はてなキーワード: 肝がんとは
別のガンで母を亡くした増田見て、まさかうちのことじゃないかと思ったらステージⅢの診断から始まってて(=うちではない)、そんなによくあることなのか、と改めて
1か月の節目で何か書こうと思ってたけど新しい話題がなくて結局書いてないんだけど
うち(anond:20230214195255)の場合の経緯(というより気づいた異変)を書いてみる
体の痛みの話をよく聞くようになった(本人はぶつけて悪くしたと思っていた)
・定期健康診断で肝臓に関する数値が基準値の3倍を超えていた(母本人は特に見せなくて、死後に結果の紙が出てきて知った)
<11月>
・代わりに買い物を頼まれた(普段使っていた路線バスに乗りたくない(ワンステップバスに当たると乗降が辛い)という趣旨で代わりを頼まれた)
・異様な便秘があり(おそらく健康診断の値について聞くのを兼ねて)、信頼していた内科を受診する
→薬を貰う
→効かないので再受診
→CTを撮るも「造影剤を使って撮り直さないと分からない」という結果で、大病院に行くことを求められる
<12月>
・年明け最初の診察日、 結果は乳がん転移性肝がん、治療を行った場合死亡する可能性が高いという告知
即日入院を求められるが、無理を言ってその日だけ帰宅(これが自宅で就寝した最後の日になった)し翌日に入院する
この転院自体はおそらく母にとっていい出来事だったと思う(1日120分まで面会が許可されたほか、医師の判断でおやつの持ち込みが許され持って行ってあげた)
ご飯が転院前は普通のご飯だったのが、転院後はおかゆに変わって助かったという話を聞いた(完食して嬉しそうな日もあった)
・第1週の某日、午後9時ごろに病院から意識が亡くなっているという電話が来て直行する(自宅から30分)も、到着時には心肺停止
亡くなる日には変な兆候があり
・コップで水を飲むことができなくなり砕いた氷で水分補給していた
・異常なレベルで光に過敏になっていた(照明を常夜灯にし、カーテンを閉めてほしいと頼んできた)
・何かを話そうとするも、なんの話題かどうか思い出せなくなり結局話せなかった
(唯一、私の鼻水の音を聞いて風邪の心配はしたので、死ぬ間際まで子どもを気遣う能力が残っていることに感心)
後から考えれば謎の便秘は高カルシウム血症の症状で、がんが骨に転移すると起きる症状に他ならなくて
「がんが骨を壊して、酷い便秘を起こす」なんていうのは全然思い当たらないしもうどうすりゃ気づけたんだよ、という気しかしない
ホルモン療法して今ちょうど半年くらいであと5年はやらないといけないんだけど太るし筋トレしまくっても痩せないし
なんなら筋トレの量を増やすほど体重も体脂肪率も上がるので好きな服も着れないし馬鹿らしくなってきてもう治療やめたい。
癌のくせに太る?笑みたいにしか思われないのも癪。そういう奴らをひとり残らず引っ叩いて肝がんステージ4にしてやりてえわ。
学生時代は服飾系の学科の子にモデルを頼まれるほどにスタイル良かったのにさ、BMIは今日20を超えた。
今まで着てた服が一つ残らず着れなくなってんのに悲しくないわけないだろ
お前が私のために全部服買い替えてくれるわけじゃないのに「それでも痩せてるほうだから」じゃねえんだよ主治医。てめぇも引っ叩いてやろうか。
今着たい服は今着たいのであって5年後に着たいわけじゃないし
ホルモン療法なんかやめて女性ホルモン(乳がんのエサ)増やして痩せやすい体にして運動しつつ好きなもの食べて好きな服着て好きなメイクして過ごしたい。
好きでもない体型を強要されて好きなことできない5年間なんかで寿命延ばすより
好きなことしてステージ4のどうにもならない状態の再発してとっとと死にたい
どうせ子どもも産めないし、そもそも生みたくもないし、パートナーもいないし死んだもん勝ちじゃん。
でも実際こういう選択した人ってどんくらいいるんだろうと思う
闘病記とかはあっても治療やめて人生楽し~!満足!死んだ!みたいな記録って見ないんだよなー
本人死んじゃうし、あまりおすすめする内容じゃないからだろうけども
あとこうやってイライラしたり落ち込んだりするのも薬のせいだとは思うけどそれも込みでとっととやめて死にたーい!
(CNN) 新疆ウイグル自治区で夜中に急襲が始まった。
ライフル銃で武装した数百人の警官がウイグル族の住む町で家々を回り、数百人を家から引きずり出し、手錠をはめ、フードをかぶせた。もし抵抗したら撃つと脅した。これらは中国の元警察官がCNNに語った内容だ。
この人物は「我々は夜中に全員を強制的に捕まえた」「もしその地域の一つの郡に数百人がいるのなら、数百人を拘束しなければいけなかった」と話す。
元刑事であるこの内部告発者は中国に残る家族を守るため、「ジャン」との名前だけで自分を特定するように希望した。
ジャン氏は亡命先の欧州で行われたCNNとの3時間に及ぶインタビューで、新疆ウイグル自治区の収容所でウイグル族を拷問する組織的作戦と同氏が位置付けるものについて詳しく説明した。このような詳細が明かされるのはまれ。中国はこうした拷問の存在を何年も否定してきている。
ジャン氏は警察の留置場で自分や同僚が尋問したときを思い出しながら、「あざができて腫れ上がるまで、彼らを蹴り、なぐる」「彼らが床にひざまずき、泣き出すまでだ」と述べた。
ジャン氏が新疆にいたとき、新たに拘束された人は全員が尋問で殴られていたと語る。男女を問わず、最年少で14歳の子どもまでいたという。
拷問の方法はさまざまだ。被疑者の動きを封じる金属製や木製の「タイガーチェア」と呼ばれるいすに拘束したり、天井からつるしたりしたほか、性的暴行、電気ショック、水責めもあった。数日間寝ることを許さなかったり、食事や水を与えなかったりしたこともあったという。
ジャン氏は「全員が違う方法を使う。バールや鍵付きの鉄の鎖を使う者もいる」「警察は容疑者の顔を踏みつけ、自白しろと迫った」と語る。
ジャン氏によると、容疑者はテロ犯罪の疑いで摘発された。だが、ジャン氏が逮捕に関与した数百人の中で、犯罪を犯したものは「誰もいない」と感じているという。「彼らは普通の人々だ」ともジャン氏は付け加えた。
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang
ジャン氏によれば、警察の留置場での拷問は自白するまで続けられた。その後、容疑者は守衛が配置された刑務所や収容所などの施設に移送されるのが通例だった。
自分の証言を裏付ける目的で、ジャン氏は中国にいたころの警察の制服、公的書類、写真、動画、身分証をCNNに提示した。ジャン氏の身元を守るためにCNNはこれらを掲載することはできない。CNNは中国政府に今回の告発内容について詳細な質問を送ったが、返答はない。
CNNはジャン氏の主張する内容について独自に確認出来ていない。ただ、ジャン氏が語った詳細な記憶の多くが、CNNが本記事でインタビューした2人のウイグル族被害者の経験と一致する。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」が6月に出した160ページに及ぶ報告書でも、収容所にいた50人以上の人々が証言をしている。
米国務省は2017年以降に最大200万人のウイグル族や他の少数民族が新疆の収容所に拘束されたと推定している。中国はこれらは職業訓練施設であり、テロリズムや分離主義の撲滅を目的としたものだと主張。新疆で人権侵害が起きているとの批判に対し否定を続けている。
中国外務省の趙立堅報道官は今年6月の記者会見で「新疆でのジェノサイド(集団殺害)と呼ばれるものは、隠れた動機に基づくうわさでしかなく、真っ赤なうそだと改めて強調したい」と述べた。
先月29日には、新疆政府の当局者が記者会見で、以前収容所にいた人物として1人の男性を紹介した。この男性は収容所に拷問は存在せず、拷問があるとの主張は「全くのうそ」と述べた。男性が発言を強要されていたのかは不明だ。
ジャン氏が初めて新疆に派遣されたとき、テロの脅威に打ち勝つ助けになりたいと願っていた。そうした脅威は中国を脅かす可能性があると聞かされていた。また、警察に入って10年がたち、昇進したい気持ちもあった。
上司からこの任務に就くように求められた際、上司は「分離主義勢力が母国を分断したがっている。我々は彼らを全員殺さなければいけない」と語ったという。
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣され、新疆の複数の地域で働いた。中国で「猛撃」と呼ばれる対テロ作戦が佳境に入ったときだ。
ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP
ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP
14年から始まった「猛撃」は、新疆の少数民族を大量に拘束するプログラムを推進した。こうした民族の人々は、単にベールをかぶっていた、または長いあごひげを生やしていたといった理由で刑務所や収容所に送られた。子どもが多すぎるとの理由で送られた人もいた。
ジャン氏はCNNに対し、15年に北京から出された公的な指示を記載する1通の文書を示した。それは中国の他の省に対して、国内でのテロへの戦いに参加するよう呼び掛けるもので、「習近平(シーチンピン)総書記の重要な指示の精神を届けるように」との記載があった。
「新疆支援」と呼ばれる仕組みの下、中国各地の省から15万人の警察官が集められたとの話をジャン氏は聞いたという。この仕組みは、新疆の各地域に治安関連資源を含む支援を提供するように、各省に促すものだった。ジャン氏によると、一時的な赴任には報酬面で恩恵があった。派遣中は通常の給与が倍になり、他にも特典があったという。
ただ、ジャン氏は新しい仕事と弾圧という目的にすぐ幻滅を感じたという。
あらゆる所に検問所があり、多くのレストランや広場が閉鎖されている状況を目の当たりにして、「初めて行ったときは驚いた」とジャン氏は語る。
慣例となっていた夜中の作戦では、摘発する対象者の名簿が渡された。拘束するウイグル族の正式な割り当て人数を達成するための命令の一部だったという。
ジャン氏は「これは全てが計画され、システムがあるものだった」「全員が目標を達成する必要があった」と語る。
もし逮捕に抵抗する者がいたら、警官らは銃を頭に突きつけて「動くな。動けば死ぬ」と警告したという。
ジャン氏によれば、警察のチームは家宅捜索も行い、コンピューターや電話からデータをダウンロードした。
地区の委員会を利用して村落の長との会合があると言って住民を呼び集め、集団で拘束することもあったという。
ジャン氏は当時を「戦闘期間」と呼び、当局者が新疆を戦争地域として扱っていたと語る。警官はウイグル族が国家の敵だとの訓示を受けていたという。
もしこのプロセスに抵抗していたら、自分が逮捕されていただろうとジャン氏は語る。
「ただのサイコパスもいた」
ジャン氏によれば、警察の留置場での主な目標は、性的な拷問などの手段を用いながら、拘束した人々から自白を引き出すことだった。
「もし自白させたいなら、先に2つのとがった部分がある電気ショックを与える警棒を使った」「そのとがった部分に電線2本を縛りつけて、縛られている人々の性器にあてがった」とジャン氏は語る。
自分は尋問中「悪い警察」を演じるしかなかったと語るジャン氏だが、一部の同僚とは違い、最悪の暴力は避けたという。
ジャン氏は「これを仕事と見る人はいたが、ただのサイコパス(精神病質)の人もいた」と語る。
拷問の「よくありふれた手段」の一つは、守衛が受刑者に対し、新入りの男性受刑者をレイプし虐待するように命じることだったという。
新疆出身のウイグル族の学者、アブドゥウェリ・アユプさん(48)は13年8月19日、警察に拘束されたと語る。ライフル銃を持った警察が、アユプさんが開園したウイグル語を教える幼稚園を取り囲んだという。
アユプさんによると、カシュガル市の留置場での最初の夜、アユプ氏は十数人以上の中国人収監者に集団レイプされた。守衛3、4人が命じて、その様子を見ていたという。
守衛はアユプさんに下着を脱ぐように言って、体を折り曲げるように命令したという。「こんなことをするなと私は叫んだ。お願いだからしないでくれと」とアユプさんは語る。
守衛の命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN
守衛の命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN
虐待を受ける中でアユプさんは気を失い、意識が戻ると自分の嘔吐(おうと)物や尿が周囲にあったという。
「ハエがいて、私の周りを飛んでいるようだった」「ハエは私よりましだと思った。誰もハエを拷問しないし、レイプしないから」とアユプさんは語る。
「男たちが私を笑い、私をとても弱っていると言っているのが見えた。そうした言葉が聞こえた」。アユプさんへの陵辱は翌日も続き、守衛の一人は「楽しかったか」と聞いてきたという。
アユプさんによると、その後留置場から収容所へと移され、14年11月20日に解放されたという。「不正な資金集め」の罪を自白させられた後だった。
アユプさんが拘束された時期は新疆での大規模な取り締まりが始まる前だが、その証言はウイグル族の人々が何年も主張してきた少数民族抑圧で使われた手段の一部を反映するものだ。
CNNはアユプさんの証言について、中国政府からの回答を待っている。
アユプさんは今ノルウェーに住み、ウイグル族の文化を絶やさないように教育をしたり、子ども向けのウイグル語の本を書いたりしている。だが、拷問で受けた傷は永遠に残ると語る。
「私の心に残った傷だ。私は決して忘れない」(アユプさん)
「彼らは私を動けなくして殴った」
オランダに住むオミル・ベカリさん(45)は、収容所での経験から来る影響に長く苦しんできた。
「(収容所で)私が受けた苦悩と苦痛は決して消えない。私の心から離れない」とベカリさんは語る。
収容所の釈放証明書を提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN
収容所の釈放証明書を提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN
ベカリさんは新疆で生まれ、ウイグル族の母とカザフ族の父を持つ。06年にカザフスタンで国籍を取得し移住。新疆に出張した17年3月26日に拘束され、その1週間後にはカラマイ市の警察署の地下で、4日間昼夜を問わず尋問や拷問を受けたという。
ベカリさんは「彼らは私をタイガーチェアに押し込んだ」「私を動けなくして、太ももや腰を木のたいまつや鉄のむちで打った」と語る。
警察はベカリさんにテロ支援の自白をさせようとし、ベカリさんはその後8カ月間を複数の収容所で過ごしたという。
「彼らが初めて私に足かせをはめたとき、地獄に来たのだとすぐ理解した」とベカリさんは話す。重い鎖が手と足に取り付けられ、就寝時でさえ体を曲げる姿勢をとらざるえなかったという。
収容所にいる間に体重は半分ほどに落ち、出所時には「骸骨のよう」だったという。
「私は信仰を持った人間だから心理的な拷問を耐え抜いた。信仰がなかったら耐えられなかっただろう。生涯の信仰と自由への渇望が私を生きながらえさせた」とベカリさんは語る。
収容所にいる間に知人2人がそこで死んだという。さらに母親やきょうだいも収容所に入り、父のバクリ・イブライムさんは18年9月18日、新疆で拘束中に死亡したとの話を聞いたという。
新疆政府は先月29日、ベカリさんに関するCNNの質問に答え、ベカリさんがテロ犯罪の容疑で8カ月間拘束されたことを確認した。ただ、拷問や家族の拘束に関するベカリさんの主張は完全なデマで中傷だと述べた。ベカリさんの父親は肝がんで死亡し、家族は「現在普通の生活を送っている」とも話した。
ベカリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局は肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN
ベカリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局は肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN
「私は罪を犯した」
欧州の新しい家で暮らすジャン氏だが、2~3時間続けて眠ることは難しいという。収容所の人々に続いた苦しみが頭によぎり、崩れ落ちそうな気持ちになるという。
「私は感覚がまひしている。あまりに多くの人々を逮捕していた」とジャン氏は語る。
収容所にいたアユプさんも夜寝付けずに苦しんでいる。収容されていたときの悪夢にさいなまれ、常時監視されているような感覚から逃れられない。それでも、アユプさんは自分を拷問した収容所の守衛らを許すと口にした。
「私は(彼らを)憎んではいない。なぜなら彼ら全員があのシステムの犠牲者だから」「彼らはそこで自分自身に宣告した。自分たちは罪人で、犯罪システムの一部なのだと」(アユプさん)
アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN
アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN
ジャン氏は新疆に入る前から、腐敗のレベルが高まっていることが原因で、中国共産党には失望を感じていたという。
「彼らは人々に奉仕するようなふりをしているが、独裁を達成したい人々の集まりだ」とジャン氏は語る。中国を脱出して自分の体験を暴露したのは、「国民の側に立っていたい」との思いからだという。
ジャン氏は二度と中国には戻れないと悟っている。
ジャン氏は「彼らは私を半殺しにするだろう」「私は逮捕され、多くの問題が提起されるだろう。逃亡、反逆、国家秘密の漏洩(ろうえい)、国家転覆、それら全ての罪名を受けるだろう」と語る。
「ウイグル族のために発言をするということは、テロリスト集団への参加で訴追が可能になるということだ。想像のつくあらゆる罪状で訴追されうる」(ジャン氏)
もし自分が関与した被害者の1人に対面したらどうするかと聞くと、ジャン氏は恐ろしくてすぐにその場を離れたくなるだろうと語った。
「私は罪を犯した。このような状況が二度と彼らに起きないことを願う」「彼らの許しをもらえたらと思うが、あのような拷問を受けた人々にとってそれはあまりに難しいだろう」(ジャン氏)
ジャン氏は「こうした人々とどうやって対面すればいいのだろうか」「一人の兵士でも起きたことには責任がある。命令を実施する必要はあったが、あまりに多くの人々が一緒にこれを行った。我々にはその責任がある」とも語った。
童貞のまま20歳を超えてしまって、怖くなった。不能になるのが先か童貞卒業するのが先か。
で、童貞系のまとめを見てると、高確率でこのような文言を見る『ソープへいけ』。
これに従っただけなんだけど。でも、女って風俗狂いが嫌いらしいね。ソープへいけって言うくせにさあ。
風俗のおかげでレイプ率とか下がってるんだから、行ってくれてありがとうくらいなモンだろ普通。女の稼ぎにもなってるし。馬鹿じゃんって思うわ。
で、セックスしてみるとなんてことも無い単なるセックスっていうか。チン子をマンコに入れるだけっていう。手コキの類似みたいなもん。
そうなると、抵抗も消える。
あんまりそういうのは現実味が無いっつーか、車に乗ったらそりゃ事故ることもあるね、っていうのに感じてしまった。
しかも、病気になったとして、どういう不利益があるのかもイマイチ分からない。結構治るじゃんって。
B型肝炎だと、ウイルス肝炎→肝硬変→肝がん。とか、HIV→エイズとか。
色々言われてるけど、これも調べてみると結構治療法が明確だし、あんま怖くない病気になっちゃってるじゃん、医療のおかげで。
で、風俗なんだけど、2万~3万くらいかかるわけだけど。
でも、安いと思うよ。
だって、変に性欲ためて頭おかしくなって時間がつぶれたり、ストレスで病気になったり(俺は何度もストレスで病気になった)、変に痴漢とかやっちゃわないか怖くなったり?レイプしちゃわないか怖くなったり?
そういう不安を解消できるできるなら、安いもんだよなあって思った。
でも、セックスの適正価格なんて、せいぜい1回5000円、1時間みたいなもんだと思うけどね。
高杉だとは思うけど、現状そんなもんだからしょうがない。できるだけオナニーですませて、AVやオナホールで安く済ませるしかないね。
保険の新商品を策定したり、料金を設定したりする役目であるアクチュアリのインターンを受けたことがある。その立場から、保険について語ってみようと思う。(ちなみに、数学が好きな人には、アクチュアリはいい選択肢であると思う。安定していて給料がかなり高い。ただし試験は多い。わたしはあまりに安定度が高そうでつまらなく感じてやめたけど。)
保険って、公共事業なんですよ。事業計画とか、保険料とか、責任準備金とか、全部審査されて、営利に走りすぎないように、かといって大判ぶるまいで損して保険料がほかの人に払えなくならないようになってます。
日本の医療や健康保険制度は世界一で、貧乏人でも非常に高い質の医療が受けられるようになっています。障害者認定を受けたら免除されるものが数多くあります。デフォで提供されているものを知ることにより、保険で何を補うべきかがはっきりしますし、いざというときに活用できます。
営業費(おばちゃんとか)や宣伝費は全部費用として換算されます。おばちゃんが訪問するタイプの保険だと、営業費はかなりかさみます。逆に、共済とかは還元率が高いです。
条件・審査がゆるいということは、それだけ保険料を受け取る人が増えるということでもあります。なので、保険料を高く設定しなければ、破綻してしまいます。むやみにゆるいところに入らないほうがよいでしょう。
会社に勤められるということは、それだけ健康であるということです。なので、保険が必要となる人も少なく、そのため保険料が安くすみます。宣伝や営業もほぼしていない点もプラスですね。
当方、人生に迷いましていま医学生だったりします。2008年のがんの罹患率を見ますと、こんな感じですね。
このうち、胃がん・大腸がん・前立腺がん・子宮頸がん・乳がんは早期発見が簡単ですし、早期であれば術後ほぼかわらない暮らしがおくれます。肺がんはX線や喀痰細胞診では早期発見が難しいことがありますが、CTは検出感度が高いです(タバコを吸っていない人でも腺癌という種類はなることに気をつけてください。特に女性。受動喫煙がリスクファクターかもと言われています。)。肝がんや子宮体がんも予防法はありますが、長くなるので次の機会に。
性格的に何がしっくりくるか、というのも人次第だと思いますので、どちらがいいと結論はしません。
保険会社は存続することが一番大事なので、高リスクの運用をしてはならないことになっていますので、保険会社側で保険料を大幅に増やしてくれることはありません。先ほど申し上げたように、宣伝や営業に一定割合振り分けられるので、積み立てで「返ってくる」とはいえその分は保険会社の取り分となります。しかし、積み立てならば払われなかった人の分自分にくるという面もあります。
土曜日に大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。
一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式に前後して精神疾患にかかってしまった。
適応障害の診断に始まり、抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式にリクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。
その後父親が死んでから躁転。自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院の閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟の廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。
その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。
そのころから、もう自分は普通の人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレスと精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産や社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金や生活保護で生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金や生活保護で生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。
いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。
簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMIを健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業に採用されてフルタイムで働いている。
でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。
職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブを趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。
けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…