2009年02月01日の日記

2009-02-01

独身主義をもうしばらく貫くことにしました。

あちこち旅行して、本読んで、しばらく放浪を続けます。

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

不況

人員削減の話題ばかりなんだけど、その人たちの次の仕事があるんだろうか。そして将来、自分仕事はあるんだろうか。

……つくるもんですかね。

http://anond.hatelabo.jp/20090201231545

あまり無理をしないでくださいね。

色々事情があるでしょうから勝手なことは言えませんけど、無理をし過ぎるのは良くないと思います。

頑張っているあなたですから、きっと未来には幸せだったなぁと思える時があると思います。

http://anond.hatelabo.jp/20090201231128

>ありむーみたいに「死のうが何しようが絶対許さない」というのも全然アリだと思うし。

アリだとしても嫌な考え方だと思う。それ大陸の恨とか死者に鞭打つってやつだよね?

絶対許さないんじゃ殲滅戦しかなくて話し合いできないじゃん。その辺どうなのよ?

繰り返し繰り返し。

明日から仕事。毎週毎週、この時間というか、日曜夜あと寝るだけの頃になると吐きそうになって寝られない。

未来自分は今の仕事をしあわせだったなぁと思い出すだろうと想像しているのだけど、今の僕は苦痛で仕方がない。最近心臓がおかしくなってきた実感がある。

毎週、毎週、この時間くらいに吐露を増田に放流して、なんとか寝られるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20090201230127

そうだね。清貧なんて言葉はいまや存在しないと思う。

今住んでる市は住民は土地持ってるからあくせく働く必要もなくその分地域の活動に力を入れてたりして、市政も金があるからちゃんと回ってて、みたいな良循環が成り立ってる。世の中金じゃないと思いたいけど、やっぱ金は大事だわ。

http://anond.hatelabo.jp/20090201230030

ネットブラウジング自体がジジババにとってハードルが高いものだと思う。

うちの母親がそう。でもうちの母はケータイメールはやっているから、ケータイメールも難しそうって言ってる人はネットブラウジングは到底無理な気がする。

ネットコンテンツ自体をジジババ向けに整理し直して、なおかつ、使いやすい端末っていうなら可能性がありそう。

http://anond.hatelabo.jp/20090127234002

はしごたんの結婚なんてどう考えてもガセだろ。

そもそも梯子が本当に女なのかどうかも疑わしい。

http://anond.hatelabo.jp/20090201221644

だよねー自分達はしっかりしていても巻き込まれかねないのがいや。

もしこどもがいたら尚更そう思う。

けっきょくのところ、自分達にゆとりがあるから優しくもなれるっていうのはあるよね。

自分に余裕がなくても他者を優先できるのはよっぽど人間できた人。

ま、高級住宅街は逆に空き巣は多いのはしょうがないかもね。

http://anond.hatelabo.jp/20090201224809

すでにあるパイを取り合ってたんじゃだめだと思うけど、

パソコン携帯メールは難しそうだからちょっと・・・とかいうジジババや

中年どころの層に訴求できないかなぁと。

携帯PCDSは多機能だから、「ネットブラウジング」のみにフォーカスするわけですよ。

機能をいろいろつけると「難しそう」っていうレッテルは剥がれないし、

めっちゃシンプルにするってところが売りにならないかなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20090201204159

実際にその場にいた訳じゃないから、どっちが悪いとは言わないが。

嫌な人に出会ったな。お疲れ様です。

http://anond.hatelabo.jp/20090201225001

他の人がどうなのか分からないですけど、自分にとって「誇る」という感情が他人と比べて出てくるものではないですね。

あと、能力があるっていうのも人と比べたものではないです。

自分のいう能力っていうのはただ単に「生きる」力です。俺はこの先も生きていけるって考えているだけです。

実際のところは分からないですけどね。それでも俺は大丈夫だって思いたい。というか、そう思っていこうと考えて書いたんです。

釣りでも何でもないです。

http://anond.hatelabo.jp/20090201225057

ココロ社ってはてなにおける人気ブロガーではあるが

アルファブロガー」「はてな村民」という感じではないよな。

どちらかといえばアメブロとかmixiにいそうな感じ。

深淵データストレージ世界

ちょこっとしたデータプログラムとやり取りするのに楽な方法にはsqliteとかJSONとかxmlとか・・・他にはあるでしょうか?

ココロ社とかあの辺がクソ憎たらしい

ココロ社メレコ、平民、xisco

あたりの、あの

写真も撮れて文も書ける」

連中を見てると非常に憎たらしい。

仲良さそうなのが特に腹立つ。

なんかムカつくわ。

「お洒落文系」って感じのあいつら。

今に見てろや。

絶対見返してやる。

http://anond.hatelabo.jp/20090201220808

能力があってよくやってるなら人と比べて良い結果を出せるはず

誇るって事は比較の中でしか生まれない感情

いやまぁ、だから何って訳でもないが釣り針にかかってみるのも良いかなと

定食屋での食事がつらい

俺は本とか新聞とかを読みながら静かに飯を食いたいんだが,そういうお店があまりない。

タバコ

最近は全面禁煙のお店が多いので,タバコへの耐性が弱くなった。たまにそうじゃないお店に入ると耐えられない。隣の人がタバコ吸うだけで,もう駄目だ。今日は注文するときに咳き込んでしまった。

テレビ

内容・音量とも我慢ならない。男ばっかりの定食屋で若い女向けのバラエティ番組を流すのはどうかと思う。楽しんでる客ってどのぐらいいるんだろうか? 

客の笑い声

「ギャハハ」って下品な笑い方する若い奴が多い。おっさんも酒がはいると,無駄にでかい声で話す。

http://anond.hatelabo.jp/20090130140311

元増田です。

みなさんからお話を頂いて、いろいろと参考になりました。確かにこの出来事のおかげで「次はどう振る舞うのか」を考えるための貴重な財産を得ることが出来たと思います。この痛みが、自分が人と接する上で大切な経験になっています。


1. 本当に差別をする人



2. 差別はしないつもりだが、いたわることによって、結局差別してしまっているかもしれない人

(当時のほとんどのクラスのみんな)



3. 2. も差別なんだと考え、本当の意味で平等を求め、それが正しいと決めつけ正義を振りかざす人

(当時の僕とミホちゃん)



4. 2.や3. の考えに至りつつも、結局本当の正解(正義)がどこにあるかわからないということを認識し、3. とすべきとも断言せず、またそれを周囲にも求めない人 ← イマコ



5. 僕には想像がつかない、もっと良い考え方。

http://anond.hatelabo.jp/20090201222917

噂のApple iTabletみたいなやつだな。 ただスタイラスはつかないと思うけど・・

まあ、ネットブックのさらに機能を削ったものとしてはありだろう。4万、5万あたりで出たらそれなりに売れるかもな。

個人的にはFlashPDFオフィス形式のファイルに対応してくれて、スピーカーがそれなりによければYouTubeニコ動端末も使いたいな。

でもあまりヒットはしないとおもうよ。 もう既にケータイDSPCパイはあまり残ってないしな。

もしレーベル社とか、映像コンテンツ持ってる会社提携して作るなら、それなりに売れるかもしれないけど、機能自体にインパクトがあまりないから、アップルみたいなところがなんか革命的なUIをひっさげて出してくれないと、一般ウケはしないとおもう。

インテリジェントな家具家電・ホームセキュリティとかを束ねるものだったり、ワンセグがみれたり、防水だったり、プッシュメールにバイブ着信通知付きで対応してたり・・・ととりあえずいろんな所からパイを奪ってくることが大切だと思う。

なんで店員に話しかけられるのが怖いのか

「それ、かわいいですよねー」とか

「サイズお出ししますよ」とか

モノを売っている店で店員に話しかけられるとすごく面倒くさい。

というか、話しかけられることが怖い。

反射的に逃げなきゃって思うのに体は違うことしてるので、なんか一瞬パニックみたいになって、頭真っ白で、

「あ、……う…」(大汗)みたいな感じになる。

で、ほとんどの場合は聞こえなかったことにして手にしていたモノを戻し、別の場所に移動する。または店を出る。

ネットを見ていて、同じように感じる人がけっこういるんだってことを知って、ちょっと安心した。他にもいるんじゃん、こういう人。

それで調子に乗って、話しかけられても無視してりゃいいや、むしろ空気読め店員とか思った。

でも、今日ご飯を食べているとき、彼氏

デパートとかで話しかけられたら『はい』とか笑って適当に言っとくといいと思うよ」

って言われた。

そうかー、他人をガン無視してる人間を端から見てたら気分よくないよね、そりゃ。

「はい」くらいはできるかなー……。

なんて、言われてできりゃ苦労しないんだけどさ。


なんでこんなに話しかけられるの怖いんだろうな……



って考えてたら、思い出した。

突然他人に話しかけられる恐怖感の原体験

私は昔から友達がほとんどいなくて、小学校のときなんかは教室にいても話す相手もなく、休み時間自分の席で本読んだりしてた。

他の子達の集団トイレとかには誘われもしなかったし、行きたいとも思わなかった(今考えても理解できない)。

で、たまに声を掛けられることがあるかと思うと、それはたいてい面倒なことを押しつけられるか、新しいネタでからかわれるかのどちらかだった。

「他人の挑発に乗ったら、ヤツらはこっちの反応を見て笑うつもりだ。相手にしたら負けだ。」

そう思って、できるだけ反応が希薄になるよう心がけた。

声を掛けられたら、どんなちょっかいが出されるかを全身で感知し、相手が期待している反応を予測して、ぜったいにそれに沿わないように対応する。

…これって、今同じ事してないか?

20年以上の前のことに怯えてんのか、私は。


てなこと考えながら、うーんそうだねーって生返事してたら、彼氏が追撃してきた。

アメリカでは、お店に入ってきたお客さんにとりあえず声をかけるらしい。それは、入ってきた相手がこちらの言うことを理解できるか、あやしい人じゃないか確認する意味もあるんだそうだ。

一度はアイコンタクトしておかないと不安らしい。これは店に限らないそうだが。

(まあ全部がそうではないのかもしれないけど、駐米経験のある人だから全く聞きかじりの欧米論てわけじゃないんだろうな)

そしたら私なんか超怪しい要マークな客なわけだが。

もとい、じゃあ日本ではどうだろうかと考えてみると、怪しい度チェックはともかく、入ってきた客には声を掛けるのが店員の使命、くらいに言ってる店はあるんじゃないだろうか。日本的なお作法として。

むしろ、そういう店の方が多いんじゃないだろうか、ということに思い至った。

経営者側からしてみたら、ご来店いただいたお客様にお声もおかけしないなんて失礼だ! というわけだ。

彼女らは好きこのんで私なんかに声をかけてるわけじゃない。仕事なんだ。決して、私のアイデンティティに話しかけられているわけではないんだ。と思ったら、ちょっと気が楽になったよ。


まとめると、

■20年以上前のことに怯えるな

店で声を掛けられても、その相手は自分ネタにしたり吊し上げようと考えてるわけじゃない。

即「敵だ」と身構えなくてもとりあえず大丈夫

■店員も仕事

店の人間仕事だから客に声を掛けなくてはならないのであって、

自分は無数の「客」という記号の中のひとつに過ぎない。


そうやって考えてみたら、すぐに笑って「はい」は無理かもしれないけど、ちょっと落ち着いて、次回からはガン無視はしないようにできるんじゃないかな、っていう気がしてきた。

そうは言っても、「買ってくれオーラ」とかをギトギトに出されたら、脳みそがしびれて怖くて逃げたくなってしまうと思うけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20090201220808

たぶんわかってると思うけど、口には出さないようにね。

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