はてなキーワード: 中学校とは
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。
あい、あのー、今日はね、2019年の4月30日。えー、5時32分ね、夕方の。天皇がね、辞めました。あの皆っ知ってると思うけど、辞めやがってあいつ。天皇を辞めやがってよ。でー、まさっきまで、テレビ見てて。生前退位の儀式見てて。それ終わって今すっ飛んできて。動画ね、撮ってんだけど。あのー、ちっ、すー、まあ世間はねえあの、天皇陛下お疲れ様でしたと。これからはね、ゆっくりね、ご自分の時間を過ごしてください。みたいな、そんな声でね、溢れかえってるけど。(ドンッ)ふざけんなよ。なに辞めてんだよお前。おい。あのー、俺はね、俺はね。今、中央大学商学部会計学科4年、高学歴皇室ジャーナリストのね、私ステハゲは認めないからね。すー、ということでね、あの今回ステハゲのね、時事問題シリーズ第2弾としてね、天皇の生前退位を、ぶったぶった切る。
あのなんでね、なんでね、この俺がね、このステハゲがね、ここまでね、ブチ切れてるか。天皇の生前退位にね、世間はね、歓迎ムードの中で、ただ一人ブチ切れているかっていうとね。やっぱねえ、あのー甘えだと思うんだよね。その、まあ皆もう知ってると思うけど、ニュースとか色々見てると思うけど、天皇はねえ、もう死ぬ前に生前退位っていってね、自分の皇位を自分のね、子供に譲るっていう、生前退位をしたっていうのはね、今まで202年間なかったんだよね。最後にね、この日本っていう国で生前退位が行われたのは202年も前の話なんだよ。でこの202年間ね、誰一人として、天皇はね、生前退位なんていう甘えにね、甘んじることなくね、自分の公務を全うしてきたんだよ。その点でまずね、何でお前だけ辞めてんだよ、おん。ってのを言いたい。で、次はね、まこれはねやっぱね、あの-みんな国民の皆も思う事だと思うんだけどさ。僕らやっぱ、ね国民、日本国民はさ、毎日毎日日々ね、汗水垂らして、働いてる訳じゃないですか。で汗水垂らしてね、仕事して。で学校行って、勉強して。そんなね、あのー、日本国民がね、毎日必死になって生きてんのに、何でお前、日本の日本の、象徴とかいうね、お前が勝手に辞めてんだよ、ちっ。すー、そこはね、納得がね、行かないんだわ。ホントに、。おん、ちっ。ちょっとね、うん、すー一国の象徴がね、ふざけた真似されたらね、萎えるんだよほんとに。
でー、ちょっとねあの、ウィキペディアこれね。あの、天皇のウィキペディアなんだけど、これ明仁っいうさっき辞めたあいつのね、ウィキペディアだけど。明仁ね。ちっ、舐めた名前しやがって、おい明仁ね。聴いとけよ、お前ちゃんと。明仁のウィキペディア行くとですね、何かね、色々あるのよ、来歴とか人物とか、あってさあ。こんなさあ、あの、逸話っていうね、ページがあんだけど。逸話。こんですね、とんでもない情報が書いてあって。これ見てね、俺これで正直俺ブチ切れたんだよ。何かっていうとね、ここです。あい。えー、半年に渡って外遊した結果、単位不足で進級できず留年を回避するため、学習院大学政治学科を中退し、聴講生として大学に残ったっていう。(ドンッ)。ふざけんなよお前、ホントに。お一っとお前らよく聞いとけや、日本国民の皆さん聞いといて下さい、これねえ。このねえ、このポンコツね。大学時代に留年したんですよ。おん。単位不足でね、半年に渡ってね、遊びまわった結果、学習院大学留年だよ。ふざけてるでしょホントに。うん。あの-、まあ過去にね、僕やっぱ学歴系、学歴系のね、学歴系ジャーナリストだから、あのー、大学のね、話とかね、色々としてるの知ってると思うんだけど。あの、留年する奴はクズだと、常々あの言ってきてるんですよ。皆分かると思うけど。で、まさかのね、まさかのこの、明仁。大学を留年するクズだったんだよ。調べたらね。これ見てね俺もう、おったまげて。クズじゃねーかよとこいつ。おん。大学1つね、ストレートで卒業できない、クズじゃねーかよって思ってね。アンチになっちゃったね、俺ホントに。この、しかも、留年した理由がさ、半年に渡って外遊だよ。何外遊って。おん。カッコつけてんじゃねーよ、外遊じゃねーだろお前。どうせお前な、お前、皇室のあの、潤沢な資金使ってお前金遣いまくって、お前外で遊びまくってたんだろお前、ホント。皇后とパコってんじゃねーよ、ホントに。金遣って女とパコってんじゃねーのかよ、ホントに。口が回んねーよ、お前。ホント、おめーみたいな、明仁みたいな、おめーみたいに口回んなくなっちまった。っていうね。何が外遊だよ。調子乗んなよ。でね、あの聴講生となってからは、クラブ活動に原則参加できなかった。おん。陰キャラじゃねーかよ、おん。クラブ活動に参加できない、俺以下じゃん。おん。ホントねえ、舐めてんだよね、こいつほんとに。すー、っていうね。まあソースがありまして、おん。天皇陛下なんか、天皇陛下万歳とか言ってるけど、じゃあもう本質はね、本質は、ただのあのー、バカですよホントに。このねあの俺ですら、留年したんことないんだよ。今までにね、大学2つ中退して、今3つ目の中央大学に通ってるけど、この俺ですらね、留年したことないのに。明仁はステハゲ以下ってことだね。っていう。すー、まあね、こんな、こんな、こんなんがね、日本の象徴とかね、笑わせてくれるよなホントに、象徴じゃねーよな、嘲笑だよ。嘲笑ですわな。何が象徴だよ。あん。まーホントね、中央大学の、あの象徴おん。この俺から、俺ステハゲからしてみればね、象徴…ちゅん?嘲笑だよ。
すーtまあ、こんなんがね、こんなんが日本の天皇だからね。あのー眞子様が、眞子様が、小室圭にね。お前寝取られるんだよ。恥ずかしいったらありゃしねーや、何が小室圭だよ。ショーン・Kみたいな名前しやがって、ちっ。笑われてるよ、今頃笑ってるよ。今頃小室笑ってるよ、小室ホントに。あいつ。悔しいね、ホントに、お前。あんな舐めたさ、舐めた奴がさ、眞子様と結婚するのが。俺が結婚してやるよ。俺が結婚した方が100倍マシだよ。で、何だあの佳子様、佳子様とか。あー、そうだ佳子様も何だっけ、大学ころころ辞めたんだっけ、す-、そりゃねえ。ジジイがね、自分のおじいちゃんがね、大学留年するようなポンコツなら、そりゃあ孫もね、ころころ大学変えますわな。俺と同じじゃねーかよ、おい。ちっ。でー何だ?悠人、悠人。あのー、つい一昨日だっけ、悠人のさ、机にあの、包丁置かれてたんでしょ、お茶の水、女子、女子附属?お茶の水女子、付属中学校に通ってさ、悠人がさ、机に何か刃物なんか置かれちゃってさ。舐められてんね、ホントに。舐められたもんだよ、ホントに。まあこれもね、それも、これもあれもね明仁、このさっき辞めたあの、あいつ、あいつ。あいつがね、この体たらくだから。舐められてんだよ。明仁があのな、天皇はな、シャキッとな、キッチリちゃんとしっかりした姿見せてれば、舐められはしねーんだよ。だから、ホントね、何もかもね今の皇室のこの現状はね、あのこのね、明仁のせいだよ。ちっ、うん。ホント。あの愛子もわ、愛子も笑ってるわ、ホント。あの顔で笑ってるわ愛子も、おん。とんでもねー、とんでもねー家に生まれちまったって、笑ってるわ。愛子も。っていうね。
すー、まホントに、あの、これちょっと後ろね。本棚、これ今おばあちゃん家なんだけど。これ見てもらったら分かるけど、これね、小さいころからね、あの教育、ホント色んな学術誌をね、見せられてね。ホント、俺も見えると思うけど、ブリタニカ百科事典とかね、色々とね、こんだけの書物があると色々な、あの日本の歴史まあ皇室について。教育を受けてきた僕ステハゲがね。本日、ちょっとぶったぎらせて、ぶった切らせて頂きましたけど。そんなね、うんな舐めたね、ことしてんだったらね、俺が天皇になってやるよ。あんな、誰でもなれんじゃねーかよ。おん。こんなさあ、学習院大学をね、あのFラン学習院大学をね、留年するような、雑魚がね、あの、天皇やってんだよ。誰でも出来んじゃねーかよ、そんなん。おい、俺がやってやるよ、そんなん。あん。ほんと。学習院で天皇なれんだったら、中央でもなれるから。でー、あの佳子様。おん、佳子様。佳子様とヤらせろよお前、佳子様、佳子様を佳子をな、佳子をな、佳子、佳子とパコってな。おん、孕ませてやるわお前、ホントに。おん、新しいね、新しい皇太子を俺が作ってやるからお前。差し出せよ、差し出せよ佳子をな。佳子をな。そんな感じで、まあ何でもかんでもね、天皇だからって、あが、崇めなきゃいけないなんてね、そんな法律ないから。うん。俺、思ったことは言わせてもらうからね。っていうね。しー、まあ今後はね、日本。そして世界が、どうなるかね、大変ちょっと、おん、心配ですけど。まあね、あのー、皇室ジャーナリストの、兼まあ、インターネットジャーナリストの、私ステハゲ、がね、コレからのね、日本、そしてね世界を取り巻く時事問題についてね、またね動画で語らせて頂くのでね、是非皆さん、チャンネル登録とかね、ツイッターのフォロー、願いします。
今回の中学校に侵入してロンギヌスの槍を置いてきたおっさんも、渋谷で軽トラをひっくり返した連中もそれで捕まった。
逃れるのには、いったんどこかに隠れて服を着替えればいいのかな。
と、いうのは何年か人間をやってみてつくづく実感した事だ。
小学生の頃は漠然と、「まあ、大人になればなりたいものになれているだろう」と考えていた。
そんな私が、思い描いていた己の夢に対して、何かしらの努力を積み重ねたかというと、そりゃあ多少は頑張った事もあるが、現実はほぼゼロに近い。
ギャグ漫画家になりたいと考えていた。
でも、私は「ギャグ」がどういうものかなんて一度も研究した事が無い。落語もお笑いも今一つ興味を持てないで大人になった。
そもそも、漫画の描き方を勉強した経験もないし、絵の練習をまともにやった事すら無い。
子供の頃はよくアホ面で絵を描いていた。算数と社会の授業が嫌いだったから、ノートや教科書の隙間によく下手糞な落書きをして、先生に見つかっては呆れ顔で注意されていたっけな。
中学校に入っても絵を描く意欲は持っていた。とても上手な先輩が居て、彼女の絵を見るのが好きだった。自分もこういう絵を描けるようになりたいと思った。
美術部に入って、真面目に勉強しようとは考えていた。でも、身体の弱い私を心配した家族が担任と相談して決めた結果、強制的にサッカー部に入部させられる事になった。怒られるのが嫌いだったから、部活動には真面目に励んだ。いくら頑張っても運動音痴なままだったけど、卒業式の帰りに、顧問の先生に引き留められて、抱き締められながら「よく頑張ったな」と言われた時は、なんだか報われた気がして、泣きそうになった。
いつの間にか絵を描かなくなった。自然に。多分、部活動に夢中で、余裕が無かったから。
高校生になって、独創的で可愛くポップな絵を描く少女に出会った。彼女は私のことが嫌いみたいで、近寄ると冷たい対応をされたけど、私は彼女の事が嫌いじゃなかった――というより、私は彼女の絵が好きだった。
影響されて、久し振りに絵を描いた。でも、描いても描いても納得が行かなかった。絵を描こうとするたびに、絵を描くのがつまらなくなって行った。
彼女みたいな絵を描きたい。それだけだったのに。
私は絵を描くのをやめた。
物語の世界に浸るのはとても好きだ。だから、アニメも見るし、漫画もよく読む。ゲームも頻繁にやる。
私は眼があまり良くないし、集中力も人より低いと自認している。だから、映画だけは、本当に琴線に触れたときしか見ない。
閑話休題。
中学校で一度だけ、鬱病になって引き籠っていた時期がある。復学したときに、クラスの担任が新任の若い先生になっていた。
彼は私と仲良くしたかったみたいで、よく趣味や好きなものを聞かれていた。でも、特に思いつかなかった。その時期は本当に、何にも没頭できず、打ち込むことすらできず、死んだ魚の目でぼうっと生きていた。好奇心すら砂塵ほども存在しなかった。
さて、新任の先生は本と映画がとても大好きな人で、私にもそういう自分の趣味を勧めて来た。はじめて渡された本は、有川浩の「海の底」、「フリーター、家を買う」、「シアター!」の三冊。
「気が向いたときに呼んで欲しい」――そう言われた私は、放課後の自室で、ベッドの上に横たわりながらぱらっと本をゆっくり捲りながら、「海の底」を読み進めて行った。
とても、面白かった。ただの文字列が鮮明な映像に変わって行く感覚は、台詞のひとつひとつが声をとして再生されて行く感覚は、とても奇妙奇天烈だけど楽しくて、己の感性に訴えかけてくる何かが、確かに私の胸を惹き付けて堪らなかった。だから、私は次々と本を読み進めて行った。
それから、私と先生の奇妙な関係は卒業まで続いた。おすすめの本を貸して貰って、私も自分で買った本を先生に貸して、読み終わったあとにお互いの感想を交換する。
自然と、私の読書量は増えて行った。教科書を読むのは嫌いだったけど、小説を読むのは難の苦も無く出来ていた。
高校に入ってからは幾何か落ち着いたけど、それでも本を買って読む習慣は、いつまでも続いて行った。
本を読み耽る趣味が出来て、私も何かしらの物語を書きたいという欲が出て来た。
見様見真似で文章を書いて、それをインターネットにいくつか上げた。
はじめは、酷評もアドバイスも素直に受け止められていた。だけど、自分の文章に自分なりの拘りが出来て行くたび、評価が怖くて誰にも見せられなくなって行った。
ランキング上位に来ている小説を読んで、なんでこんなものが? と考えるたび、自分の才能や資質を疑うようになる。
そして、何の努力もせず、単に良い評価だけを得たかった己を自覚して、恥じ入って、とても死にたくなった。
もしかしたら、あの駄文は、とても拘ったシナリオ構築のうえで成り立つ、とても凄い小説なのかもしれない。
あるいは、このサイトの客層やニーズを考え、需要のある設定とキャラクターを考えて作られた、評価されるべくして評価される小説なのかもしれない。
私には、とてもそんな事はできない。私は自分の好きなものしか書けない。書きたくも無い文章を書くのは、苦痛でしかないし、文章を書くという行為は多大な体力を消費する重労働だ。
案ならいくつでも浮かぶ――だけど、推敲する度に、これで良いのかという疑念が湧いて来る。読み返す度、自分の文章がつまらなく感じて行く。ジレンマの中で、私は筆を折った。
今でもたまに、何かしらの物語を書きたくなる時がある。
そのたびに、得るものが欲しくて小説を読み始める。義務的にはじめた読書は、とても苦痛に感じてつまらない。読みたくて買った本を棚にしまって、現実逃避をはじめてしまう。心の中に生まれたどろっとした何かが、気分を悪くする。
ギャグ漫画家になりたいと、今でも考えている。
絵が下手でもいいから、ギャグのセンスが大衆受けしなくてもいいから、何かしらの何かを遺したいと思っている。
努力を継続するのには、才能が要ると思う――そんなのはただの言い訳だ。そんなことは、分かってる。
ただの怠惰な人間の言い訳だ。無産の人間が尤もらしくほざいたところで、現実は何も変わらない。
でも、言い訳をしていないと、自己正当化をしないと苦しくて何もできない自分も居る。
どうすればいいのだろうか。もう、何も分からない。
取り敢えず、気が向いたら絵を描こう。そう思った。
学校の椅子を持ち出して国道沿いを歩いてた。途中にめっちゃでかいツイッターのロゴの看板があったから近寄った。中学校らしくて、中では体育祭をやっていた。クラス対抗ドッヂボールだった。僕は観客席から見ていた。生徒たちは皆僕が中学生の同級生で、過去に戻ったような気持ちだったけど皆俺のことは知らないようだった。俺だけが皆との思い出を感じてるだけで皆は俺のことを知らない。ドッヂボールは凄かった。どういう効果があるのか知らないけど、チームの真ん中で太った女がオペラを歌って、他の人がそれを囲いながらぐるぐる回っていた。これでボールに当たりにくくなるとでもいうのか。途中一人の生徒が鼻血を出して保健室に行くことになったので俺がついていきます!と名乗りを上げた。向こうからしたら、誰だこいつと思っていたのかもしれないけど、俺は少しでも関わりを持ちたかった。保健室に連れて行って、グラウンドに戻るとそこには閉会式を終えて皆帰る準備をしていた。昔俺が好きだった杉浦が田口に告白したようだ。俺は何故かもうどうでもいいやとなって杉浦にずっと好きでした、付き合ってくださいと土下座した。誰こいつって感じだった。そりゃそうだよね、皆の事は俺しか知らない。皆は俺のことを知らない。
また増田にいろいろ書くと良いと思う
鬱で引きこもりがちになっても、保健室登校、定時制高校、大学、就職というルートもあったんだなと知見を得た
今となってはどうにもならないが
テトリスという匿名ダイアリーを読んで、ほとんど同じような経験をしていたのを思い出した。
突然すぎる家庭環境の変化に耐えかねて、警察沙汰になるようなイタズラを外で繰り返していた。
ひねくれすぎて、小学校の友達に卑屈な態度をとっていたせいで学校内で虐められた。
やがていじめから逃げるようにして、学校帰りゲームセンターに通い、コインゲームにハマっていった。
知らないおじさんからもらったメダルや拾ったメダルで、ただひたすらにコインゲームをやっていた。
今にして思えば、あのコインゲームのスペースは寂しい人たちの集まりだった。
いじめられっこや家庭内で放置された子供、それから家に居場所のない老人。
そこで新しいコミュニティを築いた。同い年の不良から老人まで幅広い世代の人たちと交流し、そこでいろんな人に優しくしてもらった。
中学校を卒業するまでゲームセンター通いは続いて、高校へ入学と同時にゲームセンター通いは止まった。
増田と同じように大学受験に失敗して浪人が決まった時、ゲームセンター通いが再開した。
結局この時も、大学が決まるまで2年間通い続けた。
大学に入ってからも春休みや夏休みなど大型連休で精神的なバランスが崩れるたび、ゲームセンターに足を運んだ。ひたすらにコインゲームを続けた。
彼女に振られたとき、家庭内が不穏なとき、大学の課題がキツイとき、強いストレスを受けるたびにコインゲームに没頭した。
社会人になっても長い休みを見つけるたびに足は自然とゲームセンターへと向かう。
3000円を両替機に突っ込み、メダルをジャラジャラさせながらプッシャー機にメダルを落としてゆく。
きっとこれからも強いストレスや不安を感じるたび、ただただ無心でコインゲームに没頭する。
それがテトリスの増田と同じ、傷ついた心の回復方法であり、安定剤なのだろう。
近頃だんだんと数を減らしてゆくゲームセンターとコインゲーム。
全てが消えてしまった時、私はどうやって傷を癒せばいいのだろうか。
昔は「バザー」というものがあってだな
小中学校のPTAなんかが中心となって現在のフリマと同じく家庭の不用品などを安く売って活動費に当てようってイベントが頻繁に行われていたんだ
中には手作り出品するお母さんがたもいてだな
我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎の公立小中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校は私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生は我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。
夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベルの経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベルの生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。
実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。
彼は「東大なら自分の能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大に入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞で言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?
いわゆる裕福な家庭で小さな頃から学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子、東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。
上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症はマザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者から恵まれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者の仕事では。
人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故や世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学の価値を高めていくのではないだろうか。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。
あれは冤罪だった。ある日突然、学年主任に呼ばれて「お前がいじめをしているという報告が複数の女子からあった」と言われた。全く身に覚えのないことで否定したが認められなかった。
しばらくして、クラスメイトでいじめっ子だったSも呼ばれて一緒に事情聴取をされた。Sとは昼休みに少し話をする程度の仲だったが、学年主任曰く俺とSは仲が良く共謀していじめたという話になってた。
いじめられたのはクラスメイトのGで、知的障害者っぽいやつだった。SがGをいじめていたのは知ってはいたが面倒なので知らないふりをしてた。そもそもGはいじめられてるという自覚がないようで、遊んでいると思っていたらしい。
事情聴取でも、やってないと主張したが逆効果で生徒指導や教頭まで呼ばれて最終的に認めざるを得なかった。Gが単独でやったことも共謀したと認めさせられた。俺とSはGに謝ったが、Gはポカーンとして状況が理解できてなかったようだった。
その後は両親に連絡がいって、両親がGの親に謝っていた。俺は両親にいじめはしていないと言ったが信用してもらえなかった。親に信用されないのは本当に辛かった。
どう考えても女が嘘の報告をして俺に罪を被せようとしたとしか考えられない。誰がそんなことをしたのか分からなかったが、強引に認めさせた学年主任や教員には相応の仕返しをした。
椅子に画鋲を置いたり椅子を液体糊でベチャベチャにしたり数えきれないくらいやった。その度に生徒指導で怒られたが全く反省しなかった。「悪いのはお前らだ」。今でもそう思っている。
- 100万の命の上に俺は立っている
- 出会って5秒でバトル
- Hunter x Hunter
- Made in Abyss
- OUT
- Ubel Blatt
- UQ HOLDER
- あせびと空世界の冒険者
- あまちんは自称♂
- えっち すけっち わんたっち
- さよなら私のクラマー
- すんどめ!!ミルキーウェイ
- たとえ灰になっても
- つぐもも
- とある科学の超電磁砲(レールガン)
- とんでもスキルで異世界放浪メシ
- ねじけもの
- はねバド!
- もののがたり
- もののべ古書店怪奇譚
- るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編
- アオアシ
- アクタージュ
- アンゴルモア 元寇合戦記
- イサック
- インフェクション
- ウィッチオーダー
- グレイプニル
- ゴブリンスレイヤー
- ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン
- ゴブリンスレイヤー:ブランニュー・デイ
- ゴールデンカムイ
- ザ・ファブル
- ジャイアントキリング
- スピリットサークル
- ダーウィンズゲーム
- デッドマウント・デスプレイ
- トニカクカワイイ
- ドリフターズ
- ナイツ&マジック
- ノラガミ
- ハイキュー!!
- パラレルパラダイス
- パンプキン シザーズ
- ヒストリエ
- ブルーピリオド
- ホリミヤ
- マージナル・オペレーション
- マージナル・オペレーション前史 遙か凍土のカナン
- ラグナクリムゾン
- ラジエーションハウス
- リクドウ
- ワルキューレのキコ
- ワンパンマン
- ワールドトリガー
- 不徳のギルド
- 不死の猟犬
- 不死の稜線
- 乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
- 五等分の花嫁
- 僕のヒーローアカデミア
- 僕はどこから
- 君が僕らを悪魔と呼んだ頃
- 呪術廻戦
- 夢で見たあの子のために
- 女子小学生はじめました
- 宇崎ちゃんは遊びたい
- 強くてニューサーガ
- 怪物事変
- 惑星のさみだれ
- 来世は他人がいい
- 欲鬼
- 波よ聞いてくれ
- 無能なナナ
- 王様達のヴァイキング
- 異世界おじさん
- 皆様の玩具です
- 社畜と少女の1800日
- 神呪のネクタタール
- 神様のバレー
- 約束のネバーランド
- 終末のワルキューレ
- 荒野の花嫁
- 薬屋のひとりごと
- 虚構推理
- 賭ケグルイ
- 賭博師は祈らない
- 軍靴のバルツァー
- 転生したらスライムだった件
- 迷宮ブラックカンパニー
- 進撃の巨人
- 邪剣さんはすぐブレる
- 銀の匙
- 銀狼ブラッドボーン
- 青の祓魔師
- 鬼滅の刃
- 魔法少女特殊戦あすか
- 魔都精兵のスレイブ
隅々まで探索されつくした世界に、唯一残された秘境の大穴『アビス』。どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作りえない貴重な遺物が眠っている。
「アビス」の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し冒険へと駆り立てた。そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』呼ばれるようになっていった。アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。そんなある日、リコはアビスを探窟中に、少年の姿をしたロボットを拾い…?
所感:フェティシズムの塊。
難病の妹を救う為、10億の資金集めに奔走する高校生・四宮良真は、不慮の交通事故で死んでしまう。しかし目覚めた先は、天使クロエルが支配する地獄の狭間だった。そこは本名がバレると、灰になってしまう世界……。強制参加させられた四宮たちは、名を偽り、性を偽り、嘘と本能に従い、命と金を賭けた人生逆転のデスゲェムが始まる!!
所感:作者死亡につき未完となった遺作。漫画の内容というよりこのニュースによって印象が三階級特進。
アオき原石よ、「Jユース」で飛翔せよ!愛媛に暮らす中学三年生・青井葦人。
粗削りながら、強烈なサッカーの才能を秘めているアシトだったが、まっすぐすぎる性格が災いして、大きな挫折を経験することに!!そんなアシトの前に、東京にある強豪Jクラブ「東京シティ・エスペリオン」のユースチーム監督・福田達也が現れる。アシトの無限の可能性を見抜いた福田は、東京で開催される自チームのセレクションを受けるよう勧めて!?将来、日本のサッカーに革命を起こすことになる少年の運命は、ここから急速に回り始める!!
所感:さすが「読めばサッカーが上手くなる」と言われるだけある漫画。基本のルールくらいしか知らない自分でも分かりやすくそれでいて実践的。その上漫画としても面白いというケチの付けようがなさ。色んなサッカー漫画を読んだが「サッカー漫画」ではなく「サッカー」が面白いと初めて感じた作品。
舞台は気高き北の大地・北海道。時代は、激動の明治後期。日露戦争という死線を潜り抜け『不死身の杉元』という異名を持った元軍人・杉元は、ある目的の為に大金を欲していた…。一攫千金を目指しゴールドラッシュに湧いた北海道へ足を踏み入れた杉元を待っていたのは…網走監獄の死刑囚達が隠した莫大な埋蔵金への手掛かりだった!!?雄大で圧倒的な大自然! VS凶悪な死刑囚!! そして、純真無垢なアイヌの美少女との出逢い!!莫大な黄金を巡る生存競争サバイバルが幕を開けるッ!!!!
所感:作者が正気ではないことだけは、わかる。
“寓話”と呼ばれし、風変わりな“殺しの天才”が、この町の片隅にひっそりと棲んでいる。殺しのプロとして“一般人”になりきれ! 野蛮で、滑稽な、大阪DAYS。
所感:「間」が良い漫画。
中学2年生の桶屋 風太のクラスに転入生がやってきた。霊が視える風太は、転入生・石神 鉱子にイーストという背後霊が憑いていることに気づく。風太はイーストに話しかけないようにしていたが、その日の放課後、鉱子と別れる際にイーストに話しかけられ、つい返事をしてしまう。風太にイーストが視えていることに気づいた鉱子はそれまでと態度を一変、スピリットサークルで風太を殴りつけ、過去生を視させる。
所感:全6巻だが1ページも無駄がない。5巻でも7巻でも駄目。6巻にすべての話が淀みなく、綺麗に収まっている完成された漫画。
それは「衝撃の第1話」から始まる物語。幾多の死地を踏み越えた最強の聖職者と、希代の死霊術師の戦いは、新たな舞台『新宿』へと誘う。
所感:よくある有象無象のなろう系だと思ったありきたりな設定。しかし、描く人間が違えばやはり面白さには差が出るのだと思い出した。
紀元1600年、天下分け目の関ヶ原……敵陣突破の撤退戦「島津の退き口」「捨てがまり」で敵将の首を狙うは島津豊久!! 生死の狭間で開いた異世界への扉……現在では無い何時か、現実では無い何処かへ、 …
所感:ヘルシングの人。やっぱりこれも作者の味付けでありきたりな設定でも差が出るものだと実感する。
ある日偶然春高バレーのテレビ中継を見かけた小柄な少年・日向翔陽は、「小さな巨人」と呼ばれ躍動する地元・宮城県立烏野高校のエースに心奪われバレーボールを始める。低身長という身体的不利を補って有り余るほどの類稀なる運動神経とバネ、バレーへの情熱を持ち併せていた日向であったが、入学した中学校のバレー部に指導者どころか自分以外の部員がいないなど環境に恵まれず上達の機を逸していた。中学3年の夏、やっとのことでメンバーを集めて出場した最初で最後の公式戦で、日向率いる雪ヶ丘中は「コート上の王様」と呼ばれる天才セッター・影山飛雄擁する強豪・北川第一中に惨敗してしまう。影山に中学校での3年間を否定された日向は、影山へのリベンジを果たすべく憧れの烏野高校排球部に入部。晴れて迎えた部活動初日、体育館に入った日向の目の前には影山の姿があった。初めは反発し合っていた二人だが、それぞれの持ち味を生かした“トスを見ない”クイック攻撃、通称・「変人速攻」を編み出し、独りでは見ることのできない「頂の景色」を見るため、個性豊かな烏野高校の仲間たちと共に全国大会を目指すこととなった。
異世界に迷い込んだ男子高生・太多陽太は、森の中で美少女騎士・ルーミと出会う。そこは少女だけが存在する世界。神の化身からルーミとの交尾を命じられる陽太。触れられただけで極限まで発情したルーミは‥‥!?
所感:安定の岡本倫。安定…?作品毎に酷くなり続けているという意味では安定か。
帝国は、フロスト共和国と長きにわたる大規模な戦争を行っていたが、「薄氷の条約」とも呼ばれる停戦条約が結ばれ、戦争は終結した。
停戦条約から3年を経て、帝国は復興しつつあったが、なおも社会混乱は完全には収まっておらず、難民や兵隊の野盗化などの「戦災」が続いていた。そこで帝国および帝国陸軍は、これら問題を解決する戦災復興の専門部隊として陸軍情報部第3課(後に通称「パンプキン・シザーズ」)の設置を決める。
第3課の実情は形式的な物であったが、彼らは戦災復興に真面目に取り組み、時に戦後の混乱を利用して私腹を肥やしたり、民衆を虐げる権力者たちと対峙する。
物語は、とある村にパンプキン・シザーズとして赴いたアリス・L・マルヴィン少尉と、退役後は悲惨な戦場に倦み疲れて行く宛ても無く各地を放浪していたランデル・オーランド伍長との出会いから始まる。
所感:最新刊で悪い意味で作者の「我」が出たと思う。今まで積み上げてきた影の黒幕の「格」をなぜここにきて暴落させたのか理解できない。
舞台は紀元前、後にアレキサンダー大王の書記官となるエウメネスの波乱に満ちた生涯を描いた歴史大作です。蛮族スキタイの出身でありながらそれを知らず、都市国家カルディアでギリシア人養父母に育てられたエウメネスは、そのおかげでギリシア的教養を身につけることとなる。ある日養父がスキタイ人に殺され、自分の出自を知ったエウメネスは奴隷の身分に落とされてしまう。それが彼の波乱の旅の始まりだったのです。
成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。美術のノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す!
所感:青春。
ラノベやゲームを愛好するおたくな主人公・新田良太(通称アラタ)。専門学校卒業後おたく業界入りを目指すが挫折し、7年続けたニートの立場に耐えかね、30歳手前で一念発起。ネットで見つけた外資系軍事企業PMSCsの好条件に魅力を感じ出来心で就職した。軍事企業に就職したニートが、異国での訓練期間で垣間見た、この世界の現実とは?
所感:知らないで最低のやつか、知ってて最低のやつしか世の名にはいない。
その世界では、人間は死なない。撃たれても刺されても数秒後にはケロリと生き返る。
かつて「死ぬ」生き物だった人間たちは今、死の恐怖から解き放たれて暮らしていた。
貧乏な生活を送る高校2年生・上杉風太郎のもとに、好条件の家庭教師アルバイトの話が舞い込む。ところが教え子はなんと同級生!!しかも五つ子だった!! 全員美少女、だけど「落第寸前」「勉強嫌い」の問題児! 最初の課題は姉妹からの信頼を勝ち取ること…!?毎日がお祭り騒ぎ! 中野家の五つ子が贈る、かわいさ500%の五人五色ラブコメ開演!!
幼少期に家族を惨殺された中條千里は、ただ復讐を果たすためだけに生きている。生活の全て、学校の全て、復讐という目的を果たすのに必要な力とお金を得るため、自分が汚れるのも厭わない…。心配する幼馴染み、残された肉親の思いも振り切って果たそうとする、人生の全てを懸けた復讐劇の先にあるものは、果たして千里に何をもたらすのだろうか?!
所感:僕だけがいない街の人。この人やっぱりサスペンス1本の人なんだな。
極道の家で生まれ育った女子高生、染井吉乃。家庭環境は特殊でも、おとなしく平穏に日々を過ごしてきた。婚約者の深山霧島と出会うまでは!はみ出し者たちが織りなす、スリルと笑いが融合した極道エンタメがここに誕生!!
高校中退、バイトも即クビ。社交性もなきゃ愛想もなし。18歳の是枝一希が唯一持っているのは、ハッキングの腕。金融機関にサイバー攻撃を仕掛けた彼の前に「お前の腕で世界征服する」と宣言する大金持ちの男が現れる。ハッカー少年と仕事中毒のエンジェル投資家、彼ら2人はどんな仕事を創り出すのか…?全く新しい新世代タッグ誕生!!!
17年間の昏睡状態から目覚めたおじさんは、異世界「グランバハマル」からの帰還者だった……。現実→異世界→現実と渡り歩いたおじさんと、甥っ子たかふみによる、新感覚異世界&ジェネレーションギャップコメディ!
所感:第一印象より数段絵が上手い。
久しぶりに実家に帰った
東京からは電車で小一時間、30年前にニュータウンとして開発され今は過疎化が進む町。
JRの駅からは徒歩で3~40分程、車なら10分ちょっとかかる。
私が子供の頃は近所に大型スーパーがふたつあって、歩いていけるところにコンビニがあって、
美味しいお弁当屋さんやテイクアウトのピザ屋さん、ホームセンターなんかもあって、
小学校も中学校も徒歩圏内にあって、図書館や役所はちょっと遠かったけど、郵便局はあって、
今では上記の店は全て潰れて、車で5分のところに少しだけ大きなイオン。
潰れた店のあとには中古車屋と紳士服屋と消費者金融のATMができて、
コンビニは老親の足では歩いていけないところに移った。
足の悪い親にとっては「生活するのに困らない町」ではなくなったように思う。
結果:
賛成:694,844票(得票率:49.6%)
反対:705,585票(得票率:50.4%)
この結果になったのは、結局、理屈じゃなくて感情だったのだと思う。
(→個人的には上西小百合の件がなければ賛成多数になっていたと思う)
大阪維新の会ができて様々な改革が行われた結果、大阪の街は変わってきた。
街がきれいになってきたし活気もでてきた。役所の改革を行って子育て世代にも投資を行うようになった。高校無償化、中学3年まで医療費を実質無料、小中学校へのクーラーの設置、中学への給食の実施などだ。
この結果、大阪維新の会への子育て世代からの支持率はとても高い。
大阪維新の会は、選挙期間中以外でもタウンミーティングを数多く開催して大阪都構想への理解を深める活動を続けている。ホームページやSNSでも他の政党に比べて格段にわかりやすく説明している。
よく東京のメディアは維新の人気をポピュリズムとか言っているが、全く違う。
他の政党と比べ物にならないくらい、地道な活動を選挙期間以外も積み重ねている結果なのだ。
今回の大阪市長・知事のダブル選挙でも維新支持層の候補者への投票率はすごく高い。
https://twitter.com/hikanorerere/status/1114901876758081536
大阪維新の会は、タウンミーティングや街頭演説で丁寧に大阪都構想の説明を積み重ねている。大阪の街も活気が出てきて支持も高まっている。
次に住民投票をしてら可決されると思いがちだが、住民投票は「賛成」か「反対」の2択だけだ。そこが普通の選挙とは違う。
大阪市内の有権者で大阪都構想の理屈を理解して賛同している人はたぶん約50万票、強固に反対する人は約40万票ぐらいだと思う。市長選の投票率ぐらいならこれで賛成多数となるが、住民投票は投票率が上がる。残りの50万票は、そんなに深く考えずに感覚・感情で投票している層だ。
反対派が、いろいろアピールすると感情的に「今のままでいいか・・・」というふうになる人が増えてくる。
じゃあどうすればいいのか?。
これは創立者の橋下氏の影響が大きのかもしれない。
本当に大阪都構想を成立させたいのであれば、感情も動かさないといけない。
感情を動かすにはどうするのか?
それは「掃除」だ。
タウンミーティングや街頭演説する時に、ゴミ袋とゴミばさみをもって付近を掃除するのだ。
京都や神戸に比べても、明らかに街の中に落ちているゴミが多い。
街がきれいになっていけば犯罪発生率も自然と低下していくはずだ。
だから、街頭演説やタウンミーティングの時に、必ずゴミ掃除をしてする。
「大阪の街をキレイにして犯罪ワーストワンを返上しよう!」というキャッチフレーズを叫んでいる。
こういうことを積み重ねていけば、理屈ではなく、「あんなゴミ掃除している人の言うことだから信用できる」と感情が動くことになる。
なんで、こんなことを感じたかというと、この前、居酒屋で隣におっさん2人組がいた。
「昔の天王寺公園は青空カラオケとかあって大阪らしかった。今の天王寺公園はキレイすぎて味気ない」という話をしていた。
理屈でいったら10年前の汚くて治安も良くなかった天王寺公園より、今のキレイな方が良いに決まっている。でも人は理屈だけではないのだ。
こういった、過去の哀愁を感じる高齢者層を動かすのに、今の理屈で攻める方策では難しい。若年層・子育て世代には今の戦略でいいだろうが、高齢者の投票行動を変えるには感情しかない。