この時期になると神風特攻隊(と回天や震洋などの海上特攻)のことが話題に上がり
強制だった!or殉国のための志願だった!とかの強制かについて論争がよく起きる。
俺はこの特攻隊が戦争を扱う話題のヒエラルキーとしてトップレベルに扱われるのに違和感もっと言えば不快感がある
なぜか?特攻隊は必死攻撃という日本軍全体で行われたほんの一部に過ぎないからだ。
「切り込み隊」という言葉をご存知だろうか。
10人以下の兵士を選抜し、夜間に手榴弾と小銃だけで敵陣に突っ込ませて撹乱させる。
選抜されるのは攻撃で散り散りになって原隊からはぐれた兵士が優先的に選ばれ体の良い厄介払いでほぼ全て戦死した。
現場の判断で行わせるから戦史の上ではほんの少ししか残らず個人の戦記のみに残す必死攻撃であった。(唯一有名なのは総員玉砕せよ!)
日本軍にはアメリカの戦車とまともに対抗できる兵器が乏しく、大多数の場面ではこの「戦車特別攻撃隊」が立ち向かった。
方法は簡単だ。工兵が持っている梱包爆薬を背負って蛸壺や物陰に潜み戦車が来れば体もろとも突っ込んで爆破する。
この2つだけでも航空機や魚雷による特攻よりも遥かに死者は多い。
これが行われるのは追い詰められ兵器も弾薬も食料もないギリギリの状況で行われる捨て鉢攻撃だ
反面特攻隊は死ぬこと前提とは言え「ちゃんとした兵器」「死を受け入れるまでの猶予期間と衣食住」が与えられ
物語として広く伝えやすい。そして兵器を操縦するには未熟とはいえ高等教育を受けた人材が必要だ。
死んだ人間が当時の社会階層としては『エリート』だったというのも大きい。
だがあの戦争において特攻したのは彼らだけではない、むしろ庶民として同じ必死攻撃を命じられた人は
こんなにたくさんいたのだ。
学徒動員もそうだし、インテリが犠牲にならないと左派マスコミや知識人の下腹部がピクリとしないのでしょう