小さいころのあの子はあんまり笑わない癪に障る子供だったし、私もそこが我慢できずに乱暴をすることがあった。
一時期は「気晴らしだから必要だ!」と思って我慢しようと思えば我慢できるのに意図的に暴力を振るっていたこともあったが、すぐに自分でいけないと自制したのでごく短い間だった。
そして私は家から社会に一度出ると決して暴力的な素振りなど見せなかったし、真面目な社員、良き夫、良き父としてみんなから慕われていたのだ。
私の嫁は、今思えば結婚前からその素質があったのだろうが、いつからか心を病んでいて、変な行動をして周囲に迷惑をかけることもあったのだが、私は周囲からの信頼を得られていたため、周りも私に対しては「お気の毒に」と同情の目線で見てくることが多かったと思う。
その嫁はといえば、小学生のあの子に毎日世の中は怖いとか誰がどんな風にダメとかいう愚痴を聞かせ続けたり正反対の支離滅裂なことを言ったりしていたようで、あの子は時々仮病で寝込むことが増え、やがて学校に行かなくなってしまった。
私も何とかしようと思って学校に行かせようともしたが、部屋から引きずり出そうとすると外に聞こえるような大声で泣き叫ぶものだから、中々上手くあの子を立ち直らせる機会は得られなかった。特に困ったのはあの子が高校生ぐらいの年齢にもなってしまうと、力も強くなってきて、私の体力の衰えもあってひやりとさせられる出来事があったことだ。
このままではこの子に殺されるんじゃないかと思うとぞっとして震え、あの子も嫁と同じように心を病んでいるのだということを強く実感した。
戸塚でもなんでもいいからこの問題を何とかしてしまいたい、遠い予備校の寮などはどうだ、などと検討していたのだが、うまく本人を外に連れ出すことが難しくて困っていた。幸い周りもあまり詮索はしてこないし、世間の目をうまく誤魔化すやり方はわきまえていたものの、年老いてから子供の暴力を受けたのではたまったものではないし、いつまでも子供の面倒を見るなんてことは勘弁して欲しい。
そうやって長いこと悩んでいたのだが、あの子はいつの間にかネットやらで知り合いを作ったらしい。私が気付いたときにはあの子はそいつらと会うためにだんだんと服を買ったり髪を切ったりしに外に出て行くようになっていた。
そのまま放蕩でもされたもんならたまったもんじゃないと思ったが、都合のいいことに、ネットの知り合いから吹き込まれたのか自分で気付いたのかしらないが、「大人になったら自立しないと」「僕だけこんなことをしていて恥ずかしい」という意味のことを口にするようになった。それから半年くらい経って気付いたときにはいつの間にかアルバイトに通いだし、免許を取りにいき、と少しはマシな生活をするようになり、一年半ほど前にうちを出て一人暮らしを始めた。
いつまでも昔のことを掘り返して責められないかどうかが気がかりだったが、あの子の染まった友達の価値観がよかったのか、「もう大人なのに子供のときの愚痴なんて言ったってしょうがない」とまともな考えを持っているようだった。
結局、私はあの子を更生させるために何もできず、偶然の出会いがあの子を変えた。私の知りもしないあの子の周囲の人間があの子を変えたのだろう。あの子と友達になってくれた人たちには感謝してもしきれない。
周囲の大切さを実感もなにもおまえ何もしてねぇじゃん