『ばか』ってどんなやつの事をさしてるの?
みんながおもう『バカ』ってどんなのなの?
真面目な話なんだ・・・
ちょっとでも目について何かひっかかった人は答えてくれると嬉しい
たのむよ
【追記】
IT系イベント主催者各位 そろそろドラ娘ってやめませんか? (Kanasansoft Web Lab.)に端を発する一連の話。
「ドラを叩いている女の子も喜んでその役を引き受けてるんでしょ」「見ていて華があるし」という意見や、その延長線上にある「だからハラスメントではない」という捉え方は筋がよくない。Twitterで誰かも言っていたけれどこのテーマについてはハラスメントではなくポリティカルコレクトネスで考えるべきだ。ポリティカルコレクトネスというと政治的な匂いや強い主義主張に基づく活動的な匂いを感じて敬遠しちゃう人もいるけれど、ここでいうそれはそんな大げさなものではなくもっと単純に「性を持ち出す必要性のない場面で性を持ち出すな」という、それに尽きる。
我々は勉強会やカンファレンスといったイベントに参加するけれど、そのイベントは国籍や職業、宗教や性別で差別・区別されることのない公平・公正な開催を暗黙的にみんな期待してるよね。にも関わらず突如「ドラ娘」という存在が不必要な性別に基づく役割を露骨に示している、そのことに対して大勢の人が違和感・不快感を感じているというのが今のかたち。もちろんそんな公平さ・公正さは参加者の一方的かつ暗黙的な期待でしかないので、イベント主催者としてそれに答える必要はなくドラ娘を継続させるという選択肢もある。あるんだけれど、主催側だって公正・公平なイベントを開催したいよね。
「ドラ娘」という名前に対しても、「いやオレのイベントでは実際には娘ではない年齢や性別の人だってドラを叩く役をこなしていてドラ娘というのは名前だけだ」という話もあるかも知れない。「ドラ娘」という呼び方はたしかに「ドラ息子」という語に絡めたうまい命名ではあるけれど、現実的に多くの「ドラ娘」が女性に限定されている現状であるならば、わざわざ性別差を想起するそういう名前をそのイベントで使うことはうまい方法じゃないよね。
もちろん、個人の主義主張・嗜好としての「チャイナドレスを着た綺麗な女性が舞台のそでに立っているのを見るのが好きだ」「かわいらしい服を着てドラを叩くことで注目を浴びたい」という思いを否定するなんてことは全くなくて、そんなのは個人でいくらでも思ってくれていていい。ただ、繰り返しになるけれど、多くのエンジニアは勉強会やカンファレンスにおいては、その開催にできる限りの公平さ・公正さを暗黙のうちとはいえ期待してるんだよ。だからその場に性別差を強制する仕組みを持ち込まれることに対して違和感があるという、そういう話。
はじめてなので覚えることが多いのとスケジュール調整も大変
その中でTOIECも勉強している。時間がとりにくいのにウェディングのオーダーのしごとも受けてしまって大変
次回からしばらく断る。
自分がやってきたことよりも何がやりたいかより明確にしないとダメだな
toiecは前回400点台後半だった。
700まであと200ちょい
更新。
だったので、一応、これで不満が解消できたかなあと思っている。
今回は慣れてきたからか、それほど苦戦しなかった。
backgroundページからcontents_scriptへメッセージ送る方法を知らなくて
色々勘違いして少し手間取ったぐらいかな。
https://github.com/aoi-tomoyuki/compact_na_masuda
追記
ページ内にある同じURLをマウスオーバーすると、一番最初に表示された位置にポップアップされることに今気づいた。
なおします。
追記:23:14
なおした。
古くは洋装、自動車、IT etc...色々なものに順応してきた私達だけど
どの時代も”生まれた時に当たり前”で葛藤を知らずに手にとった世代が
主役となって普及させた。
戦争体験や学生運動、高度成長やその後のロスジェネ世代 etc
教科書なぞりながら暗記した世代があとかたもなく風化させて前に進む。
携帯端末に馴染みまくった世代がジジババ世代を引きずり下ろすし、
カウンター・カルチャーだってそりゃ廃れる。経済成長する国民国家なんてもうないし。
「問題に気づいたぞ」、「解決しなきゃ」と思考させられた時点で欲得ずくの負け確で、
この記事に感じ入った。
http://fladdict.net/blog/2014/11/nihonkeizai.html
後半に書かれている、「自尊心だろうがエンドルフィンやアドレナリンなどの脳内麻薬の大半だろうが、ほぼゼロコストで自給自足できる。」これ。これですよこれ。
幸せって何だろうっていう「末端の答え」は、脳内で幸せを感じる化学反応が起きていること、だと思うのです。これ以上の「奥は無く」、これが最終点。末端。だからその化学反応を起こすための、コストが、限りなく安くつく人間、それは勝ち組だと思うのですよ。
ガソリンあんまり使わなくても、長距離走れる自動車が良いものだ、ってのは分かりますよね。それと同じ、より低コストで幸せを感じるなら、それに越したことはない。
特にお年寄りに多いんですけど、(若い人にも居るけど)、ちょっと美味しいものが出てくるだけで、おいしいおいしいと大袈裟に喜び、ちょっと親切にされるだけで、ありがとう有難うと、大袈裟に感謝するような人というのが、居るわけです。
そういう人たちって、上のブログの「自尊心だろうがエンドルフィンやアドレナリンなどの脳内麻薬の大半だろうが、ほぼゼロコストで自給自足できる」境地にある(境地に近い)のではないのかと。
カネを使って消費をすると、幸せになりますというのは、結局は「資本主義教」の教義でしかなく、そもそも資本主義というのが、カネの流通と消費の上に成り立ってるので、そのシステム、そして好景気を維持するために、消費を促すために、消費=幸せ、という考え方を常識化して定着させるという「手法」が必要だったんでしょう。
いやいや。
日本の底辺大学であっても、超レベルが高いので、世界を相手に起業して利益を上げることができて、みんながリッチになるのだよ。