はてなキーワード: ごにょごにょとは
すると、
男の声で、
何時だと思ってんだー!毎日うるさいんだよ!夜中に!出てこい!殺すぞ!と叫びながら、ドアをドン、ドンと叩く音が聞こえた!怖い!
叫び声の合間に、女の人の細い声で、ねえ、やめて、やめようよ、ねえ、、と泣いてるような声もしてた!さらに怖い!
叩かれてたドアは、音の響きからして我が家じゃなかったと思う。
隣のアパートと向かい合っていて距離が近いので、自分の住んでる建物なのか、隣で起きたことなのかもわからないんだけど怖い怖すぎ!!
その後、誰かが警察を呼んだらしく、音もなくパトカーがやってきてなにかごにょごにょやっていたようだけど、、住人としてとても気になるので、なんだったのか知りたい!!どこの部屋の、何が気に入らなくて、あんなことになったのか?あの男は誰なのか?どうしたらいいんですか!
それとも大家さんに何か知ってるか尋ねる?
だれかおしえてください
とりあえず 21:30 にライブが終わるなら会場から家までどれくらいかかるかわからないけど、夕食をごにょごにょするのは 21:45 くらいになっても不思議じゃないと思うから、元増田理系夫がバカじゃない限り遅刻説はないと思う。
後出しなしの理系(またはAS)選別クイズと仮定して回答してみよう。
(=たぶん、元増田はあとから「それは違います、実はこういっていました」っていうとおもうけど・・・あえてクイズとおもってこたえてみる)
ライン「ライブ行ってくる、晩ご飯は机に上に出してる。ライブは19時~21時半くらいに終わる」
「晩ご飯は机に上に出してる」=あたためて食べろとまではかかれていない。きっと帰ってきた妻がやるのだろう。
「ライブは19~21時半くらいに終わる」=19時におわることもあり、21時半におわる可能性もあるライブである(19時開始ならそう書くはずだ)。帰宅の時点から妻があたためて二人で食べはじめるだろう
つまりなんやかんやの誤解?正確すぎる読み取り?の結果、彼は21時半には妻がごにょごにょしてご飯にありつけているつもりだったということでしょう。
旦那の用意している答えは「不正確なラインを送ってとまどわせてしまってすみません」
まあ実際にはそんな思い込み15分遅刻をネタに4本ビールを飲む人とか、コナンみたいな歪んで一方的な謎解きを妻に要求する夫などはいないとおもいたい。
万が一本当で、しかも離婚したくないなら、うまいこと国語をすりあわせるため、お姑さんなどのデータも取り寄せて対処してください。
356 :名無しさん@おーぷん:2015/08/24(月)15:51:01 ID:???
乗った時は小さいバスだし座席は満席でしばらく立ってたんだけど、ちょっとして目の前の座席が空いたから娘を膝に乗せて座った。
2、3個停留所止まってしばらくして後ろのおばさんに肩叩かれて振り返ったら
小さいバスだけど優先席ではなかったし、意味がよくわからなくて
「え?年寄りの席ってなんですか?」って聞いたら若いんだし貴方より年寄りが座るべきとかごにょごにょ言い出して。
おばさんは後ろだったしお腹やマタニティマークや子供が見えてないのかと思ったけど、なんで2歳児抱っこで妊婦の私に立てって言うのか理解できなくて、「妊婦も座っちゃいけないんですか?」って聞いたらムッとした顔して目をそらされた。
それを聞いてたのか、聞いてないのか知らないけど割と離れた席の年寄りが
「若いもんが年寄り立たせて平気な顔してんだから信じらんないわ!」とか言うし。
じろじろバスの中で視線が痛くて、目的地よりだいぶ早く降りた。
あの市営のミニバスみたいなのって年寄りが多いけど、あの年寄りの若者排除しようとする団結感みたいなのなんなの?
ほんと腹立つ。
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
ヤギログって皆さんご存知ですか?http://www.jimpei.net/
ほら、あのやたら人を煽ってサロンで金集めてキャンピングカー生活してる
最近どうもきになってるんだけど、依然やぎろぐの人を車に乗せた気がするんだ。
俺は山登りが趣味なんだけど、確か2年前の6月、長野の常念岳に登って、帰りに安曇野から名古屋に向けて中央自動車道を走ってたわけ。
ただ、当初一泊の予定が早い事登ってこれたから日帰りに変更した事もあって眠気がぴーくだったんです。だから帰り道に
耐えきれずSAで車止めて仮眠をとってたの。
で、爆睡してたら窓をコンコンってやるなんか汚らしい風貌のにーちゃんがいたわけ。
で、寝ぼけて話聞いたら
「財布無くしちゃって動けなくなったので車乗せてください」
みたいにいわれて、俺もまぁなんか断るのもあれだし乗せてあげたのよ。
臭い。とにかく臭い。1週間以上風呂に入ってないヤツの臭いがした。拘束は知っているのにとにかく窓全開にあけて
車中、次のSA着いたらどうすんの?とか色々聞いたけどなんか回答が曖昧。
「や、次のSAから徒歩で友達の家に行けます」とかなんとか。怪しすぎる。だんだん怖くなってきた。
どこ行きたいの?名古屋まで行くから行きたいとこまで乗っけてってやるよ?と言っても
ごにょごにょするだけ。
財布なくて困ってるなら少しお金渡そうか?と言ってもごにょる。なんやねん。ホントに財布忘れたわけちゃうやろ。
ヒッチハイクならヒッチハイクって言え。っつーかちゃんと風呂だけは入ってくれ。
結局、駒ケ岳SAで降ろしたら例もいわずに逃げるようにどっかに行ってしまった。
やぎろぐの人、もし心当たりがあったら教えてください。
気になってしょうがないです。
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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イベント遠征のために生まれて初めて一人で東京に行きました。おのぼりさんだからTwitterのフォロワーに案内してもらってイベント前日は東京観光する予定だった。腐女子だから池袋でも冷やかすか~~って気持ちでどんな観光場所があるの?とフォロワーに聞くと、池袋ならこういうところがあるらしいよと、とあるカフェを挙げられた。いわゆるコンセプト系の店。メイドカフェに始まりお化け屋敷風居酒屋など様々な種類がある事は知っていた。現にイベントのアフターで吸血鬼カフェってとこ行ってみない?って話も出ていたし、学校風居酒屋では入った瞬間先生に背の順に並ばされたこともある。ランドセルも背負った。
問題はその挙げられた池袋の某カフェ、BL、ボーイズラブをコンセプトにした店らしい。自分で言うのも変な話だけど私はどちらかといえば保守的な腐女子だった。バレるバレないは別として進んで自らが腐女子であると明かさない人間だったのに挙げられたのはBLカフェ。正直な話だけど「大丈夫????」とものすごく心配になった。ここ2年乙女ゲームのキャラのドリ豚と腐女子を両立してきた喪女の腐女子が3次元のBLカフェで楽しめるのか?と心配になった。腐女子が店員に腐女子であることをおちょくられてなんか気持ちばかりのBLっぽい〜wされて終わったらどうしようとすごく心配だった。店の名前で検索してホームページを探す。メニューを見る。ポッキー980円。店員たちがポッキーゲームをしてくれるらしい。炭酸水の名前がホモホモ水。ヤバい臭いがする。大丈夫?
ホームページを読んでると不安になってしまい結局大した前情報も得ないままで東京に行く日を迎えてしまった。おのぼりさんだから行きの新幹線で駅弁とチューハイをあけた。もうどうにでもなれ状態でヤケクソである。池袋でキャリーケースを入れられるコインロッカーが見つからなかったり東口が見つからなかったりでウロウロしながらもなんとかフォロワーと合流した。今の私にはアルコールもある、フォロワーもいる、無理そうならそそくさと帰れば良い……覚悟を決めてBLカフェへ向かった。
外観はまあ普通のよくあるコンセプト系カフェというかまあビルの中だからね。看板はまあしっかりでてたけど気にならないぐらい。肝心なのは店の中身と店員だもん…と思いながらドアを何故かノックして開ける。
ものすごいイケメンが出てきた。マジで顔が綺麗、え?かっこいい。想像してたBLカフェの店員(イマジナリー腐女子を内心バカにしてるんじゃないかとかすごく心配だった)の83276万倍ぐらいかっこいい。あまりに綺麗すぎて直視できない。かっこいい。
私たちクソ腐女子はこのイケメンから店のシステムを教えてもらう。このイケメンはここの先生(学園系BLカフェだった)らしい。色々説明も聞いたけど顔が綺麗すぎて覚えていない。何より目をまっすぐ見て話してくれる、でも綺麗すぎてこっちがまともに目を見れない、あ〜〜〜!?かっこいい…………
その日出勤してた店員は先生含めて4人で、生徒の方はネクタイの色で学年が決まっているらしい。私たち腐女子は初めて来たので1年生として扱われるらしい。周りを見ると私たちの他にも恐らく腐女子がまあまあいる。3組ぐらいはいたと思うけどそれぞれ思いのままにオタクトークに花を咲かせたりイケメン達と話したりイケメン達のポッキーゲームを眺めたりしてる。多分常連さん(長く通うと客も進級していく)もいるんだろう。お客さんが入ってきたと思いきや、元からいるお客さんのところに「○○さん〜〜〜!!!!久しぶり〜〜〜!!!!」ときゃっきゃしてる光景も2回ぐらい見たから常連さん同士の仲も良いのだろう。
私たちは1年生だと言われた直後に先生にいくつ?と聞かれ、馬鹿正直に「ハタチです!!」と答えて「16歳でしょ!」と怒られた。かっこいい
朝からアルコール摂取したくせにカマトトぶって季節のジュース(ミックスジュース)を注文。ドリンク作ってるとこ見る感じもしかしてイケメンがジュースをほんとにミックスしてくれてる!?!?(よく見えなかった) コーラを頼んだフォロワーには炭酸抜く?とイケメンジョーク炸裂、もうこの辺で先生にうちらはメロメロだったしかっこいいのにこっちの話をニコニコ聞いてくれるしノリが良いし健全なホストクラブにいる気分だ………… どうせだし何か食べようと、フォロワーはランチメニュー、私はパンナコッタを選ぶ。メニューのパンナコッタ見ようとしたら「総受け男子のパンナコッタ」(みたいな名前だったとおもう)………これクソ注文しにくいやつじゃん!!?って思いながらごにょごにょ…総受け男子の……パンナコッタ………って注文したら流石ドSとホームページに書いてた先生、「え?なんて?聞こえない」
なんか何もかも勝てない………かっこいい…………って思っちゃったしイケメンジョーク炸裂だし夢のような空間だったし、料理もめっちゃくちゃ美味しかった。このランチもあのイケメン達が作ってるんだ……って思ったらすごい緊張しちゃったしすごい良い匂い。しかも料理待ちで持て余してたらイケメンが代わる代わる自己紹介と一緒に話しかけに来てくれる。Hくんが目を見つめてくれるからドキドキしながらほんわか空気にあてられてたらパンナコッタのアイスが知らない間に溶けてるレベルに時間を忘れさせられる。私が遠征してきたと知り池袋のオススメスポットを色々教えてもらったりものすごく楽しい時間を過ごしていた。
イケメンの代わる代わる来るイケメン回転寿司の合間に、すごーい!プロだ〜ヤバーい!ってコソコソ頭の悪い会話しながら私たちはポッキー980円を見つめていた。
どうせ東京に遠征してきたんだしみんなカッコいいし、石油王にでもならない限りイケメン同士セックスさせる事とか出来ないんだから980円でポッキーゲームしてもらうなら安くない?安いよね……という内容に飛躍してた。ソシャゲをする腐女子なので10連ガチャ1回でイケメンが3回ポッキーゲームするという言葉で我にかえり、ポッキー注文。
「じゃあ誰と誰にするか、どっちが受けか攻めか決めてね〜!」
想定外。
誰と誰がポッキーゲームするか決めるのは分かるにしても、どっちを受けか攻めか決めるのは全くの想定外だった。先生に聞いたところ、ポッキーを注文すると、
・誰と誰を指名するか
・どっちが攻めでどっちが受けか
・場所はどこか
・シチュエーションはどうか
など事細かに決めれるらしい。どうせ煩悩いっぱいだろうし己の欲望全部ぶちまけな!!って言われた。おっしゃる通りすぎる。
とても迷いながら先生と、短髪系爽やかチャライケメンのKくんを指名。どっちを受けにするかなど腐女子と念密な打ち合わせをする。多分これは受け攻めの解釈合ったり好きなBLのシチュエーションが一緒だったり、とりあえず気があう腐女子と行ったほうが良いと思う。そんな決めるとこで戦争起こしたらイケメン達が困っちゃう。
迷いながらスマホにシチュエーションを練ったのを打ち込んでたらおそ松さんの絵を描くのが上手いSくんがテーブルの中から「これ参考にしてね」って純情ロマンチカを出してくれた。用意周到すぎる。
結局なんとかシチュエーションを決めた。「Kくんと先生は付き合って1年経ってるのに先生は生徒だからってKくんに手を出さない。ある日先生の家に遊びに行った時に先生がそれでも手を出してくれなくてKくんがやきもきして逆にポッキーゲームを仕掛ける(これなに?)」というクソ欲望の詰まったKくん×先生のリバ?設定を二人に見せた。先生は基本攻めが多いらしくて俺が受け!?ってビックリしてた。かわいい。Kくんも俺が先生攻めるの!?ってビックリしてた、次に機会があればKくんを受けにしたい。
私たちのシチュエーションにちょっと悩んだのちに先生がKくんにいいこと思いついたのか耳打ち、可愛い。この辺から私たちはメスだけど概念上はモブになってた。よーいスタート!って私が言わせてもらって寸劇ポッキーゲームが始まった………んだけどほんっっとにすごかった。こんな文章じゃ表現しきれない。私たちに与えた純情ロマンチカを小道具として使いこなしてるし、先生が小悪魔……手を出さないくせに煽る高度な技術、気持ちの高ぶるKくんが先生を押し倒して先生が焦ってバタバタ、Kくんがポッキーゲームを仕掛ける(ほんとにこれなに?) 私たちの位置からキスしてるように見える絶妙な角度でフィニッシュ……ほんっっとにすごかった。想像の82173万倍ぐらいすごいものを見せられたし、私たちの与えたシチュエーションをアドリブでアレンジしてすごいことになってた。なんかKくんが先生を押し倒したあたりで私たち腐女子は動揺しながら手を握りあうしかなかったしほんとうにキャーのAAの状態だった………
(キャーのAA)
(´・ω・`)・ω・`) キャー
/ つ⊂ \
寸劇見てる時の私たちは心が童貞のモブ女だったからこんなの間近で見たらヤバイし見れない!でも見ないともったいない、どうしよう、やばいキスしちゃう!!!!とパニックだった。もうプロだ〜すごーい!とか、脳みそ空っぽなことも言えずに拍手してた。脳みそがついていけなくて30分延長を、お願いした。賢者モードみたいにすごかったね…ほんとにすごかった…って馬鹿の一つ覚えみたいに感動したり、さっきまでイケメンがポッキーゲームしてたソファーをご利益ご利益……って撫で回してたらもう2時間の滞在時間とかあっという間だった。イケメンがメガネかけて真面目系じゃない?wって話しかけてきてくれたりぬいぐるみで遊んでる姿を眺めたり、先生がメジャーで生徒の乳首をつついてる姿を生で見るのほんとに最高だったし、これで4000円。安くない?安いよ。ドンペリとかお高めのお酒も置いてたけど多分これ普通に気が付いたら注文してるやつだ……と思いました。店を出る時もイケメン達が玄関?までお見送りしてくれて手も振ってくれて「薄い本頑張って探せよ!」とアフターケアもバッチリでほんとうにありがとうございましたって感じ。
その夜私はあまりの興奮に眠れなくなりホテルで缶ビールをあけて、次の日イベントに寝坊した(終)
メイド喫茶通いの友達が推しメイド卒業でボロ泣きしたって話を聞いてもふーーーんって感じだったけどほんとうに泣いてしまうだろうな…って気持ちが良く分かった。誘われた時は「まあこういう人生経験もありっしょw」という冷やかし気分だったけど本当にこういう経験ができて誘ってくれたフォロワーに感謝してる。ありがとう池袋、ありがとうBLカフェ。ありがとうKくんと先生。地元戻って店名で検索したらたくさんのそのカフェで働いてるイケメンのTwitterアカウントを発見して私は非公開リストを作りあげられる写真を鍵垢からふぁぼる日々を過ごしてる。イケメン達にオリジナルカクテルを作ってもらえたり、オムライスにケチャップで絵を描いてもらえたり、毎月開催されるイベントではイケメン達がコスプレしたりスーツを着たりまだまだここに書ききれないぐらい楽しそうなことがいっぱいあるBLカフェ。そりゃ常連同士も仲良くなるわ。ちなみにイケメン達は撮影禁止(料理の撮影はOK)、お触り禁止で健全!!
今度大阪にも出来るらしいのでできたらまた友達連れて遊びに行きたいです。
地元に戻ってきてから腐女子とまだワンマンで話す機会がなく、仕方なく脚色?というかかなり話を削って「池袋でイケメンカフェ?的なとこ行っちゃったw」とオタクじゃない友達に話したら店の名前を聞かれ焦った腐女子、2時間で私たちは4000円使ったと言ったら割とドン引かれて悲しい。早く現実の腐女子にこんな分かりにくい文章じゃなくて気持ち悪いテンションで布教したいです。おわり
どうでも良い追記
2時間で4000円と言ったけど、BLカフェがどんなものかわからなかった為に一応予約して行った分(予約代300円)と初めての人には会員証が発行される(初登校料300円)ので実質10連ガチャ1回とちょっとで2時間BLカフェでエンジョイできるぞと思います。ポッキーも980円を二人で割り勘だったので、節度を守ってある程度の人数で行けばもっとお得に楽しめます。その分シチュエーション決めるのも難航しそうだけど……
なんとなく途中から見たアニメに物凄くハマってBDずっと買いそろえて来たけど、一応その作品を一通り揃えて掲題の通りの感想が出てきた。
アニメが提供するサービスって結局「作品を鑑賞出来る事」だと思う。
ただ、どんなに金をだしても得られる体験の上限が低すぎてウンザリしたからもう金は金輪際アニメ業界に落とさない。
バカバカしい。その理由を一応便所の落書きに書いとこうと思う。
まずコレ。ホントにウンザリする。TV放映ですら待ちきれないほど高まった熱がその作り手、売り手によって冷や水ぶっかけられる。
考えられない。
そしてこれ。糞円盤商法はまぁ、先人の引いたレールの上を走るだけで精一杯の連中が食うために仕方ないんだから受け入れよう。
コンテンツ自体はスゲー好きだから金は払うよ。もちろんね。でも、それ以外に快適にコンテンツ消費する方法を何で提供してくれないの?
作品自体に興味はないけど、「ひぐらしのなく頃に」がSD全話入りのBD作ったのは評価すべきだと思う。
画質より通しで見ることの利便性"も"提供するのはコンテンツ制作側の務めだと思う。
1クールなら7~8千円x6?7?程度しかメインコンテンツに金掛ける手段がない。
フルHDのストリーミングでプレイリスト作って休みにボケーっと眺めさせてくれよ。
わざわざごにょごにょしてリッピングして自分でやるしかねぇのか?
それともニュース速報に怯えながら強力な鎖に縛られた録画に精を出せというのか?
ふざけんじゃねぇよ。作ってるお前ら、売ってるお前らが一番自分の作品を軽んじてんだよ、ボケ共。
最高ですらこんなショボいサービスしか受けられない市場なんぞには、二度と金落とさねぇわ。
ぶっちゃけ、2期あったら金落とすかもとか思ってたけど、最後まで放映時のショボいところはショボいままだったし、
あからさまに続き期待させる作りなのにいろいろずるずる遅れてるし、いろいろウンザリしたわ。
多分2期あっても金は落とさん。すまんな。
俺が金をもっと払いたくても、二重課金とか余計な飾りに払うしかないんじゃ俺にとって意味がない。
そっちが受け取る気が無いなら俺は払わないだけの事だ。
円盤の数字だけで一喜一憂するクズ共とせいぜい末永くお幸せにな。
結構反応があってびっくりした。
ただ、どうしてもひとこと言わなきゃならん気がする反応がいくつかあった。
少なくともこの作品に関しては、出会えてよかったと本気で思っているし、作品として世に出してくれたことだけは
一点の曇りもなくただ単純に作り手と売り手に感謝している。
そして、あなたの中では商売人が現状のままで満足してかけらほども向上心がないってのが当然の事だったとしても
少なくとも俺はそうでないと信じたかった。もっと金を稼ぐためにサービス向上を目指す商売人の存在を信じたかった。
無知で子供のように夢見てごめんなさい。現実を知らなくてごめんなさい。
あなたがとうの昔に到達していた真実の姿が俺にもやっとおぼろげながらに見え始めた。
他にちゃんとした商売人を探す人がいれば頑張ってくれ。俺には無理だった。
俺は「もっと金払うからもっといいサービス提供してくれ」って言ってるだけで、
「今の価格のままもっといいサービス提供しろ」だの市場規模無視して値段下げろとか
大量のコンフィグから、perlスクリプトなどで上手くごにょごにょして
本当に見るべきコンフィグだけをみるようにする。
FWやらLBとかそのあたり。
今は客の使っているネットワーク機器の脆弱性をメーカ発表が出るたびに調査して、
具体的には、製品型番、OS、使用している機能を保守契約情報とコンフィグの中身をみて
預かっている機器なんて何百台もあって、コンフィグ全部見るとかはっきりいって地獄すぎる。
メーカの脆弱性情報なんて、大体1週間スパンで出るし今のやり方を続けたくはない。
とりあえず何百台ものコンフィグの中身見るところをどうにかして効率化したいのだけれど、
ほかの会社はどうやってるんだろな。
■追記① トラバへの返信
これはあります。
>大量のコンフィグから、perlスクリプトなどで上手くごにょごにょして
これをできる人が部内にはいないですね…
中学三年生、確か大地震があった年の11月に千代田区の高級住宅街に引っ越した。
その時には自分は容姿と腎臓がオワッテいて、中学一年の再発時から飲んでいた、薬の副作用で肌はとてつもなく汚く、ボコボコに、そして顔は赤くパンパンに腫れていた。
お腹もいつも張っていて気持ち悪いし、頭痛はいつもひどいし、眠れないし、容姿のことで笑われたり、奇妙な容姿のおかげで街でもあからさまに妙な対応をされたりした。
だから容姿がいい女の生理が苦しいとかいう説教は信じない。自分の方が苦しい思いをした気がするから。
千代田区に引っ越した、その3年後に割とどうにもならなくなったので、その時保険適用外の薬20万円を打って、それからひどい副作用の薬はまだ飲まなくて済んでいる。もちろん容姿やらは少しはマシになったがやはり酷く醜いし、醜さは日々進行している。
いずれはまた薬を飲むから、わりかし死んだ方がマシだし、しょうがない京都のアホな私大に通ってとても毎日の気持ちはブルーだけど、死なないから生きているのだ。
自分は生まれてから年をとって、ただでさえブサイクな容姿が醜くなるほど父親の所得は増えていった。
ブサイクな父親と母親は見合い婚で、ブサイクな子供が生まれたけど、父親は高学歴が基本的に多い会社を辞めてごにょごにょやっていって収入は増えていった。
そして、容姿の敗北が確定している中学三年生の時にほとんどの人が住みたくても住めない千代田区に住むことになったけど、家が金があると自慢は何回もしたがやはり容姿がいいものが勝ち組である。
金なんて常に誰かに奪われる恐怖が付いて回る。
美人は容姿が極端に悪い人間の気持ちなんか微塵も考えないで、常に自己防衛ばかり考えているクズばっかで、周りもそれを推奨して、美人をチヤホヤして、容姿の悪い人間を苦しめられているのだ。
美人には容姿が失われる理由のほとんどが年をとるためなだけで、外部からの攻撃で容姿が失われることは滅多にないから自分のことばかり考えてられるのだ。
こっちは金がなくなったら、本当にごみくずになってしまい、非常に惨めな人生を歩まなければいけないことをいつも考えて生きている。
だから、貧しい人間の気持ちを考えることを忘れることができない。とくに容姿が悪く金がない人間の。金がない醜い人間にいつでもなり得る可能性が自分にはあるから。
もうとても容姿はひどいものだ。うんこ色の肌に、とても大きい顎が突き出た顔にちっちゃな目がくりぬかれていて。。。
顔も体もありとあらゆるところが汚いのだ。女を見ている限り、まだそいつよりはマシなブスな友達が一人いるだけで、男と話している様子は皆無である。彼女は孤独だ。可愛ければ孤独になんかならない。
この女は絶対に自分よりも金があるような雰囲気ではない。醜いあまり就職もできない可能性だってある、営業先で怖がられるこの女は将来どうなるか考えたりするのだ。
考えてもどうにもならないし、ただ哀れになってくるだけだから意味がないのだろうけど、考えてしまうのだ。
金をまだ持てている醜い人間である僕は美人が苦労しているとかいう文を読んだが、そんなの嘘に決まっていると感じた。
苦労もクソもない。美人なんて少しの痛みに耐えて顔を焼けば一瞬で美人じゃなくて、苦労なんかしなくなるのだから、それをやらない時点でなにも説得力をもたない。
なのに、美人がみんな好きだから、美人は大変だよねとか美人のいうことに同情するのだ。死んだほうがいい。
金があっても、容姿は良くならないし、金を貯めたら醜さから逃れられるかと思ったら大ウソだ。
美男美女が自分よりも速いスピードで金を稼いだりして幸せそうなところを見て耐えられるのか。
じゃあどうすればいいのかわかるかっていうとそんなのわからない。
だから、今日は発狂しかけてこんなところに何回もくだらないゴミ文をアップしているのだ。
とりあえず、金を貯めたら容姿コンプが解決するなんて嘘だし、技術革新なんてこっちは期待しないし、期待できる現状などどこにもない。死んだほうがマシなきがしてならない。
情緒不安定な知り合いが精神科に行って、「病気ではなく性格の問題だ」と言われて帰ってきたらしい。
性格の問題だと医者に言われたことで、自分と向き合う勇気が出たと言っていた。
羨ましくなって、私も有名なクリニックに足を運んでみると「軽度のうつだ」と言われた。定型でも非定形でもなく軽度だそうな。
軽度ってなんやねん。
診察中も終始面倒臭そうだったし、とりあえず「うつです」って言っておけばいい風潮なのかね。
処方箋も貰ったけど薬局に行く元気がなかった。なんかショックだったし。
それからお医者さんのだるそうな態度が印象に残りすぎて、それ以降クリニックにも大学のカウンセリングにも行く気になれない。
甘えた若造がなんかごにょごにょ言ってるなーと思いながら話聞いてたんだろうな。ほんとそれな。私だったら絶対そう思うわ。
昔から低気圧に弱くて、今時流行りの気象病ってやつにもなりやすいんだけど、気圧が下がるたびに自分に言い訳してるみたいで嫌になる。
今朝メールを整理しててVDI関連の広告があって思い出した話。
・部署毎の独立性は高く、内部シス管はあまり統制をとっていない。
いわゆるNASやらネットワークプリンタを部署毎に導入してごにょごにょとやっている状態。
ここで全体プロジェクトということで事務PCのリース更新とそれを機会にちょっとVDI導入とあいなった訳です。
ちなみにリッチクライアント必須はDVD焼くとかCAD画像を扱うところとかいくつか。
問題はその一部ということで、課長級以上を対象にしたために同じ部署内にリッチクライアントとVDIが混在、部署内でのNASや複合機のリソースがVDIから使えないといった事がありさんざんな目にあった。
まぁ、それでも頑張ったんだよ
各部局はVLANで分割されているからVDIのサーバに各VLAN提供してNW上で同じセグメントにいるように配置したり、NAT下にあるのはVDIの端末のUSBにネットワークアダプタさして仮想PCにネットワークの口を持って行ったり・・・
段階踏んで管理統合するとかVDI端末を一部所に集中させてやるとかやればよかったのに。
そういうことを手伝わされた2年くらい前の思い出
みんな寝足りてないんだと思うんだ。
http://gigazine.net/news/20141010-jawbone-city-data/
高校の時、英会話の授業で「ホリデーにやりたいことを話してみましょう」というレッスンがあった。
そしたらさ、解答がクラスほぼ全員一緒だったんだよ。
「寝たい」「とにかく寝たい」
進学校で、体力ないのに1時間以上かけて通いながらも予復習はかかさないような、勤勉な子の多い女子校だった。
その先生はこう言った。
「死んだらずっと寝続けることになるのよ。生きてる間に『寝たい』なんてクレイジーだわ」
正直びっくりした。
休みがあったら惰眠をむさぼる、それが至高。
自分も、おそらく周りもそう思っていたし、疑ったこともなかった。
休日に勉強でも睡眠でもない、好きなことをする人生もアリなのか…!(゚д゚)という衝撃と
そうは言っても常に眠いんだよー!今も!(´Д`)という現実がないまぜになって
グルグル頭を駆け巡ったことを今でも覚えている。
閑話休題。
休日、好きなコトができるくらい、日々寝ておこう。
誰かに頼らずとも少しはすっきり起きられるようになるかもよ。
日々の生活に活力が出てくれば、人付き合いの範囲も広がって、そのうち
毎朝美少女とごにょごにょ…?もかわいい嫁として実現するかもしれないしさ。
今朝は完徹で出社して、昼休みにこれを書いているのはまた別の話。
睡眠不足で体力が落ちると寝ることさえままならなくなるよ。
寝たじゃん、ねえ。
今日起きてふと思ったんだよ。
昼寝で起きた時の得も言えぬ爽快感。
寝起きってあれが正解じゃないのかね。
それとも朝の寝起きがつらいのって私だけかしら。
みんなの朝の寝起きは、あの、昼寝後の爽快感みたいな感じなのかしら。
だとしたらずるい。
いずれにせよ、
脳の作用、脳に渡っていた酸素の量、血液の循環、後は気の持ちよう、
この辺りが絡んでいるんだとは思う。
だとしたら、
朝の寝起きにも、昼の寝起きの時と同じようなそれらを招くことはできないんだろうか。
朝はつらいもんだって思いこんでいたんだけれど、
きっと違うんだよね。
何とかなると思うんだ。
簡単に言うと、
起きなきゃいけない時に、優しく抱きしめてくれてさ、
ごにょごにょしてくれたらさ、そりゃ起きるじゃん。
脳も活性化して、呼吸も上がって、血圧上がって血も流れて、気持ちも良くて。
そしたら朝の寝起きが100倍良くなると思うんだ。
始めから諦めないで、どうにか体を思いの方向に持ってきたい。
そう思いませんか。
再帰にするとわかりにくいったらないな。
いや配列で扱うならまだいいが関数型言語でリストでやってみるとそれはひどいことになる。配列の値をちまちま変えながらやるのが最適な方法なのでそれが遅いわけだが、関数語型言語のデフォであるimmutableなオブジェクトでやろうとするとごにょごにょしすぎてわかりやすさがどこかへいってしまうしmutableなオブジェクトと代入を使うとそれはそれで関数型言語的にキモくなる。そもそもソート全般が副作用っぽいので相性悪いのだろう。探索みたいな読み込みだけなら問題ないはず。haskellが注目されたときあのクイックソートが有名になったわけだがバブルソートの複雑化が注目されるわけがない。
なぜバブルソートか?
バブルソートは教育用であり実践じゃ使わない、で切り捨てる人もいるがあまりにも人間味がなさすぎる。アルゴリズムのハローワールドの地位でもって扱うべき。しかし関数型言語畑からいい声は聞こえないだろう。
それまで結構長い間別の部署にいて、大過なく勤めていたつもりだったのだが
しかし、うちの上司は常識人のようでいて、頭のネジが飛んでいたのかもしれない。
独身非モテ非コミュ挙動不審のアラフォーおっさんを、美少女と同じ部屋に配置したのだ。
うん。少女が会社にいるわけない。わかってる。よく知らないが25才前後だったと思う。
だが、短めのポニーテールにまとめられたくせっ毛、大きな瞳と白い肌にうっすら浮かぶそばかす
もはやキャンディ・キャンディから沸いて出たような雰囲気を漂わせている。
こちとら、もう長い間、既婚子持ちのおばちゃんと仕事するようにチューニングされているのだ。
それがいきなり若い子と一緒になり、さながら練炭用の火鉢に間違ってガソリン注いでムカチャッカファイアー状態だ。
小動物をおびえさせないようにと思って、かえってもじもじとキモい猫なで声を出してるオヤジが俺だ。
もう落ちつかないったらない。
ただ、こんなおっさんと一緒にされるくらいだから、その後輩も難がないわけじゃあない。
何か話しかけても、大抵は、こちらをその大きな瞳で見つめて無言である。
百戦錬磨のおばちゃんも、あの子とは話せないわーって言う鉄壁レベル。
俺「おはようございます」
後輩「………………(無言でうなずく)………………」
後輩「………………あの………………」
俺「ああ、これね。これはああしてこうしたほうが、いやこうかも」
後輩「………………(無言でうなずく)………………」
俺「おつかれさまです」
後輩「………………(無言でうなずく)………………」
ただ、コミュニケーションを除けば仕事ができないわけじゃない。作業は速い。
こちらが、ごにょごにょもごもご言ったことも、きっちりと理解して、次回には完璧に押さえてくる。
気をつけなければいけないところは、自分で考えてきちんと気をつけてくれる。
ほとんど1回見ただけで機械の操作も覚える。実は天才じゃないのか。
そうしてみると、一生懸命さが見えてきて、ちょっとテンパリすぎな所も、いちいちかわいくみえてくる。
「………………あ///………………」
とか、かわいすぎて胸がきゅんきゅん、動機息切れ、きゅーしんきゅーしん!
がりがりと、寿命とかSAN値が削れている気がして身が持たない。
コミュニケーションさえなんとかなれば、本当に大化けするはず。
「こんな所にいては駄目だ。もっと光の当たる場所で大きく羽を広げなさい」
と言ってやりたいが、あいにくこちらも非コミュで、アドバイスもできない。
どうするか。
とりあえず昇給か。
死刑制度を廃止と言っている人たちのことがどうしてもわからない。
冤罪で逮捕していて死刑判決で執行してしまったら取り返しがつかないとかって意味がわからないですね。
捜査して逮捕して起訴して裁判して判決出すまでの過程での精度で防ぐべき問題であって死刑制度を廃止する理由とは全く関係ない。
死刑を廃止してても現行の刑法で死刑判決があり得るような冤罪で逮捕されたらめちゃくちゃにおもしろおかしく報道されて一般社会に復帰は絶望な状態に追い込まれるだろうし取り返しがつかないことは何も変わらない。
えっ、取り返しがつかないことが何も変わらないんだったら死刑廃止でいいんじゃないか?だって??? いや、明らかに冤罪の疑いのない地下鉄サリン事件のごにょごにょとかが死刑ではなくて終身刑とかで生涯手厚く刑務所で暮らせるならその方がダメだろって思う。