はてなキーワード: 中学校とは
一昨日、学校で倒れたㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
2時間目の授業が終わる頃に気分が悪くなって吐き気がして、でももうすぐ授業終わるし休み時間に先生に言いにいこうって思ってたんだけど、どんどん気持ち悪さと吐き気が増してってこれはやばいなって思って気づいたら床に倒れてたㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
倒れてる間、意識が全くなかった
意識が戻った時、自分なんで倒れてんだろうって思ったけど起き上がって先生に助けてもらって歩いて、そこから別の教室に案内されて椅子に座るよう言われたけど、保健室で寝ながらゆっくり休みたかったから保健室まで助けてもらいながら歩いた ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
先生がいっぱい来てた
そこから電話して親呼んで学校に来てもらって、一旦は親の車で病院行くことになったけど結局救急車に乗って病院行くことになった
救急隊員の人が来て担架に乗せられて救急車まで運ばれたㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
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腕とか体にいっぱい器具みたいなのつけられてその時の状況とかを詳しく聞かれた
それから走り出して救急車のサイレンの音が鳴って、普段は車から救急車がサイレン鳴らして走ってるのを見てたから自分今その中にいるんだーってなんか感動した
救急車に入ってからは吐き気とか気持ち悪さとかはほぼなくなってたㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
それから病院着いて点滴と採血されたんだけど、まじでめっっっっちゃ痛かったㅤㅤㅤㅤㅤㅤ腕に針刺されて痛い痛い痛い痛いって思ったけど我慢した
異常がないか心電図と脳の検査もしたんだけど脳の検査の時、頭が動かないように固定されてヘルメットみたいなのつけられて15分くらい狭い中にいた
途中から眠くなってほぼ寝てた
検査が終わって親にお医者さんが説明してたけど特になんの異常もなしって言われた
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
一昨日の朝は時間なかったからフルーツ2個だけ食べてほかはなにも食べてなかったっていうのと3時間くらいしか睡眠をとってなかったから多分それが原因だと思う
他にも思いあたることはあるけどね
学校の先生には熱中症の可能性あるとか言われたけどそこまで教室暑くなかったし、いやまあちょっとは暑かった気もするし、まあ熱中症だったのかもしれない
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
っていうか学校で倒れたの初めてだな〜
小学校とか中学校の時、学校で気分が悪くなって休んだりとかは何回かあったㅤㅤㅤㅤ ㅤㅤㅤㅤでも高校入ってからなったのは初めてだし、まさか倒れるとこまでいくとはびっくりㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
その日はもう安静にしてゆっくり休んだ
大人になった今でも、この大原則に従って、嫌いな人を積極的に嫌うのではなく、ただ静かにフェードアウトしている
自分の子供には「人間同士、どうしても相性が合わない人がいる。そういう人を嫌ったり、いじめたりするのではなく、
その人と話さない、見ないという形で距離を置きなさい。逆に自分が嫌われたり、いじめられたりした場合は
自分のことを嫌わない人たち、いじめない人たちとだけ付き合いなさい。」と教えている。
もちろん誰とも仲良くするというのは大原則だけど、
無理をして自分の子供が被害者にも加害者になるのもかなわんので。
だけれども、小5の子供がいうのは距離を置くなんて無理だという。
席は毎月くじ引きで決めるし、嫌いな子と隣になることもある。
班活動は言うまでもなく。体育でチーム分けをすると同じチームになることもあるし、
出席番号順に割り振られたときには必ず同じチームになる。
修学旅行ですら班が同じ。どうしたらいいの?と。
私は元いじめっ子である。保育園・小学校と特定の人物をいじめていた。ちなみに、現在30手前のおっさん。
いじめっ子といっても、いじめたことも、いじめられたことも両方ある。
私は本質的に弱い人間であり、ナメられることのほうが多かった。
私が他人をいじめたことを覚えているのも、いじめられた記憶と強く結びついているからかもしれない。
ここでは私のいじめを行った経験を振り返り、いじめっ子がどのようなことを考えているのか考察したいと思う。
当時の私は仮面ライダーが好きだったので、「ライダーキック!」と言いながらその子に飛び蹴りをしていた。
後、その子の服の中に土や虫を突っ込んだりしていた。
他にもなにかしていた気がするが、保育園ともなると記憶があいまいである。
当時の私は誰かを攻撃して泣かせることを強さだと思っており、むしろ誇りに思っていたことを覚えている。
これはたしかクラスの自分よりヤンチャないじめっ子気質の男の子が女の子にモテていたからそう考えていたんだと思う。
いじめでよくある「〇〇菌が移る!」というのをよくやっていた。
クラスの男子数人でゲーム(「いっせーのせ1!」など)をやり、負けたヤツが罰ゲームでその女子をタッチする。
タッチしたヤツ以外は「〇〇菌が移る!」といって逃げ出すのだ。
(小学校の鬼ごっこでよくある「バリア」で、その女子をさわった手だけはバリアを貫通するという謎ルールもあった。)
後はその女子が給食をよそった日は、クラスのほぼ全員が給食の中身を減らしに行ったりしていた。
当時の私はそのゲームを楽しんでいたし、その女子は本当に汚いものだと思っていた。
なによりその女子をいじめたときにだけ生まれる一体感を楽しんでいた。
中学時代はどちらかというと私のいじめられっ子としてのピークである。
(これをされるとブレザーに乾いたノリの半透明の文字が残り続け、最高にダサくなる)
一番つらかったのは当時の担任だった熱血型新任教師がクラス全員の前で、
「〇〇(私の名前)いじめらているみたいだけど、本当につらかったら私に相談しな!」と言われたことである。
そのクラスには私の好きな女子もいたのだがいじめられていることがバレてしまった。
クラスの女子には「〇〇(私の名前)キモイ」とよく言われるようになった。
当時の私は保・小と他人をいじめたことなどすっかり忘れて「いじめられっ子が実力をつけて他人を見返す漫画(タイトル忘れた)」に感情移入していた。
反省している。
社会人になった今、あのときのようなことをしてしまわないよう発言には一字一句気を使っている。
しかし、この反省には「あのときいじめを行わなければ、自分は元いじめっ子ではなかったのに」、
という自己評価、または自己ブランドを意識した反省が多分に含まれている。
我ながらクズだが、振り返った結果初めに出た思考がこれだった。
かける言葉もない。
私が過去にいじめを行ってきた人たちは間違いなくそのことを覚えているだろうし、
いじめが原因で現在の生活に支障をきたしている人もいるかもしれない。
申し訳なく思わないといえば嘘になる。
私はいじめをしてきたことは反省しているが、いじめをした相手自身には大して興味がないというのが本音だ。
いじめっ子からいじめを受けた人への謝罪がなく、またあったとしてもいじめを受けた人の心情を考慮しない一方的なものになるのもこれが原因だろう。
私もいじめをした相手に謝りに行く気もないし、「いじめを本当に反省しているなら黙ってお金を渡すべきだ」という考え方もあるが身銭を切る気もない。
仮に、私が過去にいじめをした人たちが長年積もらせた恨みを爆発させ、刃物を持って襲ってきたとしても私は全力で抵抗するだろう。
いじめを受けた人に救いがあるとすれば人の本質は変わらないということだろう(救いになるのかわからないが)。
過去にあなたをいじめた人間は、現在、部活動の仲間たちと熱い友情を築いているかもしれない、
もしくはまっとうに働いて家庭を築き、パートナーや子供たちと愛を育んでいるかもしれない。
小学生のころ、特に勉強ができるわけでも、運動神経がいいわけでも、見た目がいいわけでもなかったけど、仕切るのが好きだった
喧嘩してる友達同士がいたら、関係ないのにそこに突っ込んで行って、「まぁまぁ」と言いながらお互いの言い分を聞いたり、
班活動みたいなものがあれば、みんなの意見を聞いて、模造紙にまとめて発表したり。目立ちたがりやだったのかもしれない
中学校の球技大会のときにクラスの男子を2つのチームに分ける必要があって、
弱いチームと強いチームにはっきり分けるパターンと、両方のチームを同じくらいの強さに分けるパターンと
どっちにするかでみんなが揉めていた。前者は優勝の可能性もあるものの、捨てチームに入った人はあまり良い気分でもないし、
そこで、自分がしゃしゃり出て、チーム分けを考えようとしたところ、
「なんでお前が仕切ってるんだよ」と野球の得意な男子に言われた
なんでと言われても、自分は仕切るのが得意だから、みんなの意見をまとめようと思っただけなのだけど
彼は「お前、野球下手くそなんだから、お前に仕切られるとイラつくんだよ。黙ってろ」と言った
彼の言葉は当時のお花畑の自分の頭にはかなりがつんときて、「え、揉めてる事柄が得意な人じゃないと発言権がないのか」と知ってしまった
それ以降、特に得意な分野があるわけではない僕は仕切るのをやめ、ただ黙ることになった
大学に入ったり、会社に入ったりするとグループワークであったり、コミュニケーション能力のようなものが重要となる
しかし、そのような場面では僕はいつも無言であった。自分が無能であることは子供の頃から自覚しているし、
自分の意見が間違っているのではないかと怖くなったら、何も言えなくなってしまった
ある部署に配属されたときに、何も意見を言わない僕に対して、かなり時間をかけて話を聞いてくれる先輩がいた
「どうするのがいいと思う?ちょっと考えてみて」「間違ってもいいから、何が必要だと思う?」
いろいろ問いかけてくれるのだが、何を言っても間違いのような気がして、何も言えなかった
先輩は言った。「誰も答えなんて知らないんだよ、ぶっちゃけ。」
「偉そうに喋ってる部長もどっかでみた情報を偉そうに言ってるだけだし、何やったらいいかなんて誰もわかってないんだよ」
「でも、みんなが偉そうに、自信満々で喋ってるのは、そういう役割を誰かが担わないと、方針なんて決まらないでしょ」
「みんながみんな慎重で、自分の意見に自信がなくて、それで一緒に働くみんなを説得できる?お客さんを頷かせられる?」
「間違ってもいいんだよ。そんときは謝るか開き直るかしかないし、間違うことを恐れて、意見が出てこなかったり、
本当は気づいてた問題点を指摘できなかったり。そっちの方が損失は大きい」
「何か言われて、馬鹿だって周りに思われてもいいじゃん。いまはまだ自分の後輩なんだし。社長とか部長とかになったら、
馬鹿だと思われたくないって気持ちはわからなくもないけど、今の段階なんてみんな馬鹿みたいなもんだよ、自分も含めて」
昔は仕切ったりするのが好きでした、でもなんだか怖くなって。と伝えることができた
もしかしたら自分自身が逃げてたトラウマを直視できたのかもしれない。
先輩は笑ったりすることなく、「なんだ、じゃあこれからはチーム内のミーティングの司会はお前な」と言って役割を与えてくれた
でも、アジェンダを整理したり、揉めた時に問題点を整理したり、
いくつかのシナリオを立ててみたりするのはできるようになった
怒った親が手を出すのは当たり前の世代って、どの辺までだろうな
俺は広島出身の就職氷河期世代だけど、同級生みても親に殴られた経験持ってる奴は多かった
出身校は修〇高校って言う、その頃は県内でも知られた進学校だったけど、子供のころに親に殴られたとか同級生でも普通だったね
その後、なんやかんやで浪人して東京大学に入ったんだけど、そこでも親が怖かったって話は普通にしたよ
中学校の体育教師に殴られるとか、怖い先生が居たって奴も少なくはなかった。
公立中学に通ってたけど、いじめから不登校になるような子が出なかったのも、いじめがあったら教師が問答無用で殴ってたし
それでいじめられる子が守られていたのも大きかったね。
なんなら、近所のおっさんですら、怒って叩くって事はあった時代だったと思う
何でもかんでも体罰=犯罪って時代になって、子育てが犬のしつけと同じ水準で語られる時代を生きてる最近の子と
親に限らず大人が怖かった俺らの時代とでは、明らかに社会の在り方が変わったなと思うんだけど、どこで変わってしまったんだろうね。
今日娘が中学校で初めてのテストの結果が返ってきた。娘は普段それなりに勉強していたから予想していた以上に成績が悪く、びっくりした。結果に対して怒っても仕方ないけど、自分は学生の時に成績が悪くはなかったから、どうしたらいいのかわからず、とりあえず妻に中学校の時の成績ってどうだったか聞いてみた。それまで妻の学生時代の成績とか聞いたことなくて(妻は美大卒)、絵は得意だったんだろうな程度の認識だった。そうしたら「中学校の時は1番以外取ったことなかったなー。でも高校で私立の進学校受かったけど、学費が高くて行けなかったし、公立の進学校行ったら落ちこぼれちゃって美大に行っちゃった。でも私立の進学校に行ってたら美大には行かなかったと思うし、あなたと会えなかったと思うから今は公立に行って良かったと思う」と言われて最近そういう男女の会話というか夫婦の会話がなかったからめちゃめちゃドキドキした。
それはともかく娘の成績はどうしよう。
もう死にたい、終わらせたいって思うよね
めちゃくちゃ勿体無いよね
ある程度年取った人たちはこう思うだろうけど
たぶん小中高生とかはそこまで考えらんないと思う、
私がそうだったから
そんなこと考える余裕無いもんね
ちょっと話逸れるけど
特に小中学校って、公立に通うとなると選べないし(地方の人間の経験でものを言ってるからあんまここ突っ込まないでほしい)
ほとんどに当てはまるのが"子供"だけで起きてる問題だと思うんだよね
今いじめられてる人で
偶然これを読んでる人
相手にせんでいい
まずは"近くの大人"を頼って
もう本当に辛くて身体が動かなくなったり
いつか後悔するかもしれないけど
「しんどくなったらいつでも死ねるんだ」って思うだけで気持ちが軽くなるならそう思えばいいから
ほんとに、自殺だけはしないでね
舞田敏彦氏は教育問題や格差問題をよくツイートしてるが、今日のツイートに「住居代を考えたら、(ワープアや非正規雇用な人は)東京じゃなく鹿児島とかに住んだ方がいい。食べ物も美味いよ」とツイートしてた。
百歩譲って「田舎が食べ物美味い」としても、味の差が出るのは自炊する場合じゃないか?
ワープア層、非正規雇用層は「ビンボー暇なし」で、自炊する生活余裕なんか、ない。
となると毎日コンビニ弁当やスーパーの見切り弁当とかになるから、東京も鹿児島も、コンビニ弁当の味の差なんて、ないんじゃないか?
更に言えば、ワープア層は「もともと、小学校中学校時代、実家の食生活も貧しかった」から「味音痴が多い」から、「鹿児島の豊かな食材」と「東京の食材」の味覚差を「そもそも、感知できない」のではないか?
舞田敏彦氏は教育問題や格差問題をよくツイートしてるが、今日のツイートに「住居代を考えたら、(ワープアや非正規雇用な人は)東京じゃなく鹿児島とかに住んだ方がいい。食べ物も美味いよ」とツイートしてた。
百歩譲って「田舎が食べ物美味い」としても、味の差が出るのは自炊する場合じゃないか?
ワープア層、非正規雇用層は「ビンボー暇なし」で、自炊する生活余裕なんか、ない。
となると毎日コンビニ弁当やスーパーの見切り弁当とかになるから、東京も鹿児島も、コンビニ弁当の味の差なんて、ないんじゃないか?
更に言えば、ワープア層は「もともと、小学校中学校時代、実家の食生活も貧しかった」から「味音痴が多い」から、「鹿児島の豊かな食材」と「東京の食材」の味覚差を「そもそも、感知できない」のではないか?
お忙しいところ恐れ入ります。
S高校に在学中の出来事についてお知り頂きたいことがいくつかあるので、メールを送らせていただきました。
私のいた1年B組の担任の数学教諭のK先生の言動についてです。
・入学して間もない頃の数学の授業中、K先生が「ノートを書くのが遅い子は数学ができない」という話をされたあと、「増田とか書くの遅そ~」とクラス全員の前で言われました。
・学校に登校して教室に向かう廊下で、K先生に会ったので私が「こんにちは」と挨拶をしたら、「あれ?昨日いた?」と開口一番に笑いながら言われました。
・数学の授業の休み時間に教室で同じクラスの友達が「疲れた」と言ったところ、それを聞いたK先生が「S高の授業で疲れたなんて言ってたら他の学校行ったらどうなっちゃうの?ずっと夜間にいるの?」と大きい声で言いました。
私は中学校で色々なことがあり不登校になって、高校では心機一転頑張ろうと無遅刻無欠席で高校に通う中
挨拶してすぐ「昨日いた?」と笑いながら言われたり
自分が選択したS高校の夜間部という道を他の高校と比べて否定されたことが、とても辛くて、今でも思い出すと涙が出ます。
「中学生のときに、色々な悩みや不安、手助けが必要だった生徒が自分の居場所を見つけられる学校」
「欠席が多い生徒も活躍し、自分を変えられる場所」だと書いてあるのに、そんな風に言ってくれる先生は一人としていなくて、K先生には上記の無神経な言動をとられ
私のような生徒はどこに行っても馬鹿にされて、嫌がられるんだと悲しい気持ちでいっぱいです。
K先生が私を故意に傷つけるつもりはなかったとしても、学校の先生、特に夜間部の先生は、生徒への発言を充分に考慮するべきではないのでしょうか。
現在はS高校の通信制に通っていて、夜間部に戻るつもりはさらさらありませんが、今でも心に傷が残ったまま辛いので、このようなメールを送らせていただきました。
教育委員会の皆様はどのようにお考えですか?
ご返信いただけたら幸いです。
2日後に「該当の職員については校長を通じて厳重に注意したいと考えています」と返信が来たけど
多分そんなに怒られてないだろうなぁ
救急隊もいないのな
麹町消防署では平成25年度までは
永田町出張所と九段出張所にそれぞれ
救急隊を1隊配置しておりましたが、
九段出張所周辺住民の意向で同出張所は廃止され、
現在は永田町救急隊のみとなってます。— HiroMatsukawa (@hiro_matsukawa) 2019年5月12日
学校全体を統括する生徒会とは別に各学年を統括する学年生徒会という組織があります。
1.学年生徒会
2.生徒評議会
学年生徒会
皆さんも中学時代、体育委員や図書委員などの専門委員会を経験したことがあると思います。
私の中学校では月1回、放課後に学年生徒会の集まりがあり、学年の課題やアンケートなど、学年の生徒から寄せられた要望について、話し合いを行います。
例えば、体育祭があった月は体育祭で撮影した写真をまとめて、学年の掲示板に貼り出したり。
一番重要な仕事が、生徒評議会で報告する議案を決めることです。
対策として、朝の生徒の登校時に、学年生徒会と風紀委員会が協力して、服装指導を行う。
こんな感じで、議案を決めます。
生徒評議会
各学年生徒会の男女1名ずつが、学年の総代表、副代表として、参加するのが生徒評議会です。
生徒評議会は1年~3年の総代表、副代表と生徒会役員で会議を行います。
流れとしては、各学年の代表が先月の学年生徒会の活動報告や議案の発表も行います。
例えば、予算とかですね。
予算は最重要項目なので、生徒評議会での議決を経た後、全校生徒が参加する生徒総会で、生徒会より提案されます。
それ以外の緊急を要する案件や簡易的な議題は生徒評議会で承認後、実行に移されます。
実際に私が学年の総代表として、取り組んだ政策を例に、一連の流れを説明します。
1学年生徒会から3学年生徒会へ、1年生も昼休みに体育館を使いたいが、上級生が怖くて、使用できないとの声が相次いでいるとの意見が提出されます。
これについて、総代表の私が3学年生徒会に持ち帰り、対応を協議する訳です。
このように生徒評議会に通す議案が決まったら、
生徒評議会当日は事前に昼休みに1年~3年の総代表、副代表が集まり、話し合いを行います。
ここで、各学年がどのような議案を生徒評議会に通すのか、把握しておきます。
先月、1学年生徒会から意見がありました、体育館の使用についてですが、
資料の○ページにあるように、曜日毎に学年の開放日を設定することを3学年生徒会は提案します。
こんな感じで議案を発表します。
ここで、生徒会役員や他学年の代表から質疑応答があり、決議に移ります。
賛成多数で承認されると、どのように議案を実行するのか、話し合いを行います。
例えば、体育館の件について。
・毎月、学年生徒会が体育館の開放日予定表を作成し、各学年の掲示板に貼っておくこと
大体このような流れになっています。
私の中学では体育祭の実施競技についても、生徒評議会で決めていました。
このような特別な案件がある場合、体育委員長などの各専門委員会の委員長、副委員長、先生方が生徒評議会に参加して、話し合いを行うこともあります。
以上となります。
よろしければ、ご覧下さい!
ネットで給食について調べると美味しかったという声が多くあって、正直羨ましい。
個人的には、不味かったと思う。
美味しいと思えるメニューはさほど多くなかった。
周囲は美味しいと言って食べてたから、私の味覚がずれていた可能性はある。
「お前らよくこんな不味い飯に何も言わずに食べてられるなあ」と言っていて
好きだったと思い出せるのは全部パン。
一番は黒糖パン。ふわふわ柔らかくてしっとり甘かった。(コッペパンはとにかくパサパサで硬くて水分が奪われた。)
その次はセサミトースト。大人になってからもレシピを調べて作ったほど。
それからキャロットパン。コッペパンがベースだったけど、にんじんの水分と甘みがものすごく仕事をしていた。
カレーとビーフシチューはほとんど一緒で区別がつかなかった。どっちも牛で具も一緒。スープ感の強いほうがビーフシチュー。
エビは背ワタの処理が甘いのかやってないのかジャリジャリ。
肉はかたくて灰のような味しかしなかった。
麺類は極限までのびてるし、謎のおかずも多かった。
こんな給食に黙っていられなかったのか、担任はすぐ校長に訴えた。
でも校長も不味いとは思っていなかったようで、いまいち反応はよくなかったらしい。
終業式の日、担任が一年を振り返って話していたときに給食の話題になった。
「何回も何回も言ったから、最初のよりは食べられるものになったけど、まだまだ不味い」と言っていた。
今思い出しても到底美味しいと言える給食じゃなかったと思う。
一方で、美味しいと食べてたクラスメイトも少なくなかった。
不思議だ。
例えば中学校の校則一つとっても、意味のないものや人権侵害めいた校則を廃止しよう。と生徒たちで議論してまとめて校長に提出したところでどーせ無意味じゃん。教師に相談したってヘラヘラされるだけやろ。それはどうしても無理だから議題変えたら?とか言われて。
中学生どころか小学生でも分かってんのよ。内申書の存在もある。状況を変えるために自主的に行動しても無駄だし、問題解決なんて意味がない、むしろ害とすら思ってる生徒も多いだろう。
なんかすっげー不安になったんでちょっとアンケート取りたいぐらいなんだけど。
ちょっといいっすかね?
別に難しい話じゃなくて、
①みんな人生が辛いんだぞ
っていう簡単な三段論法なんだけど、これぐらいのことはみんな理解してるよね?
日本人って識字率も高いらしいし一応はみんな中学校までは通っていたことになってるんだから99%の人が三段論法ぐらいなら理解可能だと思っていいよね?
好きな人が出来た。
いつもにこやかだけど、真意がつかめない(めちゃくちゃ空気読んでそう、気を遣ってそうなタイプ)。
連絡先も知ってるし、電話したこともあるし、毎月4回くらいは顔を合わせている。ただしプライベートではない。
自分は絶望的な出っ歯で、中学校まで矯正をしていた。ニキビがひどく、体はつるぺたでガリガリで、髪はへんなショートカット、根暗でいじめられっ子だった。多分、クラスにいたどんなに優しい女の子にも一度は「出っ歯」あるいはさんまと言われた。あの頃は、で、という音が聞こえるだけで全身に緊張が走ったものだ。この経験があるから、人の外見に言及しないことにしている。また、どんなに良い人でも、ハゲとかデブとか肌荒れすごいとか言っている人は、心の中で静かに締め出すことにしている。
話が逸れてしまった。
あの頃、入った部活で「今日は可愛い子誰もいないじゃん!やる気でねぇ〜」とか言われて、その場にいた新入部員全員で萎縮したことがあった。また、先輩に廊下で挨拶したら「キモ」と言われたこともあった。また、母と二人で街を歩いていたとき、ウェーイ系の人たちが後ろから来て、自分の顔を見て「うわブスだった!外れ外れ!」といって笑いながら走っていったこともあった。母は若い頃結構美人で、父も昔はどちらかというと整っている方だったので、なんでこんな糞ブスが産まれちゃったんだろうと申し訳なくて、でも泣きたくなくて辛かった。
高校でもニキビはあったけど、矯正が終わって生理も来て髪を伸ばしたらいきなりモテるようになった。最初は新手のいじめとか、あるいは罰ゲームかと思ったけど違った。一目惚れされたこともあった(自分にはどう見ても美人要素がないので、たぶん趣味が変わっている人だったのだと思う)。
大学は女子が少ない学部だったので、そうした環境のおかげでモテた。
しかし、中学校までの負の経験が大きすぎて、人間に期待できなくなっていた。いじめられる前までは、もっと素直に人を信じることができていたと思う。でも、クラスメイトからいじめられ、異性からキモいブスと言われてきたから、
心のどこかにある自分の基地みたいなところにいつも片足をつっこんで、人とは半分の自分で接して、傷ついても大丈夫なようにするという処世術をしっかりと身につけてしまった。自分のあやし方ばかり上手くなってしまった。
だから人とある一定以上の親密な関係を築くことができない。親友や恋人というのは自分自身をある意味さらけ出す仲だと聞いた。
彼氏とおぼしき人を、エスカレーターに乗りながら振り返って至近距離で見つめたり、電車の中でお互い向き合って顔を寄せ合ったりしている幸福そうな顔をした女の子は、こんなこと思ったりしないんだろうなと考えると苦しくなる。
好きな人はとても優しくて良い人だ。多分、老若男女に優しくすることに慣れているのだという気がする。
さっき書いたように読めないタイプだけど、会う前はすごく緊張するのに、いざ会うと空気みたいで安らいだ気分になって、よく分からないけど満たされたような感じがする。
自分は淋しさというものをずっと感じたことがなかったのだが、ここ最近淋しいということがどういうことか少しわかったような気がしている。うまく言語化はできないけど。
“私には、あなたのために、その淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。”
と言っていたけど、
その人は淋しさの原因でもあるのだけど、その淋しさを引き抜いてくれるのではないかと期待してしまうような雰囲気を持っているのだ。
今日は少しでもしゃべろう、雑談みたいなこともしてみよう、私も親しげにしてみよう、バスで乗り合わせたら隣は無理だけどすぐ後ろに座ってちょっとしゃべったりしよう、道を歩いてて遠くにもしその人が見えたら手は振れないけど気づいたよって合図したほうがいいって思うのに、
いざその時になると、いや、気持ち悪くない?馴れ馴れしいって思われたら?勘違いしてて本当は迷惑なんじゃないの?
と誰かが、多分昔の自分がささやいて、私はいつも通り無口になって、ときどきしか笑うことができなくて、用意してた雑談も話せなくて、バスに乗り合わせても遠くに見えても気づかないふりをしてしまう。
あんな過去がなかったらこんな風に萎縮しないで済んだのかもしれないな、と思う。キモい根暗なブスだった私が悪いんだけど。キモいとかブスは言われなくなっても、根暗なのは変わってないけど。出っ歯は直ったが、前歯がでかいのは変わってないけど。
そうやって私は何も行動をおこせずに終わってしまうんだと思う。このままでは。
どうやって萎縮する気持ちを持ち直せばいいと思いますか?それとも身の程知らずだからこのまま大人しくしてたほうがよいでしょうか。
例の小学生YouTuberの件で、色々不登校に関する記事を見かけたので、ちょっと自分語りを。
原因はいじめ?かな。正直いじめだとは思うけど、金をせびられたり、暴行されたりと言った事はなくて、無視されるとかキモい汚いと言われるとかそんな感じだった。
当時、私は結構ひどいアトピーで、それが原因でキモいだのなんだの色々言われた。そこから元々あんまり好きじゃなかった学校がどんどん嫌になって、2年生の時に夏休み終わった2学期の初日に行けなくて、それからズルズル休み続けた。
不登校の期間はあんまり覚えてないけど1年いかないくらいだと思う。
不登校を脱したきっかけは自分や親の力と言うよりは学校の先生のおかげかな。親がそっとしてくれたのもあるけど。
3年生の時に担任になった先生がすごく熱心な先生で、頻度は忘れたけど何度か家にきては「増田君!学校に行かないか!」とか言った感じで半ば強引に引き出してくれたおかげ。当時はすごくテンション高くてちょっと強引だったのは嫌だったけど、今となっては感謝してる。
今は良くなってるのかもしれないけど、もっと自然に社会のレールに戻れたら良いのにって思う。
私が不登校の間、不登校の子達が行く民間学校?みたいなところの見学もしたんだけど、そこはあまりにも今までの中学校と違いすぎて、私にはしっくり来なかったし、不登校の子として、学校に合わない子として扱われてる気がした。
今思えば、私は学校から自由になりたくて不登校だったんじゃなくて、学校に戻るきっかけが掴めずに不登校だったんだと思う。だから、不登校って言う事を特別な子として扱われてる事に私はなんだかすごく違和感がある。
特別な子も確かにいるんだろうけど、不登校の子の中の何人かはただきっかけが掴めなかったりするだけで、学校を変えるくらいでまた通えるんじゃないかなって。
フェイクは一切無し。知ってる人が見たら多分バレてしまうけど、それでも吐き出したかった。
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親にはそう説明した。
嘘ではない。実際に理科は好きだったし、数学も嫌いじゃなかった。
でも選んだ理由はそれだけじゃなかった。
高校の知名度は下から数えたほうが早いだろうけど、偏差値は中の下付近で極端に低いわけでもない。
頭が良ければもっと偏差値が上の高校を選ぶし、頭が悪ければもっと下に名前を書くだけで通るという有名な高校がある。
小学校・中学校と暗い学生時代を過ごした私にとって、“同級生と一緒になる確率が低い高校・学科”が高校選びの一番のポイントだった。
残念ながら中学の同級生0人とはいかなかったものの、クラスに3人だけ、全員私と同性だった。
彼女たちは数少ない同じ中学出身者というだけで、私を仲間に入れてくれた。
私がいじめられっ子だったことは、勝手に水に流していて何事も無かったかのような振る舞いだった。
そのことに傷ついた。
中学ではただ周囲に合わせていただけで、自分たちを守るために仕方がなかったのかもしれない。
私が何年もつらい毎日に耐えなければならなかった理由が、空っぽだったのだから。
私がつらい思いをしていた間、自分たちは守られていたのだから。
でもそんなことを今さら蒸し返すまいと、終わったことだと思うようにした。
過ぎた時間は取り返せない。これから楽しくやれれば、いつか忘れられる日がくるだろうと。
しかし、そうはならなかった。
そしてその子は不運にも何人ものいじめっ子と同じクラスになった。
見かねて声をかけようとすれば、周囲の子たちが私を止めた。
あれよあれよと勢いと人数が増え、その子は入学後半月もせずに孤立して保健室登校になった。
大きなガラス窓の保健室は昇降口の向かいで、むしろ晒し者という感じだった。
登校して一番最初に見えるので、クラスメイトの一言目がその陰口になるのはほぼ必然だったのかもしれない。
その子が教室にいないのに陰口は止まず、いつしかクラス内が常にギスギスするようになった。
クラスメイトの会話の内容は大部分が低俗な週刊誌のようになった。
駅で見かけたというだけで盛り上がれるほど狂っていた。聞いていられなかった。
日に日に不安が大きくなっていった。
このままあの子が保健室にいるとしても、教室にも標的が必要になるのではないか。
そしてそれは私になるのではないか、と。
忘れようとしていた過去が蘇って、毎日が苦しくてどうしようもなかった。
予想通りあの子のネタはすぐに尽き始めて、他の人にそれを求めるようになった。
クラス内は決まったグループでほぼ固定され、互いに監視し粗探しをするようになった。
あっちのクラスではこんな噂があるとか、着替えが遅いから更衣室を一緒に使うはめになって邪魔だとか、
会話ができる時間は誰もがそんなことばかり話していた。
私は、いつ小学校・中学校時代のことが掘り返されるか不安で不安でたまらなかった。
毎日が恐怖だった。
下手なことを言わないように、刺激をしないように、とにかく必死で顔色を窺った。
状況は何も良くならないまま、夏休みになった。
朝起きても学校に行かなくて済む。それだけで救われた。
でもそんな天国のような時間は永遠ではなく、夏休みは終わりを迎えた。
また戻るのか、大丈夫だろうか、休みの間誰からも連絡がなかったのは何かあるからなのではないか。
そんな不安がぐるぐると渦巻いた。
中学のころはそれでも登校できていたのに、もうできなかった。
うちのクラスは40人いるけど8人が同じように学校に来てなくて、先生も参っている。
女子も何人か休んでるけど、誘い合って一緒にがんばって登校してみないか。
そんなことを言っていた。
ぼんやりと話を聞きながら、40人中8人って多いなと考えていた。
そして休んでいるのは私だけじゃないということに、なぜか少しだけほっとしていた。
どうして登校しないのかと尋ねられた。
いろんな思いが膨れ上がって、言葉が出せなかった。
唯一絞り出せたのが、あのクラスにいることが辛いという一言だけ。
中学のころの出来事がフラッシュバックするのだと伝えるよりも先に、担任が口を開いた。
ほかの人がいじめられてるのが辛いなんてピュアな心はいいけど、それじゃあダメだ、と。
担任は、生徒のいじめを止めさせるのではなく、やられる側が諦めることを求めていた。
それに見当違いだ。
たしかに誰かがいじめられていたら心が痛むけど、私が一番苦しいのはそこじゃない。
きっとすでにクラスでは私のことが知られているだろう。そこにさらに自分で油を注ぐような真似はしたくない。
一度は伝えようとしたことを話すのをやめた。
いっときだけ仲間に入れてくれた同じ中学の子たちからは、そのあとも一度も連絡はなかった。
担任以外、誰も私を訪ねる人はいない。あのクラスに私の居場所はきっともう無い。
ここで休学にしたところで、行ける気も、行く気もしない。
私は退学を選んだ。
自分の学校でイジメが行われている少中高生に届いて欲しいと思って書く。
私は、今話題の不登校小学生YouTuberに関する記事を見る度、思い浮かぶものがある。
かつて自分が加担したイジメによって不登校になったクラスメート達の顔だ。
私がいた小学校では、イジメが行われていた。そして私は、それを止める事はおろか静観する事もなく、自己防衛のためにある種それに加担さえしていた。
「そうしなければ自分が標的になっていた」という自己弁護もできるかも知れないが、大方のイジメはそういった種類の人間によって支えられているものだと思う。
「自分はイジメの首謀者ではない」あの時の誰もがそう言うと思うが、私を含め全員が首謀者であったのだ。
イジメの種類としては、呼び出して暴行を加えたり、どこかに閉じ込めたり、物を隠したりといった積極的なものではなく、
陰で「○○菌」など言って避け、存在を無視するといった、陰湿なものだった。
そしてその標的となったのは2人の女子であった。
そのうち1人はイジメを理由に市内のどこかの小学校へ転校していった。大学生の頃Facebookで見つけたが、楽しい生活を送っているようだった。
それによって私の罪が軽くなる事は決して無いが、非常にホッとしたのを覚えている。実に身勝手な感情だと思う。
もう1人は、不登校になった。正確には覚えていないが、小学校6年間のうち数年間に渡って不登校になった。卒業アルバムの写真は、1人だけスナップ写真が使われていた。
中学に入り、一時期学校に来ていたが、小学校時代ほどあからさまではないものの、本質的には変わらない私達の対応で、またすぐに不登校になった。
小中学校を共に過ごした私達は、中学校を卒業し、各々の学力に応じた高校に散らばった。
過去数年間の学年と比べて高校の進学実績が良かったため、親や教師は「この学年は出来が良い」などと言った。
各々が部活や恋愛で思い出を作り、自分の中学生活を肯定し、晴れやかな顔で卒業式を迎えた。寂しさで涙を流す者もいた。
皆、自分達がその人生を壊した"彼女ら"の存在を、忘れていたり、忘れたフリをしていた。
その後、成人式などの機会で何度か顔を合わせる場があったが、"彼女ら"の事は一度も話題に上がらなかった。
誰もがその話題を避け、決して話そうとしなかった。
私の犯した罪は、15年以上が経った今、どういった手段によっても贖えるものではないだろう。
そして、今私がどういった種類のアクションを起こしても、誰の得にもならないだろう。
だがもし、何かのめぐり合わせで、"彼女ら"と同じ職場になったり、子供同士が同じクラスになったりして、
"彼女ら"と顔を合わせる事があったら、私はどうするだろうか。
きっと、何らかの形でアプローチし、許しを乞うだろう。
許されるはずもないのに、罪の意識に耐えられず、許しを乞うに違いない。
幼いゆえに最も残酷なやり方でもって、"彼女ら"の人生を壊し、「幼いゆえに」という方便を使い、その責任に向き合う事を放棄してきた。
娘ができたからだ。何事もなく成長し、来年には小学校に入学する年になった。
公園で遊ぶ娘の笑顔を見た時、遠い記憶の中の"彼女ら"の顔が、自分の娘の顔に重なった。
その瞬間、身の毛もよだつほど恐ろしくなった。今目の前にいるような少女の人生を、無慈悲に踏みにじり、その事実に目をつぶってきた自分が、酷くおぞましいもののように思えた。
自分には子供を育てる資格はないのでは。いや、幸せになる資格すら無いのでは、と思った。
「未来ある小学生の人生を自分の手で壊した」という否定しようのない事実に、私は今この瞬間も苦しみ続けている。
そして、一生苦しみ続けるべきなんだろうと思う。それしか、私にできる事は無いのだと思う。
もし、これを読んでいるあなたが、イジメに加担しているのならば、
いつか必ず、その罪に向き合わなければならない時が来ます。
そして、その十字架を一生背負って生きていくという重みについて考えてみて欲しい。
その十字架を背負わない為には、今から行動を起こすしかありません。
またもし、これを読んでいるあなたが、イジメを受けているのならば、逃げて下さい。
そして、自分を肯定して下さい。イジメを受けているのはあなたが悪いのではなく、学校やクラスメート等の環境が悪いのです。
転校するのも良いかも知れません。フリースクールに通うのも良いかも知れません。家でできることを探すのも良いかも知れません。
不登校YouTuberの言う通り、不登校は不幸ではありません。学校に通うことは、幸せになる唯一の道ではありません。