はてなキーワード: 放蕩とは
早くに両親を亡くしたことから、若くして莫大な遺産を受け継ぐ。
放蕩生活を送る一方、サロンを主催するなどして文化人と交流し、政界にも人脈を作っていく。
その集大成が1753年につくられた「ヘル・ファイア・クラブ」と呼ばれる秘密結社で、
修道院を豪奢に改装した会場に、貴族や政治家、聖職者、芸術家などが夜な夜な集まり、
悪魔崇拝の儀式を模して乱交に耽るなど、淫蕩と頽廃の限りを尽くしていた。
皇太子の頃のジョージ三世、後のイギリス首相ジョン・ステュアート、ロンドン市長を務めたジョン・ウィルクス、
サンドイッチの由来ともなったサンドウィッチ伯爵や、かのベンジャミン・フランクリンも参加者とされ、
政界の一大スキャンダルとしてバッシングを受けることとなった。
しかし、実際には酒を飲んで騒ぎながら政治を語りあう、普通のサロンであったともいう。
都内某SIer(とは名ばかりの人材派遣業)を退職しました。見る人が見れば特定できるかもしれないけど、↓のような会社。多少フェイクもあるし、答え言う気もないから特定されても良いや。ちなみに職種はバックオフィス。
■会社が酷い点
・リーマンショックで貸し剥がしと受注減に合い、借金が返せなくなって銀行にリスケ(返済条件の見直し)。その承認が下りるまで借金返済を優先したため最大2ヶ月半の給与遅配。運転資金確保しておくか、多少なりとも社長から貸付しろよ。
・その結果、ボーナスは1万円を現金で社長が社員に手渡す。しかも社員から社長に支給してもらってありがとう、と半強制的に言わせる。これで求人情報を「ボーナス支給 有り」とする酷さ。
・9時〜18時勤務を9時〜17時勤務に変更して、一方的に基本給を12.5%カット。なお17時〜18時は休憩時間となり、居ても居なくても給与は発生しない。あと翌年、祝日が出勤日に変わった。カットされた基本給はなぜかそのまま。
・最近話題のみなし残業制度。もちろん超過分は未支給(というか、プロジェクト原価管理システムが二重帳簿になっており、対外的には超過していないことになっている)。
・リスケ以降は、銀行の格付引き下げによる一括返済を求められることを恐れ、ほぼ恒常的に数千万円単位の粉飾決算を行う。過去に経理が疑問を感じてコンプラに調査を依頼したら、コンプラから社長に情報が上がり、経理社員はその日のうちに懲戒解雇になった(不当解雇が認められて賠償金払う羽目になった)。
■社長が酷い点
・当初の役員報酬は月給800万。リスケの条件として銀行に指摘されてしぶしぶ月300万まで減らすも、実は役員報酬以外に月200万はP/Lの社員給与に紛れ込ませて支払い済み。年収証明出せって言われたらバレるだろ(税金とか社会保障どうなってるんだろう?)。
・交際費の締め付けを図ると宣言したものの、自身は変わらず毎月100万近く飲み歩く。そのくせ、営業担当役員が顧客(大手企業の現場部長級)との接待をセッティングすると理由をつけて逃げる。聞いた話だと、社長就任前の接待で顧客を怒らせたことがあるらしい。
・よく分からんNPO(お局さんに聞いたら社長の妻が関与しているっぽい。少なくとも理事に1人名字が同じ人がいた)に毎月50万払ってる。また最近、社長の息子が新卒で入社した。主任待遇で月給35万。彼もある意味犠牲者か。
・11時に出勤して15時に帰っている。ちなみに昼食は2時間弱。仕事ができる社長なら労働時間に文句を言う気は無いが、周りの士気を落とすのは止めて欲しい。それでいて残業している社員を働きすぎだと茶化す(人が辞めて少人数で売上立てるため、120%の稼働が目標なんですが…)。
・役員の親が亡くなった時に参列した通夜の精進落としの場で泥酔。数日経って、香典の出金伝票(さすがに領収書を請求するほど馬鹿では無かったらしい)と馬鹿高いタクシー代(役員の親は千葉、社長は横浜在住)が回ってきた時は、本気で全社員にメールを流してやろうと思ったけど上司に諌められた。
・泥酔ネタまだあったわ。東日本大地震の時、帰れない社員を集めた上で、バックオフィスの社員に酒を買って来させて宴会開始。その後、次々と電車が動き帰る社員を「危ないから!」と無理矢理引き止めるも、自分は22時頃にバックオフィスの社員に探させた近くのホテルの空きが見つかると「じゃあ俺は行くわ」と早々にそちらに移動(聞いた話だと元請けの大手企業が、都内に100室単位で抑えている1室を無理言って回してもらったらしい)。震災明けには、社員を置いて帰るなんて管理職としての意識に欠けているとお説教&役職手当の減俸(寄付するんだとさ)。
・頑張っている現場を報いたいと言って年度末で納品近いのに飲みに誘い、散々自慢話と相手の話を否定しまくった上で、精算時に堂々と領収書を請求した精神的貧しさ。忙しい中、1円でも利益を出すために頑張ってくれている&部下にら動員かけてくれた現場の課長に土下座したかった。
・社員が過労死した際に遺族からの報復をビビったのか、弁護士とボディガードを同伴させて通夜と葬儀に参加(弁護士事務所から、顧問契約以外のオプション費用の請求が回ってきて気がついた)。これでも最初は行きたく無いと散々ゴネていた。
・会議では人格攻撃や批判しかしない。他者を批判することで自分の格が上がると思っている。
・結局、能力と人格の無い2代目のボンボン。親から会社を引き継ぐも、貯金も無いのかまだ株は創業者である親のもの。今まで稼いだ額面10億の金、どこに消えんだろ。
書いていたら、またイライラしてきたわ。ネタじゃ無いんですよ。ホントに。このボンボン、もうすぐ50ぐらいだけど会社潰れた上で、粉飾で刑事罰とか喰らわないかな。残りの人生惨めに歩んで欲しいわ。
先代からの番頭してた役員も役員で、もう出世できないためチマチマとした横領とか業者からのキックバックで小遣い稼いでるし(やけに多額な勘定科目があるんだよなぁ。数百人の会社だと保険料とかバックオフィス管轄の予算だけでもそこそこ大きな金額だし)、ずっと社長の下にいた人事は権威を傘に来て、現場の社員に対してパワハラまがいのことしてるし(これがあるからバックオフィスは現場から嫌われているんだと思う)。
ちなみにこれだけ放蕩経営でも、日本有数企業の一次請けで、20億ぐらい売上てるんだぜ。まぁ、リーマンショック前は40億近くあったけど。昔は派遣と請負五分五分だったけど、人が辞めて技術力落ちたことを見抜かれたせいか、今じゃ派遣(準委任含む)が8割近いし。そんな中でも、日々長時間労働してくれてる現場社員に申し訳が立たないよ。
否。
貞操観念の高さやその場の雰囲気に流されない判断力の有無。これらを持ち合わせた女性を、奥ゆかしく、魅力的だと思うのは当然だろう?
その性質を知る上で、数年という交際期間は短すぎるから、過去の行動も含めて判断材料とする。当然だ。
但し書きしておきたいのは、普通に恋愛すれば性交渉に至るわけで、処女信仰はそうした経験すべてを否定するものではないということだ。
あくまでも、好き勝手放蕩してきて、一つ一つの恋愛を尊ぶことができない自分を経験豊富と正当化し、不可抗力と弁明するような人間をフィルターするためのものだ。
心を通じ合わせて性交渉に至り、何らかの理由で関係が破綻する。これを幾度か繰り返したとして、不自然でない経験人数であるかを問うているだけなんだ。
そうやって相手の過去としっかり向き合い、生涯の伴侶にするか否か悩んでいる人間を、器が小さいと揶揄するのはいかがなものだろうか。
「3万貸してくれ」
ぼそっとひとり暮らしの老父がつぶやいた。
父が年金暮らしに入ってから15年が経つ。その間、彼はただの一度も銀行の通帳記入をしたことがない。引き出した際のレシートを見せてもらったら残高が2万しかなかった。年金の支給は2ヶ月に1度。支給月の半月前あたりからいつもぎりぎりの生活をしているようだ。
年金額は偶数月に30万。月で割ると15万になる。父の世代としては特段多くはないが、持ち家借金なしでローンで買い物をすることもないし、放蕩な暮らしをしているわけでもない。ケータイも持っていない。家庭菜園が趣味で毎日喫茶店で1杯のコーヒーを飲むのが息抜きなていどのつつましい生活をしている。
これでいつもかつかつの生活になるのか理解できない。通帳記入をして支出の概要が分かれば、どこで無駄遣いしているのか検討がつくから通帳記入してくれと頼んだが、年金で入ってくる額は一定なんだから記入する意味がない。いまさら通帳記入すると何冊にも渡ることになるので面倒、というが父の言い分だった。通帳記入なんてしてない人の方が多いぞと強調することも忘れなかった。
そういうものなのだろうか? 私は毎日こまめに支出をチェックして通帳記入も月に一度は必ずするし、問題があれば消費を見直すようにしている。
将来の年金額を試算すると父と比べて半分以下なので将来への不安がそうさせている。
「エアコンのせいで電気代がかかって今月は金がないんだよ」というのが父なりの分析だったが、電気代の請求書を見てみると先月が9000円と先々月が8000円と差はほぼなかった。
電気代のせいじゃないよ、と伝えたら「そうか、じゃあなんだろうな?」と訝しげな表情を浮かべていた。
はてな民は知らないかもしれないけど、世の中若い頃は不真面目だったり、不良だったりした方が人生得するんだよ。
何でかって言うと、若い頃ヤンチャしてた奴が大人になってから真面目になると、
そのギャップで周囲の人たちがそいつがめっちゃ良い奴になったみたいに勘違いしてくれるんだよ。
少年漫画のサブキャラとかも、悪→改心→善のパターンで主人公の仲間になるだろ?
人間って、元から真面目だった人より、昔は不良だった奴が真面目になる成長物語に魅せられるんだよ。
「若い頃はヤンチャしていましたが、今では・・・」みたいな自分語り。で、みんなそういう話に簡単に感動しちゃう。
はてな民は子どもの頃からコツコツ真面目に生きてきたタイプが多そうだけど、
それであなたが真面目なことを評価してくれる人がひとりでもいましたか?
うん、いないよね? そう、だってそういうキャラの扱いだもん。そこにギャップがない。
だからね、世の中の多くの親が知らないというか、気付いていないんだけれども、
自分の子を「いい子」に育てようすると、かえってその子の人生のハードルを上げてしまうことを知っておいた方がいい。
もちろん、学業なんかは取り返しがつかないから、勉強自体はやらせた方がいいけど、
とりあえず一定の成績が維持できている限りは、悪い意味でも子どものやりたいようにやらせておいた方が良いんだよ。
昔の名門進学校って、大抵の場合、風紀がめちゃくちゃ荒れてたんだよ。先生も一緒になって悪いことしてたりした。
何でかというと、そっちの方が将来的に(本人の)社会的評価が高まるって感覚的に分かっていたからなんだね。
地方の世襲代議士なんかは、よく「あの放蕩息子が今では立派になって・・・涙」なんて評価されてることが多かった。
何でそうなのか、なんて知らないよ。でも、人間はギャップの大きいものに惹きつけられる本能がある。
日本国内で生まれ育った時点で、産油国でもない平均的な後進国の人たちに比べて圧倒的に膨大な天然資源を浪費して今まで生きてきたんだからさ、そうやって生きてきたんならせめて大人になってからはその放蕩をじゅうぶん埋め合わせできるくらいの社会貢献をしないと、てめぇ何のために日本人に生まれてきたんだよナメてんのか、って思われてもしょうがなくない?
「生まれ持った才能をどう使おうが自分の勝手」ああそりゃそうだ私もそう思うよ、それくらいの自由は先進国にあってしかるべきだと思うよ。そういう余裕すら維持できないといよいよ日本もヤバいんだろうし、京大出て専業主婦の人がこれだけブコメで荒れてるのも、今はちょうどその瀬戸際に立たされてるんでしょう。
でもさ、先進国にいる我々がそういう余裕を我が物顔で享受できてるその理由というか、何を踏み台にしてそういう暮らしが可能になってるのかちょっとくらい思い返してもいいんじゃない?「銃・病原菌・鉄」を読み返すんでもいいけどさ、私たちが石油や天然ガスをバンバン燃やす暮らしができたのは、別にそういう権利を神から与えられたからではないでしょ?日本人が民族として優れてるとかそういうわけでもなく、たまたまいろいろ条件が恵まれてただけでしょ?
それなのに、これが当たり前ですみたいな顔してスマホぽちぽちしてはてブにしたり顔でコメントしたりする奴らがムカつくんだよ。なんでこっちは血痰吐いてまで工学系の博士まで出てみじみじ論文書いてるんだってわけわかんなくなるよ。
なんでみんなその点無頓着でいられるの?自分がたまたま日本に生まれたってだけで、たまたま貧しい国に生まれた人たちに比べて物質的に圧倒的に豊かな暮らしが出来ている、っていうことにただの一度も悩まなかったの?後ろ暗さを感じなかったの?ずっと疑問を抱いたことすらなかったの?
日本は本当に素晴らしい国で、どんなグズにでも平等に教育を施してくれるんだよ。私だってたいした才能があるわけじゃないし私立の学校になんか行かなかったけどこうして大学院で研究させてもらってるよ。だったらさ、その罪深い浪費を償わなきゃいけないっって意識くらいもってもバチはあたらないんじゃない?特に京大にいけるくらいの才能もっってんならニートやりながらポツポツ文章売ったり夫との惚気でブコメ稼いだりするだけが能じゃないでしょ??それが"""社会貢献"""って思うなら当人の勝手だけどさ、私はそういうのじゃ本当に申し開きできないと思う。どういう経緯があって「生まれ持った才能をどう使おうが自分の勝手」なんてことが言えるようになってるのか、その歴史に敬意を払って、それがちょっとでも維持できるように何かするのが日本に生まれ育った人全部の責任じゃないのかな。
大学生で見た目は黒髪ロングで前髪もぱっつんでメガネな文学少女だが、内面は図書館を文学少女のレズビアンハッテン場だと勘違いしてるんじゃないか? と思われるぐらいの肉食系女子が、
図書館に通う自分に酔っていて実は読書とかあんまりしたことがない中二病女子に、
官能小説のやらしい言葉を音読させるプレイをしちゃうグチョグチョ展開になるかと思いきや、
中二病女子が段々と本を好きになって行く姿に、その場限りの肉体関係だけじゃなく、ずっとこの子と居たい、二人で本を読む生活を送りたい、となって、
今までの放蕩生活を反省して、真面目に大学に通うようになり、ちゃんと就職活動とかもして、中二病女子が大学に行く頃には、広いマンションを借りて二人で一緒に暮らす場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
そう、消防団だ。
おそらく増田の中に消防団活動に加わっている人は少ないだろう。
でも僕は参加している。
あまり人の知らない話しをたまにはしてみよう。
コンパニオンを呼んで税金で放蕩三昧みたいな話しをネットで見る。
僕は十年以上消防団に在籍しているが、そんな目に遭ったことはない。実際に聞いたことも見た事も無い。
しかし、そんな事があり得ないかと言われれば、断言はできない。
最近は自治体の財政改革に伴って、地区団は市町村消防団に統合されている。
僕の住む自治体では、消防団本部があって、その下に各地区団本部ある。
一般的に消防団活動と言うと更にこの下、単一から複数の行政区を守備範囲とする『消防分団』の活動のことを指す。
呼び名は『分団員』で、これが有機的に消防団を構成する細胞を言うのがわかりやすいか、ヤクザで言うところの三次団体構成員と言うのがわかりやすいか。
消防団は制度としては他分団や他消防団への移籍も認められているが、実際問題としてほとんどの人は最初に加入した分団以外に所属しない。
だから、隣の分団や上の地区本部等がナニをしているか、さっぱり解らないのが実情なのだ。
○○市消防団の××地区第△分団に所属する僕が語れるのはこの第△分団の中身だけだ。
各家庭の長男は原則的に消防団に入団を求められるのが現状である。
僕らはボランティアで年間を通じて消防活動に従事するんだけど、制度としては定額で年間1万6千円ちょっとが貰える。
年間で20日程は訓練や災害出動、夜警、機械整備で手を取られるんだけど、この金額は平団員の報酬である。
分団長など偉くなるともう少し報酬は増えるが、更に手を取られるので、出世は誰もしたくない。
ちなみに、出動すると出動手当が貰えるが、これは分団が受領して運営費に組み入れられるので僕らが貰うのは基本の報酬だけである。
所属する分団で機械班などになれば、休日に消防自動車でドライブを楽しむことができる。しかもガソリン代は消防本部持ちなので分団員に負担はない。
ただし、縄張りから遠く離れれば緊急時に対応できない為、十㎞ほどを行って帰ってくるだけである。当然、目立つために買い物などには行けない。
普段、まったく動かさないと消防車のバッテリーが上がってしまうし、ポンプや発電機などの機械も定期的にエンジンを掛けないと壊れてしまうのだ。またガソリンや機械油も残量チェックしておかないと、突然起こる火事場が長く続いたときに活動できない。
緊急出動時に消防車が動かなかったという他の分団の話しはたまに聞くが、人命が係る場面も多いために笑えない。
3.酒を飲ませてくれる
いよいよ、この辺に興味がある人も多いだろう。
活動費というものが分団ごとに支給され、たとえばヘルメットを買い換えたり、手袋を買ったりするのに使用される。
この一部が飲食費に利用されるのだけど、缶の発泡酒をのませてくれる。
たとえば分団会とか、訓練の後などで。
ただし、予算がないために、格納庫(消防車の車庫)の詰め所で、割り当ては一人三本くらいまでである。
つまみは乾き物で、一回当たり千円分くらいの駄菓子か柿ピーを十人程度で分けてたべる。
これが、飲食店で酒を飲むなどの話しになると、確かに楽だしおいしいのだけど予算の関係から手出しになるので、三年に一回、飲みに行くかどうかである。
最近は、飲酒運転の厳罰化から、飲酒自体をしない人も増えた。飲酒直後に運転は当然しないが、翌朝の検問で引っかかるのが恐ろしいのだ。
無理に酒を勧めることも減った。
ただし、皆が酒をすごく飲むときもある。
火事場で、燃える炎を見ると、自分か仲間の誰かが死ぬかも知れない危険に近づくと、神経が高ぶって落ち着かない。
うちの分団はまあ、だいたいこんな感じだ。
しかし、先に言ったように隣の分団でさえも活動の詳細は知らない。
毎月訓練をするところもあると聞くし、夜警をしないところもあるらしい。年間報酬を全額積立に回して、酒を豪勢に飲むところもあると言う。
また、何年か積み立てて皆で旅行に行くところもあるらしい。
うちは過疎の田舎だけど、繁華街を縄張りにしているところは商店会などからのカンパで活動資金が豊富ところもあるかもしれない。
だから、うちはピンクコンパニオンとは残念ながら無縁だけど、他は知らんとしか言えないのだけど、まあ、これを読んだ皆さんは今年も火元に気をつけて火事と無縁の年になるといいですね。
「女の人と付き合うのはじめてだけどうちで一緒に暮らさない?」
私は19歳だった。男の人と付き合うのは2人目だった
彼は女性経験は一応あるようだったが中学生の時年上のお姉さんにほうきで湿疹?がでるほど殴られたりしながら飼われていたとかそういう嘘の様な本当の様な話をいくつも持っている人だった。I君としよう。
同じゲームセンターでストリートファイターⅡXの流儀を習った。私はそのおかげでゲームがうまくなった。I君は異常にゲームが上手かった。
高校を3年までだらだらと行かなかったりたまに行ったりして結局中退し本当にろくでなしのまま半年ほど働かず男の人と同棲したが反りが合わず渋谷のゲームセンターでバイトしたり人の家に転がり込んで白飯をいただいたりしていた。
その中の転がり込んだ家のひとつがI君の家だった
I君はホモの彼氏と別れたばかりでI君の部屋には元彼の置いて行ったパタリロが、やたら場所を取っていた。
そこに何泊でもしていいよ、と言われたのでお言葉に甘えて数日泊まり、帰り、数日後また泊まった。
私は男勝りというとかんたんすぎるが女子同士の群れは嫌いで声も低くこざっぱりとした性格…のように人からは見えていた、と思う。(自分もそう思っていたがその認識はあとで間違いだと知る)
その辺が気に入ったのかわからないがI君は上の様な言葉を言い放った。
I君は固太りで170cmちょい、80キロほどあり決しておしゃれではなく、見た目ぶさいくではないがイケメンの部類ではなかった。部屋は4畳半と6畳風呂無し共同トイレ。当時は無職だったが家の説明しずらい事情があり母が家賃を払ってくれていた。
「いいよ」
私はかんたんに言葉を返した
ここからDVで病院送りやら張り型つけてセックスで調子乗ってアナルから出血やらホモとケンカやら薬物中毒やらK街でケンカが強くなるとか4階から落ちて自殺しようとするとか、そんな未来はなにもわからなかった。ただ私はI君に興味がでていたしI君にしてもさみしいところにするりと私が入ってきたのだろう
期待がでかすぎたのかもしれない。
つか、バッバや中尉とフォレストガンプの友情みたいな話ならかなり面白い映画だったと思う。
これはネットでも叩かれてるみたいだ。
多分だけど、この作者は、ヒロインも中尉と同じように感動できるようにキャラ造形を作りこんだのかもしれない。
しかし、なんつーか、ネットのせいだろうね。女の身勝手さを理解しちゃった現代では、女のクソさしか目に付かない。
シングルマザーで子供が障碍者っていう状況で、汚いことやってでも子供を守る姿ってのは感動的だから。
でもさー。ヒロインの放蕩は性的虐待を受けてたとしてもクソだし、マジメな主人公よりオラオラ系のドキュンについていくあたり、擁護できない。エイズにかかってザマーくらいか。
今のネットでは、こういう女のクソな本能を徹底的にディスってるわけで。
この映画ができた1994年くらいは、まだそういう叩きは無かったしそういう女はふしだらってのがギリギリ残ってたけどさ。
それが無い、今の時代にコレを見させられると、「女はクソだ」ってのが直接すぎてまったく感動は無い。
このヒロインを軸にしたのがよくなかったように思う。
なんつーか。この主人公の人生がこの女に相手にされることになっちゃってる。
こんなクソ女、さっさと切って金持ったらいくらでも選び放題にならなかったのがよくなかった。
その設定をギリギリ保つために知能障害の設定にしたんじゃねーのってくらい。
馬鹿女を救うのが本当に胸糞わるかった。
クソ女は不幸なまま死ねとしか思わなかった。主人公を騙して、損させて終わって本当にクソ。
本当にさあ。主人公の純粋さとか、人生とかで感動させたいなら、こんなクソ女を出すべきじゃなかった。
当方、内定を貰い就職活動が終わっている理系院生。仕送りで生活している。彼女なし。
現在、ほぼ毎日(土日も)朝から12時間ほど研究室で研究している。趣味らしい趣味もなく、家に帰っても寝るだけである。学部時代は盛んだった友人との交流もほとんどなくなり、研究室の人間以外と話す機会はない。あれだけ厭で仕方なかった(だからこそ就職するのだ)研究に邁進している日々である。傍からは、私がさぞや苦しんでいると思うだろう。
ところが違うのだ。今、私は、人生で一番幸せを噛み締めている。勿論就職が決まったことにより、差し当たった将来の不安が解消されたのは大きい。しかし最も大きい原因は、心が波立たない穏やかな生活を送っていることにある。
たったこれだけである。これだけのことが今までの人生で出来ていなかった。(あるいは出来ていたとしても自発的でなかった。)色濃く生きようとしなくてもよいのだ。ただ日常を繰り返してよかったのだ。
こんなにも穏やかに生きることが幸せだとはなあ...
素人モノが好きなんだけど、やっぱり素人モノで重要なのは素人感だよね。
普通の女の子が何かのはずみでAV出ちゃいましたって感じだよね。
これくらい楽勝ッショって雰囲気出してるのに、パンツ脱がされた瞬間に一瞬だけ見せる恥辱の表情だよね。
この素人感を増強する手段として、小中高と、その子の卒業アルバムを晒すのはどうだろうか?
生ハメ中出し当たり前の昨今のAV事情、これ以上刺激の強い映像も難しいのではないか。
だからライバル企業に差をつけたいAV製作会社はソフト方向に舵を切るべきだ。
その子が普通の女の子として生まれて育って、初恋もしてふったりふられたりしながら初体験もして、
そして今、女性としての全てを小銭を稼ぐためにさらけ出すのだと、そういうストーリー性を重視するべきだ。
尺つなぎのフェラなんてすっぱり切って、冒頭20分ぐらい延々とその子の歩んできた人生について、
写真などの物的証拠を通して具体的なイメージを形成できるようにするべきだ。
できたら、父親か母親に前もって「私の事どれくらい大切に思ってる?」とか聞いておいて、
その録音テープ流すべきだ。
そうやって、ただのまんこじゃない、一人の人格、人生を背負った人間なんだと強調した上で、犯す!
ああ、なんて興奮するんだ。
絶対売れるって!
追記
放蕩ぐせが祟って借金返すためにAV出ざるを得なくなったプライドの高い女も超好みなので、
その方面もできたらがんばって欲しいです。
ギャン泣きである。AFCの決勝トーナメント進出が嬉しいからではない。いや、そりゃーめでたい。めでたいけど、何はなくとも今日は香川のゴールに感動したのである。見てますかクロップ、シンジはやりました。
私がサッカーに興味を持ったのは2010年南アWCからで、今の主力選手たちがいわゆるルーキーたちのころだった。内田さんは顔だけアイドル枠でSONYのCMもあいまって「見せてくれ内田()」とか言われて笑われてたし、ちょうど長友が活躍し始めて「なんだアイツ!?」って言われ始めた頃だったし、っていうかそもそも川口とかいたし。川口って私が小学生でJリーグ発祥したころから代表にいた気がするけどあいつは何者なんだ。そんでもってその頃、香川さんはまだ代表ではなかった。
ただ、この2010年は香川さんが輝き出した年でもあった。ドルトムントへの移籍がこの年だったんだもの。
2010-2012は、ドルトムントにとっても香川さんにとっても黄金期。でも私、この当時は香川さんに興味なかった。いやドルトムントは応援してたんだけど、香川さん個人にはあんまり興味がなかったのだ。そもそもドルトムントを応援してたのだって、一緒にサッカー見る友達がシャルカーだから「じゃあ私はドルトムントにしよう~」みたいなノリだったし。その後大好きになったけど。
そんな流れもあって、まあ香川真司というプレイヤーにはあんまし興味を持っていなかった。ハマって二年目ぐらいまでは、まずサッカーの流れを把握することで精一杯だったし。最初はサッカーって何人でやるのかも知らないままワールドカップ見てたレベルだったからね。
ようやくなんとなくサッカーの流れを理解して、選手ひとりひとりに想いを馳せるレベルになったころには香川さんはドルトムントの人ではなくなっていた。そう、2013年マンチェスター・ユナイテッドへの移籍である。香川真司個人へのスポンサーになりたかったのに、大人の事情でKAGOMEさんがマンチェスター・ユナイテッドのスポンサーを務めることになってしまった悲しい事件が起こった年でもある。まあKAGOMEもマンUもイメージカラーが赤だからいいだろ。
好きなチーム・ドルトムントでえらく活躍してくれてたはずの香川さんは、マンUに行ってえらく泥沼にはまっていった。バイエルンキラーと呼ばれたあの天才はどこへやら、なんかよくわからん使い方をされてよくわからんダメ出しをされてよくわからんまま公園でひたすらクロスの練習をする毎日である。来る日も来る日もクロスクロスクロス。「シンジは他のことがうまいんだからクロスはしょうがないよぉ」とか言ってくれてたクロップとはさよならしてしまったので、ひたすらモイーズの言うこと聞いてクロスの特訓である。おいおい話が違う、俺を中心にしたチームを作るから来てくれってジイさんが言ってたから渡英したんだぜ?と裁判起こしてもいいだろってぐらい冷遇される。かつてかわいがった選手があんまりにもあんまりな扱いを受けてるからって、別リーグのクロップがわざわざ「シンジは本当は出来る子だもん><」とか涙ながらにコメント出したレベルである。
超のつくビッグクラブでボロッボロにされる香川さんは、まあ当然代表でもいいパフォーマンスはできない。もうあれイップスだろやめてやれよ、ていうかあからさまにadidasの都合で背番号10を背負わせるのやめてやれ、その番号は本田に背負わせてやれ!明らかに本田のほうが10番の仕事をしている!確実に香川のプレッシャーになってるもん10番! というファンの心もむなしく、香川さんはもう自分探しの旅に出たほうがいいだろって状態のままマンUと日本代表10番を往復。見ているこっちの胃が痛くなる一年半だった。ブラジルワールドカップについてはもう触れてはいけない黒歴史だ。
さて驚きの2014年、ボロボロになって先も見えない自分も見えないサッカーボールも見えない状態の香川さんは古巣・ドルトムントに帰ることになる。ドルトムントはもう大喜びである。号外新聞とか出しちゃう。王の帰還だの放蕩息子の帰宅だの、ロードオブザリングなんだか単なるdisなんだかわからん歓迎ぶりで、香川さんもささくれどころかゴビ砂漠ぐらい荒れ果てた心をちょっと癒しつつ帰独。
ただ、あったかいおうちに帰ってきたからそのままいいプレーに繋がるぜ~なんて甘い話があるわけもなく。「ええ~シンジ帰ってくるならもうシンジを中心にしたチーム作るよ!俺は赤い悪魔とは違うよ!」という浮かれポンチなコメントを実現させたユルゲン・クロップを持ってしても香川さんの「自分ってなんだっけ病」は治らないままだった。っていうか環境もよくなかった。自分たちのサッカー教の教祖である本田さんとその筆頭信者・長友さんが近すぎた。物理的に。マイブラザーとか呼んでる場合ではない。今の香川さんに必要なのは小笠原病(鹿島)である。
自分が何者かもわからないまま自分のサッカーを探しているせいで香川さんはボロボロ、ついでに香川さんのせいではないけどドルトムントもボロボロ、日本代表だってボロボロ、どこを見てもボロボロ。王の帰還とか持て囃してくれたドイツの新聞は「コイツいるとチームの空気が悪くなるわ」とかdisってくる。空気読まないことに定評のある内田篤人から「救ってやりたい奴がいる」とか言われちゃう。槙野からはもんじゃ焼きの約束すっぽかされて待ちぼうけ喰らわされちゃう。
そんなぼろぼろな香川さんが、ちょっと気分転換でもしといでよ~とばかりに送り出されたAFC。狙い的には、下位相手に無双して自信を取り戻してもらおうという目論見があった人も多いんじゃなかろうか。
ところが幕を開けてみると、なんでか香川さんは初戦で2アシストとかしちゃってる。結果的には3得点に絡んじゃったりしてる。続くイラク戦でも、めっちゃ頑張ってるのはすっごい伝わってくるけどアシストが多いのである。エースアシストかってぐらいアシストしてる。
違うんや…アシストは大事だ、大事だけど私はお前にゴールを決めて欲しいんや…!と祈り続けて9日め、ついにその日はやってきた。そう、ゴールだ。後半に入ってきた武藤から繋がって、香川真司AFC初ゴール。アギーレジャパンでの初得点。川島はゴール捨ててまで疾走してきて香川を祝う。お前はゴールを守れ。
下位相手に1ゴール決めただけだろ、って意見もあるだろう。つーかもっと決めろよって思われてると思う。ゴールは決めたけど内容あんまよくなかったね、って意見だってたくさんある。
でも、はからずもマンチェスター・ユナイテッド移籍という泥沼時期から香川真司を見守り続ける形になってしまった私にとって、このゴールは本当に本当に眩しいものだったのだ。「よかった、よかったネェ…!!!」という一言以外に言葉が出ないわけですよ。
ゴールした瞬間に私の脳裏をよぎったのは、内田さんの「救ってやりたい奴がいる」っていう一言だったし、「シンジは何も損なわれてない」と香川さんを信じ続けてるクロップの言葉だった。すっ飛んできた清武の姿でもう涙腺は崩壊。えらいこっちゃ。試合が終わったわけでもないのに大号泣。
次にあたるUAEとは中二日の調整になるので大変だと思うけど、今日の感覚を忘れないうちにまたゴールを決めてほしいわけです。日本代表を応援してるのはもちろん、自分がこんなに香川真司を応援しているだなんて夢にも思わなかった。びっくりしたわ。彼のサッカー人生で一番輝かしかった時代と、一番どん底だった時代を両方見てしまったので思い入れがとんでもないことになっている。どうか彼が自分探しの旅を終えて、サッカーを楽しめる道へ帰ってきてくれますように。
数年前のこと、楽天を辞めて占い師に転身した時、田舎の家族にはその事を内緒にしていました。
今ではその名を知らない者はいない(楽天カードマンのおかげさまで…)上場企業にお勤めと思っていた娘が、収入が不安定極まりない怪しい占い師になっているなんて…
最短のコンビニまで歩いて30分かかるそんなド田舎から1年浪人してまで東京の大学に入れてもらった自分にゃーそんなことは、親不孝過ぎてですね、とてもじゃないけど言えませんでした。(おいおい、もっと職業に自信持って!)
それも1年半でバレてしまいましたが。
未だ娘の生活について不安感充満の母おふさと父ピロシキのふたりをパーティーにサプライズで招待し、できましたら会場の皆様で声を合わせ「し~ん、ぱ~い、ないさぁ~~ッ!!!」(大西ライオン?)って安心させてあげたいんです。(そんなことで安心しますかね…)
放蕩娘を思うストレスのせいで寿命が10年縮んでしまった二人。
2/7で縮んだ10年プラス5年分寿命を延長させてあげたいです…
都内国立大学を卒業後、金融会社を経て楽天へ。会社を辞めて早3年、、占い師池田34歳都内在住独身、この度電子書籍を出すことになり、こんな企画がスタートしております!!
こんな夢を見た。
赤子の声が薄暗い部屋に響いている。
泣くような、誰かを呼ぶような様子の声が響いている。程なくして親が戻って来て、私の前に座った。すると赤子の声は収まった。私の前で赤子は鳴いていた。
「すまない。様子を見てもらって」
私の学生時代からの友人は赤子をひとつ撫でて、私に目を向ける。「何の話だったっけね?」
小さな街で私とその友人は待ち合わせ、小さな居酒屋に入ることにした。店の中はさらに小さな個室に分かれていて、私たちはそこに落ち着いた。赤子は机の上に据えられた寝台に寝かされている。どうやら店の計らいで、そのような寝台が設けられているようだ。藤の手提げ籠にしか見えないが、居心地は決して悪くはないようだった。
彼の子供に会うのも、子供をもうけてから彼に会うのも初めてだった。数年会っていないことを確かめて、私たちは自分たちの話や、かつての友人の現況などを語り合うことにした。
私に子はなく、伴侶もない。これまでは旧知の友人たちの結婚や出産の話を聞かされてばかりいた。祝いの席にも何度か出た。だが目の前の友人は、結婚式も祝いの席もなく、ただ結婚し、子をもうけたのだった。私は彼に祝いの言葉を伝える機会を逸したと思っている。申し訳なく思っている。改めて私が祝いの言葉を述べてから、彼は返す言葉でこう言った。
「ありがとう。でも誰にも知らせる気になれなくてね。式も電報もメールも、何だか煩わしくて」
その結果、私は今になってようやく赤子を覗きこんでいる。親しい友人の子の誕生を知らせてもらえなかったことを悔しく思ったが、口には出さなかった。
「でも意外だね。学生のころは、結婚もしないし、子供も作らないと言ってたじゃあないか」私は代わりにそう言った。
「そうだね。でも、あの時にそう思ってたのはほんとうだよ」彼はそう答えた。
かつてバンドを組んでいた彼は会社を立ち上げて成功を収めている。みんなから好かれていたあの娘は今度二人目の子供を産む。物静かで清廉だったあの娘は、昨年離婚して一人で子供を育てている。夜遊びが好きだった彼は放蕩を繰り返していたが、いつの間にか公務員になって、地元に戻って忙しくしている。芸術に打ち込んでいた彼は今度年収が一千万を超えるらしい。大きな家を建てて、子供も二人いる。習い事に精を出しているんだという。
そう続く話の間、私の耳には「子供なんていらない」と言っていた彼らの口ぶりが聴こえ、頭の中には「結婚なんて無意味だよ」と誇らしげに言っていた彼らの口の形が浮かんでいた。
「それで、きみはどうなんだい?」
彼に問われて、私はじっと赤子を見つめていたことに気づいた。赤子は籠から見える風景が楽しいのか、目玉をあちこちに動かしながらもおとなしくしている。鳴くかな、と思っても鳴かない。時折顔をしかめるほかは、表情が変わらない。
「それなりだよ。仕事も忙しくてね」と私は答える。再び赤子に目を戻す。「子供のいる君とは忙しさも違うだろうけれど。いつの間に親になんてなったんだい。まったく」
店の照明が少し暗くなった。どこかで燭台に火が灯された。バータイムに入ったのだろうか。気取った店だ、と彼は言い、籠に手を差し入れて、赤子の開いた手のひらに自分の指を握らせた。赤子は短く笑った。
「この子の名前はなんというんだ」私が言うと、彼は私をいきなり睨みつけた。
「君に教える義理があるのか?」そう言われて、なぜだが私は大変な非礼をした気がして、何も言えなくなった。どこかでろうそくの火が消えて、いっそう部屋は暗くなった。
「皆の言葉を信じてきた」と私は言った。皆が年をとってからも皆と同じに話せるように、皆に寄り添えるように、私は結婚もせず、子も成してこなかった。
だが、皆いつの間にか、伴侶を得て子を成している。うまい仕事に就いている。気づけば、この齢になっても一人なのは私だけになっている。
友人の誰も私を顧みなかったのだ。あの時の無責任で脳天気な発言を、まったくの本心だと思いこんで、その考えやら価値観を受け止めて、私は今こうしてそれらを実践しているのだ。君もあの無責任な友人たちの一人だった。私はただ君たちと同じでいたかったのだ。
一息に言うと、私は手元の酒を飲んで、喉を潤した。彼は横顔をこちらに向けて、つまらなそうにグラスを傾けている。
どこかで別の赤子が泣き始めた。それに釣られて彼の子供も泣くのかと思ったが、赤子は薄ら目で今にも眠りそうな表情を浮かべている。友人は飲み物を飲み干して、
「だから君には名を教えられないのだ」と言った。
やがて、他の客が、赤子を籠に入れて、私たちの前を横切っていった。一人、二人と店の奥に消えていく。次々と、十人ほどの親たちが籠を掲げて通り過ぎた。どの籠の赤子も鳴いていなかった。それほどに広い店だったか。そう思ってから、私たちは食事をしていないことに気がついた。
彼はいつの間にか席を立っていた。私の前には彼の赤子が残されていた。
再び彼は戻ってくるだろう。また赤子を見張っていなければならないようだ。
赤子の様子は見ていて飽きない。自分の子なら、いつまでだって見ていられるだろう。私はまだ見ぬ自らの子の姿を思い描いた。もしかしたら、先ほど通り過ぎた籠の中に、私の子供がいたのかもしれない。そうなのだとしたら、もう会うことはないのだろう。そう思った。
父親はまだ帰ってこない。手慰みに、赤子の開いた掌に指を乗せてみる。
赤子の手は、私の指を握らなかった。
収入無いのに無茶な買い物して家庭グチャグチャにした旦那も見たことあるし、
旦那はワンコイン弁当どころか昼飯食えないくらいまで困窮してるのに
妻が遊びと買い物で放蕩を重ねて今離婚調停してる夫婦も知り合いにいる。
そんなん、家庭それぞれで男にも女にもクズはいますよってお話に過ぎない。
俺の収入が600万、妻の収入が800万。だから、俺は妻より25%多く家事をやる。
お互いいつ別れても自分の暮らしは維持出来るから、フラットな力関係だし。
収入が近い、あるいは妻の方が高ければフラットな関係は維持しやすいから
とりあえず稼いだらいいんじゃないのかね。
長女一人っ子だけど、わかるよー、気持ち。
中規模都市で勉強できるように育ててくれて、そこそこの大学@都内に入って、周りと競うように憧れの職について、8年位働いて一人前風になって?さあこれから仕事で自己実現だってなって、降りかえると親が老いてるよね。頼り甲斐があったお父さんが理屈っぽく頑固で声大きくなってるし、賑やかだったお母さんが笑わなくなって日中ぼーっとしてたりとかするよね。
あ、帰んなきゃやばい?って思っても東京まで通うことはできないし、地元で再就職って言っても、東京にしか存在しない職種はあるし。。。働ければ職種に貴賤はなし!とは思ってるけど、いままで精魂込めて蓄えて来た経験が役に立たなくなるのは心が折れる。
家なんてどうでもいいんだけど、とりあえず継がないと同じ場所に住み続けるのきついよね。町内会に入らなかったら両親が後ろ指さされるだろうし、親の兄弟はまだ本家の〜とか分家の〜って口走るよね。放蕩娘になって私が縁切りされるのは構わないけど、残る両親へかかる風圧のことを考えたらようできひんよ。繰り返すけど、もうイエなんてどうでもいいけどね。ただまだそれを生き方の軸とした人たちが生きていて、その人たちに育てられたから、不義理をしたくないんだ。お父さんとおじさんが高校出てから耕した有機農法の畑、駐車場にしたらいいじゃんって私は簡単には言えないよ。二人が死ぬまで待ちたいよ。
君はどうする?私は何かウルトラCで解決できないかなって今年一年考える。案がなかったら諦めて地元に帰って仕事を探すよ。それで、私の子供にはこんなこと考えなくていいように家財を処分する。ここにもいるよーって伝えたかっただけ。日本のほとんどは田舎で、同じ状況の同世代もいっぱいいるよー。
小さいころのあの子はあんまり笑わない癪に障る子供だったし、私もそこが我慢できずに乱暴をすることがあった。
一時期は「気晴らしだから必要だ!」と思って我慢しようと思えば我慢できるのに意図的に暴力を振るっていたこともあったが、すぐに自分でいけないと自制したのでごく短い間だった。
そして私は家から社会に一度出ると決して暴力的な素振りなど見せなかったし、真面目な社員、良き夫、良き父としてみんなから慕われていたのだ。
私の嫁は、今思えば結婚前からその素質があったのだろうが、いつからか心を病んでいて、変な行動をして周囲に迷惑をかけることもあったのだが、私は周囲からの信頼を得られていたため、周りも私に対しては「お気の毒に」と同情の目線で見てくることが多かったと思う。
その嫁はといえば、小学生のあの子に毎日世の中は怖いとか誰がどんな風にダメとかいう愚痴を聞かせ続けたり正反対の支離滅裂なことを言ったりしていたようで、あの子は時々仮病で寝込むことが増え、やがて学校に行かなくなってしまった。
私も何とかしようと思って学校に行かせようともしたが、部屋から引きずり出そうとすると外に聞こえるような大声で泣き叫ぶものだから、中々上手くあの子を立ち直らせる機会は得られなかった。特に困ったのはあの子が高校生ぐらいの年齢にもなってしまうと、力も強くなってきて、私の体力の衰えもあってひやりとさせられる出来事があったことだ。
このままではこの子に殺されるんじゃないかと思うとぞっとして震え、あの子も嫁と同じように心を病んでいるのだということを強く実感した。
戸塚でもなんでもいいからこの問題を何とかしてしまいたい、遠い予備校の寮などはどうだ、などと検討していたのだが、うまく本人を外に連れ出すことが難しくて困っていた。幸い周りもあまり詮索はしてこないし、世間の目をうまく誤魔化すやり方はわきまえていたものの、年老いてから子供の暴力を受けたのではたまったものではないし、いつまでも子供の面倒を見るなんてことは勘弁して欲しい。
そうやって長いこと悩んでいたのだが、あの子はいつの間にかネットやらで知り合いを作ったらしい。私が気付いたときにはあの子はそいつらと会うためにだんだんと服を買ったり髪を切ったりしに外に出て行くようになっていた。
そのまま放蕩でもされたもんならたまったもんじゃないと思ったが、都合のいいことに、ネットの知り合いから吹き込まれたのか自分で気付いたのかしらないが、「大人になったら自立しないと」「僕だけこんなことをしていて恥ずかしい」という意味のことを口にするようになった。それから半年くらい経って気付いたときにはいつの間にかアルバイトに通いだし、免許を取りにいき、と少しはマシな生活をするようになり、一年半ほど前にうちを出て一人暮らしを始めた。
いつまでも昔のことを掘り返して責められないかどうかが気がかりだったが、あの子の染まった友達の価値観がよかったのか、「もう大人なのに子供のときの愚痴なんて言ったってしょうがない」とまともな考えを持っているようだった。
結局、私はあの子を更生させるために何もできず、偶然の出会いがあの子を変えた。私の知りもしないあの子の周囲の人間があの子を変えたのだろう。あの子と友達になってくれた人たちには感謝してもしきれない。
これから社会を渡り歩く上で、是非とも知っておきたいこととして、世の中始末に負えない乱痴気野郎は数有れど、正論人間ほどタチの悪い、人生の詰んでいる人間は居ない。これは知っておいても損はないだろう。
これから社会へ羽ばたき偉業を成し遂げんとする君たちも、薄々感づいてはいるはずだ。学級委員長や生徒会長のような正論マンの不甲斐なさ、そして冬の碧空にも似た慟哭に。
世の中に蔓延る正論をなんとかして駆逐せねばならぬ、とまで考える人もいるだろう。また、正論をどや顔で言うような族(やから)にだけは俺様はならん!と固く誓っている人もいるだろう。
しかしちょっと待ってほしい。ここで大切なのは感情論の排除である。何事も感情的になっては琴をし損じる。感情的と言ってもヤキモキしたキモチを適切な形でストレートに吐き出すのはむしろ良いことである。
そうではなく本当の感情は棚にあげて都合のいい別の感情を正当化しようと論をひねりだすのが駄目なのだ。結局それは言い訳であり捏造にすぎない。自分にも他人にも嘘をつき、感情的になればなるほどその嘘の対立構造がエスカレーションする。
だから冷静に思考しなければならないよ。学生時代にロクに人と向き合うことなく2chなどをやり過ぎてきた人は特に注意。面接で俺は友達いるしサークル入ってたしバイトもしてた、なんて人がよくいるけど、
そんなのも名札(title)にすぎないのだよ。中身が肝心。素直な気持ち・意見をどれだけ適応的にやりとり出来たかどうか。その意味で正論を文字通り「正しい」と思えるような人は危ないと言ってよい。
結局のところ正論というのも名札にすぎない。正しいと名札がついたことを言えば、一応は一定の力をもつ。絶対無敵とまではいかないが、たいていの場面で有利な形勢に持っていくことが可能であるという意味において。
ところがね、第1にそもそもにおいて「勝つ」必要などないのだよ。狡黠な人間になんてなる必要ないとも言い換えられる。ずるい人間って世の中いるよね。それは一種の適応とも言えるが。
よく考えてほしいのは、適応というのは常に不適応の可能性をはらんでいるのだよ。ある方向に適応したということは、他の方向に適応できなかったからかもしれない。ズルいってのはそういうことなんだ。
あらゆるファクターがありうるので一面的に決めつけることはできないけどな。けれどもそれがもし不適応からきた果実だとしたらそんなに哀しい色の果実はない、そう思わないかいということなんだ。
第2に正論はあくまで論の正しさに過ぎない。論とは前提たる命題に推論規則を用いて演繹していくプロセスなのだがな。ともかく論の正しさはあくまで推論の正しさであり前提の正しさではないという中学校から教わってきた当たり前のことなんだ。
当たり前だがみんなすぐ忘れてしまうから常に確認しながら進んでいかないと行けないんだ論者たちは。でないと、、中学生が見てもバカじゃんこの大人たちはって言うようなことが頻発するのだ。
人間は多くの人間自身が考えているよりもスキが多い、不注意が多い、手抜かりが多い生き物なんだ。だから当たり前のことを当たり前にやれる大人になること、これが何よりも大切で、難しいことなんだ。
岡目八目と言ってハタからみて批判するのは簡単だけど実際にそういう立場になったとき自分自身しっかりやることが肝胆だよ。だから正論を畳みかけるように言われてもジト目で疑うことを怠たらない誠実さを忘れてはならない。
そういったことを抜かりなく積み重ねていく先に成長がある。正論を疑うにあたっては、繰り返すが感情的になってはいけない。感情を包み隠さず適切な形で表現するのは良いことではあるが、感情に論がくっつくと
途端に一気にタチの悪い一揆を巻き起こして塗炭の苦しみに見舞われてしまう、と述べたね。ここで1つ感情的にならないコツを教えよう。こと人間関係になると多くの負の感情は恐れからやって来る。
怒りも恐れ、恥ずかしさも恐れ、不安も恐れ、いろんなことが恐れから来ている。そしてそのことをみんな自認したがらない。だからビビり先輩ちーっすwな煽りが万国共通に通用すると。
だから恐れを常に認めないといけない。認めるためには心の余裕が必要なの。心に空きスペースがないと駄目なの。ワーキングメモリが一杯になると他の事考えられなくなるでしょう。
実は人間は生きる心構え次第で必要な余裕が雲泥の差なんです。一般には精子いや生死をかけた闘いを日々繰り広げる人ほど沢山の余裕が必要と考えられている。しかし実際は彼らの95%は忙しいの字は心を亡くすと
書くとの格言どおり忙しさのあまり心が狭くなっていますから、それでもなんとかやっていけてるということは実は大して彼らのような生き方のためには別に特段余裕が必要なわけではないんですよ。
ただしそれは「毎日をなんとかやり過ごす上では」不必要ということであり、「日々をよりよく生きるためには」あるいは「今後の人生のためには」もっと余裕が必要ですよ。狭い心のままではいつかSAN値がピンチになります。
そう、「よりよく生きるためには」もっともっと余裕が必要なんだよそこの君。倫理(ethics)とは本来は儒教的な処世術ではなく日々をよりよく生きる方法を追求する学問であった。
自分のことばっかり考えてガンガン心を狭めていては結局のところ苦しい境遇に追い込まれていくようにうまく世の中はできている。天網恢々疎にして漏らさずとは至言なり。
『オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』の紹介文を見てごらんなさい。「感情はなぜ存在するのか。感情がその場限りの自己利益を越えてより合理的に行動を方向づける働きがあることに着目し、
今まで十分に理解されていなかった利他行動など、一見非合理的にも見える行動のメカニズムを鮮やかに解き明かす」。この問題意識と解決の試みに非常に高い知性を感じざるを得ません。
実は感情は我ら人間の誇る高級な機構であったという発見が続々と為されている。そういった感情を捨象してロボットのように正論を言ったり感情を捏造して論理で塗り固めたりするのはもう今年で卒業しよう。
来年からはきっぱりケジメをつけて全く新しい人間に生まれ変わるつもりでいこう。ただしだイチローの「変わらなきゃも変わらなきゃ」の精神は忘れちゃならんぞ。必死に変わろうとする人間がよく陥る罠。
変わろうと歯を食いしばることは現状を強く否定することになるが、実は否定すればするほど暗に弥が上にも強く肯定してしまう結果になるのだから、決して無理に変わろうとしてはいけない。
これも人間関係と同じで根底には恐怖がある。忙しさを好む精神の奥底にはしばしば恐怖があるのだ。一般に強くコミットしようとする性向の背後には恐怖があるということ。
だから強くコミットしようとするのではなく、ソフトなアプローチ。これが大原則なのだが、そのためには実はたくさんの余裕が必要なんです。だから言ったとおりでしょう心構え次第で雲泥の差。
余裕といってもロマンティック・アイロニーのやうな嘲笑や放蕩ではなく、きちんと自分の行い、思考を決める規律を自分で定めないといけない。
クラピカも制約を自ら誓約して力を手にしたのだからこの支配から卒業して賜杯を手にするには規律を自らに課すことが必要不可欠といっても過言ではなかろう。
ぱっと見なめし革のような硬質な立派さを漂わせてはいるもののそれはあくまで虚構で、その内に秘めたる醜さは計り知れない。だから俺はブランドもののバッグが大嫌いなんだ。
ともあれ人の心にハリボテエレジーのような哀愁があり、それを我々は他者や社会との関係の中で再現しているに過ぎない。しあわせに小石をなげて。
その修正を試みるのがサイコドラマの主旨である。ともあれ正論という古い規律を捨てて感性的であろうとすると俺たちはいとも簡単に自己否定のワナにかかってしまう。だから新しいマイルールが必要なのだ。
マイルーラ見かけなくなったなと思ってたら2001年3月製造中止。 テレビCMや大学の文化祭で宣伝しだしてから、若者の間で非常に人気が出て世論の批判を浴びたことが原因とな。
内弁慶の父親、絶えず動きまわってるが計画立てて考えるのが苦手な母親、と
やたら似ているので返事せざるを得なかった(高校がスポーツばっかりやってた所も)。
機能不全家庭の類型って案外パターンが限られてて、このポイントだけ修正したらうまくいく家庭が多いのかもな、と思ったり。
不登校になりはしなかったものの、代わりに父親が学歴コンプレックスに狂ってて放蕩の限りを尽くして借金まみれ、
母親は比較的まともだったけど幼少時の家庭環境からくる共依存的な性質もあり、「普通か」と言われると少し違っていた。
ざっくり言うと「知恵が足りない」んだよね。こうしたら人生いくらでも好転するんだけど、
なんで知恵が足りないかと言うと本人たちに頭が足りないのはもちろんのこと、周囲にまともな人間がいないというのが一番大きい。
情報がない所から情報が自然発生するというのは殆どの場合は物理的に無理で、だいたいの世の中の情報はすでにある情報の流通と情報どうしの組み合わせによって存在する。
発想が豊かな独創的な情報というのは既存の情報が新しい組み合わさり方をしただけに過ぎない。
クズしかいないから情報の絶対量と種類が少ない。知恵が足りない人というのは何故かプライドが不必要に高いので
ああしましょうこうしましょうという問いかけに対してメンツやプライドというよくわからないものにこだわり二の足を踏む。
直ぐに恫喝とか暴力とか極端な手段に振りきれる。知恵とプライドは反比例する傾向がある。権威主義的な物言いをする人間で賢い人間はいない。
自分のまわりは大学出た人間自体がおらずFランク私大行った人すらエリート扱いされるような地域に住んでいた。
家族は宗教に狂っていなかったが、地域に住む人の多くは宗教に狂っており、創○学会やらエ○バやらキリスト教系の新興宗教やらよりどりみどり。
そういう地域は関係するポスターがいっぱい貼られているので一目でわかります。
新興宗教が流行っている貧乏地域というのは共○党も強くて、生活がきつくて判断力が低下気味の人が新興宗教と政治団体の洗脳対象としては最大のカモなのだから、
新興宗教と左翼政治団体というのは性質は同じなんだろう。「あなたの生活がきついのは○○のせい」という単純なメソッドで皆やられる。
韓国だ靖国だ憲法9条だというのは辛い現実からのスケープゴートに使われるネタでしかない。
そういう地域って、理由は千差万別だけど、だいたいは怠惰な人生を送っていてクズの集まる地域に辿り着いた人がほとんどだっただろう。
コミュニティというものの影響力は思っているよりも大きくて、高学歴者高所得者ばかり集まるコミュニティなら為になる情報交換が出来そうなものだけど、
クズのコミュニティというのは要約したら2~3行の文章で終わりそうな情報ばかりで、本当にためになる情報がない。で、パターンが限られている。
田舎から首都圏に上京する人で、知恵のある人達に囲まれたいとか、まともな人間の多い環境に囲まれて生活したいという動機を持った人は少なくないだろう
(首都圏はキチガイの性質が田舎と違うだけで数は多いんだけど)
劣等感を抱いてしまうような家庭を切断排除してしまいたいというのは理屈としてもっともだけど、
クズ地域に住んでてクズな発想しか思いつかない、経済だけでなく知恵も貧困な地域に住む人間に対して
まともな人間に囲まれているあなたが両親に「ああすべきだこうすべきだ」と知恵を飛ばしてみてはどうだろう。
それで親のクズっぷりが改善するなら親を再教育していくのもいいだろうし、
最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。