2012-08-25

冷静に論理であることは男性文化なんだって

これ(マイノリティと『冷静に・論理的に語ろうとすること』のジレンマ http://togetter.com/li/359325)の後半が意味不明だった。

冷静に、論理的に語ろうとするorそれを他者に求めるのは男性作法……だと……?

私は、男に理屈でやり込められて、悔しい、悔しいと思ってきたし、感情的になったら負けや、と思ってきた。

私のフェミニズムは、感情的自分を否定しないことから始まるし、理屈で黙らせようとする男に歯向かう言葉を手に入れようとしてきた。そういう原体験がある。

でも、それとアカデミアで研究者然として振舞うことには、ギャップがある。「冷静に論理的に話すこと」は、男の作法に屈することに感じることが未だにある。

だいぶ、慣れたし、私もそう振舞うことで適応してるわけだけど。それと、フェミニスト自分がうまく接続できなくて、エラーが起きる

この人研究者らしいんだけど、こんなんで研究者なんてできてしまうの?

最近第三世界フェミニズムや「書くこと」について読んでいるのだけど、font-daさん(注:上の発言の人)の苦悩(に近いもの)については再三主張されているな。

論理的であれ!理路整然としろ!」というのはそもそも「男のルールである訳で。しかし、それに従わない方法で主張しても無価値とされる

女も論理的に語ることはそりゃあ出来るだろうが。

男性中心のイデオロギー」の中で培われた価値観=「論理であることは素晴らしい」(西洋的でもあるかな)に抗うのだったら、感覚的な話し方に価値を置くってことにはすごく意味があることに思う

しかし、それをすると、「論理であることは素晴らしい」イデオロギーに支配された社会じゃあ、嘲笑され、軽視される。

から男性中心のイデオロギー抗うことをしながら、男性中心のイデオロギーによって作られた評価基準を満たすように「話さ」なければいけないジレンマ

このあと当然のごとく研究者界隈から批判くらうんだけど、ファビョって話が噛み合わない。

女が語る「わたしの実感」がどのように軽視され、捩じ伏せられるのか、見慣れた光景ではありますけれど再確認しました。

強い、フェミニスト強い。自分の言いたいこととかみ合わない人は御仲間内での晒しあげ&わめきちらして議論を強制終了

この人達過去ツイ見てる限り大学出てるっていうから驚きだ。不幸にもこんなクレーマーを相手にしなきゃならない人たちは大変だな。

  • 自分が生命維持できる生活圏・文化圏を有しているなら、その外にわざわざ危険や不快を負ってまで出て行ったり、外の文化圏を理解をしたり、自分の文化圏の理解を外へ求めたりする...

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