はてなキーワード: ファルスとは
宇崎ちゃん×献血コラボ第2弾が好評。太田啓子弁護士「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います」
https://togetter.com/li/1463136
いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います https://t.co/JalH0gHq7t— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) 2020年2月1日
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それに週刊誌や弁護士ドットコム等が追随して、ポスターバッシングに加担
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献血ボイコットの件やエズラミラーの件、アキバゲットーの件等でフェミや取り巻き自身が大炎上する
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この時点でオタク以外の医師や献血を必要とする人等もブチ切れ始める
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他のキャンペーンまで悪影響が出始める
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「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います」←イマココ
これは酷い。
何とまぁ白々しい。
一瞬本当に当人かどうか疑ったのでもう一度本人の垢自体を見直しに行ったぞ。
普通に二度見した。
流石Dark-Chaos系界隈。
ボクは一瞬動揺したものの、他部署社員からの注目を集めるのが嫌で、さっとそのチンコを受け取り、お礼を言って立ち去った。
玉袋を下げて社屋を移動しつつ、そこで改めて今のおかしさに気が付いたのだ。
「いや、いま9月だろ」
思わず立ち止まって、もと来た方へ戻ろうと思ったが、いやまて。
おかしい、おかしいが……、この脈絡のないチンコのコミュニケーションをとるのはハッキリ言って嫌だ、だが真意を知りたい気持ちもある。
「いや、今9月ですよハハハ」なんてやり取りを期待した上でのプレゼントだったのかもしれないし、そもそもちょっとした冗談だったかもしれない。
あーーーーーーー、と頭がいっぱいになってしまったところで、すぐにまた体を翻して自分の机に戻った。
机の傍らに控えめな玉袋。
少し大きくてバッグにも入らない、無理やり押し込むには少し品が良すぎるデザインだ。
そっと一番下のチャックに入れるものの、肩身が狭そうにファルスの脇に置かれてる。
今はこのチャックに隠された玉袋をどうするかで頭が埋まってしまっている。
○調子
むきゅーはややー。
少しシンドくてぐったりしてたから、栄養をとらないとと思い野菜と肉をたくさん食べた。
今日読んだのは、青崎有吾のアンデッドガール・マーダーファルス。
いわゆる特殊設定もののミステリで、吸血鬼やフランケンシュタインなどが跋扈する世界での殺人(?)事件を解決するお話。
裏染天馬とかノッキングのシリーズが随分面白かった上に、ノンシリーズの早朝始発の殺風景もよかったので、作家買いした。
ミステリ部分は筋が通ってて、特殊設定を利用したトリックもあれば、事件のトリックと関係のないところでのサプライズもあったりで、さすがの完成度だった。
ただ、今もう言わないかもだけど新伝奇のノリ(新伝奇って言葉を奈須きのこの形容以外に使うと、どうしても悪口感が出るな)が、いまひとつしっくりこなかった。
バトルシーンの扱いがとってつけたようになってるのが、ピンとこなかった理由なのかなあ。
こう、別作品を出しちゃうけど、虚構推理みたいにバトル部分がミステリの謎解き部分の助けになったり、バトル部分があるからこそ名探偵が強気で出られる(嘘喰いの知略と暴力みたいな関係のことが言いたい)のように、僕はミステリとバトルとをもっと密に結合して欲しいのかもしれない。
ミステリの部分は好きなので、続きも読もうと思うけど、この辺のバトルシーンがましましになってないことを期待したい。
難しいのは飛ばしてるんだけど、座標を求めるやつで難儀してる。
いやこれやりかたはわかったんだよ、/とMODを返せばいいんでしょ、で、それぞれも前のステージでもうクリアしてるところだから、大丈夫なんだよ。
ただ、この二つを組み合わせるってのが面倒でしょうがない。
なんていうか、ゲームだから楽しいところだけ遊びたいのに、コピペとかがしづらい仕様でこういうのやられると、ちょっとウンザリする。
○グラブル
拳と短剣を加入手前まで強化したので、減ってますが、分母も減ってます。(分母?)
それと敗北勲章分の貢献度稼ぎ。
虹星晶1047/2900。碧空の結晶183/380。
リリウム。
正式名称は「LILIUM-リリウム 少女純潔歌劇-」といいます(以下リリウムと表記)
こちらは「TRUMP」という舞台からスタートした吸血鬼をモチーフにした舞台で、出演者はモー娘。'14やスマイレージ(現アンジュルム)といったハロー!プロジェクト、通称ハロプロのメンバーのみで構成されていて、公開されたのは2014年。
今現在(2018/9/11)U-NEXTにて後3日と期間が差し迫っていますが、無料登録すれば無料で視聴ができます。見放題!→https://video.unext.jp/title/SID0021661
どころか、ハロプロに関しても初期のモー娘。を世代として体験したくらいで、今現在のメンバー構成も分からず、積極的に触れることもしてきませんでした。
そんな私ですがリリウムを視聴したことで、「TRUMP」シリーズ、ひいてはハロプロへの興味が沸き起こってたまらずこの日記を書いています。
タイトル通り、このリリウムという舞台は、モー娘。を知らない人にこそ観てほしい。
アンジュルムを知らない人、ハロプロを知らない人にこそ観てほしい。私のような。
というのも、きっとモー娘。を知っている人たちには当たり前であろうこと、ハロプロを知っている人たちにとっては当然なことを、私たちは知らないからです。だからこそ面白い、気づきがある!
リリウムは少女たちの物語、ミュージカル。出演者は皆少女で、演じる役も少女。一部例外もありますが、それは後程。
"ヴァンプ"という吸血種の少女たちは、限りある命を持ち、"繭期"という人間でいう思春期を穏やかに過ごすため、"クラン"と呼ばれるサナトリウムで日々楽しく過ごしていました。
けれど、主人公のリリー(演:鞘師里保)は、仲間のシルベチカ(演:小田さくら)がいないと皆に訴えます。でも、皆はシルベチカなんて知らないと歌う……
この舞台の素晴らしさは、勿論その計算され尽くしただろう脚本にもあるのですが、少女たちの少女らしい美しさと儚さ、モラトリアムを感じさせる日々の様子を見事に演じきっているハロプロのメンバーたちにあります。
その歌唱力の高さ、そして何より演技力の高さに、モー娘。もスマイレージもよく知らなかった私はひどく感動しました。
本職の俳優さんとしてもおかしくないキャラクターへの入り方、特に少女でありながら少年を演じる、所謂「男役」を演じてみせた工藤遥さんのファルスを是非ご覧頂きたい……!
工藤遥さんは今は「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」でルパンイエローとして可愛らしい姿を見せてくれていますが、その愛らしさからは想像もつかないほど凛々しく魅力的な少年を演じてらっしゃいます。
少女であるはずなのにきちんと少年に見える、声も声変わり前の少年のものとしか思えないその質の高さを見てほしい!
もうひとりの「男役」、キャメリアを演じる中西香菜さんもまたファルスとは違う少年らしさを醸し出していて、このふたりは本当に舞台上で少年としか思えません。
勿論主人公のリリーの演技力の高さ、他の少女たちの個々の魅力の強さも素晴らしいのですが、是非ともそこは実際に見て体感して頂きたい……!
リリウムは「TRUMP」というシリーズの二作品目ですが、このシリーズはどこからでも入れる、根本の舞台設定が共通した別のお話となっています。
このリリウムから入ってもよし、別の作品から入ってもよしですが、私はこのリリウムから入ることをオススメします。
この舞台はモー娘。とスマイレージの少女たちの魅力を知ることができる、素晴らしいものです。
舞台の雰囲気、少女たちの儚さ、それらを表現しきる彼女たちの凄さ、それを体感してほしい!
最後に待ち受ける少女たちの結末、運命、その花々の物語を、是非とも。
人にわかりやすくネタバレをせず説明するのは難しいな……と思いつつ、是非ともこの舞台、リリウムを観てほしくてこの日記を書きました。
→https://video.unext.jp/title/SID0021661
◆追記
私のいる職場はfalseがファルスだ。しがない地方銀行だがみな大卒だ。こちらがフォルスと発音しても誰も間違いに気づいてくれない。ともすれば職場で私だけが発音を間違って覚えているが気の毒なので誰も指摘しないみたいな感じになってしまっている。微妙につらい。いまだにデスクトップをディスクトップと言い続けてる人がそれは1人だけだ。なぜ20年以上PC使う仕事をしてて直らない。気づかない。この前友人にUSBメモリのことをUSBっていうの少しイラっとするという愚痴をこぼしたら、俺もUSBっていうけどっていわれて、微妙な空気になった。きっとそれはこの社会では極めてどうでもいいことなのだ。
いや、女叩きというわけではない。先に言っておくけれど
私はトランスジェンダーというわけではなくて、単純にゲイ寄りのバイなんだけど
所謂、男らしさだとか、ファルスというのを持っている自分が死ぬほど嫌いなんだ。
大学で部長とかもやったけど週2でゲロしてたよ。社会人になって人に物を頼むときも吐きそう。
問題は女性とデートできないってことで、それはなんでかっていうと彼女等が男らしさを求めるからだ。
そりゃそうだよ、私より先にヤリチンやらモテ男やら星野源なんかと仲良くしてるんだから。
私自身男性におもてなしされて来たから、それを求めるのは分かるんだ
でもさ、それを苦痛に思う人間がいることは察してほしいというか
女らしくしろというのを暗に示されたら嫌じゃん
自分から化粧するなりヒール履くなり三歩後ろにいるのはいいけど
こういうこと言うと大丈夫だの、気にしてないだの、本当に好きならだの言うけれど
で、なら男同士でしてろというけど、やっぱり社会はヘテロ主体だから、女の方が都合がいい。
田舎だから男の人相手じゃどうやったってコソコソしてしまう、自意識の問題もあるけど。
コミュニティに入ってバイであることを公にするってのも手かもしれないけど
彼らいわゆるリベラルの悪いところを集めたみたいな存在で、つまり…わかるでしょ?
寛容なふりして排他的なんだ。LGBTコミュニティの外の人間は全てLGBTじゃないって考え方なんだよ
あと単純にコミュニティに入ることでファルスを手に入れるのが怖いというのもある
だから、なんというか生きていて辛い
必要以上に欲しないのは人として当たり前のことと思ってたのだけれど
意外と欲まみれだよね、みんな
いまだに十戒や二十則を「踏むべき手順」として持ち出してくるって、うみねこでミステリ知識止まってる人か?
それはともかくファンタジーとミステリの相性が悪いというのはあながち間違ってないし、
ループもの×ミステリはミステリ史的には「SFミステリ」に分類されるものだったと思う。
ミステリ読者には事件や探偵の前に「厳格なルールづくり」にプライオリティを置く人が多くて
そういう人たちが「ファンタジーミステリはなんでもありだからダメなんだ」と言う
こういう人たちの主張にも一理ある
ファンタジーとミステリをかけ合わせた作品には「ルール設定」をぼかしているものが多い
あんまりその世界独自のルールをカチカチに固めちゃうと読んでる読者の方が「お前の決めたルールやんけ」と白けてきちゃうし
じゃあ逆に現実世界の物理法則やロジックにそった解決へもっていくと「ファンタジーの世界観にした理由がわからない」と文句がつく。
どっちにしろ、負け戦なわけだ。
しかしその困難を乗り越えてファンタジーミステリを書いてる人は多いわけで
魔法が発達してヴィクトリア朝以前の宮廷文化が保持された並行世界のイギリスで密室殺人が起きる。
当然「犯人は魔法を使って殺したのでは?」みたいな疑惑が持ち上がるわけだけれど……。
このミステリで使われた「魔法世界でミステリをやるときのメソッド」は良くも悪くもその後のファンタジー・ミステリの規範になった。
西澤保彦『七回死んだ男』
主人公である少年の偏屈な金持ちの祖父が殺された……と思ったら次の日に何事もなかったかように殺害日の朝に逆戻り。
少年はなんとか祖父を助けようとするんだけどその度にバリエーション豊かに殺されていく。
どうやったら殺人を防ぐことができるのか? そもそもなぜループするのか。
魔法使い版『11人いる!』というか『そして誰もいなくなった』というか
魔法世界で起こる殺人を扱った作品としては『魔術師が多すぎる』を彷彿とさせるが
アニメ化もされたんだっけ?
割合「剣と魔法」系ファンタジーミステリとしては最高傑作の部類に入るとおもう
特筆すべきは「その世界でのロジック」にちゃんと拘っているにもかかわらず
ちゃんと読んでて納得させられるというか、「お前の決めたルールやんけ」感が少ないこと
物理法則をファンタジー寄りに、ロジックを現実世界よりに構築したのが成功の原因ではないかな
いわゆるスチームパンクの世界観でミステリやるやつで分類的にはSFミステリでもある
「おまえの胸先三寸やんけ」にやや傾きがちなところもあって、それで批判されがちだけど
『人間の顔は食べづらい』は『ソイレント・グリーン』、『東京結合人間』は『ムカデ人間』と
みもふたもない……もとい親しみのあるホラー設定の世界でガチ本格を作る若手随一の実力派。
異世界本格のロジックは今後、この人の作品を基礎にしていくとおもう。
設定のセンセーショナルさに反していまいち弾けきれない部分があったが、最近刊『人間の顔は食べづらい』でネクストステージへ到達
「剣と魔法」でもホラーでもSFでもない、童話ファンタジー風の世界観を基礎にしたガチ本格が特徴。
みためはかわいらしいが、倫理のタガが外れたヤバいキャラや話が多い
マストリードは『スノーホワイト』。『白雪姫』に出てくる鏡がもし現実に存在したら……を天のはてまで突き詰めた傑作だ。
吸血鬼や狼男の存在する20世紀初頭のイギリスで繰り広げられる大活劇
ミステリとファンタジーとアクションのバランスがとれていて、わりあい読みやすい
残りの190数冊はどこかって?
ふふ、それは君たちの頭のなかに眠っているのさ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
やぁ、増田諸君ご機嫌よう。
おじさんの趣旨を汲んでくれて、罵倒してくれたトラバ諸君には感謝の気持ちでいっぱいだ。
変な書き方をしたが、おじさん的には、うみねこの死体蹴りをしつつも、ファンタジー及びSFベースのミステリを教えて欲しかっただけだったりする。
ブギーポップは笑わないしか読んだことないんだよね、この作者。肌に合わなかったから、避けていたが、頑張って手に入れて読んでみます。
チョーモンインは全部読んでいるが、それ以外は知らないので、是非とも読んでみたいと思う。
すまん、既プレイなんだ。許してくれ。ダンガンロンパ面白いよね。個人的に、2の展開はかなり気に入っている。
うむ。西澤保彦はほぼ全部読んでしまったのだよ。お陰でもっと別の作者を知りたかったんだ。騙してしまってすまない。
ここは全部抑えているんだな、これが。短編集含めアシモフは最高のSFミステリ作家だとおじさんは思っているよ。
トラバでもあったし、優先的に読みたいと思う。
このお二人の作品にはいくつか目を通しているのだが、挙げてもらった作品は読んだことがないので、読んでみるよ。ありがとう。
虚構推理は読んでみたいね。清涼院流水は済まない、全部読んでいるのだ。コズミックとジョーカーを縛って作者の頭を殴りに行きたいよ、おじさんは。
おお、初めて聞くタイトルだ。探してみて読んで見るよ、ありがとう。
あれは非常に良い作品だった。おじさんも大好きな本の一つだね。もちろん、今回書いた異種ルールミステリに当てはまるとおじさんは思っているよ。
アヤツジストなおじさんは Anotherも Another エピソードSも両方読んでいるよ。アヤツジのあのドロドロした雰囲気はミステリというより、幻想小説に近いので、おじさんはかなり好きだよ。
これにはやられたよ、おじさんも。こんなのありかって初めて叫んだ作品だね。殊能作品は全部読んだけれども、作者の早世が惜しまれるよ。
いわゆる叙述トリックで、天才筒井康隆の作品だから面白いよね。でも、おじさんはこの作品では騙されなかったんだ。本当に申し訳ない。
これは知らない作品だから、目を通したいと思う。どんな落ちでもおじさんは喜んで読むと思うよ。
ほう、乙一氏の作品はおじさんの友人がかなりお薦めしてるので、優先的に読みたいと思うよ。
未読なので、読みたいね。あと、うみねこの死体蹴りはおじさん楽しくて仕方がないんだ。許して欲しい。
麻耶雄嵩もほぼ全部読んでいる。神様シリーズも面白いよね。麻耶作品は大体頭のネジが2本くらい捻れてぶっ刺さっているから、おじさんは毎回毎回楽しみに読んでいるよ。
すまない、乾くるみも初期作品は大体読んでいるのだ。イニシエーション・ラブやセカンド・ラブが有名だけれども、Jの神話や匣の中といった若さあふれた初期乾作品独特の雰囲気はおじさん好みだねぇ。
インシテミルは既読だね。あれ、人狼が元ネタだよねぇ。まあ、それは除いても結構面白かったよ。その可能性は~は今積読の中にあるので、後で読んでみるよ。扉は閉ざされたままは探してきて読んでみるね。
逆転裁判は全く手を付けていないので、今度やってみるね。2以降がお薦めって事は、1はそこまで謎解き要素が無いということなのかな?そういえば、最近6が発売されたようなので、ちょっと買ってみて遊んでみるとするよ。
非常に惹かれる設定と内容だね。この作者さんの作品は全く読んでいないので、おじさんワクワクしちゃうよ。
空の境界と虐殺器官は既に読んでしまっているので、高井信作品を読んでみることにするよ。ファンタジーには疎いおじさんなので、名前を挙げてもらえると本当にありがたい。
田中啓文先生のネタはめちゃくちゃ面白いよね。クスっとくるネタが多いので、おじさんが好きな作家さんの一人だよ。
ぎくっ。おじさんの振りをしているのを読み解くとか中々の強者だね。でも、残念ながらおじさんはおじさんなんだよ、つい最近おじさんのラインにいったおじさんなんだよ。京極堂以外は読んだことないので、読んでみることにするねぇ。
死神が出てくるのかい。それはとても面白そうだ。伊坂幸太郎作品は、オーデュボンの祈り以外ゴミという評価だったので、読んでいないんだけれど、ちょっと先入観を捨てて読んでみることにするよ。
カーの名作だねぇ。懐かしいねぇ。おじさんは、こういう古典作品は全て読み漁っているから、名前が挙がっただけで感動だよ。この作品の結末は、ミステリっぽくなくて、おじさんは凄く好きだなぁ。
これも聞いたことがないタイトルだね。深見真作というのが興味深いね。手に入れて読んでみることにするよ。
ラノベには本当に弱いなとおじさん感じるよ。ちょっと電撃文庫揃えるようにするね。
貴志祐介作品はどちらかと言うとホラー依りだけれど、おじさんホラーも構わずに読んじゃってるんだよね。どちらの2作もまだ読んでいないから読んでみることにするね。
それでも町は廻っているはおじさん連載当初から追いかけている作品だよ。でも、それ以外は読んでいないから、絶対読むよ。
君は1番つまらないコメントだね。罵倒するならば、もっと上手に罵倒した方がおじさんも顔を真っ赤にできたんだけれどねぇ。
舞城王太郎のトリビュート作品の九十九十九でかなりお腹いっぱいになったところで、 「ディスコ探偵水曜日」はおじさんには堪えたよ。まあ、でも確かに破天荒なミステリなので、名前が挙がってもおかしくはないねぇ。
十二国記と、屍鬼しか読んだことが無いので、読んでみることにするね。
谷川流作品か……。ハルヒしか読んだことが無いので、読んでみようかなぁ。
アシモフは殆ど全部読んでいるよ。黒後家蜘蛛の会は、ミステリ好きでもウヒャウヒャと読める名作だよねぇ。名前が挙がっておじさん嬉しいよ。
これは全く知らない作者なので、是非とも探しだして読んでみることにするよ。ありがとう。
ソウヤーの名前は他の人も挙げているね。きっと凄い作家さんなんだろうね。おじさん、恥ずかしながら知らなかったので、読み漁ることに決めたよ。
魔術師が多すぎるはトラバにも挙がっていたね。はだかの太陽は名作だよね。おじさん大好きだよ。
後味の悪さとタイトルの爽やかさのギャップがたまらない作品だよね。これも非常に好きな作品の一つだよ。名前が挙がっていておじさん、嬉しいよ。
意外な作品タイトルでおじさんびっくりしたよ。第何巻なのか書いてくれると嬉しいなぁ。
アヤツジストだから、どんどん橋も既読なんだ。本当に済まない。
まどマギもシュタゲもキズナイーバーも全部好きだよ、おじさんは。
ミステリっぽくはあるけれど、あれは荒木飛呂彦ワールドだから、おじさんが求めているのとは違うかなぁ。でも、荒木先生は天才だっておじさんは思うよ。台詞回しが初期の頃か抜群に上手いからね。
西尾維新作品は、人間シリーズと戯言シリーズしか読んでいないから、りすかには手を出していないなぁ。いい加減重い腰を上げて読んでみることにするよ(積読の山から目を背けつつ)
これまた思わぬ所からの打撃でおじさん衝撃だよ。パタリロは未読なので、挑戦してみるけれど、ギャグ漫画だよね、アレ。
こらこら、未読の人がいるんだから、はてブでネタバレしちゃ駄目だよ。でも、クリスティのアクロイド殺しは有名だから、大丈夫かなぁ。
おお、これはどちらも知らない作品だ。ありがとう。ありがとう。
ファンタジー系のミステリなのかな。おじさんワクワクしちゃうなぁ。
泡坂妻夫は偉大だねぇ。他の作品も非常に興味深いので、参考にしたいと思います。
まだ出ていないね。おじさんも知らない作家なので、読んでみるよ。
Anotherのアヤツジ展開はおじさんの好物の一つだよ。いい作品だよねぇ。
六とんシリーズは、かの島荘作品からインスパイアされて生み出された作品群だけれども、あれはパズルちっくで、おじさんは楽しんで読んでいるよ。
済まないねぇ、京極堂シリーズは全部読んでいるんだ。邪魅の雫の次が待ち遠しくてしかたがないよ。
>>「数学的にありえない」
初めて聞くタイトルだね。おじさんの今度読む本リスト入り決定だ。とても興味深いタイトルだ。
柄刀作品もいくつかつまみ読みしてるよ。彼の作品も独特で、おじさん好きだなぁ。ただ、柄刀作品はおじさんが求めているような独自なルールはなるべく避けるように心がけている気がするよ。
気になる作家さんがまた一人増えたよ、ありがとう。
所々端折ったりしたけれど、これで全部かな。
読みたい本がいっぱい増えておじさん、大満足だよ。
男→女の自慢話は煎じ詰めるとすべて、おちんちん自慢であるのではないだろうか。
とにかく男の人は、男同士ではおちんちん見せびらかしみたいな「おれのおちんちんはこんなだぜ」と機能的な自慢話をするのに、
いざ女の前に立つと「俺のおちんちんスゴイでしょ?」一辺倒である。
おちんちんは素晴らしい器官なので、私はある程度にこにこ笑って聞くことができるが、
それが50も60も歳を取った人だと聞いていられない。
だいたいその年代の人は昔の自分のおちんちん自慢をしてくるので、辟易してしまう。
昔いいおちんちんを持っていたとしても、今のおちんちんがすごくなければどうしていいかわからないし、
そもそも今のおちんちんに自慢すべきところがないとかえって浮き彫りになってしまう。
その年代になったら勃起したとしても全盛期のように雄々しくそり立ったりはしていない。
それは普通のことだ。なにも恥じることはない。おちんちんだけが女性を喜ばせる手段ではない。
しかし女性がおちんちんのみによって気持ちよくなるわけではない。
逞しい腕や胸板、にドキドキするし、
優しい気遣いやこちらとコミュニケーションしてくれる包容力でだって、女性は喜ぶ。
いざ自分のおちんちんが自慢できるものではなくなってしまったとき、
是非、年下の女性に気持ち悪がられていると感じる人は、気にしてみてほしい
自慢話は女性にとっては基本的におちんちん自慢と取られると思っていい。
普通は自分のおちんちん出す前に愛撫してメロメロにさせようっておもうでしょ?
会話もそれと一緒だ。
ファンタシースターオンライン2(以下PSO2)というオンラインゲームが公称400万IDもあるなら、そりゃ弱い奴も多いだろうというのが一般論だろうが、それだけでは無視できないほど異常と言えるほど弱いプレイヤーが多いのが筆者の実感だ。
普通なら荒らしだ寄生だエンジョイだ業者だビジフォン戦士だと片付けておしまいだが、最近は事情が違う。
緊急クエストですぐに倒れたり低火力だったり有効ではないテクニックを使うなどしているプレイヤーの装備品を見ると、寄生装備だというやつはブラックリストに入れれば簡単だ。しかし特に最近は一級品と呼べる装備であり、または育成レベル帯ならレベル帯以上の良い装備を持っているケースが最近多いように感じる。つまりスペックは十分ということだ。
にも関わらず悲惨なプレイをしているのは、ジャストアタックという基本すらまともにできないプレイヤースキルの低さにある。横目で見ていてもわかる程度に、属性違いのテクニックを使う。明後日の部位を攻撃する。PAすら使わず通常攻撃で殴り続けるなどなど。
ゲーム内での解説が不十分なことの弊害であるのはその通りだが、Wikiなり攻略動画なりが充実しているPSO2ならそうした外部サイトに頼れば良い。むしろ今のご時世でそういったものの存在を知らないとは言わせないし、ここで語ってる弱いプレイヤーとは荒らしなどを除いた最低限PSO2なんてゲームに興味を持ち緊急クエストなどに挑むやる気はあるプレイヤーだ。しかも強い装備を持っているならそれが強いとわかる程度の知識もあり、攻略情報という効率プレイの権化のような存在を見ないでいられようか。
ということはつまり、攻略情報を見てもそれを噛み砕けないのではないのか?と筆者は仮説を立てた。
さて今の世の中、ソシャゲだろうとなんだろうとコスパや効率の良さが求められるプレイが常識となっている。
ならばそれこそPSO2なんてそうした情報を取り入れて最大限効率良くやるだろう。経験値稼ぎからボスの倒し方まで、PSO2の各攻略情報は充実している。誰もがその情報通りにやるだろう。しかしそこにこそ強いプレイヤーと弱いプレイヤーの差が生じる原因があるのではないかと考えている。
つまりそれは、あまりにも今の新規プレイヤーは効率の良いプレイを求めすぎて機能不全に陥ってるのではないか?ということだ。
経験値稼ぎはできる。メセタ稼ぎもできる。強い装備がどれかもわかるし、特殊能力も解説サイト通りにやればできる。
ボスの破壊できる部位も、どうすれば怯むのかも、周回の仕方もサイトの情報通りやればいい。
前者はできても後者はそう頭で理解していても現実にはできないのが彼らなのだ。
例えばダークファルス・エルダー本体をどう倒すのか。多くのプレイヤーはその手順を簡単に思い浮かべるだろう。
しかしその手順を説明しろとここで言う弱いプレイヤーに言われて解説できるだろうか?できるだろう。
しかしそれでもここで言う弱いプレイヤーは教えた手順通りに事を運べないと私は思う。何故か?
その弱いプレイヤーに、教えた人なりの攻撃方法しか教えず、攻撃する時の装備や動きに合わせた対処法を教えてないからだ。
レベル30のブレイバーがいるとしよう。この弱いプレイヤーは壊すべき腕や弱点であるコアの知識は実は持っている。
しかしレベル30のブレイバーがエルダー戦で持つべき武器とPAを知らない。
もっと言えば取得するべきスキルも知らないし、三本の腕が突き出された時にどれを攻撃すればいいかもわからない。
ウィークバレットが貼られて目印になっていたとしても、それを知らない。
馬鹿にし過ぎだと思うだろうか?だが筆者が真面目に考えた上での仮説だ。
そんなもの現状装備できる最強の武器と適当な打撃能力付きユニットでも装備してみんなが攻撃してる腕を攻撃すればいい、と答えれば済むだろう。だが、ではこう問われたらどうするか?
悩むところだろう。懇切丁寧に指導するならば本人のクセに合わせたPAでの戦い方を組み、装備を考え、腕が伸びてきた時も馬鹿が下手なショックをやった時の対処法も教えてくれるだろう。けど普通に考えれば適当に装備できる装備品を紹介してやるのが精々で、戦い方もよくあるPAの使い方や敵の攻撃挙動を教えてやれば親切な方だ。
こんな、自分でwiki見て装備できる最強装備でスキルも必須と言われてるやつをとりあえず取得して、あとは攻略動画をトレスしとけばいいような、そんなことが出来なから弱いプレイヤーは弱いのだと、筆者は考える。
一定のパターンはあれど一応はランダムな動きで敵は攻撃してくる。攻略動画があったとしても、まったく同じ動きを取るとは誰も思わないだろう。そんなものその場その場に合わせて避けるなり攻撃すればいいだけなのだが、とにかく弱いプレイヤーはこれが苦手なのだろう。
そのロジックを考えるに、効率の良さを追求しすぎるあまり非効率的な動きを極端に恐れてるのではないではないだろうか?
あるいは投げやりになるでもいいし、思考停止するでもいい。とにかく完全なるシナリオ通りに戦いが運ばないと、途端に最も効率が良いプレイから外れてしまいそれは非効率的なコスパの悪いプレイの扱いと彼らの頭の中ではなってしまう。それで真っ白になった頭は次にやるべきことを見失い、結果として無残な戦い方となってしまう。そして崩れる。
プレイヤースキルの無さもお手本が無いからと言える。本来は十全な火力を発揮したり倒れないためにと自然と覚えていくその動きは経験を積むしかないが、効率の良いプレイを求める彼らには経験を詰むという物はない。何事もトレースするものであり、それは囲碁の定石のように決まりきったパターンで発動させるものであり、すなわち攻略動画の動きをそのままやればそのままダメージが出るという脳死プレイだ。
当然そんな上手くはいかない。上述したように敵のパターンが少しでも違えば崩れるし、また味方が定石から外れた(けど普通の攻撃パターン)行動を取ると攻撃して良いのか迷う。覚えているのはパターン通りのボタンの押し方であり行動そのものではない。しかも多くの場合、攻略動画をそのままトレースする記憶力などあるわけはないので、中途半端な再現となる。どのみちもっと細かいお手本がなければ火力は出せないのだと考えられる。
その上でさらにあるだろうと思うのが、上述したような持つべき装備の不明だ。
効率の良い動きとはつまり攻略情報通りの理想のパターンだ。その理想のパターンを再現するための装備の情報なんてものは、PSO2で恐らく存在しない。当たり前だ。その時点で最強の装備を持っていけばいい、という単純な答えで済むのだから。
ところがお手本通りのプレイにはそれではいけない。お手本通りの装備に特殊能力が無ければ効率的なプレイは再現できないからだ。
おまけにPSO2はやたらと死に武器が多くユニットもほとんど使い物にならない。ベテランがセカンドキャラを作る時には恐らくある程度の我慢をしておよそのレベルを目安に装備を交換していくスタイルでやっていくだろう。しかしそういった蓄積のない新規プレイヤーでかつ効率の良いマニュアルを求めるプレイヤーには、逐一更新していくべきなのかそうでないのかの考えも無いと考えられる。
そんな馬鹿な普通にゲームをやってれば見当がつくだろう、という常識は通用しないのだろう。考えても見てほしい、PSO2は基本無料ということもあってオンラインゲームがそもそも初めてという人も多く、それでいてWikiにはコンシューマとは比較にならないほどのアイテムが(無駄に)並んでいる。その上、下方修正も度々ある。隠し潜在や技量といった要素もある。クラフトもある。レベルXXまではこの装備で大丈夫と初心者がWikiのスペックだけを見て判断するには厳しすぎる。
ソシャゲはどうだあれもWiki必須だ慣れるだろそれで。というその考えは通用しない。ソシャゲの多くはカタログスペック通りのものを揃えて数字で殴りあうシンプルなものだ。フリック操作など色々あるがそれらは直感的で、またURやSSRなど課金すればプレイ時間30分だろうと簡単に最強になれる。
PSO2esについてはわかりやすい。装備品はクラスのみを条件とするので☆13でも初期から装備可能であり、本家が緊急ゲーなのに対しソロで回すのが基本だ。自分のプレイヤースキルの無さを実感する要素もなく、効率の良いプレイも本家のような複雑さで踏襲する必要はない。
今も薄々気づいてる人も少なくないだろうが、これはPSO2だけの問題ではない。
効率の良さを求めるあまり動けなくなる初心者が今後も各界隈で見られることになるだろう。ひょっとすればゲームに限らないかもしれない。
こうなったのは効率やコスパを賛美する情勢や古参による貶し、非常識な行動をするとすぐ叩かれる今が要因の一つだと考えるが、それは今の世の中に限らず形を変えて昔からあることだ。それを取り除くことは不可能であろう。
PSO2はアニメ効果もあって新規プレイヤーも増えていると公式は語っているが、彼らの多くも恐らく現代的な効率の良さを求めて、それを現実的なプレイとすり合わせられずに弱さを実感しないままレベルだけが上がっていくのだろう。そうではない中から普通のプレイヤーとされる人をふるい分ける仕組みなのだと言われればその通りだが、それが果たして良いのだろうか?
公式も(まったく続きが来ないが)プレイに関する講座を作るなど初心者対策を(ようやく)始めているが、筆者の仮説が正しければそれは遅い上に意味が無い。必要なのはプレイヤーという役者のための台本と着るべき衣装を示すことだ。
当然そんなものを公式で出せるわけがない。しかしプレイヤーレベルでやるには従来よりきめ細かい指南が必要で、可能ではあろうがあまりにも馬鹿馬鹿しすぎてやってられないだろう。
しかし馬鹿馬鹿しいと思うベテランが、今でもXH帯野良緊急は博打というようなことが拡大してほしくないと思うのならば、せめて装備品の指南は必要だろう。レベルXX/XXのFo/Teが装備する武器とユニット、それにセットするテクニックに取得するスキル。これがテーブル式に並んでいれば、恐らく今弱いプレイヤーの多くが装備するべき目安を適えるだろう。
いやちょっと待て最初に装備は一流って書いたよな?という点についてだが、彼らには上述したようにお手本が必要だとするならば、彼らが持ってる装備がお手本以上のものかもわからないということだ。ひとまず装備するべき基準を超えていると知れば安心して使えるし、そこから先のボスの倒し方などは、これはもう事細かに解説していくしか無い。
”この攻略動画より良い装備だったので早々と部位破壊してしまった時、次の部位を破壊しても良いのか?”
”YES”
↑こういう指南があるだけでもだいぶ違うのではないのだろうか?
これらは全部仮説に過ぎない。だが筆者が最初に考えていた
”どうして弱い奴らはWikiを見ないのか?いや効率だコスパだの世の中で見ないわけはない見てるはずだ”
という疑問から考えついたのがこの
”効率の良いプレイをしたいばかりにあれもこれもマニュアル化してしまってるのでは?
という仮説だ。
別に今の世代がマニュアル人間だなどとは言わない。だが効率の良さを何事にも追求する世情ではあると思う。
真面目に、今のPSO2の特にVH以下の緊急では指示厨と呼ばれてた白チャが必要なのかもしれない。間違った指示ならとんでもないことだが、少なくとも今の育成レベル帯の緊急クエはてんでバラバラの攻撃をするし火力は出ないしで、ならば多少間違ってても一点集中した方が火力が上がるというものだ。もっとも状況に合わせた臨機応変でまともな指示ができればの話なのだが。
また今度の動画コンテストでは解説部門があるらしいが、ベテラン向けの豆知識などはともかく初心者向けの解説には、ひとつお手本やマニュアルや型枠といった意識を持つと良いかもしれない。
はっきり言って筆者自身この仮説は馬鹿らしいしそんな弱い奴らは切り捨てろと思うが、一応はPSO2をプレイしている身として新参がすぐに離れて衰退していくにもあれなので、せめて彼らが強くなってやれ共有は地雷だの野良は期待できないだの言われないようになってほしいものだ。
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
自分の頃はそんな物は必要ではなかったが、最近の日差しはエラい強いし
子供の頃に紫外線を受けた影響は年を取った時に出てくるそうで、
そこら辺の研究が進んで今まで見えなかった脅威が明るみにでたということでもあるのだろう。
母子手帳ではかつて日光浴を推奨する項目があったが、今はとりはずされているそうだ。
もう無理に日焼けをさせる時代ではないし、日焼け=健康という図式はもう成り立っていないのだろう。
しかし、表題にもかいてある日焼け止めを付けてはダメという学校も一部であるそうだ。
プールの水が汚れるというのもあるが、
日焼けが健康的で良いからそうするべきであるみたいな、そういう価値観を持っている人もいるのではないかとおもってしまう。
たしかに良い。
スクール水着のあとが残っている上でのビキニなんてあれは単なるヌード以上だよ。
いや年齢がうえでもいい。
あの良さは何なのだろうか。
元々隠されていた部分というのが端的に白い部分として強調されている。
それがビキニ姿であらわになったときに、その腹部の禁断性がより向上されるのだ。
腹部でありながら局部以上のパワー、エナジー、パトスを持つ存在に昇華して
そのイデアを前にして僕はすでにエポケーをする以外ほかないほとで
僕のファルスは神がかり、今までにないejaculationを経験してしまう。
きっかけはWHITE ALBUM2のアニメ版のテレビ放送だった。
悪いのは、WHITE ALBUM2のアニメがあまりにグレートだったからなのだ。
起こったのはごく単純なことで、僕はネットでたまたまWHITE ALBUM2 の第1話を見て、久方ぶりにアニメの視聴を開始し、第9話をみて、PS Vita本体と、WHITE ALBUM2のダウンロード版を購入した。それだけのことだ。
そして、アニメ最終話までゲームを開始するのを我慢して、いまこうして正月休みにゲームをクリアしたというだけだ。遣る瀬ない気持ちでキモいサイトを久しぶりに巡って、こうしてどうしようもなく、テキストエディタを立ち上げて、今これを書いている。
冬馬を愛しすぎていたために、"浮気end"(冬馬ノーマルend)の近くまで全く気がつかなかったが、WHITE ALBUM2の物語構造は、裏返しの聖杯探求譚としての"指輪物語"と同じである。それは、冬馬=トラウマを捨て去る地獄巡りの物語なのだ。また、ここから、WHITE ALBUM2の本筋は"浮気end"(冬馬normal end)にあることがわかる。"冬馬end"の"雪菜end"の両者とも、トラウマを想像的に解決するに留まっている。例えば、何でもいい、エヴァでもまどまぎでも、ハッピーエンドの二次創作が描かれるのも、それは原作のバッドエンドという現実があるからこそであり、それに根ざした幻想であるのと同じことだ。
ところで、ギャルゲーにおいて、トラウマをめぐる物語はありふれている。ギャルゲーの歴史に刻まれるべき致命的な傑作である"ONE", "AIR", "Sense off"の3作品を唐突に思い返してみよう。ONEにおいては、トラウマは積極的に表象されない("みさお"という引っかかりのない固有名詞とわずかなテキスト)空虚として、"Air"においては観鈴の劇症発作の原因として釣り合うはずのないあからさまな幻想として、"Sense off"においては宇宙人や超人類といった誇大妄想として存在している。素朴な作品が、トラウマをささやかな心理学や物語に還元するのに対し、先の3作品は、トラウマを表象することの失敗を通じて異様なリアリティを放っていた。
さて、対してWHITE ALBUM2では、凡百の作品と同様に素朴に真正面からトラウマを描きだそうとするかにみえる。しかし、それはいったいなんという力技であったろう! トラウマの原テクストとしての、"opening chapter"を思い返してみよう。高校3年生の文化祭をきっかけとした主人公とヒロイン二人の三角関係の恋は、悲劇的な結末が予告されている謎めいた空間の中で進展する。自分が恋しているかも知れない女のまなざし、謎めいた行動、ほのめかし、光、音楽ー歌とピアノー、いつ痛みに転嫁してもおかしくない、危うい、享楽にも通じる喜び。無意識がすべて通じ合う、情動的な空間。そこにおいては、超絶ギターソロを一週間でマスターすることなど問題ではなく、高めの女に恋されるという奇跡がおきてもおかしくはないだろう。そして予感は、悲劇は成就する。喜びが、光が、その強度そのままにそのまま痛みに転換する。男は女を2人とも失う。女はもう1人の女と男を失う。それは、あまりにも強く3人が結ばれていたことの罪なのだろうーー。
大げさに過ぎただろうか。しかしここまででは、単に良くできたメロドラマにすぎないとも言い得る(その意味では、アニメ版の方が、ほとんどあらゆる意味で原作に勝っていると思う)。しかしほんとうに凄いのが、ここからの周到さである。"closing chapter"の入りがいい。校内ラジオからあっけらかんと流れ出す、"届かない恋"と、春希と千晶との会話のシークエンス。そう、ここでは、トラウマの種は、世界にあからさまに薄く広く偏在している。"opening chapter"では2人以外の女がほとんど存在しなかったのに対し、攻略対象の女がギャルゲーならばそれが当然とでもいう装いで追加導入され、唐突に、我々が慣れ親しんだ、おなじみのギャルゲー形式のギャルゲーが始まる。決定的なことはすべて過去に起こってしまった薄闇の世界と、主人公を慰めるための都合の良い女性キャラクターたち。ここではじめて、WHITE ALBUM2は、"ONE"や"AIR"の出発点にたどり着く。しかし、ここには冬馬が、われわれが本当に愛した女はいない。その女は選択肢に現れない。だからここで進行するのは、ひたすら耐え忍ぶ、息の長い治療の過程である。注意しなければならない。偏在するトラウマは、たえず現在の些細な出来事をきっかけに、"opening chapter"の各シーンをを縦横に引用しつつ実体化する。"opening chapter"における決定的なシーンのみならず、読んだことを忘れるようなささやかな日常シーンさえも、絶えず痛みと後悔をともなう新しい解釈が施される。"opening chapter"のあらゆるシーン、あらゆるエピソード、あらゆるささやかな喜びは、それが不在になってしまった現在に徹底的に対比され、恐るべき呪いに転換される。WHITE ALBUM2がそれを成し遂げるその執念、持続力にには驚嘆せざるを得ない。また、トラウマの作動をここまでつぶさに可視化しえた作品は他に思いつかない。つらく長い治療の過程においては、悪霊を追い払うために、3人のキャラクターが生け贄に捧げられ、物語の都合に奉仕させられ、使い捨てられる。そしてついに訪れた結末。そこでは、聖なる原典、聖なる楽曲が、新たな解釈を施され再演されるだろう。アコースティックバージョンで歌われる"届かない恋"。そこにやっとたどり着いた男と1人の女。まさに寛解という言葉がふさわしい、穏やかな時間。
冬馬かずさが回帰する。それはまさに運命的な、恐怖とも歓喜ともつなないつかない瞬間であり、われわれはただ滂沱の涙を流すほかになす術がない。これは感動などというものではない、あまりに強烈なドラッグを強制的に注入された生体の防御反応としかいいようのない、デトックスの涙である。われわれが唖然とするのは、冬馬のあまりの弱さ、あまりのいじらしさ、あまりの変わらなさである。なにしろ5年もの間ピアノを毎日10時間引き続けながら、その実、ピアノを通じて毎日はるきと会話を続けていたというのだ。なんたる痛切な、ほとんど自傷的な喜び。何も変わらない。何も終わってはいない。そして再会を果たした二人は、おたがい避け難い力でからみあいながら蟻地獄のような愛の日々に巻き込まれていく。もとより、"opening chapter"の神話的な磁場により張り巡らされたリアリティが、"closing chapter"において、はるきが冬馬曜子の雑誌記事を書くあたりでほつれてはいたものの、"coda"のマンションの隣の部屋での生活に至って、ほとんどギャルゲーのように(ギャルゲーだが、、)ほどけさってしまう。われわれは一方で熱が冷めるのを感じながら、しかし、他方では、そこで演じられる距離0の愛の関係、おたがいまるで馬鹿のように傷つけ合い、愛し合うほかはないその様子から目を離すことができない。冬馬がもともと備えていたはずの、凛とした、というキャラクター造形は、ほとんど"浮気end"の最後まで見る影もなくなっている。しかしそれは、最後の最後に鮮烈なかたちで炸裂する。ふたたび悲しみをもたらすために。ふたたび作品に残酷なリアリティをもたらすために。
"浮気end"において決定的なことが起きてしまったあと、いわば、エピローグの序曲ともなる、短い小春日和の瞬間において、ふと、この、ダンテの"神曲"のように長い螺旋を描いて進んできたこの物語の総体、ただ一人のキャラクタのためにすべての女が動員される大伽藍の起源が問われることになる。冬馬は問いかける。なぜ私のことが好きになったのかと。決定的な問いである。そして春希は惑いもせずに答えるだろう。終局において、作者に課せられたあまりの重荷、あまりの苦難のあまり、ほとんどシンジ君のように幼児退行してしまった春希が、もともと持っていた率直さ、本当に貴重な少年らしい生真面目さ、控えめな正義感、雪菜も冬馬も本当にそれが好きだったはずの少年のファルスの片鱗を、かすかに遠くこだまさせながら。
顔が好みだったからだよ!
一目惚れだよ!
これが、この巨大な地獄の起源だったのである。何とシンプルで、何と美しい言葉だろう。ふと、地獄のなかにぽっかりと真空地帯が発生し、なにごともなかったような日常の現実が発生したかのような、はっとさせる言葉だ。大団円といってもよい。我々は涙を飲み込みながら思う。これは、この巨大な物語の終局にふさわしい。しかし、何も終わらない。決して、終わることはできない。だとしても、冬馬は成仏することはない、、、
* * * * *
ギャルゲーにおいて、われわれは徹底的に受け身な、マゾヒスティックな主体たらざるを得ない。ギャルゲーにおいては、本来テキストスキップの機能など必要なく、われわれは、永遠とも思える退屈のなか、ひたすら単調にマウスのクリックを続け、何度でも、水増しされたテキストをめくり続けるだろう。なにがしかの男らしさを発揮するために、全てのヒロインを"攻略"(ギャルゲーにおいてこの言葉ほど空疎なものがあろうか)し、CGをコンプするという仮の目標を設定することはあまりにいじましい偽の能動性としかいいようがなく、雪菜を選んで胸を撫で下ろしたり、"不倶戴天の君へ"に救いを感じてしまうのはヌルオタとしかいいようがなく、よく訓練されたギャルゲーマーは、すすんで空虚のなかに留まり自らの空虚に向き合うことで快感を汲み上げ続けるだろう。そして、画面を閉じてもゲームは終わることがなく、ギャルゲーマーがとるのは、ただひたすらの"待ち"の体勢である。"coda"において、"浮気end"において物語はまた振り出しに、"closing chapter"に戻ってしまった。"opening chapter"の一撃によって生まれた世界は、"coda"によりいっそう強く永遠に閉じられてしまったのだ。われわれは、それらの各シーンをときにふれ思い出しながら、ひたすら待ち続ける。冬馬を。もう一度彼女に会いたい。いや、彼女はいる。われわれは知っている。われわれは、いや、わたしだけが、彼女が全宇宙に偏在していることを疑うことはないだろう。
ここにいたって僕に残されたささやかな唯一の希望は、アニメ版2期, 3期においてよりいっそう美しくバーョンアップした冬馬が再臨してくれることである。もう一度お別れをするために。僕は、つまりは、よく訓練されたギャルゲー的主体は、さよならをいうために、すべてが終わってしまった後の世界で、はてしなく続く終章のなか、冬馬かずさを待ち続ける、、、