はてなキーワード: 主治医とは
私はSNS依存症でした。
東日本大地震で実家がある地域が大変になって情報集めたり発信したりしながら使ってきたが、私は人間関係を作るのが下手くそである。いつもトラブルを起こしてしまう。まぁ現実でもそう…うつ病になってから感情がコントロール出来なくて薬飲んでても、失礼なこと言ったり女性ユーザー口説いたり、喧嘩したり…
そんなこんなでここにきてうつ病再悪化。2年前に死にたいと思うことが増えて主治医に相談して一か月入院した。今のその状態に近い。
6月に遺書書いて思い出の地を周り首吊りするためにロープまで買ってさてこれからと言う時に捜索願いが出ていたため警察に捕まり自宅へ帰される。
地元の知人にも6月末に数名と食事した他はほぼ会わず、週に2回行ってるお手伝い先と自宅、昼食を買いにコンビニに行くぐらいかな?
まぁ話はそれたけどまたやらかしました。女性フォロワーさんに口説いて写真交換して薬が効いてる夜中に下ネタ下品の言葉を送り、そしたらそのフォロワーさんの息子も頭おかしい(多分同じ部類の精神系のヤバいやつだと思われて)人でそこから俺の個人アカウントに嫌がらせの日々で私のフォロワーさんにも絡んで嫌がらせをしたのでもうこっちも限界感じてアカウント削除した。
ばいばいTwitter。
n=1の話で私の経験談。
生理前だと落ち込む、死にたくなる。
生理始まると腹痛、貧血、2日目終わるまで夜用ナプキンを昼でも使うような生活を初潮以降付き合っていたけど生理前の落ち込みが年々ひどくなり、心療内科に通ってみたけど薬が合わず生理前に特に落ち込むから婦人科に行ったらピルを試そうということになりかれこれ8年ほど飲んでいる。
ラッキーなことに副作用がなく生理前に死にたくなることもなくなり腹痛も軽くなり経血が減った。
ナプキンを使用する頻度も減り鎮痛剤も飲まなくなったのでピルにかかる費用分、今までわりと重かった生理の対策の費用が減った感じ。保険診療で処方してもらってます。
血栓のリスクが高くなるので食事に気をつけたり健康診断の血液検査結果を主治医に報告してる。
人によって合う合わないがあるけど生理でしんどい人は婦人科にもっと気軽に行けれるようになったらいいなと思います。ピルだけじゃなくて漢方とかも提案してもらえるし。
全治4ヶ月の入院2ヶ月。
やっと明日退院になるので、この2ヶ月間の珍道中を書き記そう。
辛かったぜ、よく耐えたよ2ヶ月。
どうにかして、ぶっ飛びたい…。
看護師たちは意外とザルだ。
オーバードーズしないように薬は1日ずつ配られる、飲んだ証拠として空容器を回収されるんだけど、
飲んだ瞬間まで見られるわけじゃない。
夜眠れないと主治医に言えば睡眠薬をもらえるのでそれを少しずつ隠して貯め込んだ。
エスゾピクロン1mm(ルネスタ)を5錠、5日間頑張って貯めた。
何一つ幸せなんて感じなかった。
5日分の期待を込めた分、がっかり感でマイナスだぜ。損失回避バイアス。
くそう。
ただ下痢になっただけだ。
処方された眠剤は貰った瞬間にケツ穴に突っ込んだ。
やはり1mm程度じゃ何も起きん。
あーくそ、つまんねぇ。
酒も飲めないし、タバコも吸えねぇ。
そうだ。
ご時世でそこらじゅうにアルコール消毒液があるぜ!これだ!
アルコール消毒液は純度が高過ぎて飲むのは厳しいが、肛門に突っ込めば酔っぱらえるのではないかと考えた!
これも幸いなことにそこらじゅうにゴム手袋があるので、ゴム手をセットして中指にたっぷりとアルコールをつける、
めちゃくちゃ痛い、熱くて痛い。
高校の頃、罰ゲームでちんぽこにシーブリーズを塗った感覚に近い。
量が足りないのかと思い、
どうすればもっと量を突っ込めるのか考える。
それらしいものは病院内で手に入らなそうなので、自作してみる。
ゴム手袋の親指部分を切り取り、切り口にセロテープを円錐状に巻き、スポイト状にする。
おぉ、こりゃあ完全にスポイトだ!よし!ここにアルコールを吸い込ませてケツ穴にぶっ込もう!
そこでスポイトの原理に気付く。
吸い込めるってことはさ、押したら自動で膨らんでくれないと吸い込めないのよね。
もう、馬鹿みたいだけど口に含んで入れるしかなかろう。もう最初から馬鹿なんだからいいや。
口に含んでスポイトの中に吹き込む。成功!
見事にスポイトの中に入ったアルコール。
さー待ってました、頼むぜおれのケツ穴ちゃん、たっぷり吸い込んでくれ。
………。
おれのケツ穴は想像以上に締まりが良く、自作の貧弱スポイトではパワーが足りなかったようだ…。
ケツ全体に広がるアルコール、無駄に消毒されていくおれのケツ。
くそ。
うなだれていた時、一筋の光が。
こいつを分解して中にアルコールを入れ、閉じる。
これでアルコール入り錠剤の出来上がりだ!
よし!こいつを5錠ケツ穴にぶっ込んでみた…。
…。
しばらくすると表面のカプセルが溶けたのか、ケツの中が熱くなる。
…酔っ払うか…??
うーん…いまいち…。
もうやる気がなくなって意気消沈して終わった。
翌日、大便と供に潰れたカプセルが出てきて切なくなった。
家族で住んでいたのに、
家族を壊した「人」が帰ってきた。
「人」は家庭内で問題を引き起こし、増田から見たら両親を引き裂いた張本人である。「人」は高校も卒業ギリギリ、なんとか合格した大学で怠惰を繰り返し単位を取ることすら標準年数でできず、在学年数ギリギリで卒業した。
一人目だったからという理由で親も卒業まだ向き合った結果、財産を切り売りして、指導教員と親が協力しなんとか卒業ができた。むろん、年下の増田は大学進学の選択肢を奪われ、自力でバイトして学費を稼ぎ卒業して就職している。
「人」は結婚して嫁として「人の配偶者」と「人の両親」と暮らしたが、怠惰で生活能力がなく、コミュニケーションもうまくいかず、家族も仕事もうまくいかなくなり精神病となり入院。入院の際には「人の配偶者」から保証金も出してもらえず、病院から退院した際に「人の配偶者」から「人」は受け入れを拒否された。
そうして、親と増田夫婦が住む家に戻ってきたのであった。離婚はしていないが「人」はいわゆる出戻りである。
年金暮らしの親に、一人暮らしをしたいから白物家電と入居時の初期費用を負担せよ。増田には保証人になれと言ってきた。大学をストレートで卒業できず、1000万以上それも親の財産を叩いて卒業させてもらった恩を忘れている。
そもそも無収入の状態で一人暮らしはできないし、配偶者がいたら生活保護すら受けられない。
増田に対して「増田の配偶者から性行為の誘いを受けた」などと嘘をついてきた。
呆れた。
増田自身も、半年ほど生活費を負担しており、それで増田の配偶者に手を出されると…もう疲弊してしまった。
肉体的関係を持っていないと信じたいが、それを仄めかすような「人」をなぜ置かねばならぬのだろうか。「人の配偶者」と「人の主治医」は無責任過ぎないだろうか。こんな精神的苦痛を味わうのはもうごめんだ。
当院(飯沼病院)には、処方薬のクエチアピン、ベンザリンを取りに来る程度。とにかくないと全く寝られないし、服薬しなかった場合には翌日に全く頭が
働かないと主訴する。黒羽刑務所の体験や他者不信から精神状態が改善せず非常に悪いまま維持されており、当院院長や主治医の私に対しても
大声を上げたことがある。そのことで一度警察がきたことがある。勉強熱心が評価され過去に東京大学に入っていたが卒業前後から多くの者に裏切られ
精神破綻し、平成24年に警察に2ちゃんねるに書かされて罠にはめられ逮捕、刑務所という非常に劣悪な施設で稼働した。
精神状態は非常に悪く、現在の社会人には性格の悪い者が多いと嘆き、他者との交流もなく、事物の理非善悪の区別もつかなくなっている状態にあると判断する。
父親の肺の具合が悪い。
意識は問題なく、かろうじて動けているが、管を常時繋いで、余命幾ばくもない状況。
出費も色々と重なってくることから、
今回、主治医から一級障害者の手続きを進められたところ、父親が放った一言が家族を混乱させた。
主治医との話が終わった後で、改めて冷静に父親を説得にかかるも
「国のため」の一点張りで、論点がかみ合わないからしょうがない。
以前より(右寄りに)純粋真っすぐな人だとは思っていたが想定を超えた。
度々話して、メリットデメリットや家族への影響(特に母)の点など
いくら論理的に説得しても、感情的に否定しており、無駄だというのは分かった。
昔ながらの九州男児で頑固で融通利かないけど、基本的には良い父親なのだが。
子なしだが仲睦まじい老夫婦がいる
その分親戚の子らをかわいがっていた
自営業も細々だが続けていた
無理が祟って妻もかつて患った大病がぶり返す
妻も入院加療が必要になったところで夫の施設入所が決まり住民票も移された
50年以上ずっと一緒に暮らしていた夫婦ははじめて別居することになった
度々入退院を繰り返すようになった
裸一貫からふたりの稼ぎだけで建てた家が妻の何よりの誇りだった
クルマがないと不便なところにある家だ
度重なる大病の影響で妻にもやや半身麻痺や認知機能低下が出始めた
後期高齢者年齢に近づくこともあり親戚一同でやんわりと話しした結果
以後は行政のオンデマンドバスやタクシーを使いながら週1の通院を続けている
新しい薬と相性がよいのか最近は一時期に比べればとても元気だ
そう、元気なのだ
「みんなよってたかってこちらを病人と決めつけて免許を取り上げた」
「バスは不便だしタクシーはカネがかかる、クルマがあればすぐなのに」
「買い物にも夫の施設の見舞いにも行かれない」
妻はもともと口が悪いがここにきて恨みが重なり毒の濃度が要ガスマスクレベルにあがっている
先行きの見えない不安とか
血族よりはるかに長い時間を過ごした伴侶と引き裂かれた悲しみとか
コロナ禍で誰とも思うように会えない、出かけられない苛立ちとか
そういった本人も処理できないであろう感情でないまぜになってるのは理解できる
ただ、全方位猛毒スプリンクラー続けていたらそのうちみんな周りから遠ざかっていっそう孤立してしまうだろう
後悔という病はおそろしい
できなかった道、断ち切らざるを得なかった未来が総天然色で襲い掛かってくるのだ
俺はまだ甥の立場だから多少毒も聞き流せるし向こうも手加減してるけど(俺自身に向くヘイトは今のところないしな)
実のきょうだいである俺の親とかには相当すごいことを言ってるっぽい
俺も独り身である意味いまの伯母と似通った立場だからなんとなく背中が寒くなる
綺麗に老いるのは予想以上に難しいんだろうな
どんなに良好な関係であってもまだ生きてる相手に向かって現預金その他資産のありかと大まかな額を教えろとか言えねーよな
昨年の9月から、原因不明の微熱、疲労感、睡眠障害、気分の落ち込みがあり、仕事に行くのが辛くなってしまい休職しています。
職場の上司から、会話中(会議中じゃなくて会話中です)に居眠りしてしまうことや体調不良による欠勤が増えたことから休職を勧められたのですが、「申し訳ありませんでした、まだ頑張れます、働かせてください」と言いながら自分の髪の毛を両手で掴んで思いっきり抜いてしまいました。
「うつ病っぽいけどなんか普通のうつ病と違う?」と感じたそうで、まずは統合失調症の薬が出されました。
しかし、妄想や幻聴などは全く無く、「本当に統合失調症かなあ…?」と疑問を持ちながら服薬していました。
また、その頃ものすごく涙もろくなっていました。
誇張なく毎日、特に16時くらいを過ぎると涙が溢れるようになります。理由は特にありません。
休職し始めだからナイーブになっているのかな、やっぱりうつ病なのかな、と思っていました。
涙が出ることを主治医に伝えると、統合失調症の薬に加えて双極性障害の薬を出してもらえることになりました。
その1か月後、私の身体にパニック発作が起きるようになります。
息が出来ず、全身が勝手に痙攣する発作でした。
頻度は2週間おきに1回、場所は自宅のベッド、時間は寝る直前、発作は毎回3時間ほど続きました。
パニック障害になってしまったかあ…と思い、病気のことを調べましたが、なんだか自分の症状とは違うな…と思う点も多くありました。
睡眠障害も気になっていたので睡眠外来で検査を受けましたが、異常はなしとのことでした。
入眠障害があるので、精神科の方で睡眠導入剤を処方してもらっています。
月経前症候群(PMS)の可能性もあったので、婦人科でピルの処方もしてもらっています。
また、血液検査でかなりの貧血だということも分かったので鉄剤も処方されました。
その後パニック発作が起きるのではないかと常に恐怖を感じるようになったので、うつ病とパニック障害に効くSSRIという薬を精神科で出してもらいました。
この時点で統合失調症の薬、双極性障害の薬、ピル、鉄剤、睡眠導入剤を飲んでいたので結構な量ですね。
しかし、この薬は2週間飲まないと効果が出ないのでなんとか頑張って飲んでいました。
それから2週間経っても吐き気が治らず、外出も困難になっていたため薬を変更してもらいました。
別の種類のSSRIが処方されましたが、
こちらも吐き気が起きてしまい、家から一歩も出られない日が続きました。
そうなると筋力が弱るので、家から徒歩5分もかからないコンビニに行くのすら重労働でした。
SSRIをやめることになりました。
ストレスで吐くくせがついてしまったので、吐き気止めを持ち歩くようになりました。
涙が夕方からじゃなく、朝からも出るようになったので精神科に相談に行きました。
「感情のコントロールのため、統合失調症の薬の量を増やしますか?」と聞かれたので、
「私の病気は統合失調症で間違いありませんか?」と尋ねたところ、
「まだ分からないですね。うつ症状は出ているとは思いますが、確かに今のところ統合失調症らしい症状は出ていませんよね」と言われたので
「じゃあこの薬中止させてもらえませんか?」と提案したところ、中止させてもらえました。
統合失調症の薬をやめたと同時に、人生で経験したことのないような睡魔に襲われました。
とにかく24時間眠い。人とまともに話せないし、食事をしようにも噛む気力が無くて大変でした。
しかし不思議なことに、気を失いそうな程眠いのに、いざベッドに入ると眠気はあるのに全く眠れません。
睡眠導入剤を飲まないと眠れませんでした。
主治医によると薬をやめたことでそんな眠気が起きることはありえないそうです。
眠すぎて全然日常生活が送れないことにイライラし始めました。全然食事ができないので気づいたら体重が激減していました。
筋トレがいいとか、散歩して日光を浴びるのがいいとか、バランスの良い食事がいいとか、そういうアドバイスはもらっても全部実行できませんでした。
しかし、良い変化もありました。
統合失調症の薬をやめてからなぜかパニック発作が起きなくなったのです。
その後の診察で、「双極性障害の薬も効いてる気がしません」と伝えたところ、双極性障害の薬もやめさせてもらえました。
これでかなり薬が減りました。
尋常じゃない眠気に困っていたある時、
ネット上で「ヤクルト1000」が流行っているのを見たので、2週間続けて飲んでみたところ、
眠気がかなり改善されました。
病院で2時間くらい待たされているときに死ぬほどイライラしていたのですが、それもなくなりました。
涙も止まるようになりました。
それでも体調は万全ではありません。
到底職場復帰できる体調ではありません。
障害者手帳の申請には精神科からの診断書が必要なのですが、診断書には「うつ病」と書かれていました。
昨年の9月から休んでいますが、病状が良くなっているとは全く思えません。
私は本当にうつ病なのでしょうか。
https://anond.hatelabo.jp/20200410224728
前職の年収が340万円、障害者雇用になるにあたり、呈示額を320万円として、
だいたい残業時間が月20時間だと聞いていたから残業代でカバーできるかと思っていたら、
実際は配慮されまくりの業務量で残業がほぼなく、また、一般雇用のように役職がついて年収が上がる見込みも少ないっぽいので、障害厚生年金を申請した。
社労士なしの申し込みでうつなどの二次障害なしのADHDは、申請が受理されにくいというのが定説だが、
増田は無事支給につながったので、ここに増田なりに気をつけたポイントを記しておく。
障害厚生年金の申請時には診断書が必要となるが、そこで、障害認定日ごろの状況を医師に詳しく書いてもらう必要がある。
丁寧な医師であれば、診断書の記入にあたり別途ヒアリングをしてくれるかもしれないが、そこまで時間を取ってくれる人は稀かと思うので、
普段の診察で困りごとを言語化して伝え、カルテにそれを記載しておいてもらうことが重要だと思われる。
A3の用紙に手書きする形で提出したが、ADHDの場合は急になるものではなく、生まれつきの脳機能の問題であるため、幼少期からの履歴が必要である。
めちゃくちゃ面倒くさかったが、受給につながるために手を抜いてはいけないとおもい、
・幼少期
・小学校
・中学校
・高校
・大学
・就職後
の7つのパートにわけて、ADHDによって起きた様々なエピソードを列挙した。
パートを分けるにあたって用紙が足りなかったため、申立書(続紙)を使用した。
もし親との関係が良好な人は、自身の幼少期に何か定型発達児と比べて変わったところがなかったか尋ねたり、当時の成績表などを見せてもらうとよいかもしれない。
・大学下宿時にダンボールのゴミを出せずベランダに退去するまで放置していたこと
・仕事によるストレスによりポスティングされたチラシを捨てられずためていたこと
などがある。
また、上記の申立書に加えてA4の別紙をWordで作成・印刷し添付した。
ここには、日常生活で困っていることを列挙した。
・初めて行くお店や場所で勝手がわからず、会計の順番を抜かしてしまうことがあること
・買ったばかりの数万円する靴を電車の座席の下に忘れてきてしまったこと
・口頭で言われたことを覚えていることが難しいため、事務職に必須とされる電話対応が苦手なこと
診断される際にWAISなどの心理検査を受ける人も多いと思うが、増田の場合は簡単なチェックシートに加え、日常の困りごとを訴えた結果診断に至ったため、心理検査を受けたことがなかった。
ただ、障害厚生年金の診断書を書くに当たって医師より心理検査が必要とのことだったので、違う医療機関にてWAIS-Ⅳを受けることになった。
検査は数時間で有給休暇を取って臨む必要があったが、いざ出てきた検査結果や臨床心理士のコメントを読むと、
より自分の発達特性が俯瞰的に見られるようになったため、これは障害厚生年金の申請の有無関係なしに受けてよかったなと感じた。
上記のような準備を行い、申請から2ヶ月後に無事支給決定の連絡が来た。
社労士に頼むお金は勿体無いけれど、ADHDだけでは通らないときいているし……と不安な方も、増田のような例があると知って勇気を出してみてほしい。
妻は精神病だ。
妄想症があり、隣人宅に潜伏している悪の集団に常に嫌がらせを受けているという。たとえば、部屋に糸くずが落ちていたらそれは「悪の集団が銃で我が家に発砲した証拠」であり、一生懸命それを集めて「証拠保全」していたりする。ちな、俺も悪の集団とつながっていて味方がいないらしい。
もうこんな家にいられない、と妻は家を出ていくそうだ。1年ほど前にも同様のことがあり、その時は精神科に緊急入院させた。あまり良くはならなかった。それから何度も、もう嫌だ家を出る!啖呵を切る?ことがあった。この間、家を出てホテルに数泊して戻ってきた。
主治医に相談した。常軌を逸した思考を繰り広げる妻だが、幸いにも自分で生活する能力は残っており、しばらくギリギリ生活できるくらいの障害者年金と貯金はある。しばらく好きにさせてみても良いのではと言われた。つまり、家出させて別居してみてはどうか?ということだ。
妻が精神病になってしまったのはきっと自分に原因がある。自営業だった店を畳んで転職したが、給料は多くない。その過程で、将来への不安や不満が、怪物になって妻を襲っている。そういう感じがある。
病気にさせた妻に申し訳ない気持ちと、単純に妻が家を出ていく悲しさや寂しさ、しかし糸くずを集める妻に「またお隣さんと結託して銃!」と怒鳴られることがなくなる安堵感とか
処理しきれずにおっさんが一人部屋で泣いている
乳癌になって、乳とって、抗がん剤してハゲて、最近生えてきたけど薬のせいで更年期障害になって(生理こないのはありがたい)
このまま数年更年期障害しながら無為に時間過ごすんならもうちょい放置して末期になって死んどけばよかったなって後悔してる。
真面目に検査受けたら乳とられてハゲて、まだ30ちょいで更年期障害だよ。
でも薬のおかげで太って、毎日30分筋トレしてオートミールとプロテインでエサみたいな食事しても太る。
いま自分って何やってんだろうな一体。
在宅勤務してまで仕事しがみついてさ、抗がん剤も治療費かかるし家に金入れるのやめたんだけどさ、抗がん剤おわった今も入れてないよ
なんかどうでも良くなっちまったよ
親にこんな体に産んでおいて、とまでは思わんけどさ、誰かのために何かしようっていう気が起こらんのよな。
なんか父ちゃんの年金で飯食いやがってとか言われるけどさ知った事かって感じだよ。
いまさら男と番って子ども生みたいなんて気さらさらないしさ痛いじゃん出産。いやそもそも生理こないのに何言ってんだって話か。
自分なんで今生きてるんだろうな。
お先真っ暗とも思わんけど生きてる必要性を感じない。なけなしの倫理観で現世に押し留められてる感じがする。早く人生リタイアしたい。
1/4
友達「ロシアでは大晦日に花火をやる。今年は数人の男の首がちぎれ落ちたのを写真で見た」
増田「そういう危ないことってなんかそそる」
増田「そう」
3/9
友達「振る舞いが格好いい。俳優だったからだろう。だが人を殺しすぎだ」
増田「ふーん?」
友達「ロシアは ・クリミアはロシアの領土だと認めることとドネツクとルガンスクは独立国だと認めること ・NATOに加盟しないことと特定の武器をウクライナに置かないこと
この2つを要求している」
増田「(4つに見えるが)それはウクライナが受け入れうるようなものだと思うの?」
友達「多くの人々が死に、多くの都市が地球から拭い去られることが受け入れうるものなのか?
知っているだろう、日本は二つの核兵器を落とされてようやく降伏した。プーチンはもっとたくさん落とすことができる。戦略核などが撃たれるかもしれない」
増田「ふーん… 仮にもっとひどい条件を提示していたら、それでもウクライナは受け入れるべきだと思う?」
友達「そうだったら、思わない。だがこれはそこまでひどくはない」
増田「そう」
増田「(戦争中に他国がウクライナに軍を派遣したら参戦になるけど、停戦してから派遣するなら参戦にはならないんじゃなかろうか)」
3/20
増田「slavの語源は何? Slaveが元だとかсловоが元だとか色々見てどれだかわからなかったんだけど」
友達「未詳だ」
増田「そう」
3/16
増田「ロシアはEUとかNATOに入ろうとしたことはあるの?」
友達「NATOになら。『ロシアなんか入れてやるわけがない、帰れ』と言われた」
増田「いつごろ」
増田「なんで入ろうとしたんだろ」
友達「知らない」
増田「そう。なんで断られたのかな」
友達「NATOはもともとソ連の力を抑えるために作られた。多分ロシア人のことをいい人々だとは思っていなかったんだろう。それが我々をこのような状況に導いている。
西洋がプーチンを今のようにした。そして蒔いた種をいま刈り取っている」
彼がNATOに入れてもらうよう言うたびにNATOは『帰れ、ソ連は崩壊した。お前はもう何者でもない。お前の意見に価値はない」と言った。
そして今、彼らはプーチンが戦争をしたことにショックを受けている。西洋がプーチンをこうしたんだ。そして西洋人はすべてのロシア人を罪人だとしている」
増田「そう。今まだ回顧録読んでる途中だけど、プリマコフの見識と頭脳、平和と遵法と民主主義と国際協力を愛する心、そしてプーチンを高評価する姿勢はすでによくわかった」
(注:回顧録まだ読み終えてない……。1/3強くらいのところで止まってる)
友達「そう」
増田「多分この時代の西側陣営の人の回顧録も読むべきだろうけど時間かかりそうだな……。
友達「私が覚えている」
増田「ありがとう(刈り取るの中国になりそうだけどどうするんだろう)」
3/7
友達「ウクライナの人々や文化が大好きだ。友達もたくさんいる」
増田「そういえば言ってたね」
友達「近い親戚にはウクライナから来た人がいるし、私の住む地域にもたくさんいる。
ソ連時代にドイツ人とウクライナ人がシベリアに強制的に連れてこられた」
増田「へえー」
増田「(ウクライナから無理やり連れてこられて侵略者の地に根付き、
ふるさとがネオナチに侵されたとの恐ろしい報道を聞いて戦争を支持し国際社会からの糾弾と制裁に遭う。なるほどそういう人生もあるのか)」
増田「あとヒトラーがヤク中だったという説のドキュメンタリーも見たことがある」
友達「ああ、調べたことがある。彼の主治医が大量の薬物の投与を記録していたんだろう」
増田「そうそれ。(結局のところ幸せな生活というものは、禁断症状が出ない程度に少ない脳内麻薬を出し続けるためにあるのかな? 夢がないな)
それ見てて一番心に残ったのは、ソ連が見つけて持ち帰ったヒトラーの頭蓋骨らしきものが本物かまだわからないってところ。
頭蓋骨のDNA検査はできるけどヒトラーの血縁者はもういなかったからヒトラー自体のDNAがわからなくて照合できないんだって。
あれだけ大きなことをした人間なのに毛の一本も残っていないなんて……しんみりしたよ」
もし少しでも疑いを差し挟む余地があったのなら、ソ連は地球の裏側にでも探しに行っただろう」
増田「なんでそんなに探すの?」
友達「スターリンが求めていた。ソ連を恐怖に陥れたヒトラーを捕らえるためならソ連は誰だって殺しただろう」
増田「へー」
友達「ところで。ウクライナはソ連の中で最もナチスドイツに協力的な地域だった」
増田「近いもんね」
友達「ナチスはウクライナ兵の軍隊さえ持っていたhttps://en.wikipedia.org/wiki/Ukrainian_Liberation_Army 」
増田「へー」
友達「https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Gitler-vizvolitel.jpg
プロパガンダの一例だ。『救世主ヒトラー』と書かれている。ウクライナはいつもロシアに敵対してきた」
(注:この言葉の真偽についてはhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/Ukraina2022.pdf が一つの手がかりになるだろう。増田はあくまで1人のロシア人の考えを日本に伝えるためにこれを書いており正しさについては何ら保証しない。当たり前のことだが、正確な情報が知りたければ怪しげな増田ではなく専門家に頼って頂きたい)
増田「ふーん」
友達「だが皆ウクライナをただ利用するばかりだ。ウクライナは自分達がロシア以外のどこからも必要とされていないのを理解しようとしない。
EUは彼らをbarbariansと呼び、NATOは加入を認めなかった」
増田「利用……たとえば?」
友達「ドイツはロシア人を殺すためにウクライナ兵の軍隊を使ったあと一方的に関係を絶った。
欧米は2004年と2014年からウクライナを使ってロシアに圧力をかけている」
増田「Помаранчева революція」
友達「それ」
増田「どう思う?」
友達「ロシアはEUとの間に緩衝地帯がほしくて傀儡の大統領を立てようとした。2013年までは平和だったが欧米の援助でユーロマイダンが起きた」
増田「えー、それが欧米の国々がロシアに圧力をかけたってことになるの?」
2004年、ウクライナが不安定だったときに利用しようとしたが失敗した。
今やっとある程度の成果を得ようとしている」
増田「利用?」
2014年にもう一度試みたときはもっと上手く行ってヤヌコーヴィチがロシアに逃げた」
友達「Operation Unthinkable, Operation Dropshot, Plan Totality.」
増田「Operation Unthinkable… いいですね闇っぽくて」
増田「(……)」
増田「(なんだよ、愚民化政策じゃないじゃん! 騙された!)」
友達「Plan Totalityは複数の核兵器をソ連に打ち込むことも含まれていた。日本にしたように」
増田「そう。なんでやらなかったんだろう」
増田「なるほど」
増田「ロシア側は2014年に失敗したみたいだけど、欧米側はうまくいったの?」
友達「ウクライナは欧米になりたがった。しかし欧米はウクライナを欲しがらなかった」
増田「それで?」
2021/2
友達「ロシアでは脱脂綿のことをватаという。日本語の綿からきている」
友達「逆に日本語にもノルマ、コンビナートなどいくつかのロシア語由来の単語があるのを知った」
増田「へー、そこそこ入ってるんだ。なんで入ってきたんだろう」
増田「(……)」
増田「ああ……、シベリア抑留か……」(注:その後知ったが1800年代からロシアと日本の交流はあり単語の流入もある)
増田「(は? なんだコイツどうして笑ってやがる。私の同胞がシベリアに住まわされたのに)」
増田「(……)」
増田「(…………)」
増田「(それじゃなんて言えばいい? 下手なことを言ったら失礼にあたるんじゃないか?
笑ったのだって、もしかしたら●●さんの親戚に日本兵と仲良くしていた人がいてそれで笑ったのかもしれない)」
友達「あれだな」
勘違いしていた。 Siberian Educationという、実際のシベリアを全く表していないデタラメな本と映画について話しているんだと思っていた」
増田「そうなんだ(ああ、びっくりした)」
3/23
増田「へーなんでだろ」
3/21
友達「https://www.theguardian.com/world/2021/nov/04/ex-nato-head-says-putin-wanted-to-join-alliance-early-on-in-his-rule 」
増田「(……)」
増田「(……うーん? なんか思ってたのと違うな)」
友達「国民がその国家を定義する。もし入っていたとしても国民は変わらないだろう。
増田「なんで?」
増田「(……)」
増田「(…………)」
増田「(……アルコール中毒はロシアには確かに多いとはいえ古今東西のあらゆる気候で発生するものだ。眉に唾はつけておこう)」
増田「(ときに人は、泥臭く血の通った言葉こそを疑わなければならない)」
2021/9
増田「そんなに難しいの?」
友達「2019年まではそこまででもなかったが今はほとんど不可能だ」
増田「えー……」
3/24
増田「ロシア人を入店させないレストランあったけど、ロシア人とそうでない人の区別なんてつくのかな」
増田「だよなあ、やっぱり」
増田「ドイツのレストランの方は『ロシアのパスポートをお持ちの方は入れません』と書いてあったけどレストランでパスポートなんて見せるのかな」
友達「突拍子もない話だ」
(注:その後調べたところドイツではワクチン接種証明または陰性証明がないとレストランに入れないようなのでこれが関係あるのかもしれない)
3/20
友達「Russia is releasing every COVID restriction」
増田「(なるほど第6波対策か オミクロンやばいもんね。 ……?)」
生後5ヶ月で私が拾ったねこ。
実家とは疎遠になろうとしていた私を繋ぎ止め、家族のかすがいになってくれたねこ。
頭良くて人の顔うかがいながらイタズラするねこ。
18歳(人間なら88歳)なのにとても元気で、よく遊んで欲しがっていたねこ。
甘えん坊なので皆が忙しくてかまってもらえない時にストレスでちょいハゲができるくらいだった。
毎日よく食べ、よく水を飲み、よく運動し、よく甘え、よく毛繕いし、よくンコもする健康優良猫だった。
でも、とても健康で元気だから覚悟なんてしていなかった。できてなかった。
ねこが8歳のころに私は生まれ故郷を離れ、帰郷するのは年に2回となった。
それでもねこは私のことをちゃんと覚えていてドアを開ければ鳴きながら走って出迎えてくれていた。
とても賢い。
とても可愛い。
離郷して9年目、新型コロナウィルスが世界に蔓延し、突如パンデミックの災禍に巻き込まれた。実家に帰れなくなった。
その頃からねこは少し夜泣きをしたり、たまに乱暴になる事があった。
親は「痴呆では?」と心配していたが、名前を呼べば反応するしご飯もわかるし過剰に要求しないし、私は違うと思ったし主治医も問題ないと言っていた。
一年半後コロナが少しおさまりかけ、実家に帰ったがやはりちゃんと私の事を覚えてくれていた。18歳だけど毛艶も良く、夜は昔からの習慣で布団に入ってきたので一緒に寝た。
元気な姿はそれが最後だった。
「ねこの口腔内に腫瘍ができた。手術でとって病理検査してもらう」
即調べた。
手元の小さな箱で調べた。
猫 口の中 腫瘍。
「癌になったら余命は1〜3ヶ月ほど」
信じないでおいた。信じたらしまいだ。
残り2割の可能性がある。
結果は8割の方だった。
残酷。
それから3ヶ月半。
知り合いの獣医も言う「19歳で全身麻酔の手術なんて、それだけでも凄いよ」
何故なら手術で腫瘍を採るには目をとり顔を半分削ぎ落とすから。それでも完治は保証できない。
抗がん剤は腫瘍の由来が不明のため効果的に投与できる薬を特定できず、放射線治療は負担が大きい。
それからねこの可愛いお顔は左半分が少しづつ膨れ上がり、鼻は曲がり、左目はほぼ見えなくなった。
口の中も再び肉腫が大きくなり、鼻を圧迫して髭も抜けて無くなってしまったのでご飯が食べづらい。
口の下の腫れが気になるのか顔洗いながら爪を立ててしまうので毎日顔と両手が血まみれになる。血の海に浸したみたいに赤黒い。
ウンチも週一。
お水もうまく飲めないのか傷にしみるのか苦戦して量が減る。
癌診断の後、私は一週間の自主隔離とPCRを駆使して月一で帰郷した。帰ったらリモートワークしながら一週間滞在してはねこと密に過ごした。
帰ると嬉しいのかご飯の量が増えたりしてくれた。
毎晩一緒に寝て、泣きながら沢山話しかけた。
沢山撫でた。
元気な時はそんな事一切なかったのに、体力ないからか、寂しいからか、辛いのか、痛いのか。
どうしたの?と撫でてあげると安心してまた寝た。
それが2週間前。
匂いを感じないからか、食べづらいからか、実家近辺にて買えるウェットフードで食べてくれるものが尽きた。
ネットでなんでもいいからウェットの食べやすそうなものを手配した。
体重は全盛期の2/3の2.6kg。
もう、近いかもしれない。
毎晩泣いてきたけど、いまだに涙が止まらない。夜になると考えてしまう。
何かできたことは無かったのか、事前にわからなかったのか、いや分かるわけない、人間でも予防は無理だ、でもあの子は左目に昔からアレルギーがあったからアレが遠因じゃないのか、その時の獣医はアレルギーと言っていたから分かるわけない、内臓のガンの方がマシだったのか?、いやそれはお前のエゴでしかない。
よい猫生だっただろうか。
昔はねこが虹の橋を渡ったら遺灰を小さくて可愛い骨壷にいれて手元に置いておこうと思っていた。
今はそれすら良いのか分からない。
そんなものを今から手配するのもましてや探すのなんて体が動かない。
あなたが今、ただただ苦しんでいない事を。
痛くないことを。穏やかでいられる事を。
世界中の猫とこれを読んでくれた貴方と貴方の猫が少しでも永く一緒に幸せでいられる事を。
祈るしかない。
ホルモン療法して今ちょうど半年くらいであと5年はやらないといけないんだけど太るし筋トレしまくっても痩せないし
なんなら筋トレの量を増やすほど体重も体脂肪率も上がるので好きな服も着れないし馬鹿らしくなってきてもう治療やめたい。
癌のくせに太る?笑みたいにしか思われないのも癪。そういう奴らをひとり残らず引っ叩いて肝がんステージ4にしてやりてえわ。
学生時代は服飾系の学科の子にモデルを頼まれるほどにスタイル良かったのにさ、BMIは今日20を超えた。
今まで着てた服が一つ残らず着れなくなってんのに悲しくないわけないだろ
お前が私のために全部服買い替えてくれるわけじゃないのに「それでも痩せてるほうだから」じゃねえんだよ主治医。てめぇも引っ叩いてやろうか。
今着たい服は今着たいのであって5年後に着たいわけじゃないし
ホルモン療法なんかやめて女性ホルモン(乳がんのエサ)増やして痩せやすい体にして運動しつつ好きなもの食べて好きな服着て好きなメイクして過ごしたい。
好きでもない体型を強要されて好きなことできない5年間なんかで寿命延ばすより
好きなことしてステージ4のどうにもならない状態の再発してとっとと死にたい
どうせ子どもも産めないし、そもそも生みたくもないし、パートナーもいないし死んだもん勝ちじゃん。
でも実際こういう選択した人ってどんくらいいるんだろうと思う
闘病記とかはあっても治療やめて人生楽し~!満足!死んだ!みたいな記録って見ないんだよなー
本人死んじゃうし、あまりおすすめする内容じゃないからだろうけども
あとこうやってイライラしたり落ち込んだりするのも薬のせいだとは思うけどそれも込みでとっととやめて死にたーい!
俺、既婚子持ちの40歳。
30過ぎて技術職から営業に異動したのがきっかけでADHDが発覚。全検査IQはMENSAには全然入れる程ではないものの比較的高めだったし、1番低いWMでも102だったので、2Eかそれに近いタイプなんだと思う。
一応オープン就労ではあるけれど、特に個別に配慮を受けてる訳ではなく。というか障害関係なく、困り事があって業務遂行に問題がある場合は、障害の有無関係なく話を聞いてくれて、何かしらのサポートをしてくれる、超ホワイト企業。
後出しジャンケン式オープンってのもあって、この前の源泉徴収票では600万円超えてた。それだけの働きが出来ていたのか、正直貰いすぎなのかは何とも言えんけど。ちなみに社内の40歳男子平均で見ると、これでもぶっちぎりで平均以下。なので、社内ではやっぱり期待値ほどはまだまだ成果足りてないよね、という扱いなはず。
妻が結婚直前に、何かしらの発達の疑いを自覚していたことをカミングアウト。とは言えもう惚れ込んでたし、今更それだけを理由に婚約破棄ってのも考えられず、予定通り結婚。
翌年末、めでたく長男が生まれました。1歳半検診で指摘があり、その後知的ボーダーのASDが発覚。
根はクソ真面目なパパ。発覚と同時にうーんこれは、子供の各成長段階で最適な療育なり福祉支援をしてやらなきゃいかんねと。そのためには親がちゃんと福祉を理解してないとってことで、通信制の某マンモス福祉大学に入学。これはADHD特有の衝動性もあったかもしれん。今思うと、何で社福を選ばなかったんだろうなんだけど、仕事と並行して、大学の単位戻り、実習も経験してから精神保健福祉士も無事取って、大学も卒業。
よーしパパ、これから日々家庭内でソーシャルアクションをやるぞー、って張り切ってたのですが、ここら辺で燃え尽きました……。
適応障害って診断されたけど、もう半年以上経って回復してないから、反復性うつ病性障害にシフトしてる感覚はある。あと、神経過敏とADHD特有の衝動性が相まって、攻撃的な性格になったり、多弁傾向が強くなったりと、躁転の症状も出てる。現に、こんなクソ長いまとまりのない文章を垂れ流してる段階でお察し。
理由は全く想定外していなかったADHD父とASD男児の相性の悪さ。毎日、家庭内で息子からストレスを浴びせられる毎日。
そして妻はメシは作れるし美味いんだけど、家事能力無しの汚部屋製造機でした。厳密には、他人から指示されると作業は出来る。でも、自分で段取りを決めて、主体的に動くってのが出来ないみたい。
それでコロナ禍の影響で、汚部屋環境下で耐えながら日々続ける在宅勤務。もともとストレス耐性はそんな強い方ではないので、半年くらいでパンクしました。で9月から休職中。手帳は元々持ってましたが、加えて障害支援区分2を取って、身体介護と家事援助の居宅介護を取りました。妻が家事出来ない分、私の枠を使ってなんとかしのいでる状況。
だから主治医からは家庭環境起因の発症だから、家族と別居して環境を変えない限りは治らないと言われています。実際、3週間入院した時はすっかり寛解したんだけど、自宅に戻ったら2週間で再燃しました。
今、妻にも心理検査を受けさせてます。でもウェクスラーは終わったっぽいけど、MSPAがまだみたいで、順番待ちでざっと半年待ちだとか。最近の発達障害ブームに加え、コロナ禍で今まで見えてこなかったグレーゾーンの人が一斉に顕在化したんだろうから、そりゃそうだろうなとは思います。で、妻の判定は相当先になりそうなので、先に障害支援区分を取らせて、妻にも居宅介護がつけられるように、現在画策中です。
これが済んだら、私はショートステイかグループホームに移って、擬似的単身赴任みたいな感じで家族と別居生活をする予定。家族と同居してると、一向に治らんので。
月々の生活費は、元々の基本給が35万円くらいあったので、それベースの傷病手当金が健保組合から出てるので、意外と困ってない。ずっと働けてなかったので、まだ有給休暇のうちに障害年金を申請して3級は通ったんだけど、就労不能で3級はねえだろと、審査請求を視野に入れて原因分析中です。
ここまでなんやかんやでギリギリやれてるのも、自分がMHSWの資格所持者で、計画相談支援とか、その手のサービスが世の中にある事を知ってたからだろうなあと思う。
一方で、会社の人事がここら辺の知識が無能過ぎるのが問題。復職支援ではなく、復職の邪魔をしている。完全に治るまでは会社の敷地を一歩も通させん、という姿勢なので、これじゃ治るもんも治らない。
ここまで書いて気付いたんだけど、これ愚痴じゃなくてただの自己紹介だよね。ADHDだと、主部と述部が全く異なるはよくある話。
ハルオサンのエントリーを見て自分も同時期にWAIS4を受けてたのでレポ。
もちろん了承。
今までの人生うまくいかないことがいろいろあったが一番問題なのは就業だ。
正社員経験はなく、バイト、契約社員、自営業、派遣社員と転々としてきた。
小田急サラダ油事件のニュースを見ていて「容疑者は仕事を転々とし」のところで、自分も当てはまってるなって思った。
大阪の心療内科ガソリン放火事件は、孤独に苛まれたら自分もこうなるかもって人ごとじゃなかった。
親を頼ってなんとか生きてきたが、もうすぐ限界がくる。
本題に戻る。
僕の場合はWAIS4とロールシャッハテストの2回に分けて行われた。
正直に言うとどれも楽しかった。
クイズ番組に参加しているような感覚で「やってやるぜ!」って挑めた。
それなりに手応えもあったし、これで「発達障害」って言われたら逆に困るなーって思いながら一回目が終了。
その日はめちゃくちゃ疲れたので泥のように寝た。
二回目はロールシャッハテストで、まずこの検査ってまだ現役なんだって驚いた。
十枚の絵を見て何に見えるか答えて、二周目になぜそう見えたかを答える。
wikipediaを見て知ったんだけど、心理テストにありがちな
実際、自分の答えがどういう理屈で結果につながったのかさっぱりわからない。
やっぱりというかなんというか発達障害というほどではなかったが
四つの指標のうち「処理速度」という項目だけが明らかに低かった。
今でも「処理速度」というものがあんまり理解できていないのだが
僕は燃費も悪いし容量も少ないのにアクセルはベタ踏みしかできないって感じだろうか。
全体としては「処理速度」の数値が他の数値と20~30程度の差があるだけ。
総合数値では平均的。
それでこんなにうまくいかないの?って驚きはあるが
納得感の方が強いし、簡単にいえば腑に落ちた。
今後、苦手を避けて得意を生かせるかどうかかなり不安はあるが
苦手なことがはっきりしただけで少しマシに取り組める気がする。
「生きづらい」ってワードが流行っているが自分でそう思ったことは一度もない。
ただ「うまくやれなかった」っていう喪失感があるだけ。
ちなみに保険が効いたので5000円くらいで受けられた。
「病院 特別室」でググっても事例があまりないので、体験談を書いてみようかなと思いました。
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ある疾患を抱えていて、入院して手術しないと死ぬよと主治医に言われ、都内屈指の大学病院に2週間ほど入院することになった。もちろん保険適用で差額ベッド代ゼロ円の部屋もあったが、他人のいびきなんぞ聞きたくもないし、クチャラーにあたった日には最悪なので、個室を希望した。
個室の差額ベッド代はミニマム3.5万円スタートで、この時点で「高くね?」と思っていた。それでも貯金を切り崩してまでも個室にしたかったので、個室の種別がいくつかある中で、第1希望から第3希望まで選んで入院受付に提出した。
入院3日前までの新型コロナウィルスの陰性証明、つまりPCR検査必須と言われ、渋々有給を取ってPCR検査を受けに行った。最近のPCR検査はすごく、鼻に長い綿棒をぶっこむやつではなくて、唾液から検体の検査ができるらしい。
後日、PCR検査の結果報告が来る前に第1希望〜第3希望の個室の空きがなく、大部屋しかないと言われて愕然とした。そもそもPCR検査で陽性だったらどうしていたんだろうという疑問はありつつも「あれ、個室の上に特別室っていう項目あったよな」と思い出し、「特別室の一番安いやつは空いてないですか」(安いやつでもミニマム6万円)とダメ元で聞いてみたところ「確認してまた折り返します」とのことで連絡を待つことに。
空いてなかったら、大部屋かぁ鬱だな手術キャンセルしようかなと思い至るくらいには大部屋が嫌だったわけだが、数時間後「今特別室の10万円のお部屋しか空いていないのですが、6万円の金額で構わないのでこちらでご入院いただけますか」と連絡が来た。目を疑う…いや耳を疑ったのだけど、6万円で10万円の特別室か…いったいどんな部屋なのかワクワクだったのと、入院に対する不安と支払うお金に対する無の感情が入り乱れてきたが、医師看護師完備の高級ホテルに泊まるんだと自分に言い聞かせ、なるほど、これが病院の経営で利益を上げる手法なんだな、学びになるなと思いながら6万円の部屋で渋々承諾した。ちなみにPCR検査の結果は陰性だった。
入院当日、そもそも特別室と個室の違いが、電気ケトルと大きいテレビ置いてるか置いてないかくらいにしかわかっていなかったのだが、入院受付に受付をしに行った。
特別室の驚きは、まずこの入院受付から始まるわけだが、アドオンで1日あたり2,000円出すと一般病棟とは異なった食事が提供されるらしい。怖いもの見たさでとりあえず申し込んでみた。
次に特別病棟に案内された。特別病棟は最上階にあり、直行エレベーターに乗り最上階まで行ったのだが、エレベーターのドアが空いた瞬間、また驚いた。
床がタイルではなく淡いレッド色のカーペットが全面に敷かれており、エレベーターホールにはいかにも王室で使われているような高級そうなイスがずらりと並べてあった。
そして病棟とエレベーターホールには硬い扉での隔たりがあり、扉はALSOKのカードでタッチするか、インターホンでナースステーションから開けてもらわないと開かない仕様になっていた。
「は?ここ病院だよね?」と二度見三度見、そして降りる階を実は間違えたんじゃないかと思い、エレベーターに再度乗るも、入院する病棟の階に間違いはなかった。
昔、別の疾患で別の大学病院の大部屋に入院したことがあるのだが、その記憶が嘘のように思え、エレベーターホールで頭を深く抱えていたところナースステーションから固く閉ざされた扉を開けて、看護師が来た。
「ご入院でございますね。ご連絡承っております」…「承っております…?」何かの聞き間違いかと思った。看護師と言えば忙しさのあまり、悪気がないにせよ患者に冷たくあしらった対応をしてしまうような方もいる中で、「○○様の看護を務める山田(仮名)でございます」と開口一番に言われ、高級ホテルだと比喩したのはあながち間違いではなかったのだなと思った。
病室へ案内され、病室の説明を受けた。病室自体にツッコミたいことが山程あるが、「看護のリーダーをしております。何かありましたら、お気軽にナースコールでお呼び出しくださいませ」と言われ、頭を下げて病室から看護師が立ち去っていった。
「お気軽にナースコール…?」ナースコールって気軽に押していいものなのか、これは押すなよというフリなのか、と頭の中で葛藤をしていたが結局押さなかった。手術が終わるまでは。
そして病室自体のツッコミだが、病室自体もそうだが、病室までの廊下にはコケシ(?)が置かれていたり、吹き抜けがあったり、病室の扉も内鍵が付いていない以外は、さながら高級ホテルのようだった。なお、外側からは鍵をかけられる仕様になっているため、コンビニへ行くときは病室に誰も入れない。鍵はナースステーションで預けるようなシステムだった。
なお、病室にはクローゼットもあるし、収納もたくさんある。いや、こんな収納使わないけど…。そして部屋の奥に佇む1つのべッド。広い部屋の中にポツンとあるベッド。
さぞかしふわふわで柔らかいんだろうなと腰をかけたら、やはり病院のベッドは堅く、しばらくの間首が痛かった。部屋はゴージャスなのに、なぜ病院のベッドは…
ところで、今回10万の部屋になってしまったわけだが、これよりも上のグレードもあり、そのグレードの部屋はALSOKを使わないと入れない仕様になっていて、その部屋の目の前はナースステーションになっていたので、
緊急事態でもすぐに対応できるような造りになっているのだろう。そして、こういう部屋を使うのはおそらく要人とかなんだろう。永遠にご縁はないだろうが。
有名政治家、芸能人やどこか有名上場企業の社長が一般病棟ですれ違わないのは、こういった特別室という概念があるからなのかと腑に落ちた。
申し込んだ特別室専用の食事だが、デザートにパイナップルが出たり、キウイが出たり、ハーゲンダッツが出たり病院食とは思えないほど豪華で美味しかった。なんなら不摂生な毎日の食事よりも健康的で美味しく食べられる。
手術当日、担当看護師がオペ室まで案内してくれた。そういえば大部屋って案内されないで、自分で行って勝手に受けてねだったような気がしたが…。特別室だからなのか、それともこの大学病院の方針なのか定かではない。
全身麻酔だったということもあり手術を終えた当日の記憶が若干曖昧ではあるが、痛すぎて鎮痛剤をもらうためにナースコールめっちゃした。ごめんなさい。
点滴を交換する際に、看護師が部屋を訪れるわけだが入る時にノック3回して「今よろしいでしょうか?」と確認してくれる。すごい。ちなみに消灯時間を超えたあとはノックなしに勝手に入ってくるので、めちゃくちゃビックリする。ちなみに、部屋の電気をすべて消したあとは、携帯ライトで点滴を交換しているようだった。
主治医が来たり、当直医が来たり、看護師がバイタルを測りに来たりと、あんまり気は休まらなかったが、大部屋よりかはのんびりできたのかもしれない。
結局ゲームを持っていったのに痛くてゲームどころじゃなく、スマホで朝から晩までずっとTikTok見て過ごしてた。
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そんなこんなで退院日になり、退院の準備を進めていた。手術代よりも病室の差額ベッド代のほうがもちろん高くて目ン玉が飛び出た。
そして特別室の患者は特別らしく、専用の紙を受付に渡すとどんなに並んでいても割り込みで支払いができるシステムになっている。
他の待ってる人に申し訳ない気持ちが込み上げてくるが、上級国民はこういったのが日常茶飯事なのかと思うと本当に格差ってあるんだなとしみじみ思いながら、割り込みしつつも、大人のクレジットカード分割払いで会計して家に帰った。
会計料金はお察しください。
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まさかここまで反響があるとは思ってませんでした。退院祝いに大量飲酒しながら書いたので稚拙な文章ですが、こういう世界もあるというのが伝わってよかったです。
ちなみに、特別室に泊まるともれなく大学病院のアメニティが無償で付いてきます。入院時の持参物でティッシュやシャンプー、トリートメントなど書かれていたので持っていったのですが、アメニティや特別室そのものに付属されていて、持ってく必要なかったなと若干後悔しました。
あと、面白かったのは、特別室の患者のみ新聞を取ることが許可されていたり、今でこそ不要ですが、はてブにも書かれていた方がいるように外部との連絡手段としてホテルにあるような電話機が設置されていたりしてました。
部屋のイメージは、はてブで既に比喩されている方もいらっしゃいますが、私が泊まった部屋は、ドクターXに出てくるいわゆる特患向けの部屋が広さと見栄えがイメージとして近いです。私自身も入院するまではドラマの世界だけだと思っていたのですが、そうではなかったようです。
ただ、ドクターXのように大門未知子先生が唐突に入ってくるような構造にはなっていないので、これは現実とはかけ離れているなとは思いました。おそらくエレベーターホールのALSOKで医師・看護師の入退室は管理されていると思います。
書くのを失念していましたが、もちろんトイレと浴室付き、独立洗面台付きの特別室でした。特別室によっては前室やキッチン付きの部屋、またはてブに書いている方もいらっしゃいましたが、病院によっては執務室や会議室が備え付けのところもあるようです。
ちなみに、浴室・トイレに鍵をかけられないのと、浴室やトイレのあちこちにナースコールボタンが設置されているのは、やはり病院だなと思いました。
入院中あまりにも暇で調べていたのですが、予約診療っていう概念があって、お金を払うことで(しかもワンショット2万円前後)一般患者と一切顔を合わせないで決められた枠内の時間での診察から調剤まで一気通貫して行うサービスを提供している病院もあるようです。こういうサービスの恩恵を受けるのは、まさしく要人といったところでしょうか。
医師からのサービスの質に関しては、一般患者も特別患者もあまり変わらないのかなというところです。当直医の方はすごい無愛想でしたし、主治医は毎度丁寧な喋り方です。ここは医師によるのでしょう。
看護師からのサービスについては、一般病棟よりも優れているなとは感じました。ただ、医療明細書を見ると「特別看護点数」が取られていたので、この点数から看護師たちの教育は一般病棟とは異なっているのかもしれないです。ちなみにホテルマンの如く、キャリーケースは看護師が率先して運んでくれたりしてくれました。