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2014-06-09

人口政策の転換が遅れた理由

http://anond.hatelabo.jp/20140609200812

※5月29~31日ツイート再掲

NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、

 「日本アメリカハイスクールみたいに、高校生妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた。

 そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった

日本社会少子化意識したのは、1990年の「1.53ショック」が最初からな。

 私見だが、1.53ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった

★70年代フジ三太郎シルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。

 「近未来シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通座席に少数の若者がゆったり座ってる」

 サトウサンペイは70年代に、早くも少子高齢化予測してた。

 藤子先生も、そのようなSFを書いていたとか。

★こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイ藤子先生「ですら」

 少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロ人口学者が予想出来なかった筈がない。

 あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者少子高齢化を正しく予想してたのでは?

★ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、

 「人口学者大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?

 で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府審議会に出入りしてる。

 かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された

★80年代人口学大御所人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?

 当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正昭和一桁生まれ

 戦中戦後食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話。

 しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈。

 彼らは「日本人口爆発戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある。

 極端に言えば、大御所世代

 「人口爆発のせいで、日本戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。

 だから人口増加を容認することは、自分戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない

もっと言えば、80年代権力者厚生省局長クラスとか、自民党族議員とかは、

 大概は「大正昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です

★逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と

 世論コペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前から戦後派に入れ替わり、

 人口増加にアレルギーを示さなくなった」という理由も大きい

もっと言えば、70~80年代は「左翼」がもっとも強かった時代からなあ。

 人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、

 政治的に不可能だった

★90年代に入って、人口増加容認政策に転換できたのは、「支配者の年代戦後派に入れ替わった」のと同時に

 「ソ連崩壊社共勢力が衰退したから」と言う理由も大きい

 
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