はてなキーワード: 所以とは
自分が昔勤めていた会社はドがつくほどの営業会社であるR社の出身者が代表をやっていた会社だった。
その代表は事あるごとにエンジニアに対して「お前らが飯を食えているのは営業のおかげだ!!何のんきに昼飯食ってるんだ!!」ということを言うくらいの会社であった。
営業の誰かが数字が伸びていないとわかると会議室にその人を呼び出し、叱責という名を借りた人格否定、怒号、罵声が飛び交う。場合によっては会議室に呼び出さないでその場でこれをやっていることがあり、他の架電している営業がビクッとなっていたり、声の大きさから電話先のお客さんにまで聞こえていたまである。
組織全体のモチベーションが下がったタイミングで社長が発したのが「うちはボランティアでやってるんじゃない。目標未達のやつは全員給与払わない」と全社員が入っているメーリス宛に送ってすらいた。
もちろん、エンジニアもその対象であり、本当に給与は未払いになった。本来は25日支払いだ。月末には支払われたが、遅延損害金などは一切支払われなかった。
この遅延だけでどれだけの従業員が生活に支障を与えたか、代表は一切考えていないだろう。手取りは18万、ボーナスなしの会社だった。貯金なんて月数千円、場合によってはできない人もいる。
会社は強制的に財形貯蓄制度を導入し、これに入らない従業員は査定でマイナスをすると断言していたため、ほとんどの人が手持ちの資金がなかっただろう。
中には家賃の支払いが遅れたり、クレジットカードの支払いが遅れる、奨学金を借りてる人は奨学金の支払いが遅れるなんて人もいたかもしれない。
代表は「社員は家族である。俺が守ってやってるんだ」と豪語していた。どの口が言うんだ、とさえ思った。
話題を少し変える。昨日自分のタイムラインに要約すると「インフラに障害や過失事故が起こったら減給対象になる。減給対象にならない会社に転職したい」といった旨のツイートが流れてきた。
正直目を疑った。その人の会社を調べるとCMも結構打ち出している大手だった。ただやはり営業が代表をやっている会社のようだ。
想定外のアクセスが増えればインフラに障害だって起こるだろうし、歴史のあるシステムであればスケーラビリティを確保するのは難しいだろう。
過失事故についても再発防止策を考えればいいのであって、減給対象となるのは甚だおかしい。
というかそもそも減給を従業員との協議をしないで一方的に下げるのは月給の10%以上であれば労働基準法に反しているのではないだろうか。
いずれにしても従業員からすると気が気ではないし、給与が下がることによりモチベーションも格段に下がるだろう。
話を戻すが、上の方に書いた自分の事例のように仕事がうまくいかないから給与を下げる、支払わないは営業がトップにいる会社の常用手段のようだ。
特にエンジニアという職業は営業から見ると、何をやっているのか理解し難いだろう。判断する材料が既存のコードベースではなく(エンジニア経験のない営業には理解できないため)、スケジュール通りにできているか、障害が起こらないか、といった判断になりがちである。
営業は目に見えないものを嫌う傾向にあるとさえ思う。なぜなら彼らは売上がホワイトボードに書き連ねられており、契約を取れば数字が変わり、誰が仕事をしているか判断をしやすいからである。
目標を超えれば昇給をするし、そうでなければ昇給をさせないといった判断もできる。エンジニアはどうだろうか。スケジュール通りにできるのはあくまで目標で、障害が起こらないのは品質保証だろう。
そう考えるとエンジニアが昇給するのは営業がトップであれば肌感覚で判断するしかない。もちろん判断材料は営業と比べて目に見えないものが対象である。
ここが営業がトップにいる会社は例外なくエンジニアを大切に扱わないといった所以だ。彼らは同族を好み異族を嫌う。
自分たちの判断できないことは営業のノリで決めるのだ。これはCTOが居ても営業がトップであれば変わらない。なぜなら最終的な昇給を判断するのは営業のトップである代表であるからだ。
営業とエンジニアは永久に分かち合えないといっても過言ではない。エンジニアはプロジェクトの成功のため営業に歩み寄るが逆はありえない。
就職・転職を考えている人は一つの判断材料として営業がトップの会社には行くべきではないということを自分は伝えたい。
最初の給与が高くても昇給する可能性は薄く、遵法精神がほぼ皆無である。
遵法精神というと、減給や給与未払いもそうであるが、退職届の提出時の恫喝や、退職を拒否したりパワハラまがいな言葉も浴びせてくるのは日常茶飯事である。
自分も退職届を受理されず、内容証明で送ったことがある口だが、その後に代表から「てめぇふざけんじゃねぇ!家族を裏切るのか?お前みたいなゴミはどこにいっても一緒だぞ」と恫喝されたことがある。
彼らは従業員を家族といいながら辞めれば補填すればいいとさえ考えていて、ただの販管費としてしか見ていないだろう。
この家族の話であったり、裏切るといった話であったり、どこにいっても一緒だという発言は経営者の教科書に書いてあるのではないかというくらいどこの営業会社も言っているので真に受けるべきではない。
こういった会社は職歴が汚れてもいいので辞めるべきである。転職のときに「ブラック企業だったので辞めました」と事情を話せばわかってもらえる。それよりそうやって我慢をしてメンタルを病んでしまえばそっちのほうが転職時に響くのは明白である。賢いエンジニアなら理解しているはずだ。
ちなみに余談であるが、その会社はいろんな電話帳系のページに迷惑電話と書かれており、営業活動が厳しくなったのか社名と電話番号を変更して営業活動をしている。早く潰れればいいのに。
一方でエンジニア経験のある人間がトップの会社であれば、提示給与が高くエンジニアに対しての評価制度も整っていることが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20200706165448
この増田を読んで、ああ、こういうところがこの人が「神」と呼ばれる要素であり、私がいつまでも誰かにとっての「神」にはならない所以なのだ、と思った。
なんとなく、この文章を読んで、よくもてる代わりにストーカー被害にも遭いやすいという人の話を思い出した。
私はストーカーに遭った経験もない代わりに、他人に興味を持たれたことがほとんどない。
そのような人と私で一体何が違うのか正確には分からないが、おそらく「受け入れてもらえるだろう」と他人に思わせる何かがあるのだろう。
この元増田にしても、フォロワーが5桁もいれば色々な人が出てきて当然といえばそうであるが、何度やり直してもそうなるということはおそらく意見を寄せて受け入れてもらえると思われる要素があったのだろう。
元増田のせいだなどという自己責任論にしたくはないので、不運だったと言うしかないし、元増田には友人と心安らかに過ごしてほしい。
不謹慎なのを承知で言うと、一度でいいから、壁打ちするばかりのSNSではなく不可解な他人からの執着がどんなものなのか味わってみたいものだ。しかし、そんなことを思っている人間のところには他人を盲信したがる人間が集まることはないのだ、とこの増田を読んで実感した次第である。
それは本質的にコロナどうこうではなく海外は格差がヤバいからなんだが?
Amazonやスーパーの買い物代行黒人ばっか、アジア系を除く有色人種の高い死亡率
Amazonの流通倉庫での蔓延、Uber eats やスーパー従業員など低所得者ほど感染
ロックダウン中も、わずか2ドルの上乗せ賃金とか、スリーストライクは有効とか、マジぱねぇ
【BBC】新型ウイルス被害は「平等ではない」とBBCキャスター 低所得者ほど感染
https://www.bbc.com/japanese/video-52253007
【CNET】アマゾンの物流拠点50カ所以上で抗議ストか--新型コロナで保護強化を要求
https://japan.cnet.com/article/35152758/
・・・が、それらは繰り返すがコロナの政策ではなく格差の問題なんだが、
そこから完全無策で放置の日本どうしたら成功しているに繋がるんだ?と言わざるを得ない
とりあえず大阪は医者がコロナで死んだことくらいは報道したようだね
「3人の医師がコロナの治療をして、お亡くなりになられたという情報はつかめていない」としていた。
茂松会長は死亡した2人について「患者を直接診る立場で、コロナに感染していた。患者の感染に気づかずに診察し、感染した可能性」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5a355d39dbd385c3908191c88069592d5073796
つーか anond:20200410144819 でも書いたけど、インフル流行ってないのに死亡超過は2月からしてるし、
死因は不明だけど死者も増えてるし、現在は病院の稼働が安定してきたとかもねぇから
だって、患者が感染してるかどうかもわからねぇんだし防ぎようが無いわ
ただ、悪いニュースばかりではなく、山梨大学のようなまともで素晴らしい対応をしているところもある
こういうの見てると日本のアカデミアも捨てたもんじゃ無いなって思う
ワイの親族の国立大教授も見習って欲しい(関係ない分野なのに無茶振り)
※この日記にはキ〇ガイという言葉がめっちゃ出てくるし口が終始悪いですすまんな。
性善説を唱えるわけじゃないけど他者を貶めたり害したりする人間はどちらかといえば世界の少数派なのではないか。
道を歩いてて急に殴ってきたり怒鳴りつけてきたりする奴は確かにこの世にいますが、それを見た人々の大多数の感想は「やべーキ〇ガイいる」じゃん。人生の大半を共にしてる~~~ってなるほどこの世は世紀末ではないと思うけど。たぶん。
これに「仕事」という概念が加わるとキ〇ガイから「ちょっと気難しい人」「変わった人」程度に2つ名が変わるのはどうしてなのでしょう。
殴る力の強さや怒鳴りつけるボリュームが下がったところで、lv.3のキ〇ガイとlv.10のキ〇ガイ。どっちがキ〇ガイですか?と言われたらいやどっちもキ〇ガイですとなるでしょ。同じ職場など、ある程度の関係性がある人間にそれをする奴はまあキ〇ガイなんですけど見ず知らずの人間に同様の危害を加える奴は本当にキ〇ガイofキ〇ガイだと思うんですよね。
しかし仕事の場ではキ〇ガイが顧客スポンサー上司など、あらゆる階級を身につけ、キ〇ガイというジョブ名を2つ名で押し隠してることがままあるのです。
そして周囲も「そんなことよくあるんだから」「お金貰ってやってるんだから」「理不尽なこともある、それが社会だから!」とキ〇ガイに何故か寛容さを見せキ〇ガイがキ〇ガイたる所以の加害を受ける人間を責めるのです。
本当にうるせ~~~~~~~~~死ね~~~~~~って感じ。
そんなことよくあってたまりますか?いいえたまりません。誰だって危害は加えられたくはないでしょ。
自分がされたら嫌なことを他人にしないということを義務教育で学ばなかったのだろうか。
学ばなかったのなら教育課程に問題があった?社会に出るまでにそれを誰にも教えて貰えなかった?あるいは自分がされたことを人に繰り返していた?ソレナラシカタナイネ……………………
いや知らね~~~~~~~~~。仕方ないってならね~~~~~~~~~。キ〇ガイにどんな過去の闇があろうが、同情すべき背景があろうが誰かに加害をするそいつに罪がないなんてことはないよ。普通に悪いよ。クソだよ。危害を加える奴が私は嫌いだし死んで欲しいと思うわ。
皆同じくらいの脳みそ持ってるのに最低限、他者を脅かさないコミュニケーションすら取れない奴はヤバいでしょ。そのリソースどこに割いてんの?まさか存在すると思いたくないけどそれで快感得てるやつは自分が異常者だって自覚してくれよ。他者に対して欠片ほどでも敬意を持って接することも出来んのか。
つまりタメ口初手ブチ切れ威圧怒鳴りおじさんに電話口で舌打ちガチャ切りされたって話です。大人としてのマナーとコミュニケーション能力得ような!!!!!!!!!!!!!!死んどけボケ!!!!!!!!!!!!!(インターネットすっきり法)
彼女はいくらかいたものの、するべきことをせず四半世紀が過ぎた。
風俗にも縁がなく日がな過ごしていると、政府から10万円が入るという。
となれば国民として消費による貢献をしなければならない。しかし物欲もあまりなく、では何を買おうかと考えたときに、オナホールを買おうと思った。
かつてインターネットでみた文章で、誰かがオナホールを「タクシーを初乗り運賃で利用するようなもの」と表現していた。
言い得て妙だと思う。オナホールのリッチさとはそういうものなのだ。
そしてわからないなりのリサーチの結果、オナホールと、ローションと、コンドームを通販で購入した。
配達のときに「書籍」という題目で届けられるという優しさに感謝しながら封を解くと、桃色のぷるぷるした円筒形の物体が出てきた。
オナホールの実物を見たのは初めてだったし、マンガでも道満晴明先生の「ぱら☆いぞ」で捨てオナホの話が出てきた時にしか見たことがない。
でもそのフォルムには少しの愛嬌があって、雨の日に外でぴぃぴぃ泣いていたら拾ってしまうのもありえない話ではないような気がした。
そしてその夜、オナホールを使ってみた。
勃起したところで、コンドームをつける。しかし、うまく入らない。
大きすぎるということはないはず(銭湯で、自分調べ)なので単に下手なだけだろう。童貞たる所以だ。女の子だったらイケメンの彼氏が苦笑しながら「いいよ、自分がやるよ」なんて言ってくれるだろうに胸の内の女の子が浮かばれない。なんとかちんちんをゴムに押し込み、動画を再開して再点火。気持ちが高まったところでオナホールにローションを入れ、ちんちんを挿入する。
未体験の感覚がそこにあった。冷たくてプルプルしている。ストロークをすると確かに右手では与えられないたぐいの感覚がちんちんに伝わる。でもなんだろう?これはなんなんだ?と訝しむうちに射精してしまった。これは早漏というものだろうか。ちょっと新感覚すぎてよくわからなかった。しかし、1発だけなら誤射かもしれない。すこし間隔をおいて2回戦へ突入した。
椅子に座っての1回戦とは違い、ホームであるベッドの上で2回戦を開始する。
同じく動画で気持ちを高める。コンドームもさっきよりはうまく付けられた。これで脳内彼氏もにっこりだ。動画内で挿入が行われたタイミングを見計らい、こちらもオナホールに挿入する。少し見知った感覚がちんちんを包む。騎乗位が(見るのが)好きなので体位が変わるタイミングでストロークを早くする。仰向けになりちんちんをオナホールに突っ込んでいると擬似的な騎乗位が行われるよう、とはならなかった。ちんちんを奥に突っ込むのにオナホールでもけっこう大変なのに、人二人が協力してうまくいくものか(これはちんちんが短いからかもしれない)不安になり、動画の中の営みをなんだか尊敬の目で見てしまったりもした。しかして快感には逆らえず、あえなく達してしまった。しかし1回戦よりは気持ちよかった。特に終わったあとの引き抜きのストロークが良い。これは手では味わえない。
精液が入ったコンドームを処理しながら、なんともなしに気分が高揚した。未経験の行為に一つ跡を残すのは気持ちいい。今後定期的にオナホールを使っていくことになるだろう。
人間の胃袋って貪欲で、そこに食べていい食べ物があると胃袋はその分が入るだけ広がろうとします。
デザートは別腹と言われる所以でもあるのだけど、目の前に食べたい!って思うものがあると満腹感が緩和されてしまうようにできているということ。
ならばその心理を逆手にとってみたらどうかというのがこのダイエット方法。
やり方は簡単だけど、問題はどれだけ自分を自己暗示にかけられるかどうか次第。
例えば、お腹が空いているときに買い物に行くと、あれもこれもと買ってしまうのはよくあること。
そこで、まずは心を鬼にして、いつも買ってしまう1/3~2/3くらいの量で我慢する。
(おにぎりとサンドイッチを買ってしまう人はサンドイッチだけとか、お弁当とカップラーメン買ってしまう人はお弁当だけとか。)
もし自炊派なら、一度にたくさん作ってしまうのは構わないけど、いつもより盛りつけを減らしてその日に食べていい量をおなじく1/3~2/3にする。
・ルール1
今目の前にある食べ物は、実は世界に残された最後の食べ物だと自分に言い聞かせる。
もしかしたらこれが最後の食事で、もうこれを食べ終わったら他には食べ物はないんだと信じ込む。
・ルール2
残り少ない貴重な食べ物なので、よく噛んでじっくり味わう。
間違っても一気に口の中に放り込まないし、噛まずに飲んだりしない。
だって、これが最後の食事かもしれないんだよ?最後の食事を丸呑みする人なんている?
・ルール3
ながら食べをしない。
目の前の食べ物を貴重な食べ物だと信じて、しっかりと向かい合いながら食べる。
・ルール4
お酒を飲む人は、同じルールでお酒の量を予め決めて、同じルールで飲む。
飲みすぎると判断力や自己暗示が弱くなるので飲み過ぎは絶対にダメ。
・ルール5
以上。
もし自己暗示がうまくいくと、不思議なことに少ない量でも満足感が高くなる。
食べ足りないなんて感じないし、なんなら幸福感すら感じられるくらいになれば大成功。
不思議なことに腹持ちも良くなって、次の空腹までの時間が長くなる。
おそらく「もっと食べたい」と思ってるときみたいに過剰な胃酸が出ないからだと思う。
大事なことは、段階的に量を減らしていくということ。
逆を返すと、無理をすれば必ず反動が来るし、自己暗示がしっかりできてないと、空腹感に負けてさらに食べてしまうことになる。
でも信じて。
目の前に食べたいものがあればもっと食べたいって思える自分がいるのだから、目の前に食べたいものがそこにあるだけしかないんだって思えれば絶対にその量だけで満足できるから。
これで3ヶ月で5kgのダイエットに成功しました。目標あと3kg!
IT系ではあるけど、どんな分野でも通用すると思うので、特に転職とかキャリアアップを考えている野心的な学生とか今年から社会人って人なんかは特に考えてほしいです。
・ブラック企業なんて入ってみてすぐわかるもんなの?
これは余裕でわかります、入って一日で職場の雰囲気とか人間の言動を見れば、95パーセントの確立で普通の企業とブラック企業の見分けが付きます。
特に頭のおかしいクラッシャー人材とかは、どんな外面よくても、にじみ出るオーラでわかります。管理職が管理放棄してるところとかも黄色信号です。
断言していいですが、これは絶対嘘です、年収400万のホワイト職場だった時と、年収800万の狂ったブラック職場だった時とでつけた家計簿があるので比較すると
前者は2年で200万円近く貯金できているが、後者は2年で100万円ちょっとしか貯金できませんでした。
理由はブラックでは時間や気力的に自炊ができない、体調不良による病院の治療費、ストレスで酒依存気味になってしまう…みたいに、ボディブローのように特に食費と治療費が効いてきます。
また、何とか逃げ切れたとしても、療養のため1か月はマトモに体が動かせませんでした。(失業保険すぐ降りたので貯金は崩さなくて済んだ)
・キツい仕事の方が成長できるんじゃないの?
絶対嘘、安定した環境で時間に余裕や人間関係に余裕がある方が、勉強に裂ける時間が多いため成長は明らかにホワイトで普通の仕事してた方ができます。
ブラックのブラックたる所以は、狂った人間と相対しなければいけない、過負荷の労働、スキルにさえならない珍事トラブル対応の連続で疲弊するからです。
ホワイトにいた2年間と、ブラックにいた2年間では、前者では応用情報技術者、プロジェクトマネージャ試験、AWSプロフェッショナルが取れましたが、ブラックではCCNP失効、PMP失効、一歩間違えば運転免許更新が間に合わなくなりかけた、というレベルです。それだけ時間と気力を奪われるからです。
・コミュ強ならブラックでも余裕でしょ、ブラック企業でもいい人はいるでしょ
コミュ力に自信があるからといって、絶対にこんな考えで言ってはいけません、ブラック企業に染まった人間というのは、まず常識が狂っているので会話が通じません、前科付かないのが不思議なレベルの人間もままおります。
極端な例で言えば、わけのわからない理由で意味不明な攻撃を受けます、警察沙汰レベルのことをしてきても、警察呼べば結局そのエネルギーを消費するのは自分なので損をします。向こうは狂っているので、警察に逮捕されない限り、いや悪質に逮捕されても「前科はつかないから問題ないわ」レベルの無敵ゾンビ状態です。追尾してくるミサイルみたいなものなので、戦域から離脱しましょう。
ブラック企業やブラック職場にもいい人はいますが、見ていて痛々しくなるほど悲惨な目に合っています、何よりすぐ辞めますか壊れます。常識のある人間、マトモな人間ほど損をするシステムに職場がなっているのがブラック企業です。
・最も恐ろしいのは不安定であること、ブラックに染まってしまうこと
ブラック職場に染まってしまうと、人間関係が破壊され、当然いくら稼いだところで異性にもてなくなります、というより異性と付き合う、探すという時間が取れません
一番恐ろしいのは、ブラックに染まってしまえば、ヘタをすれば二度とホワイトに戻れません、職歴が荒れるので、冗談抜きでブラックにいた経歴だけ消して経〇詐称でもしないとどんどん似たようなブラックをぐるぐる壊れるまでループするハメになります。貯金は減り、生活のサイクルが建てられなくなり、実家に戻れなければ末はホームレスか食い逃げで拘置所です。
コロナがあったとはいえ、いかに人手不足で好景気とはいえ、この国では、ブラック企業の経営者や社員が、何十人とインターン学生や社員をブラック労働で殺害しようとも、女性社員を何百人強姦しようとも、労働問題になると罰金10万円で済む国です、労働環境に関しては、警察は無力で警察権力は届かない無法地帯と思って行動してください、自分の身は自分で守ってください。
転職を考えている人も、今ブラックにいるならもう何が何でもすべてを捨てて逃げてください、責任感とか義務感とかにこだわってたら、人生破滅します、自殺するしかなくなります。ブラックにいれば死ぬしかないけど、逃げれば人生どうにでもなります。最悪、怪しい商売に手出してるブラック企業や、どう考えても捕まるだろというような滅茶苦茶なことしてる同僚や上司がいるだけで、連座で警察に狙われるような危険性さえあります。同僚や上司が女子高生誘拐して捕まっただとか(※実話)、横領や痴漢で捕まった(※実話)とかとなると、その後の転職や仕事に致命的な支障が出てきます。
また、就職できなかったとか一時無職になったからといって、恥ずかしがることは一切ありません。ブラックに行くくらいなら、国のお荷物となんと言われようとも、自分の身の安全を第一に考えてください、社会復帰でブラックにいかざるを得ない場合は、3か月で逃げる算段を整えましょう。
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
荒木利彦
2020/05/27 11:53
これを受けてメンバーから箕輪編集室を退会する決意をしたというnoteが出されました。
お世話になっている集まりで問題が起こっているわけですから居ても立ってもいられず、僕が今考えていることを書いていきます。
Twitter上では何人かが言及しているものの、明確な意思表示が少ないなというのも書く理由の一つです。(きちんと意思表示してるよって人いたらごめんなさいね!)
5月で箕輪編集室に入って2年になりました。主にライターチームで活動していて、ここ1年でさまざまなプロジェクトに参加しました。
箕輪編集室での活動は楽しいのですが、今話題になっている箕輪さんのセクハラ問題について触れずにはいられませんよね。
箕輪さん主催のオンラインサロン箕輪編集室の退会を決意されたみずほさん。
noteのスキは2500を超え、ご本人のツイートも1000リツイートを超えていて、オンラインサロン界隈に一石を投じた投稿です。
今年4月に「みの校(学生限定)」に入会され、今回の箕輪さんのセクハラ騒動の顛末を見て退会を決意されました。
時の人となった箕輪さんに批判の声を上げるというのは相当に勇気がいることで賞賛に値します。
みずほさんのnoteを読んでいくつか思ったことがあるので書いていきます。
大前提として、箕輪さんが行った行為はセクシャルハラスメントです。セクハラあかん! これは共通認識でしょう。
みずほさんが指摘するように編集者とライターという間柄は性的同意のうち「対等性」が欠如していると言わざるを得ません。
人を性行為に誘うときは「対等性」「非強制性」「非継続性」に気を配りながら性的同意をとる必要があります。(分かりやすく知りたい方はこちらの動画をご覧ください。)
(みずほさんが紹介されていた動画がわかりやすかったです。こういった分類があることを知らなかったので勉強になりました。)
みずほさんのnoteには(見た限り)賛成の意見が多かったです。僕もそう思いましたし。でも賛成の部分だけでなく、それどうなの?という部分も散見されたので思ったところを書いていきます。
「箕輪厚介」像の違い
箕輪さんが編集する本や関わっているプロジェクトを興味深く楽しんでいました。
ただ入会当初から箕輪さんのことをクセの強い人だなとは感じていたのが正直なところ。
箕輪さんのA子さんに対する言動・行動は「ほんまクズやなぁ〜」という感想です。
女性に対して多かれ少なかれそういう話はあるんだろうなと思ってました。
事が起こった2016年12月以前から知り合いだったから親しくはあったんだろうけど、既婚者が仕事を口実に女性の家に上がり込むなんて実にけしからん。
それはあかんよ箕輪さん。幻冬舎に出入りする社外の方はもちろん箕輪編集室メンバーからの信頼も落ちちゃいますよ。
箕輪さんは以前から「編集者としていろんな著者に会ってきた。犯罪に近いことを行っていた者もいた。でも俺はそんなとんがった個性を持った人間が好きだ」と言っていました。
これを聞いて僕はそんな人もいるんだ程度にしか捉えていませんでしたが、今回の件を鑑みるに箕輪さん自身もこの"とんがったやつ"に含まれているんですよね。
箕輪さんがプロデュースする箕輪狂介も「社会が産んだエラー」と歌っていますし。「ただの自己弁護やん」と言ってしまったらそれまでだけど。
箕輪さんはここ数年の間に編集長を務めるNewsPicks Bookが100万部を突破したり、テレビ番組にコメンテーターとして出演したりと一気にメジャー感が出てきました。
しかし今回の一件でわかった通りメジャー感はただの一面であり箕輪さんの別の一面には聖人君子からはほど遠いクズい面があるのだということ。
みずほさんはメジャー箕輪に興味を持って入会した可能性が高いのかなと思います。2年間所属している僕からすると出るべくして出たスキャンダルです。
あとはそもそも論として2点。
おそらくこの辺を踏まえてみずほさんは書いてらっしゃって、めちゃくちゃ頭いいんだなと思いました。
もし頭に血が上った勢いのまま書いていたらこういうところで論理破綻して自爆しちゃうはず。
きちんと論理立てられてるのすごいです。
みずほさんはそれぞれの立場(箕輪さん本人、箕輪編集室、箕輪さんが嫌いな人、フェミニスト)の人に向けて文章を書いていて各方面に気を配っているように見えますが、箕輪編集室に向けた言葉については配慮不足が否めません。
まず一つ目。
箕輪編集室の中でも特に、みの校生は一番弱い立場にあります。どうか意欲ある学生を守っていただけませんでしょうか。
学生が一番弱い立場とおっしゃっていますが、そもそもオンラインサロンに入会するメンバーは同じ月額を支払っているし(みの校所属メンバーは違うけれど)、上下関係もなく基本的にみな対等です。
学生でもしっかりしている人もいれば社会人でも未熟な人もいます。
箕輪編集室で活動していると極端な未熟さを感じる人はいないですけどね。
みんな成熟してて年下の方でも僕より成熟してるなと感じることが多々あります。
オンラインサロンほど、中にいる人たちがフラットな関係を築ける場はないと思っています。
強者・弱者の関係を持ち込むのが一番むずかしい場とすら思いますね。オンラインサロンは家族や学校、会社と比べると損得勘定が希薄だからでしょう。
次に二つ目。
(箕輪編集室の)イベント中に「女子フェミニストとかいないよね?」という発言がよくあります。
これってどこのイベントなのでしょう? みの校のイベントですかね?
フェミニストという言葉はネットのごく一部の界隈でしか聞いたことがないので一体どこのイベントなのかと純粋に興味がありました。
フェミニストという言葉そのものが分断を呼んでしまうと思ってるのでなるべく使わない方がいいでしょう。
ジェンダー問題に携わっているとよく出てくる言葉なんですかね。
最後三つ目。
男性厳禁のイベントや女性限定のチームがピンクピンクしているのをみると、ジェンダー感覚遅れているなと残念に思います。正直、もっと先進的なオンラインサロンかと期待していました。
これはおそらく女性限定チーム(リリープリマチーム)とゴリプリ(リリープリマに対抗してできた男性だけの集まり。チームでさえない)の派生イベントだと思います。
「箕輪編集室という最先端の場所には、実はスーパーウーマンな女性たちがとても多いのです。まだまだ社会全体から見たら圧倒的少数派です。しかし、だからこそ箕輪編集室の女性は、それだけで充分ブランドになり得ると感じました。」
「自分で環境やコミュニティを選べなかったり、そもそも選び方を知らない女性も多い中、みの編を選んで入ってきている時点でとても感度が高い女性達であるということは間違いありません。
だからこそ、私はみの編の女性たちに強い可能性を感じるのです。」
こちらの日刊を読んでもらえばわかるとおり、「ピンクピンクしている」とおっしゃるリリープリマチームの発足は「女性が輝けるチームにしたい」という初代リーダー吉乃菜穂さんの熱い気持ちがきっかけです。
(吉乃さんは自身でオンラインサロン立ち上げまでされています)
リリープリマチームこそみずほさんが求めるチームではないですか? 見た目や雰囲気だけでジェンダー感覚を判断するのは節操ですよ。
一生懸命に女性を応援している吉乃さんや関係者に失礼だと思いませんか。
僕個人としては今回の騒動を受けても箕輪編集室をやめる気はありません。
ライターチームで活動している中でメンバーには仲良くしてもらっていますし、冒頭でも書いたようなやりがいある大型プロジェクトは今後も増えるでしょうしね。
最近ではエンジニアチームの公式サイトリニューアルプロジェクトにも参加しているのでまだまだ楽しんでいきます。
みずほさんは箕輪さんのセクハラ騒動を受けて箕輪編集室内でのそういった行為を改善するよう求めらっしゃっています。
これについては僕も大賛成です。もちろんハラスメントにも種類がありますよね。セクシャルハラスメントだけを防げばいいというわけではないです。
メンバー間でのハラスメントは現行犯でないと見つけにくいところはあります。
しかもコロナ禍によってオフラインでの会合はなかなか開けないでしょうからオンラインで気をつけていきます。
僕もサロン内での活動において無意識にハラスメントをやってしまっていることがあるかもしれないと注意しつつ、もしそういった行為を行うメンバーを見つけた際には指摘していきます。
最後に
みずほさんの発信を見ると関係者に気を使った発言もありましたが、男性⇄女性、強者⇄弱者という二元論にハマってしまっている気がします。フェミニストもそういう言葉でしょう。
二元論は分類する時には便利ですが、あらゆる物事はきれいに分けられるものではありません。二つのモノの間には判別できないほど広大なグレーゾーンがあるのです。
みずほさんは大学でジェンダー問題、性犯罪の問題について取り組んでらっしゃっていてすごく立派だと思います。
まして性暴力を振るった人間が作ったコミュニティにお金を払って所属するなんて論理的にも感情的にも我慢できないのは本当に良くわかります。
ただ、みずほさんにはリリープリマチームの活動をもっと知って欲しかったですし、ここ1週間で箕輪編集室のFacebookページに投稿された箕輪さんのメッセージを読んでもらいたかったです。
つい先ほど箕輪編集室の本体スレに箕輪さんからの釈明の投稿もありましたよ。もし読んでいればもう少し違った結果になっていたのではないかなと思います。
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。
もうすでにだいぶややこしいことになっているんだけど、たぶん今後はもっとややこしいことになりそうな気がするし、
もしそうならなくても、ややこしいことになるかもという不安を抱え続けるのも面倒なので、ぼちぼちの経緯を書いておこうと思う。
もちろん、この文章はフィクションだし、誰が書いたのかをこの掲示板や各種SNSで明かすことはない。
フィクションなので「これは○○サークルの件だ!」とか、「この人、よくしゃべっていた人だけどこんなことする人だったんだ・・・」等の感想は、ただの映画やドラマの登場人物に向けられるものと同じ。
結論から書くけど、自分が所属していた模型サークルは内部崩壊した。というより、自分ともう一人の、自分から見れば【問題児】だった人との衝突があり、
衝突がサークル内部だけではなく匿名掲示板にまで飛び火・・・というか自分が一方的に叩かれたんだけど、そんなことになったので、
自分がサークルを抜けて、後日聞いてみたらそのサークルは全員幽霊部員みたいな形、
つまり「数名の人間の名前があるだけのサークル」になり、活動らしい活動もしていないらしい。
もっとも、自分は【問題児】以外の全員と、今まで通り遊びに行っているのだけども。
そもそものサークルの発端は、自分が地元の模型イベントで一人のモデラーさんに声をかけ、
その子がすでに知り合いだったモデラーさんと飲み会をしている場に呼んでくれて、幸いなことに意気投合したところから始まる。
それからは何度か飲みにいったり、会場をレンタルする手順を調べて製作会をしたりして、まとめて連絡するためにライングループを作って予定を合わせるようになった。
何度目かの製作会の事後ツイートをしたときに、かの【問題児】から参加させてほしい旨の申し出があり、
自分ではなく別の子がたまたま模型屋さんでその【問題児】と話してみて、
問題がなさそうだったからライングループに入れることとなった。
実際、最初のほうは自分も特段、ややこしい性格をした相手だと思わなかった。
ただ、自分を含めた初期の4名は、
どちらかというと保守的・・・というよりシンプルに「模型を集団で作ったり飲んだりし、
それを見せびらかしてマウントをとることができる」という発想がなくて、
なかったんだけど、【問題児】は違った。どうにも、サークルを大きくしたい・・・これは自分の想像でしかないんだけど、
実際、自分以外のモデラーさんは所謂フォロワー数が大きい有名モデラーさんだったし、
そういうモデラーさんと同じサークルにいる、もしくは同じサークルの代表である、と他人に言うのは愉しいことなのかもしれないと思う。
それで、結局人がちょいちょい増えたし、【問題児】が誘ってきた人には全然問題がなかった・・・というのは、サークルが無くなった今でも普通に飲んだり遊んだりしている現状から想像できると思う。
ある程度人が増えてから、初期メンバーの子が、自分たちでイベントをしたいと、個人的に相談をくれたことがあった。
自分は単純におもしろそうだと思ったし、なにより応援してあげたかったから、その新イベントの運営メンバーになった。
それから、【問題児】も運営メンバーになり、3人体制で新イベントを進めることとなった。
新イベントというのは、今までのような身内で遊ぶ会ではなく、積極的にいろんな人が来られるような、お祭りのような交流会をしたい・・・そんな思いから始まったものだと自分は理解していた。
なので、言い出しっぺの子と目的がそぐわないようによく意見を聞いた。
また、今までと違いどのような人が来るかわからないから、かなり慎重な姿勢で内容を詰めることを心掛けていた。
さて、ここで【問題児】がいよいよ本格的な問題児ぶりを発揮し始める。
独断専行、というか「もう相手方にOKを出しちゃったから何が何でもOKにしろ」という背景があったのではないかと推測していたんだけども、
とにかく勝手に物事を決めてしまうようになった。決めたうえに、他のメンバーには事後承諾で承諾せざるを得ない内容で進めてしまうことが増えた。
そのような傾向が見て取れたので、自分はその事後承諾で進めようとしているネタに対し、かなりシビアな目で反対するようにした。
残念なことに、その【問題児】が最年長で、自分がその次に年上、言い出しっぺの子は一番若かったからだ。
周囲から見たら、大人二人がぎゃあぎゃあ喧嘩をしているように見えたかもしれない。というか、むしろそう見えていたらまだありがたくて、
【問題児】の問題児たる所以は「嫌いな人のことを他人にいいように触れ回る」点だったので、
もしくはサークルのときにも疑わしかった「サークルの代表になりたい」という目的のために
イベントを私的に利用しようとしているようだった。だから、何度かミーティングで釘を刺したし、
でも、何の効果もなかった。
そこから先は面白いように崩れていくんだけど、とにかく目的が一人だけ全然違うことが目に見えて分かる動きばかりしていたし、
もう無理だな・・・と思ったのは、メンバーの中で【問題児】以外が明確な文面で反対していた企画を無理やり押し通したときだった。
で、地元を盛り上げるためのイベントだったはずなのに地元以外の人間をとにかくチヤホヤするし、運営の仕事もろくにせず、ただ声を大きくして宣伝するだけで、
外から見たらまごうことなき中心人物だった【問題児】は、自分からすればただアピールをしたいだけの厄介な人間だった、ってわけ。
たぶん地元ではない参加者、つまり【問題児】がチヤホヤしたかった人間には問題児によるフィルターを通した情報がいっているような気がするし、
それはイベントのときの態度の差を見れば勘づくくらいのものだった。
詳細を書いていくときりがないし、もう本当に面倒くさいのでそろそろおしまいにするけど、自分が言いたいのは
・サークルや製作会活動も後から入ってきた二番煎じであり、さも自分が中心人物であるかのように振舞うのは情けないから止めたほうがいい
・イベントは【問題児】のものでもなければ、自分のものでもないし、強いて言うなら言い出しっぺの子のものだし、
たぶんその子はそんなことを望んでないから「みんなのもの」とするのが正解だと思われる。
そして、その子がやりたかったことに無理やり乗っかってイベントそのものを乗っ取ろうとするのは、年上の人間として本当に恥ずかしいことだと自覚したほうがいい
この2点。なんか長文になっちゃったけどね。
模型の将来が・・・とか、学生の子が模型を買うチャンスを奪ってはいけない・・・とかの大義名分をかざすのであれば、
まずは身近な部分、大事にしなきゃいけない集団を見誤ってはいけないし、自分の行動・言動もそれから外れるのは何のお手本にもならないよ、ってこと。
年を重ねてからの趣味の友人って本当にありがたい存在だし、同じものが好きなのってすごく稀有なことだと年々実感するし、
でも、別に友人だから同じものを嫌いになって一緒に叩く必要なんてないと思うし、叩く対象が増えれば増えるほど自分の首は締まっていく一方だし。
後半は主題から逸れちゃったけど、最近すごく実感したことだから自覚して行動を顧みたほうがいいと思う・・・と、年下が生意気にも説教じみたことを書くよ、ってだけの話。
できればこのままインターネットに埋もれた文章のままであってほしいし、何かの手違いで文章が浮かび上がってきて、天文学的な確率で本人に届いたとて、
たぶん自分の言いたいことは全然伝わらないだろうし、曲解したままあちらの身内に広めていくんだろうな、なんて諦めながら、このフィクションの話はおしまい。