はてなキーワード: 偏見とは
「私たちは怪獣じゃない」...総合格闘家のトランス女性が訴える「チャンス・公正・正義」の必要性
<「おとなしくしていろ。目立つな。性転換なんかするな」──周囲の期待とのギャップ、トランスジェンダーへの偏見の中でアラナ・マクラフリンは闘い続けてきた>
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2024/11/523901.php
返答の最後で「ろくな職にありつけなかったんだよ」と相手の職業や能力を揶揄する表現があり、これは議論の内容とは直接関係がなく、個人攻撃に過ぎません。
こうした言動は議論の焦点をぼかし、相手の意見を封じる目的で使われているため、建設的な対話を妨げます。
「自分で調べてごらん」「楽だろうな」などの表現は、相手に調査の手間を一方的に押し付け、議論の場でのやり取りを拒否する姿勢です。
高圧的な態度をとり、相手の質問や懸念を軽視することで、自分の立場を守ろうとしています。
この陰謀論者は「公表人事情報や官報から名寄せして調べろ」と提案していますが、実際の証拠や根拠を具体的に示さずに一般論を述べているだけです。
具体的な情報やデータを出さずに相手に調査を要求することで、自らの主張を補強しようとしています。
相手が陰謀論と指摘する理由を「努力不足」や「不勉強」と捉え、相手の認識を「自分で真実に近づく努力が足りないからだ」と断じています。
このような姿勢は、他者の意見を軽視し、他人の理解不足として自己正当化に用いています。
ソース不明の情報は確かに疑問視されるべきですが、彼は「youtuberの言葉」を一括して否定し、自分が示す方法(公表人事情報や官報)が絶対的に正しいとしています。
偏見に基づき情報源を選り好みするのではなく、幅広い視点をもって複数の情報源を検討する姿勢が望ましいです。
この陰謀論者は、個人攻撃や高圧的な態度で対話を拒否し、自身の主張の具体的な根拠を提示しないことで議論を進展させにくくしています。
・書いてる人
IT技術屋として働いており、skebなどで絵を売ったことがある絵描き
ちなみに今のところSNS移動などはせず、今後もXに居続ける予定(ノイズやウォーターマークはつけようと思っています)
・前提として
学習元の絵が絵の権利者から許可取れている場合ならAI生成イラストは問題ない認識
・なんでこんなの書いたのか
今回のX離れたりすることを反AI集団ヒステリーと言われるのはちょっと違くない?って思ったところから。主観と偏見込みで自分なりにまとめてみようと思った。
これは私の認識ではあるが、絵師達は初めにAIイラストがではじめた時には好意的な印象もあった。
(背景の手伝いをお願いできたりするかも…など)
が、そもそも学習素材が無断で画像を引っ張ってきているものというのが分かってから反AIが始まった認識。
二次創作、一次創作に関わらず自分の絵を無断で転載されたり使用されたりすることは昔から問題になっており、それに対しての新たな問題が増えた。
膨大な時間をかけて絵の技術を磨いたものを勝手に学習されてぽっと出の生成AIに大量生産されるのは本人にとってかなりの苦痛になり得るものだと思う。
ネットにあげた時点で誰かしらは模倣するし、無断使用されるのは当たり前であるというのは確かに昔からそうではある。
ただ、忘れないで欲しいのは無断使用されたりしたら声を上げている絵師は多かったし、問題ではあるが海外がやっていて手を出せないなどAIとは別に問題があるものなのでここでは省略する。
それに関しては本当にそう。いくら反AIサイトにあげたとて、スクショされたりしたら何も意味ないのだ。
(本当はネットにあげただけでなんでリスクを背負わなきゃならないんだよって話だよね……わかるよ………)
それでもXから出ていく人がいるのはAI使用をするよとX側から明言されたことなので、なんで今更…とかではないと思う。
ちなみにX側からのAI学習使用は現在(2024/11/15)でもGrokの学習拒否はできるので、残ってる人はoffにしておくのがおすすめ。
ここに関しては完全なAI対策にはなってないのはどうしてもあります。
ただ、ノイズをかけることでAI学習の阻害する効果はある程度はあるけど完全では無い状態かなと…。
濃くかければかけるほど阻害効果は高まるけど、その分絵が見にくくなったりのデメリットはあります。
ウォーターマークに関してはAI対策と言うよりは権利者を明確にするという意味で必要だなと思っています。無断使用しようにもウォーターマークでかでかとついてるってことは勝手にグッズなどにするのは難しくなるだろうし。
なので自分が使用しているウォーターマークをオープンで配布するの本当にやめた方がいい、消す素材を置いてる形になってしまうので…1部名前入れたりするし…って思っても素材部分は消されます。面倒だけど自分だけのを作ろう。
ここでノイズ、ウォーターマークをつけてない人がいても責めるのは本当にやめてください。
・最後に
反AI側って、そもそも長い時間かけて作ったものが、他人に横取りされて自分の作品です!ってされるのが嫌って話だと思ってます。
そんな難しい話じゃない。
・追記
コメント来ると思ってなかったので、一部気になった点に返事させてほしい。
本当に私個人の考え方です。
これに関しては結構簡単な話だと思っていて、目で見て学んだものを自ら描いたときに全く同じものは出力されないからだと思っています。
本人の解釈が確実にその絵に入る点があるから、ある程度の他人の絵や技術をパクって学習しても許されることが多いのかなと感じています。
ただ明らかに模倣しすぎるとそれはそれでよく燃えていますし、完全に他人の絵や技術をパクって学習しても許されるわけではないです。
そもそも技術自体が積み重ねて育っているものなので、ある程度は許容されるものだと思っています。
(ただ絵師によってはパクられること自体を嫌う人もいますが…ここは個人によると思っています)
人間だと
絵 → 人間に学習させる → 学習した人間の解釈が含む絵が出力される
AIだと
絵 → AIに学習させる → 絵を描いた人の癖をそのまま表現した絵が出力される
要するに、絵描き本人は描いてないのに、絵描きの特徴をそのまま表現された絵が出力されるのが問題だと思っています。
絵師さん自体にもよりますが、人間が同じように絵を描いた人の癖をそのまま表現した絵を描いてたら、基本嫌がられることが多いと思います。
一度ネットに上げたものを消したとて、もうどこかに転載、使用されているものなので無意味なのは私もそう思います。
正直言って「オシャレ」とかマジでくだらなくね?
あんなもん、結局は他人にどう見られるか気にしてる奴らの自己満だろ。
世の中が「見た目が全て」みたいにルッキズムを押し付けてきてるけどさ、そんなのに振り回される方がむしろダサいと思うんだよね。
こっちはただ普通に生きてるだけで、オシャレだの見た目だの気にする余裕もないわけよ。
金も時間も限られてるし、そんな無駄なことにリソース割けるかっての。
でも、世の中はやれ「ダサい」とか「モテない」とかさ、こっちを見下してくるわけよ。
そもそも何で他人のためにそんな努力しなきゃいけないんだって話でしょ?誰が得するわけ?イケてる奴らが気持ちよくなるだけだろ?
マジでうんざりだよ。自分らしく生きてるだけでいいじゃん。なんで社会はいつも外見で人を判断しようとするんだろうな。
正直、ルッキズムのせいで悔しい思いなんて山ほどしてきたよ。
たとえば、学生時代、俺も普通にみんなと仲良くしたくてさ、頑張って話しかけたり一緒に遊ぼうとしたりしたんだけど、結局、見た目がどうだとかダサいとか言われて、相手にもされなかった。
せっかく勇気出して話しかけたのにさ、露骨に見下されたり、笑われたりして、それがどれだけ悔しかったか分かるか?
それでもなんとか気にしないフリして自分らしくいようとしてたけど、周りからの冷たい視線や無視されるのは正直キツかったよ。
社会に出てからも、結局、見た目やオシャレな奴らが評価されて、こっちはどんなに努力してもその土俵に立てない気がしてくるんだよな。あの時の悔しさや無力感は、今でも胸に残ってる。
学生の頃好きになった子がいたんだけど、話しかけて仲良くなろうとしても、いつも友達としてしか見られてない感じがするんだよね。
こっちは一生懸命アプローチしても、結局、見た目とかで「恋愛対象じゃない」みたいに決めつけられてるのが伝わってくるんだ。
デートに誘おうと勇気出して声かけても、なんだかんだでやんわり断られたりして、気づけばいつも見た目が良い男に取られてるっていうか。
実際にその子が選ぶのは、見た目がよくてオシャレな奴ばっかりで、俺がどんなに気持ちを伝えても全然響かないんだよな。
それが本当に悔しくて、「なんで見た目ばっかりで判断されなきゃならないんだ?」って心の底から思うよ。
見た目でフィルターかけられて、その時点で中身を見てもらえないっていうか、こっちがどれだけ真剣に相手を思っても、最初からチャンスすらもらえない感じがして、本当にやりきれないんだよな。
結論として、もうルッキズムなんてなくしてしまうべきだと思うんだよね。
社会全体が見た目ばっかりで人を評価したり、恋愛も仕事も外見次第みたいな風潮があってさ、結局、それで悔しい思いをする人がどれだけいるんだって話。
だから、見た目による差別や偏見をなくすために、ルッキズムを廃止するような法律を作ってほしいと本気で思うよ。
外見で人を判断することを禁止するくらい、社会全体で意識を変える必要があると思う。
そんな法律ができて、見た目やオシャレに関係なく人としての価値を見てもらえるような世の中になれば、少しは生きやすくなるんじゃないかなって思う。
今Xなどでたくさん燃えている「日本の出生率の低下」の話題について、最も憤りを感じている層のわたしです(40代既婚子なし)
出生率が下がることによる色々な社会的変化はポジティブなものはおそらくないであろうという気持ちは分かる。わたしもずっとそう思ってきた。
かと言ってわたしに子どもを持たない選択をする人に全く偏見はない。
なのになぜ耳が痛いのかというと、わたしが不妊治療を今まさに経験しており、夫側の原因で、子どもが持てないことが分かったから。
わたしは障害のある子どもに関わる仕事をしているから、高齢出産に伴う障害のリスク、親子ともに健康にその後の人生を歩める可能性が年齢と共にぐんと下がることも学術的、見聞きした経験的に体感している。
加えて,不妊治療を始めた時に「そもそも自然妊娠で授かり、無事に胎内で育ち、無事に産める可能性」が40代を境に急落することも説明され、始めてすぐに、人工受精や体外受精を前提に治療を開始するという治療方針のもと、夫婦の検査及び体質改善などを進めてきた。
わたしたちは結婚して10年未満ではあるが、時々は夫婦生活もあり、それでも自然に授からないのも不思議には感じていたけれど、開始した当初には楽観視していた。
「授からないのではないかな?」ではなく、医師の治療方針と同じく「安全に合理的に授かれる最短の道を選ぶ」ために不妊治療を開始したテンション感だった。
男性不妊は珍しいことではない。不妊治療を受ける半分くらいはその原因があり、また、100人に一人くらいは全く精子のないいわゆる無精子の状態もあると。
だけど、告げられた時にやはり「えっまさか」「あーーーそうなの…」と二人で声が出た。
予想していなかったのだ。
人は正常バイアスをかけたいものであり、自分にとって悪い方のシナリオというのは、ないであろうと考えたいものだ。
診断結果を告げられた時に担当の先生から出た次の言葉は「どうしますか、さらに治療を続けますか?」だった。
今思えば、100人に一人だ。そして、私たちは40代だ。その時点で、断念してもおかしくないという状況を暗に言ってくれていたのだと思う。
それでも夫がすぐに「僕はどうすればいいですか」 と次の治療を求めてくれた。
結果的に、男性不妊の専門医にもかかり、精密検査,遺伝子検査まで受けて、最終的に、物理的に手術をして使用できる精子があるかどうかの、これ以上進むところのない手術まで受けてくれた。
私も私で、それを受けてすぐに体外受精を行える段取りを組むため、自分の勤務を最大限に調整してもらい、体の準備も整えていた。
だけど、3分の2くらい成功すると言われていたその手術の結果、無情にも「夫の子は持てない」という事実が確定した。
100人に1人の、3分の1の確率が、私たちにめぐってきた、それだけのことなのだけど。
それを踏まえても、私は子どもを諦められない。
でも夫のせいにもしたくない。
夫も傷ついている。
そんな諸々の葛藤とストレスが重なり私は軽度の鬱になり、眠れなくなり、希死念慮も出て、仕事を休むことになった。
夫婦の間にもなんとも言えない違和感のようなものが生じているように感じる。
ただ子どもを望んだ結果が、ここまでになるなんて。
この先、と言って男性不妊のクリニックの先生が提言してくれた道は3つ。
夫と話し合った結果、やはり「私と血が繋がってるとはいえ、他人の子を育てる気にはなれない」と言われた。
実際、他者の精子提供で妊娠する道についても詳しく説明をされたが、日本ではまだ、成功率が1桁%くらいの治療でしか、夫以外の人工授精が認められていないらしい。
しかも、子どもが大人になっても、自分の生物学的な父親を知る権利がないという。
それでは、子どもが幸せに育つ確率自体がまたぐんと下がってしまう。
では、夫の親族にドナーになってもらう道はどうか。夫もそれならば自分の愛着が湧くであろう。日本にも少ないけれどそのように子どもを持った人がいるらしい。
答えはそれもノーだった。
今の日本の生殖医療では親族間の提供は倫理的に、タブーとされているらしい。
何故?他人の精子はいいのに、夫の親族間がだめだという倫理観とは??
私も夫も容易に理解ができなかった。
どの道にも間違いはない。けどどの道が正解かは分からない。
今、いつ鬱症状がひどくなるか分からない状態で正直、どの道を受け入れること自体が,私たち夫婦にとって難しい。
そうこうしているうちに、私も年老いていく。
どうしようもない。
出生率の低下が、女性が自分本位になったからとか、収入が低いからとか、男性が子育てする支えが足りないからとか。
そんなレベルじゃない、産みたいのに産めなくて苦しんでいる人はまだ何パターンもあることを、私は身をもって体感したから、今の出生率低下の原因をあれこれ言うトレンドに憤っているのだ。
何がわかる?
そして、なぜこんなに子どもが欲しい人に、荊の道ばかり用意されているの?
もちろん、子どもを持つ以上、生まれた子どもにとって最大の利益となる環境が用意できることが大切だ。
そのための倫理観なのであろうが、私にはどうしても、こんなに少子化が悪とされる風潮の中、「身体的にどうしても生物学的に自分達だけの子どもが持てない」人への救済がないんだろうかと、そこに憤っている。
私たちだけじゃないはずだ、こんなどうしようもない気持ちと、よくわからない「倫理観」に憤っているのは。
もし、同じような境遇を体験したことがある人がいたり、生殖医療における倫理観に悔しい人,意見をいただける人の目に留まったら、少しは次の道を考える糸口になるかもしれない、と思って書いています。乱筆で失礼しました。
面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ
皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまいますよね。
社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、
みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。
例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。
差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。
差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます。
現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象的概念に深く依存しています。人間は単なる物理的存在ではなく、意識と自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵の価値として社会の基本的な原則に組み込まれています。これを理解することは、知的な思考能力を持つ者にとって、社会の健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準を形成する上で不可欠な要素です。
社会の制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間が平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています。差別はこの尊厳を無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象的概念を理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的な能力を示しています。
抽象的思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会的概念を理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルールや規範を認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的な成熟度が欠如している場合、その人物が社会で適切に振る舞うための教育的支援が必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。
知的なものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識や学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的に社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。
差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会の生産性や創造性は低下し、全体の発展が阻害されます。さらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的な成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります。
抽象的思考に基づく社会的判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会的責任でもあります。社会における公正と平等の原則を理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。
差別は社会秩序と個人の尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平と不利益は社会全体の成長を妨げる結果を招きます。知的なものへの憧れを持つこと自体に問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別的行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています。
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関連増田:https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#
この2つはすごく共感できる
>別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。
>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。
>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。
>ひとつの理由は合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。
>もうひとつの理由は抽象的思考だ。どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきというフィクションに現行社会制度が立脚しているのを理解しているから。
そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものをバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。
共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな
ここが YES になっちゃうようなら、ペットと共生なんて出来ないし、人間に限定しても道徳も社会規範も刑法も要らないんだなぁ
○○をしたら自分が社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物の社会化に成功したと言える
動物にだって理解させることが出来るんだから人間が理解できないわけないじゃない
これを理解させることがすべて保護者の義務だし(なのでメンヘラや開き直りDQNは保護者として不適格なことが多い)、
フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃんと認識をしていて
『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ
CU特性
あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場の人間の尊厳も尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない
アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、
福沢諭吉の大学の出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?
あとアカデミアの人間なのに自身のバックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、
それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外の学会で同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?
こういう人たちは一刀両断でバカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います
ただただひたすらにバカなだけで
こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな
はてなブックマークは、一見すると情報の共有やコメントを通じて知識を深められる便利なツールのように見える。しかし、実際には「はてなブックマーカー」たちのコメントを見ると、その無批判な反応や過剰な偏りに呆れざるを得ない。偏見に満ちた視点、他人の意見を無視して短絡的に断罪する姿勢など、これほど一方的な反応の場は他にないかもしれない。「はてなブックマーカーは馬鹿」というのも、あながち間違いではない。
まず、はてなブックマークのコメント欄を見ていると、自己顕示欲を満たすためだけに書かれているようなコメントが目につく。「これは◯◯だ」や「◯◯は馬鹿だ」という、極端に断定的な意見があふれており、その多くが根拠に乏しい。記事の内容を冷静に理解する前に、印象だけでコメントを書き込んでいる人が多いように感じる。自分の考えを主張するのは自由だが、感情的で思慮に欠けた反応ばかりでは、議論の場としての質が損なわれるだけだ。
また、はてなブックマーカーたちは他人の意見に対して批判的な姿勢を取りがちだ。だがその批判も、建設的であることは少なく、単なる揚げ足取りや誹謗中傷に終始していることが多い。たとえば、特定のテーマに関する記事に、反対意見を繰り返しコメントすることで「自分はよく知っている」というアピールをしたいのだろう。しかし、そうした姿勢は周りに不快感を与えるだけで、実際には議論を深めるどころか、ただの反発や摩擦を生む結果に終わってしまう。
さらに、はてなブックマーカーの多くが「ネット上でのみ偉そうにする」という特徴も見逃せない。匿名性に隠れて、相手を批判したり攻撃したりすることに何の抵抗も感じていないようだ。リアルな場であれば対話のマナーや礼儀が求められるが、はてなブックマーク上ではそうした配慮が欠け、無責任な発言が横行している。これもまた、はてなブックマーカーが「馬鹿」と言われる理由のひとつだろう。
もちろん、全てのはてなブックマーカーが馬鹿だとは言わない。中にはしっかりとした見解を述べ、的確な指摘をするユーザーもいる。しかし、そうした一握りの冷静なユーザーたちの声は、多くの無思慮なコメントの中に埋もれてしまう。結果として、はてなブックマーク全体の印象は低くなり、真剣な意見交換の場というよりも、単なる愚痴や攻撃の場のように見えてしまう。
はてなブックマーカーたちが少しでも建設的な姿勢を持ち、冷静に意見交換できるようになれば、はてなブックマークはより価値のあるコミュニティとなるだろう。しかし、現状のままでは、ただの「馬鹿の集まり」と言われても仕方ない。
自由貿易は世界平和の促進に重要な役割を果たします。以下に、自由貿易が世界平和に寄与する主な理由を説明します。
自由貿易は国家間の経済的相互依存を深めます。各国が互いの市場に依存し、貿易を通じて利益を得ることで、紛争のコストが高まります。
自由貿易は経済的相互依存を深め、繁栄を促進し、国際協調の基盤を構築することで、世界平和の実現に大きく貢献します。ジャクディシュ・バグワッティ教授が述べたように、「自由貿易は戦争をなくすための最も有効な手段」なのです。しかし、自由貿易の推進には課題もあり、格差の是正や環境保護などの問題にも配慮しながら、持続可能な自由貿易体制を構築していくことが重要です。
ブコメを書いた人が持つ偏りの背景には、いくつかの要因や経験が影響している可能性があります。以下のようなバックグラウンドが考えられます。
ブコメのような視点を持つ人は、過去に結婚制度や伝統的な社会規範に対して強い反発を感じた経験があるかもしれません。例えば、次のような状況が考えられます。
結婚において、パートナーシップにおける自由が制限されたと感じた経験や、結婚生活が束縛的だと感じたことがある場合、その反動として結婚制度そのものを否定的に捉える傾向が強くなることがあります。特に、自己決定権や自由を重要視する人は、過去の結婚や恋愛の中でそれらが抑制されたと感じることがあるため、その経験が強くブコメに現れる可能性があります。
もし育った家庭や社会環境が非常に伝統的、保守的であり、家族や結婚に対する「所有物」的な価値観を強調していた場合、これに対する反発から、結婚そのものに対する批判的な態度が形成されることがあります。この場合、「結婚=自由を制限する」といった見方が自分の価値観として根強くなりやすいです。
ブコメのような自由主義的な視点は、特に近代的な社会において育った場合や、自由と平等を重視する思想に影響を受けていることが考えられます。次のような文化的・社会的な背景が影響しているかもしれません。
西洋的な個人主義の価値観が強く根付いた環境で育った場合、「個人の自由」や「自己実現」を最優先に考える傾向が強くなります。このような環境では、結婚という制度を「自由を制限するもの」として否定的に捉える考えが浸透しやすく、またそれが自然な価値観として受け入れられることがあります。
リベラルで自由主義的な教育や思想を受けて育った場合、結婚に対する伝統的な価値観を否定する傾向が強くなることがあります。例えば、結婚を「所有」のような抑圧的な関係として捉え、その背後にある社会的・文化的な規範を批判する立場を取ることが多くなります。この場合、「自由」や「個人の権利」を重視するあまり、結婚の持つ他の側面(信頼、相互尊重、責任感)を軽視してしまうことがあります。
ブコメに見られる「好きでいれば素晴らしい」という考え方は、理想主義的な価値観が強いことを示唆しています。この理想主義は、現実的な制約や複雑さを無視して「理想的な自由」を追求しようとする傾向を強化することがあります。理想主義的なバックグラウンドには次のようなものが考えられます。
自由で対等な関係が理想とされ、パートナーシップや結婚においても「制限なし」「束縛なし」の理想を追求する傾向があります。過去の経験や読書、映画などで「理想的な恋愛」や「理想的な自由」を見たことがあり、現実の結婚や恋愛がその理想にそぐわないと感じる場合、結婚を否定的に捉えるようになることがあります。
完全な自由や平等を重視するあまり、それを実現するためには結婚制度や伝統的な価値観が障害となると見なすことがあります。この場合、結婚の複雑さや、関係の中で自然に生じる役割分担や責任が「自由の制約」として過剰に否定的に解釈されがちです。
ブコメのような視点を持つ人は、特定の社会的背景やグループに対する反発心を持っていることがあります。例えば、家族や社会からの期待や圧力に対して反発を感じ、自分自身のアイデンティティを守るために「自由」や「個人主義」を強く主張することがあります。
特に、保守的な社会や家庭に育ち、結婚や家族に対する伝統的な価値観を強く押し付けられた場合、その反動で自由主義的な立場に傾くことがあります。結婚や家庭に関する社会的規範に対して強い反発心を抱くことが、そのような偏見を強める原因となる場合があります。
伝統的な結婚観が社会において「常識」とされている場面では、その枠に収まることに対して反発を感じ、自由な選択肢を支持する立場を取ることがあります。このような人は、結婚制度を単なる社会的規範として批判し、その枠組みからの解放を理想とすることが多いです。
ブコメを書いた人がこのような偏った見解を持つ背景には、個人的な経験、文化的背景、理想主義的な価値観、社会的な反発などが影響している可能性があります。特に、自由や個人の権利を重視し、結婚制度や伝統的な価値観に対して反発を感じることが、ブコメの主張を強化している要因であると言えます。また、理想的な自由を追求するあまり、結婚に伴う複雑な側面や責任感を軽視しがちになることも、その思考に偏りを生んでいる要因と考えられます。
【追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。
どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。
男女問わず、思春期に空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?
ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。
フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。
十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたから偏見です、これについてもごめんなさい。
ファンタジー小説と自分に都合がいいファンタジー・空想って言葉もいい加減に使ってた。
ー以下追記前ー
ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。
なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性と出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーのシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。
例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性に異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女が武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。
で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚のトップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。
なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。
異世界で他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいから他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界の父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンなものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女は女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るときは男装を好むし、この世界の女性は妊娠・出産をしない。
他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能な下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国の女王の下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。
一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界で仙人の奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。
これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。
鈴は、自分だけが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。
このあたり、小野不由美が読者層の中高生に説教をかましている側面も感じる。
そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。
(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢ものの起源の一つなんじゃないか?)
つまるところ、十二国記のシリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説や政治小説っぽくなって、中高年の男性にウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやかな幻想とたもとを分かったせいか、少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。
似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンのチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界のダメな自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間の描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。
これってまさにやっていることが同じで、小野不由美が少女小説のフォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデはファンタジーの形式を使いながら現実逃避するポルノ的ファンタジーを批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。
私はポルノ的ファンタジーがダメだとは思わない。エッチなものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。
でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブなアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手の気持ちいいところが全部わかって、自分の気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。
ああいうイチャラブエロ漫画はインスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美も十二国記外伝「魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。
つまるところ、自分で欲しいものを能動的につかまなきゃダメなんだよな。
なんてことを日曜日にファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。
ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リース「サルガッソーの広い海」や批評「ジェイン・エアは幸せになれるか? 名作小説のさらなる謎」も面白いよ。
陽子が異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理の象徴じゃないかと冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。
鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失は男子割礼・成人の儀礼を意味していると読めなくもない。
ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。
こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。
以上だ! いつか男性向けハーレムものと女子向けの後宮ものの差異について書きたいぜ!
→ 追記! 昔書いたやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200609075504
生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです
読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ「世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジー、アンチ「童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。
はてなブックマークのコメント欄って、みんな好き勝手に意見言ってる感じだけど、俺から見るとヒヤッとすることも多いんだよね。
まず、誹謗中傷とか名誉毀損のリスクがあるってこと。ネットだと匿名で自由に言える感じするけど、個人とか企業について悪く書くと、特定されて訴えられる可能性もある。表現の自由はもちろん大事だけど、他人の権利を侵さない範囲でやらなきゃいけないっていうルールがあるんだよ。
それに、記事やブログからの引用も気をつけないと著作権の問題が出てくる。適当にコピペしてると、著作者の権利を侵害してるかもだからね。
あと、差別とか偏見っぽいコメントも結構見かけるけど、ああいうのが広がると社会全体に悪影響が出ちゃう。ネットで簡単に拡散されるから、発言には社会的責任がついてくるんだよね。
箸の持ち方が変な人のことが嫌いってのは(へー…)って理解出来るんだけど、箸の持ち方が変な人のことが嫌いな人のことが嫌いってどういうこと?別にいいじゃん、ほっとけよ他人の些細な偏見なんて、それで嫌いになるって絶対に箸の持ち方が変だから「キーッ!」ってなってるだけじゃん、ウケちゃうよ
だから「オタク」ならそういう頭の弱い人がどうあろうがいちいち気にしない程度にはニヒルというか達観してるものじゃないかなと。
マイノリティについて大抵の人は区別以前に現実を知らんから、フィクションの描写が偏見を助長するのはよくあること。偏見を持たないよう普段からLGBTQの情報を調べて勉強したり、関連コミュニティに顔を出したりしてるオタクとかほぼいないでしょ?
時系列順なので下にいくにつれてより重要そうなこと言ってるかも
ぶっちゃけ上半分は文脈と背景理解用だから、前提知識あるなら下半分だけでいいかも
▼元動画
https://www.twitch.tv/videos/2296478119
秒数
「」はコメント
02:37:30
チームの編成上の都合
02:40:35
その5人でやってくことが不可能になった
02:40:44
不仲...?(頭をかかえる)ビジュなんてさ、ミリオンはしらねぇけどさ
ビジュなんて皆とクソ仲いいじゃん、そんなね、ぬるい理由じゃないんですよ
本当に、チームのことを考えた時にモチベーションの違いっていうか
02:42:00
「ハッキリ言わないと憶測で面倒になるぞ」
これ以上はっきり言えない、モチベーションの違いがあってこの5人で活動していくことが不可能だ!ってそれ以上のことってないから
02:43:20
「「モチベーションの違いがあって難しい」←最初からこれでいい、編成上の理由とかが意味不明だったってだけ。」
編成上の理由なんだよそれが。編成的に無理があるでしょそれは
02:53:19
だったらはやめにメスいれて可及的速やかに動いたほうが良い
02:53:48
やる気ないのにさぁ、やっててもしょうがなくない。もったいないじゃん時間が
次選手やるんだったら早いほうが良いよね
02:57:10
俺が独断と偏見で決めたわけじゃないよ。最終決定は俺がしたけどね。オーナーとして
03:00:16
「いや突然クビって言ったんなら理由はお前が言えよ」
モチベーションが低い人とは一緒にできない(うなづき)それだけ。
03:00:57
レッドブルとかは、、いやその態度とかはどうでもいいよ俺(恐らくミリオンのレッドブルへの対応のこと)
03:01:04
「色々ではなく、モチベだけが原因ってこと?他になにかあるわけではない?」
いやモチベーション低かったらさ、できないよ。それは。テキトーにちゃぷちゃぷやってる分にはいいんだけどさ
編成上の理由でそういう人達とはできないなと思ったから。俺が決断した
03:01:43
そういうやつはクビ。別環境ってみんな変わんないから。あのー誰でもクビアブソルでもう言ったらクビ。うちは
03:02:20
まあ、低いっていうか(モチベ)
別ミリオンが悪いわけじゃないよ。俺の意向にあってない。チームの意向にあってない人とはやらないほうがお互いのためでしょ。方向性が若干違うんだったら、できないな
03:02:46
「お前から見てモチベが低いってだけ?じゃあお前に努力をアピールしてるやつが残るの?」
いや、俺に伝わってたらヤバいだろ。俺は第三者とか色々ところからの情報だよ、もちろん
俺別につきっきりで見てるわけじゃないからさ。でもプロってそういうもんじゃん。プロって。
03:04:42
やる気がないとかじゃないんだよ。向いてる方向が違う。かな、が一番かな
俺達と向いてる方向が違うなってことですかね。
03:06:25
「ミリオンは競技環境改善してほしかったんだろ、お前がうごがねぇから」
いやそれとはまったく全然違うところ。素行なんてどうでもよかった。
あいつ別に全然変なやつじゃないし。なんか変なことしてないから。
それを黙らせるだけの実力がなかった。実力?かな
本当にそれ以上ない。たぶんミリオンも概ね同じようなこと言うんじゃないかな
03:07:00
いやモチベが低くても実力があったらオッケーよ。(うなづき)
モチベーションが低い、俺的には
03:07:26
「モチベ関連でクビなのに話し合いとか無かったのか?」
いや話し合いしたよ。昨日何時間話したよ。俺等
03:08:57
「編成の問題→モチベがない→モチベがないわけじゃない→実力がない」
みんなが言うところのモチベーションがないってさ。まったく触らないとかでしょ?
100%向き合えてない人は、その、
日本トップのレベルで争ってるときに100向き合ってるやつと80むきあってるやつって20の差があるわけじゃん
ちっちゃい差で絶対に出てくる。てことは選手としてはできない。うちではね
03:09:47
いや他のゲームの配信してるとかはどうでもいいよ。別にさ、休みの時間とかにさー
他のゲームやっててもさ。別によくない?それは全然、むしろあり。自由。
03:10:30
「お気に入りのビジュとレオが違った形でムラゲに残してるのに反発してくるmillionとかはクビ切ってるのは何で?」
ぶっちゃるとミリオンはチーム決まんなかったらMRGでストリーマーとして雇います。
でもあいつプロはやりたいだろうから、もちろんね功労者だからさ
「本人は急にクビにされたって言ってるぞ」
でもまったく心当たりがないのかってことはないと思うよ。本人が喋るんじゃない?
だってまったく心当たりがないのにクビ切る理由がなくない?俺に
03:13:39
「オレは今まであいつがいろんな人の思いを踏みにじってきたわがままを許す気はない」
いやそれは全然お前がお門違い。別に自分の気持ちを発信する場はあっていいし
そんなの別うちスポンサーいるわけじゃないしさ
そんなの全然。なんならオレも言ってるし。どうでもいいっちゃどうでもいい。
そんなさ自由でしょ。そんなさ
あくまでもチームの話ね
03:15:53
「ファン目線でmillionがモチベーション低いようには見えないんだけど、どの辺で低いと判断したの?」
んなさ表質されてる部分でさ低かったらさとっくにクビになってるでしょ
練習中とかさチームの人との向き合い方とか
03:21:23
「クビは話し合いの中で決めたのか、事前にもう決めてたのか、どっち?
話し合いの中で決めた。本人に今の自分の状況を言わせて、それじゃウチではできませんって言った
03:21:53
いやミリオンの口から出た証言。で他のメンバーにも聞いてミリオンの口からも聞いてその条件で
だってそれ以外になくない?あいつ仲悪いからきれよとかできるわけなくない?
03:31:40
もちろん。オレがノリで決めたことじゃなくて、チームの方針として決めたことだからさ
チームでの話し合いはもちろん。あったに決まってんじゃん
03:36:37
もちろん。チームの全員の総意だから。オレがノリでクビにしたわけじゃないよ
03:44:06
「チームメンバーからミリオンのモチベに対して不満が出てたから話し合ってクビにしたのか、出てないけどお前が見ていてモチベ不足と感じたからクビ切ったのかどっちなんだ?」
03:56:40
「昨日の今日で決めたって言ってるけどそれは嘘!メンバーに俺の事を嫌う奴がいて、天秤にかけた結果俺を切る決断をしたんだと思う。らしいぞ」
そんなんで切るわけねえだろお前馬鹿野郎子供じゃねえんだからよ。切るわけねえだろ
あいつとあいつがミリオン嫌いだからクビなって言ったってこと?そうとしか思えない?
でもそれをなんていったかを自分の口から説明しなさい。昨日もずっと喋ったんだから。
03:57:53
「あいつ的にはランクのモチベがないとは言ったけど、大会のモチベがないわけじゃない」
(数秒考え込み)って言った?ミリオンって言ったの?って俺に言ったって言ってんの?
ヴァロラントに対するだろ。俺がそんな理由でクビきるわけねえだろ
なんで俺がお前のこと嫌いだから切るよってなるんだろ
03:58;58
「チーム内で誰か一緒にやりたくないやつがいるんだろうって言ってたぞ」
そりゃいるでしょ。モチベ低いやつとはやりたくねえだろ
それを一切表質せずに、ねえ。じゃあランクがんばってるやつの足引っ張ってるようなやつとは俺一緒にできない
できないんだよそれ含め。できねえんだよ。ミリオン
みんなはできるかもしんないけど、俺はできない
03:59:43
「モチベ低いは誤解だろ」
いやあいつ本人から聞いたから俺は。ヴァロラントのこと考えるだけで嫌になるって言ってたから。できません。
できない。できねえんだよ。
そういうのって態度に出ちゃうんだよ。人とチームで8時間一緒にしてて、出ちゃうんだよ。
本当に出してなかったのか一片も?
4:01:00
だとしたら余計いらないかもしんない。モチベがあってそのぐらい、そういう判断を下されるってことは。
この文章では「非モテ」や「弱者男性」という言葉が一括りにされ、特定の悪い行動や態度が当てはめられています。しかし、恋愛がうまくいかない理由や人それぞれの生き方には個別の背景があります。経済的に苦しい立場にいる男性もいれば、単に恋愛が苦手だったり、社会的スキルが発展途上の人もいます。「非モテ」だから「風俗に行く」「暴力を振るう」「女性を物のように扱う」といった主張は、実際には多くの人に当てはまらず、一部の例を一般化しているに過ぎません。
現代の恋愛は、経済的安定や社会的地位が関わる場面が多く、経済的弱者や非モテ男性がその影響を受けることがあります。恋愛における平等な関係を築こうとしても、現実には経済や外見、社会的地位が要因となってうまくいかないこともあります。そうした状況から生じるフラストレーションを「女を憎む」という一言で片付けるのは、不公平で理解不足だといえます。
文章の中では、「モテる男は女性に対してスマートでリスペクトがある」とされていますが、モテるか非モテかはその人の性格や価値観だけで決まるものではありません。見た目、社会的なステータス、他者からの評価、過去の経験といった要因も関係します。「モテる男を見て学べ」という意見は、根本的な原因を理解せず、表面的な対応を押し付けるようなものです。恋愛において、全ての人が同じ方法でうまくいくとは限らず、それぞれに合ったアプローチが必要です。
4. 「女を憎む」という決めつけの危険性
「女を憎む」という表現は、実際には多くの男性の気持ちを正確に反映していない可能性があります。非モテや弱者男性が抱く感情の多くは、むしろ自己嫌悪や孤独感、社会的な疎外感に近いかもしれません。恋愛や社会的なつながりがうまくいかないことから生じる不安や不満が、他者への敵意として捉えられる場合もありますが、これは複雑な問題です。表面的な行動だけで内面を決めつけることは、状況を悪化させかねません。
解決策として重要なのは、偏見やレッテルを張ることではなく、孤独や不安を抱える人に対して理解やサポートを提供することです。非モテや弱者男性が恋愛において尊重されるためには、社会的な支援や教育、心理的なサポートが求められます。
今日という日、日本のインターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。
いや、これ自体が最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberのデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信を凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的に事務所時代の彼女は推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点で政治を見ることへの危険性だってある。
そういう話はともかくとしても、ここ最近は選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる。
でも、これも必然かもしれない。勝手に分析系記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代。国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉がネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱や権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権→第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派現政権vs左派野党の対立構造に帰着している。
正直言って、現下の日本のインターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民の仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサーが複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール「人気投票」のようなものだ。
それに、ここ最近は迷惑系YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激な政治主張が目につく。その市場を追い風にしてか、陰謀や暴力・排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者のほとんどが民主主義を嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。
そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。
(ここは筆者のプロフ・ポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構。28歳独身男会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り・安保の観点で今回比例は国民に入れた)
これはもう風水的言いがかりでしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災・コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント、台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。
特に台湾侵攻。あるウクライナのジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営がカンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOとロシア・ウクライナ。ならば台湾・中国の傍でカンカンガクガク真っ最中の日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?
まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。
今はもうネットに限らず、既存の大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会・世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない。説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀と安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題の根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東で継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間の生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。
そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしまう言葉がある。
「社会や環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」
会社員である私を含め、一定の組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事に邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。
「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要な問題から逃げてないか?」と。
政治に関心を持たない人達、はたまた選挙で投票しない人達の理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?
恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線で安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。
地震と戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。
そしてこの際もう1つ、過去の歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会をゆっくりと衰退させているものが何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。
「被害者意識」。
無論、現にいじめや差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響を支配し、それを基準に社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会が全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。
例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスクと待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。
もう1つは「ダイバーシティ」。差別や偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈は結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民」問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域や職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから…
つまり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係・論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。
これが、現代の言論空間で跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから。
まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴・慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物的本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。
・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会・世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。
もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。
最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人の稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか。
まぁ、仮にも「自由の民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。