はてなキーワード: クラスメイトとは
かれこれ17年くらいの付き合いになる。
きっかけは両親の離婚と、同時にあった学校でのストレスだった。
今もそういう文化があるのかは知らないけれど、所謂「手がかかる子のお世話係」になったのだ。
6年ぶりの再会だった。彼女は6年前と変わってなかった。
学生時代の「6年」がどれだけ重いものか。全く変わってなかった彼女に、私がどれだけショックを受けたかは、今表現する語彙を持たない。
自分で言うのもなんだが真面目で先生からのウケも良かった私は、どんな時も彼女と一緒に組まされた。
3人以上で組まなきゃいけなかったときは、みんなが私たちを避けた。結局大人しい幼なじみがお情けで組んでくれることが多くて、申し訳なかった。
そんなことがあっても、私は誰にも相談できなかった。
弟たちの世話もしなきゃいけなかった。スクールカウンセラーに相談しても、「頼られてるってことなんだよ」と言われて話にならなかった。
気が付いたら、家でも学校でも自分の髪を抜くようになっていた。
頭頂部がだんだんハゲてくる私を、クラスメイトはもっと避けた。
面と向かって「おまえの髪の毛掃除する身にもなれよ」って言われたこともある。
家には自分の部屋はなかったから、どうやって家族に誤魔化すかで必死だった。
これは人によると思うんだけど、私はひとしき髪を抜いたら、そこから一切抜毛しない時期がある。
で、私はこの半年の間に「自分は抜毛癖が治ったんだ」と錯覚する。
でも毎回必ず再発する。原因はまたストレスだったり、ただどうしようもなく頭皮が痒かったり。
抜毛癖ってどうしたら治るもんなんだろう。
調べても結局精神療法しかないみたいだし、あの頃のスクールカウンセラーみたいなことを言われると思うと怖い。
でも、行くしかないんだろうな。
シャニマス2周年を迎え、新ユニット「ノクチル」が追加されてから早半年。今2.5周年キャンペーンをやっているからそれで合っているはず。
ノクチルとは浅倉透、樋口円香、福丸小糸、市川雛菜からなる幼馴染の四人組グループだ。アイドルマスターでも姉妹以外の既に関係性が完成されているグループというのは珍しく、いろんな点でも話題になったことは記憶に新しい。
そんなノクチル初のシナリオイベントである「天塵」は、今だなお賛否両論を以て語られることが非常に多い。
というか実際には賛が多いのだろうけど半年たった現在、賛の部分はさんざん語り尽くされたので、今やドロドロした否定的意見のほうが根強く残っているように思える。
そのほとんどが初仕事の生放送で意図的に放送事故を起こしたことに対するノクチルの批判。「擁護できない」「駄々こねているだけ」「身勝手だ」「もっと大人な対応するべきだ」など、ノクチルが起こした放送事故が許せないという人が多い。
こうして色んな意見があるのはシナリオライターの目論見通りであることはさておき、そもそも天塵の放送事故は番組側が事前の段取りや取り決まりを全て無視したことからはじまっている。放送事故を起こしたノクチルに対して「プロ意識が~」という意見が見られるが、そもそも番組側のそれら全てを反故にしたプロ意識の無さがはじまりだ。
じゃあなんでノクチルのプロ意識の無さばかりが叩かれているのかというと、それは多分「その他大勢」に迷惑をかけたということになっているからだ。あの個人が集団に迷惑をかけてはいけないが、集団は個人にどれだけ迷惑をかけてもOK。というやつ。
日本人の多くが学校という場所を通過して育つわけだけど、そういった限られた集団の中の教育は極度に跳ねたやつや突出したやつを嫌い、みんな同じ服を着て髪の長さとかスマホ禁止だとか、集団に属する人を平均化するためだけの決まりを施して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」みたいなことを言われ続けて、言われないにしても圧力をかけ続けられる雰囲気が自動的に形成される。で、そういう空気で育った人は周囲の目を気にするようになり、ただひたすら「考えることを放棄して言うことを聞く」という行為だけを強要され、同じように右倣え右して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」とか言いだす。
で、そういうのを言い出す人のなにが始末に負えないかというと、他人を糾弾するとき実のところ自分でも何が悪いのかわかっていないことがある。平均化された集団の中で右倣え右してきたので、「みんなが悪いと言っているので、悪い」みたいなのが無自覚に根付いてしまっている。
実際今回のノクチルを見てみると、実のところ迷惑をかけた相手というのは全く多くない。強いて言えば事前の段取りを放棄してきた番組側しか迷惑は被っていない。この番組を見ていた視聴者も「うわ、放送事故だ」くらいしか思わないし、最終的に一番泥をかぶっているのはちゃんと当事者たるノクチルとプロデューサーの五人だけだ。アンティーカに関してはシナリオライターは意図的に事前に言及してあるが、あれは「アンティーカに迷惑がかかりますよ」という合図ではなく、その後アンティーカのことを一切言及しないことで「アンティーカに迷惑がかかっている」というありもしない妄想を誘引し、「見てもいないのになんでわかるの?」というカウンターを行うためのやつで、この手法はアジェンダ283でもとっている。これに関してはちょっとシナリオライターが陰湿すぎるのであまり好きではないが、とにかくそういうことだ。(そもそもアンティーカを懇意にしているのは段取りを事前に破棄したアホアホディレクターなので、仮に今回の件で悪印象を持たれたとしても、あるいはノクチルが口パクしてなんの問題もなく進行したとしても、プロデューサーはそんな信用ならないアホとわざわざもう一度組ませようとする男ではないのでアンティーカが受けた被害は実際少ない。というかノクチルの仕事でアホアホディレクターの問題性が浮き彫りになって本当によかった。あのアホアホディレクターのアホアホ仕事をうっかり受けてしまったせいで曇るアンティーカやイルミネや「え、たくさん練習したのに今日、歌えないんですか…」ってなる果穂ちゃんなんて、いやメチャクチャ見たいけど見たくない)
じゃあなんでノクチルが実際問題そこまで迷惑をかけていないのに、シャニマス世界でも現実でも多くの人がノクチルを叩いているかというと、やはり「放送事故を起こした」という表面上の言葉に囚われてしまっているから。それで迷惑をこうむった人は例によって段取りを反故したアホアホ番組側だけだし、誰かが特別傷つくわけでもない。ノクチルの行為が身勝手だったとしてだから何だという話だし、そもそも仮に放送事故で「その他大勢に迷惑」がかかったところで1ミリも子分に関係ないはずなのに、なぜかめちゃくちゃ叩く。それは集団に隷属する限り自分たちは「その他大勢」であり、そういったものから逸脱する「個を尊重する」存在というのは安定した集団の和を崩すものなので、とにかく叩いて安定化させなきゃいけないというのが義務教育で根付いてしまっているからだ。身勝手であることは別に悪いことではない、特別誰かに迷惑をかけるわけでもないし、まあそういう輩はいるけど、少なくともノクチルはそうではないのに、身勝手であるという属性自体に反感を憶えてしまうのはそういうわけだ。そうやって集団が自動で安定化するように、別に誰かが意図的にそうしたとかではなく、平均化された集団に向けた教育がそうさせるのだ。
「それでも番組側に迷惑をかけるのはよくない」という意見に関してはそもそも番組スタッフの友達でもないのに番組側の肩をもつのはよくわからないとしか言いようがない。
また、「ノクチルがアイドルを舐めている」という意見もあるが、天塵を読めばそんなことはないことがわかる。雛菜を除きノクチルの三人は生放送に向けて通常のレッスンに加え、自主練をずっと続けてきた。彼女らは飄々とそれをこなすので一見なんの努力もしていないようにみえるが、初披露に向けてそうとうな時間をかけていたことがわかる。雛菜は雛菜でちゃんと283プロ側が用意したレッスンはきちんとこなしているので、求められるレベルに達しているのは間違いない(雛菜のスタンスについてはW.I.N.G.参照してください)。
ノクチルの練習風景を見ていないシャニマス世界の人間がノクチルを「アイドル舐めてる」と叩くのはいいとして(良くないが)天塵のコミュを読んだうえで「アイドルを舐めている」と叩くのは、アイドルという存在を「ファンに尽くすために存在する傀儡」と捉えているからだ。なのでノクチルが画面の向こう側の人ではなく、自分たちの心の納得を優先して行動したのがどうしようもなく許せなくなってしまう。
その個を優先した姿から「プロ意識の欠如だ」と訴える人は少なくないが、そもそも個人を優先することとプロ意識は全く矛盾しないし、そもそも本当にプロ意識があるのならばそれはレッスンを重ねた歌と踊りでみんなを楽しませることであり、番組側が無理やり押し付けた口パクを披露することではない。どちらにせよ、芸能界の集団によるアホみたいな圧力に個を曲げる必要性など一つもないし、それで自分自身を貫いたとしてそれはプロ意識の欠如ということにはならない。そもそも最近のアーティストは集団に隷属せず自分自身を優先させるスタンスの人が多い。その筆頭が若干18歳でグラミーを総なめしたビリー・アイリッシュで、彼女は「ファンの否定や賛成の意見に全て従って生きていたら身動きができない」と集団への隷属に断固拒否を突き付けている。また、アーティストたちのメンタルヘルスの重要性も訴えている。一方ビリー・アイリッシュの圧倒的なパフォーマンスとカリスマ性はファンを滅茶苦茶熱狂させるので、プロ意識に欠けているということはない。
別にノクチルはファンやアイドルがどうでもいいわけではない。ただ同時に自分たちの心のこともちゃんと大切にできるだけなのだ。
なのでノクチルの放送事故は「若さゆえの過ち」とか「青春の輝き」とかではなく、あくまでもスタンスの在り方であり、そういう時代性であり、今後その根元が変わることはないと断言できる。
「ノクチルが心から反省しないと受け入れない」といった意見も見受けられるが、そんなことは絶対起きないし、それはお前の教師がしょーもないことで怒鳴りつけてきたりクラスメイトが学級会を開いて「○○くんは悪いと思います。あやまってください」とかいって個人としてのお前を押さえつけてきた行為に他ならない。
そもそもノクチルにとどまらず、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』というコンテンツは学校からの脱却というのをテーマの一つにしているところがある。
放課後クライマックスガールズなんかは直球に放課後がクライマックスだし、プロデューサーはアイドル一人一人と向き合いその個性を尊重スタイルだ(無論全ての青春としての学校を否定しているわけではない)。方言を使うアイドルである月岡恋鐘は283プロに所属する前、様々なアイドルプロダクションのオーディションを受けたが、その方言を矯正するように言われる。そうやって集団は個性をゴリゴリに摺り減らそうとしてくる。
ノクチルに「心から反省しろ」というのは実際そういった行為と変わりがないし、いい加減学級会から脱却してほしい。そもそも反省したとして、「これから大人とか世間とかそういう空気を読んで、おとなしく周囲に迷惑かけないよう口パクで歌います」とかいうアイドルマスターシャイニーカラーズを見たいのか?
結局のところ「周りに迷惑をかけてはいけません」とか「空気読もうよ」とかいうのは集団を安定化させ扱いやすくするための上のほうのオッサンの方便であり、絶対的な正しさではない。仮に一個人がなんらか困窮に瀕しても、集団がなにかをしてくれることはまずない。
なのでいい加減「周囲に迷惑をかけてはいけません」とか「身勝手はよくない」とか「世間様に迷惑をかけたら謝るのが筋だ」とか、そういうちゃんと考えれば全然意味わからないし、そもそも周囲とか世間様とか誰だよって感じのやつから脱却したほうがいい。それがアイドルマスター シャイニーカラーズだ。
とまあ色々言ったが、なんだかんだ「周りに迷惑をかけるな」とグチグチ言ってくる人に限ってそういった圧力で甘い汁をすするオッサンの一番の被害者だったりする。本当によくない。ノクチルは最も個人的なアイドルだからこそ他者を尊重できるグループだ。誰もが自分自身と他者を尊重できるようになればみんな大分生きやすくなるのにね。
あとこのエントリーを読んで「よりノクチルが嫌いになりました!」とか言うことで「もしかしたらノクチルが嫌いになってしまうかも…」みたいな考えを誘引してそういった発言を抑え込もうとする輩が出てくるかもしれないが、そういうメンタリティのやつは一生学級会していてノクチルともそりが合うことは無いので無視してもOKだ。
私は今、好きな同性のクラスメイトがいる。
私より美人で運動神経も良くて頭もいい、誰にでも優しい女の子。
女子校での生活が6年目ともなると、最早男の子という生き物がどういうものなのかを忘れてしまっている気がする。
私が知っている今の私と同い年の男の子というのは、ブルーライトの向こう側の細くて可愛い子たちくらいで、実際の同い年の男の子がどんな感じなのかは正直想像もできない。
ブルーライトの向こう側にいる彼らでさえ、もしこちら側に来たらと考えると真っ先に浮かぶのは恐怖だ。自分よりも体が大きくて力が強い、そして何を考えているのか分からない未知の生き物。
この間私は誕生日を迎えて、18禁の暖簾をくぐれるようになった。その時にふと気づいたのは、今の自分がいる箱の特異さだった。
私の周りだとセッ○スという言葉は大抵の場合ネタにされるかタブーのような扱いを受ける、なぜなら殆どの人がその言葉に実感を持たないから。私もその1人なのだけれど。
性的欲求は汚らわしい悪いものだ、という言葉にされることの無い同調圧力。
なのに、二次創作やシチュCD文化に触れている人は多く、私たちはセッ○スという行為からは乖離した『セッ○ス』という概念の話は当たり前のようにする。
女子校、という括りにするのが正しいのか最早定かでないが、少なくとも私の学校はパーソナルスペースという概念が崩壊している。
勿論人を選んではいるが、仲の良い友達同士は当たり前のように手を繋いだり、ハグをしたりする。
それがふざけてとかではなく、日常的に当たり前のように行われる。
私も、好きな某クラスメイトへの感情が恋愛感情だと気づく前は、彼女に当たり前のように抱きついたりすることもあった。別にそこに対して特別な気持ちは無かったような気がする。
けれど今、私は毎日彼女を見る度に彼女に触れたいと思っているし、そんな自分が心底気持ち悪い。
触れたい、と言っても別に大層なことを望んでいるのではなく、私の学校の子達が当たり前に友達にするようなことがしたい。でもそれは、私にとっては抑え込んだ性的欲求の代替行為なのでは無いかと思うと、自分に触れるなんて汚らわしいと思ってしまう。
彼女は、それに対してなんのリアクションもしなかった。多分、無かったことにされた。彼女は、以前と変わらず誰に対しても優しく、その優しさを私に対しても向けてくれる。彼女は私のことを友達かそれ以下に留めておきたいのだろうし、そんな彼女に対して今の私が触れようとするって、これが仮に男女の恋愛だったら大問題だよな、と思ってしまう。
先日、その場のノリだけで、さよならをするついでになんとなく彼女と手を合わせたことがあった。柔らかさと体温と、なによりもっと触れたいと思った自分が忘れられなくて、そのことが心底気持ち悪かった。
もう消えてしまいたい。それか昔に戻りたい。
彼女への好意をまだ恋愛感情だと認識していなかった頃に。いや、あの頃は別に今の私みたいなことを考えて触れ合っていた訳ではないのだけれど。
彼女に気持ちを伝えた時、正直私は彼女に気持ちを否定されることを望んで伝えた節があった。まさか無かったことにされるなんて、これっぽっちも思っていなかった。
宙ぶらりんなまま今も私の気持ちは彼女に向き続けていて、最早隠しきれていないであろうその気持ちに彼女は何も言わない。
私は毎日のように彼女にどうやって話しかければいいのか考えているし、下らない話題を振っては弾まない会話に心底後悔して、でも彼女と話せるというそれだけの事に幸せを感じて。
毎日、楽しくて辛くて苦しくて、こんな生活早く終わってしまえばいいと思っている。
もうこんな恋愛は二度としたくない。
次に好きになる人がまたヘテロの同性だったらと思うと、心底怖い。
突然ですが、私には虚言癖があります。
簡単に言うと病的な嘘つきです。
けれどこの場では、嘘は吐かずに本当のことを綴りたいと思っています。
当時両親の離婚話があり、母についていくことになっていた私は、引っ越して転校することになるかもしれないという話は聞いていました(住んでいたのが父名義の分譲マンションだったため。当時の母の収入ではローンを払えなかった)。
結果としては転校しなくても良い場所への引っ越しになったわけですが、私は話を聞いた時点でクラスメイトに「転校することになる」と話してしまっていました。そうしたらどうしたことか、今まで私を空気扱いしてたクラスメイトたちが優しくなったんです。
それが私にはすごく嬉しかった。それまで人と接するのが下手で、どうしたって浮いてた私が、優しくしてもらえた。それだけで嬉しかった。
まぁ結局転校はしなかったので、嘘つきだと言われ(事実噓つきですが)それをきっかけに苛めを受けることになるわけですが(それ自体は自業自得だと思っています)。
その時に懲りればよかったんです。でも私は違った。「もっとバレないような嘘を吐こう」という方向に行ってしまった。
小さなことだったらやる気もないことを「やる」って言ったり、大きな嘘なら身の上にだって嘘を吐いた。
大きな嘘はバレやすいから、嘘を吐く場はネットが多くなった。嘘がバレたらみんな離れていった。それは「本当の私が嫌いになったから」じゃなくて、「嘘つきを信用できないから」なのに、私は「本音を言ったら嫌われるんだ」と思ってしまった。嘘がどんどん重なっていった。
いつの間にか私を形成するものはほとんどが嘘になった。嘘の中でしか生きられなくて、その嘘を本当っぽくするためにまた嘘を重ねた。
それでも嘘はバレた。バレて人を傷つけて、傷付けられて、何度痛い目を見ても私は嘘をやめられなかった。
記憶に残っている一番優しくされた記憶が、嘘をついた時だったから。
嘘は良くない。そんなことはわかってる。けれど、本当のことを言っても誰も私に味方なんてしてくれない。
こういうことを言うと「正直に言って向き合えば大丈夫だよ」なんて言う人がいる。じゃあ、貴方は「自分を守るためなら他人をいくら傷付けても構わないと思っている」人間にやさしくできる?お風呂なんて大嫌いで、言われなければ入りたくなくて、そんなのと友達でいられる?詐欺に引っかかって100万の借金背負って、裁判にまでなったような奴と仲良くなりたいと思ってくれる?
思わないでしょう? だって私は思わない。
私自身がこんな自分を嫌いで、なかったことにしたくて、なのに他人になんて受け入れられるわけがない。
許されてしまったら、私の今までの人生を全て否定することになる。
演技性パーソナリティ障害の傾向があるけど診断基準には満たないと言われた。
カウンセリングにも通ったけれど、どのカウンセラーも合わなかった。それすらも「本当の私は誰も必要としてくれない」という気持ちの後押しになってしまった。
今日も私はきっと嘘を吐く。
AとBは仲良くなれるだろうか
実際に仲良くなっているケースはあると思う
でもそれはAがゲーム以外にも興味があって、Bも野球以外にも興味があるからだ
もしAもBもそれ以外に興味がなかったらどうだろう
お互いにお互いの努力は認め合うだろうし、評価はするだろうけど、一定のところから踏み込まないんじゃないだろうか
それでも仲がいいなら多分「同じクラスだった」とか「同じ友人がいる」とか「一緒に何かした経験がある」とか「何か馬が合う」とかそういうことだと思う
そういうのも殊更無かったとしたら、やはり一定の距離から踏み込まない相手だろうし
一度仲良くなっても、その後数年会わなくても気にならない相手だろう
クラスメイトとかそういう奴がいっぱい居たと思う
じゃあ、AがBと仲良くなろうと思ったらどうすれば良いんだろう?
って最近考えてる
多分、これは答えが出ない
おそらく同じ時を重ねるのがいいんだろうけど、それも中々大変な作業だ
もしAもBも仲良くなろうと思ってたらワンチャン行けるかもしれんが、会話は尽きるし厳しそう
お前は本当の「一人」を知らないだろう。
そういう、自分の言葉を聞いてくれる人間が少数でもいいので側にいる人間は「一人」ではない。
本当に一人の人間というのは、話の聞き手が全く側におらず、ずっと独り言を現実やネットで吐いている人間のことをいう。
意外にいるんだぞ。本物のぼっちというのは。
他人と全く喋れない。SNSのフォロワーはゼロ。友達もゼロ。自分を認めてくれる人間ゼロ。
長いこと一人で生きていれば、孤独はメンタルを少しずつ蝕むことを嫌でも思い知る。他人との関わりはどんな形であれリフレッシュになることを理解する。
本当の一人ぼっちというものを理解せず、「一人が一番楽しい」とか言ってるやつ。特に、「他者との交流が必要という風潮は悪」とまで言うやつ。
くたばれ。
Switchでイカをやって遊んでいるが、うちの子はそこそこハマっているので追加コンテンツも購入、クリアをしたりヒーローモードもクリアしたりと、そこそこ遊び倒しているタイプ。
なので自然と家でも何をどこでどうやって倒したか、みたいな話題で話すし、私も配偶者もそれをよく聞いている。
そして今回来た子は、子供が学校でよくイカの話をするっていうクラスメイト。
まず「おや?」と思ったのはこの子もその親も報連相が全くできないところ。時間の確認なんかの連絡をしているのに返事が来ない。迷惑被るのはこちらなのでその辺ちゃんとしてくれ。
そんで、約束の時間になっても来ない。まあ時間ピッタリよりは気が楽かなと思って待ってたけど15分以上たっぷり遅れて登場。しかも、送ってきた親、挨拶しないで帰っていく。おやおやおや。
おやつを出すつもりなのでアレルギーなんかに着いても確認したのに、よろしくお願いしますの一言もないのかい。
そして子供たち。
冒頭に戻るイカで遊んでいる。もともとは相手もSwitchを持ってくるから一緒にフレンドマッチで遊びたい、と子供が言っていた。
なので娘のSwitchをテレビに繋いで順番に遊ぶのだが「ここってどうクリアするんだっけ」っていう子供の問に、その子は「そこ簡単だよ!1発でできた!」みたいに返す。それは答えではない。さらに子供が「じゃあやってみて!」と言ってコントローラを渡すと、カメラ操作どころかイカの姿にもなれない、ジャンプもできない。追加コンテンツクリア済でスキンも持ってる、って言っていたが、追加コンテンツの一番最初のステージもクリア出来ていない。というか本当に基本操作ができていないし、ブキの名前も出していないあたり、もしかしてイカも持ってないんじゃないかと思う。
突然だが、わたしは重いものを持つのが苦手だ。そもそも持ち上がらないし、頑張っても腰が痛くなるだけだった。高校生の時図書委員だったわたしは、新学期の教科書配布、図書館の蔵書点検など重いものを運ぶ役目がたまにあった。そういう時は、近くにいる男子に「重いから半分持って」と声をかけて持ってもらうこともあったし、男女の図書委員どちらかが取りに行けばいいときは、「重いから持ってきてもらっていい?」と頼むこともあった。
頼まなくても、男子が自分から「重いから持つよ」ということもあった。
最近の男女差別是正の話で、男の子だから重いものを持たなければいけないのか、という記述を見て、もしかしてわたしがしていたことは男女差別だったのか?と疑問に思った。でも、そうは思えなかった。わたしはたまたま重いものを持つのが苦手で、周りに持てる人がいたから頼んでいただけで、人と人の助け合いみたいなものの一つだと思っていた。でも、こういう風に思ってしまうことが、自分は自覚なき差別主義者で、誰かを傷つけていたらどうしようと思ったのだ。
ちなみにわたしは手芸が得意である。文化祭の時の衣装をよく縫っていた。私やっておくわ〜って言ってたのは、わたしの得意を生かしていたのではなく、手芸は女性がやるものという潜在意識の元、女性らしさを行使しようとしていたのだろうか?
と、言ってみたものの、やはり私はそうは思わないのだ。多分わたしは効率よく、という言葉が好きで、他の人がやるの1時間かかる手芸をわたしが30分でできるならその方がいいし、教科書を1回で運べる人がいるのならば、わたしが3回に分けて運ぶより全然効率が良くていいと思うのだ。そもそもクラスメイトが着る衣装を作ってること自体が楽しかった。
作品を受け取るとき、どのような経緯でその作品に出会うかは作品の中身より大事だと思います。
例えば、本屋が選んだベスト1の本と、親しい友人からおすすめされた本。
僕なら後者です。
しかし、できるだけ人から勧められて読むのではなく、自分が新しい畑を開拓したい。
何をするにしても人から勧められて始めるのではなく、自分が第一人者になり、人にすすめる側になりたい。
自分が読んで人に勧めた結果面白かったと言われたら自分まで肯定されている気がする。
たぶん僕がこじられて性格が曲がっているだけなのですが、自分が知らないうちに流行って自分がまるで取り残されているように感じてから聞いた曲はいくら聞いても好きになれません。
なんでこれが?って斜めから見てしまうのは自分が変な生き方をしているからだと思います。
例を上げていいものかわかりませんが、ドルチェ&ガッバーナの香水の曲も、自分が知らない間にみるみる流行してどこのどいつかもよく知りません。
ちゃんと聞いてみましたが、良さがわかりません。万人受けするから流行っているはずなのに自分には刺さりません。
対して、Official髭男dismはついこの間まで全く興味をそそられませんでした。流行っっているのは知っていたので手を出さないようにしてました。
しかし、コンフィデンスマンJPを見てから180°変わりました。やたら好きになったのです。
流行っているから聞く。みたいな曖昧な理由は自分の中ではNGが出ているのです。
コンフィデンスマンJPが面白いから、その主題歌だからという理由では自分の中でOKが出ます。
コンフィデンスマンJPを見た後に聞くOfficial髭男dismはコンフィデンスマンJPを見たことがないのに「ヒゲダンサイコー」とのたまっているミーハーどもを下に見ることができる気がします。
そもそもミーハーなやつが嫌いなのかもしれません。いや、ミーハーになるのが怖くて流行りものを避けているのかもしれません。
コンフィデンスマンJPを見るきっかけはミーハーの友人から勧められたのがありますが、結果的にとても良かったです。
いや、違うな。勧められてもしばらく見なかったのですが、テレビでやっているのを知り、映画版を録画していたのがきっかけでした。
そもそも好きな映画や音楽、漫画や本を人にすすめるという行為は自己開示だと思っています。
自分はこういう作品が好きだと人に伝えることは自分はこういう人間だと言っていることと同義なのではないでしょうか。
その作品を受け取り、摂取するとその人の感性が伺えます。少なくとも作品を受け取る前、後はおすすめしてくれた友人の顔が浮かびます。
好きな人が聞いていた音楽を久しぶりに聞くとその人を思い出すように。
対して、自分が新しく開拓した作品ならば自分のものになります。
人に勧められた作品をこれは自分も好きなどど言えるだろうか。果たして本当に自分が好きな作品なのだろうか。人に勧められたからその作品を見たのであって、内容が良いから好きなのだろうか。
一番ダメだと思っているのが世間的に「一番」流行っている曲、映画を自己紹介で書く行為は自分をあえて殺しているのだと思っています。
今、「一番」流行っているとされている物を自分が一番好きなものと言った時点で自分はそこにいないのです。
流行りものが好きな自分。つまり大勢の中に紛れてしまうただの人に成り下がる。
お笑いで言うなら、「EXIT」など第7世代と言われている芸人や「ミルクボーイ」がそれに当たると思います。
音楽で言うなら「米津玄師」「瑛人」「RADWIMPS」などがそう。
よく売れてない頃は好きで売れたら好きじゃなくなる心理がありますが、あれはまんまこのことだと思っていて、ボカロPの「ハチ」は好きだけど「米津玄師」はそうでもないがこれにあたります。
米津玄師も「MADHEADLOVE」あたりまでは好きでした。
アニソン総選挙があったみたいですが、LiSAが紅蓮華で2位だそうです。
LiSAは好きですが、流行っている紅蓮華はそうでもない。さらに鬼滅の刃も流行っているからという理由で見ましたが、全く楽しめませんでした。
流行っている流行っていないをさしおこうとして見ましたが、内容だけみても僕の感想は「面白くない」でした。(アニメ11話まで視聴しましたが、つまらなすぎて視聴をやめた)
僕にとってアニソン総選挙などと言うものは心底つまらなくて、アニメ好きが選んだアニソンには興味はないのです。
自分が好きなアニソンが好きなので順位をつけられて初めて知る曲でも自分は好きになれないと思います。
逆に自分が好きな曲がランクインしていないとなんでや!になるのでわざわざランキングしてしまうことは悪いことしか生まないと思ってしまいました。
AppleMusicが選んだウィークリーベストは全く信用していません。
自分の中では、得意分野と言うものがありその分野は譲れないというものがあると思います。僕は比較的映画には疎くて大した映画を見てこない人生でした。
そこでこれ面白いよ、と言われ見てみてもああ、これが面白い映画なのか。と思うだけで映画を得意分野とする人が勧めて自分はこれが面白いということか、と納得するのでWinWinです。
ところが得意分野同士ならどうでしょう。
自分よりもアニソンを聞いてこなかったであろう人からアニソンを勧められても刺さるでしょうか。しかも自分が知っているアニソンを勧められたらどうでしょうか。
自分が知っている好きなアニソンがどっかのランキングで上位に上がっているのをみると抱くこの気持ち、親元を離れる小鳥のようではないでしょうか。
Dアニメストアというオンデマンドサービスを利用しているのですが、そこで今日のアニメのランキングがあります。そこにあるアニメはすべて自分の好きなアニメではなく、不特定多数の一般が好きなアニメなのです。
見てみて面白いな、と思ってもそれは自分が選んだアニメではなく、人気のあるアニメなのです。
数ある中からいかにだれも見てないようなマイナーな中から自分好みなアニメを見つけられるかが自分さがしになるのではないでしょうか。
最近三月のパンタシアというグループの音楽をよく聞いています。
その中でも「街路、ライトの灯りだけ」という今日が異様に気に入りました。そんなこと言っている人は今の所周りにいません。これが良いのです。
検索すれば、同じようにこの曲が好きな人もいるかも知れませんが、それではだめなのです。自分じゃなくなってしまいます。
中学生の頃、好きな食べ物を書く欄に「みたらしだんご」と書いたことがあります。
その後、クラスに同じように「みたらしだんご」を書いた女子がいました。
その時点で僕の負けを感じました。今後「好きな食べ物はみたらしだんご」はそのクラスメイトのものです。
これを好きと公言できるラインが自分の中に知らぬうちに決められています。
ギャルと恐竜は漫画が連載されていた頃から読んでいたので好きと公言できます。アニメが始まった今も好きと堂々と言えます。
流行ってから見たソードアート・オンラインは好きと言えません。実際好きじゃないです。
LiSAはライブに言ったので好きと言えます。幻影ヲ駆ケル太陽を見ていた頃からLiSAが好きだったので好きと言えます。紅蓮華は言えません。
幻影ヲ駆ケル太陽はテレビで録画してみていたので好きです。ダエモル。
流行っているからと言って見たもので内容がよく感じたものはほぼない
最近SEKIROというPS4のゲームをしています。これはゲームオブザイヤーという名誉ある賞をとったすごいゲームだそうです。
ダクソライクというジャンルのゲームらしいのですが、全く触れたことがありませんでした。つまり専門分野外のゲーム。結果めっちゃおもしろい。
ただ、僕がこれおもしろゲームだよと布教するのは違います。僕の好きなゲームじゃないから。発売日に買ってないから。
最近、映画好きの友人からジョン・ウィックがおもしろいよと言われ見ました。面白かったです。洋画は全く専門外なのでおすすめを見ることに抵抗はありませんでした。
結果これが洋画の面白さなのか。と思ったくらいでちゃんと楽しめました。
ゲームでいうとFallGuysが流行っていますが、すでに遅いので出来ません。
PUBGは流行り始めのころやってましたが、Fortnite、荒野行動、APEXあたりはもうダメです。流行りすぎたから。
今度発売される3Dマリオコレクションは全部原作でクリア済みなので堂々と発売日に買おうと思います。
僕の生きにくそうなこだわりわかっていただけたでしょうか。
最後にもう一つ変な考え
流行りのワードを検索するとき、他にもたくさんの人が検索しているであろうからその中のひとりになるのが嫌なので検索を躊躇う。
周りと違うことをしたいことがすでに普通。
以上です。
例えば、知り合いから相談を受けるとき。悩みを聞かされるとき。この人はなぜ他人に対してここまで自己を開陳できるのだろうと疑問に思う。
話を聞かせた相手が本当に親身になってくれると思っているのか。今話している相手が他言無用の内容をべらべらと吹聴したり、ネットで放言しないと確信できているのか。それとも、最初から開陳している自己などなくすべてペルソナなのか。
私は、誰かを信用できたことなど一度もない。信用して裏切られるのが怖いのか?そんなことはない。そもそもに信用したことがないのだから他人に裏切られたと感じることもない。美容室でハサミを持った美容師が殺意を持っていれば私は死ぬだろうし、かかりつけの医者が嘘を言って薬を飲ませてもあっけなく死ぬだろう。そんな唐突な裏切りなんて馬鹿なことを考えるわけじゃない。私はただシンプルに、他人の自身の内面を知られることが嫌なのだ。
親兄弟や親戚。大切な恋人。旧来からの友人。診断する医者、カウンセラー。彼らは誰も、いや、この世界にひとりとて私の内面を知るものはいない。思ってもいないことを話し、生きていく上で必要な人間関係に必要以上に身を預けることはなく。道化を演じて、自己を偽る。誰かに己の内面を見せることなど恐ろしすぎる。誰にも私を知られていない。それが安心であり、私の心を支えている。しかし、それと同時に苦しさを感じている。
誰にも相談できない悩みがどんどん溜まっていき私の心を圧迫している。生きているだけで日々不安は募るし、解決できない悩みはいつまでも心の内をさまよっている。信頼できる誰かに心を打ち明けられたら、悩みを相談できたらどれほど楽だろうかと考える。「信頼できる誰かを作りましょう」なんて簡単に言えるが誰かを信頼する方法なんてどこにも載っていない。逆に世の人々はなぜそうも簡単に人を信頼できるのか。
みんな自身の心を誤魔化すために嘘の信頼をしているのか。最低限の暮らしのためにペルソナをかぶっているのか。本心に蓋をして生活しているのか。あるいは、何の理由も根拠もなく、自分以外の他人を本当に信頼できるのか。だとしたら、私には恐ろしい。私には困難な行いを、みんな平気で何の不自由もなく行なっているということだ。はたして私と彼らは同じ人間なのか?
私は誰かに本心を曝すことない。親には親、友人には友人、恋人には恋人、医者には医者、それぞれに対する仮面をかぶってそれらしい自分を演じている。君に対する相談事もこういうことを言えばそれらしい関係が築けることを知っての打算であり、人間関係をうまく保つためのパフォーマンスであり、適当に切り抜けるための計算なのだ。そうして、誰にも何も言えないままの苦しみを一生背負い続けていくのだろう。
わざわざこの文章を書いたのは、ネットの誰かに悩みを聞いてもらいたかったというわけではなく。誰かの共感やアドバイスを求めているわけでもない。この文章は呪詛である。
私は、今この文章を読んでいるあなたの親であり、兄弟であり、友人であり、恋人であり、仕事仲間であり、クラスメイトであり、同じ電車に乗っている一人であり、あなたの尊敬する人物であり、あなたがこの社会で日々接する誰かだ。私はあなたを信用しているように振る舞っているが、一度も信用したことなどないし、これからすることもないだろう。もし、あなたが無条件に人を信頼できる人だと言うのならば、偽りの存在を信じるのは可能だろうか?
この恐ろしい人の世をせめて呪って生きるのを許して欲しい。
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
最近色々読んでてふと思い出したから懺悔したいの聞いてアロエリーナ。
小学生低学年の時よく喧嘩でクラスメイトのキンタマ蹴り上げてたの。足首掴んで逆さ吊りにして連続蹴りとかもしてたの。だいぶ経ってから性教育の授業でキンタマが大変デリケートで大切な場所だと知って後悔したわアロエリーナ。
だって漫画でもテレビでもお約束のギャグとして描かれてたのよアロエリーナ、相手がギャーギャー言ってるのもウケ狙いだと思ってたのよアロエリーナ、当時周りのクラスメイトもみんな爆笑してたのよアロエリーナ。
ガチの苦痛を味あわせてたなんて、とっても後悔したわ。謝りたかったけど高学年になってもう疎遠になってるし、思春期始まってる男子に「昔キンタマ蹴り上げてごめん」って言うとかお互い気まずいし、とか色々理由こじつけて謝りもせずにのうのうと暮らしてきた屑人間な〜の〜。聞いてくれてありがとアロエリーナ。
その節は大変申し訳ありませんでした。
秋葉原通り魔事件。宮崎勤の事件。ああいう事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。
母親は教育関係の仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである。
しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。
1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期
私は物心つく3歳の頃から、毎日「ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷。最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュを丸めて置いておく。
「今日のノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身、子どもを支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄な時間だったと感じる。
そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲームが禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかいう比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキルを20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。
友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻にトライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。
漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画をカッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると「私刑」である。生命活動を勉強時間に全振りすることで東大に合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。
幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館のお気に入りの本は読みつくしたし、母親の検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないかが重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美、18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。
そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有のクラスのトラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子はレベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由なお金がなかったし、バスにも乗れなった)
高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。
そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。
最近の教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会に還元したりする上ではこの能力が必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切を無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生のママを見下しながら、自分が適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いか分からなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり、就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである。
母親は上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカのコミュ障が出来上がっていたかもしれない。
ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。
20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。
「アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。
小児性愛のことで思ったこと、どうしても喚き散らしたかったこと
件のラブドールの漫画と件のお方のツイートを見た時、愛でる対象ができて良かったねと思った
センシティブ設定とか最後の一文の書き方が悪かったのはなんとなくわかる
でも、そこから何故かオタク界隈からも魔女狩りを彷彿とさせる文章がいっぱい出てきてすごくモヤモヤした
いや、手を出したら犯罪になるのはわかる、でも件の方や小児性愛者は手を出してはいけないと自制している方が殆どだと思っている
でも、いつ現れるかも解らない小児性愛者に怯える前に子の周りにいる男の人に注意を向けるべきだと思う
加害者の男の子は私の小学校の時の元クラスメイトだったから凄く驚いた
高1の時、別の友人が手をだされそうになった
身近なことはたった2件のことしか知らないけれど、これだけは言える
女体であれば、どんなに幼くとも、どんなにお年を召されていても性的興奮を抑えられない人がいる
という子供に害になりそうなわかりやすい文字だけに怯えても子供を守れるとは思えない
といういつの時代にもどこの国にも何故かある老若男女人種国籍問わず人権を踏みにじる醜悪な犯罪行為を怖がって欲しいと思う
人を見る目を養いたいものです
話は変わりますが、
みたいなつぶやきを見た後に
それぞれ別人のつぶやきだったけども、自分含む人間はエゴ丸出しの面倒臭い種族だなと改めて思いました。
高校生の時
電車を降りた帰路でワンボックスに横付けされて並走しながら運転手に話しかけられたのは流石に怖かった
夜だったし、ドライブしよーぜとか言われた気がするけどとにかく早く家に帰りたくて仕方がなかった
後から何で知ったかは忘れたけど恐らく同じワンボックスに中学の先輩(女)が乗って市街地に遊びに行ったっぽかった
多分運転手も先輩に話しかけた時と同じノリで話しかけてきたんだろうけどマジで勘弁だ
ってか先輩何してくれてるんだと思った
アニメイトで買い物をしていたらやたら目の合うおっさんがいるなと思いつつ会計して外出たらそのおっさんに話しかけられた
最初は顔見てなくて無視したけど頻度が多いから道聞きにきた人だと思って横見て滅茶苦茶後悔した
空返事しながらうわーやっちまったーって思った
諦めが早くて助かった
やたら目の合う人がいたら気をつけて撒くようになった
あと徒歩移動中とかゲーセン行く時必ず片耳にイヤホンをつけるようになった
巨大家電量販店の入り口でそんなこと言われてもと困ったからごめんなさいした
あの人は何がしたかったのだろうか...未だ疑問
n年前
知らない女の人に話しかけられた
一旦持ち帰りもさせてくれなかったからバックれた
パンフに載ってた名前を検索したら集団糸吉女昏式を推奨する系のあれだった
危ない...
終わり
先月頃から高校の仲のいいグループで集まる事を予定していた。参加できるのは12人中6人。
エアビで一泊飲み会。
会うのは久しぶりでニマニマしてしまう程度には楽しみ。
映画を見ても本を読んでも、何をネタにしようかと頭の中はそれでいっぱい。
今日は予定の一週間前。
よく見た。
喉が干からび強烈な口臭、アンビリバボーで胃がん闘病を見た時並の腹痛、ミュウツー戦以来の動悸等の発作が同時に現れ内股で妖艶に床にヘタりこんだ。
いくら仲良くても久しぶりに会うのは緊張するんですよ、前回合ったときも口が臭いのなんの。
いとこでさえ会った初日はウォーミングアップ。そんな人間なんですよ。
もろちん性別が女だからどうとかではありませんよ、嫌いでもないんです、単純に仲良くないんです。
元クラスメイトだから知らない訳ではない。けど、ほんと顔見知り程度。
彼らは知っているはずだ、当方が高校時代ほぼ女子と喋っていないのを。お笑いとサッカーの話しかしていないのを。
(全然、女子が苦手とか行き過ぎた童貞とかドモっちゃうアニヲタとかじゃないんだからね、単純に高校時代お笑いとサッカーにしか興味がなくてそれが話せる相手が男子しかいなかっただけなんだからね、信じて…)
そもそも今回は気心知れた仲間だけでひたすら喋る事を期待していた。ひたすら。
9月分の躁を全てぶつけてやろうと。
だから自分にとってはその3人がいるといないとでは全く違う催しなのだ。
はっきり言って全くもって行きたくない。
いぎだぐない
その分で長谷川町子美術館行きたい。
期待して期待して期待して行って喋りたい事の半分も喋れずに消化不良で後日落ち込む、ということが分かっているならdアニメの気になるリスト消化したい。
性別が抜けていた
数年前に友達が亡くなった。幼馴染でまだ30代になったばかりだった。
友達のお母さんの希望で、お通夜やお葬式には出来るだけ同級生もたくさん来て欲しいとのことだったので、幼馴染以外の同級生となんて全く連絡を取ってなかったけれど思いつく限りの人には連絡をし、情報の拡散をお願いした。どれだけの人が来るか心配だったけど、お通夜には思った以上の人数が集まってくれて同窓会のような雰囲気になっていた。
成人式ぶりに会う仲が良かったクラスメイトと話していると悲しいだけでなく自然と自分たちの近況の話にもなった。うその話の流れで何度か「私たちも30過ぎだけど、まだまだこれからよね!」という声が聞こえた。周りはみんな、そうだと同意する空気だったと思う。私はその発言が本当に信じられなかった。お前、同級生のお通夜に来てるの忘れてるの?そうだよ、アイツは、まだまだこれからだったんだよ。
子供の時からの夢を叶えるために上京して、やっと夢が叶ったところで病気が発覚し、長く入院をして退院することなく、この世を去ってしまった。本当に「これから」の人だった。
もう数年前の話だけど、今だに定期的に思い出して、思い出したらしばらくは引きずって悲しくなってしまう。最初の頃は発言元のクラスメイトを、何てデリカシーのないやつだと怒っていたけれど、今では多分それだけじゃなくて、どうしてこんなに悲しいのかが明確に言葉にできてしまったのが余計に辛くなるんだけど思う。
いま娘は3歳の幼稚園児。
先日はチューされてて微笑ましかった。
しかしその事を私の夫に話すと、機嫌が悪い。
「俺はな、幼稚園の頃の記憶があるんだよ。エロい気持ちで女の子を触ってたんだ。本当は大人の女を触りたかったけど、手が届かないので、クラスメイトを触ってたんだ。その気持ちは今でも変わらない。おまえは知らないおっさんがエロい気持ちで娘を触ってたら許せるか?俺が20代の女を見る目と幼稚園児の男の子が娘を見る目はたいして変わらないんだぞ。しかもその子は本当は大人の女を触りたいんだけど、それが叶わないから仕方なく手近な娘を代替品として触ってるんだぞ。そんなの許せるか」
私は抵抗した
「男はな、純粋なんだよ。純粋にエロい気持ちで、女を見てるんだ」
私はもう何も言い返せなかった。
夜から引っ越しって夜逃げでもするんでない限りあり得ないんだが…
引っ越しした事ないんだろうかこいつ。
家財道具いつ運ぶんだ?暗い中作業すんのか?引っ越し作業員も何でそんな面倒な仕事やる前提なんだ?普通の会社はやらんよな。
「子供が夜に引っ越しして欲しいと言ったから」わざわざ夜にする親なんか存在しないだろ
(向こうに着いてからも片付けだの色々手続きだのあるわけで、子供の夏休みに合わせるなら
普通は夏休み中にそういうのは全部終わらせるからもっと早くに引っ越すはずだ)
あと何で増田は相手がどこに住んでたのかも、名前すら知らないのに、相手は増田の住所知ってる設定?
個人情報保護の概念もなく、学校経由でクラスメイトの住所を知る事が出来る時代なら
「子供の貧困」じゃなくて親が貧困なんだよな よって貧困な親がいなくなれば貧困家庭で苦しむ子供はいなくなる ハイ論破
今の世の中、どう考えても貧乏人が子供作りつつ楽しく生きられる状況ではない
斜陽の衰退国家で先進国らしい暮らしをしながら子育てなんて無理無理 諦めて夫婦なり独りなりで生きればよろしい 絶対その方が楽しいぜ
顔も概してキモいし、見てて本当にイヤ disgusting! 産むな・作るな・増えるな
小学校のクラスメイト、貧乏人なのに5人兄弟(あるいは5人兄弟だから貧乏人?)で、全員ネズミみたいな馬鹿面してて本当に不快だった マジの下等生物って感じで、見てると人間の矜恃が揺らぐ
貧乏人が、苦労するってことは容易に想像できるだろうに子供を作り、その上ネットで愚痴を書かないでくれませんか?
なんのために脳味噌つけてんだ?未来予想みたいな機能はないんですかね ちょっとは考えよう!キミの収入と労働形態で子供を元気よく育てられるかな??育てられないよねえ!
ガキ系の議論(騒音、ベビーカー、育休…)みんな余裕なくてイヤ
裕福な人間だけが悠々と子育てしてる世の中だったら議論もクソもないから多分もっと快適に生きられる
金持ちだけで年間1万人くらいだけ子供作ってエリート校で蠱毒やって全員死ね そういう気概で行かないか?
でももう遅くね?崖から落ちることは確定してるならせっかくだから爽快さをとるべき、ガツンとやって人口100万人減の景色を見ようよ
でも生殖したらお前も苦しいしお前のガキも将来の奴隷階層なんだぜ 革命しかない 産むな
貧乏人が・ガキを・作るな
これだけで全ては解決さ
将来苦しむ次世代が全員金持ちの鼻持ちならないガキだったらすげー痛快じゃね?
ここでバカの貧乏人が生殖欲求に負けてガキをポコポコ産むと、苦しむ次世代の中でも持つもの持たざるものが出てくるわけ
金持ちに任せよう!子供の親は全員エリート!そういう社会がいいんだよお
俺は見たいんだよそういう景色が
今で言う最高峰の私立みたいな家庭の経済力平均値が、そのまんまあまねくガキの家庭経済力の平均になるわけ
でさあ!塾行きまくってクソ勉強しまくった天上人みたいなガキでもマトモな大学行けなくなんの!なぜなら、全員エリートだから!
下から崩そうぜえ
足蹴にできる下々がいるからやつらは上位でいられるんです 我々にできることは、やつらの下にいることをやめることだ 上に行こうってんじゃないぞ Cease to exist! 消え去るのが弱者の美学よん
頼みましたよ
入りきらなかった題名
『昔好きだった男の子が見事に「アベガー」になっていて百年の恋も冷めた話』
題名の通り。昔好きだった男の子が、「アベガー」になっていた。それを知ったのは2、3年前の話だけど、今日安倍総理が辞任されるという話を聞いて色々と思い出したので書こうと思う。
政治の話がしたい人には申し訳ないが、ここからしばらくは私の恋話に付き合っていただきたい。ウヨもサヨも、野党も与党も安倍総理も、全く関係がない。
長い前置きで悪いね。でも言っておきたい。私は彼のことを責めているのではない。私は結構自分勝手な人間だったってことを自覚したと同時に、世の中の残酷さを味わったという、ただそれだけの話。
昔、というのは私が中学生の頃のこと。現在の私は社会人1年目。社会の荒波に揉まれながら毎日頑張っている。
これは、私が中学2年生だった頃から23歳を目前に控えた今日までずっと消化しきれなかった、小さな恋の話である。
中学2年生のとき、好きな人ができた。彼の名前は"リュウ"としよう。クラスメイトが時々彼は神木隆之介さんに似ていると言っていたからだ。リュウは賢く、明るく、優しく、運動も得意で、先生にも好かれている、常にカーストのてっぺんに立っているような人だった。対する私は、良く言えば大人しく、悪く言えば地味な眼鏡っ子。勉強はそこそこ、運動は苦手、国語の先生には好かれて体育の先生には嫌われるようなタイプだった。
リュウは私のような人にも優しかった。人見知りの私は初対面の人間の大半が苦手だが、不思議と彼を苦手だと思ったことはなかった。初めて隣の席になったときなんて、もう毎日が夢のようだった。教科書見せて、これどうやって解くの、今日朝練やってたね…少しずつ、少しずつ、私たちは"ただのクラスメイト"から"友達"になっていった。
友達になった私たちは、あっという間に仲良くなった。(私は人見知りだが彼のことが大好きだったから、どうしてもこのチャンスを逃したくなくて必死だったのだ。)ノートの切れ端で手紙を交換して、授業中に目が合えば小さく手を振られて、休み時間はよく2人で頭を突き合わせて数学の問題を解いていた。
私は彼のことがずっと好きだった。今でも覚えている。中学3年生のある日、彼はこう言った。
もちろん答えはイエス。隣の席になったときよりも、もっと夢みたいだった。
で、まぁよくある話だけど、幸せな時間は長くは続かないんだよね。夢みたいに幸せな私が、彼と恋人でいられたのはたったの半年だった。公立中学校の3年生には、受験というものがあるからだ。ありがちな展開で申し訳ないが、私たちは進学を機に別れてしまった。より正確に言えば、私は彼に振られたのだ。
大半の大人から見れば、中学生の恋愛なんて所詮はオママゴト。中学校より高校、高校より大学、大学より社会人になってからの恋愛の方がより真剣で、大事なものだと思っている人も多いんじゃないかな。でも、私にとってあの時の恋は本当に真剣で大切で、今でも忘れられない出来事だった。
話は変わるが、私が初めてスマートフォンを手にしたのは高校に入学したときのことだ。スマートフォンを手に入れた女子高生がすることといえば?
…そう、SNSだ。私はTwitterアカウントを手に入れた。(Instagramを始めたのはもっと後の話だ。)
始めたばかりのTwitterアカウント、それもリア垢でフォローするのは誰?
…そう、リアルの友達だ。私は友人たちを探してフォローしたし、彼女らも私をフォローした。そうやっていつの間にか広まって、私のフォロワー欄には同じ中学校や高校の人たちが並んだ。
その中にリュウがいた。恋人になる前の私とリュウは気の合う友達だったし、趣味も話もよく合った。SNSでも、滅多にリプライなんてしないしされないが、それでも私たちは時々、本当に時々、ネットの世界で顔を合わせるようになった。
まだ私は彼のことが好きだった。あの時だって、「面倒な女」「聞き分けの悪い女」になりたくなくて、別れ話にも納得したフリをしただけだった。必死で忘れようとして、本当に忘れた時もあったけど、やっぱり好きだった。多分ずっと好きなんだと思う。
ストーカーだと思われたくないから、今までの話は誰にも言ったことがないし、行動を起こしたこともない。私は彼にLINEの一件すら送ったことがない。
私の激情もだいぶ落ち着いて、大学生になったある日。リュウのTwitterをたまたま見てしまった。いや、わざわざ彼のアカウントを見に行ってしまったのだ。友達に彼氏ができたって聞いて、私はやっぱり彼のことを思い出してしまったから。
高校生の頃は確かにあったはずの、彼の好きなスポーツや音楽、部活にゲームに本や漫画の話題は全て消えていた。真っ白なタイムライン。タップしてリプライ欄。メディア欄。空っぽ。
どうしたのだろうかと考えながら、またタップ。いいね欄。私はここで2度目の失恋をした。
「安倍晋三は総理大臣としての責任を果たしてさっさと辞職するべき。」「アベはこの問題について一体どう考えているのか。逃げていないで説明しろ!」「アベは国民をバカにしている!」「アベが」「アベが」…。
どうしたというのだろう。何故彼のいいね欄は政治の話…それも所謂「アベガー」ばかり。
リュウは優しい人だった。自分も努力家で、同じく頑張る人を見捨てられない、優しい人だった。
間違っても、誰かを口汚く罵倒するような人ではなかった。
なのに、どうして?
私の恋心ゆえに、記憶の中のリュウがかなり美化されていることは分かっている。(クラスメイトよ、リュウが神木隆之介似というのは流石に言い過ぎだと思う。)
でも、優しくて賢くて、誰かに手を差し伸べることはあっても、誰かを攻撃するような人ではなかったことは紛れもない事実だ。
何がどうしてこうなったんだろう。リュウが私の理想通りにならなかったことに怒ってるんじゃない。絶対に言い返さない、言い返せない人に向かって、安全圏からこそこそ口汚い言葉を使うような人に共感しているなんて、ショックだった。
直して欲しいとは思わない。誰が何を考えていようと自由だからだ。彼は自分が共感した意見にいいねを押して、私は勝手にショックを受けた。ただそれだけの話。
私は懲りずに彼のアカウントを見に行った。凍結されていた。
恋って一体何なんだろう。
好きな子のリコーダーをこっそり舐める、というような暴走した思春期男子のエピソードは妄想やら漫画やらでまれに見かける。
自分は全くそんなつもりは無かったのだが、危うくハメられかけたことがある。
中学生の頃だった。
背が低く、運動も得意じゃなかった自分はいじられキャラというか軽いいじめを受けていた。
(執拗に狙われるわけじゃなく暇つぶしに罵倒される、因縁を付けられる、殴られる程度だったので軽いと書いたが、未だに思い出す度に腹が立つ)
何かいつもと違うがそれがなんなのかわからない…と授業の半ばまで気づかなかったのだが、ふとリコーダーの頭の裏側を見たときに違和感の正体が判明した。
(どこの学校でもやってるかはわからないが、当時学校のリコーダーには3等分したうち、
内心ものすごく慌てたが、コトがコトだけに騒げない。
すげ替えられた先の女子は、これまた微妙な間柄のクラスメイトだった。
クラスで上位の可愛い子でもなければ、クラス下位のいじめられっ子でもない。
自分にとってはほぼ会話したことがないんじゃないか?というような接点の無い普通の子だった。
一人でパニックになりつつ、このままどうすれば波風立たずに終わらせるか?を授業が終わるまで必死に考えていた。
・リコーダーを包む革袋の名札には自分の名前が書いてあったので、
革袋にしまっていた本体の頭パーツか本体ごとかを意図的にすげ替えられている
・その女の子が替えるなんてあり得ない(そもそもの繋がりが薄すぎる)
・騒ぎが起きれば、自分も被害者なのに確実に変態の烙印を押される
結局、「自分でこっそり入れ替え直して無かったことにする」しかなかった。
いつのタイミングだったか忘れたが、教室から人がほぼ掃けたタイミング(移動教室とかで放課後ではなかったはず)にこっそりと戻しておいた。
誰かに見られなくて本当によかったと思う。
結局あの後再発することは無かったが、犯人としては
・双方気づかなかったら、気づいたふりをして騒ぎを起こして俺を変態扱いする
のどちらかを企ててたのだろうか。
結局、卒業までそのリコーダー関連で何かが起きることはなかった。
犯人もわからずじまいだった。やりそうなクズの候補は複数人浮かんでいる。
中学卒業後から数年経った後、地元を離れたのだが成人式には参加した。
友達は地元に残っていたので会いたかったし、自分は頑張ってそれなりの大学に入ったので
当時のクズ達は「どうせ地元でチンピラでもやってるんだろう」と考えていて
今はもうこちらが上なんだ、という独りよがりな思い上がりもあり、とにかく自分の中で決着を付けたかった。
遠目で見ただけで、会話もいちゃもんもつけられることはなかったが、
TVに出るようなDQN新成人の格好で、成人式の立て看板を破壊しているところを目撃した。
下手に更生されてたら余計に腹が立っていたところだ。
みっともない罪状の現行犯で、新聞の片隅に名前が載ったやつもいた。
改めて、自分がいた地域は吹き溜まりだったんだなと思い知った。
もう、地元に帰って暮らすことはないと思う。
これで今では自分も結婚して幸せです、とまでいけばよかったのだが
なんであの子だったのか、それだけ、今でもそれらしい理由がわからないままだ。