中学三年生、確か大地震があった年の11月に千代田区の高級住宅街に引っ越した。
その時には自分は容姿と腎臓がオワッテいて、中学一年の再発時から飲んでいた、薬の副作用で肌はとてつもなく汚く、ボコボコに、そして顔は赤くパンパンに腫れていた。
お腹もいつも張っていて気持ち悪いし、頭痛はいつもひどいし、眠れないし、容姿のことで笑われたり、奇妙な容姿のおかげで街でもあからさまに妙な対応をされたりした。
だから容姿がいい女の生理が苦しいとかいう説教は信じない。自分の方が苦しい思いをした気がするから。
千代田区に引っ越した、その3年後に割とどうにもならなくなったので、その時保険適用外の薬20万円を打って、それからひどい副作用の薬はまだ飲まなくて済んでいる。もちろん容姿やらは少しはマシになったがやはり酷く醜いし、醜さは日々進行している。
いずれはまた薬を飲むから、わりかし死んだ方がマシだし、しょうがない京都のアホな私大に通ってとても毎日の気持ちはブルーだけど、死なないから生きているのだ。
自分は生まれてから年をとって、ただでさえブサイクな容姿が醜くなるほど父親の所得は増えていった。
ブサイクな父親と母親は見合い婚で、ブサイクな子供が生まれたけど、父親は高学歴が基本的に多い会社を辞めてごにょごにょやっていって収入は増えていった。
そして、容姿の敗北が確定している中学三年生の時にほとんどの人が住みたくても住めない千代田区に住むことになったけど、家が金があると自慢は何回もしたがやはり容姿がいいものが勝ち組である。
金なんて常に誰かに奪われる恐怖が付いて回る。
美人は容姿が極端に悪い人間の気持ちなんか微塵も考えないで、常に自己防衛ばかり考えているクズばっかで、周りもそれを推奨して、美人をチヤホヤして、容姿の悪い人間を苦しめられているのだ。
美人には容姿が失われる理由のほとんどが年をとるためなだけで、外部からの攻撃で容姿が失われることは滅多にないから自分のことばかり考えてられるのだ。
こっちは金がなくなったら、本当にごみくずになってしまい、非常に惨めな人生を歩まなければいけないことをいつも考えて生きている。
だから、貧しい人間の気持ちを考えることを忘れることができない。とくに容姿が悪く金がない人間の。金がない醜い人間にいつでもなり得る可能性が自分にはあるから。
もうとても容姿はひどいものだ。うんこ色の肌に、とても大きい顎が突き出た顔にちっちゃな目がくりぬかれていて。。。
顔も体もありとあらゆるところが汚いのだ。女を見ている限り、まだそいつよりはマシなブスな友達が一人いるだけで、男と話している様子は皆無である。彼女は孤独だ。可愛ければ孤独になんかならない。
この女は絶対に自分よりも金があるような雰囲気ではない。醜いあまり就職もできない可能性だってある、営業先で怖がられるこの女は将来どうなるか考えたりするのだ。
考えてもどうにもならないし、ただ哀れになってくるだけだから意味がないのだろうけど、考えてしまうのだ。
金をまだ持てている醜い人間である僕は美人が苦労しているとかいう文を読んだが、そんなの嘘に決まっていると感じた。
苦労もクソもない。美人なんて少しの痛みに耐えて顔を焼けば一瞬で美人じゃなくて、苦労なんかしなくなるのだから、それをやらない時点でなにも説得力をもたない。
なのに、美人がみんな好きだから、美人は大変だよねとか美人のいうことに同情するのだ。死んだほうがいい。
金があっても、容姿は良くならないし、金を貯めたら醜さから逃れられるかと思ったら大ウソだ。
美男美女が自分よりも速いスピードで金を稼いだりして幸せそうなところを見て耐えられるのか。
じゃあどうすればいいのかわかるかっていうとそんなのわからない。
だから、今日は発狂しかけてこんなところに何回もくだらないゴミ文をアップしているのだ。
とりあえず、金を貯めたら容姿コンプが解決するなんて嘘だし、技術革新なんてこっちは期待しないし、期待できる現状などどこにもない。死んだほうがマシなきがしてならない。