからも強いストレス不安を感じるたび、ただただ無心でコインゲームに没頭する。

それがテトリス増田と同じ、傷ついた心の回復方法であり、安定剤なのだろう。

近頃だんだんと数を減らしてゆくゲームセンターコインゲーム

全てが消えてしまった時、私はどうやって傷を癒せばいいのだろうか。

2019-04-26

anond:20190426105906

昔は「バザー」というものがあってだな

中学校PTAなんかが中心となって現在フリマと同じく家庭の不用品などを安く売って活動費に当てようってイベントが頻繁に行われていたんだ

中には手作り出品するお母さんがたもいてだな

まあ高度成長期に行われてたか年代うから分からんけど

東大生の母が上野千鶴子祝辞を読んで思ったこと。

我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎公立中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。

夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベル経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベル生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。

実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。

彼は「東大なら自分能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?

いわゆる裕福な家庭で小さなから学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。

上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症マザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者からまれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者仕事では。

人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学価値を高めていくのではないだろうか。

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-24

中学校の頃、陰湿いじめを受けた

あれは冤罪だった。ある日突然、学年主任に呼ばれて「お前がいじめをしているという報告が複数女子からあった」と言われた。全く身に覚えのないことで否定したが認められなかった。

しばらくして、クラスメイトいじめっ子だったSも呼ばれて一緒に事情聴取をされた。Sとは昼休みに少し話をする程度の仲だったが、学年主任曰く俺とSは仲が良く共謀していじめたという話になってた。

いじめられたのはクラスメイトのGで、知的障害者っぽいやつだった。SがGをいじめていたのは知ってはいたが面倒なので知らないふりをしてた。そもそもGはいじめられてるという自覚がないようで、遊んでいると思っていたらしい。

事情聴取でも、やってないと主張したが逆効果生徒指導教頭まで呼ばれて最終的に認めざるを得なかった。Gが単独でやったことも共謀したと認めさせられた。俺とSはGに謝ったが、Gはポカーンとして状況が理解できてなかったようだった。

その後は両親に連絡がいって、両親がGの親に謝っていた。俺は両親にいじめはしていないと言ったが信用してもらえなかった。親に信用されないのは本当に辛かった。

どう考えても女が嘘の報告をして俺に罪を被せようとしたとしか考えられない。誰がそんなことをしたのか分からなかったが、強引に認めさせた学年主任教員には相応の仕返しをした。

椅子画鋲を置いたり椅子を液体糊でベチャベチャにしたり数えきれないくらいやった。その度に生徒指導で怒られたが全く反省しなかった。「悪いのはお前らだ」。今でもそう思っている。

ここ2ヶ月で読んだ漫画と爪痕が残った漫画あらすじ&所感

読んだ漫画基本的にどれも最新刊まで)

Made in Abyss

隅々まで探索されつくし世界に、唯一残された秘境大穴アビス』。どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作りえない貴重な遺物が眠っている。

アビス」の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し冒険へと駆り立てた。そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』呼ばれるようになっていった。アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。そんなある日、リコはアビスを探窟中に、少年の姿をしたロボットを拾い…?

所感:フェティシズムの塊。

たとえ灰になっても

難病の妹を救う為、10億の資金集めに奔走する高校生四宮良真は、不慮の交通事故で死んでしまう。しかし目覚めた先は、天使クロエルが支配する地獄狭間だった。そこは本名がバレると、灰になってしま世界……。強制参加させられた四宮たちは、名を偽り、性を偽り、嘘と本能に従い、命と金を賭けた人生逆転のデスゲェムが始まる!!

所感:作者死亡につき未完となった遺作。漫画の内容というよりこのニュースによって印象が三階級特進。

アオアシ

アオき原石よ、「Jユース」で飛翔せよ!愛媛に暮らす中学三年生・青井葦人。

粗削りながら、強烈なサッカーの才能を秘めているアシトだったが、まっすぐすぎる性格が災いして、大きな挫折経験することに!!そんなアシトの前に、東京にある強豪Jクラブ東京ティエスペリオン」のユースチーム監督福田達也が現れる。アシトの無限可能性を見抜いた福田は、東京で開催される自チームのセレクションを受けるよう勧めて!?将来、日本サッカー革命を起こすことになる少年運命は、ここから急速に回り始める!!

所感:さすが「読めばサッカーが上手くなる」と言われるだけある漫画。基本のルールくらいしか知らない自分でも分かりやすくそれでいて実践的。その上漫画としても面白いというケチの付けようがなさ。色んなサッカー漫画を読んだが「サッカー漫画」ではなく「サッカー」が面白いと初めて感じた作品

ゴールデンカムイ

舞台は気高き北の大地・北海道時代は、激動の明治後期。日露戦争という死線を潜り抜け『不死身の杉元』という異名を持った元軍人・杉元は、ある目的の為に大金を欲していた…。一攫千金を目指しゴールドラッシュに湧いた北海道へ足を踏み入れた杉元を待っていたのは…網走監獄死刑囚達が隠した莫大な埋蔵金への手掛かりだった!!?雄大で圧倒的な大自然! VS凶悪死刑囚!! そして、純真無垢アイヌ美少女との出逢い!!莫大な黄金を巡る生存競争サバイバルが幕を開けるッ!!!!

所感:作者が正気ではないことだけは、わかる。

ザ・ファブル

寓話”と呼ばれし、風変わりな“殺しの天才”が、この町の片隅にひっそりと棲んでいる。殺しのプロとして“一般人”になりきれ! 野蛮で、滑稽な、大阪DAYS

所感:「間」が良い漫画

スピリットサークル

中学2年生の桶屋 風太クラス転入生がやってきた。霊が視える風太は、転入生・石神 鉱子にイーストという背後霊が憑いていることに気づく。風太イーストに話しかけないようにしていたが、その日の放課後、鉱子と別れる際にイーストに話しかけられ、つい返事をしてしまう。風太イーストが視えていることに気づいた鉱子はそれまでと態度を一変、スピリットサークル風太を殴りつけ、過去生を視させる。

所感:全6巻だが1ページも無駄がない。5巻でも7巻でも駄目。6巻にすべての話が淀みなく、綺麗に収まっている完成された漫画

デッドマウント・デスプレイ

それは「衝撃の第1話から始まる物語。幾多の死地を踏み越えた最強の聖職者と、希代の死霊術師の戦いは、新たな舞台新宿』へと誘う。

所感:よくある有象無象のなろう系だと思ったありきたりな設定。しかし、描く人間が違えばやはり面白さには差が出るのだと思い出した。

ドリフターズ

紀元1600年、天下分け目の関ヶ原……敵陣突破撤退戦島津の退き口」「捨てがまり」で敵将の首を狙うは島津豊久!! 生死の狭間で開いた異世界への扉……現在では無い何時か、現実では無い何処かへ、 …

所感:ヘルシングの人。やっぱりこれも作者の味付けでありきたりな設定でも差が出るものだと実感する。

ハイキュー!!

ある日偶然春高バレーテレビ中継を見かけた小柄な少年日向翔陽は、「小さな巨人」と呼ばれ躍動する地元宮城県立烏野高校エースに心奪われバレーボールを始める。低身長という身体的不利を補って有り余るほどの類稀なる運動神経とバネ、バレーへの情熱を持ち併せていた日向であったが、入学した中学校のバレー部に指導者どころか自分以外の部員がいないなど環境に恵まれず上達の機を逸していた。中学3年の夏、やっとのことでメンバーを集めて出場した最初最後公式戦で、日向率いる雪ヶ丘中は「コート上の王様」と呼ばれる天才セッター・影山飛雄擁する強豪・北川第一中に惨敗してしまう。影山に中学校での3年間を否定された日向は、影山へのリベンジを果たすべく憧れの烏野高校排球部に入部。晴れて迎えた部活動初日体育館に入った日向の目の前には影山の姿があった。初めは反発し合っていた二人だが、それぞれの持ち味を生かした“トスを見ない”クイック攻撃通称・「変人速攻」を編み出し、独りでは見ることのできない「頂の景色」を見るため、個性豊かな烏野高校の仲間たちと共に全国大会を目指すこととなった。

所感:ジャンプ漫画言わずもがな

パラレルパラダイス

異世界に迷い込んだ男子高生・太多陽太は、森の中で美少女騎士ルーミと出会う。そこは少女けが存在する世界。神の化身からルーミとの交尾を命じられる陽太。触れられただけで極限まで発情したルーミは‥‥!?

所感:安定の岡本倫。安定…?作品毎に酷くなり続けているという意味では安定か。

パンプキン シザーズ

帝国は、フロスト共和国と長きにわたる大規模な戦争を行っていたが、「薄氷条約」とも呼ばれる停戦条約が結ばれ、戦争終結した。

停戦条約から3年を経て、帝国復興しつつあったが、なおも社会混乱は完全には収まっておらず、難民兵隊の野盗化などの「戦災」が続いていた。そこで帝国および帝国陸軍は、これら問題解決する戦災復興の専門部隊として陸軍情報部第3課(後に通称パンプキンシザーズ」)の設置を決める。

第3課の実情は形式的な物であったが、彼らは戦災復興に真面目に取り組み、時に戦後の混乱を利用して私腹を肥やしたり、民衆を虐げる権力者たちと対峙する。

物語は、とある村にパンプキンシザーズとして赴いたアリス・L・マルヴィン少尉と、退役後は悲惨戦場に倦み疲れて行く宛ても無く各地を放浪していたランデルオーランド伍長との出会から始まる。

所感:最新刊で悪い意味で作者の「我」が出たと思う。今まで積み上げてきた影の黒幕の「格」をなぜここにきて暴落させたのか理解できない。

ヒストリエ

舞台紀元前、後にアレキサンダー大王書記官となるエウメネスの波乱に満ちた生涯を描いた歴史大作です。蛮族スキタイ出身でありながらそれを知らず、都市国家カルディアでギリシア養父母に育てられたエウメネスは、そのおかげでギリシア教養を身につけることとなる。ある日養父スキタイ人に殺され、自分出自を知ったエウメネス奴隷身分に落とされてしまう。それが彼の波乱の旅の始まりだったのです。

所感:寄生獣の人。話のスケールかい

ブルーピリオド

成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚焦燥感を感じて生きる高校生矢口八虎は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術世界へ身を投じていく。美術ノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す!

所感:青春

マージナル・オペレーション

ラノベゲームを愛好するおたく主人公新田良太(通称アラタ)。専門学校卒業おたく業界入りを目指すが挫折し、7年続けたニート立場に耐えかね、30歳手前で一念発起。ネットで見つけた外資系軍事企業PMSCsの好条件に魅力を感じ出来心就職した。軍事企業就職したニートが、異国での訓練期間で垣間見た、この世界現実とは?

所感:知らないで最低のやつか、知ってて最低のやつしか世の名にはいない。

不死の猟犬

両手にライフル――少女は躊躇なく人を撃つ。

その世界では、人間は死なない。撃たれても刺されても数秒後にはケロリと生き返る。

かつて「死ぬ」生き物だった人間たちは今、死の恐怖から解き放たれて暮らしていた。

ところがある時を境に異変が起きる。RDSという病にかかった者は、生き返る事ができなくなってしまうのだ。

なぜ突然? 自然淘汰か? 何者かの陰謀か?

RDSで最愛の妹を失った男・剣崎は謎を追い、そしてひとりの少女と出遭う……!

所感:陳腐な言い方すると「キャラが立ってる」

五等分の花嫁

貧乏生活を送る高校2年生・上杉風太郎のもとに、好条件の家庭教師アルバイトの話が舞い込む。ところが教え子はなんと同級生!!しかも五つ子だった!! 全員美少女、だけど「落第寸前」「勉強嫌い」の問題児! 最初課題姉妹からの信頼を勝ち取ること…!?毎日お祭り騒ぎ中野家の五つ子が贈る、かわいさ500%の五人五色ラブコメ開演!!

所感:例の低俗ニュースきっかけ。久しぶりに読む恋愛もの

夢で見たあの子のために

幼少期に家族を惨殺された中條千里は、ただ復讐を果たすためだけに生きている。生活の全て、学校の全て、復讐という目的を果たすのに必要な力とお金を得るため、自分が汚れるのも厭わない…。心配する幼馴染み、残された肉親の思いも振り切って果たそうとする、人生の全てを懸けた復讐劇の先にあるものは、果たして千里に何をもたらすのだろうか?!

所感:僕だけがいない街の人。この人やっぱりサスペンス1本の人なんだな。

来世は他人がいい

極道の家で生まれ育った女子高生染井吉乃。家庭環境特殊でも、おとなしく平穏に日々を過ごしてきた。婚約者の深山霧島出会うまでは!はみ出し者たちが織りなすスリルと笑いが融合した極道エンタメがここに誕生!!

所感:これから面白くなりそう。

王様達のヴァイキング

高校中退、バイトも即クビ。社交性もなきゃ愛想もなし。18歳の是枝一希が唯一持っているのは、ハッキングの腕。金融機関サイバー攻撃を仕掛けた彼の前に「お前の腕で世界征服する」と宣言する大金持ちの男が現れる。ハッカー少年仕事中毒エンジェル投資家、彼ら2人はどんな仕事を創り出すのか…?全く新しい新世代タッグ誕生!!!

所感:主人公の変化を楽しむ作品

異世界おじさん

17年間の昏睡状態から目覚めたおじさんは、異世界グランバハマル」からの帰還者だった……。現実異世界現実渡り歩いたおじさんと、甥っ子たかふみによる、新感覚異世界ジェネレーションギャップコメディ

所感:第一印象より数段絵が上手い。

anond:20190424124223

中村雅俊出身中学女川第二中学校だそうで、略すとオナニチュウだそうだ。(本人が言ってた)

2019-04-22

久しぶりに実家に帰った

東京から電車小一時間、30年前にニュータウンとして開発され今は過疎化が進む町。

JRの駅からは徒歩で3~40分程、車なら10ちょっとかかる。

私が子供の頃は近所に大型スーパーがふたつあって、歩いていけるところにコンビニがあって、

美味しいお弁当屋さんやテイクアウトピザ屋さん、ホームセンターなんかもあって、

小学校中学校徒歩圏内にあって、図書館役所ちょっと遠かったけど、郵便局はあって、

生活するのに困らない田舎の町」だった。

今では上記の店は全て潰れて、車で5分のところに少しだけ大きなイオン

潰れた店のあとには中古車屋と紳士服屋消費者金融ATMができて、

コンビニは老親の足では歩いていけないところに移った。

ネットスーパー生協を駆使しているようだけど、

足の悪い親にとっては「生活するのに困らない町」ではなくなったように思う。

同級生マイルドヤンキーになる人はあんまりいなくて、

県内ならもう少し発展した新興住宅地の方に住んだりしているみたい。

そうしなかった人たちは東京に出てきて暮らしている。

イオンに行ってもさ、本当に老人しかいないんだよね」

と言う親を見て、この田舎に戸建てを構えたあの頃一体何を考えていたんだろうと思ってしまった。

大阪都構想を実現するのは「掃除」かもしれない話

2015年5月大阪都構想住民投票が行われた。

結果:

賛成:694,844票(得票率:49.6%)

反対:705,585票(得票率:50.4%)

この結果になったのは、結局、理屈じゃなくて感情だったのだと思う。

ふんわりと反対した人の理由・・・

住所の名前が変わるのが嫌だ(特に湾岸区が不評)

別に今のままで困ったことはない

区役所が遠くなるのはいやだ

上西小百合けしからん

(→個人的には上西小百合の件がなければ賛成多数になっていたと思う)


大阪維新の会ができて様々な改革が行われた結果、大阪の街は変わってきた。

街がきれいになってきたし活気もでてきた。役所改革を行って子育て世代にも投資を行うようになった。高校無償化中学3年まで医療費を実質無料、小中学校へのクーラーの設置、中学への給食実施などだ。


この結果、大阪維新の会の子育て世代から支持率はとても高い。

大阪維新の会は、選挙期間中以外でもタウンミーティングを数多く開催して大阪都構想への理解を深める活動を続けている。ホームページSNSでも他の政党に比べて格段にわかやす説明している。


から大阪維新の会は、地元大阪での選挙はとても強い。

よく東京メディア維新の人気をポピュリズムとか言っているが、全く違う。

他の政党と比べ物にならないくらい、地道な活動選挙期間以外も積み重ねている結果なのだ


今回の大阪市長・知事ダブル選挙でも維新支持層候補者への投票率はすごく高い。

でも、意外に「支持政党なし」の人からの得票率は高くない。

https://twitter.com/hikanorerere/status/1114901876758081536


大阪維新の会は、タウンミーティング街頭演説で丁寧に大阪都構想説明を積み重ねている。大阪の街も活気が出てきて支持も高まっている。

次に住民投票をしてら可決されると思いがちだが、住民投票は「賛成」か「反対」の2択だけだ。そこが普通選挙とは違う。

大阪市内の有権者大阪都構想理屈理解して賛同している人はたぶん約50万票、強固に反対する人は約40万票ぐらいだと思う。市長選投票率ぐらいならこれで賛成多数となるが、住民投票投票率が上がる。残りの50万票は、そんなに深く考えずに感覚感情投票している層だ。

反対派が、いろいろアピールすると感情的に「今のままでいいか・・・」というふうになる人が増えてくる。


じゃあどうすればいいのか?。

今の大阪維新の会理論理屈が先行しすぎだ。

これは創立者の橋下氏の影響が大きのかもしれない。

本当に大阪都構想を成立させたいのであれば、感情も動かさないといけない。

感情を動かすにはどうするのか?


それは「掃除」だ。

タウンミーティング街頭演説する時に、ゴミ袋とゴミばさみをもって付近掃除するのだ。

大阪はいまだに全国での犯罪発生率ワーストワンである

京都神戸に比べても、明らかに街の中に落ちているゴミが多い。

街がきれいになっていけば犯罪発生率自然と低下していくはずだ。

から街頭演説タウンミーティングの時に、必ずゴミ掃除をしてする。

大阪の街をキレイにして犯罪ワーストワンを返上しよう!」というキャッチフレーズを叫んでいる。

こういうことを積み重ねていけば、理屈ではなく、「あんゴミ掃除している人の言うことだから信用できる」と感情が動くことになる。

なんで、こんなことを感じたかというと、この前、居酒屋で隣におっさん2人組がいた。

「昔の天王寺公園青空カラオケとかあって大阪しかった。今の天王寺公園キレイすぎて味気ない」という話をしていた。

理屈でいったら10年前の汚くて治安も良くなかった天王寺公園より、今のキレイな方が良いに決まっている。でも人は理屈だけではないのだ。

こういった、過去哀愁を感じる高齢者層を動かすのに、今の理屈で攻める方策では難しい。若年層・子育て世代には今の戦略でいいだろうが、高齢者投票行動を変えるには感情しかない。

から掃除」で感情を変えるのだ。

この文章大阪維新の会の方に届くことを願う。

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