昨今、どうにもフェミニストとやらが「女性の性的搾取ガー!」とか「クソオス死すべし慈悲はない」とか騒いでおられるが、
ふと疑問に思ったのだ。本当に女性だけが「被害」にあっていたのか?
例えば、献血ルームとコラボした「宇崎ちゃん」その巨乳っぷりが「奇形」「奇乳」だとして糾弾されていたが、では男性は?
女性に乳房あれば、男性に陰茎あり。陰茎を題材にした漫画がこれまで全く無かった訳ではないだろう。
それに我々は「宇崎ちゃん」よりもずっと前から、男性の象徴たる「もっこり」をギャグ(もっと言えば、"お決まりの流れ"の起点)として見ているはずだ。
そう、つい昨年に新作映画が公開された「シティーハンター」の主人公、冴羽獠だ。
黙っていればクールな裏世界No.1の"掃除屋"にして、比類なきスケベ男。依頼人の女性に手を出そうとしては相棒の槇村香に天誅を食らっている……
その"天誅"の起点にあるのは、彼の人間離れした性欲から来る「もっこり」であったはずだ。
また、インターネット上では「ガチムチパンツレスリング」や「やらないか」「真夏の夜の淫夢」といった、
(雑に言ってしまえば)男性の性欲がネタとして笑いのタネとなっていたはずだ。それも、誰からも糾弾されることなく。
かたやオッパイ。かたやチンポ。揉んだり揉まれたり、時には盛り上がったり潰れたりと、性の対象をギャグ化しているのは、30年も前から変わらないのではないか?
(なお、「宇崎ちゃん」自体は彼女の胸をギャグ扱いした漫画ではなく、主人公と宇崎の日常がメインとなっている漫画であるということを、念のため追記しておく。)
例えばグラビアやレースクイーン、成人向け雑誌といった具合に、自らの肢体を見せつける仕事。
グラビアについては撮影対象が男性でも女性向け雑誌においては女性を撮影したそれと変わらない(むしろ、もう少し生々しく過激なのでは?と感じさせるような)ものが掲載され、
しかもそれらは、なにもコンビニの限られた狭いスペースなんかではなく、むしろもっと堂々と棚に(文字通り)陳列されているではないか。
レースクイーンのような、男性の肉体を使った仕事は、探せばそれこそ男性風俗店やゴーゴーボーイといったものもあるが、
我々はレース会場でもナイトクラブでもない、むしろもっと公共の電波で男性の肉体を見て、それも笑っていたはずだ。
小島よしお、とにかく明るい安村、アキラ100%。いわゆる「裸芸人」だ。お笑いにおいてこれほど「裸」が笑われるのも男性くらいなものだろう。
もちろん彼らはその芸を仕事にすることを選んでいるし、我々もその芸を見て笑っているのは、「それ」が彼らの仕事であると理解しているからだろうが、
これがもし「男性にしかできない仕事」としてピックアップされたらどうなるだろうか。
かたや華やかな衣装を着て商品のPRやイベントの応援役。かたや己が身(と競パン)ひとつで笑いを取る者。その役割は、果たして替えが効く(効いた)のだろうか?
成人向け雑誌の件については先の男性グラビアと似た話になるし、最初の漫画の話とも被る話になるが……
昨今世間を賑わせている、男たちが激しく乱れ、愛し愛される漫画……いわゆる、ボーイズラブ漫画についてだが相当するだろうか。
まずタイトルだ。そもそもでタイトルの時点で「セックス」という単語が伏字無しで堂々と並ぶのはこのジャンルくらいだろう。もしこれが女性を主人公にした漫画であれば間違いなくカーテンの向こう側においてあるに違いない。
しかしこのジャンルの漫画は、カーテンの向こうには置かれていない。少女漫画などが並ぶ棚の近くのワンスペース、ならまだしも、書架をまるまる1連以上を占拠している店舗もある。
もちろん購入の際に年齢確認なども要らない。バレなければ小学生でも買えると言ってもいい。
そして肝心の中身だが、これまた過激な濡れ場が登場する。表紙と数枚の目次、扉をめくったらすぐに濡れ場を見た、という読者もいるかもしれない。
構図などで上手く隠されているとは言え、ヤっていることは紛れもない性行為である。それはカーテンの向こうの本と変わらないはずだ。
たま~~~~~~に見る反論に「ボーイズラブ漫画には愛がある!ただのエロ漫画には無い!」というものがあるが、
それならば愛もへったくれも無い時期、漫画にすれば第1話の時点で主人公がレイプされる部類のボーイズラブ漫画はどうするのだろうか。
ひとくちにボーイズラブ漫画と言っても、濡れ場の無い、いわゆる純愛を描いた作品が多いのも事実ではあるが、
そうした作品の横にはカーテンの向こう側と大差無いような過激な作品も存在しているのも事実だ。
これが男性を「性的に搾取」していないとするならば何なのか、誰か教えてはくれないか?
それが必要不可欠な表現だとして擁護されるのであれば、カーテンの向こう側の漫画だって必要不可欠な表現で描かれたものでは無いのか?
よくフェミニストの言う「性的搾取」の論の中で聞こえてくるのが、「露出の多い服を着ていると男性に性的な目線で見られる」とあるが、
では男性が露出の多い服(おおかた、タンクトップにハーフパンツ、スニーカーかサンダルといったところだろうか?)を着て歩いていたらどうだろうか。
そしてその袖から、筋骨隆々の肢体が惜しげもなく陽に当たっていて、少し日に焼けて汗ばんだ肌がまるでキラキラと輝いて見え―――
といった具合の光景がもし広がっていたとして、果たして世の女性はその男性に「性的魅力」を全く、それはもう全く、全くもって魅力の無い存在だと切って捨てることが出来るのか?
あるいは電車の中、それも日光の届かない地下鉄の車内で、シンプルな半袖ジャケットとケミカルウォッシュのジーンズにクラッチバッグ、少し高価そうなネックレスを身に着けている笑顔と白い歯の眩しい青年を見て、
少しも、ほんの僅かにも、目もくれず歯牙にもかけずスマホに夢中になってしまうのか?俺だったらスマホ見ながらどっちもガン見するけど
だが、もしも、もしも、だ。彼女たちが「着ている服のせいで」性的な視線を浴びるのであれば。
「何を着ていても」性的な視線を「女性だから」という理由で浴びせられるのであれば、
もっと言えば、「性的な視線」を「女性だから」という理由だけで「耐えられないほど」「浴び続けている」と彼女たちが主張するならば、
それはもう家から外に出て社会生活などしている場合では無いのでは?
というよりも、そもそも「着たい服を着たい!」と言っておきながら露出の多い服を着て「見るな!」というのはあまりにも矛盾しているし、
そもそもで見られていることに勘づいている時点で相当な自意識過剰では?
と、一介の男は思うのだ。
残念なことに、俺は男だ。クソオスだ。
だが、俺は俺のことを性的に見ている男がいることを知っているし、
俺が変なフェチを拗らせただけなんだけど。
とまあそんなわけで(どんなわけだよ)、性的な目線で見られること自体については、一般的な男性よりは理解があると自負はしている。
もっとも、日常的に性的な視線を浴びているわけでは無いから、自分が理解しているのは彼女たちの苦痛のうち、ほんの氷山の一角なのだろうけど。
だんだん纏まらなくなってきたな。はやく筆を折って神棚に置きたい気持ちでいっぱいなので〆に入る。
要は、女性だけが性的な風体の中生きているわけでは無いだろう?ということだ。
女性だって、男性を性的に見ることがあるはずだし、あなたの母親だってあなたの父親に性的魅力を感じたからセックスをしたんだろう。
そのあたりの家庭事情は分かりませんけど。
片一方だけをあげつらい、自分たちが正義であるとセッ、錯覚している様子は、
傍から見ていると隣国が繰り返す軍事行為のようで、それは幼稚園児どうしの喧嘩と何ら変わらないように思えるのだ。
「あの子が先にぶったから!」「違うもんこの子が私のこといじめたもん!」
そんな喧嘩を三十路もとっくに過ぎたミソジニー拗らせた大人がしているって、恥ずかしくないんだろうか。
クソオスの俺には何一つ分からないのだ。
だって俺は性的な目で見られたって別に構わないし、性的なコンテンツだってちゃんと弁えたうえで付き合ってるし。
だからフェミニストという名の幼稚園児たちよ、一体何が気に入らないのか、もう少し落ち着いて話してくれないか。
頼むよ。なあ。
割と好き放題、頭に浮かんだことを☆PON☆っと出しただけの増田なので、
わかるってばよ… 逆だったかもしれねぇ…(おまえとおれは。) つまり、加害者と被害者は常に固定された善人・悪人のような関係にあるんじゃなく、ふとしたきっかけで逆転し得る。...
なんか被害妄想に取り憑かれてる危ない人って感じで見てて痛々しいわ。 フェミニスト騒いでるけど外野から見るとほとんど少数派でしょ。非処女は中古!って騒ぐ奴のが少数派なのと...
でも実際性犯罪があるからねえ、犯罪はアウトだろ 表現を土俵にしても 性的表現を規制したいという人はたいてい未熟で信じやすい子供の目に入れてくれるなというあたりまえのことを...