はてなキーワード: 原体験とは
男の例で言えば、おっぱいが好きという状態で生まれてくるわけじゃない。
おっぱい的な形・色に性欲を感じるような脳として産まれてくる。
(その意味でコカ・コーラやレスポールギターの形は理に適っていると思う)。
初期段階では、抽象化、メタ化された対象に性欲を感じるような構造になっていて、
後天的にクラスが実体化されて、好みが確定するとでも言えばいいのか。
あるいは、ドーパミンが多く出た体験により嗜好が固定したり変化したりするとでも言えばいいのか。
でだ。もっと大きな単位、人種別のくくりのほうに話を元にもどすと。
http://anond.hatelabo.jp/20140609200812
※5月29~31日ツイート再掲
★NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、
「日本もアメリカのハイスクールみたいに、高校生が妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた。
そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった
★日本社会が少子化を意識したのは、1990年の「1.53ショック」が最初だからな。
私見だが、1.53ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった
★70年代、フジ三太郎にシルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。
「近未来、シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通の座席に少数の若者がゆったり座ってる」
★こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイや藤子先生「ですら」
少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロの人口学者が予想出来なかった筈がない。
あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者は少子高齢化を正しく予想してたのでは?
★ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本は少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、
「人口学者の大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?
で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府の審議会に出入りしてる。
かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された
★80年代の人口学大御所が人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?
当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正~昭和一桁生まれ
戦中戦後の食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話。
しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈。
彼らは「日本の人口爆発が戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある。
「人口爆発のせいで、日本は戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。
だから人口増加を容認することは、自分の戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない
★もっと言えば、80年代の権力者、厚生省の局長クラスとか、自民党の族議員とかは、
大概は「大正~昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です
★逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と
世論がコペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前派から戦後派に入れ替わり、
★もっと言えば、70~80年代は「左翼」がもっとも強かった時代だからなあ。
人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、
政治的に不可能だった
以下の文章は性暴力についての話,それもかなり露悪的な自分の性癖(誤用)語りですので,不愉快に感じる方やトラウマを抱えていらっしゃる方は読むのをご遠慮いただけるとお互い幸せになれるのではないかと思います.もちろん不愉快に感じて俺を批判する人がいるのは言論の自由というものがある以上当然ですが,自分の意志で見たという点への責任だけは引き受けてください.
小学校くらいの頃から,なんか自分の性癖(誤用)は変だった.色んなアニメ,たとえば名探偵コナンでも金田一少年の事件簿でも何でもいいんだけど,女性が縛られて監禁されているシーンってあるでしょう.ドラマだったら透明人間にもそういうシーンあったっけ(俺の黒木瞳の原体験はあのドラマです.最近の子供はわかるのかなあのドラマ……).ああいうのが性的な含意の一切ないシーンでも普通にすごく興奮して,親や祖父母に隠れて録画のそのシーンばっかり繰り返して再生してたり(中学に入って某サイコメトラーに触れた時は衝撃的でしたね.一番最初のメビウスの事件からしてアレですから.あれは素晴らしかった……).もうその頃から既に下級生の女の子を縛り上げて監禁する妄想とかしてた気がする.幸いにもそういう妄想を言葉や形にする前に漫画やアニメと出会うことができたわけですが.
中学に入ってインターネットというものを憶えてからはひたすらに「拷問」とかで調べてた気がするけど(今思うと,何で厨房の段階であれだけ高度な拷問サイトに辿り着けていたかがわからない.基本的に拷問はもったいないので妄想しませんが水責めは別ですね.あれは身体に傷が残らないのでエロ妄想的には素晴らしい拷問手法です.現実には最悪ですが),やっぱり最高なのは緊縛とかDIDとかですね.猿轡は本当に声を出すどころか表情をあらわす手段すらも部分的に奪われ何もできない感に溢れるガムテープがいいと思いますが,くぐもった声が適度に漏れそうな手拭いとか口開けっぱで唾液垂れ流しにせざるを得ない屈辱感も味わわせられるボールギャグも捨てがたいです.ちなみに妄想力を強化するために自分の口にガムテ貼り付けてどう見えるかっていう実験したこともあるけどガムテって顔に対してかなり大きいですよ.あれは本当に剥奪感あります.目隠しがどう見えるかという実験は物理的に無理なのでやりませんでした.デジカメ駆使すればできたはずだけどあれはデータに残してはいけない気がした.目隠し+ガムテって,もう何もできない感とか表情完全に見えない感とかに溢れてて監禁とかDIDとかが好きな人間にはたまらないです.
もちろん縛り上げた後は陵辱する妄想もいたします.よくはてな界隈の議論では「レイプ・ファンタジー」という言葉が出てきて,どういうものなのかと推察するに「女性がレイプされて喜びを感じるようになる」というファンタジーのようなのだけれど,俺にはまったく当て嵌まらないというかそういうのに当たると「ふざけんな!」と卓袱台ひっくり返したくなる.嫌がってるのを無理矢理というのがいいのに途中から喜び出すとか,まったく興奮しない.何が悲しくて陵辱ものを見に来て和姦を読まされねばならんのか.それがいいという人が一定数いるからそういう地雷が存在しているのであって,それを批判するのはブーメランではあるのだが,どうせ増田でしかこんなこと書けないからこの機会にぶちまけておく.悲鳴あげたいのにそれすらできないガムテは最高ですね.
じゃあお前は現実の女の子に対してそういう妄想してるの? っていうと,違うのよね.現実の女の子にそういう目を向けるなんて少なくとも中学校に入って以来は絶対にしていない(しそうになったら必死で抑圧した).というか,むしろ好きな女の子としたいことって手を繋ぐとか抱き締め合うとかそういうことばっかりだった気がする.キスすらもたいして興味ないし,そういう子で抜くとかもない.そういう花ゆめに出てきそうなぴゅあな恋愛観の一方でアニメキャラとか名も知らぬ創作キャラとかは散々縛り上げて犯して殺して捨ててたんだからまあ歪んでるよなあとは.現実に他の人間に対してこういうことをする連中は吊せばいいと思うけれども.
まあとはいえ現実には中々俺の好みを満たす陵辱表現って巡り会えないものではあるので(どいつもこいつも途中で猿轡や拘束具を外しすぎなんだよ.自由は最後まで奪っとけ),現実には殆ど妄想と昔集めた数少ない極上の陵辱表現で性欲を満足させるほかなくなっており,そういう点考えると表現の自由とかの正義論丸々ネグって全部俺一人の都合だけで考えた場合表現規制されてもあまり困らんかもしれん.頭の中までは取り締まれないし.絵心があったらpixivにうpしまくってるんだが,とはいえ某lilish先生ほどの多種多様な縛りシチュを考え出すほどの妄sもとい発想力はないので早晩某誘拐シミュレーションゲームの人みたいにマンネリ化しそうではある.というかあの人本気で何なのわけがわからない.
悩みがあるとすれば,下手にリアリティ厨なせいで妙なところに拘ってしまうところだよなあ.「そもそもこの女の子どっから攫ってくんの? そんな都合良く一人でいる女の子を攫える街とか最近あんの?」「多少悲鳴が漏れたり中でガタゴトやってたり車から建物まで女の子運搬したりしてても気付かれない場所って相当な田舎だけど,そんな辺鄙なところに建てた建物で光熱費が失踪事件があった辺りにだけ跳ね上がるのって怪しくね?」「つーか,拉致監禁陵辱殺害って数日がかりの大仕事になるわけだけど,その間仕事どうしてんの? 株でもやってんの? 地主の息子なの?」「攫う場所ってやっぱりばらけさせないとすぐに地元の人間だってバレて足がつくし,特定の年齢層の男女比を著しく崩すことで地域の人口ピラミッドにも影響するよね.でも身バレ恐れて遠くの街とかで攫ってきてたりすると土地勘ないからリスク高くね?」「うっかり攫った子が鼻づまりだったり埃アレルギーだったりしたらガムテ猿轡で倉庫とかに監禁した場合窒息しちゃうけど,やっぱりガムテ貼ったらちょっとの間様子を見た方がいいだろうか?」「縛るのに縄を使ったら血流が阻害されて予期せぬ突然死のリスクとかも抱えるけど,拘束だけならガムテ使った方がいいんだろうか?」……等々.まあめんどくさいから気力があるとき以外本気で考えません.
こういう妄想する奴やロリコンもまた性的マイノリティだみたいな感じの自己主張は正直みっともないというか見ていて恥ずかしいのでやめてほしいが,一方では,上でも書いたけど現実の女性にこんな酷いことやろうとは微塵も考えていないし,よしんば考えていたとしても露見した後の刑事罰や社会的制裁が恐すぎて絶対にやらないので,ああ,理解できないけどこういう性癖(誤用)もあるんだなあ,ということぐらいは意識の片隅に留め置いてくれると幸い.まあそういう妄想すらも悪であると言われるのであればもうチンコ切るしか許される道はないだろうから別に許されなくてもいいんだけどさ(誰に).
あ,増田のIDがわかっちゃった人は,こっそり教えてください.リアル知人で,「あっこれひょっとしてこいつかな?」って思っちゃった方,その推測は多分正しいのであなたの胸の中にだけ留めておいてください.「わかるわー」と思ってしまったどうしようもないあなたは,一緒にどういう監禁シチュが一番勃つかを考えましょう.
昔のようにかーちゃんのご飯食べてる。
社会に出て視点が広がってから戻ってきたことでわかったんだけど、かーちゃんのしゃべり方はおかしい。
かーちゃんはご飯の間もお茶飲んでる間もずっとしゃべり続けているが、かーちゃんはこんな手順でしゃべる。
これって、俺の知っている中では重度のオタクとか人間怖がるやつとかコミュ症のやつが同じしゃべり方をする。
そして、もちろん俺も同じしゃべり方をしていた。だって、生まれてから青年期までかーちゃんのしゃべりに最も多くさらされていたんだもの。
実家を離れている間に、俺はしゃべり方が変なのに気づいて治そうと頑張っていた。結構治ってきたと思う。少なくとも話を最後まで聞くようになった。でも完全には脱却できていない。
実家に戻ってきて、俺のしゃべり方はかーちゃんの呪いだったって気がついた。
かーちゃんの呪いがなかなか解けない。治したいけど、なかなか難しい。
熱血スポ根がウケなくなって久しい今日、世代間における努力の意味に大きな溝が生まれているような気がする。
古い世代は理不尽だろうがなんだろうが、自分の欲を殺して苦労することを努力と呼んでいる。
苦労とは、苦労しないで目的を達成できる良い環境にいる人に、一方的に差を付けられるということでしかない。
必要なのは目標達成まで最短で効率よくたどり着ける方法であって、スタート地点付近で右往左往することではない。
そうやって苦労しているわずかな時間に、あっという間にライバル達は先に行く。
そして自分の苦労は全く報われること無く、苦労していない奴が世間でもてはやされる。
思うに、古い世代は戦後の焼け野原から復興するのを原体験としている。
人の知を機械的に再現できるのではないか、これが人工知能の当初の夢でした。
でも「人の知」を解明しそれを実現するというアプローチは突き詰めて考えていくと、袋小路に陥ってしまいました。
チューリングテストとか中国語の部屋とかフレーム問題とか、聞いたことあるでしょう。人工知能の挫折と苦難の時代ですね。
困った人工知能研究者は、「知とはなんぞや」という疑問はとりあえず保留にして、「とにかく今できていないことに挑戦しようぜ」精神で研究を進めました。
結果、多くの成果を上げて、今日でも一つの学問領域として存在しています。
そのため、いまの人工知能学会の中の人たちの目的を最大公約数的にまとめるならば、
「今までコンピュータや機械でできなかったことをできるようにするよ(したよ)」というところでしょうか。
この程度の緩い集まりなんですよ。実際。全員がアンドロイドを目指しているわけではないんです。
とはいえさすがに何でもありでは話にならないので、この学会に所属するためには暗黙のキーワードがあります。
それが「知」です。「こんな知的振る舞いができるようになりました」少なくともこれがアピールできなければ
逆に「知」であることが認識されたなら、個人の「知」どころか集団の「知」すら研究対象になります。
だから人工知能は何をする学問なのか、これについて、できるだけ簡潔に言うならば、
「知」を人工的に実現する学問
でしょうか。知を解明するじゃなくて、知を実現するというところがポイントですね。
え?「知」とはなんだって? そんなこと聞かないでください。そんなの研究者の数だけ意見があるのですから。
というのがあるかもしれません。
そう考えると、他人に同意してもらうための戦略として、視覚的に人間に模すのは当然ですよね。
人は何に知を見出すのか。これだけでいくらでも文章が書けそうですが、普通に考えれば、
ルンバが知的振る舞いをするよりアンドロイドが知的に振る舞った方が一般の人には受けがいいですよ。きっと。
つまり、人工知能屋の一部がアンドロイドを目指すのは、それが目的だからではありません、
「ボクガボクタチガジツゲンシタサイキョウノ知」をアピールするのに最適だから、
あくまで手段にすぎないのです。
と、タテマエと理論武装はここまでにして、
だってしょうがないじゃない。少なくとも日本で人工知能やっている人の原体験って、
アトム、ドラえもん、あーる、タチコマ、マルチ、まほろさんなどなど、魅力的なキャラクターなくしてありえないのだから(暴言)
それに要件をギリギリで満たすよりも能力的に余裕を持って振る舞う方が知的でしょう?
機能美は工学的に正しいアプローチだけど、余裕あるなら外観にも凝りたいし。
そう考えると、情報(機械)工学と人工知能の違いはロマン成分の割合なのかもしれない。
そしてロマンは人によっては妄想と言い換えても間違いじゃない。
結局この長々と書いた文章で何が言いたいかというと、
もっとこうさハードでスチームでパンクで電脳な感じの・・・(妄想垂れ流し)
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これまた長くなっちゃたので言いたいことを以下にまとめますね。
むしろこれだけ読んでもられば十分かも
そしておやすみなさい!
https://twitter.com/souretu_bot/status/409150258795401217
[2005/11/13(日) 22:21:36]若い頃の思い出って大切だと思う。てか、老人にとってそれが全てだろ。 青年時代に恋愛の一つもなかった、愛してくれた女性の一人もいなかったという記憶が、 老人喪男にどう圧し掛かるんだろうな?その前に狂ってしまってるかもな。
そっか。そうなんだな。正規化すると、「自分を愛してくれた女性」という体験も原体験も、自分の人生には無いのだ。母親も、親友も、恋人も。
Tumblrで見かけたんだと思うけど:
「ブサメンの末路は、告白せずに嘲笑されるか、告白して嘲笑されるかしかない」
まさにこれ。
https://twitter.com/syakekan/status/409158707444854784
https://twitter.com/syakekan/status/409158195995607040
女の子と話をしていて、非モテブサメンを嫌いだという人の多くが、そういう人と話したこともない、という事実を目にするたびに、人間の洗脳ってきっと簡単なんだろうなって思う。
これは本当。女子大生がな、悪気もなしに非モテブサメン嫌いって言うんだよ。で、「実際イヤな思いさせられたの?」って聞くと「存在自体がキモい」って言うんだ。 こういう洗脳は大人がひとつひとつ解いていくしかない。この年齢のうちに。>RT
あたまでっかちになっているんだよね。
「自分の体験したことだけを信じろ」「歴史や偉人や他人に学べ」
どっちの極端に偏ってもダメだと思うけど、そのバランスが後者に偏重してしまってるんだよね。
あとアイドルとか役者とかの、美しさへのブームの弊害もあると思う。
「美しくないものは、存在価値がない」という思想。それが自身や他者や世界観に影響を及ぼしている。
まあ自分もその頭でっかちになってるんだろうけど、もう「恋愛しよう」とかいうモチベーション、気力と体力、リソース配分の優先度設定、そういうものがなくなってしまった。
恋愛を意識するとつらくなるから、既婚者や恋人がいる女性のほうが安心して話ができる。変な気を起こさないから。
フリーな女性だと変な気が起きやすいので、その場合は「俺は嫌われている」という仮想敵国みたいな設定をしている。
そのほうが「恋愛本能」のようなモノが働かなくなるのでオススメ。それが働いてしまうと、つらい思いしかしないし、つらい結果しかないから。
と、漫画を読んでいて思う。
単純に少年漫画には男性作家が多く、少女漫画には女性作家が多い。
で、自分は週刊少年誌を購読して10年以上になるが、性別不詳な作家であっても何話か読んでいると不思議と「あ、この作者は女性だな」と思う気付くものだ。絵柄もあるけど、物語のテンポやコマ割の空気感でなんとなく分かる。大高忍さんとか星野桂さんは分かりやすく女性的だね。
この辺の差異は何に起因するかと考えると、やはり個々人のこれまでの人生において、どういうものに触れて生きてきたかってことになるんだろう。プリキュアを見て育つ女児と戦隊ヒーローを見て育つ男児は異なる作品経験に曝されている。だから例えば、プリキュアを見て育った女児とセーラームーンを見て育った女児は、おなじ幼女でも恐らく「カッコイイ」の原体験が微妙に違うのでその二人が成長して漫画を描いたら違う漫画になるだろう。
というか、100人いたら100通りの漫画になるのが漫画の面白いところなんだけどさ。まあ傾向として。
あともしかしたら女性の脳と男性の脳の構造的な違いに因る、空間認知の差異が絵柄に反映されているかもしれない。というのは考え始めるとワクワクする話だが、そんなに大幅な違いなんかはたぶんないだろうな。人間とチンパンジーの差異よりかは少ないはずだ。
そんな感じであくまで傾向という話なので一般化は難しいと思う。
「女漫画家は~」「男の描く漫画は~」といった論調で語りがちなひとは、自分の過去の原体験を振り返ってみるといいんじゃないだろうか。例えば男性的なるものに多く触れた人生を送ってきたならば、同性の描く漫画に好感を得、異性の描く漫画に違和感を感じるのもまた道理である。ただまあ、あんま声高に主張すると、ひとには嫌がられるだろう。
これは単純に体力的に激務だからということなんだろうか。最近は目立って増えてきた印象がある。中村章子さんとか。
女性アニメーターが女キャラを描くと同性ゆえの遠慮の無さみたいなものが線にあらわれて、その良い意味での下品さみたいなものがとてもいいと思う。
最近、「憚りながら」(元山口組後藤組組長インタビュー)と「鎮魂~さらば愛しの山口組」(元山口組盛力組組長インタビュー)を立て続けに読んだ。
・
どちらも似たような時代に生きた同年配で、ヤクザとしては一流(執行部入りこそ出来なかったけど)だったのだろう。
最後は、そこまでの組織への貢献を考えれば、たいしたことのない理由で絶縁処分を受け、組は解散(名跡の取りつぶし)処分を受けているのもおおよそ似た感じ。
それぞれの目線、記憶で同じ時代をなぞっていくのだけど、読み物としては「鎮魂」の方が面白い。
多分、親分肌で、侠客然とした盛力氏は、身内としている限り頼もしいだろう。外から見たら暴力団組長に違いはないのだけど。
*
対して、後藤氏の回顧は、冷たい。
山口組の内情、自分の身内、他組織との抗争、そのときの思ったことを延々と語る盛力氏の回顧録とは違い、後藤氏は“お仕事”についても語る。
言葉の端々にシノギを匂わせる。その中でずいぶんと人を苦しめた筈だ。実際に死人も出ている。彼の配下が殺した人間の数は、どれくらいだろうか。
*
印象としては、盛力氏は熱血、後藤氏はクレバーなイメージを受ける。
ただ、まあ、どちらかというと、「憚りながら」の方が実生活では為になったのかも。
曰く「何事も、一回退がるとなし崩しに駄目になる。借金でも、一回滞納するとズルズルと返せなくなる」「一万円稼いだら、五千円はポケットに残しておこう」特に、稼いだお金を残しておかないと、いざというときに惨めな思いをする、というのは少年期の原体験で、宵越しの金を持たない気っ風の盛力氏とは対照的だった。
※
盛力氏の出所(16年間の服役)後に、五代目組長から500万円と酒瓶二本を渡されたとき「冗談なのかと思った」エピソードには笑った。
また、組を守っての長期懲役から出てくると、山口組は任侠団体から巨大経済組織に変貌しており、義理や任侠を尊ぶ盛力氏はなんとなく浮いており、また、かつては格下だった五代目組長の就任なども絡み、窓際に追いやられる。
義理や人情を尊ぶからこそ、それを尽くさなかった五代目に愛想を尽かしてもおり、六代目のクーデターにも(国外に出た日を狙われたらしい)、動かなかった。また、司氏に1億円を即金で借りたり、司氏にも恩があった。
盛力氏は、本来であれば、山健一門6000人をまとめて司一派4000人と対決することも出来たという。しかし、もろもろの事情で実行せず、粛正を喰らった。
:
読み物としては「鎮魂」の方がオススメ!
「今のゲームは…」というのは、年寄りの繰り言っぽく聞こえるかもしれない。けど、なんにせよ「遊び」って大事だなーとは思います。自分の中の原体験は、大昔の「ドラゴンクエストⅣ」の初プレイ時。
主人公は、自分が何者とも知らず、名もない山奥の村にひっそり村人に隠されて暮らしていた勇者の末裔。第五章冒頭で、その村は魔王の軍勢に発見され、幼い主人公を守るべく、幼馴染みのシンシアが主人公のフリをして、身代わりになるシーンがあるのですね。で、当然軍勢に敵うわけもなく、死ぬ。というより、あえて死んで「勇者の末裔は死んだ」と思わせることで、主人公の命を守ろうとするわけです。
全てが終わり、魔王の軍勢が去った後、廃墟になった生まれ故郷の村を隠れ家から出てきた主人公は見る。ぼーぜんと村を歩くけれど、足が向くのはシンシアといつも話していた…そしてシンシアがついさっき殺された、村の中央の花畑。で、そのシーンに感情移入していればしているほど、シンシアの死んだその場所を「しらべる」せずにはおれないのですね。そうすると、そこには「はねぼうし」という頭用防具が落ちている。
当たり前ですが、「何か落ちたようだ」とか、そういうフリは一切無い。でもって、「はねぼうし」を見つけようが見つけまいが、話の展開には何の影響もない。ゲームの進行上、完全な「遊び」に過ぎない。でも、このシーンがあったことで、自分にとってはドラゴンクエストⅣは忘れられないゲームになりました。もちろん、私の主人公が、デスピサロを倒すそのときまで「はねぼうし」を被り続けたことは言うまでもありません。(ちなみに、数値上はこれも完全にムダ。所詮「はねぼうし」は「はねぼうし」であって、店で普通の値段で買える単なるアイテムに過ぎないし、後々いくらでも強力な頭用防具は登場するので。)
ドラゴンクエストⅣのこのイベントも、もちろん制作者側の狙いに基づくものだし、今となっては陳腐な演出の一つなのかもしれません。ただ、当時の感覚として、このとてもひっそりとした仕掛けは、RPGとはそもそもなんだったかということを訴える制作者の姿勢として、とても好ましく感じられました。シンシアの羽根帽子は、ドラゴンクエストⅣの提供するものが、紙芝居ではなくロールプレイである、というメッセージだったのだと思っています。そういう「遊び」って、多分いまはあんまり理解もされないし流行らないんだろうなと思うと、まあ、確かになんだか残念ではありますね。それが、一般人の感慨なのか、ゲーマーとしての感慨なのかは自分にはよく分かりませんが。
以下の3件の記事を読んで、ふっと自分のヲタク(腐女子)の遍歴ってどうだっけと思ったのでチラ裏。
オタク女子中学生の「エロドリーム小説」文化 http://anond.hatelabo.jp/20130603001406
女オタクが抱える闇 http://anond.hatelabo.jp/20130605031038
ホモの嫌いなヲタク女子 http://d.hatena.ne.jp/pet-bottle/20100829/1283056881
あっちこっちに話題が飛ぶうえに、特にこれといった主張もなく長い。やまなしおちなしいみなし。
※旧タイトル「ヲタクと百合厨と腐女子と以下略」の語呂が悪かったので改題しました(6/7)
「ヲタク」と「腐女子」と「百合厨」と「ドリーマー」と「乙女ゲーマー」とを比較考察してるとかでもなく、
そのすべての属性を微妙に拗らせてしまった雑食腐女子のチラ裏です。
「三行でくれ」って書かれたので一句、「腐女子にも いろんな属性 あるんだよ」
ヲタクで腐女子なのか、腐女子でヲタクなのかいまいちわかっていない。
カテゴライズに関しては「まあ、腐女子でいいんじゃない? BL好きなのは事実だし」くらいの認識。
でもこのチラ裏書いてたら腐女子っていうよりどう考えても百合厨。
元から素質はあったんだろうけど、ヲタクに目覚めたきっかけは「劇場版 機動戦艦ナデシコ」だと思う。
とはいえ、うちの家庭はマンガとかアニメとかに厳しいどころか寛容な家庭だったし、
小学校に入ったあたりから、毎月、月刊少女マンガ雑誌を買ってもらっていたので元々ヲタクだったのかもしれない。
小学生の低学年の頃は「なかよし」を読んでいて、ちょうどその頃にセーラームーンが連載されていた。
応募者全員サービスのセラムンのネックレスとか親にねだって応募して貰ったよね。
先日、ちょうど私等世代向けのセラムンコスメが出たけど幼心にセラムンは憧れだったよね。
憧れだったとかいうわりに、好きだったキャラが蛍ちゃんなあたりに、
その十数年後に「ルリルリかわいいよルリルリ」とか言い出すロリコンの片鱗が窺えるのだけども。
ルリルリはマジ電子の妖精。
覚えている限りだと、私の小学生時代に放映してたアニメといえば、
セーラームーン、赤ずきんチャチャ、ケロケロちゃいむ、魔法少女レイアース、とかそのあたり。
弟がいたのでドラゴンボールやジャングルの王者ターちゃん、南国少年パプワくんあたりも見てました。
魔方陣グルグルとかね、クラスの男子とマンガの貸し借りしてたな~っていう懐かしさ。
GS美神とかスラムダンクとかるろうに剣心とか、アニメ関係はあげるとキリがない。
飛べ!イサミなんかも大好きでしたね。
NHKの公式youtubeで配信してくれないかなって思ってるんですが難しいのかな…
らんま1/2は再放送で見てたんだっけどうだっけ。覚えていない。
少女マンガは最終的に白泉社系に、少年マンガはWJとサンデーとスクエニに落ち着きました。
あとは作家買いで、自室の本棚の統一性が皆無です。おもしろければなんでも読みますよ。
ヲタクに関しての「原体験」の作品といっても過言ではないと思います。ほんっとにね、好きだったの。
劇場版を見たその日に、小学生女児のなけなしのお小遣いで角川から出版されてた、
「機動戦艦ナデシコ ルリの航海日誌(上/下)」を揃えたのも懐かしい思い出。
アニメ版を見ずに劇場版を見るという、今では考えられないような暴挙だったのだけど、
その後にアニメ版は母親にねだってレンタルビデオを借りてもらって全話観ました。
アキトさんの印象が劇場版と違い過ぎてびっくりしたり、「明日の『艦長』は君だ!」のノリにぽかんとしたり。
アニメ版と劇場版の空白の二年間をOVA化してくださいと願い続けて早15年、未だに願いは叶っていない。
空白の2年間の小説版(「機動戦艦ナデシコ ルリ AからBへの物語」)は読みましたが、やはりアニメで観たい。
あ、同監督の「モーレツ宇宙海賊」の第4話の電子戦のシーンが佐藤竜雄監督節炸裂で大好きでした!
モーパイの細かいテンポがナデシコのテンポで、なんかすごく嬉しくなりながらアニメ観てました。
戦うヒロイン茉莉香はかっこいいし、ツンデレなチアキちゃんもかわいいしね!
原作の「ミニスカ宇宙海賊」は途中まで読んで止まって、いま、す…
閑話休題。
ヲタクを自覚しても、生活が変わるわけでもなく、普通にマンガ読んでアニメ観てました。
スレイヤーズは観ていないんだけど、セイバーマリオネットのシリーズとバトルアスリーテス大運動会とが妙に印象に残っている。
バトルアスリーテス大運動会、ほんと視聴者置いてけぼりの超展開だったけど今見てもたぶん超展開なんだろうな。
ナデシコと同時期に放映してたエヴァンゲリオンはリアルタイムではなく、
中学生になってから友だちに借りたビデオで旧劇場版まで含めて全話観ました。
新劇場版はCG技術が進歩しててエヴァと使徒の動きがぬるぬるでテンションあがるのだけど、
ストーリーがかなりはしょられてて「シンジくん…」となるので、うん…アニメ版が好きか、な…
腐ったのは、中学生に入ってから。中学一年生。
たまたま本屋で手に取った雑誌が「COMIC BOX ジュニア」というありがちな罠でした。
このトラップに引っ掛かって腐女子に目覚めたパターンって多いと思う。知り合いにもけっこういる。
折りしも、フジリュー版の封神演義が腐の全盛期で、そっから転がり落ちるように腐女子に……
なったかと思いきやなぜか初っ端から女体化を拗らせました。未だに女体化厨です。三つ子の魂百まで。
ちょうど腐った時期とネットが普及し始めた時期が重なってしまって、
ずぶずぶとそのまま腐女子沼にはまり、未だに抜け出せずにいますが、
別にもう死ぬまで抜けださなくてもいいかなって思ってます。ヲタク(腐女子)生活、楽しいし。
ホモ嫌いのヲタク女子の方(http://d.hatena.ne.jp/pet-bottle/20100829/1283056881)が、
「ノマカプは少ないんだよ!」って憤ってらっしゃったけど、それはよくわかる。
腐ってたわりに初めて開設したサイトがWJの男女カプサイトだったのだけど、圧倒的少数派でしたね。
サーチとか「腐向け>(越えられない壁)>男女カプ」だったけど、
少ない男女カプのサイト管理人さんとわいわいやっていた記憶があるので、少数派も少数派でけっこう楽しかった。
そういえば、初めて行ったイベントも男女カプのオンリーイベントだったな。まったりしてました。
根っからの雑食性というかこだわりがないというか、
CPも固定ではないうえ男女カプも腐向けも夢小説も読むし書くしなので、
「腐女子」だとか「女ヲタク」だとか、そういうカテゴライズ関しては何も思ったことはない。腐女子だし。
そして、男女カプもいける腐女子であるうえに、けっこう重度な百合厨でもあるんですよね……。
ホイッスル!の有紀ちゃんと麻衣子ちゃんとか、NARUTOのサクラとイノの関係がすごく好き。
BLEACHの夜一さまと蜂砕ちゃんはいい百合でした、久保先生本当にありがとうございます。
WJは何気に良質な百合が転がっているので侮れない。
百合に関して語り始めると、明治大正の女学校の「エス」から語り始めるのでちょっとお口にチャックしますね。
「エス」って何?という方は、wiki先生でざっくり調べてね!吉屋信子さんの「花物語」が代表的だよ!
エス (文化) - Wikipedia http://j.mp/1b8ivVQ
あまり商業誌の百合は好きではないのですが、宮木あや子さんは好きです。
「花宵道中」の中に収録されている百合の話がとても好き。「雪紐観音」の緑と三津。
「マリアさまがみてる」は「お釈迦さまもみてる」とセットで楽しんでます。
初代?白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)こと佐藤聖さまが好きですね。祥子さまと祐巳ちゃんの姉妹は微笑ましい。
腐女子とか言いながら腐った話より百合の話の方が長いですね…好きだからしょうがない…
CPにしろ男女カプ/腐向けカプにしろ「○○じゃなきゃだめ!」というこだわりがないと気楽なもので、
その時その時の流行に手を出して楽しんで生きてます。
無節操と言われても、楽しめる範囲が広いとやっぱり楽しい。
ニコ動がγになった(07年かな?)くらいからニコ動にいるけど、
アイマスとかボカロとか東方とかも視聴する方で楽しんでる。
え、アイマスアニメでゼノなんとかさん? そんなのなかったよ?
あれはあれでオリジナルでやればおもしろかったと思うんだけど、なんでアイマスでやったんだろう。
東方はシューティングゲーム苦手すぎて挫折しました。
EASYモードすらクリアできないゲーム音痴の悲しさに泣きながら、東方二次聞いたり見たり。
東方もいい百合っぽいからゲームのストーリー把握したいんですけど、ゲーム苦手すぎて(以下略
ボカロはミクさんが発売されてランキングで見掛けるようになった頃から知ってるけど、
ここまで発展するとは思わなかったな~っていろんなメディアミックス展開を見掛けるたびに思う。
既にまったく付いていけないのでつまみ食いです。
MikuMikuDanceから派生した、MMD界隈は別のジャンルでも見ますが、ほんと凄いですね…
「女ヲタクが抱えている闇」で「エロゲ」を好きになって~とあったけど、
あと、腐女子界隈の一部もけっこうえぐいの好きだったりするから、
痴漢・搾乳・孕ませ・NTR・近親相姦・欠損・カニバ もさして抵抗がなかったり。
二次創作におけるSM好きとかやたらと多いんですけどなんでなのか。
Fate/Stay nightをプレイした時に、友だち(腐女子)から「沙耶の唄」を薦められて未だにプレイしていない。
Fate/Stay nightは素晴らしかったです。百合厨なんでセイバールートの初っ端エロシーンに
「キタワァ.*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆」ってなりました。
凛√(UBW)がのトゥルーエンドが好きでしたね。凛ちゃんが好き。
最近だと「小説家になろう」さんの男性向け18禁小説サイト、ノクターンノベルズあたりでちまちま男性向け読んでます。
個人的に、歳の差が好きなのもあって、年の離れた近親相姦ものが好きなのですが(特に兄妹もの)、
近親相姦の醍醐味は幼女の調教だと思うので、妹が女子高生設定だったらしょんぼりします。軽くキレます。
わかってねぇよ!近親相姦ものの醍醐味は幼女の調教だろ!性的知識どころか一般常識すら知らない幼気な幼女を自分色に染めてこそだろ!
と呟いたら、同好の士に「わかる、すごくよくわかる」って納得されました。
幼女が!好きです!でも、Yesロリータ、NOタッチ!現実でお触りはだめ!幼女は愛でるもの!
幼女といや「COMIC LO」だと関谷あさみさん好きです。「YOUR DOG」とか。
メガストアだと米倉けんごさん、竹村雪秀さん(字間違ってましたすいません)
男性向け成人マンガといいながら、女性の作家さんが好きなのは、作風の関係だと思います。
あとチョイスが古いのは購読してるわけじゃなくて読みたくなったらその時人気のを読んでただけだから。
たまに読みたくなるんですよね、男性向け成人マンガ。
成人マンガじゃないけど、フェチものとしてはSMの「ナナとカオル」が素晴らしいですね。
ヲタク、腐女子、百合厨、男性向け、と来て残るは乙女ゲー属性なんですが、これもまた普通にやります。
私の場合は、キャラクターに恋をする(入れ込む)というよりも主人公との男女カプ的に楽しんでます。
もちろん、「○○かわいい!」っていう贔屓なキャラはおりますが。
今だと「うたの☆プリンスさまっ♪」のアニメが毎週おもしろくて本当に腹筋が辛い。毎週超展開。
ゲームのrepeatだけプレイして残り積んでるけど、repeatもかなりの謎展開でした。わけがわからない。
twitterでHE★VENSの3人の声が、グリリバ・小野D・代永と流れていたけど真偽はいかに。
あとコナミの無料ソーシャルアプリゲームの「ときめきレストラン☆☆☆」が時間泥棒で困ります。
課金しなくても楽しめる高クオリティ無料ゲーム。お薦めです。透担。少年が好き。
こうやってひとはダメになっていく。
あ、「三国連戦記 思い出がえし」の発売(6/6)おめでとうございます。PSP版になったら買います。
ここまで手を広げてしまったので、財布的な意味で
特撮沼と2.5次元だけにははまるまいと思っていたのにテニミュには落ちました。
1stの全立が好き。兼ちゃん真田が好きで好きで。変な声が出る。
くぼべはスルメ。噛めば噛むほど味が出る。ドリライ7で雌猫ってくぼべに呼ばれたかった(´・ω・`)
年齢が近いこともあって、
「オタク女子中学生の『エロドリーム小説』文化(http://anond.hatelabo.jp/20130603001406)」は、
黒歴史がりがり掘り起こされるくらいにまんま辿ってきた道なので読んだ同年代腐女子たちと
「こwれwはw死ぬwwwwww黒歴史過ぎて辛いwwwwww」
「Pixivに名前変換機能付いたら今の子もガンガン黒歴史量産するのにねwww」
「黒歴史量産して十年後にのた打ち回ればいいのにねwwwwww」
と笑っていました。Pixivに実装されないかな、名前変換機能。
今なら黒バスになるのかな。私の頃はホイッスル!とテニプリだったけど。
寝れてないテンションでつらつらつらつら思い浮かんだことを書き殴ってみたけど、
何が言いたいのかさっぱりわかりませんね。自分でもわかりません。
脳内がぐるぐるしていたので、とりあえず吐き出したかっただけです。
「腐女子」と一括りにされる界隈も、突っ込んでみればそれぞれ属性があったり、
その属性があちこち重なってたりで、食わず嫌いせずに関わってみるとかなりおもしろいです。
気を抜くと相手の守備範囲の沼に勢いよく引きずり込まれかけますが、堕ちても楽しい、よ……
【追記】
追記なのに長いよ!
以下のメインは、チラ裏というか、私の周囲の腐女子の方々についてというか。
日常生活においては「ヲタク」であることはカミングアウトしてません。
腐女子趣味たるや言わずもがな、です。別にtwitterとかあるからまったく困らない。
有川浩さんとか小野不由美さんとか宮木あや子さんとか、一般文庫も読むので「本が好きです」くらい。
まあ、実際は十数年来のコバルト文庫・電撃文庫愛読者なんですけど、
日本人のお得意な「本音と建前」というやつです。
今なら「『空飛ぶ広報室』の作者さんですよ」で終わりますしね。
残念ながら、非リア臭は隠せてませんが非リアなのは事実なのでいいです。
恋愛する暇あったら本読むかアニメ観るか寝ていたい。まるでダメなヲタク。
ちょうどネットが普及し始めた頃にヲタク(腐女子)になったので、
これといって飢餓感を覚えることなく生きて来てます。
類は友を呼ぶらしく、気付けばヲタク友だち(腐女子仲間)も年々着実に増えますし…
そしてその影響でまた新しいジャンルに手を出してどんどん広がっていく守備範囲。
風の噂で腐女子は「逆CPで戦争を起こす」とか、「ジャンル浮気は叩かれる」とか聞きますが、
私のタイムラインはものすごくゆるいので、自ジャンル(これ腐女子特有の用語らしいですね)をホームに、
その時の盛り上がっているジャンルでけっこうみなさんわいわい楽しんでいます。
去年末あたりはFate/Zeroの影響からFate/Staynightプレイ者続出でした。
200人弱のフォロワーなのに、軽く片手以上がプレイしてました(全員女性です)
今だと黒バスと進撃とうたプリとときレスかな。
同時並行でジャンルを2,3掛け持ちとか多いです。
私のフォロワーさんは、基本属性「腐女子」なのですがその中でさらに細かくカテゴリを分けていくと、
・アニメ
・小説(ラノベ、一般文庫)
・ゲーム(戦国BASARA、テイルズ、アトラス系、乙女ゲー、音ゲー、アイマスとか)
・2.5次元(テニミュとか忍ミュとか)
・特撮好き
・MMDなんかの動画系
把握しているだけでこんな感じでしょうか。
当然、単一特化ではなく複数項のカテゴリに足突っ込んでる。ニコ動は最早嗜み。
それぞれ特化しているものものは違いますが、ゆる~く繋がってます。
ちなみにジャンル柄、ガチのミリヲタと歴史ヲタ(世界史/日本史問わず)もいます。
私は歴史もの好きだけど、詳しくないので観るだけですが「坂の上の雲」は素晴らしかった。軍艦かっこいい。
評判よくなかったですけど「平清盛」も私のタイムラインでは人気でしたね。ほら、ライバルってBLの王道ですし…
三次元は、KABファンとハロプロヲタ、モノノフがいます。ジャニ好きとかも。他は把握してない。
改めて書き出してみるとカオスだな…と思いますが、特に衝突もなくゆるゆるっとやってます。
「○○興味あるな」って呟くと、「○○いいよ!」「××からがお薦め!」と
それぞれの沼に引きずり込もうとあちこちから手が伸びてくるので誘惑を振り切るのに必死ですが。
たまに、引き摺りこまれます。そして、悔しいので別のところに引きずり込みます。
最初に挙げた増田の記事を読んでいると、他人事ながら「生き難くかろうな」と思います。
他人の萌えと自分の萌えが完全に一致するわけないとわかっていると、わりとなんでも楽しめます。
数学の集合みたいに、一致して重なった部分で盛り上がれればそれでいいというスタンスだと気が楽。
同じジャンルにいるのに逆カプの人とかよくいますし、それで揉めたこともない。
数年くらいジャンル被らないとかもざらです。
でもそういう人ともゆるくどうでもいい日常の話題で繋がってます。
ジャンルの切れ目が縁の切れ目になっていた昔と違って、
ジャンル違っても緩く繋がれているtwitterは本当にありがたいものです。
「少女漫画脳だから恋愛に興味が持てない」(あるいは神風怪盗ジャンヌの背中)
http://mogmog.hateblo.jp/entry/20120601/1338560962
この記事おもしろかったんですよね、すごくよくわかる。
いいからお前は来週末〆切の夏コミ原稿やれよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130604092611
BLも読むけど、それほど興味がない。
買う同人誌も男性向けばかりだし、エロゲもやるし、コミケはいつも三日目常連。
どうしてこうなったのか、いつからこうなのか分からないけれど、
とにかく子どもの頃から二次元のキラキラした可愛い女の子が大好きだった。
FF7にハマって、純粋に1ゲーマーとして楽しんでいたのだけど、
ある時書店でFF7の、でも公式ではない絵が表紙になった本を見つけてしまった。
とにかく、まだネットも発達してなかったので情報に飢えていた私は買ってしまい
当時のFF7の人気BLカップリングはセフィロス×クラウドだったと思う。
とにかく、そういう目線で楽しんでいる人が衝撃的だった。
あと、うっかり飛翔系のアンソロを見てしまいトラウマになったり、
近所のこともあって私は行ってみることにした。
そこには、更に知らない世界が広がっていた。
地方の即売会は、本よりもグッズメインなのは今も変わらないのだろうか。
よく知った漫画やアニメのキャラ描いたカラフルな便箋やラミカバッジ。
なにより、楽しそうにコスプレする人たち。私は夢中になりました。
おこづかいを削って、月に一度くらいは参加するようになった。
そうしているうちにイベント会場で、顔はしってるけど話したことはない
同級生と仲良くなり、お互いヘッタクソな絵で交換日記を始めた。
当時、私が好きだったのは電撃G'sマガジンで連載されていた企画や
深夜にやっている美少女アニメばかりだった。
セラフィムコールが好きで、ビデオを録画して擦り切れるほど見た。
だから、BLを当然のように嗜む腐女子の輪の中で、私は異端だった。
男同士の絡み絵を描く中で、美少女のおっぱいやお尻のほうが良いとは
次第に疎外感と孤独感をこじらせてしまい、そのコミュニティとは
高校進学を機に離れてしまった。
こっそり深夜アニメを見たり漫画を見たりするのは止められないし、
大学に入るとエロゲに手をだすようになって、それはますますひどくなった。
それでも分かる人には分かるらしくて、オタクコミュの人から声をかけられても
「あなたとは違うんです。」的な対応をしていた。
いつももっさりした髪型と服装で、自由に使えるお金は全部グッズに使うような、
携帯のストラップにどうどうとアニメイトやガチャガチャの商品をつけるような、
そういう鬱憤を晴らすかのように、エロゲの内容というか性癖もどんどんこじらせていった。
有名どころだと、沙耶の唄やさよらならを教えてが好きだった。
この頃から、コミケに行くようになり男性向け同人誌を買いあさった。
挙げればキリがないけど、とにかく反吐が出るほど悪趣味になっていた。
もう、美少女かわいいだけでは済んでいた頃には戻れなくなっていた。
その頃、みさくら軟骨先生のシスプリ同人誌「瓶詰姉妹」に出会い、
「あーりーあーしーこー(ry」を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
そんな感じで、内面だけは立派なキモオタに成長した私はその趣味を
誰にも晒すことも話すことなく四半世紀以上生きてきてしまった。
その間、ずっと女なのに女の子に萌える自分って頭おかしいんだろうなーと
本気で思っていた。精神科に通った方が良いのかもとすら思った。
そこで仲良くなった人の中に、私と同じように女だけど男性向けが好き、
エロゲもやる、そういう人がちらほら居ることを知った。正直、すごく感動した。
思い込んでいた私には、そういう人が他にも確かにいることが奇跡に等しかった。
何回か一緒に即売会やイベントにも参加した。ものすごく楽しかった。
生きている内で、あんなに楽しい事はなかったと今でも思うくらいには、
楽しかったし、誰かと趣味を分かり合えることが嬉しくてたまらなかった。
同時に、どうしてこういう機会があったかもしれないのに、
何より、昔の自分と違って自分の趣味を公言しても許される環境や
とても可愛らしくて、一見してオタクには見えなかった。
大学時代に見たもっさりとしたオタク像しか知らなかった私には、
よく見れば、今や自分の方があのころ嫌悪していたもっさりオタクなんじゃないか。
これまで、必死に自分を隠して生きてきた私ってなんだったんだろう・・・と。
そう思い始めてしまい、恥ずかしさと悔しさでいっぱいになった。
そうこうしているうちに私生活が忙しくなってしまい、ツイッターも止めて
見られては困るような押入れにしまいこんでいたエロゲや同人誌をほとんど処分した。
でも漫画を読んだりアニメを見たり、そういうのは止められない。
でももう、同じような趣味の人と繋がることは二度とないと思う。
どこにいても何をしてても、思春期に味わったような疎外感や孤独感は拭えない。
腐女子の輪にも入れないし、かといって男性オタクには決してなれない。
どっちつかずな存在の私のような女オタクは、これからもひっそり生きていくしかない。
何が黒歴史かといえば、オタクのくせに同じオタクを勝手に見下して同属嫌悪をして、
自分から楽しむ機会をドブに捨てていた自分の行動に対して後悔しか浮かばない。
http://b.hatena.ne.jp/moondriver/20090408#bookmark-12421841
moondriver moondriver anime, オタク, 考察 "七話をきっかけにバーディの話が出るようになった" グレンラガン4話と同じでもはや(製作者側が)「電波ソング」みたいな扱いで「作画崩壊」を投入してるんじゃないの?という気さえする 2009/04/08 Add Star
グレンラガンの4話に関しては目的ははっきりしているでしょう。それは「金田伊功回」を擬似的に作り上げる事。
グレン企画当初のテーマとして「ロボットアニメの歴史の総括」があり、今石監督の原体験からして金田伊功の存在は外せなかったのは当然の事と思われます。
かつて金田氏が一話だけ現れて、全ての原画をやって大暴れして去っていったあのアニメ「ずっこけナイトドンデラマンチャ」第6話「ドンはカウボーイ」のように、もしくは「無敵鋼人ダイターン3」第22話「スターの中のスター」のように。それを自分の監督作で再現してやりたいと今石氏が夢想するのは想像するに難くないでしょう
そして誰がそれをやるのかについても拘ったはずです。「金田的であるか否か」という点を重視し、ただの「金田モドキ的作画」だけの回にはしたくなかったと推測します。
かつては今石氏も他人のアニメでそれを何度も実行してきました、「ミクロマン」第26話、「メダロット」第14話等がそれに該当します。しかしそれは「金田モドキ」回としては上等だったとしても、「金田伊功」回には成り得ませんでした。なぜなら今石洋之は金田伊功じゃないからです。
ただ、モドキ作画を繰り出すだけでは「金田回」にはならない。そうなれば、「どうすれば出来るか」ではなく、「誰がやるべきか」と考えたのではないでしょうか。上辺だけでなく、潜在的な意味での「金田伊功」に近い人間。
その結果、白羽の矢が立ったのは小林治氏です。何故ならば小林氏は「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
このスタッフィングに異論は当然あるでしょう。もっと金田氏に限りなく近い人間は他にもいるだろうと皆さん思ったに違いありません。
ゲームムービーで一緒に仕事した関係とはいえ、まさか当時ゲーム会社所属の金田氏本人にやってもらうのは今石氏では難しいでしょうし、何かそれはそれで本末転倒な気もします。
今石監督の人脈の中で誰が一番適任者だったか、普通に描ける人では駄目なのです、異能者でなければいけないのです。その結果、小林治氏が抜擢された。何度も言いますが何故なら「金田伊功ファンクラブ初代会長」だったからです。
4話のスタッフをこの組み合わせでやれた時点で、おそらく今石監督は満足いったのだろう想像します。小林氏ならばグレンラガンをメチャメチャにしてくれる。それでもって「金田伊功」回の再現とするのだと。
結果ではなく過程が全て、それが天元突破グレンラガン第4話「顔が多けりゃ偉いのか?」だったのです。
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続く第8話では渡部圭祐氏にその役割を担わせたことが伺えます。
本編中で一番盛り上がる所を、金田系正統後継者(今石監督の私見)に任せてドラマを盛り上げるのに一役買ってもらう。
これはどうみても劇場版銀河鉄道999や幻魔大戦などにおけるスペシャルアニメーター金田伊功ポジションの再現です。
つまりドンデラマンチャの時の「暴走アニメーター金田伊功」を小林治氏に、
幻魔大戦などの「スペシャルアニメーター金田伊功」を渡部圭祐にそれぞれ託したのではないでしょうか。
■参考
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第4話 顔が多けりゃ偉いのか?
http://www.style.fm/as/13_special/mini_080109a.shtml
今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!
第8話 あばよ、ダチ公
よく「中国は親分、北朝鮮は子分」、「最後には北朝鮮は中国の言うことを聞く」という言説が横行している。
「似たような全体主義体制だから、互いに仲がいい」と思われているのか、
「朝鮮戦争で共に戦った仲間、血で固めた友好関係」と思われているのか。
しかし、全体主義国家同士、独裁国家同士だからと言って、必ずしも仲が良い、という保証はない。
現状は単に、「互いの存在を認めて、利用するのが得策」と判断しているから、利己的理由で結びついているにすぎない。
本音では、中国は北朝鮮を心底から信用していないし、逆に北朝鮮も中国を心底から信用なんかしていないだろう。
中国が「韓国などの親米民主国家と国境と接するのは、共産党独裁体制に悪影響があるので、
独裁国家を間に挟んでおけば、緩衝地帯になって、一党独裁が維持できる」という打算をしていて、
その打算を北朝鮮が見抜いていて、援助を要求する、という間柄でしかない。
仮に「北朝鮮の現体制を維持するデメリットが、民主国家と国境を接するデメリットを上回る」と
北朝鮮側も、中国に見捨てられる最悪のシナリオは想定しているから、
見捨てられないように、様々な工作を講じているのだろう。
「見せかけの友好関係、根っこは相互不信」というのは、あたかも
「ヒトラーとスターリンが、一時的に不可侵条約で友好関係を演じた」ようなものである。
ドイツ・ソ連も、不可侵条約締結しておきながら、腹の中では全然相手のことなんか信用してなくて、
「朝鮮戦争で共に戦った間柄」というウェットな感情論が、果たして両国軍人に通用するのか?
朝鮮戦争に実際に従軍していた世代って、恐らく1935年産まれ以前だから、
つまり今だと78歳以上になる。
大半が既に死亡しており、少なくとも除隊していて、今の軍関係者への影響力は少ない。
北朝鮮軍関係者であれば、例えば40歳の軍人は、どのような世代だったのか?
仮に20歳で入隊したとして、入隊時は1993年。
かつてはソ連から多量の軍事援助があったが、それも1991年で打ち切り。
恐らく1991年当時の北朝鮮軍内部は、突然のソ連援助打ち切りで、パニックになっただろう。
「自らの手で、国土を防衛しなきゃいけない、友邦頼みはマズイ、友邦なんてスグに裏切られる」
という「自主防衛」の思想が、この時代に醸成されたと思う。
そういう時代に、彼らは入隊している。
なので、「自主防衛しなきゃならない、「友邦」なんか頼りにならない」という強烈な危機感が、
この辺の「北朝鮮内世代論」を踏まえた議論というのを、自分は見たことない。
「中国やソ連と親密な時代」を経験した軍人と、「自主防衛しなきゃいけない」時代しか体験してない軍人とでは、
ソ連に裏切られ、朝鮮戦争の記憶もない若手軍人は、中国依存の軍事戦略なんて、危なっかしいと考えるだろう。
が、同時に北京も照準にしているハズだ。
北朝鮮が国家生存のために必要とする国家は、アメリカ以上に中国なのである。
IT土方の自分が初めてプログラムなるものを体感したのは、中学校の授業だった。
当時は5インチフロッピーが主流のパソコン上で、BASICを走らせたらそれが妙に面白くて、時間を忘れて夢中になってしまった。
原体験というのは恐ろしいもので、今振り返ってみればそのときの体験が、その後の人生に計り知れない影響をもたらしたわけだ。
例えるなら、あやとりと拳銃早撃ちに目覚めたのび太的感覚だろうか。
開発者の社会的地位は「コード書けるだけで何が偉いの?何が凄いの?」という微妙なポジション(国家資格でもコード書き方面の高度区分は組み込みだけというのが現状をよく表している)で待遇も微妙だが、それでもプロのコード書きは自分にとって天職だと思うし、そうなってしまったことにあまり後悔はしていない。
山下清じゃないけど「まあ仕事だしな」で過ごしたり過ごさなかったり。コード書き以外は何をやっても全然ダメだけど。
とまあ、これだけで終われば満更でもない思い出話なのだが、正直、初めて触れた言語がBASICだったことは、自分にとって黒歴史でもあったりする。
かつての自分と同じようにBASICでプログラムに興味を持った人に「あんなのはダメ」と頭ごなしに言うつもりはないけど、もしBASICのBの字も知らない人であれば、今ならPythonかRubyを、Linuxとセットで勧めると思う。
気がついたらCもJavaもPerlもこなし、いつの間にかアプリもシステム・プログラミングも経験していた自分からすると、それくらい、BASICは言語として拙いというのが実感なのだ。
色々問題はあるんだけど、一番はプログラムに対するスタンスを誤解してしまう所。
あれを最初にやると高確率で「プログラミングなんて、その場で出来る範囲で適当に書いときゃいいんだ。なんつってもノリが大事なんだから、うるさいこと言って神経取られちゃダメだ」という恐ろしい考えが身についてしまう気がする。
だってかなりいい加減に書いても、それなりに動いちゃうから。人は大抵易きに流れるので「これでいいのだ」になるのが自然というか。
更にこれがVBだったりすると、MSの用意した機能だけしか使えない人になるだろう。もっとヤバい気がする。
ともかく自分はそうやって身についた悪習慣が祟って、折角大学で習った知識はまともに身につかず、就職後にOJTを通して自らを叩き直すハメになった。
勿論これは自力じゃなく、当時のメンターの驚異的な忍耐力を以てなされたことであり、今でも頭が上がらない。
全く遠回りをしたもんだと思う。
今でも周囲のVBしか業務経験ない人のコードの品質は基本的に低い。某掲示板ではVB厨という言葉があるらしいけど、そういう蔑称も仕方ない気がする。
まあ自分の場合、当時はBASIC以外の教育用言語といったらPascalくらいしか無かっただろうし、振り返ってどうにかなるもんでもないし。
これ(マイノリティと『冷静に・論理的に語ろうとすること』のジレンマ http://togetter.com/li/359325)の後半が意味不明だった。
冷静に、論理的に語ろうとするorそれを他者に求めるのは男性の作法……だと……?
私は、男に理屈でやり込められて、悔しい、悔しいと思ってきたし、感情的になったら負けや、と思ってきた。
私のフェミニズムは、感情的な自分を否定しないことから始まるし、理屈で黙らせようとする男に歯向かう言葉を手に入れようとしてきた。そういう原体験がある。
でも、それとアカデミアで研究者然として振舞うことには、ギャップがある。「冷静に論理的に話すこと」は、男の作法に屈することに感じることが未だにある。
だいぶ、慣れたし、私もそう振舞うことで適応してるわけだけど。それと、フェミニストの自分がうまく接続できなくて、エラーが起きる
この人研究者らしいんだけど、こんなんで研究者なんてできてしまうの?
最近第三世界のフェミニズムや「書くこと」について読んでいるのだけど、font-daさん(注:上の発言の人)の苦悩(に近いもの)については再三主張されているな。
「論理的であれ!理路整然としろ!」というのはそもそも「男のルール」である訳で。しかし、それに従わない方法で主張しても無価値とされる
女も論理的に語ることはそりゃあ出来るだろうが。
「男性中心のイデオロギー」の中で培われた価値観=「論理的であることは素晴らしい」(西洋的でもあるかな)に抗うのだったら、感覚的な話し方に価値を置くってことにはすごく意味があることに思う
しかし、それをすると、「論理的であることは素晴らしい」イデオロギーに支配された社会じゃあ、嘲笑され、軽視される。
だから、男性中心のイデオロギーに抗うことをしながら、男性中心のイデオロギーによって作られた評価基準を満たすように「話さ」なければいけないジレンマ
このあと当然のごとく研究者界隈から批判くらうんだけど、ファビョって話が噛み合わない。
強い、フェミニスト強い。自分の言いたいこととかみ合わない人は御仲間内での晒しあげ&わめきちらして議論を強制終了。
この人達の過去ツイ見てる限り大学出てるっていうから驚きだ。不幸にもこんなクレーマーを相手にしなきゃならない人たちは大変だな。
http://anond.hatelabo.jp/20120806022506
人間社会の利便性のために動物を殺さなければいけない時は多々ある。
ある種族の個体数が増えすぎても減りすぎても人間社会にとっては不都合が生じることが多く、そのような場合個体数を調整する必要性に迫られる。
そういう時に殺した動物を食べれば、「命を無駄にしなかった」という免罪符を得て罪悪感から免れることができる。
もうひとつは動物も他の生物を食べて生きているので、人間もそうしていい、と思うから。
これは同害報復や仇討ちを推奨しているのではなくて、人間が他の動物を人道的な観点から捕食することをやめたら、
逆に人間を傲慢にさせて人間の便利のために動物の権利を制限することに正当性を与えるから、そうなってほしくないため。
「それに対して我々人間は本能的欲求に逆らってでも殺生をしない理性的な生き物」という線引きが確立するからね。
動物と同じように人間も食べるために殺生しているから、「所詮人間も動物の一種」と謙虚でいられるのだと思う。
なんで自分がこう考えるようになったか探ってみたら、過去の出来事がふとよみがえってきた。
子供のころ近所に住み着いていた野良猫に餌をあげてかわいがっていた。
ある時猫がその辺を歩いていた鳩に一直線に飛びつき一瞬で捕殺して食べ始めた。
あまりの恐ろしさに泣いてそれからしばらく猫をかわいがれなくなった。
でも子供ながらに、納得できる理屈を作って、鳩を食い殺した猫をまたかわいがれるよう自分に言い聞かせた。
本来猫は他の動物を捕食して生きる動物であり、いやそうしなければ生きていけない動物であり、
小さな嘘をついてしまうのはその過去を自分が自分の中で消化しきれてないときだ。
今日もまた小さく嘘をついて、いろいろと話していることに矛盾が出てきて焦った。
嘘がばれるところだった。
要するに俺がどれだけクズかということをありのまま語ればよかったのだが
嘘が出てそして矛盾が出た。
焦った。
家に帰ったあともなんかモヤモヤが晴れない。
これは語るべきものではなく
だからおれは今がんばれるわけで
これは人に見せて聞かせるものではなくて
このことはまだ話したくなくて
ここが原点となって死ぬほどがんばって
どうしても結果がほしい。
おれはどうしても上りたい。
そこから自分ので中で咀嚼して消化して最後はネタに昇華して自叙伝でも出すか。
最後ふざけてごめん、でもそんなところ。
内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、
どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。
中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。
ただ、趣味がゲーム、アニメのイラストを描くことで、2chに入り浸り、
体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。
実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。
よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、
ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。
中学校は進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。
その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。
結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。
高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。
がコンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。
高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいから予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。
進学塾の費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。
共学校だったが、3年間で男子と言葉を交わした記憶は殆ど無い。
大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。
数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実の人間社会に興味がわかず、
政経ではなく倫理に興味津々でセンターも倫理選択で、地理はやらなかった。
結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。
サークルに入った。大学の人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。
「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。
絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。
ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。
私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分の人間関係はそのまま。
わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。
教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」
じゃあ公務員試験の勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」
(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)
まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しかも自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。
共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活も勉強もほとんどできないままほぼ大学受験の貯金で受けた試験で内定をもらった。
しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。
仕事をするからには、自分の仕事を通じて社会の課題を解決したかった。
「おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。
それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。
親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。
にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。
通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月。
なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。
勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。
とりあえず英語の試験の勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。
けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。
そもそも問題意識が低いから目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、
問題意識の根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。
東北支援と、NPO系のもの。いかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。
というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しかし怠惰さは残った。
よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。
そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。
それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。
能力が、ないのだとおもう。
頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。
でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。
意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。
これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。
これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。
いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。
しかし、自分の中で仕事をステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。
阪神大震災発生後、確か95年2月ごろに小松左京が毎日新聞に「大震災」という連載を始めた。
「震災を体験した方々へ、記憶が鮮明なうちにその体験を書き留めよう」と呼びかけていた。
そのココロは、
「記憶が確かなうちに震災記を書き留めることで、震災記が将来貴重なアーカイブになる」ということ。
※小松左京は終戦前日に大阪城付近で空襲に遭遇(これが処女作「日本アパッチ族」のモチーフになる)
しているのだが、「この空襲の記録が全く残っていなかったので、非常に苦労した」と語っている。
実は自分は阪神大震災を大阪で経験しているが、2011年の今、震災記を書こうと思っても、
かなり忘れてしまっているので、書けない。
あの時小松左京の言うとおりに震災記を書いておけば、と少し後悔している。
今回の地震で、まだまだ東北や茨城では災害が現在進行形であるが、
首都圏では幾分かは落ち着いてきている。
1995年時点と違って、今ではブログやツイッターで震災体験を書き込んでいる人も多いとは思うが、
「体系だって震災体験記、というカタチにまとめている人」はまだまだ少ないと思う。
忘れないうちに、震災時からの出来事、感想を体系だって書き始めてみてはどうだろうか?
「それ、かわいいですよねー」とか
「サイズお出ししますよ」とか
モノを売っている店で店員に話しかけられるとすごく面倒くさい。
というか、話しかけられることが怖い。
反射的に逃げなきゃって思うのに体は違うことしてるので、なんか一瞬パニックみたいになって、頭真っ白で、
「あ、……う…」(大汗)みたいな感じになる。
で、ほとんどの場合は聞こえなかったことにして手にしていたモノを戻し、別の場所に移動する。または店を出る。
ネットを見ていて、同じように感じる人がけっこういるんだってことを知って、ちょっと安心した。他にもいるんじゃん、こういう人。
それで調子に乗って、話しかけられても無視してりゃいいや、むしろ空気読め店員とか思った。
「デパートとかで話しかけられたら『はい』とか笑って適当に言っとくといいと思うよ」
って言われた。
そうかー、他人をガン無視してる人間を端から見てたら気分よくないよね、そりゃ。
「はい」くらいはできるかなー……。
なんて、言われてできりゃ苦労しないんだけどさ。
なんでこんなに話しかけられるの怖いんだろうな……
って考えてたら、思い出した。
突然他人に話しかけられる恐怖感の原体験。
私は昔から友達がほとんどいなくて、小学校のときなんかは教室にいても話す相手もなく、休み時間は自分の席で本読んだりしてた。
他の子達の集団トイレとかには誘われもしなかったし、行きたいとも思わなかった(今考えても理解できない)。
で、たまに声を掛けられることがあるかと思うと、それはたいてい面倒なことを押しつけられるか、新しいネタでからかわれるかのどちらかだった。
「他人の挑発に乗ったら、ヤツらはこっちの反応を見て笑うつもりだ。相手にしたら負けだ。」
そう思って、できるだけ反応が希薄になるよう心がけた。
声を掛けられたら、どんなちょっかいが出されるかを全身で感知し、相手が期待している反応を予測して、ぜったいにそれに沿わないように対応する。
…これって、今同じ事してないか?
20年以上の前のことに怯えてんのか、私は。
てなこと考えながら、うーんそうだねーって生返事してたら、彼氏が追撃してきた。
アメリカでは、お店に入ってきたお客さんにとりあえず声をかけるらしい。それは、入ってきた相手がこちらの言うことを理解できるか、あやしい人じゃないか確認する意味もあるんだそうだ。
一度はアイコンタクトしておかないと不安らしい。これは店に限らないそうだが。
(まあ全部がそうではないのかもしれないけど、駐米経験のある人だから全く聞きかじりの欧米論てわけじゃないんだろうな)
そしたら私なんか超怪しい要マークな客なわけだが。
もとい、じゃあ日本ではどうだろうかと考えてみると、怪しい度チェックはともかく、入ってきた客には声を掛けるのが店員の使命、くらいに言ってる店はあるんじゃないだろうか。日本的なお作法として。
むしろ、そういう店の方が多いんじゃないだろうか、ということに思い至った。
経営者側からしてみたら、ご来店いただいたお客様にお声もおかけしないなんて失礼だ! というわけだ。
彼女らは好きこのんで私なんかに声をかけてるわけじゃない。仕事なんだ。決して、私のアイデンティティに話しかけられているわけではないんだ。と思ったら、ちょっと気が楽になったよ。
まとめると、
■20年以上前のことに怯えるな
店で声を掛けられても、その相手は自分をネタにしたり吊し上げようと考えてるわけじゃない。
即「敵だ」と身構えなくてもとりあえず大丈夫。
■店員も仕事だ
店の人間は仕事だから客に声を掛けなくてはならないのであって、
自分は無数の「客」という記号の中のひとつに過ぎない。
そうやって考えてみたら、すぐに笑って「はい」は無理かもしれないけど、ちょっと落ち着いて、次回からはガン無視はしないようにできるんじゃないかな、っていう気がしてきた。
そうは言っても、「買ってくれオーラ」とかをギトギトに出されたら、脳みそがしびれて怖くて逃げたくなってしまうと思うけどね。
※直接的に性的表現や暴力表現が出てくるので注意してください。はっきり言って変態記事です(´Д`)
自分には他人に言えない性癖があることを思い出した。
僕は「丸呑み」好きだ。
「丸呑み」というジャンルについて説明が必要かわからないが、簡単に言うと僕は「女の子が怪物とかにもりもり食べられるシーンでハァハァする人」だ。
はっきり言って、変だと思う。英語でVoreとかVorarephiliaとかいう言葉がある程度にジャンルとして確立されていて(日本語版Wikipediaの丸呑みフェティシズムってタイトルはダサすぎ。内容の是非と無関係に記事ごと消してほしいほどダサい)、「丸呑みデータベース」というサイトがあったり、同好の士が少しながらいることも知ってるけど、それでも特異なジャンルだという自覚がある。
たぶん、丸呑みに興味ない人は、僕が女の子が食べられるシーンで勃起してしまう理由が理解できないと思う。ノンケの僕に同性愛嗜好が理解できないのと同じように、丸呑みスキーでない人には食べられて死んでいく女の子に興奮する僕がきっと理解できない。
そもそも理屈で考えておかしい。一応、曲がりなりにも性欲というのは子孫繁栄のためにあるもののはずで、女の子の体内に射精して子づくりに励みたいというのが根本のはずで、実際には大多数の精子はオナニーをはじめとする各種の方法で膣外に出されて消えていくのだけど(´Д`;)、怪物の体内に消えていく女の子を見ながら勃起してあさっての方向に射精する行為にどんな解釈を持ち出せば説明がつくのか、僕にもわからない。
(念のために言っておきますが、僕は基本的には女の子の膣内に射精したい(´Д`;)というノーマルな欲望も持ってる人です)
思い出せる限りで僕の丸呑み好きの原体験じゃないかと思うのは、たぶん悟空がブヨンに食べられるシーン。
…もしかしたら、ディスク版ゼルダの伝説でリンクがライクライクに食べられるところかも。たぶん、この頃にはもう丸呑みというか、捕食ネタが好きだった。あのファミコンの16*16ドットのキャラで、ビッグマックみたいなドット絵のライクライクがリンクにのしかかるところで興奮してた。
当然18号の吸収シーンは大好物。今でも抜こうと思えば抜ける。さすがに大人になった今、悟空で抜くのは無理…(というか悟空で抜いた経験があるわけではないです。当時はオナニーや射精すら知らなかったはずだけど、勃起はしてた気がする)
たぶん一番好きな丸呑みは、バイオハザード アウトブレイクのハンターγの丸呑み。丸呑み目当てで買った。わざわざスク水やバニーの格好させられて、見ている僕の性欲を満たすために、食べられるためだけにカエルの怪物に向かっていくお姉さんたちにハァハァ。大きな口の中でじたばたもがいて、ごくんとお腹の奥に消えていく瞬間の陶酔感というか。
女性の場合はどうなんだろう。男(じゃなくてもいいが)が食べられるシーンで興奮する女性って、いるのだろーか。
丸呑みはリョナと被ってる、あるいはリョナの一部とみなされるジャンルで、実際僕はリョナ系もモノによっては好きなんだけど(でもあんまり腹を殴ったりとかは苦手。これから大変なことになる女の子が恐怖におびえてる顔とか、トゲに刺さってエロい悲鳴上げながら光になる某ロックマンの女性とかが好物)、丸呑み好きの人は「痛いのは嫌」とか「出血は嫌」とか嗜好が多少ぶれる。
僕は丸呑みっぽければ多少出血しても平気。ワニの出てくる某パニック映画で、女の子がばくばく食べられながら体が血にまみれていくシーンでも勃起していた。
でも女の子がただ普通にむさぼり食われるグロシーンなんかは全然好きじゃない。
そういえば、捕食された後の女の子が胃の中で溶かされていくシーンもあんまり好きじゃないかもしれない。体内に触手があって陵辱シーンに移行するとか論外。
丸呑みの何がいいか、やっぱり今まさに飲み込まれていく女の子の絶望の悲鳴だろうか、口の中で手足をばたばたさせて抵抗をするところだろうか。頭から頂くか、足から頂くかでも楽しみ方が二通りあるし。
オナニーにたとえれば、丸呑みシーンで口の中で女の子をもてあそぶのは、手でペニスをシコシコしごいているときで、ゴクンと飲み込む瞬間は射精開始の瞬間。お腹の中に消えていくときはもうドクドクと精液が流れ出している状態。
丸呑みシチュでは、口の中でもがかせる時間を少しでも長く味わっていたいけど、最終的な目標は女の子が飲み込まれて消えていくという絶頂を迎えること。飲み込んでしまったあとは急速に襲ってくる虚脱感。(射精って、最高なのは始まりの一瞬で、精液がびゅっと出てるときにはもう絶頂が過ぎてるように思うけどどうでしょう?)
あ、でも蛇の丸呑みとかで、お腹が女の子の形にぽっこり膨れてるのは大好物。食後シーンも状況によっては楽しめるな。
丸呑みというのは、リアルでは絶対に実現不能な嗜好だけど、それ以前に僕は自分で女の子を食べてみたいとは微塵も思ってない。実写の人の口に小さい人間を合成して飲み込んでいく映像とかあるけど、全然実用にならない。
手のひらサイズの小さい女の子が実在するという異常な状況を仮定した場合に、その子を口の中でじたばたさせてみたいとか、それもない。
もっと限定した無茶な仮定で、自分がカエルみたいな口の化け物になったときに、リアルなサイズの女の子を口の中でもごもごする行為ならやってみるのもいい、かも。それでも飲み込むのはちょっと嫌か。…自分で書いてて引きそうな文章だ。
あくまで食べられてるところを傍観するほうがいいな。
丸呑みに特化したエロゲーは存在しないのだろうか。知らないだけで存在してるのかもしれないけど。丸呑みAVは信じがたいことに実在するようだが、サンプルを見たら残念な出来の怪物だった…
ストーリー:20XX年、突如現れた侵略者の手によって世界は荒廃。生き残った一部の人類が侵略者と戦っている。その侵略者は「捕食者」とか呼ばれ、人間を主食とし、特に若い女性が大好物。大きさは人間よりひとまわり大きいくらいのやつから、数mくらいまで。
ヒロイン:侵略者と戦う抵抗勢力の女の子と、侵略者から逃げる女の子のふたりくらい。
ゲーム内容:短編オムニバス形式、あるいはロックマン形式でいくつかのシナリオが選択できるAVG。シナリオごとに爬虫類・両生類・植物・芋虫など、多様な捕食者が出てきて、必死で抵抗したり逃げたりするが、どんな選択肢を選んでも最後はヒロインが食べられてバッドエンドになる。次のシナリオを選ぶと何事もなかったように同じヒロインで話が進む。そしてまた食べられる。抜き所となる捕食シーンも、ヒロイン主観視点で怪物の口に入っていく場合と、地の文の視点でヒロインが体内に消えていく様子を淡々と描写する場合のほか、怪物主観視点でヒロインを味わってしまうなどバラエティ豊か。
問題点:対象層が狭すぎて企画が通せない。しかもエロゲーのつもりなのにエロシーンが存在しない。着衣のまま食べればモザイクゼロで済んじゃう。ハッピーエンドが存在しないからオチもつけられない。