はてなキーワード: 癌治療とは
税金・国民健康保険に外国人をフリーライドさせるお馬鹿政府・お馬鹿国会議員・お馬鹿官僚がいる
法律の穴を塞げ!
バケツの穴を塞げ!
税金・保険料を上げる前にやる事がある、皆保険・生活保護を日本人限定にしよう!
ナポレオン「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
地獄への道は善意で舗装されている!(The road to hell is paved with good intentions)
日本人のみに、皆保険医療費・医師・看護師というリソースをつかおう!
一部の自治体は
オーストラリアの皆保険は国民と永住者に限定していて、永住者以外の外国人は皆保険の対象外です!
外国人は難民申請・日本語学校留学・経営者ビザ等で、日本の高額医療にフリーライドしています!
外国人は全額自己負担での治療、若しくは、民間保険での治療、若しくは、祖国・母国に帰国しての治療のいずれかにすべきです!
外国人になるとそうはならないのだ。彼等の扶養家族は不自然に増えて平均で10.2名になる。
控除額は380万円以上となり課税所得がマイナスに作用して0円になる。
国民保険料・介護保険料・市営住宅(公営住宅)・保育料など全て課税所得で決まるので非課税世帯は最低額の算定となる。
www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RIHPIP32SZQZ/
tinyurl.com/koukyounofutan
第五条次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。
このままでは日本が「中国人高齢者の“姥捨て山”に」…!海外の介護難民が日本に押し寄せる、介護保険の外国人「タダ乗り問題」の闇
介護期間は亡くなるまで平均7年程度と言われ、日本滞在が認められている限り、
少なくとも1400万円の公金が使われていることになり、介護度が上がればさらに公費負担が膨れ上がります。
特別養護老人ホームに入れば、年間300万円近くが公費負担となるでしょう。
gendai.media/articles/-/136656
トラブル続出中
このままなら中国人で貸し切りになる
「約1500戸の賃貸住宅のうち、300戸以上を中国人世帯が利用しています」(千葉県船橋市の『行田団地』自治会)、
「年々中国人は増えていて、いまでは団地の4割ほどは中国人世帯となっています」(埼玉県川口市の『芝園団地』自治会)
gendai.media/articles/-/2154
tinyurl.com/1800manen
前の病院でも
せっせと納めた社会保険料で。
x.com/KRow_Dr_/status/1791761901552349598
「僕は病気を抱えてね、
自費は数千円しかないわけ。」
x.com/wake_neko/status/1777526842783838319
もう1つ、日本の永住許可申請に健康診断がないのも気になっています。
一定以上の医療費がかかる場合は却下されます(カナダは皆保険です)。
日本のやり方では、どんなに高額な医療費がかかる人でも永住者になってしまいます。
x.com/SailorMoon_Wide/status/1792397188477419540
シンガポールは日本より出生率が低いし、外国人労働者も多いが、それは移民ではない。
あくまで就労ビザ(2年から3年で要更新)の期限が来るまで滞在が許可されているだけだ。
ホワイトカラーも四年制大卒が基本で、給与もローカル以上に高くないとビザが出ない。
x.com/Southern_X777/status/1840909211351597077
シンガポールにおける保険制度は、C P F(Central Provident Fund)と呼ばれる、
留学生の高額治療と感染症の対策を急げ 日本に来て割安な価格で治療を受けられる「抜け穴」
オーストラリアでは留学ビザ希望者に対して、政府が指定した医療機関での健康診断を義務付けている。
検査結果は、クラウド上に置かれ、オーストラリアの担当医師もチェックするという体制になっている。
そのうえで、留学生には「留学生保険」への加入が義務付けられている。
美容の治療や出産、そして出国前から把握されている高額な医療費のかかる慢性疾患(がんやHIV感染症)等については適用されない。
www.sompo-japan.co.jp/kinsurance/leisure/off/tips/pc/04_china/
前払制
中国では
受付時、
保証金も支払わなければなりません。
救急車は有料
朝鮮人は「朝鮮人生活擁護闘争」を展開、地方税の減免や生活保護の適用を求める
w.wiki/AZa5
『困難女性支援法』という今紀最大の男性差別も知らないんでしょ。
・困難の内容、理由不問
・個人情報は秘匿
・ただし女性だけ
すごいだろ。これ「法律」なんだぜ。
x.com/HighWiz/status/1831131849923633286
tinyurl.com/tainouritsu
世帯の絶対数が少ないネパールが日本を含む全国籍の滞納金額の12%
tinyurl.com/tainougaku
tinyurl.com/kazoku-yobiyose
埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が?
その中に仮放免のクルド人の治療費も含まれているとみています。
tinyurl.com/iryouhi-mibarai
tinyurl.com/26000000yen
外国人の“国保悪用”急増 「留学」偽り入国、行政書士が手口指南も
www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170107/dms1701071530005-n1.htm
80歳のガン患者、
年齢制限がないのです
健康保険証を手に入れたらあとは使い放題です
人工透析:年間500万
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
今年本厄。
全く信じてなかったところ、6月に仕事と健康の両方に瑕疵があった。
さすがに思うところあり、ここでぼやく。
これまで出てた手当の範囲が狭まって適用外になり、年収1/4減になった。
これはまあ分かる。
財務を少し見てたけど持ち直し無理そうだったし、ちょっとでも事業費削りたい会社にとって無用な人件費削減は定番だもんな。
この手当制度作った管理職も現役員の元愛人に追い出されて辞めてるし、近いうちになくなるなーと思って心構えはしてた。
適用外になった手当って転勤手当なんだよね。
転勤自体が滅多にない当社、手当狭めた直後に転勤命令?内勤職で動く必要性もないのに?
聞くと先の役員がいる都市部に転勤で、今いる部門をまるごと手元に置きたいらしい。
知らんがな〜。
癌になってたのが発覚。
幸い該当の臓器を取れば死なずに生き残れるステージらしい。ただ年齢的に罹患すること自体怪しいと検査を勧められる。
類似はリンチ症候群だそうな。フラジャイル読んでたから、該当エピソードを思い出しながら担当医の説明をぼんやり聞いてしまったのをちょっと後悔している。
医療の発展により一連の検査治療は健康保険適用だそうな。本当に足向けて寝れない。医療の方々、ありがとうございます。
本厄があることを知ってしまったので、とりあえず縁深い神社に厄除けに行ってきた。
調べたら厄年って不幸が降りかかる歳じゃなく、普通に生きてても健康が損なわれやすい年齢をそう呼ぶんだと。
自分じゃん。
仕事は治療優先として(役員に中指を立てながら)別会社に出向となった。
母は痴呆でほぼ空気、ていうか、成人病でカラダ壊して実家に戻った弟がそれから数年して両親の痴呆と末期癌に降りかかられて独りで奮闘している
ワイふくむ兄連中は地理的に遠すぎるためスルーてか世話は押し付けてお任せしとる
消化器系の癌切除をしたあと味覚がほぼ失くなり食事が摂れず体力が落ちた父にリンパ腺癌がみつかり再入院したが治療の苦しみに嫌気がさした本人が緩和ケアにしてくれと要望すると病院側は家族の同意を得てくれとのこと
弟としては何年も面倒をみて世話(食事を作るのが生き甲斐のようだ)をして来ているので諦めきれないらしくまだ頑張ろうといい、父と平行線
父からは弟を説得しろと電話がかかってくるし、弟にそう突き付けるのは彼の人生を否定するようでしたくない
父はちゃんと兄弟で話し合ってるのかと電話でツメてくる、医師からは家族で統一見解を持って来てくれないとどちらにも進められないと言われているそうな
お互いに地理的に離れて生活も離れてなん十年間、それって家族かねぇ…
身近なひとがしんでいくのってなんてめんどうなのか
ホルモン療法して今ちょうど半年くらいであと5年はやらないといけないんだけど太るし筋トレしまくっても痩せないし
なんなら筋トレの量を増やすほど体重も体脂肪率も上がるので好きな服も着れないし馬鹿らしくなってきてもう治療やめたい。
癌のくせに太る?笑みたいにしか思われないのも癪。そういう奴らをひとり残らず引っ叩いて肝がんステージ4にしてやりてえわ。
学生時代は服飾系の学科の子にモデルを頼まれるほどにスタイル良かったのにさ、BMIは今日20を超えた。
今まで着てた服が一つ残らず着れなくなってんのに悲しくないわけないだろ
お前が私のために全部服買い替えてくれるわけじゃないのに「それでも痩せてるほうだから」じゃねえんだよ主治医。てめぇも引っ叩いてやろうか。
今着たい服は今着たいのであって5年後に着たいわけじゃないし
ホルモン療法なんかやめて女性ホルモン(乳がんのエサ)増やして痩せやすい体にして運動しつつ好きなもの食べて好きな服着て好きなメイクして過ごしたい。
好きでもない体型を強要されて好きなことできない5年間なんかで寿命延ばすより
好きなことしてステージ4のどうにもならない状態の再発してとっとと死にたい
どうせ子どもも産めないし、そもそも生みたくもないし、パートナーもいないし死んだもん勝ちじゃん。
でも実際こういう選択した人ってどんくらいいるんだろうと思う
闘病記とかはあっても治療やめて人生楽し~!満足!死んだ!みたいな記録って見ないんだよなー
本人死んじゃうし、あまりおすすめする内容じゃないからだろうけども
あとこうやってイライラしたり落ち込んだりするのも薬のせいだとは思うけどそれも込みでとっととやめて死にたーい!
予めお断りしておくけれど、アドバイスが欲しいわけではないし、同情が欲しいわけでもない。
はてなブックマークやコメントツリーでなにかを言って欲しいわけでもない。
妻とは30年近く一緒にいる。
妻を手伝う、といえば聞こえは良いが私はそれまで漫画の「ま」の字も手掛けたことがなく、手伝いはしたものの、今だに作業の大半を妻がやっている。
私は凡人を絵に描いたような存在で妻に出会った頃も何をやっても上手くいかない人生だったから、妻と出会っていなかったら野たれ死んでしまっていたかもしれない。
いずれにせよ、妻は私と出会ってすぐにプロデビューを果たし、30年近く漫画を描いてきた。
・・・と言っても集英社や講談社のような有名な出版社ではなく、所謂レディスコミックと呼ばれるジャンルで描き続けてきた。
売上は、青色申告止まりの自営業、喧嘩も絶えなかったけれど、それなりに食べてゆくことが出来た。
そんな妻の仕事が、去年の秋に、ふつりと途絶えた。
30年近く仕事をし続けてきて、マンションを買える程ではないにせよ、数年間は何もしないで食べていけるだけの蓄えはある。
妻は仕事をするのは嫌いだが仕事をしていないと不安で仕方ないタイプの人間なので休むことを極端に恐れていたが、コロナが落ち着きを見せている状況の中、少し休もうよ、と説得をした。
普段味わうことのないゆっくりとした時間を満喫し、そろそろクリスマスの準備を、と思っていた矢先、妻が病院にいってくる、と言い出した。
聞けば胸に違和感があるのだという。
健康診断は毎年受けているし、心配のしすぎとも思ったが、検査を受けて何事もなければそれが一番だと思った。
だか、予想に反して大きな病院で精密検査を受けることとなった。
予約をしているのに長時間待たされ、時に部分麻酔を打ちながら数日間、検査を受けている。
乳がんのみならず、肺、肝臓なども「問題があるかもしれない」ということでチェックを受けた。
結果は来週以降だし、最近の癌治療はステージ1くらいなら数日の入院で治療を終えることが出来る場合がある、とも聞く
(聞いた話なので曖昧で申し訳ないし、この部分への「指摘」はしないで欲しい。まだ結果は出ていないのだから)
検査を終え、帰宅し、休んでいる妻の寝顔を見ると、今までのこと、そしてこれからのことを思う。
妻は今までのように働けるのだろうか。癌は再発しないのだろうか。
もし、妻が倒れたら私が働くしかない。
30年近く、妻の「手伝い」しかしてこなかった私が働けるのだろうか
もし・・・
もし妻が逝ってしまったら。
今回は「そう」でなくても、いつか「その日」は来るのだろう。
妻が私より先に逝ってしまった後、私はどうするんだろう。
死にたくない、という思いもあるが、生きている「意味」を見いだせるのだろうか。
生きるとは、働くとは、一体何なのだろう。
元増田です。こんなに反応があるとは思わなかった。コメントも、Twitterでの言及も色々読みに行った。「生きろ」と言ってくれる人が多くて驚いた。本当にありがとう。もうダメだなと思ったら、ここのコメントを見直しに来るよ。
実際にも多くの人が(特に医療関係者はそれが仕事とはいえ)自分を生かす為に動いてくれているんだよな。それだけでも生きないとならないのかもしれない。
ここに書いた話は友人知人にはしていない。癌になり、治療中だということだけを一部の人に告げたに過ぎない。こちらの希死念慮がずっとあることに気づいている奴はいるんだろうが、敢えて話題にはせずにいた。こんな話を一対一のメッセージでわざわざやり取りするのは、相手への負担が重たすぎるから。
それでも自分の中では、どうしてもどこかで吐き出しておきたかった。「転職活動より癌治療のほうが人扱いされるだけマシ」なんてリアルでは言えないからな。癌だとわかった時、転職活動をしなくて良い理由が出来て、ほっとした自分すらいる。そのくらい辛かった。
いずれは戻らないとならない。また履歴書にブランクがひとつ空いた。その理由を話せば企業はいい顔をしないだろう。これまでだってそうだった。
そうそう、会社員じゃなくても、健康診断や癌検診は自治体のものがあるからな。同年代のフリーは気にしておくと良いと思う。
自分は寛解まで何年かかるのか、たどり着けるかもわからない。それまでずっと癌とは付き合って行くのだろう。その度にこいつは自分に問うんだろう。「もう楽になりたくないのか」と。本当に自分の中の悪魔なんだな。
もうそういう年頃なんだよな。ご同輩よ、久しく近況聞いてないやつに聞いてみるといい。意外といるもんなんだよな。
2020年にクソ職場を辞めた。幹部からの恫喝が酷くて労基に相談行ったり色々やったけど、金と訴訟する根性がなくてズルズル続けていた仕事だった。コロナ対策などもないに等しく、テレワークなどの苦言を呈した直属の上司は裏切り者呼ばわり。心身ともに疲れ果て、このご時世に就活はきついと分かっていたけど辞めた。このまま続けていたら、どこかで感染してそっちで死んでいたかもしれない。
1年ほど、過去の職場繋がりで仕事を紹介してもらいながら、失業保険もろもろでなんとか食いつなぎ、転職活動に明け暮れた。しかし内定はない。
最近、身体に違和感を感じて検査に行ったら、癌が発覚した。去年の健康診断ではなんともなかったのだがな。今やただのフリーランスだからもっと早くに検査しとけばよかったのだが、感染症が蔓延る中、病院に行くこと自体のハードルがそもそも高かった。今となっては言い訳だが。
転職活動はいったん打ち止めにして、今は治療に専念することにしている。(もちろん標準治療一択だ。体験するとわかるが、あれは本当によくできている)
そもそも、自分の死因には自殺があるんじゃないかと昔からずっと思っていた。新卒時は卒業前ギリギリで地元の中小ブラック企業になんとか内定し、ド残業で心身ボロボロ。その後は何度か転職もして、いい職場もあったが、リストラや倒産もあり、その度に「死んでもいいかな」と思っていた。ここまでやってきてようやく40代半ば。履歴書なんてとっくに汚れまくっている。
その割に、いざ自分が「放っておけば死ねる」病になったとき、「いや生きたいぞ?」と思った。治療を選んだ。おかしなものだ。
病院は生きようとする人に答えてくれるんだ。前を向こうとすればちゃんとそのための手段を一緒に考えてくれる。人間扱いしてくれるんだよ、この自分をな。
今までの転職活動みたいに、これまで生きて積み重ねてきたことを否定されたりもしない。前を向こうとしている言葉を鼻で笑われたりしない。正直、転職活動やこの先の人生よりも、癌治療の方がずっとマシなんじゃないかとすら思う。久しぶりに連絡を取った友人知人も心配してくれる。こんなによくしてもらえると、病人としての身分に甘えて、自分が増長しないかどうかは常に気にしてしまう。
今は治療の途中だ。様々な公的補助は使わざるを得ない予定だが、それでも正直、カネはない。治療中は収入が途絶えているから。
「こんだけ治療を頑張って、その先どうするのだろう」と、夜に天井見ながら自問自答することがある。またあの、人を薄笑いして品定めしたり、時間も気合いも入れた応募書類を丸無視したりされる転職活動に戻らなければならない。今度は健康リスクを背負った中高年という肩書きがのしかかる。自分に仕事は、未来はあるか。
そうまでしてどうして自分は生きたいのだろう。生きる道を選んだのだろう。生き延びたことを後悔はしないとは言い切れない。
癌が見つかったとき、こいつがじわりと自分に問いかけた気がするんだよな。「お前、本当に生きたいの?」と。
なあ同世代。自分がこうなったとき、頑張れるか? この先、生きていたいと思うか?
【追記】