はてなキーワード: へったくれとは
京都で観光と関係ない生活を営む者ですが、オーバーツーリズムにずっと疲弊してました。バスや電車などの公共交通は四季問わず著しい混雑、タクシーで溢れ返る道、筍のように増える民泊、博物館や美術館は常にいっぱい、祭の風情もへったくれもない、イヤでイヤで仕方なかった。
それが地域産業で税収を生むというかもしれませんが、観光がうんだ税収は観光に再投資されてただけじゃないですか? 中学校の完全給食、図書館などの公共施設、郊外行きバス路線はいつもほったらかし。雇用だって、バイトや非正規、あるいは外国人留学生を使い倒してるだけで、さて、歓迎できる雇用はどれほどありましたかね?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200623/k10012480321000.html
スウェーデンでも元々、日本で言う強制性交罪に「暴行脅迫要件」はあった。これがだいたい2017年位まで。
国民的議論の上で、明確な自発的YESがない限りそれ以外のセックスは全てレイプとする、ということになったのである。
そして、他にも監護権のある立場からのセックスは同意があろうともレイプとすると見なし、また同意が必要な場合にもその確認を怠ってはならない、としたのである。
まず、これらのことを知らず、上の記事のブコメで違和感を表明したり同意書云々の話をする人が多いのにちょっとだけがっかりする。
スウェーデンだって実際にレイプを裁くには、色々と証拠固めを普通にするのである。
例えば酔っ払って連れ込んでいたと認められるのであれば、明確な同意を示せる状況ではなかった、などである。
揉めたら揉めたで、法廷で審判する以外にはない。そこは今までと変わらない。
そうではなくてぇ、レイプをどうにかして減らすことに意味がある。
暴行脅迫という極めて曖昧な条件では、認定は難しいケースが多いのだ。
スウェーデンだって、被害を申告しなかったりするケースが多いし、まともに調べてもらえないケースも結構多かったのだ。
スウェーデンはさらに一歩進んでYESと言えなければ全てNOである。
暴行脅迫或いは抗拒不能が認められないと無罪だなんて、馬鹿な判決を許してはならない。
確実にそうなると思うので、女性はしっかりNO或いはセックスしたい時にはっきりYESと言う、男性はムードへったくれと言わない、あくまでもそれはそれとしてYES・NOを明確に確認する、と言う意識を持たないといけない時代が来るので心しなければなるまい。
普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。”
作ったのは監理団体だろうね。
半端な知識で半端なこと書かないでほしい。
経験者を集めないといけないし組合に出資してくれる法人を集めないといけないし行政書士に頼むと手数料50~100万かかるし法人設立から認可まで1年ぐらいかかるし。
それなりにパワーがいる。
免許を発行されている監理団体の売買は一時期活発だったけどその時の金額は安くて300万円ぐらいだったはず。
それぐらいの価格で売買される程度には手間がかかる。
でもまぁエネルギーと根気ある人ならできるっちゃできる。
そういう意味では元気なふつうのおばさんが会社を立ち上げることもあるかもしれんけど、ふつうのおばさんが会社を立ち上げたらあかんの?
そんで今は監理団体もレッドオーシャンだから維持していくのも結構大変だよ?
”その管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ”
フィリピンにせよベトナムにせよミャンマーにせよ海外出稼ぎで外貨獲得という政策を掲げているから、国と銀行と場合によっては実習生の親も一丸となって実習生に借金を抱えさせてる。
実習生の借金問題に言及するならもっと調べて相手国に文句を言おう?
だったらさっさと自分の理念そのものの会社を作ってかわいそうな従業員たちを好待遇で引き抜いてあげなよ。
理想の賃金を支払うためにどうやって単価の高い売上作るつもり?
無理だよ。
日本人のOSに「安くていいものに価値がある」って組み込まれてるから。
それでもね、理想と現実のはざまで清濁併せ吞んで現実を前に進める人がいるから、300万貯めて笑顔で帰国してマンション買って悠々自適な実習生もたくさんいるわけでね。
昨今、どうにもフェミニストとやらが「女性の性的搾取ガー!」とか「クソオス死すべし慈悲はない」とか騒いでおられるが、
ふと疑問に思ったのだ。本当に女性だけが「被害」にあっていたのか?
例えば、献血ルームとコラボした「宇崎ちゃん」その巨乳っぷりが「奇形」「奇乳」だとして糾弾されていたが、では男性は?
女性に乳房あれば、男性に陰茎あり。陰茎を題材にした漫画がこれまで全く無かった訳ではないだろう。
それに我々は「宇崎ちゃん」よりもずっと前から、男性の象徴たる「もっこり」をギャグ(もっと言えば、"お決まりの流れ"の起点)として見ているはずだ。
そう、つい昨年に新作映画が公開された「シティーハンター」の主人公、冴羽獠だ。
黙っていればクールな裏世界No.1の"掃除屋"にして、比類なきスケベ男。依頼人の女性に手を出そうとしては相棒の槇村香に天誅を食らっている……
その"天誅"の起点にあるのは、彼の人間離れした性欲から来る「もっこり」であったはずだ。
また、インターネット上では「ガチムチパンツレスリング」や「やらないか」「真夏の夜の淫夢」といった、
(雑に言ってしまえば)男性の性欲がネタとして笑いのタネとなっていたはずだ。それも、誰からも糾弾されることなく。
かたやオッパイ。かたやチンポ。揉んだり揉まれたり、時には盛り上がったり潰れたりと、性の対象をギャグ化しているのは、30年も前から変わらないのではないか?
(なお、「宇崎ちゃん」自体は彼女の胸をギャグ扱いした漫画ではなく、主人公と宇崎の日常がメインとなっている漫画であるということを、念のため追記しておく。)
例えばグラビアやレースクイーン、成人向け雑誌といった具合に、自らの肢体を見せつける仕事。
グラビアについては撮影対象が男性でも女性向け雑誌においては女性を撮影したそれと変わらない(むしろ、もう少し生々しく過激なのでは?と感じさせるような)ものが掲載され、
しかもそれらは、なにもコンビニの限られた狭いスペースなんかではなく、むしろもっと堂々と棚に(文字通り)陳列されているではないか。
レースクイーンのような、男性の肉体を使った仕事は、探せばそれこそ男性風俗店やゴーゴーボーイといったものもあるが、
我々はレース会場でもナイトクラブでもない、むしろもっと公共の電波で男性の肉体を見て、それも笑っていたはずだ。
小島よしお、とにかく明るい安村、アキラ100%。いわゆる「裸芸人」だ。お笑いにおいてこれほど「裸」が笑われるのも男性くらいなものだろう。
もちろん彼らはその芸を仕事にすることを選んでいるし、我々もその芸を見て笑っているのは、「それ」が彼らの仕事であると理解しているからだろうが、
これがもし「男性にしかできない仕事」としてピックアップされたらどうなるだろうか。
かたや華やかな衣装を着て商品のPRやイベントの応援役。かたや己が身(と競パン)ひとつで笑いを取る者。その役割は、果たして替えが効く(効いた)のだろうか?
成人向け雑誌の件については先の男性グラビアと似た話になるし、最初の漫画の話とも被る話になるが……
昨今世間を賑わせている、男たちが激しく乱れ、愛し愛される漫画……いわゆる、ボーイズラブ漫画についてだが相当するだろうか。
まずタイトルだ。そもそもでタイトルの時点で「セックス」という単語が伏字無しで堂々と並ぶのはこのジャンルくらいだろう。もしこれが女性を主人公にした漫画であれば間違いなくカーテンの向こう側においてあるに違いない。
しかしこのジャンルの漫画は、カーテンの向こうには置かれていない。少女漫画などが並ぶ棚の近くのワンスペース、ならまだしも、書架をまるまる1連以上を占拠している店舗もある。
もちろん購入の際に年齢確認なども要らない。バレなければ小学生でも買えると言ってもいい。
そして肝心の中身だが、これまた過激な濡れ場が登場する。表紙と数枚の目次、扉をめくったらすぐに濡れ場を見た、という読者もいるかもしれない。
構図などで上手く隠されているとは言え、ヤっていることは紛れもない性行為である。それはカーテンの向こうの本と変わらないはずだ。
たま~~~~~~に見る反論に「ボーイズラブ漫画には愛がある!ただのエロ漫画には無い!」というものがあるが、
それならば愛もへったくれも無い時期、漫画にすれば第1話の時点で主人公がレイプされる部類のボーイズラブ漫画はどうするのだろうか。
ひとくちにボーイズラブ漫画と言っても、濡れ場の無い、いわゆる純愛を描いた作品が多いのも事実ではあるが、
そうした作品の横にはカーテンの向こう側と大差無いような過激な作品も存在しているのも事実だ。
これが男性を「性的に搾取」していないとするならば何なのか、誰か教えてはくれないか?
それが必要不可欠な表現だとして擁護されるのであれば、カーテンの向こう側の漫画だって必要不可欠な表現で描かれたものでは無いのか?
よくフェミニストの言う「性的搾取」の論の中で聞こえてくるのが、「露出の多い服を着ていると男性に性的な目線で見られる」とあるが、
では男性が露出の多い服(おおかた、タンクトップにハーフパンツ、スニーカーかサンダルといったところだろうか?)を着て歩いていたらどうだろうか。
そしてその袖から、筋骨隆々の肢体が惜しげもなく陽に当たっていて、少し日に焼けて汗ばんだ肌がまるでキラキラと輝いて見え―――
といった具合の光景がもし広がっていたとして、果たして世の女性はその男性に「性的魅力」を全く、それはもう全く、全くもって魅力の無い存在だと切って捨てることが出来るのか?
あるいは電車の中、それも日光の届かない地下鉄の車内で、シンプルな半袖ジャケットとケミカルウォッシュのジーンズにクラッチバッグ、少し高価そうなネックレスを身に着けている笑顔と白い歯の眩しい青年を見て、
少しも、ほんの僅かにも、目もくれず歯牙にもかけずスマホに夢中になってしまうのか?俺だったらスマホ見ながらどっちもガン見するけど
だが、もしも、もしも、だ。彼女たちが「着ている服のせいで」性的な視線を浴びるのであれば。
「何を着ていても」性的な視線を「女性だから」という理由で浴びせられるのであれば、
もっと言えば、「性的な視線」を「女性だから」という理由だけで「耐えられないほど」「浴び続けている」と彼女たちが主張するならば、
それはもう家から外に出て社会生活などしている場合では無いのでは?
というよりも、そもそも「着たい服を着たい!」と言っておきながら露出の多い服を着て「見るな!」というのはあまりにも矛盾しているし、
そもそもで見られていることに勘づいている時点で相当な自意識過剰では?
と、一介の男は思うのだ。
残念なことに、俺は男だ。クソオスだ。
だが、俺は俺のことを性的に見ている男がいることを知っているし、
俺が変なフェチを拗らせただけなんだけど。
とまあそんなわけで(どんなわけだよ)、性的な目線で見られること自体については、一般的な男性よりは理解があると自負はしている。
もっとも、日常的に性的な視線を浴びているわけでは無いから、自分が理解しているのは彼女たちの苦痛のうち、ほんの氷山の一角なのだろうけど。
だんだん纏まらなくなってきたな。はやく筆を折って神棚に置きたい気持ちでいっぱいなので〆に入る。
要は、女性だけが性的な風体の中生きているわけでは無いだろう?ということだ。
女性だって、男性を性的に見ることがあるはずだし、あなたの母親だってあなたの父親に性的魅力を感じたからセックスをしたんだろう。
そのあたりの家庭事情は分かりませんけど。
片一方だけをあげつらい、自分たちが正義であるとセッ、錯覚している様子は、
傍から見ていると隣国が繰り返す軍事行為のようで、それは幼稚園児どうしの喧嘩と何ら変わらないように思えるのだ。
「あの子が先にぶったから!」「違うもんこの子が私のこといじめたもん!」
そんな喧嘩を三十路もとっくに過ぎたミソジニー拗らせた大人がしているって、恥ずかしくないんだろうか。
クソオスの俺には何一つ分からないのだ。
だって俺は性的な目で見られたって別に構わないし、性的なコンテンツだってちゃんと弁えたうえで付き合ってるし。
だからフェミニストという名の幼稚園児たちよ、一体何が気に入らないのか、もう少し落ち着いて話してくれないか。
頼むよ。なあ。
割と好き放題、頭に浮かんだことを☆PON☆っと出しただけの増田なので、
数年前から福祉に関心があって、ソーシャルワーカーの資格を取った。
地元で障害福祉サービス事業所を作りたいと思っていたが、総量規制という問題があり、新規で事業所を作るのに人口に対しての適正な事業所数というものがあり、自宅のある地域では設立するのが難しかった。
そこで2016年、会う人会う人にこんな事業をやりたいんだよねって話をしていたら、近隣地区の福祉施設経営者のご子息を紹介された。
その人と話をして、ふわっとした話をする人だなという認識ぐらいしかなかったけど、渡りに船とばかりに一緒に事業所を作りましょうという話になった。
それから週2~3日ぐらいその会社に行って、事業所設立のスタッフとして、設立準備を始めることになった。
地域の困り事を誰かと誰かがつながることで解決できることがある。
コミュニティデザインの手法やソーシャルデザインなどこれまでNPOで培ってきた経験が生かせると感じていた。
ただ少しずつ違和感を感じていたのも否めない。
管理職と話せば話すほど、実社会と会社との断絶を感じてしまった。
最初違和感なく働いていたけれども、最初に起きた出来事は外国人技能実習生の問題だった。
自社で技能実習生を雇用するという話になり、現地説明会があるのでPVを作ろうという話になった。
ムービーは別のスタッフが撮ったが、当職が編集し、英字字幕をつけることになった。
出来上がった会社案内はイメージビデオとしてはかなり良い線を行っていると感じた。
だが程なくしてフィリピンでの説明会のようすを聞いて愕然とした。
複数社で合同会社説明会を開き、当職の編集したPVでは会場から拍手が沸き起こったらしい。
そこまではよかった。
なんとじゃんけんで決まるという。
そして各雇用者側が順番に選んでいくと聞いて悲しくなってしまった。
更に極めつけは採用するときにどこに注目したのか当職の上司に尋ねると、子どもがいて仕送りが必要でばっくれない人という視点で選んだと言い放った。
そもそもなんで外国人実習生を雇うのか尋ねると、借金背負って来日するので、日本人を採用するより離職率が低そうだからと言う。
現に当職の会社にいた普通のおばさんが日本語学校とこねがあるという理由で、東北か北陸の日本語学校で研修しているカンボジア人を大量に旅館やホテルに就職させる人材派遣会社を立ち上げた。
フィリピンからの送り出し機関管理会社も当職の会社を退職した普通の人が立ち上げていた。
そしてその管理会社が斡旋する際に借金という手枷足枷をはめるわけだ。
そして雇用される側の実習生は技能実習という名の下に人員配置基準を満たすための駒として、シフトに組まれてしまう。
現場の日本人スタッフもどのようにして介護現場での微妙なニュアンスを実習生に伝えるかを悩まれていた。
もちろん法人内で英語ができるスタッフは1割もいない。タガログ語に至ってはなおさらだ。
この技能実習生は日本の介護技術を学んで本国で実践するという名目で、日本人と同じ雇用形態で仕送りたくさんできていいじゃないかという人がいるが、現実はそうではない。
どこに住まわせたとしても、実習生らは住居費として家賃や光熱費等を控除される。
そして管理会社の管理費という名のピンハネや渡航費用の借金も引かれる。
それで残ったお金を本国で待つ子どもやその子どもを子守している両親宛に送金するのだ。
そして彼ら実習生が雇用されるということは日本人を高い給与で雇わなくてもよいので、今働いている人たちの給料も上がらない。
理念で洗脳されて働く現場スタッフと一部のボランティアや近所の善良な人たち頼みの地域包括ケアシステムの限界がすぐに予想できた。
福祉業界にいて困っている人ために働こうと思っていた矢先に、理念もへったくれもない企業に関わったのが私の運の尽きだったのかもしれない。
私も人を見る目がなかったんだろうな。
また書くと思う。
昨日の夜中に書いてこんなにブクマしていただけるとは思わなかったので、びっくりしています。コメントありがとうございます。
また自分自身が遭遇した問題を相談させてください。度重なる退職勧告を受けています。
当職も障がい者の日中支援をしていて、知的の方でお尻が拭けない方の排せつ介助をしていて、今まで教えてもらえなくて辛かったろうねと思いながら、どうやったら自分でできることが増やせるか常に考えています。
実習生無しに高齢者の下の世話を誰がするのかというブコメがありましたが、お年寄りが好きで働いている方も大勢いらっしゃいます。
給料が上がれば良いのです。
仰るとおり以前はシングルマザーに研修受けさせて、介護現場に放り込むというのが定番でした。
それでも低賃金重労働で人が離職するので、外国人をとなったわけですね。
農業の世界では農福連携というお題目の下に、障がい者の農業分野での参入が推奨されていますが、厚労省と農水省の足並みが揃わず、残念な制度になりそうな予感です。
とりくみとしては農福連携はとても面白くて、障害の種類によっては回復につながる制度だと思っています。
それを私はやりたかった。
知的の方で性教育を受けていない方はマスターベーションも自己流で、性器を傷つけるやり方で行っているし、支援していて辛いです。
でも福祉の世界では障がい者の性欲についての支援のノウハウは定まっていないし。会社はうちの業務じゃないからって問題と向き合おうとしません。
ここまで伸びるとは思わなかったので、関心の高さに少々驚いています。
コメント一つ一つに返信したいところですが、ネガティブなのを読むと今は辛いのでいくつかだけレスします。
高校生が福祉コースを選ばなくなったのは熊本地震以前から既にそうでした。地元の高校で唯一福祉科のあるところで5年前は2桁はいたんですけど、今は1クラスで1桁になってしまい、消滅の危機が訪れています。
地元の介護の求人はものすごく給与が安く、NPOが運営する障がい者施設などでは額面で13万スタートとか。
だから高校で福祉科しかなくて入学した子は卒業後にすぐ就職するのではなく、専門学校に進んでPT(理学療法士)など少しでも条件のよい仕事に就こうとしています。
もしくは働きながら看護師の資格が取れる夜間の学校とのダブルワークとか。
更にハロワに求人出すのに賞与なども記載しないと応募がありませんが、うちの会社は処遇改善加算という加算が付くのですが、その分だけを賞与で渡すので、求人票との相違があります。
初めてもらったときは0が1桁足りないんじゃないかって聞き返してしましました。
当職と書いたのはソーシャルワーカーは一応社会福祉士という国家資格なので、士業だから書いただけです。
弁護士・司法書士の先生しか使っちゃダメというのがあれば、ごめんなさい。不勉強でした。
この技能実習生は3年ぐらい前から準備されていたけど、2国間協定が結ばれなかったので延び延びになって、今年の来日になりました。
またなぜフィリピン人なのかは私も聞き漏らしましたが、語学ができる若い優秀な人材はもっと条件のよい欧米諸国に行くそうです。
そして日本だと監理団体経由で来日する必要があり、かなりの渡航費用がかかるので、飛行機を使う必要のない中国へ出稼ぎに行くのが主流になっており、それができない層が今回のように来日しているとのことでした。
ちなみに農業の方では、私の地方はベトナム・カンボジアの方が増えて、中国・フィリピンの方は見かけなくなりました。
直接上司から聞いた言葉は明言できますが、来日した当事者からはまだ話を聞いていませんので、推測の域を出ていないか所があるかもしれません。
でもそんなに推測で書いている場所はないです。というか私の書き方が自分の意見を言うときに「~と思います」と書くくせがあるようです。
まだ入職してきたフィリピン人の方々とお話しできていませんが、退職前に機会を作って地元にあるフィリピン人支援機関の連絡先だけは伝えようと思っています。
あと私がこの業界を選ぶのが頭悪いと仰る方の意見はごもっともです。
お金だけで考えれば、もっと効率のよい稼ぎ方がありますからね。
ただ、私も40歳前後になってからアスペルガーの診断が付いた当事者なので、仕事があまり選べる環境にはありません。
今までの経験を活かしつつ。「当事者の視点でなんとかこの業界を地方から変えていきたい」と思ってスタートしました。
あまり自分自身のことを書くと私がどのブクマカか身バレしそうなので、ご容赦ください。
また事業立ち上げ時に当事者が主体となって新規事業を興そうとしているというのは聞こえが良いので、良い宣伝マンだったのでしょうね。
そして私自身が多くの支援者に支えられて生きていますので、その人脈も会社は欲しかったのだと思います。
いろんな方に支えられて引きこもりからここまでやってこられたので、他の誰かの役に立てればと思っていたのですが、自分の限界を知る良い機会でした。
もうそろそろ普通の仕事が良いかなって思い始めていますが、たくさんのコメントに励まされています。
ただ経営者が介護事業を「給付金ビジネス」と呼んでいる時点で終わってますよね。
このまま離職しても会社は何も変わらないし、今働いている人も不幸になるので、いわれのない退職勧告に負けず、会社からの謝罪を得ようと思っています。
現在、新型コロナウィルス禍により新型インフルエンザ特措法に基づいて「緊急事態宣言」が発令され、国民の様々な社会生活領域で自粛要請がされている。
ただこれが「要請」に過ぎないため、憲法を改正して「緊急事態条項」を盛り込み、国民の行動をより強く制限できるようにしようという話も出てきている。まあ安倍さんにとっては「憲法改正」という実績こそが悲願なわけだが、彼個人の夢はひとまず棚の上に放っておいて、ここはまず現在の日本国憲法下で何ができるかについて、一国民として考えてみたい。もちろん憲法学者や人権活動家の皆さんは散々考えてんだろうけど、はてなのブクマカー陣も結構ふわっとした認識で言い合ってるし、素人なりの問題提起として。
「第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
まずここで、国民の自由と権利は「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」ということで、すでに一定の制限を求められている。個人としての権利は、「公共の福祉に反しない限り」最大の尊重を必要とされているわけで、つまり日本国憲法は最初から野放しの自由と権利を認めてはいない。
一方で第十一条では、「国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とされ、第十章「最高法規」第九十七条でもそれが繰り返されている。
では、最高法規として侵すことができない自由及び権利に一定の制限をかける「公共の福祉」とは一体何だということになるが、憲法自体はそれを明記してない。となると解釈の問題になる。
で、まず侵してはならない個人の自由と権利を野放しにした場合、必ず個人間の利害対立が生まれ、結果として負けた方の自由と権利が侵害されることになる。場合によっては生命も脅かされる。生命まで奪われては、第十三条が保障する個人の自由も幸福追求の権利もへったくれもないわけで、つまり「公共の福祉」とは、すべての国民が「生命、自由及び幸福追求」の権利を有する状態を維持することと考えられる。そのへんのバランスのラインが、第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ってとこであり、その第二項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という、国家(行政・立法・司法)の義務に結びつくのだと思う。
そこで現在の新型コロナだ。今、すべての国民が普段と同じレベルの自由な生活行動をすれば、ウイルスが次々に感染し、多くの人が生命の危機に脅かされる。高齢者ほど死亡率が高いとはいえ、若い人も死ぬ可能性はあり、何よりワクチンや治療薬がないため、個別対処で抑えることができない。そのために国には今、国民全体の行動を制限する方法でウイルスの感染拡大を抑えようと、国民に自粛を「要請」している。だが、「要請」だけでは不十分なのでより強い強制力がほしいわけだが、第二十五条を「公共の福祉」の防衛ラインとするなら、とにかく見殺しにしてはいけないわけで、ならば第十三条の「公共の福祉に反しない限り」を発動して、より強い制限を国民に課せるのではないだろうか。
なので日本国憲法下でも、インフルエンザ特措法に、第十二条、第十三条の「公共の福祉」に基づいて、個人の自由と権利の制限を認める条文を追加することは可能なんじゃないかと思う。当然行政が行った実際の制限措置が、「公共の福祉」の範囲を逸脱していないか国会や司法で追って審議される必要はあり、個人的には伝家の宝刀を抜いた政府は半年以内に必ず総辞職して信任を問うとかしてもいいと思う。また、経済的に死に脅かされる状態になっても「公共の福祉」に反する憲法違反となるため、補償と一体であることは言うまでもない。
↑にくっついてるトラバが痛い所突かれた感
同じ奴が書いてるんだろうな
自分たちはあくまで可哀想ないじめられっ子、って立ち位置を崩したくないんだろうな
女だけじゃない、ありとあらゆる「自分より弱い者」を叩いていじめるのが2chまでのネットの雰囲気だった
諫める者がいたら今度はそいつを袋叩き
んで「俺たちはいじめられっ子でこいつらが俺達をいじめてきたんだから何をやってもいいんだ」って言い訳
ネットの強者は「ネットに毎日一日中かじりついて倫理観もへったくれもなく只管他人攻撃を繰り返す者」ではなく「人気=フォロワーを集めた者」となったから
匿名で弱者を攻撃しまくるだけの人は「強者」ではなくなった、ってだけ
増田は「ネットに毎日一日中かじりついて倫理観もへったくれもなく只管他人攻撃を繰り返す者」が目立つシステムだが
あまりにひどいのは恐らく削除されたりBANされてるんだろうし
はてな全体ではそんなアホはやはり影響力ないし
自分はアラサー女で、凄まじい孤独感に襲われて四六時中陰鬱としているため、叶うなら彼氏や彼女が欲しいんだけど、自分に他人との共同体を育む才能がないためにそれも叶わず、やるせなさに落ち込んでいる。
そもそも人間性における自己評価がばちくそに低い。自分は決して思いやりに溢れた人間じゃないし、ルックスも優れていないし、気分屋だし。あと、1人の時間が一定時間ないと気が狂う。
そういえば協調性がないこともあって、小さい頃から空気が読めず親から虐待されて育ってきた。
毎日傷だらけだったが親なりのしつけだと思い特に反抗もしなかったが、出来損ないの自分に嫌気がさし、就職して家を出れることが確定するまで、多くの年数を自殺願望と共に過ごした(意気地なしなのでそれも遂行できなかったが)。
人をすきになっても、交際したり、結婚したり、そういうことをするのがすごく怖い。自分の気持ちを押し付けるようなことができない。毎回ただすきになるだけで終わる。その人のことがすきだからこそ、このままでいたい。別に自分と一緒にならなくても、その人が幸せになってくれるならどんな形であっても構わない。関係性が壊れるくらいなら、自分の思いなど叶わなくて良いと、そう思っている。
先日学生時代の友人の結婚式に呼ばれてスピーチをしたんだけど、学生時代の「好きな人」だった彼女が幸せそうに笑うのを見てとても嬉しかったし、これまでの判断の積み重ねがあって今があると思う。
自分の幸せに価値がないと思う。自分の独りよがりな幸せに付き合わされる人間がかわいそうだから、そんな人は作ってはいけないのだ。
友人が次々と結婚し、独り者がいなくなっていく中で、皆が私のことを仕事に生きるひとだと思って誰も何にも思いやしていないけれど。みんなには一番大切な誰かがいるのに私にはそういう人間が今後も現れないような気がとてもするので、ちょっとつらくなってきた。
みんなこれから子供を産んで、家族が増えて、ひとり圧倒的な自由度を誇る自分は、あらゆる感覚がズレていくだろう。
んが亡くなったりして、世の中に辛いニュースが溢れてしんどいねって。その気持ちを先述の友人に吐露したら
半年前に生まれたお姉さんの息子さん(つまり彼女から見て甥っ子)の成長に関する報告があって、彼女自身はそれでかなりハッピーな気持ちになったんだろうし、励ましてくれようと思ったんだろうけれど、私は「他人の赤子の成長」にしか感じられず、逆にそういった幸福感とは真逆の毎日を送っているので若干苛立ちさえ感じてしまった。
「最強の人」に近づいてるみたいで。
令和にもなって結婚して家庭を持つことが幸せの最適解だとは流石に思ってないけど(そもそも自分は同性婚ができない時点で選択肢が半分なんだけど)自他共に認める、世界で一番愛していい人がいて、その相手から愛されている肯定感は、私を救ってくれる甘い蜜みたいにみえることがある。
今流行りのzoom飲み会とかでも、相手先が夫婦でちょっとイチャイチャしてたりすると、昔はこういうのいいなって穏やかに見てたけど、最近は謎にモヤるし、私はやがて幸せな人間を見ると許せなくなっていく美少女変身アニメの敵みたいになるのかなと思いゾッとする。
自分が変われば、とか色々あると思うけど、昔自室で飼っていたペットも世話の不足で殺してしまったことがあるし、他人と一緒に暮らすことができるっていうのは
ある種才能だと思うんですよね。
SNSなんかで無課金者にも人権はある、みたいな事を言っている奴がいるんだが無料で遊べる範囲で無課金なら構わんけど、事あるごとに運営にガチャ石よこせと言っている乞食行為はダメだろう。
無課金で遊べるだけであってメンテが発生して文句を言えるのは課金者のみの特権だ、決して無課金者の特権じゃない。金を払っているからこそ運営にあれこれ言えるわけなのに、昨今の無課金提唱者というのは自分の立ち位置が理解できていない。
そもそも無課金者に対して運営は何の得もない。登録者数で貢献しているなんて無課金者がドヤ顔で言いそうだが、お前がいなくても登録者は増える。
最近では無課金の枠が幅広くなって、他人のIDとPASSで動画を見るから情報をよこせと言うような乞食も出てきたが、アイツらはものを作って売るという苦労を知らないクズなのだろうなと。
ちょっと咳っぽい。2日くらい前から、鎖骨の下あたりがもやもやと炎症を起こしているような感じだ。耳の下のリンパ腺を押してやるとちょっと痛い。食欲も少しだけ落ちたような気がする。ただ、熱はない。
半年前の世界なら、まあ単なる「風邪」ですね。これぐらいの症状じゃ休む理由にもならない。ところが、いまのこの世の中では、背筋にひやりとしたものが走る。いまいちばんヤバいアイツに罹るということがもたらすのは、肉体的なダメージ、それもさることながら社会的なダメージもかなり大きいからだ。
今朝、アパート(半分シェアハウスみたいな)のグループメッセージに、近所の交番でコロナ感染者が出た、と来た。消毒をしていると。怖いですねー、こんな近くまでもう来てるんですね、と別なメンバー。怖い、確かに怖いのだが、自分を感染したひとのその身に置き換えると、さらに怖い。プライバシーもへったくれもない。これがパンデミック下の世界なのか。
(まるで某ロードの歌詞のようだが)ちょうど3年前のいま頃、当時暮らしていた広島から、横浜に引っ越すにあたって準備を進めていた。そのまっただ中に風邪を引いてしまった。発熱、止まらない咳、食欲減退(食欲魔神のわたしとしては、これがいちばん辛かった)。
普段は近くのドラッグストアで風邪薬を買ってきて、安静にしとくくらいのことで終わりにしてしまうけど、なにしろ日程は決まっていて、悠長なことも言ってられない。やむなし、内科に行った。およそ3年ぶりくらいの来院だった。
センセが言うには、インフルエンザも陰性、単なる風邪、お薬出すから安静にしときなさい。まあ、安静になんてできないけど。何しろ旅立ちはもう4日後に迫っていた。いわゆる汚部屋状態のリカバーだったから、とにかくやることが多いのだ。
盛大に咳き込みながら引越し作業を進めた。その一方で、親しくしてくれた友人たちと飲みにも言った。美味しそうなものが並んでいるのに、食欲が全くわかず、酒ばっかり飲んでいた。締めにラーメン屋へ半ば強引に連れてかれたけれど、ひと口ふた口すすったくらいで吐きそうになってしまい、しょうがなし、残りを食べてもらった(これもいまの世の中ではNGですね)。いつもなら白飯追加で注文していただろうに。食べられないということがこれほどまでに辛いと感じたこともない。
当日になって、ようやく「むさし」のおにぎりを新幹線で頬張れる程度には回復したものの、咳は止まず、その後、新居に荷物を入れて、イケアやらヨドバシやら回って買い換えるものを買い替えて、そして1週間後、新しい職場で働き始めてからも、まだ続いていた。結局、完治といえる状態になったのは、発症から2〜3週間くらい経ってからだった。
別にインフルエンザでなくとも、タチの悪い風邪というものは、これくらいタチが悪い。正直、いまをときめく、新型のアイツの症状も、大部分の人間においてはこんなものか、もっと軽いだろう。肉体的なダメージで比べたら。
ただ少なくとも、このパンデミック下における世界とは、緊張感が全く違った。インフルエンザでもないなら、こちらの免疫力の問題で、人にうつして悪くなることもなかろう、とマスクすらしてなかった。
ちょっとぐらい体調が悪くても、気にも留めない。そんな牧歌的な世界が、いまは懐かしい。
いまは、ただピリピリしている。体調が少し崩れるごとに。お腹が空かないなんて、むしろダイエットのいいチャンスぐらいに考えていたのに。
このウィルスの特性上、ウィルスを持っている人を遠ざけるしかないから、人びとは防御的に動かざるを得ないのだろう。それが時として、過剰にヒステリックに見えて、怖くも思える。
いまや、咳が出るくらいの症状を「風邪ですね、お大事に」と流すことはできない(例え本当にただの風邪だったとしても)。そして、ただただ肝を冷やすばかりだ。世間の矢面に出ないように。
自演乙。
そんなに必死になってもお前が売れ残ってる事実は変わらないし、お前が売れ残ってる原因は婚活男子に対する自分のレベルを顧みないお前の無理目な要求の数々(数!!)であるという事実も変わらない。
しかもお前の重視するポイントがビミョーに変。そのくせ自分のこだわりは何があっても絶対に曲げないという鉄の意志を感じる。
自分が変わらないことが前提ならコミュニケーションもへったくれもあるまい。それはコミュニケーションじゃなくて「要求」。または「命令」。
経済的に自立してる一人前の男子が(女子も)常に相手の要求を100%、どんなに細かくどうでもいいことでも一方的に飲まなくてはいけないような関係に自らを陥れることを望むと思いますか?
そこんところをもう一度よーく考えたほうがよろしいと思います。手遅れになる前に。
3月までコロナ対策関係部署にいました。正式に言うと、新卒で入った部署がコロナ対策をすることになりました。
コロナの流行は急に来たから、突然「コロナ対策をする」という大仕事が増えたのが2月くらい。
こういう時何があっても最後まで開いていないといけないのが役所だから、感染防止の出勤停止や自宅待機なんてもってのほか。
よく食べてよく寝るのが免疫を上げるのに一番効くとよく聞きますが、8時半に朝礼、帰宅するのは0時過ぎというのがザラでした。初めてお手洗いに立てたのが15時半とかそんな感じ。
食べられない眠れない期間がずっと続きました。処方された睡眠薬を飲んでも眠れなくて、それでも仕事に行くと眠くなる暇すらなかったのでろくに寝ずに毎日5時間、6時間と残業をして、休日も仕事に来て、コンビニ飯しか食べられなくて、お腹もすかないし食べる時間もないし、体重もみるみる減って、ウイルスもらったら一発だなと思ってた。
上司たちはコロナ対策を考えるための会議でずっと離席していたから、苦情も問い合わせも末端に来ました。
田舎町だからコロナ感染者についての質問もプライベートもへったくれもない。どこの町に住んでるのか教えろ!とか、役所は隠してるんだろ!とか。
末端にはそんな情報降りてきてません。
コロナ対策特別班ができてるわけではなく、元々それっぽい仕事をしてる班に仕事が降ってきた状況なので、窓口の申請を受けるのも、国から降りてきた新しい苦情の電話を受けるのも新卒から数年しか経ってない歴の浅い職員ばかり。
春の人事異動で皆が嫌がる3K部署に異動してきました。同期は皆嫌がって泣いているけど私はようやく寝つけるようになったし自殺を考えなくなったし、死んだように眠れるようになった。また国が対策を打ち出して、確実にパンクしてるであろう前の部署が心配だけど、ほとんど鬱になっていたので怖くて近寄れていません。
ネットで「こんなのもあるよ!」と回ってくる省庁が出している助成金や補助金の案内を見るだけで全身が震える。
本当にハードな数ヶ月でした。
タイトル通り、今まで恋人はおろか友人すら0という自分がレズ風俗行ったというだけの話。
というか、金出して色々やってくれるのは割り切れるので人間不信な自分でも、むこうは仕事でちゃんとやってくれてんなってなるのである意味安心だった。
相手のお姉さんはレビューとかで美人とか書いてたけどどうせレビューだしなーと思ってたら、本当に美人でした。疑ってしまって申し訳なかった。
と同時に、自分みたいなの相手にさせてすみませんみたいな気持ちも湧いてきちゃってたり。そんな感じだったもんだから、ほとんど目合わせられなかったわ。
待ち合わせのところからホテルまで手繋いでくれたけど、正直ついていくのに必死で感触覚えてないし色々と記憶が飛んでいる。
最初からもう緊張と恥ずかしさでいっぱいだったが、むこうはにこやかに話してくれるし、会ったばかりの人相手によく話せるなあなんて感心したものだ。
慣れているのだろうが、コミュ障の自分にとっては本当に同じ人間なのかこの人は?ってなってしまった。
そうしてホテルに着いて、シャワー浴びて歯磨きしていざ本番。緊張のあまりベッドで固まってる自分の口に優しくキスしてくれて、そこから胸やら耳やら色んなところにキスしてくれた。
最初はなんかよくわからん感触だなあとか、ああキスってこんな感じなのか、とかわりと冷静な自分がいたが、徐々に体が反応し始めてヤバいと思い始めた。
なんかいつの間にか濡れていたらしく、「下凄い濡れてるよ?」とか「体びくびくしてるね」とかエロゲでよく聴くような言葉攻めしてきて、笑いながら感じてしまったよ。
というか、本当にあんな感じで攻めるんだな。まあそのお姉さんがそういう言葉選びをあえてしただけなのかもしれんが。
そして、下の方指でめちゃくちゃいじられたり、乳首にキスされたりしてそのうち声も出てしまったが、正直「うっ…」みたいなうめき声みたいな感じだったので、全然エロくなかったと思う。
それでもお姉さんは「かわいい」とかいってくるし、お世辞だろうとは思うがやっぱり恥ずかしかった。
でも触られるだけで気持ちいいし、この辺までくるともうこれ現実か?夢なんじゃないのか?とか思うようになっていた。
今でもあんなに乱れていたのは自分だったのか、本当にあの時間は存在したのか?なんて考えてしまうが、この文章を書いているとまた感覚が蘇ってきてめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた…。
そうやって攻められてるうちにあっという間に時間がきてしまって終了。
帰りも手を繋いでくれて待ち合わせ場所でお別れ。
こういう経験をしたことは誰にもいえないけど、気分的になんか書き残したかったので今回書いてみた。
コミュ障でも知らない人と性交できたのは相手のお姉さんのおかげだと思う。自分と相性いい人に出会えてラッキーだった。
というわけで、自分みたいな人間でもこういう経験は金出せばできるんだなって思えて、今回利用してみて本当によかった。