はてなキーワード: 主治医とは
親になる資格が必要になる世界みたいな漫画が話題になっていたので。
覚悟もないのに子どもを欲しがるなまじで。ペット飼うときですら育てられるか考えろって口酸っぱく言われるだろ。
うちには息子が2人いた。長男は今年20歳を迎えて元気でやっている。(一応少しフェイクを入れて書く)
次男は2歳でこの世を去った。
妊娠中からやや小さめだった。長男も生まれたとき小さかったので気にしていなかったが、結構ギリギリになって障害や病気があるだろうということが発覚。
中絶できる時期はとうに過ぎていて生んで育てる以外の道はなかった。生まれた次男は複数の障害を持っていた。
赤ん坊なんてみんな猿かガッツ石松みたいな顔をしているけど、次男は握り潰した粘土か何かかと思った。生き物という感覚すら持てなかった。
可愛いと思えなかったし、生きてる間ほぼそう感じることも、感じたいとすら思えなかった。まだダウン症のほうが可愛いと思えた気がする。
障がい児の親が自分の子を「天使」とか言って可愛がっているのは本当に尊敬する。嘘でもそんなこと言えなかった。
ただただ死んでくれと願っていた。
麻痺があって常に崩れた福笑いというか、はっちゃけたヒョットコみたいな顔をしていて、たまに目が合ってコミュニケーションが取れてるのかと思っても、ただただ私の黒目に映る自分の顔を不思議そうに眺めているだけで
私の話なんか聞いちゃいないし理解しちゃいない。聴覚もすごく弱かったようなので当然だが。
互いの実家から離れたところで生活していたので、夫は次男に障害があると分かった時点ですぐに会社に掛け合って残業の少ない部署に異動し、入院中はほぼ毎日顔を出し、退院後も通院はほぼ毎回付き添ってくれて、
私がまだ幼い長男と障害のある次男の育児で疲弊しないよう、家事から次男の面倒から何でも積極的に取り組んでくれた。長男と2人で過ごす時間も、私が短時間でも一人で過ごせる時間も作ろうとしてくれた。
看護師さんや主治医も「お母さんはよくやってるよ」とたくさん労ってくれて、一緒に連れていた長男にもたくさん声をかけてくれて、遊びに付き合ってくれたり、寂しい思いをしないよう気を使ってくれて本当に感謝している。
そして労ってもらうたびに、まともな母親だと思われているとホッとしていた。
日々次男が死んでくれることを期待していた。うっかりした事故で死ぬことを毎日どこか期待していたが、母親が保護責任者遺棄致死とか児童虐待で逮捕されたら長男の未来まで潰してしまう。
長男の存在のおかげで道を踏み外さずにいられた。常に長男や夫や周囲にまともな母親だと思われるように振る舞わなくてはと思っていた。
そんな次男も2歳になってすぐの頃に熱を出した。免疫が弱かったのでよく熱を出してはいたが、このときは合併症を併発して、瞬く間に弱っていき、そして亡くなった。驚くほどあっけなかった。
年末で慌ただしかったのと、長男を抱きしめて、長男の頭に顔を埋めながら泣いていた夫を見て冷静に「良い人だな」と思っていたことは覚えている。
あまりのあっけなさであまり泣けなかった。気が張っていて泣けないのだと思った看護師さんが背中をさすってたくさん労いの言葉をかけてくれたのを覚えている。
涙は出たが、これでこの生活もやっと終わるという安堵の涙だったと思う。
次男の死後、夫にもう一人欲しいか?と聞かれたがまた障がい児が生まれたら今度こそ道を踏み外しそうな気がした。
長男との時間を大切にしたいということにして子どもはもうけなかったし、夫も賛成してくれた。
健常児の長男には次男が生まれてからたくさん寂しい思いをさせたと思って、できる限りのことをしたつもりだ。
長男が大学を受験するとき、看護師になりたいと言った。次男を世話する私や病院に行くたびにいつも笑顔で接してくれた看護師の姿を覚えていて、病気の人やその家族を支えられる人になりたいと思ったらしい。
次男の死を願っていた母親の子とは思えなくて驚いて涙が出たし、こんな母親で申し訳ないとも思った。
次男の死を経て健常者の子どもを育てる「普通の親」になれたと日々安心感に包まれていた。育児ストレスはあれど次男の面倒とは比較にならない。
が、ここで話は終わらない。
20歳になった長男に話があると言われた。つい最近の出来事だ。
ゲイであることをカミングアウトされた。驚いた。驚いて何と声をかけるべきか言い淀んでいると夫が「打ち明けてくれてありがとうな」と長男に声をかけていた。さすがほんと何故私と結婚したんだろう、良い父親だわまじで。
カミングアウトのきっかけは先日の首相秘書官の差別発言のニュースで、
私と夫が「こんなこと言う人が国会にいるなんて信じられんわ」とか、小泉進次郎が「自分の子どもが当事者だったら」みたいな話をしていて、これに夫と「本当そうだよね」と話していたこと。
これを聞いていた長男が私たちになら打ち明けられると思ってくれたらしいし、今言うしかないと思ったらしい。付き合っている人もいるらしい。
正直、いまは付き合ってる人がいて、打ち明けられる仲間や親がいるから生きてられるけど今日まで何度も死にたくなったと言っていた。
記憶にないが私や夫も差別的な発言や価値観を言葉にしたことがあって、長男を傷つけていたのだろうと思うし、「死にたくなった」は長男からの最大級の私たち両親への非難だと受け止めている。
まったくもって「普通の親」にはなれなかった。
障がい児の親を終えたと思ったのに、今度は性的マイノリティーの親になったわけだ。
次男は2歳で死んだけど、あのまま生きてたら、私はどこかで道を踏み外してしまったんじゃないかと思う。
本当に無理だった。長男が何歳でゲイを自覚したか知らないけど小学生くらいでカミングアウトされてたら、まともに対応できなかった。
「なんでカミングアウトするんだ」「黙っててくれれば良いのに、大人になってから好きに生きたら良いのに」と思ったと思う。
私が子育てをする期間内、長男が「普通の子」でいてくれたから、それなりに普通の親をやってこられたに過ぎない。
いま長男が20歳になって、手が離れているし、もうあなたの人生でしょと思えるくらい育っているのでカミングアウトを受け入れられてるところがある。
たぶん私に親になる資格はなかった。長男が無理して普通の子供として振る舞い、親に合わせてくれたおかげでギリギリ親とみなされていたに過ぎない。
親または親になりたいと、子どもが欲しいと言ってる人に問うけど
いま可愛いピンクのフリフリのおくるみ着せてる娘がトランスジェンダーでも育てられる?その可能性考えたことある?
腹の中にいる子どもが先天性異常で潰れた粘土みたいな状態で生まれてきて崩れた福笑いみたいな顔に成長する可能性考えたことある?
それでも可愛がれる?それでも子どもを大切にできんの?
自分の子供だけはシスジェンダーで異性愛者で健常者で…って、その前提でしか出産や子育てを考えてなくない?
結婚したから次は子どもって考えしかなくない?周りが子どもいるからっていう、ペットを持つか否か以下の考えで産もうとしてない?
まじで真剣に考えて欲しい。子どもにとっても親にとっても博打なんだよ出産も育児も人生も。
【追記】
色々言われるだろうなと思ってたので沢山ついてるコメントは半分くらいしか読んでないですが…
・自分がかわいそうでヨシヨシされてえだけだろ
→どこにもそんなこと書いてないですがコメントする増田を間違えていませんか?
・ノリで産んだのお前じゃねえか。夫は理解ある彼だったからサバイブできただけだろ。
→そのとおりです。ノリで産んだけど周囲のお陰で何とかなっただけで、後悔しまくったので書いています。次男を殺さなかったのは偶然か奇跡だったと思うから。
理解ある彼(夫)くんっていうの本当にそうだと思う。あと息子も理解ある息子くんだと思う。だからやってこれただけ。長男は内面的にも夫に似ていてホッとしている。私に似なくて良かった。だからやってこれただけです。
1つでも欠けてたら500%虐待してたと思う。
長男は健常者だけど育児ストレスないわけじゃなかったし、その都度次男の世話に比べたら、と考えて乗り切ってたし、小中学生くらいでカミングアウトされてても受け入れる余裕もなく絶対傷つけること言ったと思う。
めちゃくちゃ理解ある周囲の人達のおかげで踏み外さなかっただけです。運があまりにも良すぎたから私は犯罪者にならなかったけど、子ども欲しいっていう人は、「普通じゃない子」だったとして、家族は仕事や働き方変えれる?頼れる親族は近くにいるの?主治医や看護師は信頼できる?行政サービスは充実してる?そういうサポートにアクセスしやすい?そういう子を育てられるだけの精神的余裕や知識はある?
その辺やばい状況だったときに虐待しないで育児できる?最強の環境揃ってたってストレスで発狂しそうになるよ。健常児育児でも苦労すんのに1つでもマイノリティ性あるだけで苦労は倍以上になる。その覚悟はある?子どもは親選べないし、親のノリに付き合って産み落とされ人生を送ることになった息子たちを思ったら、(お前が言うなだけど)覚悟あんの?と思っちゃうよ。
・お前がクズなだけ
→そうです。だからこれを書いている。生む前に自分が子育てできるような人間か?をきちんと考えてれば、ノリで産まないという選択をすることも可能だった。20年前は今より産むのが当たり前という圧は強かったし、周りが子持ちで、周囲から子どもを産むことを期待されてるのも、その期待に答えるのも当たり前だと思ってた。子どもを持つ幸せな家庭の母親というものになれると思っていた。そこに障害児が産まれる想定はなかった。可能性は分かってたけど大丈夫だろうなんとかなると漠然と思ってた。自分ごとのように考えてなかった。障害児を育てたくないと思うようなクズで、考えも足りないクズだったので。
今はまだ産めっていう圧はあっても当時よりはまだマシだろうし立ち止まって考えてほしい。
そしてクズだとぶっ叩いてくれてありがとうございます。考えも覚悟もない親だと子どもがかわいそうになるというのが伝わっているようで良かったです。
その他
「長男からの最大級の非難」っていうのは、「こんな社会に産まれてなかったらこんな死にたくなるような気持ちにはならなかった」とか「異性愛者に産んでくれてたら」っていう意味合いを含んでいると受け取っているし、それに対して親としてできることは長男にとって安心できる両親でいることくらいなので、そういう親でいようねと話している。それしかできないから。
一卵性双生児のいる4児の母です。ふたご(2・5)の日に、双子ご懐妊確認ですね。おめでとうございます。
1)一卵性か二卵性かなど含めて、双生児の子宮にいる状態は3種類に分かれます。絨毛膜と羊膜がどうなっているかによります。その診断を「膜性診断」と言いますが、10~20週の限られた週数で超音波判定できます。これを逃すとわからなくなるので、主治医に確認しておいたほうがいいです。それによって、出産のリスクも変わってきます。私は一絨毛膜性二羊膜のため、胎盤共有なのでリスクは中程度でした。
2)妊娠中は、私の母体の自己比較では、2人分でも体重の増えは単体児妊娠の1・5倍程度。早産傾向になり35週で管理入院(2週間)しました。37週で自然分娩でした。8分差で生まれました。
3)出産後は、二人の授乳の時間を強制的に合わせるのがおすすめです。(一人が飲みたがったらもう一人が寝ててもたたき起こし、同時に授乳)←泣いててかわいそうでも、子供は覚えていないし、何より母体が大事なので(子供に合わせていたら寝る時間なくなる)。単体児の上の子たちは、懇切丁寧に母乳オンリーで!離乳食もちゃんと!とかなりましたが、双子だとそんなこと言ってられず、とにかく日々育てるしかないので、おおざっぱというか・・・精神的にはラクな面もありました。
4)育ってくると、二人で遊ぶようになるので、実はすっごくラクでした。別に公園行かなくてもいいし。双子を授かってよかったと思っています。進路は高校から別々で、今は二人で暮らしているので生活費も1・5人分で済んでいます。
5)双子の赤ちゃん、母親一人で育てるのは至難の業で、父親の存在が重大です。うちは夫が平日遅く、今でいうワンオペでしたが、土日はご飯を作ってくれました(これはすごくたすかりました)。男親の出番ですね。
楽しみですね。いいこといっぱいありますよ。
結婚をして子どもを持つ希望はあったけれど、仕事を中心に生きたかった。
責任の少ない初期研修のうちに子どもを産み、なるべく夫中心で子育てをしていく事にした。
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10件ほど保育園を見学し、受け入れられると明言したのは1箇所だけだった。
ただでさえ激戦区、流石に厳しかった。
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自治体に問い合わせた。
「障害児を産んだら両親のどちらかが仕事を辞めて面倒を見なさい。月5万円の特別児童扶養手当が出る。」と言われた。
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初期研修終了後に働く予定だった病院の院内保育室に問い合わせた。
入職が決まっていない段階での相談は受け入れられないと言われた。
病状として保育が可能かどうかすら答えをもらえなかった。
病院側に相談したが、仮の入職予定としてでも保育室に話を通してもらう事は出来なかった。
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目処のついた障害児保育園に入るためには、その自治体に住所が必要だった。
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ただし、障害児保育園は短時間保育のみだった。延長の制度もなかった。
夫と私の力関係の問題で、私が限られた時間の中で働くしかなくなった。
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限られた時間しか働けないが、病院での研修をどうしてもしたかった。無給でも構わないから、研修をしながら保育要件を満たせる立場が欲しかった。
保育要件を満たすために、他の仕事もする必要があった。他の仕事を探すために、研修の曜日を確定したかった。
「曜日を決めて欲しい」と言ったら、突然「保育園に預けるために仕事をするならば辞めろ」と人事に言われた。
調整が面倒になったのか、そもそもまともに働けない人間は要らなかったのか。
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国公立大学の地域枠で多額の税金をかけてもらいながら医師免許を取ったのに、誰にも働く事を望まれていないように感じた。
子どもの事は愛していた。
だけど、医師として働く夢を捨てたくなかった。
毎日泣いていた。
思い描いた幸せは、どこにもなかった。
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勘違いしている方がいるようなので一応書いておきますが、収入で言えば夫より私の方が良いので、いわゆる「下方婚」と思います。
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障害児を産む可能性は充分理解していたつもりでしたが、障害児の受け入れ先がこれ程までに少ないとは知りませんでした。
院内保育は障害児を受け入れているとの情報は持っていたので、断られるとは思っていませんでした。また、実際その立場になるまで真剣には調べませんでしたが、さほど不自然な振る舞いではないと思っています。
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みると通信:愚行権について考えよう【第2回】 | 北九州成年後見センター「みると」
http://www.chiba-shakyo.jp/sc/shiryo-sitsu/
Aさん(男性・50代)は、アルコール依存症があり生活保護を受けて生活していました。
しかし、父親の死亡で不動産と死亡保険金を相続しました。Aさん自身では手続きができないため、市長申し立てで保佐人が選任されました。
その後も、Aさんはお酒をやめることができません。Aさんは、肝機能低下と精神症状があります。精神科病院へ受診をしていますが、アルコール依存症の治療は適切に行えていません。
また、Aさんはパチンコでの散財が激しく、お酒とパチンコで1ヵ月分の生活費をすぐに使ってしまいます。
保佐人は、「Aさんの財産が維持できなくなる」という思いから、アルコールとギャンブルについてAさんと話し合いをし、何度もやめる約束をしました。
しかし、約束を守ることができずに経過しています。Aさんには相談できる親族はいません。
「本人の断酒の気持ちが表出しないとアルコール依存症の治療は進まない」「やめようと思ってもAさん自身ではコントロール出来ない状態である」との説明を受けました。
また、日頃から関わってくれている民生委員にも状況を尋ねました。
「お酒を飲み、近隣住民と時々トラブルになることがある」とのことです。
これらのアドバイスや情報を基に、「アルコールをやめてほしい」という関わりから「健康と生活面が心配だからアルコールのことを一緒に考えていこう」という関わりへスタンスを切り替えました。
Aさん自身からこのことを主治医、民生委員にも伝え、見守りを継続してもらうことにしました。
一方で、主治医には地域での様子について報告をし、病気による判断能力の低下について(後見類型への変更や入院治療を視野に入れた)観察をしていただくようにお願いをしました。
次に、「財産」について今後の見通しをAさんと話し合いました。
「ギャンブルをしないように」という内容ではなく、Aさんの気持ちを配慮し、「適度な楽しみ方」について一緒に検討をしました。
具体的には、2週間で遊戯できる金額を決め、予定どおり進まなくなった場合は連絡してもらうルールとしました。
すぐに出来なくても大丈夫であることを告げ、継続して考えていくことにしました。
小さいお子さんがいるのに、奥さんの調子が大きく崩れて仕事や生活もままならなくなり、体力的にも精神的にも経済的にも大変な状況だと思う。
ブコメでも既に出ているけれど、今の状況で奥さんを無理やり精神科に引っ張っていくのは現実的ではない。病識がなく、受診を拒否している人を病院に連れて行っても、往々にしていい結果は生まれない。薬を飲まない、二度目の受診を必死で拒否する、家族への不信感が増す、という結果に至りがち。
そのため、最初は増田自身が家族相談を受け付けているクリニックに相談に行くのが良い。小さいお子さんがいると時間の捻出も苦労するだろうけれど、現状だとそれが最善。その中で、奥さんの症状を伝え、受診の勧め方をスタッフ(家族相談の担当はソーシャルワーカーが多いと思う)と一緒に検討する。すぐには医療に繋がらないかもしれないが、一緒に問題解決を考えてくれる専門家がいる状況は、増田の心持をほんの少し楽にしてくれるんじゃないだろうか。そしてそのほんの少しの楽が、長期戦に耐えるうえでの命綱になる。
自死のリスクのアセスメントは実際に医療機関のスタッフがするだろうが、書いている内容からすれば軽視し過ぎるのは危険。今の生活は皆の負担が大きいと思うので、個人的には入院もありかなと思う。その方が安全な環境で療養できるし、増田も生活を立て直せる。家族全員の心の余裕を作り出すことが、精神疾患の回復にはとても重要になる。
入院の可能性を考えると、できれば通院先は入院機能がある病院がバックにあるところが良い。精神科病院の外来にかかるも良いし、そういった病院が町中でやっている系列のクリニックでも良いし、数は少ないけれど総合病院の精神科や心療内科でも良い。その方が仮に入院の必要性を主治医が認めた際の話が早い。
医療機関の情報は、都道府県がやっている医療機関検索システムで調べるのが多分、一番正確。自治体によって若干の差はあるが、「都道府県 医療機関検索」で検索すれば、診療科や入院機能の有無とあわせて調べられるはず。家族相談の実施の有無も、もしかしたら載っているかも(恐らくは個別のWEBサイトまで辿らないとわからないと思うけど)。
カウンセリングの利用を促すのは、正直なところあまり良い手とは思えない。今の奥さんの状態だと薬物治療と休息が第一の選択肢になるし、カウンセリングでできることって受診への動機づけぐらいしかない。期待する効果が得られないことでの、奥さんのカウンセリング自体への不信感を招く可能性もあるし、それは今後のことを考えると勿体ない。
実家を巻き込むというブコメもあるけれど、症状が重く希死念慮も訴える家族のケアをするのは、高齢の両親には負担が大きかろう。増田の精神的な負担が減るなら状況の共有はあって良いと思うが、実家での療養はお勧めしないかな。
すぐの解決が難しいことが多いのが似たような状況でよく見られることなので、増田自身が本当に無理し過ぎないようにね。数か月~年単位の中長期戦に備え、専門機関や家族の力を頼りにできる部分はどんどん頼りにしていこう。
正攻法は初手保健所とか市・区役所の福祉関係の相談窓口だと思う(増田一人で行っていい)
あとEテレの「きょうの健康」「ハートネットTV」とかでも増田の抱えてるような問題をたまに扱うのでチェックしとくといいかも
自分は「おかしい自覚あるのに10年以上精神科にかかれなかった人」なんだけど
「このまま進行させて死にたい」って泣きながら訴えたら
「うちのメンタル科でちょっと話してみる?」って予約ねじこんでくれて初診に至った
メンタル専門の医療ソーシャルワーカーにもいろいろ助けてもらった
こういうルートもあるよってことで
元気だった知人が調子悪くなりメンクリ行って薬に依存して辛そうなのをリアタイで見ていたから
10年ほど前に鬱を発症、それからずっと精神科に通って投薬、カウンセリングもしたし、仕事は休んだりしたけど、今は普通に働いてて月に一度通院のみ。
今は薬は半錠にしたのをふたつ飲んでるだけで、いつやめるかという話を慎重に主治医としている。
というわけで、厳密にはまだ寛解ではなくほぼ寛解程度なんだけど、自分の人生の何分の一がずっと鬱だったので、今更鬱じゃない状態が想像できない。
主治医は「鬱じゃなかったとしても10年前と同じ性格の人あんまりいないから深く考えないように」と言ってくれるが、自分の色々な属性のうち、鬱がそろそろなくなるかと思うとそのなくなった分、どうしていいのか戸惑うし、性格悪いのが鬱のせいじゃなくてただ自分の性格なだけだったことを自覚しなきゃいけないか!と思ってる。
ちょっと前置きが長くなるけど、というか9割ほどは前置きなのでご容赦を。
前置きが終わったところで====を記しておく。
就職氷河期だったけど、無難に大手企業に就職して、やりたい仕事ができるようになった。
そこでパワハラに遭い、恋人が死んで、子供の頃からの精神的虐待が吹き出てきて、鬱になり休職、退職になった。
転職をしてみたけど、そこでも鬱が再発したため、退職に追いやられた。
働いてた年数は6年くらいになる。
その間にためてた貯金はすべて食いつぶし、親にも少し借金をしてたがそれも食いつぶし、結局今は生活保護を受けている。
原因も意味も不明な恐怖にガタガタ震え、泣き出し、頭をガンガン床に叩きつけ、腕を包丁で切りつけまくってた。
精神科には通ってたけど、ほとんど死ぬことしか考えてなかった。
5年ほどそんな感じだったけど、鬱が転じて双極性障害になったらしい。
たまにめちゃくちゃなハイテンションになることがでてきた。
で、そのハイテンションのときに「このままでは一生このままだ。なんとか状況を変えないといけない」と思い、主治医に紹介状を書いてもらい他の病院にセカンドオピニオンをもらいにいくことにした。
そこで検査をした結果は、服薬だけでは治らない、認知行動療法を受けろ、というものだった。
とにかく治すためだ、多少遠くても構わない。
ネット、電話、自分の市以外の周辺の役所の福祉課など、いろいろ駆使して探した。
結果、意外と近所の総合病院で認知行動療法を行っていることがわかった。
しかも、普通のカウンセリングだと5000円から1万円程度のカウンセリング料を取られるけど、臨床心理士がいる病院で、精神科医が「カウンセリングが必要な患者だ」と判断した場合、保険が適用されてカウンセリング料は無料になることもわかった。
そしてこの病院が大当たりで、病状は劇的に良くなっていった。
人と話すことができる唯一の日である通院日が楽しみにもなった。
それから10年くらい経って今に至るわけだが、その間ずっとなんとか仕事をしたいと思ってきた。
アフィリエイトのためのコピーライティングやSEOのコンサルとか、You Tubeで稼ぐためのコンサルとかに何十万という金を払って勉強してたけど、どちらも駄目だった。
とくに指示どおり行動してたらGoogle AdSenseの規約に引っかかって、アドセンスの権利を永久剥奪されたのは痛かった。
ちなみに15分で1動画、ひと月で300動画を作れと言われてた。
BGMと静止画を背景に、ニュースサイトでコピペしたような文字だけが流れてくるクソ動画が蔓延してた時期があったことを覚えている人は多いと思う。
あれは俺たちが元凶だ。
そしてアドセンスが剥奪されたのは「ネットラジオ番組の、楽曲の部分だけ削除してアップしまくれ。楽曲さえ入れなければ著作権違反にはならない」という指示に従ったときだ。
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閑話休題。
そんな無駄な時間と金を数年分使ってしまい、今はプログラミングの勉強をしている。
ただ、頑張れない。
不調の日はパソコンも起動できない。
好調の日は、いくらでも勉強はできるのだけど、双極性障害は躁状態のときに調子に乗りすぎると、鬱状態でどん底に落ちてしまうため加減をしなければならない。
何度かこれを無視したことがあるが、突然動悸が激しくなり、胃酸が逆流、ヒステリー球、手足の震え、痺れが襲ってきてとんでもない目に遭った。
もう、あれは味わいたくない。
プログラミングなんて最前線で頑張っている人たちですら、毎日スキルアップを目指して勉強している分野だというのに、俺はこの有様。
けどこんな調子で、仕事ができるレベルに到達なんてできるのか。
一生生活保護とか嫌すぎる。
多くの人が怒りを他者に向けて攻撃したり弱いものを虐げたりさらにそれを正当化する中、あなたはそれをポジティブ行動に変えてたって事ですよね。それって誰にでもできる事じゃないですよ。
そして今はエネルギー源であった怒りが無くてエネルギーが足りてないって状態なんですね。
おそらくは薬によって無理やり思考力を低下させられてるんじゃないでしょうか。
私も長年うつ病なのでわかるんですが、うつの薬って「穏やかになる」というよりは思考力や感情を低下させられるんですよね。その状態がものすごく不安になるというのもわかります。人からは穏やかになってるならいいじゃん!と思われるかもしれないけど、今までの自分が変わってしまうのは本当に辛いですよね。ですが恐らく、その状態の方が「怒りをうまく変換できない不安定な状態」よりは幾分かはマシな状態なんだと思います。
くれぐれも医師に相談なく服薬を止めるのはやめてください。今は辛いかもしれないけど、徐々に怒り以外でエネルギーを蓄えるすべを身体が身につけていくと思います。
増田の主治医はなんでそんなハードコアダイエットやらせるんだろうな。なんも考えてねーんだろうな
短期間で病的に肥満した人間は先ず精神がどうかなってるんだから、そんな患者のメンタルをケアすることもなく通り一遍の精神力頼りの減量法をやらせるなって話よ
その身長体重だったら普通に糖尿病治療薬使えっつーの。保険適用で
このままじゃ金も時間も労力も無駄になるよ。おまけにそんな多大なストレス抱えてたら別の病気になるわ!
増田的には「別に痩せなくてもいい」のかもしれないが、医者の言う通り健康寿命を伸ばす為にも痩せた方が良い
肉体のみならず、精神の為にもな
収入・職場環境・仕事内容で不満があるなら歯を食いしばって転職するしかない
応援してる
行きは親父が運転してた。
がんセンターに行ったけど、親父若すぎじゃねえ?なんで親父が末期なんだよ意味わかんねえよ。
受付してる時にビビったのはこの間母親の実家に行かなきゃ見たいな話してたのは聞いたけど、それが入院の連帯保証人とは思わなかったわ。
叔父もガンやってるんだよね、切れないがんとは言ったらしいから多分察してんだろうな。
とんでもねえくらいの癌家系だからわたしもガン保険入ってる。母親がまだなのが不謹慎だが謎。
午後から先生の説明だからそれまで一緒に居られるもんかと思ったら説明まで会えませんだってよ。
おいおいおい、3時間くらいだろ?最後に飯くらいいいだろ?良くねえのか。
とりあえず母親引っ張って神頼みでもしに行こうって誘ったけどそんな柄じゃないからってのと、雨降ってたんでやめて飯食って母親のがん保険見直して終わり。
病院に戻ったら時間ギリギリだったけど、主治医はもっと遅れてきてた。おいこら、時間を守れ。
俺の声、よく通るからな……。
通らない他の患者とかは話したりしてんのにね。
んで、説明聞いたけど、転移が数えらんないくらいしてて頭真っ白。
完治は難しいとかさ、余命宣告まではなかったけど、まあ免疫療法なかった頃は余命1年らしくて笑っちゃった。
あと100年生きろ。
それでも、話を聞こうとか、この状態なのに仕事復帰したいって望む父親に1番いい方法で診断書書いてくれとかは言えた。
わたしがやれることはやった。
あとは、知り合いの医療従事者が、状況が分かったら教えろって言ってたから伝えたら、退院後の説明された。はえーよばかwwwwwwwwwwありがとな。
辛いのは親父だから俺が弱音吐いてる場合じゃねえけど、こんな身近な人間がこうなったのは辛い。
絶対評価のしんどさならわたしは何も言えないけど、幸い相対評価でしんどさを分かってくれる友人が沢山いる。
昨日も母親を1人にしたのは申し訳ないが、友人宅に泊まらせて貰って弱音グダグダ言える場所借りれたし。
しばらく家出先にさせてくれるらしい。実家暮らしなのにありがとな……。
明日親父から連絡来て何かかわりがあったらまた更新するかもしれねえ。
弱る父親を見たくねえな……
そこまでドラスティックな変化でもなかったけど言いたいことわかる
自分は脳内多動タイプで、ある意味マルチタスクの人間だったんだけど
(「音楽を聴きながら文章を打つ・動画を見ながら文章を読む」とかが苦手になってしまった)
集中力が上がったといえば聞こえは良いが、正直不便だ(断薬して数年立っても未だにこのままだ)
個人的にはその程度の変化で全く役に立たなかったので断薬したんだが
もしかして辛いもの苦手になったのもストのせいかなと疑っている
気軽に処方してくれる認定医は居らんのだろうか
(自分の主治医は頑として出さない人だった。困りごとの解決に寄与するのがあんたの仕事だろうが。あんたの主義なんぞ知らんのだ)
教授推薦がもらえて、その最強カード一枚あれば行きたい大企業が一社だけ、ほぼ100%狙える、そう聞いて大学院に進んだ。あれがそもそも間違いだった。
その通りうまくやって入社し、700万の年収と貴重なキャリアを積む機会を貰ったものの、メンタルを壊して退職した。その間復職と休職を何度も繰り返し、最終的に社歴8年のうち5年分を失った。
まったくうまく行っていない。
退職後、「自分には700万の値打ちがある」と勘違いをしたまま転職エージェントに頼った辺りで負け確、彼らのビジネスの仕組みも知らずに、年収の高い、身の丈に合わない会社に入っちゃあメンタルを壊し、入っちゃあメンタルを壊し、いろいろ履歴書が汚れて今は年収300万の正社員型派遣である。
休職歴をなんとかしてしまう彼らの手腕はすごかったが、最後の小さい会社で前年の源泉徴収票提出によりしっかりバレ(そりゃそうだ)、そこで初めて転職エージェント経由をやめようと思い、今の会社に入った。
知らなければ、今の立場を悔しく思うことはなかった。
…「そんなメンタルだからお前はメンタルを壊すのだ」と見るたびに言われている気がして、確かにその通り、と誰にも話せずにいる。
ぐちゃぐちゃ転げ落ちる中で幸いなことに、いい主治医に出会え、それでちょい安定した時期に婚活頑張って奥さんに出会え、結婚して家を買い、ペアローンを返せるほどに回復して毎日仕事ができている。全体を理解して結婚してくれた奥さんには感謝してもしきれない。
お前の今はそこまで悪くないよ、悪くない悪くない、だから昔の年収なんかに囚われないでくれ、あれは虚像だ…元々お前にそんな価値はなかったんだ、そこから一段降りろ、なんでお前その会社自慢する感じになってる?メンタル壊したのに?人は優しかった、よ?なにそれ今なら!とか思ってる?誰に何を証明したいの?何に対して、何の気持ちを持っていて、それは持ち続けたいものなの?2社目以降の人たちに謝れ!謝れ何を?手持ちのスキルに感謝?感謝すれば年収上がるの?上げる努力をしてもないよね?
とかいうのがシャンプーしてるときにワーッと出てきてウゥと声が出てしまって、相変わらず苦しんでいる。特にオチはない。台湾チア見て寝る
https://www.38-8931.com/pharma-labo/column/study/concerta.php
薬のききかただけど、コンサータの時はギアが入る感じ、ストラテラはスーンとする感じでききかたは確かに違うけど、どちらも仕事に集中できるようになったよ。
30代前半・診断済みADHD
夫
30代半ば・たぶん健常者?
増田はADHDと診断されてから、仕事や家事をするためにコンサータという薬を飲んでいたが、
2020年からコンサータの処方が厚生労働省により厳しく取り締まられることになり、
インチュニブという薬を試したものの低血圧になってしまい合わず、
それとは別に夫とはだんだんセックスの頻度が減ってきており、増田は悩んでいた。
増田が結婚前より7kg太ったからか?(→その後4kg痩せ、今は+3kgくらい)
ある夜、夫も増田もあまり寝付けずにいたので、セックスレスの話を切り出した。
結婚するまではデートのたびにラブホテルに行っていた我々が、今では半年に1回レベルの性交渉になっている。
そう問いかけると、夫はそういえば……と答えた。
「なんか、手マンしても昔みたいに貴女が濡れない。それが面白くないからかも」
……確かに!
昔はベロチューするだけでぐっちょぐちょのべっちょべちょ、
帰りにこのパンツ履いて帰るのやだな、とまで思えるくらい濡れていた増田の膣は、最近全然濡れない。
涸れ井戸にでもなったのだろうか。
なにか原因があるはず、と思うと、ADHDの処方薬、ストラテラが思い浮かんだ。
膣が濡れにくくなったのとストラテラをのみはじめた時期が重なるのでは?
主治医に確認するのはやや気が引けたので、有料でお医者さんに質問できるサイトを使ってきいてみた。
インターネット、何でもあるな。
お医者さんの回答によると、ストラテラ服用者の1%未満に性交痛が起こるらしい。
性交痛が起こるということは、きっと膣が濡れにくいからだ!!!副作用だったんだ!!!
・喉が乾きやすくなる、
・長年悩まされていた花粉症症状が軽くなった
ということを実感していた増田だが、
喉の中も粘膜、鼻の中も粘膜、ならば、膣の中も粘膜なので乾きやすくなっても不思議はない。
ストラテラの副作用でEDになる人はインターネットに多く見られるが、
そもそもADHD持ちは男性より女性が少ない傾向にあるから今まであまりメジャーにならなかったのかもしれない。
・主治医はコンサータ処方医にはなれない(入っている学会の関係)
・服薬しないと仕事のみならず日常生活に支障が出るので何かしら服薬はしたい
・ローションを使っても夫は楽しくはない
以上から、コンサータ処方医が居る病院に転院するしかないっぽい。
私は、数日後に子宮をとる手術を受ける。
愛しくも憎らしい2人のやんちゃ坊主を十月十日大事に守ってくれた子宮。
とうとう君とさよならしなければならない時がきたようだ。
長男が生まれる前、子供ができなくて病院に行ったらポリープが見つかり、そこから私は子宮内膜異型増殖症という病気と7年間のお付き合いが始まった。
簡単なものとはいえ、何度も手術をしたし、ホルモン治療もした。
ホルモン治療中はホルモンバランスが崩れ精神的に不安定になった上に、多動気味の長男が一番活発な時期だったため、とても辛かった。
もう1人子供がほしいな。
女の子を育ててみたいな。
でも2人の男の子を育てるので手一杯だな。
だが、手術と検査をした結果、再発の度に病が徐々に悪くなっており、
正直、ホッとした。
この気持ちが一番大きかった。
7年間、ずっと病と戦っていたわけではない。
でも、ずっと病が私の背後にペッタリとくっついているような感覚もあって、そこから開放される、安心感。
おそらく主治医に希望を残されてしまったら私はまだ治療をしていただろう。
しかし、どこか子宮がなくなる不安というか、喪失感に近いものを感じている。
子供も2人産んだ。
なぜだ?
なぜ私はこんなにも寂しさや不安を感じているのか。
1つの理由として、考えたのは「もう子供を産めなくなる」という明確な線引きの向こう側に立つことへの不安だろうか。
私は今30代半ば。まだ周りに妊娠出産をする同年代達が現れるだろう。
その時に彼女たちを羨むことになるかもしれない。
我が家にも女の子がいたら、もっとハッピーだったかもしれない。
子供が3人いたら、とっても大変だろうけど、きっと賑やかで楽しいだろう。
それでも、やはり今手術をして家族や子どもたちとできるだけ長く生きるための選択肢を選ぶことが最善だとわかっている。
それでも、子宮を取り出すことに何が寂しい?
手術まであと数日。
結論が出ないまま、また日付が変わった。
この気持ちの持って行き場がなく、
https://toyokeizai.net/articles/-/535853?page=3
睡眠薬による眠気で、学校に行っても保健室で寝ることが増えた。「薬を飲みたくない」と愚痴ったときに養護教諭から言われたのが、冒頭の「発達障害の子は薬を飲んだほうが生きやすくなる」という言葉だった。
20歳を超えた今でも、薬の種類や量は増えている。これまで摂食障害と自傷行為で、精神科病院に3度入院した。その後も、薬の量を減らしたくても減らせない。
「飲むのを勝手にやめたときもありましたが、主治医に『自分で服薬の管理ができないなら、入院して薬を飲む習慣をつけることになる』と言われました。入院はもう嫌だから、また飲むしかありません」
発達障害は一般的に、発達障害(一次障害)に対する周囲の無理解が本人の自己肯定感を低め、加藤さんのような対人恐怖やうつといった「二次障害」を引き起こすといわれている。しかし、「二次障害は薬では解決しない」と加藤さんは言い切る。
歳をとると昔の恨みって強くなるのかな?
どんどん強くなっていってて自分でも戸惑ってる。
自分が小学生の頃、父親が会社から帰宅して早々激しい腹痛を訴えて、救急車で病院へ運ばれ、その日のうちに入院することになった。
父親は救急車で運ばれた日に消化器系か腎臓か(10年以上前なので忘れた)の検査を受けたけど、腹痛の原因は不明だった。
でも、時間が経つごとに痛みが激しくなっていったみたいで、血圧も上昇、吐き気、嘔吐の症状があったから母親が主治医に全身検査してほしいとお願いした。
でも主治医はただの腹痛、と言って苦しむ父親の姿を見てもくれなかった。
後から調べたんだけど、この症状って脳卒中の前兆らしいんだよね。
この主治医のこと許せなくて、未だに恨んでるし思い出しては泣きそうになる。
主治医が何科の医者かは忘れたけど、大きめの病院だったから検査してくれれば担当の科に連携するとかできたんじゃないかなって。
しかも気を失った時、母親が側にいたからナースコールしたり看護師さんに知らせに行ったけど、主治医全然来ない。なんで?
結局きたのが15〜20分後らしくて笑っちゃうんだけど、そういうことってあり得るの?
医者も人間だしミスはするってわかってるけど、何のための高いお給料なのか、何のための国家資格なのか、何のための社会的地位なのか。命の責任を負う尊い職業で、大変なのは自分でも何となく想像できる。
命は助かったけど、寝たきり・話せない・意思疎通できてるかわからない状態になって、12年くらい家で介護したけど、自分が22歳くらいで亡くなった。
あの時死んだわけじゃないし、命だけでも助けてもらったことは感謝しないといけないのはわかってる。
わかっててもどうしても受け入れられなくて、今拗らせてるって感じかな。(介護の期間が大変すぎたってのもある)
みんな恨んでる人とかどうやって忘れてるんだろ。