はてなキーワード: 軟禁とは
自分の快楽のためにほかの命を弄んでおきながら、お互いが愛情で結ばれていると盲信しているんでしょ><
無理><
首輪をつけて鎖でつないで餌を対価として自分への隷属を迫ってることに罪の意識の1つもないんでしょ><
無理無理><
幼少期からの洗脳によって相手の自由意志を完全に塗り替えてる癖にお互いが信頼で結ばれてると信じてるんでしょ><
無理無理無理><
じゃあ貴方が同じことをされたらどう思うの?
子供の頃に誘拐されて、軟禁状態の中で少しずつ頭におかしな思想を刷り込まれて、そんな中でお互いが愛し合ってると相手が思い込んでたらどう思うの?
ペットを飼うってそういうことだよ?
寿司を食べている。
回らない寿司だ。
正確には元々回る寿司だけど、ウーバーイーツで頼んだものなので回ってはいない。
夫は、それを知らない。
私が夫に隠れて寿司を食べている事を知らない。
結婚して早2年。
元々の交際期間が長かったのもあるが2020年には新婚ムードも無くなり、3週間や1ヶ月以上の国内出張を任される立場となった夫。
酒も好きだし煙草も吸うけれどギャンブルと女には興味がない夫。Switch版のシュタゲを買ってもいいか、一緒にやらないかとラインをしてくる夫。
私のTwitterも知っており、メンブレした際は適度な距離感と客観的事実で静かに宥めてくれる。怒らず、感情的にもならず、事実を語る。歳を重ねてもニーハイを履いてほしいとしっかり意志を示してくれる。
優しく頼もしく、酒と煙草があったとしても引く手あまたであろう男 is 夫。
コロナの影響と物理的距離によりクリスマスも正月も無くなったし年度末には地方への転勤も決まっている。
途方に暮れた私に夫はこう言った。
「食費は先月と同じ額で渡すよ。余裕があるだろうから好きなものでも食べてね」
これがまずかった。
コロナで様々な事に自粛を求められている中、娯楽といえばアニメ・漫画・ゲーム・食事・資格・猫くらいしかない。
皆がやっているからという軽い気持ちでウーバーイーツに登録した。
はじめは地元の個人経営の飲食店からお取り寄せして、写真を撮っては夫とシェアしていた。コロナ落ち着いたら引越し前にお店にも行ってみたいね、などといいながら。
だけど気付いてしまった。
私は、家にいるだけで寿司が食える。
1000〜2000円くらいで寿司が食える。
夫は職場で半軟禁のような生活らしいのに、私は寿司を食ってしまっている。
それどころか「もう隠れて食べない!」と誓った翌日には出前館などのクーポンを眺めてしまっている。これ以上はまずいと我ながら思う。それなのに今日も寿司を食べてしまう。
恐らく、Twitterなどで私の生活情報を得ている夫にはこう見えているはずだ。
「人口100人未満の地方の限界集落で育った為、出前を遊園地のアトラクションみたいに思っている妻」
概ね間違っていないと思う。
しかし我々地方出身者の認識としては「宅配サービスがあるのは県庁所在地」。いいね?
私は自分にも夫にもそう言い聞かせ、今日も隠れて寿司を食っている。ここは関東ベッドタウン。
プラは金曜回収の為、証拠隠滅の手はずは整っている。体重も問題ない。寧ろ痩せた。
※シュタゲ:「別々にプレイしてお互いの感想で語り明かしたいから君もネタバレは避けてね」と言われた
※寿司:回る寿司でも回らない寿司でも認識はなんだか高価な食べ物なので、夫が頑張って働いているときにこっそりひとりで食べてることを思うとなにやら情緒不安定になる
※寿司:スーパーの握り寿司680円を半額で買うだけで緊張する。一度近所の回らない寿司屋に連れていかれて「一見さんだからここは特上でいこうよ!」と言われ情緒不安定になったことがある。1本99円の巻き寿司バイキングが心の友達。
※創作乙ブコメ:国道101号付近から地元の漁船を紹介するのでそっちで釣るといい。これより遥かに鮮度良いよ
※寿司:イカ・あんこう・鮭・イクラ・白子・ホッケ・カワハギ・キス・カレイ・キンメ・カサゴあたりは釣るor貰うという認識というか印象が未だに根強く残っているので、改めて正規の価格を知ると身震いを起こすのかなと、今思いました。
※バイト:あまりにも寿司が好きすぎて回らない持ち帰り専門チェーン店でのバイト経験もありますがそれでも寿司は憧れの食べ物
※猫:もはや寿司には全く動じず見下してくる。
※海鮮丼:材料は同じでも微妙に別のカテゴリーという認識。もちろん好き。今回は色々なものを少しずつ食べたくなって12種×2人前の暴挙に出てしまった
※回る寿司:流れるのを延々と見ているのが好き。だいたい12皿くらい食べる(1個だけのお皿も少し含む)
※食費:夫の分の食事を準備する必要がないと夕食に炭水化物中心の限界飯を毎日食べ続ける傾向があるので、適宜テイクアウトを利用して可能な範囲でバランスよく食べるようにとかなり念押しされていた。ex.無限雑煮
※寿司:絶対に今夜は寿司を食べるという意志で仕事も家事も頑張れた。ありがとう、寿司。ありがとう、ウーバーイーツ。
※ウーバー寿司:約1ヶ月で3回ほどお世話になったが、割引率と食費予算内を重視したので全て別店舗。また1食で2人前は今回が初めて。スーパー寿司の日も含めるともっと食べてる。
※寿司:ブコメもTBも皆お寿司好きでなんだか嬉しかった。お味噌汁も好きだけど店舗で飲みたいので自粛で無念。
※夫:好みのタイプが二次元なので「女性に興味がない」は語弊があったかもしれない。その点はごめんなさい。
※コロナ:怖いから外食・会食避けてるけど、やっぱり気を許してる人と食べるごはんが一番美味しいんだなあ、今住んでる土地はごはんが美味しいお店多くて好きだなあって前々からずっと思ってるので、難しいけど早く落ち着いてほしいな(政治経済は門外漢だから、思う事がないわけではないけど割愛します)
※寿司:今は蟹がただの繊維状の何かになるという話が本気で一番怖い。
小計 ¥2,100
サービス料 ¥210
プロモーション -¥200
合計 ¥2,310
大した能力もないが、なんだかんだ人生のほとんどを計算機とか理系寄りに浪費してしまった感がある
いや、俺に充実した人生なんてありえたのだろうか
大学の頃はガリでオタ、社会人になって今はデブでオタ、異性には縁がないでござる
学生の頃は数少ない合コンで女性陣に作りたいアプリやゲームネタで一人で盛り上がる痛い人だったでござるが、
それを自覚し反省した今、もっと痛い人になってしまったでござるよ!
(そんな自分に好意持ってくれたらしい女性が一人いたのは不思議だったが、あの頃はまだ将来性が未知数だったからなあ
どうすれば良かったんだろう
東南アジアにでも行けば良かったんだろうか
ロアナプラはないが、最近までのカンボジアは雰囲気が似てたのではないだろうか
ただ、今ググってみたら、カンボジアに移ってきた中国人犯罪者はかなり摘発されてるみたい
ロアナプラといってもレヴィみたいな女キャラのいない、背中にタトゥーの野郎しかいないようなロアナプラなわけだが
中国人IT技術者はタコ部屋に軟禁されてオンラインカジノの開発や運用をやらされるらしいのだけど
無理か
俺には無理なのか
でも、日本で銃弾を日本刀で切断するようなイケメン?にもなれないしなあ
残りの人生を持て余している感もあるが、
ぐったりしたいのは山々だが、痛いのはいやだしなあ
どうするかなあ
何もしたくない気もするが、水木しげる先生の「餓死です」って声がどこからか聴こえてきそうなんだよなあ
困ったなあ
私の昔話を思い出して書いてるだけです。
思い出したこと書き出してるので
よく分からない文です。どうぞ。
両親は母と血の繋がりがあり、父とはありません
今の父とは血が繋がっておりません
そんなややこしい家系でも
仲良く暮らしてたと思っていました
私が両親と縁を切るまでの話です。
私は私が生まれて3ヶ月の時に
当たり前ですが当時の記憶はありません
聞かされていたのは
「実父はお前と私を捨てて女と出ていった」
だけでした。
見た目通りその人はヤクザ屋さんでした
娘の私でさえ母に触れることができなかったと
聞いています
母と私は個別に部屋を分けられ
日々が1年ほど続きました
ありませんでした。
月に何回かは会っていました
その間に紹介された母の彼氏その②は
いい人そうでしたメガネかけて真面目そうな
クレイジー野郎は韓国人との間に子供をもつのが夢だったみたいで
お付き合いしたそうです。
久しぶりに会ったら母親は身ごもっていました。
結婚をしていました(知らなかった)
母は私に「ママと一緒に暮らすか、このままおばあちゃんと一緒に暮らすかお前が選べ」
と言いました
その事を祖母に伝えました
祖母は「お前はばあを捨てるんか!!
あんたをここまで育ててきったたのはだれやねん!」
泣きながら私に怒鳴ってきたんです。
当時1年生ですよわたし??
そんなこと言われたら
私が間違ってるんだと思って悩みますよね
結局少し悩んで母と住むことにしたんですけどね。
すごい顔してました。
育ててくれたものの甘えに甘やかされ
お箸の持ち方はおろか、
教えられて来なかったんです。
躾されました
わかった上でこの先ご覧下さい
まだミルクを飲んでいる弟と私、父で
母のいない間留守番をしていました
父は母の送迎をしていたのですが
母を職場に送り届けると父は
死んだように眠って迎えの時間まで起きることは
ありませんでした
母を迎えに行くのは深夜1時
まだ夜泣きをする弟の面倒をみてました。
後に産まれてくる妹2人がいるのですがそれまで
この生活を続けました
全員で5人兄弟です
水商売をやめました
父は子供を見ることはありませんでした
私は中学生になりました
きしょメンヘラになりました
母が昔していたバスケ部を選んだのが間違いで
母はキャプテンをしていたのですが
貶され、罵られ、靴やボールも
1番安いもので揃えられました
それは全然いいんです、実際下手だったし
弟が野球を始めました
全部高級な物たちが揃ってました
言う事聞かなかったりわがままを言うと私だけ
地元の山に置き去りにされたり、
昔は私が言うこと聞かないからだと思ってました
でも今思えば同じことして怒られてるのに
門限があったんですよ、うち
門限は18時で遊びたい盛りの高校生
守るわけないじゃないですか、、
門限を破ったその日から数日
晩御飯が出てこなくなりました
仕方ない、門限守らなかった私が悪い
みんなが寝た頃にコソコソ晩御飯を食べてました
そんなことをしていたからか
ゴキブリ呼びがムカついたので
飯食わなくなったんですよもう3日ぐらい
そしたら母親はその事を仲良い隣人に伝えてたみたいで
あの時人の優しさに触れた感じ、
ほんとにありがたかった
この一件から何をしても母と言い合いになって
父とも上手くいかなくなって
一人暮らしを始めたんです。
生活はほんとにほんとにほんとに
クソ女、アホって呼ばれることもないし
家の物食べる度にお金払わなくていい
父の機嫌を伺って過ごさなくていいし
殴られなくていいし
父が兄弟を殴ってる姿も見なくていい
暴れてる姿を見なくていい
服を無くされることも
お金貸さないと誰がお前を育てたと思ってるねんって言われなくていい
18年間辛かったなぁ
無いと思うけどもしこれを両親が見てくれたら
こう伝えます。
もう二度と会いませんように
極々一部の「エンジニア」像に憧れ、手習いの独習や、情報系の大学を出てても所詮はアルバイトやインターンレベルでみんなほぼ未経験でこの業界に入ってきて、何の疑問も持たずにイカれた労働環境で社内に軟禁に等しいレベルの自社開発や、客先常駐に送られる奴らがいる悲しさ
そしてネットのごくごく一部の、エンジニアの内100人もいないような有名プログラマーだけを見て、技術力をつければ上に行けると勘違いして、激務と狂気に等しい仕事に耐えて残ったプライベートの時間さえも勉強に費してしまう悲しさ、しかもその勉強は方向性がわからないので8割無駄になる可能性さえある不安さ
業務外時間の勉強という労働者個人の良心に寄生してる業界だからまず日本で崩壊すると思うけど
逆にアメリカや中国でもすぐに崩壊するんじゃないかとさえ思えてくる
コンピュータを窓から投げ捨てろとなる時代もそのうちくるだろうし、現に日本では一部そうなってる、今の若者はパソコンさえ持たない
ここ十数年の狂ったIT業界の地獄を目の当たりにしたとなれば、そら親や子供たちは医者か公務員を目指すわけだわな
そもそも増田はエンジニア個人の努力をドラゴンボールやジャンプ漫画並みに称揚するけど、ほかに指摘する現実的にIT業界の在り方を認識してる増田もいるけど、彼らが言うように所詮は個人の独習でできる努力で身につく技術力が年収に与える要素なんて、大甘に見積もっても上下100万程度だろう
現在40代とか50代のオッサンが若いころなら、秋葉原ででじ子の看板あった時代くらいであれば、独習以外に方法がないし、その独習が先行者利益で金になったけど、今や軍事技術とかで中国やイスラエルなんて国と軍隊が総出を挙げて開発してる、増田のカスみたいな人生1万回分の開発投資資金と、理解するだけで10年はかかるようなハード・ソフトが入り混じった複雑な技術をね、そんな時代だと知ってるから努力をゲッターロボ並に信じるんだというくせに、努力のダンピングなんて単語が飛び出すんだろうね
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
嫌なんですよ。嫌なものは嫌なんですよ。
別にマスク自体は嫌じゃないですよ。去年までは花粉で鼻がムズムズしてるときとか普通につけてましたよ。マスクつけてかぶれるとかも特にありませんよ。
春先、ちょっとメンタルが弱ってたんですよ。でもそんなの、適度に遊びに行って人と交流して図書館に入り浸ってイベントに通ってとかやってれば自然と治まるくらいのメンタルの落ち込み具合だったわけですよ。
なのにそれを全部奪われた。
狭い部屋に閉じ込められた。ギスギスした環境で暮らすことを強いられた。テレワークの普及でただでさえ遅かった通信回線が激重になって、ネットすらできずそんな場所に軟禁された。死んだメンタルのままで何ヶ月も過ごすことになった。ぶっちゃけ軽く病んでましたよあのとき。
だから、もう、これ以上何かを奪われたり何かを強制されたりするのは嫌なんですよ。
私をあんなふうに閉じ込めた連中の言うことなんて絶対聞きたくないんですよ。
マスクをつけろという圧力がはびこっているのなら私はマスクを外しますよ。マスクが嫌だからじゃない、マスクが強制されているから外すんです。
これが仮に帽子をかぶれという圧力だったら私は髪をむき出しにして往来を歩きますよ。眼鏡をかけろという圧力なら裸眼で街に出ますよ。視力クッソ悪いけど。
私は去年通りの生活を続けますよ。鼻がムズムズしているわけでも咳やくしゃみがすごい出てるとかでもないのなら別にマスクはつけないっていう生活を続けますよ。
それが抵抗ですよ。私のメンタルをボロボロにした連中へのせめてもの抵抗ですよ。私を軟禁したやつらへのささやかな叛逆ですよ。
もちろんわかってますよ、あのひとたちも善意でやってたんだってことは。あのひとたちはあのひとたちなりに必死だったんだろうなってことは。
でもそんなのボロボロになったメンタルとズタズタになった人間関係とポシャった仕事の前では何になるっていうんですか。
許せない。私をあんなふうに閉じ込めたやつらのことは許せない。いや許してもいいけど、あいつらの言いなりになって行動に制限を受けるのだけは我慢ならない。
だからマスクは基本的につけてませんし、接触確認アプリも入れてません。嫌なものは嫌なので。
自分がコロナにかかったらこれまでの判断を後悔する日がひょっとしたら来るのかもしれないけれど、少なくとも今の私は、圧力に屈さずノーマスクを貫くことで自分を支えてる今の私は、熱もなければ咳もしてないのにマスクをつけようという気にはなれない。
数年後くらいにはマスクと和解できる気分になっているのかもしれないけど、残念ながら今の私のメンタルはまだマスクを許せていないので。
っていうか、繰り返しになるけど、許せないのはマスクじゃなくて、マスクが象徴している監禁の記憶なんですよね。あの閉じ込められた悪夢の日々の記憶が薄れない限りユニバーサルマスキングには協力できないなぁ。
こういうふうに言われることがめちゃくちゃ多くてだんだん反・反・反ワクチンくらいの立ち位置になってきましたね(基本的なワクチンは打ってるはずだし、仮に子供ができたらワクチンを打ってもらうけど、今の過剰な反ワクチン叩きはおかしいという立場)。
そもそも自分の身体に何を入れるか決める権利があるのは自分だけなのに何でワクチンは強制してもいいと思えるんですか? いや、効果の有無とかそういう話は聞き飽きました。なんびとも身体に針を刺して不愉快な物質を注入されなければならない義務はないし、むしろそれから逃れる権利を有する、っていうごくごく当たり前の自由と人権の話をしましょう。
後段、問題はそこなんですよね……義務教育の時代から「みんなで一丸になって頑張ろう!」みたいなのが嫌いで体育祭とかではなるべく手を抜いてた人間なので、おんなじ圧力かけられたらおんなじ反応しちゃいますわ……なるべく手を抜くしむしろ抜け道をどんどん探してやるぜ的な……
強制されるのは嫌と言うのは分からないではないが、わざわざ逆を行こうとする必要はないのでは。マスクをつけるのが嫌なのはよく分かる。
別にわざわざ特別な行為をしているわけではないですし……去年と同程度のマスク消費量で暮らしてるだけです。つまりごくごく普通の、当たり前の日常生活を送っているだけ。わざわざ能動的な行為なんてしてないっすよ。
マスク着用のところを非着用で入ろうとして揉めるとか
個人営業のお店とかはね……仕方ないというか、元々「客を理不尽に選別する自由」を持ってる人たちっすよね。極端な話、阪神ファンの店主が巨人ファンの入店お断りってやるのも自由でしょ。だからマスク強要が理不尽だなと思ってもそこは尊重すべき点かなと思います。お店の自由なので。
でも、そういう理不尽な選別が許されない公共交通機関とかでの理不尽な強要にはNOと言っていきたいっすね。
まあ都心部でマスク無しで地下鉄乗りまくってるけど咎められたことなんて一度もないですけどね。地下鉄以外でも知らん人から物言いつけられたことはない。映画館でマスク外して知人と会話したときも別になんも起きなかったっすよ。仮にそういうのに遭遇したら都知事選では平塚に入れてやろうと思ってたけど特に何もなかったんで宇都宮に入れました、はい。
飛行機で降ろされた人?
元々海外にはよく行くのとメーデー民なので飛行機で基本的な自由が制限されることは諦めてますね。空港と機内ではおとなしくマスクつけます。
でも飛行機でマスク拒否して降ろされたマンのニュースには同じマスク拒否マンとして同情と連帯の気持ちが湧いてきて市中では積極的にマスクを拒否していこうなというお気持ちが高まるというか……
所属する共同体への貢献とか、チームプレイみたいな行為のことを、この手の人たちは「同町圧力が」「強制が」「全体主義の足音が」とか言う。
そもそも論として私は去年までと同じ暮らしを送ってるだけですが。
去年まではなにも後ろ指を指されることのなかった当たり前の社会生活をしてるだけで社会不適合者扱いされる風潮、端的に言って狂ってるので積極的に抗っていきたいっすね。
映画館でマスクせずに会話するのなんて去年までは当たり前だったでしょ。その程度のことでガイジ呼ばわりしてくる人の方がどうかしてますよ。まあこっちに関わってこないのならどう思ってようがその人の自由ですけど。私も別に積極的にあんたらに話しかけたりはしないので。
んじゃあ「生きろ」って強制されたら死ぬんですかね、的な極端なことを言いたくなる程度には「ああただの我儘か」で斬って捨てたい案件/自分が感染するのは勝手だけど「他人に感染させる」リスクは考えてくれ。
じゃあ私がメンタル病みそうになったのもただのワガママってことですか。あまりにもクソ野郎の言い分すぎて「マスク拒否に正当性を与えてくれてありがとう」としか言えないっすね。
っていうか、私が風邪をひいたときもインフルエンザにかかったときも水ぼうそうになったときもおたふく風邪をもらってきたときも水虫を発症したときもなんかのウイルスで死ぬ寸前の状態になって病院に担ぎ込まれたときも、誰も私に感染させた人を責めなかったし、病気にかかってそれを他人にうつしてしまった人もあくまで被害者であってなんら責められるべきではないというのが良識的な態度だったはずなのに、なんで私が自分のメンタルを守るために普通の暮らしを送ろうとしたら「他人に感染させるのか!」って責められなきゃいけないんですか? 理不尽 of 理不尽。こういう犠牲者非難には絶対に屈しない。人権を守るために徹底的に闘いぬいてやる。
大口叩いてる割には本気の怒られが発生する場所(飛行機、個人店)ではマスクするとか日和ってるな。大丈夫そうな所でだけマスクしないマンやって勝った気になってるとかダサすぎるわ。
いや、個人店ではしてませんけど。よく行く個人店でマスクしてなくて怒られが発生したことはないし今後もなさそうなんで安心してノーマスクで通ってますね。あくまで民間のお店には巨人ファンを断ったりピアスしてるやつを退店させる自由はあるよね、という原理原則を確認してるだけです。
たっくさん書いた後に「空港と機内ではおとなしくマスクつけます」って書いててズコッとなった。わがまま通せそうなところでは通そうとし、絶対無理なところでは長いものに巻かれとるやん。
上で書いたけど、コロナ前には旅行やら何やらで年に何度か飛行機乗る生活してたんですよね。で、もともと飛行機っていうのはコロナ以前から
という2つの条件があるから、別に1つや2つ制約が増えたところで気にならないわけですよ。っていうか諦めモード。年に数回の非日常経験のために自分の自由やプライバシーが制約されるのはある程度仕方ない、嫌なら船なり列車なりそんな偏執的に身体検査とかされない乗り物に乗ればいいんだし、という話で。
それに対して1年で300日以上過ごし日常的に使う街や施設でこれまで享受できていた自由が享受できなくなるのは受け入れられない、という話です。そんなにわかりづらい?
長期間マスクすると呼吸に支障あるので、それが必要な所にはもう行かなくなった自分には、メンタルが耐えられないと言いつつ何時間もマスクして飛行機に乗れるというのは嘘八百にしか見えない
たまにしか乗らない飛行機の中や空港で当たり前の自由が制限された非人道的な扱いを受けるのは慣れてるしそんなもんかと耐えられるけど日常的に使う地下鉄や商業施設でそんな扱いを受けるのは慣れてないし耐えられないし慣れるつもりも耐えるつもりもないという話なので……
監禁とかよくわかんないんだけど、強制が気に入らないというのなら卒業式の起立斉唱やら戦争中の飼い犬供出にも抵抗するんだろうか。だったら応援します。
卒業式の国歌斉唱を強制するのは明確に反対で、戦時中に非国民呼ばわりされてでも全体主義に反対した人たちのことは尊敬してますね。まさかたかだかマスクをつけずに電車に乗る程度のことで先人の衣鉢を継げることになるとは思いもしませんでしたが……
献血には定期的に行ってますけど、もしも仮に赤十字が「来てくれた人ありがとう! 献血できる人は献血してくれると嬉しいな!」じゃなくて「来て当然。来ないやつは社会不適合者」みたいな態度を取り始めたとしたら献血行くのやめますわ。当たり前でしょ?
こういうのはレアな難病でマスクがつけられない人みたいなものだと思えばいいのでは。徒党組んでマスク反対集会をするわけでもなさそうだし。
クラスターデモに参加しなかった最大の理由は「デモとかするときは顔バレとか嫌だからなるべくマスクを着けたい」というコロナ以前からの考えと完璧に衝突するデモだからですね。どんなに良い目的であっても素顔をさらしてデモ行進とかするのは抵抗がある。でもまさかマスク反対デモにマスク着けていくわけにはいかないので……
という名の自宅軟禁生活、家から一歩も出ない日も珍しくない悶々とした日々で、辛い食品、カフェイン、アルコール、刺激的なコンテンツの摂取量が激増してる。
そんなのメアド登録して課金なんて絶対しないよと思ってたらようなコンテンツ課金も気がついたら平気でやってる。
心身ともに壊れてるよなあ。もう。
盛れてるとかいう話じゃなくて、別の人。まじで別人の写真使ってたから狸に化かされたのかと思って焦った。でも写真詐欺は女の方がおおいかもね。ちなみに西島秀俊っぽい人かと思ったら愛川欽也がきた。つら。
会う前から結婚強要された。無理だと言ったらバカほど罵倒されたので通報しといた。
③自宅呼び込みマン
待ち合わせで指定された場所(地図の座標)がマンションだった。迎えに来て欲しいのかと思ってフロア行ったら連れ込まれて強姦された。みんな気をつけてね。
2回目のアポで告白されて付き合った。年齢より老けてるなと思ったら、8歳サバ読んでる上に、住んでる場所も嘘。挙句の果てに名前も偽名だった。
指摘したら「調べた君が悪い」と言われた。え?
めっちゃお金持ちだというひととご飯。なぜかファミレスだった上に自分は株主だからと言って会計スルーしようとして止められてた。あと元カノだという女子高生の写真と動画1時間みっちり見せられた。お前さては未成年淫行マンだな?軟禁されてホテルに誘われたので断って逃走した。
初アポの日、とある駅で待ち合わせ。車で向かってるとの連絡を受けてはいたが、まさかそれに乗れと言われるとは思わなかった。初対面で車には乗れないと断ったら「疑われて不快」と会いもせず帰っていった。
⑦愛を弄ばれたマン
若い男子。一目惚れしたらしく割と早めに告白されて付き合った。初デートでにこにこしてたら「そうやって俺の愛に気が付かないフリして弄んでる!!」と振られた。え?
写真と本人が全然違うタイプでハッキリ言ってかなりブスだった。しかもデブで低身長。(虚偽報告)
本人も自覚してるっぽくて、段々話が彼のコンプレックスの暴露になっていった。学生時代俺を見下した女達が、いま社名につられて寄ってくる。それをちぎっては投げるのが快感らしい。久しぶりに他人を本気で哀れんだ。駅までの帰り道、2件目の誘いを断ったら人通りの多い横断歩道で「Ahー!!俺もイケメンに生まれたかったーー!!」と青年の主張ぶちかましてくれた。来世に期待しよう。
イケメン高身長で経営者。性格も爽やか気遣いバッチリの素敵な男性。お付き合い開始して彼のマンションへ。「おれ、すこし人より小さいかも…」
というので定型文で返す。が、マジで小さい。親指ぐらい。急遽生理ということにしたらサイドボードからぺぺローションを取り出してきて「これでしごいて」と言ってきた。親指をぬるぬるでしごいて帰った。帰り道サヨナラメッセージを送ってそっとブロックした。
初アポでホテル行こうと言われ、まぁ反社ぽくないし体の相性よければいいかなと思ったけど、騙し討ちみたいな連れて行き方とか、うざいプレイに段々萎えてもう会わないって行ったら泣かれた。帰り道も泣かれた。泣くぐらいなら誘うな。
とかまぁ、婚活大変だったよ。
ちょうど”iPhoneのCOCOAアプリ不具合がありつつも「COVID-19にさらされた可能性があります」通知によってPCR検査を受けられた話”を読んだので、備忘録的に私の経験を話します。
まず結論を書きますが、3回濃厚接触通知が来ました。1回目に8月2週目に濃厚接触があったと通知が来て2回目は遡り8月1週目に濃厚接触があったようです。3回目は1,2回目のPCRを受け2週間の自宅待機が終わった後、初めて軽く出かけたのですがその際に接触していたようです。仕事に関しては在宅勤務でしたので特に問題はありませんでした。
・COCOAアプリで8月中旬に接触通知が来る(別日に2件)→PCR検査を受け陰性
という結果でした。
『接触経路』
最初の接触通知を受けたときは、暇すぎて毎週喫茶店に入り浸っているときだったのでまぁそこで接触したんだろうなという感じで、まさか別日に2回も接触しているなんてという感想でした。
2件目の接触日は髪を切りに行ったのと軽くお昼にココイチに行っただけだったので、まさかまた接触しているとは思いませんでした。
世田谷区に住んでいるのですが、他のブログを読む限り世田谷区は他の地域に比べてPCR検査体制がしっかりしている印象を受けました。
・世田谷区の帰国者・接触者相談センターに電話したところすぐに電話に出てくれました。(計3回掛けていますがすべて2コールぐらいで電話に出てくれました。恐らくかなりの人員をかけているのかなというイメージです。)
ちなみにアプリから厚生労働省?に直接連絡できるようになっているが、こちらは全然繋がりませんでした。
・濃厚接触者でPCR検査を受けたい伝えたところ、連絡先、氏名、住所を聞かれ折返し電話しますと連絡を受ける。(PCR検査は公費で受けられます。)
・20~30分ほどで折り返しの電話が来て、PCR検査を受ける時間と場所を伝えてもらいます。私の場合は徒歩で受けられる距離でしたが、自家用車やタクシー(窓を開けるように言われます)、徒歩等で公共交通機関は使わないように言われました。
・PCR検査の予約ですが、私の場合は1件目は電話をした当日、2件目は電話をした翌日に検査を受けられました。
・PCR検査は鼻に綿棒をいれて一瞬で終わりました。(検査場にいって終わるまで5分も掛かりませんでした。)
・PCR検査の結果は2−4日ほどで出ると話を受けました。実際2日ほどで回答の連絡を受けます。
なぜアプリを消したかについてですが、1回目の接触の際はアプリのおかげでPCR検査を受けられたので良かったという気持ちでした。しかし、2週間の自宅待機を2回つまり1ヶ月近く自宅待機してメンタルが本当にきつくなりました。コロナに感染しているかもという不安と外出できないストレスが非常に大きかったです。どちらも陰性で良かったですが、正直1ヶ月症状がない状態で軟禁状態になるくらいないら、接触していることを知らないほうがましだと思いました。あとは外出する際は感染対策を行い、感染対策を実施している場所へ行き感染したら、それはそれでしょうがないかなと思うようになりました。
物語の冒頭部は、はっきり言って退屈だった。放射線の汚染地域で謎の少女を老人たちが見つけるってのはキャッチ―だったけど、そこから続く第一部がつらかった。
文庫本の帯にもあったけど、愚劣な精神を持つ登場人物たちが入れ代わり立ち代わり共感しづらい行動を取り続けるので、結構ストレスフルな読書体験だった。
けど、強烈な悪の象徴たる川島が登場してからはグッド。一気にめり込めたし読み進めることもできた。
また、彼ら彼女らの人間性について、どうして過ちをおかしてしまうのかについての描写もそれなりにあってしっくりきた。貧困や分断って深刻よねって思う。
しかしながら、得体の知れない巨悪だった川島が、理屈の分かる復習者に成り下がってしまったのは残念だった。
よくゲームなんかでラスボスにかわいそうな過去があると萎えるって感想を見るけど、あの気持ちがちょっとだけ分かった気分。川島にはもっと不気味なまま活躍してほしかった。
そんなこんなで上巻の後半戦、物語的には第二部が始まるあたりになるんだけど、なんかこのあたりからこの小説が何を表現しようとしているのかよくわかんなくなってきた。
東日本大震災が起きて、現実よりももっとひどい、甚大な被害が生じるわけだけど、この辺りはまだ震災というものを表現しているんだなあってふんふん納得しながら読んでいた。
で、下巻。薔薇香に視点が移って、十歳の少女の日々に次から次へと悲劇が舞い込むんだけど、これは何ってのが正直な感想だった。
汚染地域で見つかった少女が、家族を失い、仲間を奪われ、同志だと思った人間に騙されて、巨悪に軟禁される。抵抗しても支配されて、振り回されて、思想の宣伝に利用される。
どうしてバラカがこんな目に合うんだろう。不思議なのが、川島がかかわる女性がことごとく死んでいくのと同様、バラカがかかわる人々もみんな不幸になっていくところなんだよね。
なんでこんな小説になっているんだろう。一番ではないにしろ、庇護を与えられるべき人物が、特に何もしていないのに不幸をまき散らしているように見えるのが意味深長だった。
バラカに関わった人々の失敗のサイクルは何だったのだろう。なぜこの小説で描かれている日本はこんなにも精神的に荒廃してしまったのだろう。
もしかしたら、その辺にこの小説のヒントがあるのかもしれない。描かれている社会や人々の行動こそが失敗のサイクルなのだとしたら、理想的な社会を逆説的に描いているとも言えるのかも。
にしても、このエピローグはなあ。ぶん投げすぎではないのかなあ。なんか納得感がないんだよなあ。うーん。